2006年 9月 12日

猊下の教え

投稿者 by vulcan at 12:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、さりげなく、子育てにおける『伝えることの重要性』を申し上げたつもりですが、そのことを確信したのは大本山須磨寺管長小池弘三猊下の教えを受けたときです。

2ヶ月に及んで頭を整理した上で、いくつか独力では解決仕切れない問題の糸口を探るために、私は三人の指導者を持つことにしました。ところが実は、その他に二人の方の指導をお願いしたいと思っており、その後は思いつく人に適宜知恵を借りようと考えていました。最初の三人の次に指導をお願いしたいと思った二人とは、一人は小池猊下であり、もう一人はT神父です。

小池猊下との面会は、祖母に渡りをつけてもらい、7月30日に実現しました。

猊下に面会する前に、例の『随筆』の中で、以下のように記していました。

私の祖父母は須磨寺の檀家のため、大本山須磨寺の管長である小池弘三猊下には、法事の際などで時々拝謁する栄誉を賜っていた。昨年のお盆などは、祖母宅にてお経を上げて頂いた後、当時3歳の娘がお茶菓子のフルーツゼリーを気に入り、それを見た猊下は自分の分を娘に与えて下さった。皆は運のいい子だと喜んだ。また、私が神戸大学の学生のころ、次のようなこともあった。

私がアルバイト先から祖父母宅に帰宅したときのことである。祖母は緊張した面持ちで、私宛に須磨警察署から出頭命令が来ていることを告げた。バイクに当て逃げされた車の持ち主が、バイクのナンバーを控えていたので、祖父母宅に連絡が入ったというのだ。

すぐさまピンときたが、事実はこうである。私が原付でアルバイトに向かっていたとき、離宮前の道は大渋滞していた。車の横をすり抜けることもできたが、時間が無いわけでもなかったので、最後尾で待つことにした。すると、反対車線を上から降りてくるオフロードバイクがカーブを曲がりきれず、私の前の車のドア下部に、前輪か、ステップをぶつけた。バイクは反動で体勢を回復し、そのまま逃げ去って行った。前の車は何が起きたのか理解できなかったようで、渋滞が緩和されて前が進んでいるというのに立ち止まっていた。そこで、私はその車の横をすり抜けて前に進んだのだが、助手席のおばあさんが私を犯人と勘違いして私の原付のナンバーを控えたのだった。

何も後ろめたいことは無かったので、祖母に安心するように告げて須磨署に出頭したのだが、「果たして私の説明に、警察官が納得してくれるのかどうか」と多少の不安があった。当然、事実を見たわけではない祖母の不安は想像を絶するものであったろう。「大切な孫を預かっておきながら、孫の将来が台無しになるのを黙って見ているわけにはいかない。」そう祖母が思ったのか、実は、祖母は、私が警察から帰れない事態になった場合、猊下にお願いして、被害者との間を取り持ってもらおうと画策していたらしい。

警察に出頭したところ、私の説明に怪しい点が無かったことと、車についた傷の高さからいって、原付でつけられることはあり得ないということに警察官が納得し、無罪放免となった。それでも被害者の方は、私のバイクにも傷があることを見て取り(何度か転んだことはあった)、主張を曲げようとしなかったが、警察官は「これだけ車のドアがへこんでいるのに、原付のプラスチックが傷だけで割れていないというのはあり得ない。」という結論を出して、被害者の方を納得させてくれた。

結局、猊下の出番はなかったのだが、「祖父母に守られている、そしてその先には猊下が鎮座してくださっている」ということに、当時、大変感謝したものだった。

そんなわけで、本書を書きながら、祖父母に誇りに思ってもらうためにも、私は猊下との面談を強く希望した。そこで、祖母にお願いしてアポイントを取ってもらったというのが経緯である。

当初は、面会を私の存在理由を解決するための一助としようと思っていたのですが、直前に考えが変わり、別のことを相談しました。猊下は非常に温和な方のように見受けられますが、祖母の話では随分と苦労をされていらっしゃるとのことでした。

いくつか伺ったことの一つをご紹介します。

「自分を変えるということは、自分が変わろうと思うことで実現できると思っておりますが、他人を変えることはできないと思っております。だからといって、そのまま見過ごすのはどうかと思い、変わってもらいたいと思う人に対して、どう接したらよいのか、教えていただけないでしょうか。」

この質問に対して、猊下は、次のように仰いました。

「他人を変えることは難しいことです。頭で理解させることができたとしても実践に移させることは難しいですし、実践したとしてもそれを継続させることは更に難しいです。そもそも、頭で理解させるということすらなかなかできないもので、お寺に来る方々に対して、私も同様の難しさを感じています。」

「相手を変えることはできませんが、気づいてもらうことはできると思います。相手に気づいてもらうためには、発信し続けることが大事です。宇宙に向かって電波を発信し続けなければ、宇宙人に気づいてもらう可能性をついばんでしまうのと同じように、相手の機が熟すまで発信し続けることです。」

「それから、相手に聞く耳を持ってもらうためには、まず、相手の思いを聞くことです。一方的に伝えるだけでは相手も耳をふさいでしまうかもしれません。それに、こちらが伝えようと思っていることは、聡明な方であれば既に深いところで理解している可能性があることも考慮しておく必要があると思います。いろんな事情があってそうした思いとは違う発言・行動をとっているとしたら、相手の思いをよく聞くことで、こちらが伝えようとしていることを引き出すことができるかもしれません。」

