2006年 10月 29日

『武士道』新渡戸稲造

投稿者 by vulcan at 07:36 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

『いま 新渡戸稲造 武士道 を読む (サムライは何を学び、どう己を磨いたか)』志村史夫(三笠書房)
『武士道』全文を載せているわけではありませんが、志村氏が現代に必要なエッセンスを抽出してくれており、初学者にはお勧めの解説書だと思います。武士道の本質を容易に理解することができ、先にこちらを読んでおけば、後日『武士道』全文を読んだときに覚える多少の混乱を防いでくれると思います。

『(人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える) 武士道』新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説(三笠書房)
『武士道』の訳者として奈良本辰也氏は有名と思われ、確かに注が非常に詳しいと思います。『武士道』は、欧米人向けに『武士道』を紹介する目的で書かれているため、欧米の偉人を多く登場させながら『武士道』へのなじみやすさを演出していますが、我々、特に現代の日本人にとっては、こうした欧米の偉人が登場することは、返って分かりにくくなることもあるため、詳細な注を付した本書は、『武士道』を初めて全文読むには最適な書と言えるかもしれません。解説自体は7ページほどで、「注こそ解説」といえるのかもしれません。

『(いま、拠って立つべき”日本の精神”) 武士道』新渡戸稲造著、岬龍一郎訳(PHP文庫)
全文の訳文と解説という構成であり、奈良本辰也氏の本かこちらかのいずれかを読めば十分だと思います。注のボリュームは少ないですが、最小限の注は付されています。奈良本氏の訳本の場合、注の存在により、あちこちで流れを分断して注を読みふけるという読み方となるのに対し、岬氏の訳本の場合は、本文中にカッコ書きで最低限の注を付すに止めていることが多く、読書の流れが切られずに快適かもしれません。また、解説は20ページに及び、なかなか当を得ている解説で、一見の価値があります。

さて、新渡戸稲造の『武士道』には、引用して解説を試みたい箇所が何箇所もありましたが、そうすることで、最も伝えたいことが薄れてしまいますので、次の一節を引用するのみとします。

私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、しばしば決疑論に屈服したのである。それは非難を恐れる臆病にまで堕落した。スコットが愛国心について、「それは最も美しきものであると同時に、最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いていることを、わたしは義理について言いうるであろう。「義しき道理」より以上もしくは以下に持ち行かれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。

「正義の道理」の絶対命令に基づいた義務であった義理が、決疑論(詭弁、こじつけ)に容易に屈服し、非常に堕落しやすいものであり、また、卑怯者の巣と化しやすいものであることには、非常に留意しなければならないと思います。
義理なら何でも尊ぶ、何でも重んじるというのは、義理を大切にしているとはいえません。「正義の道理」に適っているならば義理を重んじ、「正義の道理」に外れた義理を要求された場合には、それをはねつけることが義理を大切にしていることになると思います。

それにしても、スコットの愛国心についての言葉は、「なんともまあタイムリーな表現だ」と思うのはわたしだけでしょうか。


『武士道』は確かに今読まれるべき書物だと思います。

現代の日本人にとって、最も足らないものは信念だと思います。信念が何もないので、正邪善悪、つまり、何が正道なのか、何が邪道なのかが分からなくなり、また、何が善なのか、何が悪なのかも分からなくなるのでしょう。また、差別と区別の違いも分からなくなるのも信念が一本通っていないからだと思います。

『武士道』は、100%受け入れるべき書物ではないと考えますが、信念を持つきっかけとなるようないろいろな学びがあると思います。そして、何を受け入れるべきか、何を拒否すべきかは、人それぞれ、また、そのステージによって違いますが、そういうことを考えながら読み進めると、非常に有意義になると思います。

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