2002年 4月 27日

二重人格(分身)

投稿者 by vulcan at 16:52 / カテゴリ: / 11 コメント / 0 TrackBack

1845年(24歳)の作品
お勧め度☆

「二重人格」は人格の二重性を追求した文学かと思いきや、本物の分身の登場とそれに伴う主人公の精神的破滅というストーリーで、人格の二重性から生まれた分身という意味では「二重人格」というタイトルもうなずけないではないが、誤解を招く表現である。
ところでこの本は、駄作ではないが、非常に冗長で(そこがドストエフスキーらしいところなのだが)、とても読み進めにくい。半分ほど読めば、あとは一気に読めなくも無いが、それというのも『早くけりをつけたい』という一心から読み進められるだけのことである。ドストエフスキーを愛するもの以外にはとてもしまいまで読むことは出来ない相談だろう。
「二重人格」が処女作である「貧しき人々」に続く作品で、ドストエフスキー自身が愛した作品であることから、ドストフリークとしては一応の敬意を評せねばなるまい。しかし、当時の文学界から既にこき下ろされ、現代ではよほどの愛好家でなければその存在すら知られないという事実が、この作品に対する雄弁な評価であることに、私も異議を唱えることはしない。

2002年 4月 22日

賭博者

投稿者 by vulcan at 19:03 / カテゴリ: / 5 コメント / 0 TrackBack

1866年(45歳)の作品
お勧め度☆

ドストエフスキーを読まれるならば、「賭博者」は最後にすることを薦める。文学的見地から見て何の価値もなく、唯の落書きとさえ思えてしまう。ドストエフスキーが執筆したという事実だけが頁をめくる原動力である。それ以外には何もない。
唯一関心を寄せるのは、ドストエフスキー自身が主人公同様にルーレットで身を破滅させ、その体験に基づいて「賭博者」が出来上がったという事実であり、恋人アポリナーリヤとの外国旅行、道中での賭博狂で無一文となり挙句はアポリナーリヤにも見捨てられ、また妻マリア・兄ミハイルに先立たれ、精神的な支え(妻マリア)と金銭的な支え(兄ミハイル)を同時に失い(兄はドストエフスキーの金庫番であったようだ)、債権者から提示された最後の一ヶ月で(その一ヶ月以内に長編を一冊作らねば以後の9年間を債権者のために執筆する羽目になっていた。当時は「罪と罰」の連載中の身で、万事休したかのように思われた。)、速記者である後の妻アンナの協力を得て僅か27日で口述筆記して作り上げたという、破天荒な背景である。
極度に追い込まれ、僅か27日で作り上げたことを考慮すれば、「賭博者」はドストエフスキーが天才であることを示す作品であり、この作品を機にアンナと結ばれ、後の大作群の影の支えを手にしたことを思えば感慨にふけることも無くはない。
しかし、純粋に文学として「賭博者」と向き合えば、二度も読み返すことにはなったが(一度目でさえ嫌々読み進めた)、何一つ得るものは無かったといっても過言ではない。

2002年 4月 18日

地下室の手記

投稿者 by vulcan at 18:29 / カテゴリ: / 7 コメント / 0 TrackBack

1864年(43歳)の作品
お勧め度☆☆☆☆
出展:新潮文庫、江川 卓訳

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「貧しき人びと」「白夜」「死の家の記録」といった初期の作品は人道主義的社会派としてのドストエフスキーを垣間見ることが出来る。勿論、こうした作品のなかにもドストエフスキーらしさ、つまり、自意識の強い、自虐的な表現を多く見つけることができるのだが、「地下室の手記」以降、そうした人道主義は息を潜めだす。「地下室の手記」はまさに『絶望の分析』であり、それはドストエフスキーの挑戦である。彼の挑戦は見事に成功を収め、さまざまな意味で、現代文学と何よりも彼自身に多大な転換をもたらした。まさに、世界のドストエフスキーにならしめた転機を画した作品と言ってよい。

もうずっと前から――ざっと二十年も、ぼくはこんな生き方をつづけている。いまぼくは四十歳だ。以前は勤めていたが、現在は無職。ぼくは意地悪な役人だった。人に邪険に当たって、それで溜飲を下げていた。何しろ賄賂を取らないのだから、せめてこれくらいのご褒美は受けるのが当然、と割り切っていた。(まずい警句だが、消すつもりは無い。ピリッとしたやつが出来そうな気がして書いたのだが、今見ると、われながら浅ましく気取って見せただけだったと分かる。だから、わざと消さないでやる!)
(P6より引用)

何がわざとなのか、何のためにわざとなのか、理解に苦しむとしたらあなたは幸せである。

だが、それはともかく、いっぱし人並みの人間が、最も好んで話題に出来ることといったら、なんだろうか?
答え――自分自身のこと。
では、ぼくも自分自身のことを話すとしようか。

(P10より引用)

おそらくこの言い回しを私は100回は真似てきた。さまざまなバリエーションで使いたくってきた。それほど気に入った表現であり、とても使いやすい手法である。

もちろん、それは絶望の快楽だが、絶望の中にこそじんと焼け付くような快楽が潜んでいることだって多いのだ。特に、どこへどう逃れようもないような自分の状況を痛切に意識するときなんかは、なおさらである。ところで、いまの話の平手打ちを食った場合だが、この場合には、さあ、俺は面目玉をまるつぶしにされて、もう二度と浮かび上がれないぞ、という意識がぐっとのしかかってくるものなのだ。要するに、肝心の点は、どう頭をひねってみても、結局のところは、万事につけていつもぼくが真っ先に悪者になってしまう、しかも、何より癪に障るのは、そいつが罪なき罪というやつで、いわば、自然の法則でそうなってしまうことなのだ。
まず第一に、ぼくが周囲の誰よりも賢いのがいけない、ということになる。(ぼくはいつも、自分は周囲の誰よりも賢いと考えてきた。そして、ときには、真に受けていただけるかどうか知らないが、それを後ろめたく感じさえしたものだ。少なくともぼくは、生涯、いつもどこかそっぽのほうを見ていて、人々の目をまともに見られたことがない)。
(P14より引用)

ここはそれこそ自分の気持ちをドストエフスキーが代弁してくれたのではないかと思えるほど、驚くほど自分の心理が描写されている。自分で書いたのではないかと思えるほど、ドキッとしてしまう。

