ナポレオン・ヒルという人は貧乏大学生の時、成功者に取材をするアルバイトを始め、一番最初にアンドリュー・カーネギーにインタビューしました。
二人は意気投合し、とうとうカーネギーが自分の実践してきた成功哲学が普遍的なものであることを確かめたいという夢を語り、それには20年の歳月が必要だが自分は年をとりすぎたため、ヒルに引き継いでもらえないかと打診したところ、ヒルは29秒で引き受けることを決断ます。
その後、カーネギーの紹介状を持って多くの成功者にインタビューを行い、ヒルは20年かけてカーネギーの成功哲学が普遍的であることを確認し、それを体系的にまとめました。
ヒルの『お金と人生の法則』という小冊子は無料で入手できます。
(勧誘電話がうっとおしいのであまりお勧めできませんが)
カーネギーが実践した6つの方法
いやっほー。
とうとう自分にもWeblogができました。ありがとう、Makotoさん、スペシャルサンクス。以下、顛末を簡単にご紹介します。
昨日は、なぜだか英語になってしまっていたので、ダウンロードファイルを再び解凍しなおすところから再開。これまでの苦難の日々のお陰で、ほとんど鼻歌交じりで設定ができるまでになっていたからさくっと完了し、mt-cgiを多少緊張しながら実行すると、あっさり日本語のログイン画面。やった。
ところがいざログインしてみるとやっぱり英語。ここは、掲示板のアドバイスに従い言語設定を日本語に変更して事なきを得た(前回は日本語の選択肢が無かった)。
さあ、これで全て解決しちゃったりして、などと期待しながらFirstWeblogを編集し、表示してみるもやはり駄目。Apacheの設定が絶対にまずい。cgi-binの下のhtmlファイルはどうしたら見えるんだ。
っていうか、cgi-binの下に構築しているのがまずいんじゃないのかなぁ、と呆然としつつ、いろいろ試行錯誤し、ようやく、MovableTypeのインストール先はcgi-binでもブログは別の場所にすればいいのでは?ということに気がつき、やってみると、このとおりできてしまったのさ。
Makoto師匠のアドバイスのおかげで前進しましたので、以下報告します。
とりあえず、MySQLをVer4.0に落として3度目のインストール。DBを再作成しmt-load.cgiを動かしてみると、次に進んでよいとのありがたいお言葉だ。次はいよいよmt.cgi。これで終わりだ。
と、意気揚々と進めるも、何か違和感が。
「あれ、英語だぞ」。一抹の不安を感じつつ、ログインしてみるも、やはりそこは英語の世界。「日本語になってない~」と嘆きながらも、まあとりあえず英語でもいいから進めてみたいと言う気持ちで、FirstWeblogを編集し、できたサイトを表示してみようとするが、表示ができない。
cgi-binの下に置いたのが原因かなぁ、となるとApacheの設定かまずってるのかも。というか、やっぱり日本語の方が気分的にいいし、もう一回やり直すかなぁ。ということで、再び撃沈。
何につけても自分は苦労するようにできているようだ(つうか、ブログはまだ実力を超えているのかも…)。
子供の人生は子供のものだから親がとやかく言うのはいかがなものかと思うので、誰にはどうなって欲しいということはあまり考えないようにしています。
ただ、仮に4人の子供に恵まれた場合、どういうタイプの4人になるのかを想像することはかなり楽しい作業なので、行なってみました。以下紹介します。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲一人はやはり自分のサーバーを引き継ぎ、より強力に管理してもらいたいという願望もあるため、ITにめちゃ強くなって、是非ともLinus B. Toralds氏(Linuxのカーネルを作り上げた人)を超える人物を目指して欲しいと思う。そのためにも、システム・数学・統計・英語を高いレベルでマスターしてほしい。
次は、文章を面白く書くのが好きな二人の血を濃く受け継いで、世界にエンターテイメントを提供する宮部みゆきを超える大小説家を目指して欲しいと思う。そのためには、感性豊かで博識でなければならず、人脈が豊富であるためにも語学は数ヶ国語をマスターしてほしい。
