2006年 8月 31日

正論を追求する

投稿者 by vulcan at 18:06 / カテゴリ: / 17 コメント / 0 TrackBack

きっこのブログがホラー作家の坂東眞砂子を糾弾していますが、きっこのブログを読んで一番強く感じることは、きっこが一貫して筋を通し続けているだけでなく、それが正論中の正論であることに対する畏怖です。

猫殺し作家の屁理屈

子犬も殺していた鬼畜女

人格異常者のルーツ

命の重さと罪の重さ

読者メールのご紹介【2006/9/24追加】

呆れ果てるイイワケ>【2006/9/24追加】

私も長らく筋を通すということを求め続けてはいましたが、最近、例の『随筆』の中で、以下のような考え方を展開していました。

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『筋を通す』(首尾を一貫させる。また、道理にかなうようにする。)ということは、今もってなかなか一言で説明をすることは難しいが、「『筋を通す』ことの目的は、信頼関係を築くことにある」ということに気づいた。というか、筋を通し続けることでいつの間にか信頼関係、信用が築かれていることに気がついたといった方が正確かもしれない。つまり、人間社会において最も大切なものは信頼関係であるとすると、それは筋を通し続けることで得られるわけだ。

また、筋を通し続けることは自尊心、自信とも関係が深いと思う。己を信ずればこそ、筋の通らないことを真っ向から拒絶できるわけで、自尊心が低ければ、筋が通らないことも平気で行なうであろう。

自尊心とはプライドとは似て非なるものと考える。プライドは、多くの場合、単なるエゴ・自慰に過ぎず、自意識過剰でナイーブなものでしかない。対して自尊心とは、己を律し、己を裏切らない心であり、その先にあるものは、体内に流れる血を敬う心、血を汚さない心ではないか。したがって、親、子、祖先を敬い、彼らを嘆かせない行動が求められるのであり、敬う相手は己であって己でない。

そういう風に考えると、『筋を通す』ということも、「己の血に問うて恥ずかしくない道を歩む」ということになろう。それでも結局漠然としているし、やはり地道な積み重ねによってしか体得できないことかもしれない。

『筋を通す』ということがいまいちピンとこない人は、まず、己を信ずること、己を敬うことから始めたらどうか。その先に一族に対する誇りがあることを肝に銘じて。

なお、最近特に思うことは、『筋を通す』ことと『手順を踏む』ことの関連性・重要性である。但し、ここで言う『手順を踏む』というのは、単なる手続きを指すのではなく、手続きとして明記していない手順のことを指す。具体的には、助言や回答をもらった相談者に対するお礼、間を取り持ってもらった紹介者に対するお礼、指示を受けた上司に対する報告、指示した仕事を行なった部下に対する労い、直属上司を経由した決裁、権限を委譲した部下を経由した末端への指示、等である。要するに人間関係を良好に保つことにつながるのが『手順を踏む』ことだ。

手順を無視するということは人間関係を壊すことにつながる。世の中には筋を通すに値しない人間も多く存在するし、全ての人間関係を良好に保つ必要はないが、それでも一度は上司と仰いだ者には手順を踏んで関係を絶ち、部下、その他の者に対しても同様に心掛けるのが良い。手順を踏むにせよ踏まないにせよ関係断絶には違いないが、手順を踏まなければ、無用な反感まで生んでしまう。

ところで、『無理が通れば道理が引っ込む』という言葉がある。道理(筋の通った正論)に反することが世の中にまかり通るようなことになれば、道理に適ったことが行なわれなくなってしまうということを指す諺であり、厭世的な場面で使われることが多い。しかし、世の中は必ずしも道理(筋)の通じる者ばかりではないことを肝に銘じ、時と場合によっては無理を押し通すことも必要であることを知っておいた方が良い。無理を押し通し続けることは身を滅ぼすため、伝家の宝刀としてやたらに持ち出すべきではないが、道理(筋)を説いても通じない者に対しては、無理を通して歩みを進めることがあっても止むを得ないものと考える。

結局、まだ見極められていないわけですが、『随筆』を書いてから一月ほど経ち、また、多少考え方が進展しました。

筋というのはいろんな筋があり、坂東眞砂子の屁理屈もある意味筋と言えちゃうのかもしれません。したがって、筋だけ追及していても駄目で、正論を追及しなければならないと理解しました。会社経営というのは情報判断の連続であり、適切な判断を下し続けることが求められますが、そのためには、何が正論なのかが自然に理解できなければならず、判断を誤ると命取りになるわけです。

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2006年 8月 30日

整理整頓・清潔

投稿者 by vulcan at 23:30 / カテゴリ: / 9 コメント / 0 TrackBack

私は、『日本の経営』で、企業と神道の結びつきが強かったことに関心を示し、江戸時代の『お伊勢参り』にも興味をそそられました。また、お盆休みに行った戸隠神社の歴史を読み、昔は戸隠神社が仏教を取り込んで融合していたことを知ったばかりでしたし、そのほかにも、何かと最近やたらに神道に縁のある話を見聞きするので、とても気になり始めたのです。

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とはいえ、昔から、仏教については、祖先に対する畏敬の念があったので、多少は敬意を抱いていましたが、神道に関しては、そもそもどんな神なのかもよく分からず、名古屋に住んでいながら伊勢神宮にも行ったことが無く、「神社とは願をかけて、おみくじを引くところ」程度にしか解釈していない不心得者でしたから、「怒りっぽそうな神社の神様は、きっと私などにはばちを与えようとてぐすねひいて待ち構えているに決まっているので、下手にかかわらない方がいい」と本能的に感じて遠ざかっていた気がします。

そんなわけで、神社参拝の手順はもとより、伊勢神宮が何故それほど特別視されているのかさえ分かっていなかった私は、神道のイロハから学ぶ必要がありました。そして、「学ぶといったらまずはWikipedia」ということで、『伊勢神宮』『神仏習合』『神仏分離』『神道』『禊(みそぎ)』『穢れ(けがれ)』『参拝』『祝詞(のりと)』『祓詞(はらえことば)』という具合に、どんどん知識を習得し、徐々に神道がどのようなものであるかが見えてきました。

そして、ある程度の知識を身に付けた上で出てきた感想は、「やはり安易に神に頼るのは良くなく、理解の浅いうちは極力避けていたのも悪くない選択だった」というものがまず思い浮かび、「祓詞(はらえことば)をいずれは暗唱できるようにして正式な参拝の仕方をマスターしよう」という決意が次に沸いてきました。しかし、それよりも大事だと考えたのは、「神道は、世界的に見ても稀なほど、清浄を重んじる宗教のようなので、まずは、整理整頓と清潔を心がけることから始めなければならない」ということでした。

つまり、整理整頓の習慣と清潔の心がけが無ければ、土俵にも上がれないと直感したわけで、今は神頼みする以前の問題です。そんなわけで、会社の机の整理整頓を今後は心がけようと思いますし、かれこれ半年ほど続いている『トイレ掃除』も継続して行きたいと思います。また、2年続いている『自分で散髪』ももう少し頻度を増やして常に小奇麗にしておこうと思います。その他、エリスト購入を契機に習慣になりつつあるお風呂掃除と窓ガラス掃除、水槽掃除なんかも引き続き力を入れていきたいと思います。こうした整理整頓の習慣と清潔感が身についたころには、神道の正式な作法によってお参りするにふさわしい人格となっているのだろうと思います。

本当はもっと書きたいこともあるのですが、眠いので今日はもう止めちゃいます。推敲の足らない支離滅裂っぽい文章で申し訳ございません。

【2006/10/13追記】

上記で、祖先への敬う心があるから仏教には多少の敬意を抱いていたというようなことを述べておりますが、祖先神への崇拝の精神は、仏教ではなく神道であることを、その後理解しました。お墓があり、定期的に法事をするから、祖先への崇拝は仏教の精神かと思っていましたが、むしろ仏教が日本に定着するために、古来からある神道の精神を受容したということのようです。

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2006年 8月 30日

元禄時代の日本

投稿者 by vulcan at 13:27 / カテゴリ: / 8 コメント / 0 TrackBack

昨日、妻と、日本史について議論をしました。「日本の歴史において、いつの時代が一番幸せだったのか」をテーマに議論したのですが、教養に関しては、私よりも妻の方が一枚も二枚も上手な上、『世界史』を専攻していた私に太刀打ちできる余地は無かったわけで、議論の行く末が、『妻の結論』を私が受け入れる形となったのは必然的ですが、いろいろ考えさせられるきっかけとなったので紹介します。

まず、Wikipediaの江戸時代中期に関する説明を引用して、おさらいしたいと思います。

江戸時代中期

元禄文化が花開き、天下泰平の世となってくる。8代将軍徳川吉宗の時の享保の改革以降は、土地資本を基盤とする(土地所有者ではない)支配者層である武士の生活の安定と、安定成長政策とを上手く融合できずに、金融引締め的な経済圧迫政策のみを打ち出した。その結果、出口の見えない不況が社会停滞の原因となった。また、増えすぎた人口を農業のみでは養っていけない東北地方等では、不作が発生した際に「飢饉」にまで事態が悪化してしまうという不幸が、特に江戸時代後半には多かった。

実際には、超長期の安定政権は、特に前半の百数十年は成長経済基調のもと、日本に空前の繁栄をもたらし、その後の日本の誇りとなるような学問・文化・芸術・商法等あらゆるジャンルで様々な才能が花開き、確立され、現在へと引き継がれているのである。

