2006年 10月 20日

危険な話の終焉を祈って(3)

投稿者 by vulcan at 00:24 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

三たび、温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』から引用します。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

危険な話の終焉を祈って(1)

危険な話の終焉を祈って(2)

原発は「トイレのないマンション」とも言われ、その廃棄物の処理や管理に危険と困難と多額の費用を要する。それでも克服されることのないのが核物質である。原発に一歩踏み出したときからこのことが運命付けられたのだ。

この計画がしたたかに生き延びていくのは、広島型原爆3万発分ともいわれる核廃棄物の処理のためでもある。先に述べたように原発が稼働する限り廃棄物の発生は避けられず、原発を止めても残った廃棄物の処分と管理が待っている。原発を巡り巨額な金が動くと利権も生まれ、そのことが止められないもう一つの理由かも知れない。

公共事業に見られる構図は定着し、政治や行政、国策といわれるものの不透明さが透明に浮かび上がる。既に述べたように原発は再処理、廃棄物対策といった一連の経費とともに、税金による地域振興策がセットになっている。こういうことでしか国の政策や経済の存続が出来なくなってしまったことは私たち皆が受け入れなくてはならない。政治への不満や希望は熱く語るものの、いざ選挙では馴れ合いの一票を投じる。この行動が積もり積もった結果ではないか。

3/23日、ついに議会までもが知事の同意を容認し、「プルサーマル計画を慎重に推進」という決議が34:3(退席2)で採択された。知らないうちに、知らせないうちに、知らせたら困ることが進行していく。公には県民の意見を...と言いながら、もっとも大事なことは強権を発動する。すでに、2/21日地元の町長は、路線どうりの行動か、と思わせるほどあっさり同意を表明した。「国がやることだから間違いないでしょう...」と、町の人の声をテレビが伝える。

事故が起これば町は壊滅し、それだけでは済まない。この計画に熟慮が必要だろうか。やめることで得られる未来の保障をなぜ目指さないのか。こんなことに金を使うくらいなら新幹線や干拓や高速道路に注ぎ込むほうがはるかによい。

自分たち役人がババを引かないように、現実を直視せず、問題を塩漬け、先送りにし、責任を回避しあい、身内をかばいあう姿が目に浮かびます。

添加物、農薬、ダイオキシン、環境ホルモン、狂牛病、、、危険な話は後を絶たないが、個人の努力で回避可能なものはまだ救いがある。

核は人類の存続に深刻な問題を投げかける。兵器はもちろんだが、原発によって生み出された世界中の核物質が人類の終焉を決するかも知れない。

就任後間もない頃のある休日、人通りの少ない歩道を歩るく知事を見かけた。多分、愛娘であったに違いない。子供の手をとり、買い物の袋を下げた姿に親近感を覚えた。この平和な光景と、いまに至っての決断との乖離に茫然としている。世界の人々や子供の未来を考えた上での同意だったのか。

「技術や費用、電力需要の問題で実現は困難だろう」という学者や識者の話もあるが、そこに行き着くまでの安全に不安があり、見切り発進も懸念される。政治に対する無力感...「どうせ世の中こんなもの」と悟っても、諦めに徹することはできない。なにか私にできることはないだろうか、神よ知恵を与えたまえ。

温心堂主人の決意のほどがよく分かります。とにかく温心堂主人の役に立ちたいというのが私の希望です。以下、追記部分を連続して引用します。

【追記.1】

3/24日、この草稿を書き上げた日に北陸電力志賀原子力発電所2号機(石川県志賀町)をめぐって一つの判決が下った。今月15日に営業運転を開始したばかりの2号機だが、大規模な地震などの自然災害が懸念されるなか、電力会社の想定を超える地震があれば、いまの耐震設計では事故が起こり、被曝する具体的可能性があるとして運転の差し止めが命じられた。