三人目は自分の野球センス(orスノボセンス)、もしくは祖父(父方)のテニスセンスを強力にして、イチローもしくはシュテフィ・グラフのようなみんなに愛されるアスリートになって欲しい。そのためには、精神力、体力、洞察力、決断力全てをトップレベルにしなければならない。
四人目は何万という従業員に慕われ、誇りに思ってもらえる偉大な経営者となって欲しい。そのためには上の三人のいいところを全てまんべんなく吸収し、その上で特に法律に強くなる必要がある。
苦難続きでかなり疲れてます。以下奮闘記を記します。
毎日少しずつ作業を進め、いよいよMovableTypeをインストールするかと取り組んだ。マニュアルを読むと、MovableTypeのインストール前にMySQLで新規DBを構築しておかなければならないことが分かり、やろうとするがうまくいかない。
サイトを調べて手がかりを掴むも該当するファイルが見当たらない。やむなく、サイトの手順に従って再度MySQLをインストールしなおし、ひいひいいいながらDB及びユーザーを新規作成した。
次にMovableTypeをインストールし、設定ファイルの書き換えを行なってmt-check.cgiを動かそうとするも、MovableTypeのインストール先ではcgiが動かない。Apacheの設定がまずいのだろうと、いくつかサイトを調べてトライしたもののうまくいかず、やむなくcgiが動いているcgi-binの下にMovableTypeをインストールしなおすことにした。これでようやくmt-check.cgiが動いた。
ところが、mt-check.cgiによるといくつかインストールができていないことが判明。これまた色々とサイトめぐりを行い、ActivePerlのPPMでインストール(あまりよく理解していないが)。このあたりで、かなり疲労が溜まってきたが、なんとかmt-check.cgi上で次のステップに進んでよいとのメッセージが出た。
次はすんなり行ってくれればいいのだが、と甘い期待を持ちながらmt-load.cgiを実行すると期待は早速裏切られ、MySQLの設定が甘いことを指摘される。再びMySQLのサイトを調べ、MovableTypeのMySQL設定手順の解説サイトなどものぞいてみるが、これが全然うまく行かない。
どうもホストの設定がまずいようで、localhost、namep.homeip.netなど思いつくホスト名を入れてみるもうまく行かず、ここで撃沈した。
ほとんどの先人達はサーバーがプロバイダにあることを前提に記載しているため、通常はホスト名で躓くことはないのだろうが、自宅で構築している分このあたりの設定はわけが分からなくなってくる。挙句の果てに『サーバー管理者に確認してみてください』とのトラブルシューティングを目にして、完全にやる気が失せた。
とりあえず、次はいつ挑戦するか分からない状態なので、mt-check.cgiとmt-load.cgiを削除。
自慢話など聞いても楽しくないだろうが、どうしても自慢したいので自慢させてください。
我が家は結婚して大体2年おきぐらいで引越しを繰り返し、船橋→江東区→千葉市(ベイタウン)と移動してきました。特に江東区から引越し先を探す際は候補地として東雲、亀戸、西新井などをよく観察した上でベイタウンを選択し、今、とても気に入っています。
ベイタウンに移ってからの2年間も、物件めぐりが習慣化し、お金のかからない週末の過ごし方としていろいろなモデルルームを見て回ったので、自分たちが理想とする住居のイメージがずいぶん鮮明になりました。
そうして出会ったエリストでの生活があと一年程で始まろうとしています。自分たちのこだわりを十二分に満たしてくれているエリストについて、どうしても語ってみたいわけです。
前置きが長くなりましたので、以下早速自慢します。
自慢1『LDK28畳弱』
本当はLDだけで30畳というのが目標だったが、対面式のオープンキッチン(釣り戸棚なし)なので一体感があるはずで、空間としてこれだけの広さを確保することができて非常に満足している。
このために4畳半の和室を潰すことになった(ついでに廊下を縮め、リビングドアの位置を変えた)。来客が年中来るわけではないし、共用のゲストルームもあるし、来客も泊まりでない方が多いわけだからリビングの広さを確保することを優先した。