ところが、実を言うと、官能の喜びは、こうした各種さまざまな自意識やら屈辱の中にこそ含まれているのだ。何のことは無い。<俺はお前たちを悩まし、気分をかきむしり、家中のものを眠らせないでいる。それなら、おまえたちも、いっそ眠らないで、俺が歯が痛いんだということを、四六時中感じ続けるがいいさ。以前はお前たちに英雄らしく見られたいとも思ったものだが、いまは英雄どころか、要するに、汚らわしいやくざ野郎にしか過ぎない。なあに、それならそれで結構!正体を分かってもらえて、かえってせいせいしたくらいだ。俺のげひたうめき声がお気に召さないだと?お気に召さなくて結構。では一つ、もう一段、いやらしく手の込んだところを聞かしてやろうか…>というわけなのだ。
諸君、これでもまだ分かっていただけないだろうか?いや、どうやら、この官能の喜びの微妙なニュアンスをすっかり解せるようになるには、もっともっと知的な発達を遂げ、自覚を高めねばならないらしい!諸君は笑っているのか?それは嬉しい。ぼくの冗談は、諸君、もちろん品が悪いし、むらがあって、たどたどしい上に、なにやら自信無げな調子だ。しかし、こいつは、ぼくが自分で自分を尊敬していないからこそなのだ。いったい自意識を持った人間が、幾らかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか?
(P23より引用)

自意識を持った人間が行き着く果てにあるものは、自虐にこそ真の快楽を見つけ出すことである。つまり、自我の目覚めである自身への尊敬は、辿りつくべきところに辿り着いた瞬間から完璧に崩壊する。自分のことを考えたその瞬間から、そのような自意識が独りよがりなもので、公正な判断ではないことをとっくに気が付き、自分自身に対してつばを吐きかけたくなるという寸法である。

さすがに三ヶ月以上は、ぼくもぶっつづけの空想にふけることが出来なかった。そしてそろそろ、社会の只中に飛び込んで行きたいという、抑えがたい欲求を感じ始めた。社会へ飛び込むとは、ぼくの場合、係長のアントン・アントーヌイチ・セートチキンのところへ客に行くことを意味していた。彼は、ぼくの生涯を通じて変わることのなかった唯一人の知人で、これには僕自身、今もって驚いているような次第だ。もっとも、彼を訪ねるといっても、それはある時期が訪れ、ぼくの空想が幸福の絶頂を極めて、是が非でも即刻、人々と、いや全人類と抱き合う必要が生ずるときに限られていた。ところで、そうするためには、せめて一人だけでも、現実に生きている実在の人間を持っている必要があったのである。といっても、アントン・アントーヌイチを訪ねられるのは、彼の面会日である火曜日に限られていたから、当然の帰結として、全人類と抱き合いたいという願望も、いつも火曜日に期日を合わせないとならなかった。
(P85より引用)

全人類の代替がアントーヌイチであり、彼と抱き合うために、空想のスケジュールまで拘束されねばならない。しかも、彼の家では隅のほうに黙って座り込んで、他の客人とアントーヌイチとの会話に聞き耳を立てていることで、抱き合ったこととみなすことで満足しなければならない。
なんとも肩身の狭い境遇だが、自分が望んでそうなったことであり、自分の望みの代償としての境遇である。つまり、これこそが自然法則というものなのだ。

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2002年 4月 13日

死の家の記録

投稿者 by vulcan at 18:26 / カテゴリ: ドストエフスキー / 0 コメント / 0 TrackBack

1862年(41歳)の作品
お勧め度☆☆☆☆☆
出展:新潮文庫、工藤精一郎訳

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1849年、28歳のドストエフスキーはペトラシェフスキー事件で死刑を宣告され、刑の執行直前に『恩赦』によりシベリア流刑を言い渡され、4年の刑期を務めることとなったのだが、「死の家の記録」はそのときのシベリア流刑地での本物の記録である。(死刑宣告から一転して恩赦というのが皇帝の茶番であったことは有名な話である)
ツルゲーネフ、トルストイといった偉人たちが絶賛した「死の家の記録」は、ドストエフスキーにはとても珍しく、ロシアリアリズムが貫かれており、淡々と、とても淡々と民衆の喜怒哀楽が綴られている。
後の偉大な作品の源流とも言えるこの『貴重な』経験が、こうして世に姿を現したことをとても嬉しく思う。人類の貴重な財産とさえ言えるドストエフスキー、そしてこの作品が、現代まで語り継がれてきたことを我々は神に感謝せねばなるまい。

獄内にはいつも金を使いすぎたり、博打に負けたり、遊びが過ぎたりして、一文無しになってしまった連中や、手職もなく、ぼろを下げてみじめったらしいが、ある程度勇気と決断に恵まれた連中が、うようよしている。この連中に資本の形で残されているものは、ただ一つ背中だけである。背中ならまだ何かの役に立つかもしれない、そこで、すってんてんになった遊び人は、この最後の資本を回転させようと決意する。
………
この方法で、獄内に酒を持ち込めることもあるが、時にはこの方法が効を奏さないこともある。そうなると、最後の資本である背中で支払をするほかない。少佐に報告され、資本が笞を食らう。こっぴどく打ちのめされた上に、酒は没収される。しかしかつぎ屋は全てを自分の罪にして、親父を裏切るようなことはしない。それは密告を恥じるからではなく、ただ、密告が自分にとって不利だからである。どっちにしろ笞は免れないし、密告すれば、ただなぐられるのは自分ひとりじゃないという気休めがあるだけである。ところが親父は彼にとってまだ必要なのである。
(P64より引用)

創作ではなく、ありのままを記録しても、まるで物語のように面白さを感じる。ロシアの民衆が実に本能的に生きながら、且つ合理的でさえあるところに一種の高揚感を覚えた。民衆の力は偉大で、学ぶべきところが多くあるというドストエフスキーの考え方に共感する。彼らは生まれながらにして、詩人であり、役者であり、賢者でさえある。

