2006年 8月 23日

地縁

投稿者 by vulcan at 21:02 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、不思議な縁についてお話をしましたので、ついでに本日は地縁についてお話したいと思います。地縁というと堅苦しい表現ですが、要するにコミュニティでの友人関係についてです。

妻は非常に社交的な性格のため(深いところではそうでもないようなのですが)、コミュニティで友人を作るのが得意です。しかし、子供が生まれる前の船橋時代、江東区時代前期を振り替えると、友人関係は専ら会社関係か、学生時代の関係に限られていたように思います。それが、子供が産まれ、徐々に江東区時代後期からコミュニティの友人ができはじめ、ベイタウンに引っ越してしばらくしてからは、いわゆる『公園デビュー』により友人が増えました。


二人目も生まれ、ベイタウンにも慣れ、子供二人を連れて公園やスーパー、子育て支援施設等で友人がどんどん作られ、私も名前を覚えるのを放棄するぐらいになりました(もともと記憶容量が小さいのも原因ですが)。

更に、公社の借家からエリストに移ったこの春からは、長女の幼稚園関係での友人が増え、また、自宅に友人を招待したり、友人宅に招待されに行くことで、更に友人を紹介され、今では記憶力のいい本人も名前を出すのが一苦労な状況にあるのではないかと推察します。

これから先、3人(あるいはもしかしたら4人)の子供達の幼稚園・学校関係の輪が爆発的に膨らんでいくでしょう。妻の友人関係がどこまで拡大するのか、見通そうとすると思考が停止してしまうぐらいの状況です。といって、多ければいいというわけではなく、価値観が合うかどうかも重要です。但し、価値観を共有できる友人を見つけるためにも多くの人と知り合うことはよいことでしょう。

こうして考えてみると、女性が家にいるということは非常にありがたい話だと思います。もちろん、上でも示唆しているように、子供ができてからの話ですが。地縁によりいろんな人と友人関係をつくることは、なにより楽しいですし、何かあったとき(子供が事件に巻き込まれそうになったとき)にきっと助けになるでしょう。

そこで思い出すのが、安心の安に関する仏教の教えです。それによると、屋根の下に女がいると書いて安。家を女性が守っていると家族は安泰ということのようですが、最初は「ふーん」という印象でした。しかし、妻の地縁のすさまじさを目の当たりにすると、「確かにそのとおりかもしれない」と思うようになりました。

もちろん、安は地縁だけを語っているのではなく、子供が学校から帰った時に家に母親がいるかどうかも重要なファクターだと思います。私が小学2年生のとき、学芸会が終わって帰宅したところ、母親が学芸会後の井戸端会議に参加していたのか、私が早めに帰宅したのかは忘れてしまいましたが、家に帰ると誰もおらず、鍵も開けられない状態だったため、パニックになって泣き喚いていたそうです。隣の家の人が見かねて家に入れてくれ、そこのお兄さんがあやしてくれて落ち着いたのですが、それぐらい母親に頼りきりの子供も世の中には多いのではないかと思います。

そんなわけで、子供がいらっしゃらなかったり、引きこもりがちな方は、仕事を持つのがいいと思いますが、そうでなければ、女性が(あるいは社交性に優れた資質を持っている男性が)家を守るというのは、非常に良いことではないかと思います。それができない諸事情もたくさんあるとは思いますので、選択できない方を非難しているわけでも、選択できる方を礼賛しているわけでもありませんが、少なくとも私はそうした家庭を持てたことを感謝している次第です。

前置きが長くなりましたが(実はここまでは前置きだったんです、すいません)、本題の私に関する最近の地縁について申し上げたいと思います。

私は長らく縁というのをあまり重視しておりませんでしたし、縁(特に地縁)を作るのが苦手でしたので、これから述べることは、私には新鮮であっても、普通の方々にはあまりにも当たり前で、目新しいことなど何も無いかもしれないことだけは、最初に断っておきます。

ベイタウンを気に入った私達は、2年ほど前にエリストの購入を決め、待ちに待った入居をこの春に迎えたわけですが、コミュニティにかかわりたいという願望を私が持っていても、実際持家になってみないと、積極的な活動というのが行なえる性格ではありませんでした。

そんなわけで、ようやく持家となり、長く根を下ろすベイタウンで、地縁を築くための活動をしようと、重い腰を上げることになりました。最初に行なったのは、今年の1月のベイタウンニュースに紹介されたイベントへの参加です。

今年が年男の私にとって、「年男・年女が集まって記念撮影する」というイベントは、積極的な活動というほどでもないので気楽ですし、年男だからという大義名分もあるので、最初に取り組むには格好の対象でした。

参加したところ、普段は遠慮がちに壁際で存在感を消す努力をする私でしたが(その日も普通の人と比べれば相当存在感は薄かったと思いますが)、私の熱意が伝わったようで、記者の方が、「良かったら撮影の後でインタビューをしたいので残ってもらえませんか」と言われ、「これが待ち望んでいたデビューだ」と思った私は快諾しました。そして、全体撮影の後、インタビューを受け、更に個人写真も撮ってもらえました。1月号のベイタウンニュースに私の顔写真とコメントが載り、デビューを果たしたわけです(笑)

