2007年 6月 28日

飯田史彦先生

投稿者 by vulcan at 22:50 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

さて、最近読んでいる本として、飯田先生の書籍について感想を書こうと思い立ったのですが、昨日は、書く前に飯田先生のホームページに立ち寄ったところ、『小さなドラマティックストーリー』というのがあり、思わず読みふけってしまいましたので、とうとう書けずにいました。

それで、今日は書くのかというと、その『小さなドラマティックストーリー』の記事について、書きたくなりましたので、今日も感想文は書かないことになりました。

『小さなドラマティックストーリー』には3つのお話があるのですが、その中で最も興味を持ったのは、飯田先生の前世に関する記事です。そちらに訪問しない人のために簡単に解説しますと、以前、飯田先生をどうしても守らなければという義務感を持った男性が現れ、何度か、必要も無いと思いますが、ボディーガードを買って出たそうです。本人もどうしてそういう義務感を持つのか理解できず悩んでいました。そして、その方が、思い余って、飯田先生を良く知る奥山先生のところで退行催眠による前世療法を受けてみたところ、飯田先生の過去世を知ってしまったというお話です。

記事によると、その男性は、「しんさく」という名前の前世だったようで、詳しく当時の状況を思いだし、その方が高杉晋作であることが判明しました。そして、飯田先生が吉田松陰であったことを確信したのです。

本人は、人の過去世を勝手に覗き込んだと罪の意識を持ったため、そのことは飯田先生に報告しませんでしたが、奥山先生が、あるとき「飯田先生の過去世を知ってしまった人がいる」と伝えたところ、飯田先生はピンと来て、その男性に詰め寄ったところ白状したということです(笑)

私は10月20日の『「導かれているな」という感覚』のときに吉田松陰を初めて意識し、その後、『正法眼蔵』の勉強会の世話役のSさんが吉田松陰のゆかりの家で大学時代に下宿していたと聞いてうらやましがり、更に吉田松陰について興味を持ってその生い立ちを調査していた時期があり、また、私の個人的な名刺を作成した折、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」を座右の銘として彫るに至り、正直ほれ込んでいました。

また、吉田松陰がわずか29歳で亡くなっているにもかかわらず偉大であったことに驚き、更に5歳で家を継ぎ、10歳で藩校明倫館の兵学教授として出仕していたことを知って、驚きを通り越しました。

当時は、全く理解を超える衝撃としか言いようがありませんでしたが、飯田先生の本を読んで『生まれ変わり』を事実として認めた場合、よっぽど高レベルな魂の生まれ変わりであれば、そうしたことも肯けると思いました。そして、その飯田先生こそが吉田松陰の生まれ変わりであったと知って、二度びっくりしたわけです。

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