「隊長様」と不幸な男は叫ぶ。「お慈悲でごぜえます、おらの生みの親父になってくだせえな、一生あなた様のことを神様に祈らせてくだせえな、おらを殺さねえでくだせえ、お慈悲でございます!」
ジェレビャトニコフはそれを待っているのだ。彼はすぐに刑の進行を中止させて、自分も悲しそうな顔つきをして、囚人と話を始める。
「でもなあ、おまえ」と彼は言う。「そうは言っても、このわしに一体何が出来るんだ?罰するのはわしじゃなくて、法律なんだよ!」
「隊長様、何もかもあなた様のお心しだいですよ、哀れみをかけてくだせえな!」
「じゃおまえは、わしがおまえをかわいそうだと思っていないと思うのかい?わしだって人間だよ!どう、わしは人間だろう、違うかい?」
「そんなこと、隊長様、決まりきったことですよ。あなた様は父親で、おれたちゃ息子ですよ。どうか、おらの生みの親になってくだせえな!」これは何とかなりそうだと思い始めて、囚人は叫びたてる。
「そうだよ、おまえ、自分でよく考えてごらん。考えるくらいの頭は、お前にだってあるはずだ。そりゃわしだって人間の心はあるから、罪人のおまえを寛大な気持ちでやさしく見てやらねばならぬくらいは、知ってるさ…」
「隊長様、いいことを言いなさる、まったくその通りですよ!」
「うん、お前がどんな悪い罪人でも、優しい目で見てやりたいよ。でもな、決めるのはわしじゃない、法律なんだよ!考えてごらん!わしは神と祖国に仕えている身だ。法律を緩めたら、わしは重い罪を担うことになるんだよ。そこを考えてくれ!」
「隊長様!」
「うん、だがもうどうしようもない!こうなったからには、止むを得ないよ、それがお前のためだ!わしが罪をしょうことは知ってるが、もう止むを得ないよ… 今回は哀れみをかけて、罰を軽くしてもだな、それによってかえって、お前に悪い結果をもたらしたらどうなるのだ?いいか、今お前をかわいそうに思って、罰を軽くしてやる、するとお前は、この次もまたこうだろうぐらいに高をくくって、また罪を犯す、そんなことになったらどうなるのだ?それこそわしは心の中で…」
「隊長様!お慈悲にそむかないことは、誓います!それこそ天の神様の前に立たされたつもりで…」
「うん、まあいい、いいよ!じゃ、今後悪いことはしないと、わしに誓うんだな」
「ええ、もう神様に八つ裂きにされてもかまいません、あの世で…」
「神に誓うのはよせ、恐れ多い。わしがお前の言葉を信じよう、約束するか?」
「隊長様!!!」
「じゃ、いいか、お前の哀れなみなしごの涙に免じて、わしが情けをかけてやる。お前はみなしごだな?」
「みなしごですとも、隊長様、天にも地にもたった一人、親父も、お袋もありません…」
「よし、じゃお前のみなしごの涙に免じて、いいか、これが最後だぞ…さあ、こいつを引き立てろ」と彼は付け加えるが、それがいかにも優しそうな声なので、囚人はもうこのような情け深い隊長のために、どう神に祈ったらよいか分からないほどである。
どころが、恐ろしい進行が開始され、引き立てられ始めた。太鼓が鳴り出し、最初の何本かの笞が振り上げられた…
「やつを打ちのめせ!」とジェレビャトニコフがありたけの声を張り上げて叫びたてる。「思い切り打て!なぐれ、なぐれ!火を噴かせろ!もっと、もっと!みなしごめ、かたりめ、音を上げさせろ!打て、打て、打ちのめせ!」
兵士たちは力いっぱいに笞を振り下ろす、哀れな囚人の目から火花が飛び散る、悲鳴を上げだす。ジェレビャトニコフはその後ろについて走りながら、笑って、笑って、笑い転げ、両手でわき腹を押さえて、背をまっすぐに伸ばすことが出来ないほどで、しまいには、見ているほうが気の毒になるほどである。彼は嬉しいのである、おかしいのである、そして時々彼の甲高い、健やかな爆笑が途切れて、また「打て、打ちまくれ!かたりめ、火を噴かせろ、みなしごを打ちのめせ…」と叫ぶ声が聞こえる。
(P297より引用)

ここの面白さは、前後を読まなければ伝えきれないが、かといって丸々一冊抜き出すわけにもいくまい。囚人の打ちのめされる姿をジェレビャトニコフが躍り上がって眺めている様子が目に見えるようであり、囚人も本能のなすがままなら、執行官も同様である。
芸術的に刑の執行を愛する姿は、たとえそれが常軌を逸する行動でも、後になれば笑って見過ごすことが出来るのではないか。

全体に、ロシア人は祖国を愛し、他国民を馬鹿にする性質がある(しかし憎みはしない)。彼らは自尊心が高く、うぬぼれだが、自嘲気味であり、自虐に悦びさえ感じる。本能のなすがままに行動し、目先の損得を最重視する。明日のことが重要であり、それ以後のことは明日考えれば良いとさえ思っている。一方、名誉を重んじ、権威を恐れ、上官は上官らしく威厳を持って振舞うことを望んでおり、変に民衆に取り入った行動に対しては、嘲笑と不信で迎える。生まれながらにして持った身分に対しては、神の思し召しと完全に受け入れている。けだもののような性格でも傷ついたものにはいたわりを示し、貴族を憎みながらもすすんで下男の仕事を買って出る。
そんな彼らを私は羨望のまなざしで見つめている。

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2002年 4月 06日

貧しき人びと

投稿者 by vulcan at 16:47 / カテゴリ: ドストエフスキー / 0 コメント / 0 TrackBack

1845年(24歳)の作品
お勧め度☆☆☆☆
出展:新潮文庫、木村 浩訳

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ドストエフスキーの処女作である『貧しき人びと』は、遠縁の老人と若い娘の往復書簡という体裁をとっており、強烈な印象を受けたことを覚えている。
当時大学生だった私は、この本によって一気にドストエフスキーにのめり込んだ記憶があるが、今読み返してみてもなるほど素晴らしい。処女作としては申し分ない。
しかしながら、ドストエフスキーの作品において私の目が肥えてしまったのか、くどさが返って邪魔になるところも見受けられ(くどさは本来邪魔なものだが)、飛ばし読みする誘惑に駆られそうになった。
老人マカール・ジェーヴシキンと娘ワルワーラ・ドブロショーロワのひたむきな愛は、一種異様な印象を受けるが、ジェーヴシキンの悲惨な境遇と純朴な性格が分かるにつれて、彼らの愛をそっとしておいてあげたくなる。
自分から離れていこうとするワーレンカに対する、ジェーヴシキンの異常なまでの執着心に対して、当時共感を覚えたことを、今思い出した。

わたしは台所に住んでいます。いや、もっと正確に言うなら、次のようになります。この台所の隣に一部屋あるのです(断っておきますが、この台所は清潔で、明るくて、とても立派なんです)。この部屋はちっぽけな、つつましい一隅といえますが… いや、こういったほうがもっといいかもしれません。つまり、台所は窓が三つもある大きなものなので、奥の壁に平行してもう一つの仕切りを入れ、定数以外の部屋を一つ作ったというわけなんです。全てがゆったりしていて、便利ですし、窓も一つあるので、要するにとても便利に出来ているんです。さて、これが私のねぐらです。ですから、変に気を回して、何か隠れた意味があるのではないかなどと考えないでください。そりゃ、要するに、台所じゃないか!といわれるかもしれませんが、確かに、私は台所に仕切りをして住んでいるわけですが、そんなことは何でもありません。
(P10より引用)