江戸時代は町人が中心となり文化や伝統芸能、娯楽、芸術、経済、物流と言った物が非常に活発になった時代でもあり、日本のルネサンス期に相当する。

大胆に、江戸時代中期の説明を試みますと、長らく続いた戦国の世の中が過去のものとなり、農業に関する技術革新によって食糧事情が飛躍的に改善され、「農民も白米が食べられる時代」となったのが江戸時代中期であり、『衣食足りて礼節を知る』ではありませんが、元禄文化とくくられるように、町人中心の独創的な学問・文化・芸術・娯楽が発達しました。

士農工商という身分制度が完全に確立され、安土桃山時代のように、農民が武士になるというサクセスストーリーは物語の中での話となり、また、江戸末期のような制度疲労も見られなかったため、農民の子は農民であるのが当たり前であって、それに異を唱えることは馬鹿げていたと思います。

農民は、食糧事情が改善されたことを素直に喜び、「一生に一度伊勢神宮に旅行する」ことが半ば公然と認められ、また、『お伊勢講』のような制度が充実して、実現されていたことで、不満らしい不満は無かった可能性が高いと思います。

芸術・文化の発展と天下の太平とは相関があることは、歴史家であれば誰もが当たり前の常識として認識しているでしょうから、妻との議論の冒頭、妻から出された結論である「元禄時代が日本の最も豊かな時代であった」という説は、至極最もな意見であり、それで議論も行方は決まり、あとは、それをどう膨らませるかが話題の中心となったわけであります。

皇居で行なわれていた『伊藤若冲』の絵画展に先週末に行ったことを思い出し、調べてみましたところ、やはりというか、彼も江戸中期の人物でした。

「高度経済成長を果たし、今後はあくせく成長を目指す必要は無く、現状の経済規模を維持すれば高齢化時代を乗り切れるのだから、自信を持って将来に向かえば良い」というのが『新・日本の経営』の要諦だと思いますが、江戸時代の歴史から学ぶことも多いのかもしれません。

2006年 8月 28日

内閣見通しに対する私見

投稿者 by vulcan at 12:18 / カテゴリ: / 16 コメント / 0 TrackBack

昨日紹介した内閣府の経済財政諮問会議が発表した『日本21世紀ビジョン』に対する私見を述べようと思いますが、いきなり結論を述べてしまうと『存在理由』カテゴリーの大半の役目が終わってしまいますし、以下に示すようないくつかの検討項目について、まだまだ十分な検討を行なっていないため、私見はかなり限定的になることを、最初に断っておきます。

  1. 各世代が求めている(受け入れ可能な)日本の将来像に関する検討
  2. ブッシュ政権、小泉政権とその流れを汲む政権が何を目指そうとしているのか
  3. 政権交代の可能性と、それによる変革の程度
  4. 憲法第9条の問題を中心とした世論の動向(どこまで極端性を発揮するのか)
  5. 技術革新の発展の規模、分野

そんなわけで、いろいろ検討しようと思っているテーマはありますが、どれも一朝一夕にできることではないので、ぼちぼちやって行きます。

それでは、『内閣見通しに対する私見』ですが、まず、第一印象を述べると『よく検討されている』というものでした。諮問会議のメンバーを見ればそれも当然ですが、今の政府にあまり期待していなかっただけに『意外感』がありました。

『ジャパンクール』については、「間違いなくそうした方向で日本が発展していく」というよりは、「そうした方向を目指さないと低迷する」ということです。しかし、日本の伝統を思い起こせば、『ジャパンクール』は、かなり実現性の高い、現実に則した目標と言えると思います。

江戸時代、日本はせっせと中国に対して金銀を輸出し(要するにお金を払い)、中国から絹を輸入して着物文化に投資していたわけで、これを指して、無駄な投資をし続けたという曲解もあるかもしれませんが、300年の伝統により、日本の着物文化は究極の芸術水準にまで発展したと言えます。

20世紀は、ファッションに関して目を見張るような成果が乏しかったわけで、『ジャパンクール』の下地が消え去ってしまった印象があるにはあるのですが、『アニメ』や『ゲーム』に見られる日本のクリエイティブは、素晴らしいもので、こうした足がかりを軸に展開していくことで、新たな、世界が尊敬する日本文化を生み出していく十分な力が備わっていると思います。

例えば、今の小学生の女子の多くは、『ラブベリ世代』と言ってもいいのかもしれません。『ラブ&ベリー』のファッションがどうなのかは、残念ながら私には評価できませんが、幼少のころからファッションに敏感な習慣をつけることで、彼らが社会人になる10年後ごろから、独自のファッション文化が世界を席巻する可能性を秘めているのではないかと期待します。

「ラブ and ベリー」に母娘がハマる理由

本日は時間が無いので、以上で私見を終えますが、その他の点についても、別の機会に、もう少しコメントできるようなら試みたいと思います。

2006年 8月 27日

内閣府の将来の日本像

投稿者 by vulcan at 18:13 / カテゴリ: / 6 コメント / 0 TrackBack

内閣府の経済財政諮問会議が発表した『日本21世紀ビジョン』の中で、『2030年の目指すべき将来像と経済の姿』の記述があります。四半世紀(25年)先の日本の将来像を大胆に予想しており、超長期の経済予想はこの他に見当たらず、非常に貴重な資料です。そこで示される『我が国が目指すべき将来像』の要諦は次のとおり(ちょっと長いですが)。私見については、後日述べるとしてとりあえず紹介だけしておきます。

(1)開かれた文化創造国家

① 魅力と存在感のある国となる

ア 伝統や創造力に裏付けされた生活・文化の魅力を活かす

「日本の強みに基づく文化創造力を活かした「ジャパン・クール(かっこいい日本)」な商品や生活様式が、個性ある担い手や、優れた自然環境・生活環境をはぐくむ多様な地域によって生み出される「文化列島」となる。」

イ 世界のフロントランナーが増え、イノベーションや「世界の標準」つくりを主導する

「日本企業が知的価値・文化的価値の生産手法の管理・開発に成功することで、「世界の知的開発拠点」となる。」
「高い知的価値の創造に成功した人や組織がフロントランナー(先頭走者)としてイノベーションの波を広げ、新たな世界標準を作っていく。」
「「プロフェッショナル」が働き価値創造を支える。個人の能力の発揮に加え、年齢、性別などにとらわれない多様な個性の融合や世界中から日本に集まる優秀な人材間の触発が繰り広げられる「多様多才社会」となる。」

② 「列島開放」により交流と活力が生まれる

ア 世界経済との結合が強まる

「FTAの下で、競争力ある製品の輸出を増やし、日本における本社機能や高付加価値製造工程の維持に成功し、国内で高賃金の雇用機会が維持される。一方、海外展開した事業からの収益も増加する。さらに、外国企業の参入による競争が進み、効率的な経営が進展する。」
「東アジアにおいて、貿易・投資の自由化や金融分野における協力などの経済統合の進展を基礎に、政治的にも強調的で開放的な共同体である、「東アジア共同体」の形成が進む。地域における経済統合の拡大は、相互理解・安全保障の強化をもたらし、経済的繁栄と政治的安定の好循環を形成する。」

イ 世界中の人が訪れたい、働きたい、住みたいと思う「壁のない国」となる

「国民はもとより、世界中の人が訪れたい、働きたい、住んでみたいと思い、年齢・性別・国籍などによって差別されることのない「壁のない国」となる。世界中の財・人・資本・情報が集まり、それらをつなぎ、結びつけるかけ橋となる。こうした交流から経済社会に活力が生まれる。」

③ 世界の中の「かけ橋国家」となる

「国際社会の課題の解決に対して日本が主導的役割を担うことを通じて、日本や日本人に対する信頼が高まり「品格ある国家」となる。信頼を基礎に、経済だけでなく幅広く交流の舞台を提供する「かけ橋国家」となる。」
「現在よりもはるかに高い比率で、国際的な舞台で日本人が活躍するようになり、数多くの日本人の知的リーダーが活躍している。」

(2)「時持ち」が楽しむ「健康寿命80歳」

① 人が躍動する社会:楽しく働き、よく学び、よく遊ぶ

ア 年齢、性別、時間、場所にとらわれないで選択

「超高齢化の時代にあって、「健康寿命80歳」の人生が実現する。何歳になっても、意欲と能力があれば仕事や社会に参加することができる生涯現役社会の下で、自立した活力ある持続可能性が維持される「高齢化克服先進国」となる。」
「健康寿命が伸びるとともに、働き方の多様化などにより自由に活動できる時間(可処分時間)が1割以上増え、「時持ち」になると見込まれる。」
「個人の選択の機会が豊かになる中、「楽しく働き、よく学び、よく遊ぶ」といった家庭・仕事・地域社会などでバランスの取れた暮らしができる。」

イ 個人の夢が実現される「多様多才社会」

「多様多才な個人が主役となって、能力を発揮し活躍する可能性が高まった、人が躍動する社会になる。やりたいことができることで満足が得られ、ますますやりがいが得られるという「やりがいの再生産」が生じている。家庭・働く場・地域など幅広く様々な分野において男女共同参画が進んでいる。」
「仕事での成功や夢の実現への道筋が多様にある。失敗しても再挑戦できる機会があり、「志の再生」が可能となる。」
「働く時間や場所が多様になる。」
「組織では、多様な構造の就業状態の下で多様な人材を活用する手法が浸透している。正社員以外の人材、男女、高齢者、外国人などの多様な人材を活用した組織が成功している。」

ウ 自分を磨く機会が広がる

「豊かになった時間のかなりの部分が人間力を培うことに活用される。必要があれば、いつでもどこでも生涯にわたって才能を磨くことができる機会が増える。」
「スキルアップ(技能向上)を図るため、数年に一度仕事を離れて、資格取得などのために集中的に勉強したり、多様な年齢層において大学院で学位を取得する人が増え、大学院在学者数(人口比)が現在のアメリカ並みの水準となると見込むこともできる。」
「生涯を通じた学習によって法律・金融・科学・健康などに関するリテラシー(情報を理解し活用する基礎的な能力)を身に付ける機会がある。」