このことは、対人関係全般に当てはまることであり、子育ても例外ではありません。つまり、『伝えること』と『思いを聞くこと』が何にせよ重要であるということを、このとき確信した次第です。

ところで、猊下にお会いする数日前、3人の指導者のうちの一人である銀行員時代の元支店長とお会いし、そのことを『随筆』に記しました。

私は、大学卒業後、東洋信託銀行に入行した。そして、赴任先の名古屋支店の支店長がM.Y.氏であった。当時の私には雲の上の人であり、また、氏は何でもお見通しで、検討不十分で、確信を持たずに行なった融資稟議に対しては容赦が無かった。そんなわけで、私はといえば、蛇に睨まれた蛙よろしく、氏と対面することが極度の緊張状態を生み、「なるべく早く話を切上げて逃げ帰りたい」という思いが強かった。しかし、毎週火曜日の朝礼で話される、氏の人生観、銀行業観はいつもワクワクさせられ、当時の楽しみの一つだった。正確に記憶していることがほとんど無いことが残念であるが。

私が東洋信託銀行を退職し、今の会社に入社した際、M.Y.氏に報告した。氏の助言が欲しかったからなのか、氏に誇りに思ってもらいたかったのか、確たる理由などなく、氏に報告したいと思ったので報告した。そして、私がベイタウンに引っ越し、お互いに自転車で行き来できる程度の距離となった2004年以降は、時々お会いしては、子供達を祝福して頂いた。

そんなM.Y.氏に対して、私の考えを評価してもらいたいという思いが強かった。バンカーとしてプロ中のプロであるM.Y.氏であれば、私の構想が現実離れした甘さがあるのかどうかを見極められるであろうし、その指摘も甘んじて受け入れられよう。しかし、指摘を受けてへこむようなことにはなりたくなかったので、それを活力として飛躍できる心構えができるまで、安易に相談するのは控えていた。

さて、とりあえず頭の整理がついたところで、いつもながらの突然の電話を入れ、10分ほど近況を交し合ったのち、20分後に待ち合わせることとなった。

M.Y.氏と再会し、居酒屋で夜中の1時過ぎまで、2時間半ほど話し合った。氏の神通力はすさまじく、電話で話した10分で、おおよそのことは全て見通されており、「顔を見ず、突然電話してきた状況や、声の調子と文脈だけでここまで読み取れるものなのか」と舌を巻いた。そういうわけで、どんな話題も一だけ説明すれば十分であり、次々といろんな話題について思いを伝えることができ、非常に充実した時を送った。

特に感動したのは、私の状況を察知して、『天台勤行集』を贈呈してくれたときだ。「ちょっと頭を整理したので、読んでもらいたいものがある。」という電話での私の話を聞き、「おそらくそこには仏教の教えに通じるところがあるだろう」と解釈した氏は、家にあった檀家用のお経の本である『天台勤行集』を持参されたのだ。氏の実家は天台宗のお寺であり、氏に対しては、「仏教的な教えも賜りたい」と常々思っていたので、この展開は思いがけないサプライズであった。もしかすると、電話の際、ちょうど数日前に氏の母君が亡くなられ、氏が実家に帰っていたことを聞いた私の反応に、『天台勤行集』を欲する気持ちが表れていたのかもしれない。これこそが『以心伝心』なのだろう。また、M.Y.氏と会った数日後には、大本山須磨寺の管長である小池弘三猊下との面談が予定されていたため、運命の必然性に心震わせる思いであった。

氏は「何事も心構えが大切であり、心構えができていれば7割なったも同然。」と説いた。そして、その心構えとして、経典を開き、お経を読む前に唱える『開経偈(カイキョウゲ)』の中から「無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来眞実義」を説明して頂いた。つまり、「この上なくありがたい仏教の妙義というのは、百千万年経ってもなかなか得られるものではない。しかし、私は今、その教えに触れることができた。願わくば、お釈迦様の到達した真理を理解したいものである。」ということだ。これは、会社経営に関しても通じるところであり、「会社経営の妙義というのはなかなか得難いものであるが、教えに触れ、その真理を理解したいものである。」という気持ちで毎日唱えることを氏は勧められた。

また、お経を唱え終わるときの『回向文(エコウモン)』の中から「願以此功徳普及於一切我等與衆生皆共成仏道(願わくば、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを)」を説明して頂いた。つまり、「願わくば、この功徳を、生きとし生けるものすべてに振り向け、お釈迦様が目指した真に幸せな世の中とするために、共に進もう。」ということだ。これを毎晩、一日を振り返って唱えれば、素晴らしい人格となることは間違いない。

そんなこんなで話が弾み、気がつけば夜中の1時を回っていた。氏はいろんなことを親身になって心配してくださり、私の覚悟を正してくださった。

あれから2ヶ月近く、『開経偈(カイキョウゲ)』の一節と『回向文(エコウモン)』の一節を、毎日、心の中で唱えています。短い文章なので、記憶力の悪い私でも数日もすればそらんじることができるようになりました。唱えてみて分かったことは、心が非常に落ち着くということです。つまり、心構えができるのだと思います。

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