2006年 10月 11日

危険な話の終焉を祈って(1)

投稿者 by vulcan at 20:20 / カテゴリ: / 3 コメント / 0 TrackBack

温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』を、連載で取り上げたいと思います。

プルサーマルの是非について、今こそ真剣に考えるギリギリの時であり、佐賀県の方は是非県民投票を実現してください。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

ニュース記事
玄海原発プルサーマル計画:署名活動開始 計画に「待った」なるか /佐賀
プルサーマル計画/県民投票へ署名開始
プルサーマル是非「住民投票を」 玄海原発3号機 市民団体が署名活動
玄海プルサーマル、佐賀県知事が同意

市民運動は冷ややかに眺め、政治や行政には諦観を以って対し、党派や集団を窮屈に感じ過ごしてきた。わが身に降りかかる最後の覚悟は出来ても、子供や、未来の人々の最後を想像するといたたまれない。

4月には佐賀(唐津)の隣り、福岡(前原)で原発の勉強会が開かれたという。同じく長崎では、共産党長崎県委員会の人々が長崎県知事に対し、被曝県として、佐賀県がすすめようとしているプルサーマル原発に反対するよう申し入れた。すでに事前同意の後になるが、遅すぎるのではない。同意の方が早すぎたのだ。

危機感が蔓延し反対運動が活発化しないうちに形だけの討論会を開き、全ての反対や慎重意見をシャット・アウトする。早々に、着々と話を進め、機先を制すれば、人々もそのうち忘れるだろう。これが政治家や行政の手法の一つでもある。確かに万人の意見に耳を傾けていては一歩も進まない。政治や行政を司る人々に理念があるならば、それは時として民意によって否定されるかも知れない。しかし、民意はただ一人の政治家や役人によって蹂躙される。

前文を引用しました。市民運動に参加しない信条の温心堂主人が、隠居に近いような山里暮らしから立ち上がられました。政治に対して不信をもって接するだけではどうにもならない、ギリギリの選択が佐賀県民に迫られていると思います。そして、佐賀県での帰結が、我が国の将来を左右すると考えます。

危険な話 広瀬隆  ー 2006.3月のコラムより ー

1978年のアメリカ映画「チャイナシンドローム」をご存知だろうか。核の暴走による超高熱が原子炉を溶かし去り、地球をつらぬき裏側の中国へ到達するという暗喩がタイトルになっている。この翌年の3月、予言したかのようにスリーマイル島で原発の事故が起こった。

いままで比較的新しい本についてコラムを書いてきた。この本は19年前の1987年出版のものだ。じつは私の住む佐賀で深刻な事態が進行しているのだ。ことは佐賀県だけの狭猥なものではなく地球に住むすべての人や生き物の存亡に関わるのだ。ここで細かく説明する力もないし、あまりにも膨大な内容をどう伝えてよいのか迷っている。大袈裟かどうか末尾に紹介する本を参考にして頂きたい。

原発の議論は環境やエネルギー政策、代替資源などの問題も絡み、危険性のみで論じられないと言う知識人も居るが、それこそが、論点を逸らしたり隘路へ迷い込ませる元になっている。思慮余って明確な旗色を示せない知識人の宿命や弱さを感じる。いつまでも延々と出口なき議論を続けることが彼らの仕事であり喜びなのだろう。

国や電力会社が温暖化防止やエネルギー問題を論点とするのは戦術でもある。一方で、繰り返し安全や事故防止を強調するのは、危険性の認識が十分にあるからだ。危険な話は忌避されるので、情報といえるレベルのものは公表せず「安全、安全、、」と念仏宣伝だけを唱える。それゆえ反原発の学者や市民団体からの情報は貴重なよりどころとなる。

「危険な話」の著者・広瀬隆は家系図や人脈から原子力の陰謀を説く異色の作家であり、氏が与えたインパクトはあまりにも大きく「広瀬は...」と、個人攻撃まで為されるほどであった。原発をやりたい人々のみに降りかかる危険なら何も言うことはない。ここでは、国や電力会社が語らない「危険な話」に絞って書いている。エネルギー問題より先に、これがいま、一番感心を寄せていることだ。

まるで詩のような美しい文章だと感じるのは私だけでしょうか。出口なき議論を続ける時間はもうあまりなさそうです。

さて、佐賀の2月定例県議会で知事は、九州電力玄海原子力発電所3号機でのプルサーマル計画について事前了解を表明した。夕方のテレビを見ると、やや甲高く早口でまくし立てる知事の声に悪寒が走る。まるでイベントでも開催するかのような性急な決定に県民の間から驚きと戸惑いの声が出始めた。地方新聞の意見や読者欄には、未来の子供たちに禍根を残さないようにと慎重を求める声や反対の意見が寄せられる。

佐賀では1975年に玄海原発1号機の運転が開始された。それから30年の月日が流れ、この間いくつかの事故が発生している。原発の耐用年数は30~40年といわれ、いまや老朽化し廃炉を検討する段階に入ったというのに、更に30年間運転を延長する計画が実行されている。原発の危険性は言うまでもないが、耐用年数を超えて原子炉を使い続けることは、更に危険性を引き寄せることになる。