夕方のテレビで歓喜に沸く原告の人々に心から拍手を送った。一方、地元町長は憮然として「意外な判決だ..」といい、電力会社は「予想外、不当判決..」などのコメントとともに直ちに控訴を表明した。危険を指摘されながらも運転をやめるつもりはないらしい。

結審までいったい何年を要するのか、最高裁の判断が出ても不当判決と言い続け居直るのが通例である。災害は明日にでも起ころうというのに恐ろしい話だ。この間、電力会社や国はどのような対策、作戦を巡らすのかその心配もある。

原発を受け入れた地元にはこれまでに約177億円もの交付金が支払われ、小中学校は改修され、道路整備も進んだという。のみ込んだものを吐き出すわけにもいかぬ町の苦悩はわかるが、命の値段は金には代えられない。

願わくはこの判決が神風となり、佐賀のプルサーマル計画が頓挫すればいいのだが。佐賀でも判決は大きく取り上げられ、テレビで地元町長と知事のコメントが流れた。町長は「意外な判決だが、安全は確保されなければならない」といい、知事は「国の意向をお伺いして...」という。

【追記.2】

3/26日、ここ数日の動きはめざましく、大きな出来事が続いた。まさに間髪を容れずに事が進行する。周到に計画されたタイムテーブルに沿ったものであろう。

この日は休日ともあって、県内各地で春の行事が催され桜も見頃を迎えた。朝9時から午後3時までの6時間の間に県や国の命運を左右することが行われた。知事はついにプルサーマル計画に正式に同意したのだ。国から大臣を迎えて原発を視察→安全宣言→会議→県庁で電力会社へ同意書を手渡し→記者会見。

結果は解っていたが、テレビ、ラジオを傍らに置き固唾をのみ見守った。まさに分刻みのスケージュールで6時間。反対派の市民団体は抗議を続け、署名を手渡そうとするが職員に阻止され知事には届かない。涙ながらに訴える女性の姿が痛々しく、従来の反原発には見られない危機感がつのっている。この日の出来事は夜のニュースのトップで伝えられる。そして翌日も、同じようにトップで扱われ佐賀新聞では数面を割いて記事が載せられた。

ここに来て、やっと県民は「プルサーマルとは何ぞや?」と気づき始めたのではないか。未来を担う子供達は知らないし、大人でも事の本質を知る人は少ない。「放射能は危険だが管理をすれば大丈夫」というていどで、当局の流す情報以上のものを得た人は少ない。

県境で事故が遮られるわけではなく、直ちに影響を被るであろう福岡、長崎の人々の関心はいかばかりであろう。このような人々の上にある日突然、死の灰が降り注ぐ。そのときどのような覚悟が出来るというのだ。

国や電力会社も安全や事故防止ということを最重要課題としている以上、危険の認識は十分あるものと思われる。反対派も同じ認識なのだ。同じ認識で何故、相反する行動に分かれるのだ。危険という共通の認識から、知恵を出し合い新たなエネルギーの模索は出来ないのだろうか。新聞には、「反対している人々に何度説明しても同じだ」という知事のコメントが載った。

【追記.3】

3/28日、追記.2までと思っていると、三たび原発についての大きな動きがある。異様に動きの激しい一週間である。

四国電力が伊方原発3号機(愛媛県伊方町、出力89万kw)で導入を目指しているプルサーマル計画の実施を経済産業省が許可した。これでプルサーマルの実施許可は、関西、東京、九州電力の計5基に続き、6基目となった。これから運転開始に向けて地元の同意を求める手続きに入るだろう。

このままいけば、佐賀と同様の経過が予想され、さらに電気事業連合会の計画では2010年度までに全国で16~18基のプルサーマル導入を目指しているという。佐賀、愛媛より早く許可が降りた関西電力の高浜3・4号機と、東京電力の福島第一3号機、柏崎刈羽3号機は、燃料のデータ改竄やトラブル隠しといった不祥事や事故などで、地元同意が白紙または凍結となっている。