その後、実際にエリストへ入居し、4月のベイタウンニュースに、ニュースを配布してくれるボランティアの募集広告があるのを見つけ、早速5月の配布の会に参加しました。エリスト184戸にニュースを配布するのが仕事で、織り込みチラシをセットする場合もあるのですが、それほど時間の掛かる労働ではなく、これなら苦も無く続けられるし、そこで知り合った人と話をするのも楽しめそうだと思いました。

配布の会は毎月第一土曜日の10時にベイタウンコア(公共施設)にて行なわれるのですが、6月の第一土曜日は、娘の幼稚園のイベントが重なっており、参加できないことを心苦しく感じていましたし、「1回参加しただけで嫌になって止めたのか」と思われたくなかったので、「どうしたものか」と結構悩んでいたのですが、そうしたところ、その前日の金曜日にポストに、「事情があって配布の会に参加できない場合は宅配ポストに配布物を届けておくので申出てください」という、ベイタウンニュースを取りまとめているM氏のメッセージが入っていました。本当にメモという感じのものでしたので、恐らく、5月に参加した際に伝えた連絡先を頼りに、M氏がわざわざ届けに来てくれたのでしょう。

M氏の労力に感謝するとともに、多少なりとも6月も参加できることを喜んだ私は、早速M氏に連絡を取ることを考えたのですが、メモには連絡先が書かれておらず(笑)、聞いてもいなかったので、どうしようかと思ったのですが、昔、ベイタウンニュースの過去記事を読んでいたときに連絡先が載っていたような記憶があったので、過去記事を探し出し、M氏にメールで連絡することができました。

結局、M氏がメールを見たのが翌日の配布の会が終わった後だったので、宅配ポストを利用しての参加はできなかったのですが、M氏からの返信で、「ベイタウンニュースの記者にならないか」とナンパされちゃいました(笑)

M氏は、4月の配布の会のときに、私の提示したメールアドレスのドメインが一風変わっていたことで、「『kodakara.com』とはどんな会社だろう」と思ってサイトを見にきたそうです。そこで、個人のブログであることを知り、「文章を書くのが好きそうなので記者になる気があるかも」と思ったわけです。

これを受け、私は、


  1. コミュニティに貢献したいと考えていた

  2. 記者には取材がつき物であり、見聞を広めて執筆活動に役立てたい

  3. 独りよがりなブログとは違う『記事』というものがどう受け入れられるのか興味がある


という理由で快諾したのですが、

  1. ベイタウンにかかわり始めて日が浅く、まだベイタウンのことをよく分かっていない

  2. 過去記事を読み通していないので、記事がかぶる可能性がある

  3. 精力を注がなければならないこと(会社の業務)、精力を注ぎたいこと(執筆活動と育児)があるので、取材のためのまとまった時間が取りにくい


という理由から、「実際に記事を書くのは待ってほしい」と申し出ました。

その後、2、3往復のメールをやりとりし、話題がベイタウンフォーラム2006に移りました。

5月に行なわれたベイタウンフォーラム2006は、あまり参加する気がしていなかったのですが、地域のことをよく知るいい機会だと思いましたし、「子供の面倒は見ておくので参加したら」と妻が言ってくれたので参加してみました。

フォーラムの第一部は地域で積極的に活動している方々が、スライドを交えて活動報告を行ない、第二部では今後のベイタウンのありようについてのディスカッションが行なわれました。その際、パネラーのうちのD氏とK氏に私は興味を持ちました。

D氏は「今後ベイタウンに雇用を創出するNPO法人のようなものが必要となるのではないか」という意見を出し、K氏は「イベントの開催を自治会連合会で行なっていくには限界がある。イベントプロデュース集団みたいなものを作って、自治会、組合と連携しながら、ベイタウンのイベントを盛り上げていくやり方があるのではないか」といった発言がありました。

そんなわけで、M氏とのメールで、フォーラムの話題として、D氏やK氏の言っているような活動が具体化されているのかどうか聞いてみたところ、「知っていることを教えてもいいが、D氏とK氏を紹介するから、中立的な状態で直接話を聞き、自分で是非を判断した方が良いのではないか」との提案を受け、早速紹介メールを出してもらいました。

D氏は面会を快く引き受けてくださり、しかも、わざわざ我が家までお越しいただきました。上記のことを含めていろいろ話をすることができ、しかも後日D氏の執筆した書籍を進呈してくれました。D氏とはその後も、海浜幕張のプラットフォームでお会いすることがあり、一緒に通勤電車で話をします。また、近々一緒に飲む予定です。

K氏は、7月の配布の会で待ち合わせることになり、M氏の紹介で立ち話をさせていただきました。いろいろと精力的に活動する才能をお持ちの方なので、今後も影響を受けたいと思っています。

そんなわけで、思いの外に文章が長くなってしまいましたが、36歳にしてようやくのことで地縁というものが私にもできつつあるわけです。今後も、妻の力を借りながら、積極的に地縁づくりに精を出したいと思う次第です。

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