2006年 9月 11日

育児に思う

投稿者 by vulcan at 12:00 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

妻が時折使う言葉として『子育ち』というのがあります。『子育て』という言葉が、親が子供を育てるというイメージとつながりやすく、その結果、「親は子供を育てる義務がある」とか、「子供は親の指導に従わなければならない」とか、そういった観念を必要以上に植えつけてしまって、「親も疲れ、子も疲れる」という不幸せな現象を生んでしまうのを危惧してのことだと思います。

つまり、妻が言いたいのは、「子供は育つものであって、育てるものではない」ということで、親は子供の成長のサポーターであるということだと思います。

我が家には4歳(Bian)、2歳(Hikaru)、0歳(Tama)の三人の子供達に恵まれているのですが、電車やスーパーで、見知らぬ人に「大変ねぇ」とか「今が一番大変だけど頑張ってね」とか言われることが、実はあまりピンと来ていません。

こういう「大変ね」という言葉掛けは、非常に一般的な挨拶言葉になっていると思いますが、実は非常に良くない習慣だと考えています。掛ける本人も無意識に行なっていると思いますが、掛けられる方も「大変ね」ということを日々言われ続けることで、無意識に「子育ては大変だ」と思い込んでしまうからです。言ってみればこれもある種の洗脳で、日本全体が子育てについて洗脳されていると言えるのではないかと思います。

先日、地縁に恵まれて知り合いになったD氏と飲みに行ったとき、「吉村家(匿名では不自然ですし、匿名にしておかなければならない積極的な理由もないので実名です。)の子育論を聞かせて欲しい」ということだったので、あらためて子育てについて考えるきっかけとなりました。

そうして考えて見ますと、少なくとも私は『子育て』というのをほとんど意識したことがないように思います。子供の将来に思いを馳せたり、子供の性格を分析することはありますし、どういう価値観を持った人間になって欲しいかというものはあり、適宜思いを伝えていますから、『子育て』に無関心とか、『ほったらかし』というのとは大きく違いますが、かといって、教育熱心では全然ありません。

そうした我が家では、子供が三人いることが非常に効果的だと思います。

子供同士で仲良く延々と遊んでいるときは、親は手が離せます。一人っ子の場合は、子供同士で遊ぶのは幼稚園か保育園であり、家に帰ったら、母親と遊ぶか、母親に友達と遊びに連れて行ってもらうか、ゲームなどの一人遊びをするか、テレビを見るほか無いのかもしれません。

また、親として『分かち合いの精神』を育んで欲しいという気持ちがあり、常にそれを伝えようと心掛けていますが、道徳を教え諭すように言い続けたところで、子供にはつまらないし、理解しにくいし、あまり効果的ではないでしょう。したがって、実際に『分かち合いの美しい精神』を子供が実践したときに、その瞬間を見逃さずに心底喜ぶことが伝え方としては重要となると考えていますが、一人っ子の場合、たまたまそういう精神に基づいた行動を行なう性格であればいいですが、そうでない場合にはなかなか難しいかもしれません。

その点、兄弟がいると、誰かが素晴らしい精神を見せたときに親が喜びますので、常日頃、「他人を見て学ぶ」ことができます。『分かち合いの精神』にかけては、ずば抜けているHikaruを見て、Bianも随分と成長してくれましたし、Tamaも成長してくれるでしょう。

そう考えると、親がまず、『分かち合いの精神』を実践する必要性がよく分かってきます。「子供にはこうなって欲しい」と思っていても、親が利己的であれば、そんな精神が育つはずもありません。兄弟がいればまだ救いようもあるかもしれませんが、一人っ子の場合は、なおさら親が己を律することが求められると思います。

また、子供の成長や美しい心を目にすることで、自分の反省材料にもなりますし、頭が上がらない存在(私の場合はBian)ができることで、(世界の中心は自分ではないことを理解して)謙虚にもなりやすくなり、毎日、子供に必要とされていることを実感することで元気がみなぎります。

とはいえ、夫婦が共同して子育てに関与しなければ、確かに大変かもしれません。母子家庭や父子家庭であれば、ある意味それが自然となって、現状を受け入れることにより、大変にはならないかもしれませんが、夫婦でいるのに夫が子育てに関与していないとすると、そうした現状を受け入れられない場合に、『大変』と思う可能性が高いと思います。

そんなわけで、書きたいことはもっとあるような気がするのですが、とりあえず一度ここでまとめますと、「子育てというのは人生における最大の楽しみである」ということです。子供を育てるせっかくの貴重な時期は、なるべくそれを楽しむために時間を使うことを第一に考え、その他のこと(私であれば、趣味のツーリングやスノーボード、資格勉強等)は子供が巣立っていってからでもできることなので、後の楽しみに取っておくのがいいのではないかと思います。

タグ(キーワード):

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kodakara.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/528
コメント

とてもよろしい心がけだと思います、父親としてここまで開眼してもらえるとは、母親として嬉しい限りです!ありがとうございます♪(^-^)


最近、とても些細なことですが、bianとテレパシーが通じているようで嬉しいことが多々ありますが、同じようにVulとも「以心伝心」に近いことがあったりすると、「心が同じ方向を向いている人同士って、こうやって・・・ラストサムライみたいに無駄な言葉が必要じゃないんだ~」と実感していたりします。(指図は不要!だけど労いは必要!)

私は日々の少しずつの時間の使い方も、「これからやりなさい」と子に言葉で伝えることよりも、態度で示すことが大事だと思うので、「義務的なことが一番、楽しみや己の欲求は二番」と黙々とこなしています。(たまに「やらなきゃいけないことが先、やりたいことがその次です」と口に出してしまうけどね~★)


子供もいつの間にか、泣いて飲んで寝てるだけの赤子だったのが、歩いて喋って1人でトイレに行ったりするようになり、その内に口答えしたり生意気な発言をしたり反抗したりするようになるんだなぁ・・・と思うと、それを見守って温かくサポートし続けることが親の役目であり人生の最大の楽しみである、としみじみ思います。(まだbianは5歳前だけど!)

子供は育つもので、育てるものじゃないとは言いつつ、つい自分の楽なように引っ張ってしまったり、自分の思ったほうに誘ってしまったりしてしまいそうになりますが、何も道しるべを与えないのでは方向性も定まらないので、子供の可能性を摘み取ることも無いようにしつつも正しい心が育つよう、親として道を示して楽しい人生を生きたいです。

「完璧は目指さず、しかし尊敬を得られるような存在でありたい」という、己の欲求充足のために、日々の積み重ねは忍耐と些事の繰り返しなのですねぇ。・・・とゆことは、大局を見ると「本当は自分のやりたいことは一番」になってるんだ!(笑)

投稿者:  NameP   at 2006年09月13日 01:38

その通り、「自分のやりたいことは一番」です。

いつか、それが、やらねばならないことと重なっているのがベストですね。

投稿者:  Vulcan   at 2006年09月13日 07:08
コメントする












名前、アドレスを登録しますか?