子供と触れ合うのは、平日は朝の15分ぐらいで、あとは週末しかなく、それでは週末は思いっきり触れ合っているのかというと、結構そばにいるだけであまりかまってなかったりします。
もちろん、本を読み聞かせたり、一緒に出歩いたり、一緒に食事をしたり、抱っこしたり、遊びに付き合ったりもするのですが、基本的に自分の興味のあることしかしない私という人間は、相手が子供であろうが、仕事であろうが、そのスタンスはかわらず、時にはでくのぼうのように子供のそばで突っ立ってるだけというときもあります。
ところが、私のとって、子供の存在は非常に大きい。
そんなことを言うと、普段本気で子供と遊んでない姿を見ている家内から白い目で見られそうですが、子供の存在の大きさと一緒になって遊ぶ本気度とはなんら関係のないことだと思ったりします。
最近私が思うことは、次のことです。
私は、平日15分しか子供と接することができませんし、時々三日ほど子供が起きる前に出社し、帰宅は当然寝ているときですから、顔をぜんぜん合わさないこともあるのですが、それだけに子供に対する思いが募るわけです。
仕事をしている間中子供のことを考えているわけではないですが、出社前に子供のことを考えると、「よし、今日もがんばろう!」と気合が入ったり、ちょっと一服しているときに子供のことを思い出して幸せな気分になったり、要するに毎日がんばれるのは子供のおかげであり、私にとって子供の存在が非常に大きなモチベーションになっていることに気がつくわけです。
そんなわけで、子供というのは、いつも私の近くに存在しており、私の中に存在しています。裏を返せば、子供にとっての親も同じなわけで、私のことを思ってくれています。「これは父ちゃんの分ね」といってとりおいてくれていたおやつを見るにつけ、そのことを実感します。
子供にとっても、親はいつも身近に存在しているわけで、「これでいいのだ」とバカボンのパパになっちゃうわけですね。