② 多様で良質なサービスに囲まれた暮らし

「質の高い専門的な生活サービスに支えられて、豊かで多様な生活が実現する。安心して子育てを楽しむことができる。」
「ロボット技術が介護や身の回りの世話に幅広く活用され、家庭に1台、掃除・洗濯などを行う「お手伝いロボット」が利用されている。」
「人生設計に合わせた住み替えが容易になると同時に、一人当たりの居住空間も十分確保され、借家の広さについて現在の持ち家並みを見込むこともできる。」
(1998年の全国の4人家族の借家1戸当たりの平均延べ面積は59㎡、2003年の関東大都市圏の持家1戸当たりの平均延べ面積は104㎡)

③ 地域を超えて拡がるつながり

「地域政策における集中と選択により、生活、環境、産業の調和がとれたまちづくりがなされ、コミュニティ機能が維持される。」
「自分の属する集団とは異なる集団の人との間にある差異に価値が認められ、緩やかな社会的な共(つながり)の輪が拡がる中で人の孤立化が防がれる。」
「情報通信技術の適切な活用により、個人と社会とのつながりが豊かになる。高齢者や障害者などの社会参加が支援されたり、個性豊かで創意工夫あふれる地域社会づくりや支援のネットワークの有用な手段となっている。」

(3)豊かな公・小さな官

<以下略>

2006年 8月 26日

会社行事について

投稿者 by vulcan at 01:39 / カテゴリ: / 9 コメント / 0 TrackBack

ジェームス・C・アベグレン氏の『日本の経営』の中で、非常に新鮮な驚きを持って知ったのは、50年前の日本企業において、大企業も中小企業も、当たり前のように会社内に神社か神棚が存在していたという事実です。

アベグレン氏の調査対象は主に大企業であったため、それらの企業には、敷地内に神社があったそうです。会社は祭りの日を休日として、社員は家族とともに全員参加で祭りを祝い、神社にて神主のお祓いを受けていたことが報告されています。そこでは、過去の一年の無事を感謝し、次の一年の無事を祈ったのでしょう。こうしたことが奇異ではなく、当たり前の文化として、日本に存在していたということが、私の興味を非常にとらえ、思わず何度も読み返してしまいました。

こうしたことは、他の驚くべき事実とともに、従業員と会社の関係が、単なる契約上の関係以上の非常に強い関係、『家族』という比喩を使いたくなる関係であったことを示しており、それがゆえに、経営者は社員に対して、法的な権利義務関係では理解できない『家長』的な責任感を感じていたのでしょう。

そうした日本の文化に畏敬の念を抱いていた矢先だっただけに、妻との会話の中で出てきた次の話題は非常に驚きをもって聞くこととなりました。

妻と、経営者の覚悟というものについて話をしていたところ、「東芝の運動会の紹介記事を読んだことを思い出した」と言うのです。それによると、東芝で毎年大運動会が開催されていたわけですが、筆者の方は、「当時、大運動会は社員の福利厚生のためにやっているという意識を持っていたけれど、家族も含めて全員参加で行なう機会というのは、会社が養っている人たちの規模というのを実際に目にする機会を用意して、経営幹部が「彼らを路頭に迷わすわけには行かない」という覚悟を高揚する日であって、実は社員の福利厚生以上に、経営幹部の覚悟のために行なわれていたと解釈することができるのではないか」という意見で、「無くなってしまったことはある意味で残念なことだった」と述べていたそうです。

お金もバカにならないし、無駄が多いし、いやいや参加している人もいるし、マンネリしていたしで、運動会を止めることとなったのは必然でもあるのですが、自分たちの養うべき従業員とその家族の数が、一体どれぐらいの規模なのかというのを、数字で確認するのと、実際に一堂に会してそのパワーを感じるのとでは全然違うものだというのは、自明の理でしょう。従って、今の経営者に覚悟が無い(薄れてしまった)というよく言われている意見も、うなずける話だと思います。

私も、子供のころ、父親が日立製作所の社員だったので、毎年の大運動会を楽しみにしていました。父親たちは、運動会の1ヶ月前ぐらいから、仕事そっちのけで毎晩夜遅くまで運動会の準備をしていたと聞いたことがあります。子供のころは、たくさんお菓子がもらえるし、みんな楽しそうなので、不思議な雰囲気の運動会が大好きでしたが、社会人になったころには、そうした『暢気な』風習を馬鹿にしていた嫌いがあり、少なくとも自分の入行した銀行に、そうした運動会が過去のものとなっていたことに喜んだのですが、『経営者の覚悟を高揚する機会』だったことを思うと、考えも変えさせられます。

だからといって、20年前の家族ぐるみの運動会の文化を取り戻そうとか、50年前の祭りの文化を取り戻そうとか言っても、既に価値観が変わってきてしまっていますので、そんなことが今の日本に受け入れられるはずがありません(そうした会社を作ることは可能でしょうが、日本中をそうした文化にすることは不可能です)。しかし、おそらく我々の血の中には、そうした家族ぐるみで団結することを、負担にならない程度であれば歓迎するムードが流れていると思います。したがって、毎年は無理としても、何か非常に重要な機会を見つけて、家族ぐるみの団結を行なうとか、あるいは、家族ぐるみで楽しむとか、家族ぐるみで奉仕するといったイベントがあった方がいいのではないかと思います。

アベグレン氏の『日本の経営』に『祭り』の話が報告されていたことを、妻には話していなかったのにもかかわらず、読み終わった翌日の話題に、妻から『大運動会』の事を聞いて非常にびっくりしました。『祭り』が形を変えて『大運動会』になったのだなと理解するとともに、『大運動会』の意義が『経営幹部の覚悟を高揚すること』だったと聞くに及んで、妻に感謝した次第です。

2006年 8月 25日

『新・日本の経営』と『日本の経営』

投稿者 by vulcan at 21:01 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

先日、ジェームス・C・アベグレン氏の『新・日本の経営』について、簡単な感想を以下のように書きましたが、何が言いたいのか全く分からない感想であるため、ここで、改めてもう少し掘り下げた感想を述べるとともに、『日本の経営』も読み終わりましたので、感想を述べたいと思います。

非常に長い文章で、あまり読まれてこなかったのもうなずけましたが、私は非常に感銘を受けました。「20年後か、30年後、もっと知識を身につけ、物事を正しく見極められる力を身につけた私は、恐らくこういう文章を書いているのだろう」と思いました。K氏は私の文章の調子から、アベグレン氏のこの本を思い起こしたのではないかと思っています。
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『新・日本の経営』は、今後数十年を歩もうとする日本企業にとって、非常に示唆に富んだ書物ですが、一見すると、示唆に終わっていて、それ以上は自分で考えるべきところとして、「つけはなされているのかな」という印象を受けましたが、『日本の経営』を読むことで、そうではないことが分かった気がします。つまり、50年前に書いた『日本の経営』において、確かに今でも引き継がれている価値観は維持して今後の展望を構築すべきであるし、一時的だった部分と類似する傾向の価値観については、現代においてもフィルターによって除去した上で物事を見た方が良いということです。いずれにしても示唆には違いありませんが、どう考えるべきかのヒントは、二つの本を合わせて読むことで自ずと分かる仕掛けになっていました。

また、今後の高齢化社会に向けての心構えについても、普段我々が漠然と抱えている不安を払拭するような、勇気付けられる内容があちこちにちりばめられており、日本国籍を取得して、完全に日本人として日本に溶け込むことを選ばれたアベグレン氏のエールをひしひしと感じます。もちろん、エールだけに終わっているわけではなく、目が曇り、日本人が陥りやすい罠についても、警鐘を打ち鳴らしています。

一方、『日本の経営』については、驚かされてばかりでした。短期間で日本のことをこれだけ適格に理解した頭脳の明晰さはもちろんですが、それ以上に驚いたのは、50年前の日本企業では、当たり前とされていたことの多くを、我々が完全に忘れ去ってしまっていることでした。そのため、まるで異国の物語を読むような印象さえ受けました。そして、私にとって一番大事なことなのですが、「私が先般来、2ヶ月に及んで書いた『随筆』の中で主張している『理想の企業組織像』に関する多くのファクターが、50年前の日本においては普通のことだった」という事実です。

そういうわけで、非常に学ぶべきところが多い名著であることが分かり、「50年前の本など読んでも何も得るものはないだろう」という先入観が完全な間違いであることを思い知りました。そればかりでなく、『日本の経営』に記述された50年前の日本と現代の日本とを比較するだけでも、何が行き残り、何が一時的だったのか、どういう変化に進んだのかを知ることができ、「日本の経営学は、この一冊を見直すことによって、相当意義の高い学問分野に発展するだろう」という印象を受けました。更に、『新・日本の経営』が用意されているのですから、至れり尽くせりというわけです。

しかも、サプライズは最後にも用意されていました。現代語訳された『日本の経営』の解説は、神戸大学の加護野教授によって寄せられていたのです。加護野教授の講義に限らず、大学時代のことは、残念なことに、私の記憶にはほとんど何も残っておらず、「一体何のために神戸大学経営学部に入学したのか」と、親や教授に対して非常に申し訳なく思います。

あまりにも情けない学生時代の状況については2004年3月14日の『学歴詐称』2004年3月26日の『成績証明書』に書いてあるので、お時間のある方は、ご覧頂いて笑ってやってください(笑)

