2010年 5月 17日

不惑となって

投稿者 by vulcan at 02:07 / カテゴリ: / 1 コメント / 0 TrackBack

朝日インテックに入社して1年4ヶ月が経過しました。あっという間に1年が過ぎ、また、4ヶ月が過ぎました。この間、一度も「辞めたい」と思ったことはなく、というか、毎日「いい会社に入社できて本当に良かった」と思う日々が続いています。「名古屋に戻ってきて本当に良かった」と心からそう思います。

前職では毎週のように「辞めたい」と思いながら歯を食いしばった1年半でしたし、前々職でも、年に2度ぐらいは、「もう辞めるか」と思いながらの7年でしたが、朝日インテックは「死ぬまでこの会社にいよう」と思えます。

そんなわけで、毎日、全力を尽くして仕事に当たっているため、ブログの更新もしている暇がありませんでしたが、NamePが更新を再開したと聞いたため、私の方も時々更新することにしました。

さて、先日、不惑の誕生日を迎えましたが、その前日、取締役会にて昇格の決議をしていただきました。世間で言う課長職に晴れてなれたというわけです。入社1年ちょっとで、早速昇格していただき、心から感謝しています。以下は、その際に取締役会にて述べた所信表明です。終始精神論で、仕事の話は全く出ておりませんが、仕事の話は別途『昇格論文』に記述しましたので、あえて精神論で踏襲しました。

私は、これまでに転職を三度も経験しておりますが、昇格は初めての経験であり、喜びも一入であります。

既に四人の子供を抱え、間もなく五人目を迎えようとしているなか、養うべき家族は着実に増えておりますが、仕事の足場がなかなか固まらず、「おじいちゃんに合わせる顔が無い」と、祖母にこぼされたこともあります。そのように、二人きりの時には、私の目を開かせるための手厳しい一言もありましたが、普段の祖母は、私の置かれた状況がどんなに芳しくなくとも、常に最後まで私の味方でいてくれ、いつかは私の芽が出ると、固く信じてくれていました。

そんな祖母を始めとして、入社時の身元保証人を引き受けてくれた家内の父や、私の人となりを理解してくださった何人かの恩師、更には、今は亡き祖父が、私の将来に対して太鼓判を押してくれていたからこそ、何度も挫折を味わいながらも、本日まで己を信じる力を失わずに済みました。

また、家内や両親を始めとした周りの方々が、鼻っ柱の強すぎる私に愛想を尽かさず、気にかけてくださったことに対して感謝しております。皆様の辛抱強い助言によって、ようやく私も人並みの気配りができる人間になれ、本日、晴れて昇格の決議をしていただきました。

私は、長年、自分を乗りこなし、且つ私が理想とする会社を求め続けておりました。ふるさとの名古屋に戻ることで運が開けたのか、祖母の御百度踏みのお陰もあり、朝日インテックという最高の会社に巡り合え、活躍の場を頂きました。

そのようなわけで、明日は私の四十回目の誕生日でありますが、お蔭様で不惑を目前にして足場を固めることができました。

かくなる上は、持てる力を全て出し切り、ご恩に報いる所存でございますれば、何卒、存分にお引き回し下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。
皆様、本日は誠にありがとうございました。

2008年 1月 26日

新部署設立に向けて

投稿者 by vulcan at 00:40 / カテゴリ: / 11 コメント / 0 TrackBack

今の会社に入って8ヶ月が経ちました。相変わらず忙しいですが、嬉しいことがあります。それは、新しい部署の新設を許可されたことです。

「ITに特化したい」

これが私の願いでした。それをようやく確信することができました。

これまで、

(果たしてITに特化できるだけの技量があるだろうか?)

という不安を持っていたため、煮えきることができず、結果的に、【何がしたいのかがよく分からない】器用貧乏な位置づけに甘んじていた(安住していた)ように思います。

自分自身、何ができるのか、何がしたいのか、それがよく分からなかったために、【存在理由】のカテゴリーを設けて自問自答してきたように思います。自問自答しだしてから18ヶ月、37年目にしてようやく進むべき道が定まりました。不惑を前に定まって良かったです。

さて、以下の文章は新たな道を歩みだす門出に、つまり部署の新設に当たって、練りに練った綱領の序文です。ここに決意を表明し、不動のものとしたいと思います。

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支柱となる精神(神への誓い)

【設立趣意】
IT戦略推進室は、己のIT技術の向上と、それによる社会への貢献を志す者に対して、切磋琢磨を促し、自己を超越させる最適な修練の場として誕生した。
かような職場を守り、増大させることは、志を同じくする後進への義務である。我々は、収益の拡大、内部統制の強化、セキュリティの向上に資するため、次の使命を果たす。

【使命】
IT戦略推進室の使命は、情報と技術の精鋭集団を形成し、IT戦略・経営戦略の推進、及び全社的なIT武装化を図ることにある。

【基本精神】
『学ぶ価値のある知恵はすべて学べ 学んだ知恵を活かして行動せよ』

【理念】
我々はエレガントさを追及する。そして、我々のエレガントはアジャイルである。

【約束】
チームワークを優先し、個人プレーに陥らない。チームの勝利に勝る達成感はない。

アジャイル:経営環境の変化に迅速に対応できる柔軟な情報システムや、効率的なシステム開発手法

2008年 1月 06日

読書感想『ブレイクスルー思考』

投稿者 by vulcan at 10:36 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

飯田史彦先生の『ブレイクスルー思考』を読み返しました。今回は、数々の飯田先生の著書を読んだ後での読み返しでもあり、また『転生の秘密』を読んだ直後だったこともあり、初回に読んだときとは違う感覚で読むことができ、有意義だったと思います。読書感想文を書く前に、ブログにて感想を整理しておこうと思います。

ブレイクスルーをもたらす五つの仮説

仮説1「人間の本質は、肉体に宿っている意識体であり、いわば研修所である物質世界を訪れては、肉体をまとって生まれ変わりを繰り返しながら成長している」

仮説2「人生は、死・病気・人間関係などのさまざまな試練や経験を通じて学び、成長するための、修行の場であり、自分自身で計画したものである」

仮説3「宇宙には、因果関係の法則が働いている」

仮説4「人間は、自分の成長のために最適な両親(修行環境)を選んで生まれ、夫婦や家族は、過去の人生でもそうであったように、未来の人生でも、夫婦や家族として身近に生まれ変わる」

仮説5「全てのことには意味や価値があり、全ての試練は、予定通りに順調な学びの過程である」

『転生の秘密』を読んだ今、仮説5に関しては一定の留保を求めますが(例外的な全くの偶然もあるにはあり、本書でもそれをブラックボックスとして片付けようとしています。また、学びを目的としている可能性は高いものの、カルマとして捉え、考察し、自省すべき場合も多くあります。)、その他の仮説は既に自分の中では公理(論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。)だと思っています。

人生計画の方法

(1)「この時、A子さんに失恋する」「この日時に、この場所で事故にあう」「この年、この大学には落ちる」と、日時・内容・相手などを具体的に決めておく場合

(2)「この時期に、誰かに大失恋をする」「この時期に、大事故にあう」「この年の受験は、実力が発揮できずに、厳しい結果になる」などと、日時や内容を大まかに決めておき、あとは状況に応じて現象化するように仕組んでおく場合

