2002年 4月 13日

死の家の記録

投稿者 by vulcan at 18:26 / カテゴリ: ドストエフスキー / 0 コメント / 0 TrackBack

1862年(41歳)の作品
お勧め度☆☆☆☆☆
出展:新潮文庫、工藤精一郎訳

1849年、28歳のドストエフスキーはペトラシェフスキー事件で死刑を宣告され、刑の執行直前に『恩赦』によりシベリア流刑を言い渡され、4年の刑期を務めることとなったのだが、「死の家の記録」はそのときのシベリア流刑地での本物の記録である。(死刑宣告から一転して恩赦というのが皇帝の茶番であったことは有名な話である)
ツルゲーネフ、トルストイといった偉人たちが絶賛した「死の家の記録」は、ドストエフスキーにはとても珍しく、ロシアリアリズムが貫かれており、淡々と、とても淡々と民衆の喜怒哀楽が綴られている。
後の偉大な作品の源流とも言えるこの『貴重な』経験が、こうして世に姿を現したことをとても嬉しく思う。人類の貴重な財産とさえ言えるドストエフスキー、そしてこの作品が、現代まで語り継がれてきたことを我々は神に感謝せねばなるまい。

獄内にはいつも金を使いすぎたり、博打に負けたり、遊びが過ぎたりして、一文無しになってしまった連中や、手職もなく、ぼろを下げてみじめったらしいが、ある程度勇気と決断に恵まれた連中が、うようよしている。この連中に資本の形で残されているものは、ただ一つ背中だけである。背中ならまだ何かの役に立つかもしれない、そこで、すってんてんになった遊び人は、この最後の資本を回転させようと決意する。
………
この方法で、獄内に酒を持ち込めることもあるが、時にはこの方法が効を奏さないこともある。そうなると、最後の資本である背中で支払をするほかない。少佐に報告され、資本が笞を食らう。こっぴどく打ちのめされた上に、酒は没収される。しかしかつぎ屋は全てを自分の罪にして、親父を裏切るようなことはしない。それは密告を恥じるからではなく、ただ、密告が自分にとって不利だからである。どっちにしろ笞は免れないし、密告すれば、ただなぐられるのは自分ひとりじゃないという気休めがあるだけである。ところが親父は彼にとってまだ必要なのである。
(P64より引用)

創作ではなく、ありのままを記録しても、まるで物語のように面白さを感じる。ロシアの民衆が実に本能的に生きながら、且つ合理的でさえあるところに一種の高揚感を覚えた。民衆の力は偉大で、学ぶべきところが多くあるというドストエフスキーの考え方に共感する。彼らは生まれながらにして、詩人であり、役者であり、賢者でさえある。