そんなわけで、神戸大学の風上にも置けない私ですが、この運命的な本の解説者が加護野教授であったことを知って、小学校のときから、祖父の母校であり、叔父の母校である神戸大学経営学部を目指し、入学したことは大きな意味があったと思うことができました。

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2006年 8月 24日

数十年先の日本を予測する上で

投稿者 by vulcan at 13:04 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

『存在理由』のカテゴリーを作り、冒頭、私は、「数十年先の日本を予測してみたい」と述べました。非常に困難なチャレンジではありますが、ワクワクさせられる試みでもあります。では、一体どういうプロセスで予測するのかというと、『歴史のうねりを読む』ことだと思っています。

具体的にすぐ思いつくのは、過去の歴史を学ぶことです。過去の歴史を学び、何が生き残り、何が消えて行ったのかを知ることで、どういう価値観が今後も生き残り、どういう価値観は今一時的に存在するものなのかが分かる、というか、嗅ぎ取る力が身についてくるでしょう。

次に、どういうものが求められているのかを知ることが、未来を予測する上で必要なことですが、これは多様な意見を聞きながら、見聞を広め、何が本物で何が偽物かを見極める力が求められると思います。

それだけでできるかどうか、自信が無かったのですが、本日、面白い記事を見つけましたので紹介します。

1981年にマイクロソフトとIBMの提携が破談に終わっていたとしたら、25年後の今、世の中はどうなっていたのかをシミュレートした記事です。通常、「たら、れば」というのは、あまり歓迎される思考方法ではありませんし、私も拒否反応があるのですが、25年もの歳月を「たら、れば」で構築するというのは、あまりにもダイナミックで、心をくすぐられます。

これぐらいの期間を、「たら、れば」で予測するというのは、並みの知識では不可能ですし、やはり、何が重要なことで、何がどうでもいいことなのかをよく理解していなければできません。

そんなわけで、「たら、れば」の訓練というのも、今後、取り入れてみようかなと思った次第です。

2006年 8月 23日

地縁

投稿者 by vulcan at 21:02 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、不思議な縁についてお話をしましたので、ついでに本日は地縁についてお話したいと思います。地縁というと堅苦しい表現ですが、要するにコミュニティでの友人関係についてです。

妻は非常に社交的な性格のため(深いところではそうでもないようなのですが)、コミュニティで友人を作るのが得意です。しかし、子供が生まれる前の船橋時代、江東区時代前期を振り替えると、友人関係は専ら会社関係か、学生時代の関係に限られていたように思います。それが、子供が産まれ、徐々に江東区時代後期からコミュニティの友人ができはじめ、ベイタウンに引っ越してしばらくしてからは、いわゆる『公園デビュー』により友人が増えました。

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二人目も生まれ、ベイタウンにも慣れ、子供二人を連れて公園やスーパー、子育て支援施設等で友人がどんどん作られ、私も名前を覚えるのを放棄するぐらいになりました(もともと記憶容量が小さいのも原因ですが)。

更に、公社の借家からエリストに移ったこの春からは、長女の幼稚園関係での友人が増え、また、自宅に友人を招待したり、友人宅に招待されに行くことで、更に友人を紹介され、今では記憶力のいい本人も名前を出すのが一苦労な状況にあるのではないかと推察します。

これから先、3人(あるいはもしかしたら4人)の子供達の幼稚園・学校関係の輪が爆発的に膨らんでいくでしょう。妻の友人関係がどこまで拡大するのか、見通そうとすると思考が停止してしまうぐらいの状況です。といって、多ければいいというわけではなく、価値観が合うかどうかも重要です。但し、価値観を共有できる友人を見つけるためにも多くの人と知り合うことはよいことでしょう。

こうして考えてみると、女性が家にいるということは非常にありがたい話だと思います。もちろん、上でも示唆しているように、子供ができてからの話ですが。地縁によりいろんな人と友人関係をつくることは、なにより楽しいですし、何かあったとき(子供が事件に巻き込まれそうになったとき)にきっと助けになるでしょう。

そこで思い出すのが、安心の安に関する仏教の教えです。それによると、屋根の下に女がいると書いて安。家を女性が守っていると家族は安泰ということのようですが、最初は「ふーん」という印象でした。しかし、妻の地縁のすさまじさを目の当たりにすると、「確かにそのとおりかもしれない」と思うようになりました。

もちろん、安は地縁だけを語っているのではなく、子供が学校から帰った時に家に母親がいるかどうかも重要なファクターだと思います。私が小学2年生のとき、学芸会が終わって帰宅したところ、母親が学芸会後の井戸端会議に参加していたのか、私が早めに帰宅したのかは忘れてしまいましたが、家に帰ると誰もおらず、鍵も開けられない状態だったため、パニックになって泣き喚いていたそうです。隣の家の人が見かねて家に入れてくれ、そこのお兄さんがあやしてくれて落ち着いたのですが、それぐらい母親に頼りきりの子供も世の中には多いのではないかと思います。

そんなわけで、子供がいらっしゃらなかったり、引きこもりがちな方は、仕事を持つのがいいと思いますが、そうでなければ、女性が(あるいは社交性に優れた資質を持っている男性が)家を守るというのは、非常に良いことではないかと思います。それができない諸事情もたくさんあるとは思いますので、選択できない方を非難しているわけでも、選択できる方を礼賛しているわけでもありませんが、少なくとも私はそうした家庭を持てたことを感謝している次第です。

前置きが長くなりましたが(実はここまでは前置きだったんです、すいません)、本題の私に関する最近の地縁について申し上げたいと思います。

私は長らく縁というのをあまり重視しておりませんでしたし、縁(特に地縁)を作るのが苦手でしたので、これから述べることは、私には新鮮であっても、普通の方々にはあまりにも当たり前で、目新しいことなど何も無いかもしれないことだけは、最初に断っておきます。

ベイタウンを気に入った私達は、2年ほど前にエリストの購入を決め、待ちに待った入居をこの春に迎えたわけですが、コミュニティにかかわりたいという願望を私が持っていても、実際持家になってみないと、積極的な活動というのが行なえる性格ではありませんでした。

そんなわけで、ようやく持家となり、長く根を下ろすベイタウンで、地縁を築くための活動をしようと、重い腰を上げることになりました。最初に行なったのは、今年の1月のベイタウンニュースに紹介されたイベントへの参加です。

今年が年男の私にとって、「年男・年女が集まって記念撮影する」というイベントは、積極的な活動というほどでもないので気楽ですし、年男だからという大義名分もあるので、最初に取り組むには格好の対象でした。

参加したところ、普段は遠慮がちに壁際で存在感を消す努力をする私でしたが(その日も普通の人と比べれば相当存在感は薄かったと思いますが)、私の熱意が伝わったようで、記者の方が、「良かったら撮影の後でインタビューをしたいので残ってもらえませんか」と言われ、「これが待ち望んでいたデビューだ」と思った私は快諾しました。そして、全体撮影の後、インタビューを受け、更に個人写真も撮ってもらえました。1月号のベイタウンニュースに私の顔写真とコメントが載り、デビューを果たしたわけです(笑)

その後、実際にエリストへ入居し、4月のベイタウンニュースに、ニュースを配布してくれるボランティアの募集広告があるのを見つけ、早速5月の配布の会に参加しました。エリスト184戸にニュースを配布するのが仕事で、織り込みチラシをセットする場合もあるのですが、それほど時間の掛かる労働ではなく、これなら苦も無く続けられるし、そこで知り合った人と話をするのも楽しめそうだと思いました。

配布の会は毎月第一土曜日の10時にベイタウンコア(公共施設)にて行なわれるのですが、6月の第一土曜日は、娘の幼稚園のイベントが重なっており、参加できないことを心苦しく感じていましたし、「1回参加しただけで嫌になって止めたのか」と思われたくなかったので、「どうしたものか」と結構悩んでいたのですが、そうしたところ、その前日の金曜日にポストに、「事情があって配布の会に参加できない場合は宅配ポストに配布物を届けておくので申出てください」という、ベイタウンニュースを取りまとめているM氏のメッセージが入っていました。本当にメモという感じのものでしたので、恐らく、5月に参加した際に伝えた連絡先を頼りに、M氏がわざわざ届けに来てくれたのでしょう。

M氏の労力に感謝するとともに、多少なりとも6月も参加できることを喜んだ私は、早速M氏に連絡を取ることを考えたのですが、メモには連絡先が書かれておらず(笑)、聞いてもいなかったので、どうしようかと思ったのですが、昔、ベイタウンニュースの過去記事を読んでいたときに連絡先が載っていたような記憶があったので、過去記事を探し出し、M氏にメールで連絡することができました。

結局、M氏がメールを見たのが翌日の配布の会が終わった後だったので、宅配ポストを利用しての参加はできなかったのですが、M氏からの返信で、「ベイタウンニュースの記者にならないか」とナンパされちゃいました(笑)

M氏は、4月の配布の会のときに、私の提示したメールアドレスのドメインが一風変わっていたことで、「『kodakara.com』とはどんな会社だろう」と思ってサイトを見にきたそうです。そこで、個人のブログであることを知り、「文章を書くのが好きそうなので記者になる気があるかも」と思ったわけです。