(3)「思春期に、人生を左右するような大事件に巻き込まれる」などと、時期も内容もかなり大まかに決めておき、あとは状況に応じて現象化するように仕組んでおく場合

(4)「今回の人生は、とにかく波乱万丈な人生を送る」などと、全体的な方針だけを決めておき、あとは状況に応じて現象化するように仕組んでおく場合

正にロールプレイングゲーム的な発想であり、初期のロープレのように全ての日時と内容と相手が決まっていたものから、徐々に自由度が生じ、メインストーリー上必要な事項以外は体験するかどうかは任意になり、次いで、ストーリー自体が複数設定されたものが生まれ、更には環境だけ用意され、ストーリーは参加するプレーヤーの行動によって、あるいはホスト側の気まぐれによって変化するネットワーク型のロールプレイングゲームのようなものが生まれています。
「人生とはそのようなものだ」と思えばなるほど腑に落ちる点も多いものです。

ほんの一握りの人々を除いて、過去生カウンセリングに訪れる人のほとんどは、「因果関係の法則」を誤解しており、「過去生の過ちを罰する神秘的な力」だと考えていることが多い。したがって、自分の不幸を嘆く人は、「この惨めな人生は、過去生で誰かにひどい危害を加えたために、その報いを受けているのだ」と考えているのである。理知的な人々が、「過去生の『借り』を返すには、あと二、三回の人生が必要なんです」と話しているのを、よく聞くことがあるが、彼らは根本的なところで、「因果関係の法則」を誤解しているのである。

地球には因果関係の法則が働いており、あらゆる場面、状況を因果関係として捉えることができ、実際因果関係によって作用が生まれます。これが、何世代もの人生においても同様に因果関係の法則が働きそれをカルマと呼ぶわけです。そして、リーディングの記録などを読めば、上記のようにカルマには「過去生の過ちを罰する神秘的な力」があるものと解釈するのが自然だと思います。
しかしそれが根本的なところでの誤解だと言っています。どう誤解しているのでしょうか?
一つの鍵は、人生は自分の選択である点で、罰であっても自ら選んだ結果であることで、『報い』として受身で捉えている限り、何世代たっても抜け出せない業のようなものになるのではないでしょうか。自ら選択している以上、『報い』ではなく『困難な試練』であり、必要な学びを学ぶことができれば何世代も『報い』を受ける必要もなく、場合によっては今生において学びを終えて人生の途中から全く違った人生がスタートする可能性だってあるかもしれません。
そういう解釈なら誤解でないのでしょうか?

さて、『ブレイクスルー思考』を読み返した全般的な感想を述べます。

プラス思考やマイナス思考ではなくブレイクスルー思考ということで、プラス思考とどう違うのか、その違いにこだわりすぎていたのが一度目でした。今回は、『ブレイクスルーをもたらす五つの仮説』を前提に物事を捉えることが『ブレイクスルー思考』なのだと割り切り、結果的にプラス思考とかぶっていても気にする必要はないと思うことで気が楽になりました。

何のために生きているのか、何のために人生があるのか、そう考えるとき、「多くの感動を味わい、自分の存在価値を高め、後世に何かを残すことだ」というのが一般的な唯物主義者の理想ではないでしょうか。『ブレイクスルー思考』を読み、「今生だけでなく、未来生においても、多くの感動を味わい、分かち合い、素晴らしい体験を積み重ねるため人生がある」という考えを強くしました。そして、そのためには

成長するために最適な存在である人間

の特性を活かし、成長し続けることが大切であると再認識しました。

2008年 1月 06日

禁煙中

投稿者 by vulcan at 10:18 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

疲れないからだを手に入れたいと願い、昨年5月ごろから固体水素なるものを常用しており、お陰で疲れにくい体となり、健康診断の結果もオールAで、体重もベスト体重に近づいています。

さて、そんな中、祖母との約束もあるため、そろそろタバコを止めたいと思っていました。

過去の禁煙の経験から、血液内のニコチンが不足することが原因なのか、禁煙初期は一日中眠く、とても仕事にならないことがわかっていました。そのため、ただでさえストレスが多く、休むまもなく働く必要がある会社なので、とても禁煙できる状態にはなかったわけですが、思いのほか冬休みが長く、更に冬休みの直前に三連休があり、最終日の12月27日は大掃除だけなので、ほとんど12月22日から冬休みみたいなものであるため、この長期の休暇を利用しない手はないと思っておりました。

そんな折、12月21日のことですが、休憩してタバコを吸いに出かけ、戻ってきたところを社長に見咎められました。意志の弱い自分を追い込むには好機と捉え、社長の命令もあったのでメールにて禁煙の宣言文を社長宛に送りました。

あれから今日で16日です。不思議にこの期間、初期においてさえ、タバコを吸いたくてたまらないという気持ちが生じず、本当にタバコを吸っていたのかと思うくらいです。初期の眠気は確かにありましたが、1週間ほどで随分ましになりました。今では眠気に襲われずに仕事ができる自信があります。

そのようなわけで、気を緩めるわけには行きませんが、ほぼ禁煙が成功したように見受けられるため、ご報告する次第です。

2008年 1月 05日

冬休みの課題図書

投稿者 by vulcan at 21:57 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

うちの会社はちょっと変わった会社で、冬休みに課題図書が与えられ、A4で3枚の読書感想文が課せられます。

入社した際、同様に課題図書が与えられました。そのとき与えられた課題図書が飯田史彦先生の『生きがいの創造』でした。そして、今回の冬休みの課題図書は同氏の『ブレイクスルー思考』でした。

しかし、『生きがいの創造』を読んだとき、非常に感銘を受けたため、飯田先生の著書を片っ端から読み漁り、既に『ブレイクスルー思考』を読了しておりました。そこで、社長にその旨報告し、別の課題図書の指定を願い出ましたところ、ジナ・サーミナラの『転生の秘密』を紹介されました。

『転生の秘密』を読み終えたとき、同書を読み終えた状態で『ブレイクスルー思考』を読み返すことに意義があることを感じたため、『ブレイクスルー思考』を読み返しました。

さて、それぞれの感想文を書くにあたり、ブログに投稿しながら頭を整理しようと思います。

『転生の秘密』はエドガーケイシー(1945没)のリーディングを研究したジナ・サーミナラ女史(1984没)の作品で、初版は1950年です。

まずは、気に入った何箇所かについて引用しながら注釈を試みたいと思います。

「制度としての結婚は輪廻論者の見解から見ると、多くの人が考えているほど神聖なものではない。もし社会が結婚は解消してはならないとするならそれはそれでよい。もしまたそうでなくても、それも可である。宇宙法則はそのどちらの制度によっても邪魔されることはない。なぜなら、もし人がある生涯で負債を払うことができない場合は必ず他生で払わされるからである。人間が任意に設けた外的形式はトランプのルールと同程度の重要性しかない。結局、どんなゲームにどんな規則を設けようと大した問題ではないのである。なぜならその真価はゲームをする際の腕と正直さにあるからである。」

人生とはロールプレイングゲームだと考えることは非常に興味深いことで、様々な処世のためのヒントが得られます。ロールプレイングゲームには様々なルールや法則が存在し、それらに対するスタンス(Low、Neutral、Chaosな選択肢や、選択の首尾一貫性)によりグッドエンディング、バッドエンディング、様々なエンディングからふさわしいエンディングが選ばれます。
同様に、人生もどういうスタンスで臨むかが重要であり、ルール自体は神聖なものではないということでしょう。結婚制度に関して言えば、自分の今生における目的をよく考え、それに照らしてどういったスタンスをとるべきかを判断することが一番重要だと思います。
ロールプレイングゲームのいいところはやり直しがきくことであり、ルールや法則を解明することができることですが、人生だって輪廻論者の立場に立てばやり直しのきくものであり、ルールや法則も解明されつつあるといえるのではないでしょうか。