自分が台所に住んでいることを説明するために、これだけ長い文章を書くことが出来るのだと知り、当時はとても興奮した。しかし、今となっては自分も同じように回りくどい表現しか出来ないようになってしまった。
仮に自分の寝床が台所であったとして、そのことを愛する人に伝えることを想像すると、ぞくぞくするほど恍惚感に浸れる。おそらく、伝えた瞬間から後悔が始まるが。
銀行員時代、社宅に住んでいた先輩というか上司というか他部の目上の人が、狭い社宅に家族5人で住んでおり、自身はいつも帰りが遅かったので、やはり台所で寝起きしていたそうである。その人の口からそのことを聞いたのだが、大学出たての若造にそんなことまで打ち明けるというのは、どんな心境だったのだろう。

部屋割りがどうなっているかについては、もう書きましたね。それは言うまでも無く、便利に出来ています。本当ですとも。でも、部屋の中は何となく息苦しいのです。つまり、嫌な臭いがするほどではないのですが、しいていえば、もののすえたような、変に鼻に付く甘酸っぱい臭いがするからなんです。はじめはちょっと嫌な感じですが、そんなことは大したことではありません。ものの二分もすれば、他のこともそうですが、この臭いも消えてしまいますから。というのは、自分の体にもこの臭いがしみこんで、服も手も何もかも臭くなってしまうので、結局その臭いに慣れてしまうという寸法なのです。そんなわけで、この家ではまひわもじきに死んでしまいます。海軍少尉は今までに五羽も飼いましたが、どうやら、ここの空気では生きていくのが無理なようです。
(P24より引用)

なるべく体裁を繕う予定で書き始めながら、舌が乾かぬうちにざっくばらんに思ったことをぶちまけてしまう手法に狂喜乱舞した。読み返した今でも新鮮な印象を受ける。

哀れな老人は息子のペーチェンカ(老人は息子をそう呼んでいました)を感嘆してながめながら、嬉しくてたまらないのでした。息子のところへ訪ねて来るときは、いつも心配そうな顔つきをして、おどおどしているのでした。きっと、息子がどんなふうに迎えてくれるか、見当がつかなかったからでしょう。いつもすぐ部屋へ入る決心がつきかねて、長いこと立っていました。そんなときあたくしが通りかかると、老人は二十分ぐらいも引き止めて、ペーチェンカはどんな様子です、元気にやってますか、機嫌はどうでしょう、何か大切な仕事でもしているんじゃありませんか、一体どんなことをやってるんでしょう、書き物でもしているんですか、それとも考え事にふけっているんでしょうか、などと根掘り葉掘り尋ねるのでした。あたくしが相手を元気付けて安心させると、老人はようやく中へ入っていく覚悟を決め、おずおずと用心深くドアを開け、まず頭だけを入れて見せるのです。息子が怒っていないでうなずいて見せると、そっと部屋へ通り、外套を脱ぎ、帽子をとるのですが、この帽子ときたら、年がら年中くちゃくちゃになっていて、穴も開いていれば、つばも取れかかっている代物でした。そして、これらのものをそっと音のしないように始末をつけるのです。それから近くの椅子にそっと腰を下ろし、片時も息子から目を離さずに、ペーチェンカの機嫌はどうかと、じっと相手の動作を観察するのでした。もし息子がちょっとでも機嫌が悪く、老人がそれに気づくと、老人ははじかれたように立ち上がって「ペーチェンカ、わしはちょっと寄ってみただけさ。遠出をしてきて、そばを通りかかったのでね。なに、一息入れようと思ったまでさ」と弁解するのでした。それから無言のまま、おとなしく外套と帽子を取って、またそろそろとドアを開け、胸にこみ上げてくる悲しみを息子に悟られまいとして、わざと笑顔を作りながら、立ち去っていくのでした。
しがし、息子が機嫌よく迎え入れようものなら、老人はそれこそ嬉しさのあまり、天にも昇るような風情でした。その満足げな様子は顔には勿論、その身振りにも、全体の動作にも、あらわれるのでした。更に息子が何か話しかけようものなら、老人はいつも椅子から少し腰を浮かせて、まるでうやうやしく、卑屈なくらい丁寧な調子でそっと返事をしながら、いつも取っておきの表現、つまり、最も滑稽きわまる表現を使おうと努めるのでした。しかし、老人には雄弁の才はありませんでした。で、いつもしどろもどろになって、怖気づき、手の置き場は勿論、身の置き場もなくなってしまい、今言ったことを訂正するつもりなのか、いつまでも独りでブツブツつぶやいているのでした。ところが、返事がうまく出来たときには、老人も気取ったポーズをとり、チョッキやネクタイや上着などを直して、威厳を見せるのでした。ときによると、すっかり調子付いて、大胆にもそっと椅子から立ち上がり、本棚に近づいて、中から一冊抜き出して、それがどんな本だろうとお構いなしに、その場でちょっとページをめくることさえありました。しかも、老人はそんなふうに振舞いながら、自分はいつだって息子の本ぐらい勝手にいじれるのだぞ、息子が優しいのは別に珍しいことじゃない、といわんばかりに、わざとそっけない冷淡な態度を取って見せるのでした。ところがある日、老人が息子から本には手を触れないでくださいといわれて、びっくりしているところを、あたくしは偶然この目で見たことがあります。哀れな老人はすっかりどぎまぎして、手にしていた本を逆さに突っ込む始末でした。それからそれを直そうとして、今度は背表紙を向こう側へ突っ込んでしまい、老人は赤面したまま、ニヤニヤ笑いながら、どうやってこの罪を償ったものか自分でも見当がつかない様子でした。
(P49より引用)

かなり引用が長すぎたが(かなりどころの騒ぎではない)、しかし、ここはどうしても引用せずにいられない箇所だったので(実はもう一箇所ある)、約2ページにわたって引用してしまった。
ドストエフスキーの文章で女性の話す言葉や書く文章に、素晴らしさを感じることは稀なことなのだが(女性の番になったら手を抜いているのではないか?)、ここはとても印象的な場面であり、独特のドストエフスキーらしさが微塵も感じられず、それでいて読んでて面白い、極めて貴重な箇所であると考えている。
哀れな老人が、唯一の生きがいである息子を崇め、その生きがいを失わずにいられる方法をこれといって確固として持てずにいるため、気もそぞろといった様子がとても強く伝わってくる。

あたしはポクロフスキーに自分の友情を示すために、ぜひとも、何かプレゼントをしようと決心したのです。でも、どんなものがいいかしら?そして結局、本を贈ることを考え付いたのです。あの人が最新版のプーシキン全集を欲しがっていたのを知っていたので、それに決めました。あたくしには内緒で稼いだお金が三十ルーブルもありました。新しい服を作るために貯めておいたのです。あたくしはさっそく料理番のマトリョーナ婆さんを使いにやって、プーシキン全集がいくらするのか聞きにやりました。ところが困ったことに、装丁代を入れて、全十一巻で少なくとも六十ルーブルはするというのです。どこからそんなお金が手に入るでしょう?あたしは考えに考えてみたのですが、いい知恵はでませんでした。ママに頼むのは嫌でした。むろん、ママならきっと助けてくれたでしょうが、そうすればプレゼントのことが家中に知られてしまいます。そればかりか、このプレゼントはポクロフスキーがまる一年レッスンをしてくれたことに対するお礼ということになってしまうでしょう。あたくしは自分ひとりで、内緒でプレゼントがしたかったのです。あの人がレッスンをしてくれた苦労に対しては、友情でだけ答えることにして、永久に借りにしておきたかったのです。
(P62より引用)