これを受け、私は、


  1. コミュニティに貢献したいと考えていた

  2. 記者には取材がつき物であり、見聞を広めて執筆活動に役立てたい

  3. 独りよがりなブログとは違う『記事』というものがどう受け入れられるのか興味がある


という理由で快諾したのですが、

  1. ベイタウンにかかわり始めて日が浅く、まだベイタウンのことをよく分かっていない

  2. 過去記事を読み通していないので、記事がかぶる可能性がある

  3. 精力を注がなければならないこと(会社の業務)、精力を注ぎたいこと(執筆活動と育児)があるので、取材のためのまとまった時間が取りにくい


という理由から、「実際に記事を書くのは待ってほしい」と申し出ました。

その後、2、3往復のメールをやりとりし、話題がベイタウンフォーラム2006に移りました。

5月に行なわれたベイタウンフォーラム2006は、あまり参加する気がしていなかったのですが、地域のことをよく知るいい機会だと思いましたし、「子供の面倒は見ておくので参加したら」と妻が言ってくれたので参加してみました。

フォーラムの第一部は地域で積極的に活動している方々が、スライドを交えて活動報告を行ない、第二部では今後のベイタウンのありようについてのディスカッションが行なわれました。その際、パネラーのうちのD氏とK氏に私は興味を持ちました。

D氏は「今後ベイタウンに雇用を創出するNPO法人のようなものが必要となるのではないか」という意見を出し、K氏は「イベントの開催を自治会連合会で行なっていくには限界がある。イベントプロデュース集団みたいなものを作って、自治会、組合と連携しながら、ベイタウンのイベントを盛り上げていくやり方があるのではないか」といった発言がありました。

そんなわけで、M氏とのメールで、フォーラムの話題として、D氏やK氏の言っているような活動が具体化されているのかどうか聞いてみたところ、「知っていることを教えてもいいが、D氏とK氏を紹介するから、中立的な状態で直接話を聞き、自分で是非を判断した方が良いのではないか」との提案を受け、早速紹介メールを出してもらいました。

D氏は面会を快く引き受けてくださり、しかも、わざわざ我が家までお越しいただきました。上記のことを含めていろいろ話をすることができ、しかも後日D氏の執筆した書籍を進呈してくれました。D氏とはその後も、海浜幕張のプラットフォームでお会いすることがあり、一緒に通勤電車で話をします。また、近々一緒に飲む予定です。

K氏は、7月の配布の会で待ち合わせることになり、M氏の紹介で立ち話をさせていただきました。いろいろと精力的に活動する才能をお持ちの方なので、今後も影響を受けたいと思っています。

そんなわけで、思いの外に文章が長くなってしまいましたが、36歳にしてようやくのことで地縁というものが私にもできつつあるわけです。今後も、妻の力を借りながら、積極的に地縁づくりに精を出したいと思う次第です。

2006年 8月 22日

ジェームス・C・アベグレン氏

投稿者 by vulcan at 10:32 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack
長らくの私の興味は「究極の会社組織とはいかなるものか」ということでした。会社組織が興味の対象だったわけですが、今、それが人生に移りました。

そんなわけで、「究極の会社組織に対するこれまでの考察を一度明文化しておきたい」という欲求を満足させつつ、「今後の人生路を歩む上での指針を固める足がかりとしたい」という思いから、最近、2ヶ月ほど掛けてA4で150枚ほどの論文というか、随筆というか、とにかく思いのたけを書き上げました。

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最初の1ヶ月は、体系的な整理は後回しにして、想念として浮かぶことをメモ帳に書きなぐりました。次の1ヶ月はそれらを体系化し、順序を思案し、欠けている点を補いながら、「とりあえず今書きたいことはこれぐらいかな」と思える程度には仕上がりました。

とはいえ、人様にお見せするような代物にはまだまだ程遠く、たたき台の、更にたたき台が書き上がった状態です。そこから先は、自分の力だけでは限界があるため、3人の指導者を決め、また、この段階でも喜んで受け取ってくれるであろう1人を決めました。

3人の指導者とは、父親、銀行員時代の元支店長、現在病気療養中の上場準備顧問の3人です。そして、この段階で差し上げる1人とは祖母であり、指導者3人に対して渡したものから、更に多少なりと完成度を高めたものを進呈しました。

3人の指導者のうち、本日は、上場準備顧問のK氏に端を発した、『ジェームス・C・アベグレン氏』に関する話をしたいと思います。

3人の中で一番最初に相談したK氏に対しては、書きなぐったばかりともいえる、かなり完成度の低い、つまり、読むに耐えない代物を渡したわけですが、K氏は文句一つ言うことなく読み通してくださいました。そして、指摘すべき事項は山ほどあるにもかかわらず、私の気性を慮り、可能性の芽を摘み取らないようにとの配慮の結果、指摘は一つに止め、逆に私の質問を受け付ける形で相談に乗っていただきました。

最後に、「私に紹介してくれる本として、何か無いでしょうか」と質問したところ、その質問を予想していたようで、1枚のメモを手渡してくださりました。会った3日前の7月18日には持参されていたのですが、その日は急遽面会がキャンセルとなってしまい、この日、つまり7月21日は会う予定ではなかったため、本は持参されておらず、メモを頂いたわけです。

「これは自分で捜し求めるべきという見えざる力が働いているのかな」と考えて、翌日の7月22日、近くの図書館に探しに行きました。家の近くの図書館は分館で、蔵書の数に限りもあるので見つからないのもうなずけますが、千葉全館を対象に図書館の検索システムで検索を掛けたにもかかわらず、千葉中央図書館に1冊あるのみでした。これほど出回っていない本だとは予想していませんでしたので、なぜこのように読まれていない本をK氏が薦められたのか、少し不思議に思いました。

K氏には失礼とは思いながらも、とりあえず、購入するだけの価値があるのかどうかを図書館の本で確認しようと思っていた私は、千葉中央図書館から取り寄せの依頼をしました。

7月26日、打瀬図書館から、取り寄せ依頼の『新・日本の経営』が到着した旨の連絡が入りました。同時に、取り置き期間は1週間で、8月2日までに借りに行かないと千葉中央図書館に返却されてしまうことが告げられました。

ここで少し困ったことが生じました。というのは、その週の週末は、金曜日の夜から神戸の妻の実家に帰る予定で、既に先に妻達は実家に帰っており、打瀬図書館は、平日は、朝9時から夕方5時までしか開いておらず、出社前や仕事帰りに立ち寄ることが困難なため、このままだと借りられずに返却されるリスクが出てきたからです。

ところが、いくつかの要因により、その週末、神戸に帰るのは土曜日の昼になることが確定し、無事にジェームス・C・アベグレン氏の『新・日本の経営』を借りることができました。

非常に長い文章で、あまり読まれてこなかったのもうなずけましたが、私は非常に感銘を受けました。「20年後か、30年後、もっと知識を身につけ、物事を正しく見極められる力を身につけた私は、恐らくこういう文章を書いているのだろう」と思いました。K氏は私の文章の調子から、アベグレン氏のこの本を思い起こしたのではないかと思っています。

その後、座右の書とすべく、八重洲ブックセンターに行き、買い求めようとしたのですが、何と驚いたことに在庫がありませんでした。漫画以外なら何でも揃っている、特にビジネス書については日本で一番充実しているはずの八重洲ブックセンターにもかかわらず、在庫が無かったのです。それならネットで発注した方が早いかとも一瞬考えたのですが、なんとなく、八重洲ブックセンターで買いたいと思ったので取り寄せの依頼をしました。

そこで、アベグレン氏について、もっとよく知りたい、著者紹介を見ると日本国籍を取得して東京に住んでいらっしゃるとのことなので、あわよくば会って話を聞きたいと思いました。ところがネットで検索してみても、アプローチの方法が見つかりません。ネットでの検索に関してはそれなりに自信を持っていたので、アプローチ方法が見つからないことに失意しましたが、数日後、再トライしてみましたところ、糸口を見つけました。

その糸口ですが、私の住んでいる幕張ベイタウンは、土地を千葉県企業庁が所有しています。その千葉県企業庁が刊行している『幕張アーバニスト』の第4号(1997年)にアベグレン氏のインタビュー記事があるのを見つけました。10年も前の話ですからつても途絶えてしまっている可能性も高いとは思いましたが、わらにもすがる思いで、ベイタウンの住民であることを告げた後、アベグレン氏を紹介してもらえないかという内容の依頼メールを出しました。

数日後、何と、千葉県企業庁から返信メールが到着しました。私のメールをアベグレン氏に転送してくれたというのです。業務と関係のなさそうな私の依頼を好意で返してくださった千葉県企業庁には頭の下がる思いです。

そのメールによると、アベグレン氏は、この季節、別荘で長期の休暇をとる習慣があるので返信は遅くなるだろうとの記載がありました。そこでちょっとドキッとしました。私がお盆休み(8/13-8/19)を過ごした別荘地に、もしかしたらアベグレン氏の別荘もあるのではないかと直感したからです。

アベグレン氏の別荘がどこにあるかは記載されていませんでしたので真相は不明ですが、取り急ぎ、千葉県企業庁にお礼のメールを書き、アベグレン氏からの返信を待つことにしました。

お礼のメールを書いた翌日、つまり昨日、八重洲ブックセンターから取り寄せ依頼の本が到着している旨の連絡が来た日でもあるのですが、会社でN氏とお盆休みの話題を話していましたところ、私の行っていた別荘地にN氏の知り合いのアメリカ人が2人、以前所有していたという話を聞き、少し驚きました。その2人はアベグレン氏ではありませんでしたが、上のような出来事があったので、話題に出してみました。

N氏は最初、『アベグレン氏』にも『新・日本の経営』にもピンと来ていませんでしたが、やにわに心当たりを思い出され、「3ヶ月ほど前、30年来の友人のW.P.氏(アメリカ人)から、読めと渡された本がそんなタイトルだったような気がする」と言いました。分厚い本で、ビジネス書はあまり読まないらしいN氏は読まずにほったらかしにしていたらしく、そのため、すぐさまピンとは来なかったそうです(笑)