リビングは起きている時間の生活の中心場所であるというのが我々の到達した考えで、家族が集って食事も娯楽も勉強も全てここで行なうことを予定している。子供たちにはリビングにいることの楽しさ、安らぎを提供していきたい。
自慢2『洋室12畳と5畳の2LDK+アルファルーム(6畳)』
12畳の寝室では4人家族が川の字になって寝られるし、予定通りあと二人子供が増えても十分な広さが確保されている。寝室はまさに寝る部屋であるというのが我々の考えだが、ベッドを入れず、引き続き布団を敷く方針であるため、昼間、子供たちが遊びまわる第二の場所としても十分活躍する。また、来客の際も、12畳あれば一緒に川の字になることも可能だ。
我々は基本的に子供部屋という概念を否定している。子供部屋の数によって心理的に子供の人数が抑制されるのは嫌だし、子供が部屋を必要と考えるのは長い人生の中ではほんの一時期であり、なければないなりの生活ができるはずだからだ。同じ寝室で寝起きし、リビングに集って生活するというのが我々のスタイル。
残りの5畳とアルファルームをどう使うかはまだ確定していない。基本的な構想として、アルファルームを納戸とし、5畳はパソコン、プリンタ等を置くことが考えられているが、生活をリビングとして定めているため、できればサーバーマシンのみの設置として、パソコンをするためにこもることを避けたい。となると3台のデスクトップマシンを全てサーバーマシンとして運用して、ノートPCを調達することを含め、将来のネットワーク構成を考慮しながら部屋の使用方法を考えたい。
自慢3『その他の主要な自慢』
リビングの窓が5枚続きのワイドなもので、更に2方面に窓がある。寝室は西北西に面しており2重サッシのため、結露がしにくい(はず)。お風呂は大型の1620サイズで、浴槽は最もゆったり感が味わえるデルタ型、窓があるので換気しやすい。高層階にあるためベイタウンが一望でき、夏の花火、冬の富士山を楽しめる(はず)。
挙げだしたら切りがないし、自慢に十分満足できたのでこの辺で止めておきます。
Bianがプレゼントされた数多くの絵本のうち、きみはほんとうにステキだねの面白さはダントツです。プレゼントしてくれた義姉には非常に感謝しています。
粗筋は、暴れん坊で意地悪なティラノサウルスが登場し、スティラコサウルス達をいじめていたところ、生命の危機に直面し、これまでの己の行いを反省と後悔で想起し、すんでのところでエラスモサウルスに助けられ、純朴なエラスモサウルスに惹かれ、彼に嫌われたくないがために嘘もつきながら、しかし行ないも正し、永遠の友情を夢み、突然のエラスモサウルスの危機に無我夢中で助けに飛び出し、聞こえていないエラスモサウルスに自分の正体を明かすというあらすじです。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲何度読んでも味のある作品ですが、特にクライマックスは涙なくしては語れません。自分はすっかりティラノサウルスの世界に入り込んでおり、読み聞かせるのが楽しくてしょうがないです。聞いているBianもページをめくると暗誦してくれるまでになりました。
『暴れん坊で意地悪で、ずるくて自分勝手な』というところは、自分もそうだし、Bianもそうだけど、多くの人がオーバーラップする部分ではないでしょうか。
そして、彼が初めて直面した危機に、『助けて』と叫びながらも自分の行状から推し測って誰も助けてはくれないだろうと観念したところ、エラスモサウルスは『だって、助けてっていったろ』と言って助けてくれました。
良いことをした人は助けられる、悪いことばかりしている人は助けられない、という因果関係の存在を人は認めたがるため、悪いことをした人を助けたがらないと思いますが、助けて欲しい人が助けられ、助けてほしくない人は助けられないという、非常に深い真理を一言で表現しているところなど、舌を巻きます。
また、友情を築くためにまず嘘をつくことになるわけですが、しかし嘘をついているだけではなく、行いも正しており、気がつけば嘘が嘘ではなくなっています。
