2006年 11月 19日

『正法眼蔵』勉強会参加報告(2)

投稿者 by vulcan at 08:24 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

金曜日に再び勉強会に参加しました。質疑応答に多くの時間が割かれ、その中で、「自己から学ぶのではなく、自己を学ぶ」ことが学びの在り様だと聞きました。自己自身を学ぶということは「非常に個人的な問題」であり、「(知的なやり取りの)勝ち負けではない」とも仰っていました。

学びとは非常に個人的な問題であり、意見を戦わせてどちらが優れた教えかを競っても意味がなく、釈迦も「あなたはこうした方がいい」というように、個別のアドバイスを中心に据えていたそうです。

よく私は、人はどう生きるべきかとか、日本はどうあるべきかとか、そんな感じで普遍的な真理(在り様)を追究しようとしていますが、同時に、そうした普遍化とか抽象化とかをしていると、矛盾を感じたり、矛盾を無視すれば偽善となるように思って悩んでいました。

そのような普遍化、抽象化も大切なテーマかもしれませんが、もっとその前に個人的なことに目を向け、人それぞれの異なる事情に立脚し、それぞれのステージにふさわしい解決法を探るべきなのかなと思いました。

勉強会に参加してきたばかりの今はまだ、結論を出すには早計であり、これからよく考えてみたいと思います。但し、なんとなく気が楽になったことだけは確かです。

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コメント

> 管理人様

先日はお疲れ様でした。
まぁ、当日は質問への回答がほとんどになってしまいましたので、却って分かりづらかったかもしれません。反省です。

ところで、仏教の学びとは、「○○より分かっている」とか「○○より勝れている」とか、そういった「比較」をしても無駄で、あくまでも自分の問題として、理解できているかどうかが問題になります。ただ、ここで注意が必要なのは、理解の可能・不可能を判断するのは、本人ではなくて、あくまでも「仏法を体現し、そのことをさらにその上の師から認められている指導者」ということになります。そうしませんと、我見が先になってしまいますので・・・

とりあえず、ご不明な点はメール等でご質問いただければ幸いです。

投稿者:  tenjin95   at 2006年11月19日 12:59

くりのみ会にご出席ありがとうございます。
今回は、質疑の時間が多くなりましたが、その時その時で、ご参加の皆さんが納得できるところで進めていきたいと思います。

どうぞ、vulcanもご遠慮なく動いいただけたら幸いです。


「勉強会に参加してきたばかりの今はまだ、結論を出すには早計であり、これからよく考えてみたいと思います。但し、なんとなく気が楽になったことだけは確かです。」

とのコメント、主宰者としては大変嬉しく思います。

「くりのみ会」は、恩師の命名によります。
「学び」は一人でもできるが、「習い」は気のあった仲間が必要である。
人間は、良い悪いに関わらず知らず知らずのうちに「くせ」や「性格」等を身にまとっている。
「栗の実」が、毬や渋皮に保護されているの似ている。
本当の自分(栗の実)に直面し気づくには、どうしても多とのふれ合いが大事になる。
との説明でした。

まあ、そんな訳で、小さな会ですが継続することを大事にしながら、1993年から学習会を続けている次第です。

今後とも、よろしくお願いします。

もう一つの「教育とカウンセリングコース」もあります。
一度、覗いてください。

学習会の翌日から、ひどい風邪(今年の風邪はお腹にくるのでしょうか?)でダウンして、コメントが遅くなりました。

また、来月お会いしましょう。

投稿者:  くりのみ   at 2006年11月20日 09:43

勉強会で学んでいくと「〔今まで持っていた自分の基準〕を手放せ、手放せ」って言われてるみたいです。
その代わりになるような基準が単純に「これだよ」って示されることもないので、難しいです。(_ _;
身近な問題にあたる時、今まで自分だけの観点で判断しがちだったのが、
自分を含めた皆が持っている感情や悩みを考えてみるように
なったのがちょこっと進歩かもしれません。(^-^*

投稿者:  メグテキ   at 2006年11月23日 10:58
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