2006年 9月 25日

なぜ新聞・TVを見ないのか

投稿者 by vulcan at 20:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

我が家は、新聞・TVを見ない方針です。これは、時間を大切にしたいという思いと、世論を誘導するマスコミ体質に対して一石を投じるためです。

時間の無駄に関しては、特にテレビにおいて強く感じます。スポーツやバラエティをだらだら見ることは、完全に中毒だと思っています。

例えば、人生において非常に意義のある人物を応援するためにスポーツを見たり、尊敬する人物のものの見方を学ぶためにトーク番組を見たり、優れた演出家・監督の作品を鑑賞するために演劇や映画、ドラマなどを見たり、あるいは非常に好感を持っている漫才師や落語家等のパフォーマンスを味わうためにお笑い番組を見るというように、目的意識がはっきりしているのであれば、まだいいと思います。

しかし、単に『テレビを見ないとつまらないから見る』というのは、たまに息抜きとしてみるのは癒しの効果があるかもしれませんが、毎日それでは人生を無駄に消費していると言わざるを得ません。テレビを見ることで夫婦の会話や親子の会話が減ってしまうことが惜しいと思います。

また、感動を演出し、視覚的に分かりやすく表現するというのはテレビの果たす役割の一つだとは思いますが、今のあり方は行き過ぎている気がします。要するに視聴率を稼ぐという魂胆が見え透いている場合があり、それらの存在によって本物の感動さえも色あせてしまっているように思います。

では、ニュースはどうかというと、これはテレビに限らず新聞もそうですが、マスコミの報道の仕方に非常に憤りを感じており、見る気がしません。例えば被害者の気持ちを踏みにじるような報道がなされたり、テレビ局や新聞社のシナリオに適った発言だけを編集して報道し、発言者の真意が伝わらなかったり、政治や団体の圧力によって情報が操作されていたり、あるいは、国を良くしようと考えているとは思えないような記事の取り上げ方や近視眼的な報道を見るにつけ、完全に見る気が失せました。そして、そういいながら新聞やテレビニュースを見続けることは、彼らを是認していることになるため、見ないことにしたわけです。

では、情報は何によって得ているのかというと、容易に想像つくことですが、インターネットと書籍です。幸い、我が家から歩いて5分のところに図書館があるので、助かっています。通勤電車では、新聞を読まずに本を読みます。大体三日ぐらいの通勤で一冊読みますが、週末は家族との団欒に充てますので、月に5、6冊です。

書籍の方が奥行きが深いため、新聞よりもずっと記憶に残りますし、また、よく推敲されており、すぐに廃れる一時的な情報は間引かれていますので、情報の価値は高いと考えています。

鮮度が命の情報というものはインターネットで取得できますし、そうした情報が本当に価値があるかどうかについては疑問を感じます。

例えば、不幸な事件は情報としてどれほどの価値があるでしょうか。人の不幸を見て自分たちの幸せを感じる感覚は持ち合わせていません。不幸な存在を理解することで人間としての情緒を育むのであれば、そこに即日性は必要なく、紙面や報道時間といった都合に左右されない、丹念に事実関係を把握し、公正に記載した書籍によって理解すべきと考えます。

あるいは、株価は本当に必要な情報でしょうか。株式売買でさやをぬこうとしている人にとっては有益な情報かもしれませんし、株価をある程度意識することは経営者に求められる姿勢かもしれませんが、株価の乱高下に一喜一憂するというのは、あまりにもばかばかしいと思います。

かく言う私も、銀行員時代の3年半、日本株運用を業としていたため、それこそ、日々株価のチェックを行ない、頭の中は株式のことでほとんど占められていましたが、それだけに、「一体株価をチェックすることが人類の発展にどれだけ寄与するのか」という疑問を、日々感じながら過ごしてもいました。

株価にこだわりを持たなくなると、日々流れている情報の多くはあまり意味の無い情報になります。繰り返す業績予想の修正や、今後の影響がどう出るのか見通しにくい企業提携の発表(とその後の提携解消)など、「前の情報は何だったのか?」というようなことにもならなくて済みます。

人それぞれ、価値観が異なり、私にとって無益な情報も、別の人にとっては有益なのかもしれません。そうした多様な価値観の最大公約数がニュースであり新聞なのでしょう。そうであれば、必要な情報だけを取捨選択すればよく、だらだらと最初から最後までニュースを見るのは時間の無駄だと思います。それに止まらず、同じニュースを繰り返し、あちこちの番組で見るなどというのは、人生を賢く生きているとは思えません。

新聞であれば、取捨選択することで時間を効率よく使うことができますが、それはインターネットニュースでもできることであり、インターネットの方が情報の取得や利用に関して創意工夫の余地が高く、また、玉石混淆の中から価値ある情報を見出すことは非常に鍛錬になりますので、私はインターネットを重視しています。


【2006/9/26追記】

ちょっと熱くなりすぎました。昨日は、何かに憑かれたかのように、こみ上がる怒りに任せて書きなぐりました。二点ほど付言しておくことがありましたので追記します。

一つは、人生を無駄に消費しているかどうかは、他人が決めることではなく自分が決めることだということです。したがって、テレビを見るのもゲームをするのも漫画を読むのも、それがとても楽しく、自分にとって価値があると感じているのであれば問題は少ないと思います。しかし、そこに、ある種の疑問を感じているのであれば一度立ち止まった方がいいかもしれません。

私も、長年の間、ゲーマーとして生きてきました。また、将来、子供達が相応の歳になった暁には再びゲームに回帰していく可能性があります。今でも私はゲームを愛していますし、ゲームに限らず、娯楽というものが人生を楽しいものにする側面があると信じています。

二つ目は、新聞やテレビを見なくなったおかげで、『新聞やテレビを見る人』という情報源を大切にするようになりました。これをきっかけに持ちつ持たれつの関係が一つ形成できたことはいいことだと考えています。また、以前は、新聞やテレビの話題しかできない人を馬鹿にしていましたが、今は、貴重な情報源として、敬意を持って拝聴する心構えを持てるようになりました。こうした変化も、新聞やテレビを見なくなった事の効用として挙げられ、よいことだったと考えています。


【2006/9/27追記】

「青い三角定規」という30年以上前のフォークグループのメンバーである高田真理が、原付で事故を起こし、相手の自転車の女性を1ヶ月の重傷を負わせ、酒気帯び運転の現行犯で逮捕されたそうで、そのことを10日ほど前の『きっこの日記』の『有名税と暴露本』で知っていましたが、その高田真理が自殺したことを、やはり『きっこの日記』の『コイズミ改革はイジメの構図』で知りました。

原チャリで事故を起こして、各局のワイドショーやスポーツ紙に血祭りに上げられてた「青い三角定規」の元メンバー、高田真理さん(59)が、今日、9月26日の午後4時ころ、埼玉県入間市豊岡の12階建てのマンションから飛び降りて、自殺してしまったのだ。身につけていたショルダーバッグの中には、知人あての遺書があり、管轄の狭山署は「飛び降り自殺」と判断した。ようするに、高田真理さんは、マスコミの吊るし上げによって、何よりも重い「有名税」を払わされることになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

【2006/9/28追記】

時々チェックしている『らくちんランプ』ですが、『言論の自由の砦を守った「東京新聞」(安倍新政権にメディア戦々恐々?)』を読み、東京新聞は剛毅な新聞社のようであることが分かりました。

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