「結婚の相手は大昔から惹引力によって結ばれた者であることを悟り、どんなに希望の無い事態に陥ろうと、それは偶然ではなくて大我の意志によるものであることを悟り、不和の中で無私を通しての向上の機会があることを知るならば、離婚が全くのマイナスであることが理解できるのである。だが反対に、人間はいかなる制度によっても不健全で有害な歪んだ関係の中に奴隷化されてはならないことを、また改心せぬ利己主義という豚の前に無私の愛という真珠を投げてはならないことを認めるならば、離婚は他の法律上の契約の解消と同様、健全で穏健で分別のある手段であると思うのである。」

結婚相手との不和がひどく、非常に困難な状況であっても、相手とは過去世において何度も一緒に歩んだはずであること、大いなる創造的エネルギーの意志が働いていることに思いを馳せるべきで、困難に潜む意義・意図を読み取る必要があるわけです。
もしかすると過去世においても犬猿の仲、仇敵であったかもしれませんが、それを承知で夫婦となることを予め選んでいたとすれば、今生においてそうした因縁を解消させることをチャレンジ目標に設定しえているのかもしれません。しかし、ロールプレイングゲームにエンディングが一つでないように、チャレンジ目標を達成することが唯一の道ではなく、別の道を選んだ方がハッピーかもしれません。特に相手に前世からの利己主義を変えようとする意志が全くみられない場合、豚に真珠を与えるべきではないでしょう。

「理想の樹立はケイシーの適応の哲学にとって絶対必要な要素である。しかもそれは職業的な自己訓練には特に必要である。リーディングは、人は自分の理想を明示しなくてはならぬと主張する。具体的な思考を助けるためにリーディングは、一枚の紙に物質的、精神的、霊的の三つの欄を設け、その下にその各々の項目で自分の憧れとする最も高い目標を書くよう何回もすすめている。」

理想とする霊的概念というのが一体どういうものなのか想像することが難しいですが、霊的概念から生じる理想の精神的態度としては、自分自身のこととして『不撓不屈』、家庭のこととして『掛け替えのない拠り所』、仕事のこととして『エレガントさの追求』を掲げます。そして、次のような状態を物質的な理想として掲げます。即ち、「90代まで生き、家族や友人・知人の役にたち続ける。そのためにシステム関連の知識を貪欲に吸収し、いつまでも現役でい続け、来世にも役立つ技術として持ち越す。」

さて、『転生の秘密』を読み終えた全体的な感想ですが、エドガーケイシーという大霊能力者がどのような人物であったのかを正しく概略理解できたことは大きな意義の一つです。多くは飯田先生の著書と共通性のある内容で、輪廻は真理であることに疑う気はありませんし、死ぬ間際まで貪欲に知識を深めることの意義が見出せる輪廻観の有利性は否定の仕様がありません。

カルマに関しての内容が多く、飯田先生よりもより冷徹な内容も多く、その分公平な印象を受けます。しかし、カルマは非常に難しい概念であり、真理を知っている者以外の者がカルマを軽々しく論じることは控えるべきなので、論じないことにします。

「つまり以上七つの強力な推定証拠が、ケイシーのライフ・リーディングとそれが確認する輪廻の原理とを立証している。推定証拠は必ずしも結論的なものではないが、これは往々にして真実な場合が多い。地球は丸いという証拠も単に推論的なものに過ぎない。誰も地球の全体の形が丸いのを見たものはないのだから(注:『転生の秘密』の初版は1950年。最初の人工衛星の成功は1957年。有人宇宙船の成功は1961年。)。また原始の存在も推論的に知られているに過ぎない。誰も原始を見たものはない。しかもこの推論を頼りにして地球を一周することもできれば、原始爆弾を考案することもできるのである。したがって、リーディングが与えるこれらの推定証拠を基礎に本格的な輪廻の科学的研究を提案することは、あながち非常識なことではない。」

実際、自分の子供を見て、長女の賢さ、長男のひょうきんさやリズム感、次女の運動能力などを見るにつけ、天賦の才を感じずにはおれません。
自分にしても、分析好きの性格はきっと過去世において分析家だったときがあると考えた方が、幼少のころからの分析好きを雄弁に説明すると思いますし、自分の高所恐怖症は過去世において飛び降り自殺でもした経験があるのではないかと思うほど、特に幼少のころは高所から落ちる同じ夢を何度も見てきましたし、時々無性に、意味もなく飛び降りたくなる衝動と軽く戦ったりします(笑)
あるいは長女と長男の仲の良さ、時に理不尽とも言える長女の要求・命令を従順に受け応える長男の姿を見ると、彼らが過去世において無二の親友・夫婦・兄弟・親子だったのではないかと思え、そう思っていた方が多くのケースで得心が行きます。
というわけで、輪廻を前提に考えた方が納得しやすいことが多いのであれば輪廻を基礎に物事を考えるのは合理的でありますし、輪廻を前提にした方が前述のとおり有利でさえあるわけですから、躊躇すべきではないでしょうし、もしかしたら躊躇することは馬鹿な証拠かもしれませんよ(笑)

2007年 10月 25日

仕事と趣味

投稿者 by vulcan at 02:50 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

「仕事を趣味として行なう」

仕事を趣味として行なう場合、年中趣味を行なっているわけですから、基本的にストレスはありません。ストレスが生じるのはうまく行くはずのことがなぜかうまく行かず、もがいているときぐらいでしょうか。仕事を趣味として行なえるようになれば、禿げることもありませんし、胃に穴があくこともありません。健康の秘訣です。

仕事が趣味になっていると、探究心がありますので非常に伸びます。定時を超えたらできるだけ早く帰りたいという気持にはならず、気が済むまで仕事をしていたいときが結構あります。

仕事が趣味になっていると、休みの日でも仕事のことを考えますが、だからといって休んだ気がしないわけではありません。休みながら仕事する感覚を覚えます。

「仕事は趣味とは異なる」

趣味で仕事をしている場合、責任感が欠如する危険性があります。真の趣味人は自分の仕事・作品にプライドがありますので、責任感が欠如することはありえませんが、趣味というものを適当に考えている人の場合、「趣味の範囲で仕事をする」という感覚が強く、質が落ちても「仕事でやっているわけではないので」という逃げを打ちます。

仕事というのは、一般に商売の世界に存在するため、損得、コストパフォーマンスが問われます。趣味は完成度のみを追求しても一向に構いませんが、仕事の場合、完成度を犠牲にする必要に迫られます。

完成度よりも成果が優先されるわけで、例えばプログラムの場合、エレガントさを追求していると時間がかかります。長く使う恒久的なシステムの場合、プログラムのエレガントさが後々効いてきますが、速さが求められるときというのが仕事にはあります。もちろん、質にこだわっている人でも、一度限りの仕事を楽してこなすためにプログラムを組む場合、エレガントさなど追求しません。


話が横道に逸れた感がありますが、仕事を趣味として行なう場合、プロ意識が重要且つ不可欠と思います。

2007年 10月 24日

子供の存在

投稿者 by vulcan at 23:55 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

子供と触れ合うのは、平日は朝の15分ぐらいで、あとは週末しかなく、それでは週末は思いっきり触れ合っているのかというと、結構そばにいるだけであまりかまってなかったりします。

もちろん、本を読み聞かせたり、一緒に出歩いたり、一緒に食事をしたり、抱っこしたり、遊びに付き合ったりもするのですが、基本的に自分の興味のあることしかしない私という人間は、相手が子供であろうが、仕事であろうが、そのスタンスはかわらず、時にはでくのぼうのように子供のそばで突っ立ってるだけというときもあります。

ところが、私のとって、子供の存在は非常に大きい。

そんなことを言うと、普段本気で子供と遊んでない姿を見ている家内から白い目で見られそうですが、子供の存在の大きさと一緒になって遊ぶ本気度とはなんら関係のないことだと思ったりします。