ここでの最も印象深かったのは、最後の『お礼を友情で答えて、足らない部分は借りにしておく』というくだりで、そんな概念など露ほどもなかった自分には衝撃だったとともに(ドストエフスキーは常に衝撃的ではあるが、その中でもという意味で)、友情というお礼に憧れてしまった。

私はすっかり君と親しくなってしまったので、もし君が行ってしまったら、どんなことになるでしょう?私はネヴァ河へでも飛び込んで、それでもうおしまいですよ。ワーレンカ、きっと、そうなりますよ。だって君がいなくなったら、私は何もすることがないじゃありませんか!ああ、私の可愛い人、ワーレンカ!どうやら君は、私が荷馬車でヴォルゴヴォ墓地へ運ばれていくのをお望みのようですね。どこかの乞食婆さんが一人棺のあとについてきて、やがて私は砂をかけられ、婆さんもわたし一人を置き去りにしていってしまう。それが君のお望みらしいですね。あんまりです、あんまりですよ!
(P103より引用)

唯一最愛の人が自分のもとから離れようとしている、そんな焦燥感にかられるジェーヴシキンの苦悩が伝わってくる。もはや彼はとりとめの無い話に終始して、前後の見境無く、自分が何を言っているのかすら分からなくなってきている。
しかし、一足飛びに墓まで自分を運んでしまうところには恐れ入ってしまう。

なるほど、あの人はまだ若い高官で、時には怒鳴り散らすのが好きなんです。もっとも怒鳴り散らしていけないわけはありませんよ!我々小役人を叱り付ける必要があれば、大いに叱り付けるべきですからね!まあ、仮にそうだとしても、見栄のために叱り付けるとしましょう。見栄のためだって、怒鳴り散らしてかまいません。みんなを叱責訓戒することも必要なんですから。というのは、ワーレンカ、これは内緒の話ですけれども、我々小役人どもときたら、懲戒されなかったら、何もしないからです。みんなどこかに籍を置いて、自分が認められることばかり狙って、自己宣伝しているくせに、仕事のほうはなるべく避けていこうとするからです。
(P113より引用)

ロシアの小役人らしい言い分で、仕事をする振りばかりしている非能率的な職場が目に浮かぶ。

閣下は憤然とされて、「これは一体どうしたんだ、きみ!何をぼんやりしていたんだ?重要な書類で急を要するものなのに、君はめちゃめちゃにしてしまったじゃないか。いったい、これはどうしたというんだ」といってから、エスターフィ・イワーノヴィチの方を向かれました。私は、「怠慢だ!不注意だ!とんでもないことをしてくれたな!」といった言葉が響いてくるのをぼんやりと聞いているだけでした。私はなんということもなく、口をあけようとしました。お詫びを申し上げようと思ったのですが、出来ませんでした。そこを逃げ出そうとも思ったのですが、出来ませんでした。
ところがそのとき…まさにそのとき、とんでもないことが起こって、今でも恥ずかしさのあまりペンを持つ手が震えるほどです。私のボタンが、あの忌々しい、一本の糸にやっとぶら下がっていたボタンが、不意にちぎれ落ちたと思ったら、ポンと一つ飛び跳ねて(とうやら、我知らず手をかけたんですね)、ころころと音を立てながら、まっすぐに、ほんとにまっすぐに閣下の足元へ転がっていったのです。しかも、それはあたりがしーんと静まり返っていたときの出来事なんです!それが私の弁解であり、陳謝であり、解答であり、さらには閣下に申し上げようと思っていたことの一切となったのです!その結果はたいへんなことになりました!
閣下はたちまち私の風采と服装に注意を向けられました。私はさっき鏡の中に見た自分の姿を思い出しました。私はボタンを拾いに飛んでいきました!なんてばかなことを思い立ったものでしょう!身をかがめて、ボタンをつかもうとすると、相手はころころと転がったり、くるくる回ったりして、つかまりません。いや、要するに、不器用さにかけても私は有名になったのです。私はもうそのとき、これでいよいよ最後の力も尽き果てたな、何もかもしまいだ!と感じました。体面も丸つぶれですし、一個の人間としても破滅してしまったんです!すると、どうしたものか、急にテレーザとファリドーニの声が両の耳に聞こえて、がんがん鳴り出しました。やっとのことでボタンを捕まえ、立ち上がって、姿勢を正しました。いや、ばかついでに、そのままズボンの縫い目に手を当てて、不動の姿勢でもとればよかったんです!ところが、こともあろうに、ボタンをさっきちぎれた糸の端に縛りつけようとしたのです。まるでそうしておけばボタンがちゃんと止まるとでも思っていたんですね。おまけに、私はニヤニヤ笑ったんです、そう、ニヤニヤとね。閣下ははじめ目をそむけておられましたが、やがてまた私のほうをチラッと見やって、エフスターフィ・イワーノヴィチに向かって、「なんということだ?…見たまえ、なんという格好をしているんだ!… あの男はどうしたんだ!…あれは何者だ!」とおっしゃるのが聞こえました。
ああ、ワーレンカ、あの時あの場で、あの男はどうしたんだ?あれは何者だ?と声をかけられたのは、身に余る光栄だったのです!聞いていると、エスターフィ・イワーノヴィチは「落度は、今まで一度も落度はございませんでした。品行も模範的で、俸給は規程どおり十分に出しております…」と答えているんです。「では、何とかもう少し楽にしてやってはどうかね。前渡でもしてやって…」と閣下がおっしゃるのです。「いや、それがもう前渡になっておりますので、これこれの分まで前渡になっております。なにか、よくよく事情があるのでございましょう。品行は方正で、落度はついぞ一度もありませんでした」ねえ、私の天使さん、私は身を焼かれる思いでした。地獄の業火に焼かれる思いでしたよ!いや、今にも死にそうな思いでした!「さあ、それでは」と、閣下は大きな声でいわれました。「大急ぎで浄書するんだね。ジェーヴシキン君、こっちへ来てくれ給え、もう一度誤りの無いように浄書を頼むよ。ああ、それから…」と、閣下は一座の人々にいろいろな命令を下し、みんなは出て行きました。
一堂が出て行くと、閣下はそそくさと札入れを取り出されて、中から百ルーブル紙幣を一枚抜き出し、「さ、これは少ないけれどわしから、ま、取っておきなさい…」といって、私の手に握らせました。私の天使さん、私は思わずぶるっと震えました、心の底から感動させられました。私は自分がどうなったかも分かりません。私は閣下のお手を握ろうとしましたが、閣下もさっと頬を赤く染められて、それから、――いいですか、ワーレンカ、私は毛ほども真実を曲げてはいませんよ――それからこの卑しい私の手をお握りになって、強く一振りなさいました。まるで私が対等のものでもあるかのように、いや、将軍ででもあるかのように、無造作にお握りになって、「さあ、もう行ってよろしい。なに、それはほんの志だけで…もう間違いはしないように。今度のことは別として」と、いわれたんです。
さて、そこで私はこう決めました。それは君とフェドーラに神様にお祈りしてもらいたいのです。私に子供があれば子供にもお祈りをさせるところですよ。たとえ生みの父親のためには祈らなくても、あの閣下のために朝晩お祈りしていただきたいのです!それからもう一つ、君にいっておくことがあるのです。私はこれを厳粛な気持ちで言いますから、君もそのつもりでちゃんと聞いてください ――誓って申しますが、私はあの苦しい時代に、君を見、君の不幸を見るにつけ、また自分を見、自分の卑屈さと甲斐性なさを見るにつけ、厳しい日々の心痛のあまり何度も死ぬ思いをしたかしれませんが、それにもかかわらず、誓って申しますが、私には閣下が自らこのわらくず同然の酔っ払いに過ぎない、私の卑しい手を握ってくださったことのほうが、あの百ルーブル札などよりどれほどありがたいか知れないのです!閣下はあの握手によって、私に私自身を取り戻させてくださったのです。あの行いによって私の魂をよみがえらせ、私の生活を永遠に楽しいものにしてくださったのです。ですからたとえ私が神の前にいくら罪を重ねておりましょうとも、閣下のご多幸と安泰を願う私の祈りは必ず神の御座に届くものと信じて疑いません!…
(P181より引用)