W.P.氏は日本に50年ぐらい住んでいたらしく、同じような境遇のアベグレン氏とは友人だそうです。アベグレン氏から進呈されたと思われる『新・日本の経営』について、英語の本を読んだので、同時にもらった日本語の方をN氏に差し上げたとのことでした。私が入手にこれほど苦労した本が、いとも簡単にN氏が所有していること、しかもN氏がそれを読んでいないことに唖然としてしまいましたが、不思議な縁への驚きの方がもっと大きかったです。

翌日、つまり、本日ですが、N氏は自宅からその本を持ってきてくれ、自分は読まないからくれると言いました。まだ買いに行ってはいないものの取り寄せ依頼の本が八重洲ブックセンターに到着しているため、タイミングの悪さに辟易したのもつかの間、少し雰囲気が違います。よく見てみると、N氏がW.P.氏からもらったという本は、アベグレン氏が1958年、つまり、今から50年近く前に書いた最初の著書『日本の経営』の復刻版だったのです。『新・日本の経営』を出版したのを機会に『日本の経営』の復刻版も出したのでしょう。

こちらの本の方は、まだ買う意思を固めていませんでしたが、アベグレン氏と会うための準備としては読まずには置けない本なわけですから、驚くほどの不思議な縁に、私は小躍りしている次第です。

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2006年 8月 21日

お盆休み

投稿者 by vulcan at 02:44 / カテゴリ: / 5 コメント / 0 TrackBack

お盆休みの9日間は驚くほどの充実振りでした。

初日の12日(土)は、幕張メッセで行なわれたボリショイサーカスを観に行きました。自転車で行ける距離なのと、私は生まれてこの方、サーカスをこの目で見た記憶が無いのとで、妻の提案を即決したのですが、観てとてもよかったです。

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劇団の方々の、観客を喜ばせるために真剣に芸に打ち込む姿の美しさに酔いしれ、開始早々、なぜか涙が溢れて、止まりませんでした。子供たちも大喜びでしたし、何より私がこの歳で、これだけサーカスに夢中になれたことがうれしく、高いチケットを買った甲斐がありました。

13日からは7泊8日で両親の別荘(山小屋)に行きました。四国の高松から両親、愛知県から妹家族4名、千葉県から我々5名の、総勢11名が寝泊りしたのですが、何とか収容できました。

時刻も曜日も気にしないで、のんびりすごす時間を長く取れたこと、いくつかの観光を楽しんだこともさることながら、妹夫婦や両親と、普段は避けたくなるような本音での議論ができたことは大きな成果です。

また、妹の提案で始めた小屋のペンキ塗りは、少々みすぼらしかった小屋が、しゃれた北欧風の小屋に様変わりしながらも、素人くささも出てて、いい感じに仕上がりました。妹・父親・私の三名でのチームワークはすこぶる良く、何十年ぶりか、もしかすると初めて、というぐらいの充実した親子の共同作業を行ないました。

更に、T神父と神学生6名(1名は神父に成り立て)を夕食に招待し、後日T神父宅でミサにも参加させてもらったのですが、イタリア人のR、G、エクアドル人のP、スペイン人のH、コスタリカ人のD、フィリピン人のJの6名と知り合いになれたのは、私にとって貴重なことでした。特に、Hは歌がうまく、賛美歌もEと一緒に歌うととても楽しい気分にさせられ、新鮮な驚きでした。彼らとはまた会いに行き、長い付き合いにしたいと思います。

妻も、普段の家事育児に忙しい生活から、大人6人が交代で子守ができるため、なか日にはゴルフ(ハーフ)を父・妹婿とで楽しみ、ヨット(ディンギー)を妹・妹婿とで楽しむことができて、非常にいい経験ができたようです(私はその日はのど風邪をひいて休養していました)。

子供達は、家の前のあちこちにやってくるカブトムシやクワガタをつかまえたり、ハンモックで遊んだり、湖のプールサイドで外国の子供たちと一緒に水遊びを楽しんだり、トイレのドア一枚を好きに塗ることが許されて、ペンキ塗りを楽しんだり、四六時中親と一緒、従兄弟と一緒、祖父母と一緒の生活がうれしかったようです。イケメン好きのBianは若い神学生との交流をとても楽しんだようでしたし、彼らも子供たちを気に入ってくれました。

そんなわけで、長いようであっという間の9日間でした。

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2006年 8月 12日

別荘

投稿者 by vulcan at 02:17 / カテゴリ: 雑感 / 0 コメント / 0 TrackBack

明日から一週間、別荘に行ってきます。

ここは、大正時代からの外国人向けの別荘村で、軽井沢とは違って、自治組織を作って厳しい規則の下に管理運営されており、非常に情緒のあふれる場所です。建物はどれも簡素で、昔建てられたものを修復しながら大事に使っており、基本的に立替は規則により認められません。乱開発が行なわれないことで、昔ながらの趣が維持されているのだと思います。ここに関する、ネット情報はほとんど皆無であり、おそらくネットに晒して喧騒にまみれさせたくないという思いがあるのでしょう。そこで地名や地域名は伏せます。

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両親は、この別荘を手に入れるために非常に努力しました。話によると、一昨年、英語の面接(理念を昇華しているかどうか)をパスし、その地での奉仕活動を十分に行ない、会員となる資格まであと一歩というところまで行ったのですが、滞在日数が一定日数に達せず、涙をのみました。気が向いたときだけ別荘に訪れる身勝手なオーナーばかりになると、村が死んでしまうため、滞在日数を非常に重視しているようです。サラリーマンであれば、有給休暇を全て消化しないと無理かと思います。それぐらいの熱意がなければ入手できないのです。両親は、昨年もチャレンジし、滞在日数も見事にクリアして権利を取得しました。

自然溢れる土地で、開発が全く進んでおらず、日本的な情緒が漂っているのですが、道を歩けば8割方が外国人で、「ここは日本か?」と不思議な気持ちになります。

両親が、奉仕活動の一環として、ゴミの回収を行なっていたとき、近くで活動していたハーフの方と知り合いになり、千葉から来たというので、息子である私と同じところだと話が弾み、よく聞くと、幕張ベイタウンで、もっとよく聞くと、同じマンションだということが分かりました。私も知り合いに加えてもらって、しばらくのち、私はエリストに引越し、その方も江東区に移られましたが、そこに行けば毎年会えるわけです。

そんなわけで、私はここをとても気に入るとともに、何か縁を感じております。

また、そもそも両親が、この地を知ったのは、T神父の紹介があったからです。数年前、クリスチャンとなった母は、T神父にこの地を紹介されました。母だけでなく、父も、このような場所が日本に残っていたことに驚き、是非とも会員になりたいと熱望しました。滞在日数の規定クリアにも、T神父の助力がなければ難しかったでしょう。

T神父と私は、年こそ親子ほどに離れていますが、私のような若輩者を大切なゲストとして扱っていただき、会った当初からざっくばらんにお話いただいております。子供たちも、T神父の別荘に「ぴょんきち」と名付けた野うさぎが毎朝訪れる習慣が気に入り、また、優しいT神父を好きになりました。親子ともども、今年もお会いできることを楽しみにしております。

というわけで、いろんな縁を感じ、これからもいろんな縁が生まれそうな予感のするこの地を、私は愛し、守っていきたいと思います。

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2006年 8月 11日

ナルシシストの自覚

投稿者 by vulcan at 12:42 / カテゴリ: / 8 コメント / 0 TrackBack

話をナルシシストに戻します。

私が自分をナルシシストだと強く意識したのは、ドストエフスキーの作品を次々読んでいた大学時代です。ドストエフスキーは私の最も愛する作家で、社会人になってからも、神田書店街に寄っては絶版の作品が並んでいないか探したもので、入手可能な文庫本はほとんど全て所有しています。文庫化されていない作品は、文庫化されていないだけに良書は少ないのですが、それでもフリークとして、図書館の分厚いドストエフスキー全集を借りて読みました。まだ読んでいないのは「未成年」だけです。「未成年」だけは、なんとなく、機が熟したらというか、もっと後に読みたいという衝動があって、読まずに今日まで来ています。

それぐらいドストエフスキーにはまったのですが、何がそんなに気に入ったのかと言うと、徹底的な自虐的表現や自虐的思考方法にしびれたのです。自分を外側から見つめ、客観的に論じるというのではなく、自分を徹底的に否定する、それも皮肉たっぷりに。そうした文章を、舌なめずりしながら読みふけっていました。打ち明けると、恍惚感さえ覚えたものです。

ドストエフスキーの人となりについては私が解説するよりも、ドストエフ好きーのページが充実していますのでそちらに譲ります。あらためて、ドストエフスキーの人となりをおさらいしてみると、私にも通じるところが非常に多いと感じ、ますます愛着が湧きました。

結局、ドストエフスキーを一言で表すことができないように、私を一言で説明するのは無理があるようです。ナルシシストというのは、過剰な自意識という点を表現する言葉だと思っておりますが、それだけでは説明不十分です。但し、やはり『自意識』が出発点なんだろうと思います。そんなわけで、ナルシシストの自我形成について、改めて探究心を強めた次第です。

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(追記)

ドストエフスキーについて触れたので、以前のHPからドストエフスキーの論評をごっそり移転させた上で読み返してみました。

4年前の私がどのように世の中を見つめていたのかがよく分かりましたが、今、これと同じ文章を書くことは到底できないと感じました。それは、恥ずかしくて書けないという理由ではありません。「今より当時の方が頭が良かったのか」という錯覚を覚えました。もしかしたらそうかもしれません。とはいえ、「加齢によって退行した」というのとは違います。頭が悪くなることで、当時よりも悟りに近づいたという印象です。