最近私が思うことは、次のことです。

私は、平日15分しか子供と接することができませんし、時々三日ほど子供が起きる前に出社し、帰宅は当然寝ているときですから、顔をぜんぜん合わさないこともあるのですが、それだけに子供に対する思いが募るわけです。

仕事をしている間中子供のことを考えているわけではないですが、出社前に子供のことを考えると、「よし、今日もがんばろう!」と気合が入ったり、ちょっと一服しているときに子供のことを思い出して幸せな気分になったり、要するに毎日がんばれるのは子供のおかげであり、私にとって子供の存在が非常に大きなモチベーションになっていることに気がつくわけです。

そんなわけで、子供というのは、いつも私の近くに存在しており、私の中に存在しています。裏を返せば、子供にとっての親も同じなわけで、私のことを思ってくれています。「これは父ちゃんの分ね」といってとりおいてくれていたおやつを見るにつけ、そのことを実感します。

子供にとっても、親はいつも身近に存在しているわけで、「これでいいのだ」とバカボンのパパになっちゃうわけですね。

2007年 9月 03日

6人家族

投稿者 by vulcan at 03:41 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

昨日、予定日よりも一週間ちょっと早く三女が生まれ、我が家は6人家族になりました。

NamePの準備が良かったのと、周りのサポートが良かったのと、神様が祝福してくれていたためか、「出産というのはこんなに簡単でいいのか?」というぐらいに安産でした。

産気づいたのは朝の5時過ぎで、2時間半後の7時32分には誕生しました。2時間半というと、この日が土日でなければ私やBianは会社や幼稚園からすぐに帰宅することができずに立ち会えなかった可能性も高く、仮に平日の同時刻に産気づいていたとしても、何かとばたばたしていたと思いますので、出産が日曜日だったのは非常にラッキーでした。

Bianはまだ5歳ですが、今回非常にお役立ちでした。朝、5時過ぎに一緒に起き、助産士さんを駐車場まで迎えに行ってくれ、その後も助産士さんから出産に必要なものとして「○○あるかな」と言われれば、すぐに持ってきてくれました。何しろ、我が家といいながら、私の場合、普段NamePに頼りっぱなしなので、どこに何があるのかほとんど知らず、こういったケースではBianが一番頼りになるのです。準備が整った後はNamePの横に位置して励ましてくれていました。

Hikaruもtamaも普段の暴れぶりから、出産の足手まといになるのではないかと心配な面もありましたが、朝早くてエンジンが温まっていなかったのか、普段と違う雰囲気を察知したようで、非常におとなしく、二人とも朝食後はデジカメとビデオの撮影を手伝いながら、出産に立ち会ってくれました。

また、なんと言っても、先週の木曜日から高松から駆けつけてくれた私の母に助けられました。食事の準備をしながら、NamePのそばで励まし、また助産士さんを手伝いながらキビキビと行動していました。
私一人では子供たちの食事を作るにも、いちいちそれどころでないNamePに聞かなければ分からなかったことと思います。

母が来てくれたお陰で、NamePの安心感も非常に高まりました。出産時とその後の食事の差配をしてくれる人が側にいるという安心感ですが、実際にそのありがたみを味わって、私もようやくそのありがたみを強く理解しました。母が来る前に産気づいていたらこんなにうまく事は運ばなかったでしょう。

私にとっても、出産が日曜日だったことに加えて、月末の仕事を終えたばかりという、仕事に区切りが付いたタイミングであったため、仕事のことを頭から追いやることができました。

そんなわけで、三女は非常にタイミングを図るのがうまいようで、出産の準備が整ったことと、これ以上ないベストなタイミングが到来したことを察知して、この日を誕生日に選んだようです。

先ずはご一報ということで、次回、出産の風景などをご紹介したいと思います。

2007年 6月 28日

飯田史彦先生

投稿者 by vulcan at 22:50 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

さて、最近読んでいる本として、飯田先生の書籍について感想を書こうと思い立ったのですが、昨日は、書く前に飯田先生のホームページに立ち寄ったところ、『小さなドラマティックストーリー』というのがあり、思わず読みふけってしまいましたので、とうとう書けずにいました。

それで、今日は書くのかというと、その『小さなドラマティックストーリー』の記事について、書きたくなりましたので、今日も感想文は書かないことになりました。

『小さなドラマティックストーリー』には3つのお話があるのですが、その中で最も興味を持ったのは、飯田先生の前世に関する記事です。そちらに訪問しない人のために簡単に解説しますと、以前、飯田先生をどうしても守らなければという義務感を持った男性が現れ、何度か、必要も無いと思いますが、ボディーガードを買って出たそうです。本人もどうしてそういう義務感を持つのか理解できず悩んでいました。そして、その方が、思い余って、飯田先生を良く知る奥山先生のところで退行催眠による前世療法を受けてみたところ、飯田先生の過去世を知ってしまったというお話です。

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記事によると、その男性は、「しんさく」という名前の前世だったようで、詳しく当時の状況を思いだし、その方が高杉晋作であることが判明しました。そして、飯田先生が吉田松陰であったことを確信したのです。

本人は、人の過去世を勝手に覗き込んだと罪の意識を持ったため、そのことは飯田先生に報告しませんでしたが、奥山先生が、あるとき「飯田先生の過去世を知ってしまった人がいる」と伝えたところ、飯田先生はピンと来て、その男性に詰め寄ったところ白状したということです(笑)

私は10月20日の『「導かれているな」という感覚』のときに吉田松陰を初めて意識し、その後、『正法眼蔵』の勉強会の世話役のSさんが吉田松陰のゆかりの家で大学時代に下宿していたと聞いてうらやましがり、更に吉田松陰について興味を持ってその生い立ちを調査していた時期があり、また、私の個人的な名刺を作成した折、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」を座右の銘として彫るに至り、正直ほれ込んでいました。

また、吉田松陰がわずか29歳で亡くなっているにもかかわらず偉大であったことに驚き、更に5歳で家を継ぎ、10歳で藩校明倫館の兵学教授として出仕していたことを知って、驚きを通り越しました。

当時は、全く理解を超える衝撃としか言いようがありませんでしたが、飯田先生の本を読んで『生まれ変わり』を事実として認めた場合、よっぽど高レベルな魂の生まれ変わりであれば、そうしたことも肯けると思いました。そして、その飯田先生こそが吉田松陰の生まれ変わりであったと知って、二度びっくりしたわけです。

2007年 6月 26日

最近読んでいる本

投稿者 by vulcan at 22:22 / カテゴリ: / 11 コメント / 0 TrackBack

全くブログが更新できていませんが、文章が書けなくなっています。時間的に余裕が無いので書けないというのは言い訳で、実際には何を書けばいいのかが分からなくなっているためであり、それなら駄文を流さずに書かない方が世の中のためだと思うからです。

さて、そんな状況の中でも、何かを書きたいという欲求があります。何でもいいから何かを書きたい。このままだとブログを閉鎖するまでずっと書けないままなのではないかというプレッシャーがあります。そこで、子供自慢もいい気分転換になるのですが、ここは一つ最近読んでいる本について書いてみようと思いました。

最近読んでいる本ですが、三島由紀夫は5、6冊ブックオフで買ってきたものを読みました。どれも心に強く残るというものではありませんでしたが、なんとなく癒されます。今は、一度途中で投げ出した『文化防衛論』を読んでいますが、頭の悪い自分にはかなり難しいです。しかし、力強さに惹かれますので、何とか三島の思想を理解したいと思っています。