なんという強烈な描写!何度も読み返さずにはいられない。コメントするのは愚かというものだろう!

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2002年 4月 06日

白夜

投稿者 by vulcan at 00:58 / カテゴリ: / 12 コメント / 0 TrackBack

1848年(27歳)の作品
お勧め度☆☆☆
出展:角川文庫クラッシックス、小沼文彦訳

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空想家でセンチメンタリストな貧しいインテリ青年を主人公とした作品をドストエフスキーはよく書くが、それはおそらく、誰もが言うように彼自身がそうした青年だったからなのだろう。しかし、どこまでが本物なんだろうか?全てが本物だとしたら彼は変人ということになってしまう。自分にも同じように考えるところがあるため、自分は異常にドストエフスキーが好きなのだが、自分も変人ということの証なのだろうか。
『白夜』は、良心の呵責、男女の義務と友情、空しく過ぎ去ろうとしている青春時代に対する焦りついて、彼らしい独特の言い回しで軽快に綴った、愛すべき小品である。総ページ数115頁にして、これだけのドラマ。わずか五日間の出来事ではあるが、最後の文脈にあるように、青年にとっては長い人生と比べても決して不足のない一瞬であったことだろう。何気に選んだドストエフスキー最初の紹介本ではあるが、最初にふさわしい作品であったと思う。

まったく藪から棒に、この孤独な私をみんなが見捨てようとしている、みんなが私から離れようとしているというような気がしはじめたのだ。それはもちろん誰だって、「いったいどこのどいつだね、そのみんなというのは?」とたずねる権利を持っているにちがいない。なにしろ私はこれでもう八年もペテルブルグに住んでいながら、ほとんど一人の知人をつくる才覚も無かった男なのだから。
(P5より引用)

彼らしい自分自身に対する皮肉な台詞で、お気に入りな言い回しである。権利という概念に対する皮肉も込められているように感じて心地よい。
人間にはバイオリズムがあり、無理が利く健康体、機嫌、仕事が冴え渡る頭脳などはそうしたバイオリズムの浮き沈みによって時々刻々と状態が変わる。
そんな中で特に機嫌の良し悪しに関わるバイオリズムは、傍から見ては変化が分からないほどゆっくりと小さな軌道を辿るのだが、その起伏が激しい人のことを躁鬱病というありがたくないレッテルが貼られる。
はっきりさせよう。自分は躁鬱病だ。別に医者に宣告されたわけではないが、代わりに自分で宣告してやった。今では随分とその起伏も穏やかになったが、確かに「今はハイで何をやっても楽しくて仕方が無い、有頂天な時間だな」というときと、「ああ、もうだめ。何をやってもうまくいかない。いっそ死んでしまったほうが幾らかましだ。」というときが、前触れも無く自分を襲う。言うまでも無いことではあるが、付け加えると、その中間の状態が最も長い時期ではある(でなきゃ、既に気が狂ってる)。

この部屋にいるとどうしてこうも気詰まりなのだろうか?そしてどうも合点がいかないままに、緑色のすすけた壁や、女中のマトリョーナのお陰でますますふえてゆく蜘蛛の巣だらけの天井をながめまわし、家具という家具を何度も調べなおし、不幸の原因はもしやこれではあるまいかと考えながら、椅子まで一つ一つあらためてみた。
(P8より引用)

まるで蜘蛛の巣が増えるのはマトリョーナ一人のせいだと言わんばかりの言い回しが、自己中心的な彼らしいところである。
自分は人との間に壁を張る傾向がある。それは他人が自分の領土に入り込むのを阻止するためではなく、自分が他人の領土に入り込むのを阻止するためである。自分には、心を開いた人に対しては、築いた壁を取っ払い、その人の領土(プライバシーを含めたあらゆる事柄)に無断で、しかも土足でズカズカと入り込む性格があり、有頂天になってしまって、そこが自分の領土だとでも言いたげに、したい放題、言いたい放題になってしまう。
ふとわれに返って自分が領土侵犯していることに気がつくと、あわてて自分の領土内に戻り、もともとあった壁よりも更に高い壁を築き、気恥ずかしさに心を狂わせ、まるで領土侵犯をしたのは自分のせいではなく、自分に心を開かせた相手のせいだと言わんばかりに、自分だけでは飽き足らず相手をも非難し、固い殻の中に自分を閉じこめてしまう。
そうならないように最初から壁を張るのだが、そんなんじゃ社会で生きていくことなど出来はしない。したがって、少しずつ、少しずつ、亀の歩行と同じぐらいの速さではあるが、自分を変えようと努力している。壁を取っ払いつつも、領土外にやたらに飛び出さないように。しかし、それは今もって難しいことである。

