2006年 9月 14日

娘に頭が上がらない訳

投稿者 by vulcan at 09:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

先日、私は娘のBianに頭が上がらないと申し上げましたが、単に子煩悩で目に入れても痛くないので頭が上がらないというわけではありません。

娘は4歳にしては驚くほどいろいろなことを理解しているので適当にあしらうと矛盾を敏感に察知し、また、母親であるNamePの影響を受けていますので、私に対して容赦なく指摘をします。それらの指摘は、大まかに言うと、「お説ごもっとも」という指摘と、「それはエゴだ」という理不尽な指摘の二種類に分けられます。

「お説ごもっとも」という指摘は、反論の余地がありません。反論するとすれば、「自分のことを棚に上げて何を言うか」とか、「親に向かってどういう口のきき方をしているのだ」という、論点のすり替えしかありませんが、そのような論点のすり替えは、何らいい結果を生みませんし、家族内で自己防衛するほど虚しいことは無いので、それはしません。

むしろ、社会において、予想される様々な攻撃に備えて知らず知らずのうちに防御を固め、無言の圧力で周りに指摘しづらい環境を構築し、仮に攻撃してくる無謀な者には、要領よくかわした後に、機を見て逆襲に転じ、倍返しで叩きのめしてきた私は、「これほど心強い味方はない」反面、「敵に回すと厄介な油断のできない奴」という評価であると思われますから、気づいた点も指摘しにくいでしょうし、実際に指摘してくれる人も少ないのが実情であり、無邪気に指摘してくれる娘というのは貴重な存在です。

つまり、これまで、祖母を除いて、母親や妻の指摘でさえも拒絶してきた私ですが、娘の指摘を受け入れることで、「指摘を受け入れることがいい方向の変化をもたらす」ということを学習し、妻の指摘や母親の指摘、更に父親や兄弟の指摘をも受け入れる余裕ができ、徐々に防御を解いていったわけです。

次に、「それはエゴだ」という指摘は、受け入れることが私のためにはなりませんし、娘のためにもなりません。要するに単なる我がままです。かといって、一刀両断に処すこともできません。それは、娘の中に自分を見るからです。

「王女様気取りか?」と思えるほど娘の我がままはいっちゃっていることがありますが、思い起こせば私も、「世界は自分を中心に回っているし、回すべきである」という王子様気取りの信念を土台に人生を歩んできており、神をも越えるとは思っていないにせよ、「神の2、3センチ下には位置するはずだ」と思い込んでいましたので、娘の我がままを一刀両断に処すことは自分のことを棚に上げることになります。

三十数年掛けて、ようやく「自分はひとかどの存在ではあるが、大した存在でもない」ということを、つまり、「どんぐりの中で比較的背の高い方、ただそれだけ」ということを完全に理解できたわけで、娘にも、自分で気づくための時間を与えてあげなければフェアーではありません。

但し、完全に放任してしまうと、私と同様に三十数年の期間を要するかもしれませんし、私と同様に失うものも多くなるでしょう。そういうわけで、時々、機を見ては、「エゴが強すぎると、人生遠回りになってしまうよ」ということを匂わせるようなアドバイスをするよう心掛けています。いつ気がついてくれるかは分かりませんが、発信し続けていれば、三十数年よりは短いと思っています。

そういうわけで、娘の指摘は何であれ、頭が上がらないというのが、今の私の姿です。とはいえ、あまりにもひどいエゴは『聞こえなかった振り』をします。逆に後で手ひどい目にあいますが(笑)

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