もう一方で、福島大学経営学部の飯田史彦先生の書籍を9冊ぶっ通しで読みました。飯田先生は経営学者として組織論の研究を行なっていらっしゃいますが、一方で、余暇の時間を使って『生きがい論』を展開されています。読んだ9冊は全て『生きがい論』に関するもので、単純な私は、この『生きがい論』にのめりこんでいる次第です。

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というわけで、『生きがい論』について所感を述べてみたいのですが、とりあえず本日のところは、どういう経緯で『生きがい論』に出会ったのかを述べるに止めようと思います。なお、『生きがい論』といっても、知らない人には何のことだかさっぱりお分かりにならないでしょうから、『生きがい論』の重要なファクターが『生まれ変わり』、『精神の不滅』であることだけは申し添えておきます。

私が『生まれ変わり』に興味を持った発端は、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を読んだことだと思っています。昨年の11月ごろから12月ごろに掛けて読んでいました。小説であると思いながらも、三島が『生まれ変わり』、或いは『精神の不滅』を信じたいと思った(と私は思っています)ように、私も「そうであったらどんなに救われるだろう」と思い、むさぼるように読んでいました。

さて、『豊饒の海』を読んでいる際に、私の師匠であり戦友であったK氏が亡くなりました。私にとってK氏は特別の存在でありながら、あまりにも早い別れを迎え、もっと親密になりたかった、もっと学びたかったと、後悔の念が拭えません。祖父を崇拝するような気持でK氏を崇拝し、甘え、信頼し、心の支えとしていました。私は、三十年以上の人生において、友情というものに対して強い憧れを持ちながら、実際には非常に消極的でしたが、自分にも真の友情が持ちえると確信させてくれた最初の友人がK氏でした。

そして、K氏の亡くなった翌日に、我が家の第四子が受胎していたことを知り、『生まれ変わり』を強く信じたい気持が沸いたわけです。

その後間もなくして、不思議な縁とタイミングにより、前世を確信した方々のお話を聞く機会があり、また、自分自身も前世を強く信じたい気持ちが生れました。

そういった心の動きの中で、私の就職活動は二転三転し、ようやく決まった今の会社に就職して、新入社員研修で課題図書として与えられたのが、飯田史彦先生の『生きがいの創造』であり、『前世は科学的にその存在が立証されているファクトである』ということを知ったのです。

もちろん、科学的に立証されているといっても、実証研究の結果を合理的に解釈するには前世の存在を肯定する方が理に適っているということに止まり、反証しようとすれば幾らでもこじつけられます。しかし、私は、「自分が前世の存在を信じることで、誰かに迷惑を掛けるわけでもなく、また、自分自身もその方が生きがいを見出せる」という理由で、飯田先生の提唱を信じることにしました。

それにしても、前世を信じたいと思ってからの、これまでの時間の流れを振り返ると、「歯車が回りだして運命に導かれた」という気がしてなりません。

2007年 4月 19日

再び内定

投稿者 by vulcan at 09:46 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

先週末に意中の会社から内定を頂くことができ、4ヶ月にわたる転職活動に終止符を打つことができました。思いのほか紆余曲折あり、波乱万丈な転職活動で、ドラマを生きている感覚でしたし、今もドラマが続いていると思っています。

転職を決意するまで、会社関係以外で名刺交換する機会は年に両手で数えるほどだったように思います。転職活動ということでいろんな方に会う機会が増え、3ヶ月で30人ほどの方と名刺交換をする機会に恵まれました。そして、3月下旬からは、ある目標を設定し、また、自分個人の名刺を作ったことで、名刺を渡すことが楽しくなり、20日もしないうちに50人もの方と名刺交換することができ、また、それぞれの方にかなり印象付けることができたと自負しています。

個人的な名刺を作ろうと思ったとき、肩書きを何もつけないことに非常に不安に思いましたが、家族と自分の人となりを表現することに決めた途端、名刺作りが非常に新鮮で楽しいものとなり、印象深い名刺を作ることができました。気に入った名刺を配るということがこんなに楽しいものだということを初めて知りました。

転職活動を開始した直後、どのスカウトが優れているのか、人材紹介業界のことをまったく知りませんでしたので、なるべく多くの方に面談しようと思って22人のスカウトとコンタクトを取りました。それが、短時間で自分を売り込む修行にもなると思ったからです。結果として、それが奏功し、面接でも効果があったと思いますし、名刺交換する際の短時間で印象付けることにも寄与したのではないかと思います。

4ヶ月間、良い経験ができたと思います。

2007年 3月 26日

危険な話の終焉を祈って(6)

投稿者 by vulcan at 23:49 / カテゴリ: / 7 コメント / 0 TrackBack

しばらくぶりに温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』から引用します。

結果は期待したものとはなりませんでしたが、佐賀県民が住民投票に向けて行動を起こしたこと自体、非常に賞賛できることだと思いますし、いつかこれが結果につながりうるものだと信じております。

「...まだ、小さ過ぎて自分の意見を言う機会を与えられない子どもたち、そして
まだ生まれていないために意見を言うことのできない遠い未来の子孫たちに
代わって意見を述べたい」。県政史上初めて住民の直接請求を受けての臨時
県議会。プルサーマルは住民投票で判断してという住民代表の意見陳述は
力強く、そして静かに議場に響きわたった。佐賀新聞コラム 有明抄より - 2007.2.2 -
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半減期が2万5000年というプルトニウムは、人類には制御・管理できない危険なものだ。この及ぼす影響はあまりにも大きく、広く、あまりにも長い。一度汚染された大地に生物が棲めるようになるには10万年の保障が必要とされる。未来の子孫はおろか未来の生物でさえ存続できるかどうかの問題だ。知事が1年前、唐突に「安全は確保される..」と発表して以来、にわかに県民運動が始まった。政治家にとっては粛々とこなす政治日程だったのかも知れない。県民との対話を避け、署名簿の受け取りさえ拒み、「反対している人々に何度説明しても同じだ」と言った知事や、与党の議員に声を届けるため、一年の時間とおびただしい労力が費やされた。2ヶ月の期間中、53191筆の署名数に達し、このうち49609筆が有効と認められた。届けられた山のような署名簿をパラパラとめくる知事の姿がテレビに映る。そして、1/25日、知事はこの署名を、「条例を制定する必要性は見いだせない」とする意見を付けて臨時県議会に提出した。

いままでの知事の言動から予想はされたが、真っ当な議論を恐れるかのように、最初から議論はかみ合わない。県議会は1/30日に開催され、知事は、「慎重に検討を行ったので、安全性は確保される」、「県議会において様々な議論が行われ、議会制民主主義が機能しているので、県民投票の必要性は見出すことができない」と提案理由を説明する。冒頭に掲げた記事は、このあと行われた県民の会、代表・満岡氏の意見陳述の様子である。プルサーマルのみならず原発の問題点を広く網羅し、原子炉の制御性・核燃料サイクル・コスト・放射能汚染・安全性・国の安全管理体制・事故時の想定・国際公約・使用済みMOX燃料・次世代への責任・次世代のエネルギー..について述べた後、次のように結ばれた。

今回、県政史上初めての県民投票条例を一蹴された今、県議会の皆さまの
現在から未来にわたる県民の守護者としての行動 を期待します。そもそも
県政は、県民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は県民に由来し、
その権力は県民の代表者がこれを行使し、その福利は県民がこれを享受
するものです。私たちは県民として、プルサーマルを行うことが国策だから
ではなく、佐賀県民がこのように幸せになれると、或いは未来の佐賀にこん
な素晴らしいことが起こると言う展望を見せて頂くよう強く思うものです。