私はマトリョーナを呼びつけて、蜘蛛の巣のことやら、その他彼女のだらしないやり方一般について、いきなり父親的な訓戒をあたえてやろうかなどという妙な考えまで起こしたものである。ところが彼女はいかにもけげんそうに私の顔をチラリと見ただけで、一口も返事をしないでさっさと向こうへ行ってしまった。お陰で例の蜘蛛の巣は今なお平穏無事に元の場所にぶらさがっている。
(P9より引用)

プロレタリアートな時代のロシアの父親には憧れと恐れの念を抱く。おそらくこの青年も同様な気持ちで訓戒をたれようとしたのだろう。今のところ想像だが、ドストエフスキーの父親はおそらく目を合わせるのも恐ろしい厳格な人物だったに違いない。彼の作品の中にはこうした父親像を彷彿とさせる箇所がところどころに見受けられる。
自分は分析するのが好きだ。それこそ何でもかんでも分析対象としたがる。特に人の性格を分析するのが大好きで、他人のことをあれこれと、少ない情報・状況証拠から分析する。敢えて言うと、自分は分析するのが好きなのではなくて、自分の分析結果に酔いしれるのが好きなのだ。
この『自分に酔う』というのが曲者で、『酔った』勢いで本人に分析結果を公表してしまうことがある(父親的訓戒を垂れるかのように)。言われた本人は、何の前触れも無く恐ろしく突然に(伝える私にとって突然でないなら、言われる本人も突然ではなかろう、という妙な思い込みがあるのも問題だ)、しかも他人に触れられたくないところを、その権利の無い人物から、そして自分はそれを黙って聞く義務も無いというのに、宣告されてカンカンに怒っていることだろう。

私には行くべき別荘などまったくなかったし、またいかなければならない理由もなかった。私はどの荷馬車とでも一緒に行きかねない気持ちだった。辻馬車を雇っている立派な風采のどの紳士とでも一緒に、そのまま行ってしまいかねない気持ちだった。だが一人として、まったく誰一人として、一緒に行こうと言ってくれるものはいなかった、まるで私のことなどは忘れているように、彼らにとって私などはそれこそ赤の他人ででもあるかのように!
(P11より引用)

10年ほど前、卒業旅行をかねて英国に2週間ほど行って来た。現地の短期英語学校では日本人やドイツ人やホームステイ先の息子や姉と、またその友達と仲良くなって、更にその友達の友達まで紹介されて、飲んだり、スヌーカー(ビリヤードみたいなもの)をして遊んだのだが、自分一人になるととてもたまらない気持ちになった。そんなときには一人で街中を当てもなくぶらぶらし、字幕も無いのでほとんど分からない映画を観るために映画館に入ったり、同じ道を8の字よろしく永久ループにはまったかのようにグルグルと回ったりしたのだが、それが余計にわびしさを増幅させた(あたりまえだ)。そのとき辻馬車に誘われたら、おそらく自分も飛び乗っていたことだろう。

私は歩きながら歌を口ずさんでいた。というのは、自分が幸福な気分のときには、親しい友もなければ親切な知人もなく、嬉しいときにもその喜びをわかつ相手のいない幸福な人間が誰しもするように、小さな声で歌っていた。
(P13より引用)

喜びを歌で表すのはいかにも気恥ずかしいことだが、その気持ちはとてもよく分かる。少年の壊れやすい心を忘れずに取っておいた彼だからこそ出来る表現だと思う。

そしてしばらく間をおいて、またもやつづくすすり泣きの声。これはなんとしたことだ?私は胸がギュッとしめつけられるような気がした。私は女性に対して臆病なほうであったが、なにぶんにも時刻が時刻である!…。私は引きかえして彼女のそばへ歩みより「お嬢さん!」と声をかけようとした ――もしもこの呼びかけの言葉がロシアの上流社会をえがいたあらゆる小説のなかで、すでに数千回も繰り返されたものであることを知らなかったら、必ずそれを口にしたに違いない。
(P14より引用)

言葉を飾らずにはおれないドストエフスキーらしい表現である。憧れてしまう。
先に自分は分析するのが好きといったが、数値計算を含めてシミュレートするのも大好きである。つまり、空想するのが好きなわけだが、空想の中で相手との会話を楽しんでしまう(変態という一言で片付けてもらっても構いませんがね)。
いろいろな前提条件を設定し、環境要因や特殊要因を考慮してシミュレートするわけだが、どうかすると5分の会話のために1時間以上もシミュレートしてしまうことがある(場合分けも含めて)。自分の名誉のために付け加えておくが、「相手がああいったらこう言おう」とか「自分がこういったら、相手はああいうだろう」とかで構成していく、頭の悪い人間が行うシミュレートは行っていない(そういうのは成り行きに任せる他無く、人知の及ぶところではない。時間の無駄だ)。
となると、僅か5分ではとても伝えきれない内容となってしまい、エッセンスだけを伝えることになってしまうのだが、それでは論理構成がむちゃくちゃになってしまう。
結局、論理性を殺してまでして伝えることには抵抗を覚え、だったらと伝えなかったりするわけで、かくして自分は口下手で、物静かな(何を考えているのか良く分からない)人間となってしまうのである。女性に対してというよりも、他人に対してではあるが、そのほうが始末が悪い!

「とにかく嘘じゃありません、女性は一人も、それこそ一人も、ぜんぜん知らないんです!まったく付き合ったことがないんですよ!そしてただ毎日、やがていずれは誰かに会うに違いないと、そればかりを夢に描いているんです。ああ、あなたはご存じないでしょうが、ぼくはそれこそ何度今までにそんなふうに恋をしたか知れやしません!…」
「というと、誰にですの?…」
「なに相手なんかいやしません、理想の女性に、夢に現れる女性にですよ、僕は空想の中で無数の小説を創作するんです。」
(P18より引用)

自分は夢想化で、結婚していなければ、仕事をしているか夢想しているか常に何れかの状態にしか身を置かなかったことだろう。

「ねえ、あなたはいったいどういうお方なんですの?さあ早く―― おはじめになって、身の上話をお聞かせくださいな」
「身の上話!」と私はびっくりして叫んだ。「身の上話ですって!いったい誰がそんなことを言ったんです、僕に身の上話があるなんて?僕には身の上話なんかありゃしませんよ…」
(P28より引用)

誰かが言わなきゃ自分に身の上話があるなどと思いもすまいと言わんばかりの表現で、自虐に快楽を求めるところが共感を呼ぶ。今でこそまともな人間になりかけているが、昔の自暴自棄な自分を思うと、見過ごさずにはいられない表現である。