嘘とは何かをあらためて考えさせられます。これまでの自分に当てはまらないことでも、これからの自分がそのとおりであればそれは嘘というべきではないのかもしれません。嘘といってしまうと、実現しないことを認めることになるからです。
そしてなんといってもクライマックスです。自分の正体(つまり過去の行状)を洗いざらい、聞いていないエラスモサウルスに話して聞かせ、永遠の友情の思いを伝え、途中から意識を取り戻したエラスモサウルスが自分の知っているティラノサウルスは本当にステキだという。過去を問わない、過去にとらわれない、今どうなのかで判断する姿勢に惚れ惚れします。
話はその後どうなったのかを告げないで終わります。エラスモサウルスはその後死んでしまったのか、ティラノサウルスの看護のおかげで回復して二人は末永く友情を深めることができたのか、こうした『気になる』部分を残しておくことも非常に印象が強められて、また味が出るわけです。
というわけで、計算されていなさそうで、計算されていそうな、非常に完成度の高い絵本であり、子供のいる人は是非とも何度も読み聞かせてください。
『人は思ったとおりの自分になる』ということを聞いたことがある人も多いだろうし、普段からそう思っている人も中にはいるでしょう。自分もそう思っている人の一人です。つまり、未来の自分の姿は自分で決めているわけです。
自分はこうありたいという願望は、そこに向かって自分を引き上げていくためには必要ですが、願うだけで叶うほど世の中は甘くもありません。
いろいろな過去の経験則、本や映像から仕入れた知識、要するに記憶により、自分にもできるのではというマインドも、弱弱しい歩みを支えるために必要なことではありますが、やはりそれだけでは不十分です。
過去の成功体験、自分自身に対する信頼というポジティブな記憶と自分の目指す姿とがしっかりとつながったとき、『自分は必ずできる』という確信を得るにいたり、こうなると未来の自分は必ずそうなるのだと思います。
逆に、過去の失敗体験、自信の無さというネガティブな記憶が強いと『自分には無理だ』とか『自分にはまだ早い』といった気持ちにより、願望を実現することはできないでしょう。これは、自分が無理だと決め、まだその時期ではないと決めたのです。
屁理屈を言っているのではありません。人間が記憶にとらわれた生き物である限り、記憶を有利に活用した方がいいわけで、ポジティブに思考することをお勧めします。
今ネガティブかなと思ったら、ポジティブな人ならどう考えるんだろう?と立ち止まってみることがいい訓練になります。そのうち自然にポジティブな解釈(考え)ができるようになるでしょう。
また、確信を持つためには全力を尽くすことです。自分は精一杯やった(やっている)という自分自身への信頼が確信を持つためには必要だと思います。
全力を尽くすということは、自分自身の相対評価です。人と比べて全力かどうか、絶対的に全力かどうかはどうでもよいことで、過去の自分と比べて全力かどうかだけを判断すればよいと思います。
昨日の日記はちょっと矛盾がありますが、そのままにしておきます。やはりそれだけ、過去、現在、未来という概念は難しく、簡単に語れるものではないということでしょう。
間違った情報を意図的に発信し続けることは論外としても、人間なのだから多少の錯誤や誤認は止むを得ないと考えています。理解が不十分であるときに、(自分には発言の権利がない)と考えることは良くないです。
確かにそうした状態で発言することは批判を受けるリスクを背負います。したがって、何でもかんでも言いたい放題というのはよろしくないですが、自分が言いたい!と思うことまで自制してしまうと、抑圧されたストレスの塊になってしまい、しかもその原因が自分自身にあっては救いがたくなります。
さて、掲題のテーマに戻ります。
子供を見ていると、成功体験がいかに重要かがわかります。
滑り台をすべることができた。108ピースのパズルができた。自転車に乗れた。自分の身長より高いところからジャンプできた。ひらがなが読めた。いろんな成功体験を重ねてどんどん成長するのを見ていると、『危ないから』『まだ小さいから』といった理由で体験をさせてもらえないことが子供の成長の障害になるだろうことは容易に想像付きます。