1/30日に始まった臨時議会は2/1日、文教厚生委員会で否決され、さらに2/3日の本会議でも賛成5人、反対33人で否決された。新聞はこの5日間の動きを連日トップに載せ、他に論説や社会面の記事で取り上げた。県民はここに来て、ようやくプルサーマルとは何かを知り始めたところだ。知事や議員の皆様、「判断が正しいのなら恐れることはない」、県民に議会の扉を開いてくれ。このことを県民の会は訴えているのだ。虚心坦懐に話に応じれば、1年もの月日と5万人もの署名は必要なかったのだ。

プルサーマルを容認した古川知事と自民党県議が臨時議会でたびたび
引用したのが「間接民主主義(議会制民主主義)」の概念。専門性が高く、
全国的な影響を及ぼすプルサーマル計画のような問題は、県民から選ば
れた知事と議員が判断すべきというものだ。ある自民党県議は「間接民
主主義の否定で、我々への侮辱だ」とも言い切った。しかし、現在の古川
知事と県議が選ばれた4年前の選挙では、プルサーマル計画は争点には
なっていなかった。県民がこの問題を念頭に投票していないのは明らかだ。
読売新聞ニュースサイトより - 2007.2.3 -

上掲の記事は読売新聞の解説である。県民投票に厚意的なものと私には思えた。地元紙・佐賀新聞にも3日の論説で「住民発動の基本権...」と県民投票を支持する論が張られた。しかし、同日の紙面には1000万円はかかるかと思われるプルサーマル推進の全面広告と、さらに別のページにも下段1/3を使った放射性廃棄物の地層処分の広告が掲載された。数日後..また似たような「理解に努めるの広告」が掲載される...一口1000円のカンパを募って行った署名活動に比べ、あまりにも景気の良すぎる話だ。広告を糧とする新聞社やメディアの公正さと限界に釈然としないものを感じた。

否決された後、記者会見での代表の言葉は滔々と淀みないものであった。

ご支援ご協力いただいたみなさま、どうか本日の結果に気を落と
されることがありませんように。私たちはどうどうと胸を張って、
自分たちの子どもたちに、君たちと君たちの子どもたちと、そして
そのまた子どもたちのために一生懸命がんばったよと、言えるだ
けのことはして来たのですから。県議会の録画を観ていただければ
心ある人にはわかっていただけるでしょう。
1年前に県知事がいわゆるプルサーマル安全宣言をだしたときには、
県民の関心はここまでは高くありませんでした。2010年にプルサーマ
ル計画が稼働しはじめるまでにはまだ時間があります。県民はようやく
プルサーマル計画について知りはじめたばかりです。私たちはこの
活動を通してたくさんの仲間と信頼を得ることができました。そして
失ったものは、なにもないのです。
マハトマ・ガンジーはこう言っています。
重要なのは行為そのものであって結果ではない。
行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく
生きているうちにわかるとも限らない。
だが、正しいと信じることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。
そしてこうも言っています。
善きことは、カタツムリの速さですすむ。と
県民の皆さま、残念ながら古川康佐賀県知事と県議会の大部分の
与党の議員の皆さまは県民の意思を問う条例案を否決しました。
この方々のお名前をしっかりと胸に刻み、今後、否決した議員の皆さま
がどのように県民の声を聴き、どのように未来を子ども達に残そうとし
ているのかをしっかりと見守りましょう。

温心堂主人との出会いが、もしかすると自分にとって非常に重要な出会いであったのではないかと、後日気がつく気がする今日この頃です。

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2007年 3月 20日

僕の好きな歌

投稿者 by vulcan at 01:05 / カテゴリ: / 9 コメント / 0 TrackBack

突然ですが、私の好きな歌を紹介します。基本的に元気の出る応援歌が好きです。

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2007年 3月 12日

望めば適う

投稿者 by vulcan at 00:01 / カテゴリ: 存在理由 / 1 コメント / 0 TrackBack

私は、「人生とは望んだとおりに実現されており、仮に現実に不満を抱いているとしても、それは自らが望んだ姿だ」という考え方に賛同しており、私自身は望んだとおりの人生となっていると考えています。

といって、全てが思いのままに実現しているわけではなく、望み方が足らない場合は望みどおりにはならず、また、望んでいるようでいて実は心の奥底では望んでいないことというのは割りとよくあることであり、心のどこかで「自分にはまだ早い」と思うようなことは、そう思っている限り実現せず、「今こそふさわしい」と思ったときに実現します。

というわけで、自分にふさわしいと思った望みに限っては、全て実現し、全て手に入れてきたと自負する次第ですが、本日もまた一つ望みが適いました。

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私は長らくの間、究極の会社経営とはどのようなものかということを、漠然と思索しながら月日を送っておりました。そのような時分、つまり、漠然とという状態では全く何事も起こらなかったわけで、自分が何も望んでいないのと変わりがありません。

しかし、そのうちに会社経営の真髄を学びたいと強く願うようになり、あれこれと本を読んだり、会社経営について思考し、文章にまとめる作業をするようになりました。といってもお話にもならないような下らない文章の羅列でしたが。

しかし、未熟な自分には、自分ひとりでうんうんうなっていても限界があるため、師匠の一人である吉家さんに、書き上げた文章を読んでいただき、意見を請うことにしました。というのも、吉家さんがすい臓がんに侵され、吉家さんの存命のうちに志を受け継ぐ者がここに居ることを示したいと望んだことが、文章をまとめる原動力の一つとなったからです(もう一つの原動力は祖母に対し、今の私の想念を示しておきたいというものでした)。

そして、書き上げたものを吉家さんに読んでいただき、アドバイスとして、ジェームス・C・アベグレンの『新・日本の経営』を薦めて頂いたのが昨年の7月21日です。

当時の状況は8月22日の投稿に記載しておりますが、興奮しすぎているため、文章が酷く、改めてかいつまんで説明します。

『新・日本の経営』を手に入れるのに、思いのほか苦労したのですが、読んで非常に感銘を受け、吉家さんがなぜこの本を薦めてくださったのかが分かるような気がしました。そして、吉家さんが薦めてくださったことに対して、ただ読んだだけでは報いたことにはならないと考え、同書を今後の人生に活かすうえでも是非とも著者であるアベグレン氏に会いたいと強く望んだのです。

いろいろと糸口を探しましたが見つからず、諦めかけていたとき、二つの糸口が見つかりました。一つは千葉県企業庁であり、もう一つは会社の同僚だったN氏です。

結論を急ぐとN氏の伝手で本日アベグレン氏と面談することができたのですが、実に半年待ちました。しかし、半年待って本当に良かったと思います。というのも、これ以上望みようのない形でお会いすることができたからです。

N氏にたまたま『新・日本の経営』の話をしたのをきっかけに、私がTokyo Unitarian Fellowshipという会合に参加するようになり、座長のBillにアベグレン氏をいつか講師役に招聘していただきたいと、N氏とともに直訴しました。というのも、Billとアベグレン氏は旧知の仲だということを知ったからです。

Billは「努力してみる」と言ってくれました。そして、英語はあまり分からないながらも、いつかアベグレン氏が講師役となる日までに少しでも聞き取れるように、また、それまでの間に会のメンバーに顔を売っておくために毎月の会合に参加しました。N氏が居ることによる安心感によって、また、Billの奥様のやさしい思いやりによって非常に楽しく参加できました。

そして、本日、そうした甲斐があって、アベグレン氏の講義の後、著書にサインをしていただき、その後の夕食会では、アベグレン氏の隣に席を用意していただくという、なんとも信じられないほどの光栄を頂いたのです。本来ならば、Billの席です!しかし、その席が今の私にはふさわしいと思いましたので、遠慮せずに座らせていただくことができました。

アベグレン氏とは緊張しすぎてあまり大した話ができませんでしたが、それでもこちらの熱意だけは伝えることができました。また、アベグレン氏の奥様にも打ち解けてお話させていただくことができ、本当に今日は幸せな一日でした。

