2006年 10月 05日

自分を刷り込むことについて

投稿者 by vulcan at 16:21 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

多くの人は自分で自分を刷り込むものだと思います。それは、弱さに立脚した刷り込みであったり、申し訳なさに立脚した刷り込みであったり、自己を抑制するための刷り込みであったりと様々な要因があります。達観した方であれば、自分を刷り込むことなど忘れてしまうものでしょうが、そのような人は非常に限られた存在でしょう。

また、多くの人は、無意識に他人を刷り込もうとするものだと思います。やはり理由は千差万別ですが、自分にとってこの人にはこうあってほしいという思いから、刷り込むというのが本質だと思います。

例を挙げるとすれば、女性が、一般に30歳を過ぎたり、あるいは最近では20歳を過ぎたりすると、自分のことを「おばちゃん」と揶揄する場合がありますが、これが刷り込みになっていると思うのです。

生まれて初めて自分のことを「おばちゃん」と揶揄したころは、きっと自分は『おばちゃん』ではないと思いながら、ジョークのつもりで言っているのだと思います。ところが、何度も何度も繰り返しているうちに、周りの人はその人のことを、「自分で何度も言っているぐらいなのだから『おばちゃん』なのだろう」と思うようになるのと同時に、本人も、「周りが自分のことを『おばちゃん』と思っているようだから、自分はやはり『おばちゃん』なのだろう」と思うにいたるわけです。

「自分が『おばちゃん』であるかそうでないかはさしたることではない」と強い心を持っているのであれば、まだいいと思います。繰り返しているうちに他人が『おばちゃん』と言うようになっても動じないからです。

ところが、老いに対する恐怖を持っていたり、若者に対する妬みを感じているとしたら、自分のことを『おばちゃん』と揶揄する気持ちで名乗るのは、それが軽い気持ちであったとしても、厳に慎まなければならないと考えます。

なぜなら、自他共に『おばちゃん』であることを認めたときには、恐怖と妬みが意識を離れて表に出てくるからです。

同様に、自分のことを『おっちゃん』というのも、達観しているので無い限りあまり使わない方がいいでしょう。あるいは「自分は頭が悪いから…」とか、何かと無意味に「すみません」ばかり発言するのも、よくない習慣であり、自分を刷り込むことになると思います。

一方、「ポジティブな刷り込みはいいのか」というと、まだましだと思いますし、何らかの刷り込みをしないと生きていけない場合が多いのでやむを得ません。しかし、それで終わっているとしたら、まだまだだと言うことではないでしょうか。

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kodakara.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/554
コメント
コメントする












名前、アドレスを登録しますか?