「隊長様」と不幸な男は叫ぶ。「お慈悲でごぜえます、おらの生みの親父になってくだせえな、一生あなた様のことを神様に祈らせてくだせえな、おらを殺さねえでくだせえ、お慈悲でございます!」
ジェレビャトニコフはそれを待っているのだ。彼はすぐに刑の進行を中止させて、自分も悲しそうな顔つきをして、囚人と話を始める。
「でもなあ、おまえ」と彼は言う。「そうは言っても、このわしに一体何が出来るんだ?罰するのはわしじゃなくて、法律なんだよ!」
「隊長様、何もかもあなた様のお心しだいですよ、哀れみをかけてくだせえな!」
「じゃおまえは、わしがおまえをかわいそうだと思っていないと思うのかい?わしだって人間だよ!どう、わしは人間だろう、違うかい?」
「そんなこと、隊長様、決まりきったことですよ。あなた様は父親で、おれたちゃ息子ですよ。どうか、おらの生みの親になってくだせえな!」これは何とかなりそうだと思い始めて、囚人は叫びたてる。
「そうだよ、おまえ、自分でよく考えてごらん。考えるくらいの頭は、お前にだってあるはずだ。そりゃわしだって人間の心はあるから、罪人のおまえを寛大な気持ちでやさしく見てやらねばならぬくらいは、知ってるさ…」
「隊長様、いいことを言いなさる、まったくその通りですよ!」
「うん、お前がどんな悪い罪人でも、優しい目で見てやりたいよ。でもな、決めるのはわしじゃない、法律なんだよ!考えてごらん!わしは神と祖国に仕えている身だ。法律を緩めたら、わしは重い罪を担うことになるんだよ。そこを考えてくれ!」
「隊長様!」
「うん、だがもうどうしようもない!こうなったからには、止むを得ないよ、それがお前のためだ!わしが罪をしょうことは知ってるが、もう止むを得ないよ… 今回は哀れみをかけて、罰を軽くしてもだな、それによってかえって、お前に悪い結果をもたらしたらどうなるのだ?いいか、今お前をかわいそうに思って、罰を軽くしてやる、するとお前は、この次もまたこうだろうぐらいに高をくくって、また罪を犯す、そんなことになったらどうなるのだ?それこそわしは心の中で…」
「隊長様!お慈悲にそむかないことは、誓います!それこそ天の神様の前に立たされたつもりで…」
「うん、まあいい、いいよ!じゃ、今後悪いことはしないと、わしに誓うんだな」
「ええ、もう神様に八つ裂きにされてもかまいません、あの世で…」
「神に誓うのはよせ、恐れ多い。わしがお前の言葉を信じよう、約束するか?」
「隊長様!!!」
「じゃ、いいか、お前の哀れなみなしごの涙に免じて、わしが情けをかけてやる。お前はみなしごだな?」
「みなしごですとも、隊長様、天にも地にもたった一人、親父も、お袋もありません…」
「よし、じゃお前のみなしごの涙に免じて、いいか、これが最後だぞ…さあ、こいつを引き立てろ」と彼は付け加えるが、それがいかにも優しそうな声なので、囚人はもうこのような情け深い隊長のために、どう神に祈ったらよいか分からないほどである。
どころが、恐ろしい進行が開始され、引き立てられ始めた。太鼓が鳴り出し、最初の何本かの笞が振り上げられた…
「やつを打ちのめせ!」とジェレビャトニコフがありたけの声を張り上げて叫びたてる。「思い切り打て!なぐれ、なぐれ!火を噴かせろ!もっと、もっと!みなしごめ、かたりめ、音を上げさせろ!打て、打て、打ちのめせ!」
兵士たちは力いっぱいに笞を振り下ろす、哀れな囚人の目から火花が飛び散る、悲鳴を上げだす。ジェレビャトニコフはその後ろについて走りながら、笑って、笑って、笑い転げ、両手でわき腹を押さえて、背をまっすぐに伸ばすことが出来ないほどで、しまいには、見ているほうが気の毒になるほどである。彼は嬉しいのである、おかしいのである、そして時々彼の甲高い、健やかな爆笑が途切れて、また「打て、打ちまくれ!かたりめ、火を噴かせろ、みなしごを打ちのめせ…」と叫ぶ声が聞こえる。
(P297より引用)

ここの面白さは、前後を読まなければ伝えきれないが、かといって丸々一冊抜き出すわけにもいくまい。囚人の打ちのめされる姿をジェレビャトニコフが躍り上がって眺めている様子が目に見えるようであり、囚人も本能のなすがままなら、執行官も同様である。
芸術的に刑の執行を愛する姿は、たとえそれが常軌を逸する行動でも、後になれば笑って見過ごすことが出来るのではないか。

全体に、ロシア人は祖国を愛し、他国民を馬鹿にする性質がある(しかし憎みはしない)。彼らは自尊心が高く、うぬぼれだが、自嘲気味であり、自虐に悦びさえ感じる。本能のなすがままに行動し、目先の損得を最重視する。明日のことが重要であり、それ以後のことは明日考えれば良いとさえ思っている。一方、名誉を重んじ、権威を恐れ、上官は上官らしく威厳を持って振舞うことを望んでおり、変に民衆に取り入った行動に対しては、嘲笑と不信で迎える。生まれながらにして持った身分に対しては、神の思し召しと完全に受け入れている。けだもののような性格でも傷ついたものにはいたわりを示し、貴族を憎みながらもすすんで下男の仕事を買って出る。
そんな彼らを私は羨望のまなざしで見つめている。

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