そして、今、アベグレン氏の、そして吉家さんの期待に適う、経営の真髄を極めたいと強く望みます。

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2007年 3月 08日

長所と短所

投稿者 by vulcan at 10:54 / カテゴリ: 存在理由 / 1 コメント / 0 TrackBack

実は昨日、熟慮の上、内定を辞退しました。

そこで、転職活動を再開することになりましたので、改めて長所と短所を振り返ろうと思います。

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長所:逆境に強い、逆境になればなるほど血がたぎる、腹が据わっている
短所:年齢に相応しくないほど大物過ぎる、可愛げが無い

長所:仕事が速い、実力のある年長者に可愛がられやすい
短所:仕事が速すぎて先輩、上司に恐怖感を与える

長所:いざというときにポーカーフェイスを貫ける
短所:得体の知れない人物と思われやすい

長所:洞察力に長けている
短所:全てを見通されている気にさせてしまい、気持ち悪がられる

長所:独立心が強い、独立独歩
短所:他人の思い通りには動かない、使いにくい、組織に適合しにくい

長所:責任感が強い
短所:無責任な人物を容赦しない

長所:叱られる度に伸びる、叱られるのが好き
短所:叱られたら萎縮するだけの人とは付き合いきれない

長所:部下に慕われる
短所:部下に非情になれない

長所:頭の回転が速い
短所:初めて見聞きすると、部下は魔法を見ているか、外国語を聞いているか、怒られているように感じてしまう

長所:展開が速い
短所:展開が速すぎて、普通の人はそのスピードについていけない

長所:誠実、筋を重んじる
短所:人生が不器用、余計な苦労をする

長所:ざっくばらん、裏表がない
短所:脇が甘いと見られがち、親に心配をかける

長所:大局的にものを見る、本をよく読む
短所:流行に疎い、新聞、テレビを見ない

長所:情熱家
短所:一途になりすぎる

長所:文章が美しいといわれる
短所:文章が長い

長所:良い妻、子供達、祖父母、両親、弟、妹、友人に恵まれている
短所:恵まれない人の気持ちが分かりにくい

長所:一族に誇りを持っている
短所:プライド、エリート意識が高すぎる

長所:勉強熱心、勉強好き
短所:興味が無いことには目も向けない、雑学に乏しい

長所:プログラミングが得意、各論からの積上げが得意、整合的な小宇宙を構築するのが得意
短所:総論からのブレイクダウンはまだまだ、小さくまとまりすぎる

長所:勘所、要所を見極めるのが得意
短所:要所を押さえたら熱が冷めやすい

長所:はったりがきく
短所:超のつく専門家にはなれない

長所:仕事を同時に複数こなす
短所:机の上がいつも汚い

長所:長所も短所もはっきりしている
短所:激しい人生になりやすい

大体こんなところで、転職活動の方もなかなか一筋縄ではいかなさそうです。

なお、今回の内定の際には、舞い上がりすぎたと自戒しており、次回は冷静に行こうと思います。

2007年 2月 24日

『上杉謙信』咲村観(2)

投稿者 by vulcan at 23:09 / カテゴリ: / 6 コメント / 0 TrackBack

「もっともに存じます。しかし殿は、筋目を重んじ慎重にことを運ぶ性質ゆえ、信玄や足利殿のような運命はたどられぬと思われます」
「そうであろうか。ともあれ、人間にとり、我執ほど怖いものはない。
それがしが合議でことを決めるのは、自らの一存による判断が、どれほど誤った結果をもたらすかを、知っているからだ。
乱世を生き抜くことは難しい。
苦しいときに耐え、好機に飛躍する。この考えに徹すれば、万事にならぬことはない。我が軍が敗戦の憂き目を知らぬのは、機を見て兵を引く術を、皆の衆が心得ているからだ。
攻めるだけが合戦ではない。
敵を知り己を知って、守りを固めることも、兵法の要諦。また、意に沿わぬ敵方と和することも、ときに心がけなければならぬ。
徳川家康は、これらを巧みに使い分ける天賦の才を備えている。それゆえに信長に臣従しながら、東海一の武将にのしあがったのであろう」

ここの部分は文脈としてのつながりとしてはどうかなと思うところではありますが、処世観確立の上では非常にまとまっており、魅力的な箇所です。我執(自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。)がいかに怖いかということは、私も常々そう思いますし、また、自らを反省する点も我執に尽きます。
また、成長とは、会社であろうが人間であろうが、常に右肩上がりというのは本当の姿ではなく、我慢をし、準備をした分だけ飛躍するものです。そして、その飛躍ですが、飛躍すべきときにしか飛躍できません。好機を見極める目を養うとともに、不断の努力により好機に備える心構えを大切にしようと思います。

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「信玄も『大環円』の構想のなかで、同種の考え方をしていた。しかし、信玄は外交戦略にみられるとおり、即物的、戦力的にしか相手の武将を見なかった。
それはそれで結構だが、打算的な行き方は一たび破綻すれば、瓦解する恐れがある。
信玄はそれを叡智で補ってきたが、権謀への腐心と心労のために、不治の病を患った。
加えて、焦慮の気持ちが強かったがゆえに、無理を押して上洛の兵を進め、自ら墓穴を掘ってしまった。
信玄に打算を廃し、時節を待つ心があれば、あれほどの知恵者、必ず天下を取っていたであろう。
(後略)」

世の中のほとんどは打算の論理で回っており、それを無視して行動することは時には身を危険にします。正義だけでは人は相手にしないし、利が無ければ動かないことも確かです。したがって、理と利で合理的に物事を進めることが即物的な成功を収めやすいのですが、ここでも言っているように「一たび破綻すれば、瓦解する」わけです。
理と利といっても本質的には屁理屈です。やはり、先ずは正義が基礎であり、その方針に基づいて、行動を起こしたり、相手を説得するときに、理と利をもって説くのが王道だと思います。

義景は優柔不断な男であった。
一揆への対抗上景虎と結びながら、信玄の西上が開始されると、義昭の斡旋に応じて一揆と和睦し、しかもそれを貫くことができず、いままた信長の誘いに応じて、反一揆の立場をとろうとしているのである。
「信玄の死により、義景の心がゆらいでいるのはわかるが、こう豹変しては誰にも信用されまい。
武将たる者は、そのときどきの情勢に応じて、判断を誤らぬことが肝心。
義景の行き方には巧妙に立ち回っていると見えて、見方にも敵方にも信頼されない自己中心の考え方が看取される。
いかに乱世とはいえ、人が納得する生き方ができる人物でなければ、諸将も庶民も従わず、運勢も開けぬ。
信長や信玄、家康などにはそれがあるが、義景にはない。
越前という絶好の地位を占めながら、また浅井長政というよき協力者を得ながら、信長の前に手も足も出ぬのは、そのためだ。
武将は旗幟と去就を鮮明にし、義と筋目を重んずる姿勢がなければ、大成は期し難い。その意味では、義景は策におぼれて自滅する典型的な武将と言えよう」

情勢の変化に応じた判断が重要であり、一度決めた方針に固執することが良いとは必ずしも言えませんが、方針がふらふらしていると信頼を落とします。確固たる信念があり、それに基づいた判断であることさえ間違いなければ、情勢変化に応じた方針変更は周囲の納得を得ることができるでしょう。信念に基づく確信があるからです。しかし、同じように情勢変化に応じて方針を変えるのですが、信念が無い場合、周囲の納得は全く得られません。そして、その信念ですが、正義の信念が最強だと思っています。