ところで、やはり、ドストエフスキーは私の半生を理解する上で非常に有益であることを再認識しました。これを無視していてはルーツを探ることは適わないでしょう。とはいえ、私でさえ読み返すのがしんどい代物なので、恐らく読者でドストエフスキーのカテゴリーを踏破できる方はいないと思います。踏破したという方がいらっしゃったら、管理人宛にメールしてください。感謝状を贈ります(笑)

2006年 8月 10日

子宝について

投稿者 by vulcan at 10:25 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、図らずも、『子は宝』と述べましたが、このサイトのドメインは『kodakara.com』です。今日は、独自ドメイン取得のときの気持ちを振り返りたいと思います。

2005年6月、自宅サーバの管理に閉塞感を感じ始めていた私は、レンタルサーバに移行するのを機に、独自ドメインの取得を希望しました。あれやこれやと我々の志にふさわしいドメイン名を検討し、空いているドメイン名かどうかを確認していたところ、ほとんど第一志望の『kodakara.com』が空いていることが判明しました。狂喜した私は、家内にそのことを告げると、家内も喜んでくれましたので、即座にドメイン取得の申込をしました。

このとき、周辺ドメインも当然調べることになりました。そのとき目に止まったのが不妊治療・不妊症「子宝ねっと」です。このサイトは、子宝に恵まれることを願い、不妊症を真剣に考えている方々が集う掲示板サイトであり、Googleのページランクも高く、訪問数も私のサイトとは桁違いの、非常に巨大なサイトです。

いくつかの掲示板を覗いてみました。そして、得られた結論は、「軽々しく子宝を論じることは憚られる」ということでした。それほど不妊症に関する悩みは切実なものだと理解したわけです。そのため、『kodakara.com』というドメイン名を取得したものの、「『子宝』に関するサイトは後回しにして、周辺のサブドメインサイトを立上げながら己を醸成し、機が熟したら『子宝』を本格的に論じよう」と家内と決めました。

私の周りに関して言えば、私が3人の子供に恵まれ、妹が2人の子供に恵まれました。3兄弟の中で一番子煩悩と思われる弟は未だ子供には恵まれておりません。弟は、小さいころから近所の年下の子供達に人気があり、今でもその性格は変わりません。弟の家には既に二人分の子供部屋が用意されています。そんな弟ですから、我が家の子供達も、弟のことを『えせとうちゃん』と呼んで、非常に愛しています。

対して、子供のころから年下の扱いに困惑し、「決して子供は望んでいないであろう」と他から見られていた私に子供が授けられました。そんな私だっただけに、子供を持つことで大きく変わることができました。つまり、「既に子煩悩な弟には、子供をすぐに授けなくても正しい行ないをしていくだろうから、先に兄に子供を授けて正しい道を歩ませよう」という力が働いたのかもしれません。ということは、弟が子供を授かるためにも、私は一刻も早く行ないを正していく必要があるわけです。

とはいえ、『子宝』を論じるには、まだ機は熟していないと考えています。機を熟させるための布石が『存在理由』を正すことだと、今は思っております。

2006年 8月 09日

きっかけは子供達

投稿者 by vulcan at 12:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

おそらく、唐突に始まった存在理由の追求に対して、戸惑いを感じている方もいらっしゃることと思います。私のことをそれなりに理解しているはずの親でさえ、最近の私の興味が宗教にまで及ぶに至っては、心配し始めたぐらいですから。

「宗教に興味があるのではなく、人生に興味があります。」

父親の心配に対して返信した携帯メールの文章が上記です。長らくの私の興味は「究極の会社組織とはいかなるものか」ということでした。会社組織が興味の対象だったわけですが、今、それが人生に移りました。今までも人生について思考することはありましたが、あくまでも付録的な興味の対象に過ぎなかったと思います。

「どんなきっかけによって人生に焦点が定まったのか」というと、複雑な要素が絡み合った必然であり、その中からきっかけというべきものを抜き出すことは難しいのですが、やはり、敢えて言えば『きっかけは子供達』ということになります。

『育児』のカテゴリーの投稿をいくつか読んでいただければ分かるように、我が家の子供達は本当に親を癒してくれます。親だけでなく、一族はもとより、地域やその他の関係で触れ合う人全てを楽しませてくれます。毎晩の家族の団欒は、腹を抱えて笑ってばかりですし、目覚しい成長振りに刺激されて私自身の成長意欲を高めることにもつながっており、また、「子は鏡」と言うとおり、反省すべき点も子を通じて見つけることができます。一言で言えば、「生き甲斐を見つけた」ということです。

長女は私の直情型の部分と勝ち負けにこだわる部分を引き継いだようで、非常に激しやすい性格を有します。そのため、手を焼くこともありますが、感激の仕方も並ではなく、引きずられて私の方まで感激してしまうこともしばしばあります。

二番目(長男)は非常に気配りが冴えています。気配を察知する感性はおそらく私にも備わっていますが、感情をそのまま吐露しない点には何度も頭の下がる思いがしました。ユーモアを提供することが自分に与えられた役割であることを、2歳にして自覚しているようで、そのセンスたるや抜群のものがあります。

三番目(次女)はまだ生後7ヶ月経過したばかりで、個性はこれから表れてくるのでしょうが、癇癪持ちというのとは少し違う、気丈な雰囲気を備えつつあります。

そんなわけで、「子は宝」ということをまさに実感している次第です。彼らのおかげで、私も両親や祖母、弟、妹と向き合う機会が増え、一族の結束はより強まりました。更に、妻の血縁をはじめ、直系血族以外に対する姿勢も変わりました。

そんな子供達ですから、当然のことながら、彼らの将来に思いを馳せることもしばしばです。したがって、数十年先の日本に関心が出てきました。すると、わが身の老いを意識することにもつながり、必然的に人生に目が行ったということです。

日々のニュースで流れる日本中の子供達に係る悲惨な事件に胸が詰まり、涙があふれてきます。「これから30年かけて、そうした悲しい事件を無くしていくために、私は何をしていこうか」、そうした思いから、存在理由を正してみようと思った次第です。

2006年 8月 08日

日本人の大衆心理

投稿者 by vulcan at 10:37 / カテゴリ: / 11 コメント / 0 TrackBack

昨日、亀田興毅について触れたので、少し脱線を楽しもうと思います。

亀田興毅は、おそらく、まじめにボクシングをやってきた、才能に恵まれた19歳の少年なのでしょう。彼こそが『向上心』の塊のような人物であると推測します。そして、彼は父親の無念(どんな無念かは想像できませんが)を一身に背負って、無念を晴らすことを原動力として、そして、彼自身の認められたい(力を誇示したい)という欲求を駆動力として、今日まで上りつめてきたものと思われます。

しかし、動機が不純であったことが、悲惨な結果をもたらしました。不純な動機のために、目が曇ってしまい、メディア(特にTBS)やその他の力を持っている者たちが、彼に群がり、彼を持ち上げたとき、「何かおかしい」と感じることができなかったのだろうと思います。

とはいえ、亀田興毅にできたことは非常に限られており、突き進む以外の選択肢はほとんど許されていなかったとも思います。19歳の若さ、一家族で世間に立ち向かうにはあまりにも弱すぎたことにより、虚勢を張る以外の選択肢が拒まれ、力の魅力に屈したのでしょう。そうした例は歴史を振り返れば山ほどあるでしょうし、ホリエモンも同じことです。

敬語に関する彼の考えも、虚勢の現われと見ます。私も長らくそうした考えを持っていましたから。そして、おそらく多くの人は、彼と似たり寄ったりの考えを持っているか、持っていた時期があるのではないでしょうか。虚勢を張らざるを得ない時期というものがあると私は思います。

さて、彼は今後どう歩んでいくのでしょうか。再起不能なほど世間を(あるいは世界を)敵に回してしまった、それも一夜にして。これほどの苦難を亀田興毅は乗り越えていけるのでしょうか。確実に言えることは、TBSに責任を転嫁している限り、彼は乗り越えられないでしょう。

しかし、大いなる失敗は、大いなる成功の基です。彼が完全に自分と向き合うことができれば、もともと才能に恵まれているわけですから、飛躍も不可能ではありません。彼が、本物の大志を抱いたとき、道は開かれると思います。

前置きが長くなりましたが、それにつけても、『日本人の大衆心理』の極端さです。小泉純一郎、ホリエモン、そして亀田興毅。持ち上げるだけ持ち上げておいて落とす。今回の亀田興毅の試合についてのヤフーのアンケート(ランダエタの勝ちに20万人以上の94%の人が投票)にも、異常な極端性が表れていると思います。

この極端性は悪なのでしょうか、善なのでしょうか。「善悪の対象ではない」というのが答えのような気がしますが、それでは答えになっていないので、私見を述べますと、おそらく善ではないかと思います。但し、それ相応の痛みを伴う善ですが。

日本人のこうした極端に走りやすい文化は、極論すると世界を滅亡に導く可能性を孕みますが、おそらくうまく進むと思います。これまでを振り返れば、我々日本人は、常に極端に走り、極端に走った場合の世界を見届けたのち、完全にハンドルを逆に切り、反対の極端のありようを見極め、そののちに中道をすすむ、というパターンを繰り返してきました。

遅々とした、まだるっこしいやり方ですが、歴史に学ぶことを前提としたこうしたやり方は確実な方法です。今回の亀田興毅事件は、日本人に『恥の文化』を思い起こさせる契機となったことと思います。戦後長らくの間、日本人は『恥』というものを忘れてしまったようなところがありましたし、特に昨今、そうした感性を捨て去ったかのように見受けられたわけですが、今回の事件によって、完全に取り戻しました。