一方、思い込みというものは、より人間の行動を左右するということも確かです。
自分はちっちゃいから滑り台は滑られない。パズルは難しくてできない。自転車は怖い。高いところからのジャンプは危ない。子供は文字を読めない。『できない』と思い込んでいるときにはいくら手を変え品を変えておだててもなかなか導けません。
しかし、同年代の子供がびゅんびゅん自転車を乗り回している姿や、ジャンプしている姿、滑り台を滑っている姿などを見ているうちに、自分にもできると思い込むようで、こうなるとやってみようという意思がわき、うまく成功して驚いて見せたりすると、得意になって何度でもやり、これが成功体験として記憶に定着するわけです。
HikaruはBianのやることを何でもまねたがり、したがって成長が速いです。これらも視覚から入った擬似的な成功体験が功を奏していると表現することもできるでしょう。
過去、現在、未来というのは何でしょうか。
『過去は変えられない、現在は選択、未来は無限の可能性。』
一見正論のようですが、過去というのは記憶・記録の中にのみ存在しており、解釈は無限大に成り立ちます。つまり、『事実は一つでも解釈は無限大』というわけで、人間にとって必要なのは事実ではなく解釈(or記憶)だということです。
極端な例ですが、ある人の話では、バイクでおばあちゃんをはねてしまったとき、「感謝します」ととっさに言ったそうです。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲すると、おばあちゃんはスタスタと救急車に乗り込み、その後、おばあちゃんの農場でバイトさせてもらったり、孫達の家庭教師をしたり、とうとう自分の結婚式におばあちゃんが出席して和太鼓を披露してくれます。
バイクでおばあちゃんをはねたという事実(過去)は変えられませんが、「あの時おばあちゃんをはねたことが自分の不幸の始まりだった」と解釈していると、おばあちゃんを逆恨みしかねないぐらいに自己嫌悪に陥るでしょうが、過去にとらわれない生き方で、ポジティブに考えられると上記の例のようになる場合もありるでしょう。
ブログについてあれやこれやと調べています。
まずは、リニューアル等ホームページ製作では常にお世話になりっぱなしであるmoon21にて情報収集。
感心したのは日記がジャンル分けされている点です。そのため、関心の高いジャンルだけを閲覧することができ、訪問客に親切な設計となっています。日々いろんなテーマで長々と日記をつづる自分にとっては、この機能は是非とも導入したいと強く思いました。
また、コメントを打つのにID登録している者しか受け付けない『TypeKey』という機能を利用していることがわかりました。ブログについての当初の印象が、日記にコメントを簡単に寄せられるため、(荒らしにあいそうで怖い)というものだっただけに、この機能は非常に魅力的です。
更に調べていくと、『Movable Type』というブログツールを利用していることがわかりました。
これはアメリカではかなりのシェアを占めているようで、日本法人もあり、個人ユースの1ユーザーであれば無償で行なえるようです(個人5ユーザーの場合は9千円弱)。
1ユーザーというと、自分とNamePと分けて作ることができないため、やっぱり有償を使うことになりそうな予感を持ちながらも、Apache、Perl、JavaScript、MySQLなどの知識が今の自分の水準で十分なのかどうか不明なため、とりあえずは無償版で試してみることになりそうです。
ブログユーザー数について調べていくうちに、『ブログペット』というものを見つけました。
これは、どうやら自分のブログを学習してペットのウサギがコメントを付け出したりするAIのようで、こいつを飼うには1ユーザー数食うようです。なかなか面白そうなので、ちょっと飼ってみたい気がします。
さて、ブログサイトでは、いろいろと見慣れない用語が散らばっています。
例えばトラックバック。
【IT用語辞典】