国と業界の計画がここまで驀進すると、私が抱いている危機意識そのものが滑稽に思えてくる。一人の力は取るに足りないとして、幾万の署名を集めても権力を持つ一人にはかなわない。最近の政治や社会の動きは性急で強引だ。

我が国は一体どうなってしまったのでしょうか。世界の原発実験場と化そうとしているというのでしょうか。

【追記.4】

3/28日、まったくなんということだ。青森県六ヶ所村の再処理施設が稼働を始めることになった。ネットで見た地方版では「課題残し見切り発車・核燃再処理試運転同意」という見出しで...知事が試運転開始に同意を表明し、29日にも調印し、試験は31日にも開始されるという。国内初の商業用再処理施設として2007年8月の操業を目指し未知の領域に踏み込むことになった。

ウランの燃焼で生じる危険なプルトニウムの処理のため、それを集め再利用するというのがプルサーマル計画である。このための処理を六ヶ所村で行うことになる。再処理はプルサーマル以上に安全性に問題があるといわれている。約1万基の機器と総延長約1300kmの配管を持つ施設でわずかな不具合も許されない。その上、処理のどの工程に於いても事故発生の危険性が指摘されている。

もし、六ヶ所村の工場でフル操業時に臨界爆発が起これば、地球の半分の生命が無くなるほど巨大なものであるという。これほどまでに危険を冒し再処理した燃料を燃やしても、再びプルトニウムが発生する。原発の運転が続く限り、いつまでもプルトニウムを含む放射性廃棄物は無くならない。

技術や費用の問題などから、核保有国のアメリカでさえ再処理を断念している。また廃棄物の最終処分場はいまだ決まらず結果的に六ヶ所村で保管をすることになるだろう。

地層処分の計画もあるが、地震列島の日本で実現が可能かどうか疑わしい。再処理工場が稼働することで施設から高レベルの汚染物が発生し、使用済み核燃料に溜まった放射性物質やガスが一定量放出されるため、環境への影響も避けられない。

安全協定の締結が申し入れられるというが、実質的な安全は確保されず、ただの約束に過ぎない。仮にこの計画が頓挫したとしても、施設の解体や放射性廃棄物の管理に要する費用(バックエンド)も莫大なものになり、進むも泥沼、退くも泥沼の状況だ。税金が上がるはずである。

3日前まで...佐賀県がプルサーマル計画に同意すれば青森の再処理施設の稼働が始まるとして、青森の市民団体も反対運動に参加していた。エネルギー問題は人類の生存のために必要不可欠のものである。

確かに反原発の人々も電気を使っている。「イヤなら電気を使うな」という乱暴な議論もあるが、そのエネルギーが生存を脅かすならそれはもはやエネルギーとはいえないのではないか。私はこの同意で茫然鬱々となる。

しかし、青森に迫り来る事の重大さと緊急性は佐賀の比ではない。事故が起これば遠く北国の出来事では済まず日本各地や近隣諸国への影響は必至である。新聞に記された青森県幹部のコメントは「やっとここまで来た、年度末で区切りもいい」とのこと。何回読み返しても喜んでいるように見える。

NPO・原子力情報室の談話は「再処理工場の運転で結局、青森県が困ることを知事や県幹部が自覚していないことが悲劇だ」と...もし、取り返しのつかない事故が起こった時、この一週間の出来事が走馬灯のように蘇るであろう。臥薪嘗胆、次の選挙ではこのことを忘れない。

【追記.5】

3/30日、佐賀新聞は、九州電力玄海原発のプルサーマル計画に県が同意したことで、総額60億円の「核燃料サイクル交付金」が県に給付されることを一面で伝えた。同意から4日目である。

地域振興として原発を誘致することで数日のうちに巨額な金を手にする。交付金は県に支給されるため、地元の玄海町や唐津市が分配を要請しているという。言い換えるなら「オレにも分け前をよこせ」ということに他ならない。