亀田興毅にとっては、迷惑千万な話ですが、『不純な動機のもたらした結果』であり、『今後の飛躍の糧』であると受け止めて、再度立ち上がっていってもらいたいと思います。

私が亀田興毅と同じ年頃(正確には更に5年後ですが)、次の言葉を知りました。

『いずこであれ、種子の落ちたるところにて、芽を出し、大樹となれ』

20代を、大樹となることを夢見て、ひたすら走り続ける支えとなった言葉です。私の動機も不純なものでしたから、亀田興毅ほどではないにせよ、挫折が待ち受けていました。しかし、動機がどうあれ、若い時分はひたすら突き進むことも大切なことです。歳を重ね、それ相応の分別がついてくると、種子の落ちるところの選択(つまり動機)にも責任を持つことが求められますので、やや他力本願なこの言葉が身の丈に合わなくなってきますが、今も昔も、20代にそこまでの責任を追求するのは酷でしょう。ましてや、彼はまだ19歳です。犯罪を犯したわけでもないのに、動機が不純だったというだけで、これほどまでのバッシングにあうというのは、同情の念を禁じえません。

とはいえ、今回の事件は必然です。日本人の文化が生み出した、日本人らしい解決策としての事件であり、我々はこの事件を通して多くを学んだことでしょう。願わくば、事件の渦中となった亀田興毅が、この必然を理解し、己の糧とし、その過程において、真の大志に巡り会わんことを。

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(追記)

と、熱く語ってみましたが、私が語るまでもなく、おそらく亀田興毅はこれからどうすべきかを感じているでしょう。後は実践に移すだけかもしれません。また、大衆の方も、「何がどうしてどうなったのか、そして、その帰結としての教訓が何か」という本質的なところを感じているはずですので、私がとやかく言う必要も無いのかもしれません。

2006年 8月 07日

ナルシシズムに支えられた向上心

投稿者 by vulcan at 23:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

34歳と3ヶ月の間、つまり、今から2年前まで、私の根底に一貫して流れていたものは、『向上心』(現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心)だったと思います。今は『向上心』を失ってしまったのかというと、そういうわけではありませんが、『向上心』は最重要のテーマではなくなりました。

何故『向上心(神?)』を信奉していたのかと振り返ると、「力を誇示したい」という欲望を満たすためです。常に他者に認めさせることのみに執着しており、認められることに喜びを感じていました。そして、認められるために、常に上を目指して、必死に努力していました。その結果、いろんな分野の知識を習得できましたので、20代と30代前半を生きるには悪くないキーワードだったのかもしれません。

しかし、冷静に分析してみると、認められることが目的であったため、どれもこれも中途半端というか、極めたものは無いに等しいことに気づきます。「それがゼネラリストというものだ」というのは強弁でしょう。一般的に、あるいは素人目に見れば十分極めていると見えても、達人の目から見れば素人の域を出ているとはとても言えません。それで良しとしたのですが、忙しいからというのが第一の理由ではなく、あとははったりで何とかなると思ったからです。

つまり、認められたいと思う相手は、達人ではなく、一般人だったと言うこともできます。まあ、達人に認められたいと思うぐらいの人は、一足飛びに達人になりたいと思うのが普通でしょう。

そんなわけで、かなり偏った『向上心』だったわけですが、それでもまがりなりにも向上できたのは、ナルシシズムに支えられていたからだと思います。当時の決まり文句は「流石、俺様」でした。ある意味で、亀田興毅に似た感性を持っていたことになると思います(テレビを見ないので彼のことはほとんど知りませんが、同じ匂いがします)。

2006年 8月 07日

自分像を定義してみる

投稿者 by vulcan at 14:43 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

「自分は何者なのか」

自分自身を定義することに意義を挟む人も多くいると思います。なぜなら、自分自身を真に定義することはもちろんのこと、自分自身を知ることすら、おそらく不可能でしょうし、今現在の自分自身は固定的な存在ではなく、未来は変わりうるからです。

とはいえ、自分自身の定義を試みる行為自体には意義があることに同意してくださる方も多いと思っております。例えば、自分のなりたい姿を『自分自身の定義』とした場合、目指したいセルフイメージが明確となり、着実にそうした自分像に向かって歩みを進めることができます。おそらく目指したいセルフイメージを明確にした段階で、「ことは7割なったも同然」という状況かと思います。

また、過去の自分像を定義することも意義があると考えます。過去は事実の解釈です。したがって、様々に変えられるわけですから、「定義することは無意味」という帰結にも達しえますが、物事の流れを過去を基点に考えるということは、先人の知恵であり、流れを掴む上では、あるいは流れを変える上では、意義が高いと思うわけです。

となると、現在の自分像を定義することも意義があることは明白でしょう。過去の自分像、将来の自分像を明らかとし、現在の自分像が過去から将来に向けてつながったところに位置しているかどうか、それを検証することに役立つと思っています。

と、言葉遊びはこの辺りまでとして、私自身の自分像の定義を試みたいと思います。

過去の自分像
過去(あるいは過去と現在)の私を一言で言うと「ナルシシスト」となるわけですが、平たく言うと「哲学をはじめとして、いろいろなことを少しずつかじった、自惚れ屋さん」となります。どれもこれも役に立つほどには身についていない可能性が高いです。しかし、その可能性が理解できたことは、まだ救いの余地があると考えています。

現在の自分像
現在の自分像を定義することは、なかなか難しいことです。それは、将来の自分像が、まだ明確になっていないからかもしれません。しかし、私の感じるままを言葉にするとすれば、「ようやくのことで、永い眠りから覚めた獅子」となります。もしかしたら獅子ではなく、猫かもしれません。
とにかく、私は、いろいろなことに目を向けることができた、というか、いろいろなことに興味を持ち始めました。今は、雑念をなるべく捨てて、ひたすら吸収することに精力を注ぎたいと考えています。具体的には、いろんな人と話をし、いろんな書物を読み、インターネットを中心にいろんな情報に触れ、また、いろんなことにチャレンジしようと考えています。

将来の自分像
将来の自分像というのは、更に定義が難しいです。しかし、何とかして言葉にしてみますと、「役に立つ人間」ということになると思います。何の役に立つのか、どう役に立つのか、それはなかなか明言できません。経営者になるのか、政治家になるのか、宗教家になるのか、哲学者になるのか、今、これ以上明確にすることは、慎まなければならないと感じていますので、このあたりまでにしておきます。

2006年 8月 07日

どんなルーツを探るのか

投稿者 by vulcan at 01:57 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

私の個人的なルーツを探っていくと申し上げたわけですが、私の何に関してルーツを探るべきかを、ある程度は考えておくべきと思います。行き当たりばったりでは、そのうちわけが分からなくなるでしょう。そういうわけで、基本は行き当たりばったりだとしても、是非探っておきたい目的を考えてみました。

「私のナルシシズムはどこから来ているのか」

いくつかの事柄は、今この時点でも、なんとなくルーツに関する「当たり」がついていますが、この「ナルシシズムのルーツ」だけは、未だ皆目見当がつきません。そして、「ナルシシズムのルーツ」が解けたあかつきには、その他多くの事柄について、一切合財疑問が解決されるような気がします。

そういうわけで、「ナルシシズムのルーツ」が見つけられるものなのかどうかは分かりませんが、これから先、私のルーツを知るいろんな人とインタビューしていく際には、このことを意識したいと思います。

まあ、「ルーツを探る」と言うと、肩に力が入りすぎるので、「僕を見て思い出すような思い出話はありませんか」という感じで聞いていきたいと思います。ということで、ご想像できるでしょうが、「ルーツ探し」はかなり時間がかかると思います。ルーツを知っている人々が一堂に会するわけではありませんので。

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(追記)

ナルシシズムについてWikipediaで調べてみたところ、納得のいくところも多くあったのですが、「自分をナルシシストだと定義する」ことが、両親や一族を冒涜することにつながるのではないかという恐怖を感じました。「ナルシシズムは悪だと決め付けたような論調は、Wikipediaの理念に反するのではないか」という素朴な疑問が浮かびましたが、私の用法が適切でないのかもしれません。

いずれにせよ、「私はナルシシストである」と現段階では認識しておりますが、両親や一族を冒涜するつもりはありませんし、そのルーツを探ることは犯人を捜すような気持ちで行なうのではなく、「私のナルシシズムは過去における私の自我形成において重要な役割を担っており、それを授けてくれたルーツが何かを知りたい」という気持ちを端に発していることを言及しておきます。

2006年 8月 06日

宣誓

投稿者 by vulcan at 03:17 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

「私は何故この世に生を受けたのか」

この素朴な疑問の解を求めることに、意義があるかどうか、口を挟む人もいるとは思いますが、私は意義があると認めましたので、追求することにします。この疑問を追求する上で、私が認める重要なテーマは次の二つです。

「何故1970年に生まれたのか」
「何故日本に生まれたのか」

したがって、これから始める考察においては、私の個人的なルーツを探るとともに、太古から脈々と流れる日本の精神文化について考察し、また、現代の日本が置かれた立場、期待されている役割を見据えた上で、これから数十年にわたって、日本がどういう方向に向かおうとしているのか、そして、そこに私はどう関与していくべきなのかを正したいと思います。

と、大上段に構えたわけですが、無知な上に独りよがりに陥りやすい、直情型の私ですから、突っ走ろうとすると、おそらく支離滅裂な文章となり、失敗することでしょう。そこで、なるべく肩の力を抜いて、ゆるりとやっていきたいと思います。