2006年 10月 04日

『中国古典からもらった不思議な力』北尾吉孝

投稿者 by vulcan at 00:04 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 1 TrackBack

本書の目的は、『はじめに』に書かれた以下の文章から読み取れます。

本書は、中国古典にいままで接したことがないという人たちに、是非一度は読んでもらいたいという私の強い思いから、若い人たちにも、できる限り関心が持てるような構成にした。
すなわち、
「どうしたら、世俗的な意味での成功を手にすることができるか」
「どうしたら、人生を楽しく充実させることができるか」
といった問題に対する処方箋を、私が中国古典より選んだ聖賢の名言を引用しつつ、私自身の体験を交えて平易に解説するという形にした。
このようなやり方は、中国古典を読むということでは邪道かもしれないが、あえて本書が契機となり、これまで古典とは縁がなかった人たちが中国古典に関心を持ち、次は『論語』へと進んでくれれば、本書の一つの目的は果たせたと言えよう。

北尾氏本人が言っているように、本書のやり方は邪道でしょう。しかし、北尾氏という非常に個性が強く、且つ実績のある人物がこうしたやり方を採るというのは、意義は高いと思います。また、勇気のいることです。敢えて邪道を選んだ北尾氏に対して、『論語』に関心を寄せた私は賛辞を贈りたい思いです。

但し、中国古典をまともに時間をかけて学ぶということに関しては、人それぞれの選択であり、誰しもが中国古典に対する造詣を深めるのがいいとは思いません。中国古典の精神、つまり儒教の精神は持ち合わせるべきであると考えますが、それは感覚的に理解することも可能なわけであり、古典をそらんじるのは、それが得意であり、好きな人が行なえばよく、苦手であり、他に好きなことがある者は、造詣の深い知人を大切にすれば足りると考えます。

そういうわけで、本書で引用された中国古典の名言は、いずれも一家言あるものばかりですが、私が気に入り、以後大切に記憶に止めたいと思ったのは次の一つのみでした(実は、もう一つあるのですが、そちらは『人物をつくる』でも出てきた名言であり、先に紹介した『積善の家に余慶あり』です)。

「一利を興すは一害を除くに若かず、一事を生ずるは一事を減ずるに若かず」

モンゴル帝国のチンギスハンに一目ぼれされた男、耶律楚材のいい言葉です。『十八史略』に出てきます。
当時五十歳を超えていたチンギスハンが、弱冠二十数歳、この「金」の国の王族の血を引く耶律楚材に一目惚れし、宰相として迎えた。そして、それが大宰相になった。
その人が、人間は増やすことばかり考えがちだが、減らすということは大事なことだというのです。
この「進むだけでなく、退くことも考える」というバランス感覚も、仕事を成功させていく上で絶対に必要な知恵として、あげておかなければなりません。

一害を除く方が大事だとも、一事を減ずる方が大事だとも言っていません。あくまでも、一利を興すのも重要だが一害を除くのも重要である、一事を生ずるのも重要だが一事を減ずるのも重要だと言っているわけです。

拡大基調の時というのは、基本的に誰がやってもそれなりに結果は出るものです。もちろん、優れた指導者であれば、好機を無駄にせず、効率よく、飛躍的に拡大させるでしょうから、違いは大きく出ますが。一方、縮小基調というのは、指導者の優劣がはっきり出ると思います。決断を遅らせれば遅らせるほど事態は悪化しますし、過去の成功に引きずられ、あるいは現実を直視できず、結果として決断が鈍りがちです。

えてして絶頂期というのは衰退の始まりですが、絶頂であるがゆえに衰退の兆しが見えなくなります。理屈はなんとでもこねられるものですから、衰退の兆しに対して誤った解釈を行なったり、あるいは、自滅に導くような愚策を、美しい理屈で覆って正当化してしまうことが往々にしてあるものです。

そうしたとき、上記の格言を常に念頭においていれば、目的を見失ったり、自分の器を見誤ったりしないだろうと思いますし、被害を最小限に食い止める決断を即座に下すことができるのだろうと思います。

ところで、本書の中で中野孝次氏について、以下のコメントがありました。

中野孝次さんの本などを読むと、ある程度年をとったら、全ての社交を断ち、静かな人生を送りなさいというようなことが書かれています。
私は必ずしも中野さんの考えに賛同しているわけではなく、年をとったら、年をとった者同士の世界の中で、一つの生き方を見出せばいいと思っています。

これを読み、「おそらく北尾氏も中野孝次氏の『道元断章-『正法眼蔵』と現代』を読まれたのだな」と思い、私が選んだ正法眼蔵の解説書が悪くない選択だったようで、うれしく思いました。

確かに、中野孝次氏の『道元断章-『正法眼蔵』と現代』を読んでいると、中野氏のピュアな心は理解できるものの、少し首を傾げざるを得ないところもままあります。ピュアな心の叫びであり、尊重はするものの、「それほど世の中捨てたものではないのではないか?」と考えてしまうわけです。

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