ウェブログ作者が別のウェブログの記事を参照して自身のサイトにコメントを掲載するような場合、元の記事へのリンクを張るのが一般的だが、単にリンクしただけでは元の記事の作者はどこからどうリンクされているのか容易に知ることはできない。トラックバックはリンク元サイトに「このような記事からリンクを張った」という情報を通知する仕組みで、リンク元記事のURLやタイトル、内容の要約などが送信される。トラックバックされたサイトはこの情報を元に「この記事を参照している記事一覧」を自動的に生成することができる。
ブログに関する耳慣れない用語についてはIT用語辞典で調べるといいでしょう。
そうこうして、再びmoon21を調べていくうちに、purplemoonというサイトに辿り着きました。この際ホームページ製作のいろはを学びなおした方が良さそうだな、と思い直し、今月中にリニューアルすることは諦め、腰を落ち着けて妥協のないリニューアルを目指すことにします。
システムとは何かについて哲学しだしたのと期を一にしてブログという言葉を初めてNamePから聞きました。
『なんじゃそりゃ?』という反応で、説明を聞いてもあまりぴんときません。今使っているABCDiary(既に廃盤となってサポートされていない)と比べてどんなメリットがるのかがあまり認識できず、『ふーん』と聞き流していました。
そんな状況下、システムについて日夜ネットで調べているうちに『社会システム理論』をブログを使って投稿しているサイトで、非常に説得力のあるものに出会いました。このサイトについてはもう少し自分なりに租借してから紹介したいと思いますが、ブログを使っている点がとても気になったのです。
ということで、システムの哲学は一休みして、ブログについて情報収集を開始した次第です。ブログのメリットがおぼろげながら見えてくると、Webリニューアルの野望も再燃してきました。このモチベーションを維持すれば、今月中にサイトリニューアルも可能かも。
昨夜あたりから『システムとはそもそも何ぞや』という命題を掲げながら哲学にふけっています。
といって、これまでの不勉強を棚上げして、これほどの概念を2日で完全に理解することは無理な話。
ということで、多少引用するだけで当面はお茶を濁すことにします。
永井俊哉講義録 第31号
システム(system自然科学では系とも訳される)という言葉は、ギリシャ語の「結合する」という意味の語に由来する。だからシステムは、常識的には、結合された要素のまとまりとして定義されている。この定義は、システム/要素関係を全体/部分関係と同一視しているわけだが、システムは部分から合成された全体ではないし、ましてや全体と部分との空間的な包摂関係ではない。システムは単なる要素の集まり以上であり、この「以上」が選択性である。システムは、要素をどう結合するかを選択し、そして選択された結合様式が、システムの構造となる。システムとは、選択すること以外の何ものでもないと言ってよい。
《中略》
システムを構造と絶対的に区別することが不毛であるもう一つの理由は、区別が相対的であるということである。あるものがシステムか構造かは、観点によって変わってくる。氷山を自己組織的とみなすならば、それはシステムである。極条件によって規定されていると考えれば、氷山は、地球システムの構造の一部分(サブシステム)である。
では、この世界には独立自存のシステムがあるだろうか。おそらく一つもないであろう。どんなシステムも基礎付けのネットワークの中にある。だから選択される構造は、選択されるシステムと同一視しても実際上の問題はない。しかし概念上両者を区別することは可能だし、少なくとも哲学にとっては必要である。
最後に環境の概念を検討しよう。システム/環境関係は、システム/要素関係が全体/部分関係と混同されがちであるのと同様に、内部/外部関係と混同されがちである。こうした空間的な概念把握はナイーブであり、不毛でもある。
《以下略》
地球システムから個々の人体における生命システム(更に各臓器システム)、資本主義システムから会社のビジネスシステム(更に個々の業務システム)。システムと構造、システムと環境、全体と部分、外側と内側、全ては主観的、相対的な定義ということでしょう。
しかし、システムは単なる要素の集まり以上であり、この「以上」が選択性である。というのはどういうことなんだろうか?