「しかし失礼ですが、僕はまだあなたのお名前をうかがっていませんでしたね?」
「まあ、いまごろになって!ずいぶん早く気がおつきになったこと!」
「ほんとに、なんてことだ!てんでそんなことには気づきもしなかった、それでなくてもあんまりいい気持ちだったもので…」
「あたしの名前はね――ナースチェンカですわ」
「ナースチェンカ!それだけですか?」
「それだけかですって!それだけじゃ不足だとでもおっしゃるの、まあ、なんてあなたは欲深なんでしょう!」
「不足ですって?いや十分です、十分です、それどころか、十分すぎるくらい十分ですよ。ナースチェンカ、あなたがぼくのためにいきなりただのナースチェンカになってくださったところをみると、あなたはじつに心のやさしい娘さんにちがいありませんね!」
「ほらごらんなさい!それで!」

(P31より引用)

現代はどうか知らないが、彼の目を通したロシア娘の繊細で、純情で、しかも強さを持ったところがとても好きである。

「なぜこのこっけいな紳士は、数すくない知人の誰かがやってくると(結局はその知人もぜんぶいなくなってしまうんですがね)なんだってこの滑稽な男はひどくどぎまぎして顔色まで変え、すっかり取り乱してしまうんでしょう?まるでたったいまこの四つ壁のなかで犯罪でもおかしたか、贋造紙幣でもつくっていたか、それでなければ、この詩の作者はすでに死んでしまったが、遺稿を発表することは親友として神聖な義務であると思うと書いてある匿名の手紙を添えて、雑誌に送るために妙な詩でも書いていたような狼狽ぶりなんですからね。」
(P33より引用)

狼狽する青年を見事に描写するドストエフスキーだが、こうした表現は他の作品にも随所に見られる。夢想の邪魔をされ、ひどく怒りっぽく、しかしながらどぎまぎしながら相手の機嫌を損なわないよう努力する(しかしそれも必ず失敗に終わるが)姿は、特に身に覚えがなくとも懐かしい気持ちに襲われる。

「ああ、ナースチェンカ、ぼくは自分が言葉を飾って話していることを知っています。しかし――失礼ですが、ぼくにはこれより他の話し方は出来ないんですよ。いまのぼくは、ねえ、ナースチェンカ、いまのぼくは七つの封印をほどこされて、千年ものあいだ箱の中に閉じこめられていて、やっとのことでその七つの封印を取り除かれたソロモン王の霊みたいなもんですからね。」
(P37より引用)

『失礼ですが』。この言葉がこうした使い方をされることを望んでいるのかどうかは分からないが、何でもかんでも『失礼』と言いまわる日本人より、よほど謙虚な使い方だと思う。

「じゃ本当にあなたはそんなふうにいままでずっと暮らしていらっしゃったの?」
「ええ、いままでずっとね、ナースチェンカ」と私は答えた。「いままでずっと、そしてどうやら、これからもそれで押し通すらしい!」
(P48より引用)

これも最高に自虐的で、思わずニヤリとしてしまう表現である。

「あたしの身の上話の半分はあなたはもうご存じですわね、つまりあたしに年とったお祖母さんがあるってことはご存じでしょう…」
「もしも後の半分もそれくらい短いものだったら、それは…」と私は笑って相手をさえぎろうとした。
(P54より引用)

彼らは(あるいはドストエフスキーという人物は)、半分とか第一にとかいった表現を、じつに皮肉った使い方をすることが多い。まるで論理的に思考していないかのような使い方が時々見られるのだが、おそらく論理的思考家に対する皮肉なのだろう。

「ねえ、ナースチェンカ!」と私は叫んだ。「あなたは知っていますか、今日いちにちぼくにどんなことがあったか?」
「まあ、なにが、どんなことがありましたの?早く聞かせてちょうだいな?どうしていままで黙っていらしたの?」
「まず第一にですね、ナースチェンカ、あなたから頼まれたことをすっかりすまし、手紙もわたし、あなたの言う親切な人の家にもよってから、それから …それからぼくは家へ帰って、ベッドにはいったというわけなんです」
「たったそれだけ?」と彼女は笑ってさえぎった。
「まあ、だいたいそれだけなんですがね」と私は苦しい気持ちを抑えて答えた。
(P80より引用)

ナースチェンカに頼まれた親切な人の家に手紙を届けるという行為を三つに分割し、いろいろしてきたかのように表現するところが面白おかしい。しかし、それは「たったそれだけ」なのである。

「これからあたしがお話しするのはあの人のことじゃなくて、一般的なことなんですけれど、もうずっと前からしょっちゅう頭に浮かんでいたことなんですの。あのねえ、いったいどうしてあたしたちはみんなお互いに、兄妹同士みたいにしていられないんでしょう?どんなにいい人でも、いつもなんだか隠し事でもあるみたいに、決してそれを口にださないのはどういうわけなんでしょう。相手に向かってちゃんと喋っているんだと知っていたら、なぜすぐに、ざっくばらんに言ってしまわないのでしょうね?これじゃまるで誰でも実際の自分よりすこしでも堅苦しく見せかけようとしてるみたいじゃありませんの、すぐになんでも思ってることを言ってしまったら、自分の感情をはずかしめることになりはしまいかと、みんなでびくびくしてるみたいじゃありませんの…」
「さあ、ナースチェンカ!確かにあなたのおっしゃるとおりです。しかしそれはいろいろな理由があってそうなるもんでしてね」と私はさえぎった。そのくせその瞬間の私は、ほかのいかなる瞬間にもまして自分の感情を押し殺していたのである。
(P85より引用)

ここは、おそらくドストエフスキーの主題であろう。男女が兄妹同士のように話し合えたらという希望と、それが無理な相談であるとした諦めとが見事に表現されている。最後の表現にはドキッとさせられる。自分は裏表のない人間として筋を通すことを信条としているが、果たして感情を押し殺したことがなかったか。いや、感情を押し殺したことなどあまたある。それは裏表のある人間につながるのではないのだろうか。しかし、感情を抑えなかったら、それこそ身の破滅だ。

それとも思いがけなく黒雲のかげからちょっと顔をのぞかせた太陽の光線が、またもや雨雲のかげに隠れてしまったので、眼の前のあらゆるものがふたたび色つやを失ってしまったのだろうか。いや、もしかすると、私の眼の前に物悲しくもよそよそしい私の未来の生活の一齣が、そっくりそのままチラリとひらめきすぎたのかも知れない。そして私は、きっかり十五年後の、すっかり年をとった私が、同じこの部屋で、やはり一人ぼっちで、こながの年月にもすこしも利口にならないマトリョーナと二人で、相変わらず淋しく暮らしているいまと同じ自分の姿を見たのかも知れないのだ。
(P114より引用)

青年の人生が静かに終わりを告げたことを物語っている。残された長い長い時間は、彼の人生において何の意味も生み出さない。

ああ!至上の法悦の完全なひととき!人間の長い一生にくらべてすら、それは決して不足のない一瞬ではないか?…。
(P114より引用)

しかし、その一瞬こそ彼の生きた証であり、彼の人生そのものといえることだろう。

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