2006年 8月 09日

きっかけは子供達

投稿者 by vulcan at 12:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

おそらく、唐突に始まった存在理由の追求に対して、戸惑いを感じている方もいらっしゃることと思います。私のことをそれなりに理解しているはずの親でさえ、最近の私の興味が宗教にまで及ぶに至っては、心配し始めたぐらいですから。

「宗教に興味があるのではなく、人生に興味があります。」

父親の心配に対して返信した携帯メールの文章が上記です。長らくの私の興味は「究極の会社組織とはいかなるものか」ということでした。会社組織が興味の対象だったわけですが、今、それが人生に移りました。今までも人生について思考することはありましたが、あくまでも付録的な興味の対象に過ぎなかったと思います。

「どんなきっかけによって人生に焦点が定まったのか」というと、複雑な要素が絡み合った必然であり、その中からきっかけというべきものを抜き出すことは難しいのですが、やはり、敢えて言えば『きっかけは子供達』ということになります。

『育児』のカテゴリーの投稿をいくつか読んでいただければ分かるように、我が家の子供達は本当に親を癒してくれます。親だけでなく、一族はもとより、地域やその他の関係で触れ合う人全てを楽しませてくれます。毎晩の家族の団欒は、腹を抱えて笑ってばかりですし、目覚しい成長振りに刺激されて私自身の成長意欲を高めることにもつながっており、また、「子は鏡」と言うとおり、反省すべき点も子を通じて見つけることができます。一言で言えば、「生き甲斐を見つけた」ということです。

長女は私の直情型の部分と勝ち負けにこだわる部分を引き継いだようで、非常に激しやすい性格を有します。そのため、手を焼くこともありますが、感激の仕方も並ではなく、引きずられて私の方まで感激してしまうこともしばしばあります。

二番目(長男)は非常に気配りが冴えています。気配を察知する感性はおそらく私にも備わっていますが、感情をそのまま吐露しない点には何度も頭の下がる思いがしました。ユーモアを提供することが自分に与えられた役割であることを、2歳にして自覚しているようで、そのセンスたるや抜群のものがあります。

三番目(次女)はまだ生後7ヶ月経過したばかりで、個性はこれから表れてくるのでしょうが、癇癪持ちというのとは少し違う、気丈な雰囲気を備えつつあります。

そんなわけで、「子は宝」ということをまさに実感している次第です。彼らのおかげで、私も両親や祖母、弟、妹と向き合う機会が増え、一族の結束はより強まりました。更に、妻の血縁をはじめ、直系血族以外に対する姿勢も変わりました。

そんな子供達ですから、当然のことながら、彼らの将来に思いを馳せることもしばしばです。したがって、数十年先の日本に関心が出てきました。すると、わが身の老いを意識することにもつながり、必然的に人生に目が行ったということです。

日々のニュースで流れる日本中の子供達に係る悲惨な事件に胸が詰まり、涙があふれてきます。「これから30年かけて、そうした悲しい事件を無くしていくために、私は何をしていこうか」、そうした思いから、存在理由を正してみようと思った次第です。

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