昨年、地震空白地帯といわれてきた北部九州に大きな地震が起こった。このような災害に耐えられる状態なのか不安は膨らむばかりだ。老朽化した1号機で事故が発生した場合、(風速7mの風を想定し...)約1時間で佐賀は死の灰に覆い尽くされる。1時間でどこまで逃げおおせるだろうか?今までの事例からすると発表そのものが数時間遅れるのは間違いない。数時間後には九州一円まで拡散し、3日もすれば日本全土に及ぶ。

このことはチェルノブイリの事故【注】が如実に物語っている。事故の規模が大きくなれば地球の人口の半分が壊滅するほど巨大なものになり、その被害は放射能が消滅するまでおおよそ100年に渡って続くことになる。地球には国境も県境もなく、ひとり佐賀県だけの問題でないことは明らかである。しかし、ここまでは従来の原発の話である。これから佐賀で行われようとする...

プルサーマル計画についての、前振りがここまでです。つまり、上記の問題はプルサーマル計画以前の問題です。プルサーマル計画以後の問題とは一体どのようなものなのでしょうか。

プルサーマル計画は深刻さのレベルが格段に高まる。むしろ異質とでも言うべく困難で危険なものだ。ウラン燃料で稼動している原子炉で、核分裂しやすく反応が加速しやすいプルトニウムを燃やそうというのだ。

これは、灯油ストーブでガソリンを焚くようなもので、いったいどうなるかは、火を見る前に明らかだ。技術の未確立、人為ミス、機器の劣化や損傷、地震による事故など、多くの問題を指摘されても、オウム返しに「国が安全性を確認している」と言うばかりで、そのことが不安を増幅させる。事故により爆発的な反応が起こると1000℃、2000℃の高温を容易に超え3000~4000℃に達し、5000℃になることもあるという。これに持ちこたえる物質がどこにあるのだろうか。大地を突き破り地球の裏側まで溶かしつくす、チャイナシンドロームが現実のものとなるのだ。

電力会社や県は「いまもプルトニウムは燃えています」と多額の費用を使って広告を出すが、必然的に発生するものと、それを集めて燃やすのとでは事の重大性が異なるのだ。文言は明確に記憶していないが「あなたはゴミを棄てますか?プルトニウムの再利用..」という広告をバスにまで貼り付け走らせている。所在地さえ曖昧にしか知られていない片田舎・佐賀での出来事だが、地球の危機へと一歩踏み出してしまったのではないか。

危機感を抱いた市民運動家が全国から集まり県庁を囲んで抗議行動を起こし始めた。抗議文を手渡そうとしても知事は応対せず、環境部門の担当者が伝えておくと返事をするばかり。議会では、質問する反対派議員をして「知事は聞く耳を持たない」と嘆かせるほど無力感がみなぎる。

知事にここまでの力を与えたのは誰なのだ。私はもともと政治には疎く、まして市民運動の類に参加することはなかった。それどころか左翼の一部の人々に対して、行政や社会生活を混乱させる趣味的活動ではないかと揶揄したことさえあった。しかし、こと「プルサーマル計画の反対」については全面的に支持し、出来ることがあればデモにも署名にも必要があれば資金カンパにも協力したい。

新聞で読んだ意見では、県主催の説明会には電力会社の関係者が動員され、説明にも納得がいかず反対の声が多かったという。にも関わらずアンケートでは、逆に関係者の思惑が反映する結果となっている。3回の説明会で集った人は、のべ2000人くらいで、県民の1%にも満たない。一般に向けた電力会社側の説明は新聞などによる頼りない安全宣伝ばかりだ。

多分、知事も関係者も真の危険は熟知しているに違いない。「国策だから...」という知事の言葉には政治家用語でいわく「断腸の思いでの決断」が読み取れなくもない。あるいは、邪推になるが知事候補に上がった時点で、落下傘部隊として国から使命を負わされたのかも知れない。

危険な話の終焉を祈って(2)

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コメント

Vulcanさま。RSSリーダーで日々記事のチェックをしています。このたびは、私の記事を取り上げていただきありがとうございます。今日も開店前にご近所を回り署名をいただきました。結末はおおよそ知れてはいますが、「宝くじ」を買ったときのように当ることを夢見て、目下の不安を紛らわしています。スリーマイル島やチェルノブイリで起こったことは何処でも起こる可能性があります。起こらぬことを祈るしかない核技術を信頼することは出来ません。いま北朝鮮の核実験で放射能の観測が続けられています。北朝鮮を非難しながらプルトニウム40t(核爆弾5500発分)を抱える日本の悲劇を知る人はどれほどいるでしょうか。

投稿者:  Kohda   at 2006年10月12日 09:47

ありがとうございます。
温心堂主人のことはいつも思っております。
「日本も捨てたものではない」とご主人が確信を持てるような世の中が到来することが私の夢です。

投稿者:  Vulcan   at 2006年10月12日 10:47

It’s onerous to find knowledgeable individuals on this matter, however you sound like you already know what you’re speaking about! Thanks

投稿者:  Blackjack   at 2011年02月11日 13:45
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