真っ先に迷惑を被る唐津では農漁業者や観光業者を中心に反対運動が続いている。住民を馬鹿とでも思っているのか、政治家や役人のこの軽さに虫酸が走る。新聞記事は「交付金をあてにして事前了解があるわけではない」という知事のコメントで結ばれていた。

噂によると唐津地区では核廃棄物の最終処分場を誘致する計画まであるといわれる。危険と引き換えに得た金で地域の人々が幸福になれるとは思えない。得たものの代償は、後に大きなツケとして負わねばならない。そのための交付金ではないか。

「危険な話」が出版された1987年以降、大きな事故はなかったが、あわや大事故につながりかねない数々の事故は起こった。その都度、「このようなことが二度と起こらないように万全の...」と判で押したような会見が開かれ、再び、三たび..と起こっている。「万全の安全対策..」という人々と、「危険な話」とどちらに分があるだろうか。

【追記.6】

4/12日、再処理はプルサーマル以上に困難と危険を伴うといわれているが、早速、事故が発生した。

日本原燃は12日、試運転(アクティブ試験)中の青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場内にある前処理建屋の小部屋内で、プルトニウムなどの放射性物質を含む水、約40リットルが、11日未明に漏れたと発表した。

原燃によると、小部屋は厚いコンクリートで密閉されているため外部への放射線の影響はないという。3/31日の試運転開始以来、初のトラブルになるが、原因は作業員のミスだという。報告が一日以上も遅れた理由として「軽度な漏洩だったから..」と説明している。

軽度な事故が次の大きな事故に結びつくことはしばしばあるし、軽度という判断は今だから言える話に過ぎない。仮に大きな事故が発生した場合、一日はおろか一分の遅れさえ大惨事につながる。大事故が起こっても1日後に報告するのだろうか、そのときは報告する人も、報告を聞く人も、この国も惨憺たる終末を迎えていることだろう。

グリーンピースJAPANの情報では、六ヶ所村の工場では通常の運転でも大量の放射能を排出し、その量は1日で平均的な原子力発電所からの1年間分を超えるという。フランスのラアーグ再処理工場周辺では、小児白血病の発症率がフランス平均の約3倍にのぼるという報告がある。

日本原燃は、再処理工場周辺の健康被害について「ご安心ください。最良の技術で安全確保に努めます」と宣伝しているが、クリプトン85、炭素14、トリチウムは処理技術があるにもかかわらず、その全量を放出するとしている。

驚くべきことに経済的理由で意図的に垂れ流し、大気と海水で薄めようというのだ。実際に巨大な排気筒からは、クリプトンをはじめとしてトリチウム、ヨウ素、炭素などの気体状放射能が大気中に放出され、六ヶ所村沖合3kmの海洋放出管の放出口からは、トリチウム、ヨウ素、コバルト、ストロンチウム、セシウム、プルトニウムなど、あらゆる種類の放射能が廃液に混ざって海に捨てられる。

安全広告と毒物をセットにして垂れ流す神経は尋常ではない。電力を原発に依存するかぎり、直ちに停止出来ないと言うが、2003年、東京電力の事故隠しを端に、点検のため17基の原子炉を一斉に停止する事態に及んだ。大停電が懸念されたが、その夏、節電の啓蒙が行き届いたこともあり何事も起こらなかった。原発がなくても大丈夫という思いを強くしたものだ。

危険という認識があるなら知恵を結集し、一刻も早く別の方策を模索できないだろうか。光ときれいな水と空気、そして食物があれば人は生きていけるのだ。明るすぎる夜景、24時間営業のコンビニ、効き過ぎる冷房など...少しの不便を我慢すれば、いくつもの原子炉を廃炉に出来る。

原発に経済的依存があるなら、バックエンド費用だけでも事業として成り立つではないか。また、原発に代わる新たな公共事業を提案しても良い。日本中の海岸を埋め立て道路や新幹線を引くというのはどうだろう。あるいは、汚職や談合でも一向に構わない。「危険な話」が終わるなら..

危険な話の終焉を祈って(4)

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