「信長とそれがしとは、考えに似通ったところがありながら、根本は違うのであろう」
返書を読み終えた景虎は、そうつぶやいた。
「天下取りを狙う武将は、皆強い個性を持っております。
それゆえにこそ、今日みられるような乱立状態が、生れたのでこざいましょう。
寄らば大樹の陰と申しますが、わたくしも殿の栄達に掛けて幸せだったと、今になって考えております」
実仍が言葉を返してくる。
「ばかなことを申すではない。それがしは、信長や信玄のように天下を取れる器ではない」
「殿がそのように弱気では、我々家臣の夢が、果ててしまいます。
武士は主君に自らの生涯を託しております。このことだけはお忘れなきよう」
「わかった。せいぜい精進仕ろう」
景虎は答えて笑った。

謙信が天下取りを狙っていたのか狙っていなかったのか、歴史家の意見の分かれるところのようですが、謙信が躁鬱であったとすれば、狙ったり狙わなかったりというのが実際かと思います。それはそれとして、主君の栄達を通じて、自らの夢を実現させるのが武士であというのは、精神的にも即物的にも言えることだと思います。主君と一心同体であれば主君の栄達は自らの栄達であり、主君の栄達により現実的には知行が増えるわけです。

労咳は死に至る病。いかな信玄とて、それから逃れることはできない。
予想以上に西上が早まったこと、三河侵攻以来の合戦に、執念にも似たすさまじさが感じられることなど、不可思議に思っていた謎のすべてが、これで解けたように思われた。
「信玄は信長の上洛に焦慮するあまり、わが身を傷つけたのであろう。
やはり人間焦ってはならぬ。一途にことを急いでも、地の利、時の運が伴わなければなるものではない。
信玄はこのことわりを知りながら、敢えて上洛の兵を進めたのかも知れぬ。
高齢と病ゆえに、死に花を咲かせる気持に、或いはなったのであろうか」

焦りは禁物とはよく言ったものです。頭では簡単なことなのですが、実際には難しいことであり、肝に銘ずべきです。

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2007年 2月 21日

就職が決まりました

投稿者 by vulcan at 19:49 / カテゴリ: 存在理由 / 4 コメント / 0 TrackBack

ようやくのことで、就職が決まりました。19日には口頭で内定を言われておりましたが、21日の本日、書面での内定をいただきましたので、ようやくひとごごちついた気分です。まずはご一報しておきます。

今回の転職に際し、いろいろな方にお世話になり、ご縁というもののありがたさを身に沁みて理解できました。

そんな中でもとりわけ感謝しなければならないのは、やはり祖母です。

祖母は、私が転職を決意したのを知ってから、毎日、須磨寺に願を掛けに行ってくれました。そして、護摩札に、私の転職の成功を祈念してしたためてくれたことで、それが須磨寺管長の小池猊下の目にも止まり、小池猊下までが、陰ながら私の転職を案じてくださっていたというのです!!!

猊下に面会の時間を頂いたことも、今思えば何と大胆不敵なのだろうと恐縮至極ですが、それが縁で、猊下にまで私の転職の成功を祈念して頂けたとは、何と私は果報者だろうと思わずにはおれません。

神仏のご加護と、祖母の愛情にひれ伏すばかりです。

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ところで、今度の就職先から口頭でオファーを頂き、こちらから入社の意思を申し出てから、口頭での内定を頂くまでの10時間ほどですが、非常に緊張が続きました。

入社の意思をお伝えする2時間ほど前から、順次、選考が進んでいる先に対して辞退の申し出を送り、また、お付き合いいただいていたエージェントの方々にも、就職活動が終了したことを告げました。

「大どんでん返しがあったらどうしよう」と思いながらの10時間でしたので、まさに神仏にすがる思いでした。

それから本日までは、その10時間ほどではないにせよ、実際に書面で内定を確認していなかったので、多少なりとも緊張がありました。

18日の日曜日、自分の意思が固まったことから、祖母に連絡しました。祖母は祝福してくれましたが、「21日まで願を掛けるつもりだったから、もう少し掛けておく」と言ってくれました。まさに、その21日の本日、内定書が届いたわけで、祖母の直感に驚いております。

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2007年 2月 21日

『上杉謙信』咲村観(1)

投稿者 by vulcan at 18:08 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

本書は、経営における心構えに通ずるものがちりばめられており、歴史小説というよりビジネス書ではないかと私は思います。そうした思いを持って読み進めましたが、以下の著者後書きを読んで納得しました。二度繰り返し読みましたが、非常に含蓄があり、「なるほど、歴史小説とは歴史を紹介するのが目的ではなく、歴史を材料に著者の思想を訴えることが目的であるのか」と今更ながら気がつきました。

ともあれ、史実をひもどいてわたくしが感じたことは、戦国時代も現代も、人間の意識構造はかわらぬということである。
善人もおれば、悪人もいる。
虚々実々の駆引きがまかりとおり、利害を軸にして離合常なく、そのなかで弱者や無能力者が亡ぼされてゆく。
現代のサラリーマン社会に似たものをみたように、わたくしは思った。
同時に不透明時代を生き抜く術は、生き方はと執筆中考えさせられた。
それを謙信の言葉としてあらわしたのが、この小説でもある。
信玄の生き方がよいのか、謙信のそれが正しいのかは、判断の分かれるところであるが、この物語のなかから、現代社会に通じるものを読者が汲み取られ、処世観確立の一助にしていただけるならば、幸いだと思う次第である。

なお、本書の執筆にあたっては、元金沢大学教授、井上鋭夫氏著、「謙信と信玄」(日本歴史新書、至文堂発行)の記述から、多大の知識を得たことを、特に付記しておく。

昭和五十八年二月

咲村 観

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本書は、『天の巻』『地の巻』『人の巻』の三巻構成であり、『天の巻』から紹介したいところですが、手元には後書きのある『人の巻』しかないので、趣向を変えて後から順に紹介することにします。私が感銘を受けたのはいずれも処世術に係る部分なので、後から順でもあまり支障はないと判断したのもその理由の一つです。

国主の地位に就いて以来、執念のように狙い続けた天下平定の夢は、これであえなく果てたのである。
”信玄の陣没といい、出陣を前にしてのそれがしの病といい、織田信長という武将は、幸運な男だ。
それがしは神仏の眼からみれば、信玄同様、歴史の一コマを彩る道化役者の武将に過ぎなかったのかも知れぬ”
諦めの気持ちとともに、思いがよぎってゆく。

いきなり死ぬ直前の場面ですが(笑)、信玄にしても、謙信にしても、信長にしても、秀吉にしても、歴史の一コマを彩る道化役者に過ぎないという見方をすると、感慨深いですし、気も楽になります。

「それがしも来年は四十九歳、いよいよ老境に入った。
合戦に明け暮れる生涯であったゆえ、普通人より或いは短命かも知れぬ。
しかし、それでよいのじゃ。越中、能登、加賀ほかの領国を得られただけでも、幸せだと思わなければならぬ。
天下取りの行方がどうなるかは、神仏のみぞ知ること、それがしが関知するところではあるまい。
ただ、やらなければならぬことは、生涯かけても果たすのが、人の道。
いまは率直に言って、そんな心境だ。」

『やらなければならぬことは、生涯かけても果たすのが、人の道』という一節に非常に惹かれました。信念の強さというものが、物事を、他人を、そして自分自身を動かす鍵だと思っています。

景虎の考えには、脱漏がない。
これまで指揮をとった合戦で、一度も敗れたことがないことが、それをあらわしている。
知恵の周りの早さと、勇気と果断さが、その原因であったが、”神は非礼を受けず”との人生観が精神的支柱となり、義のための戦いに徹する信念が、仏道への帰依とともに、その行動を規制する重要な要因をなしていたのである。

この点が、私が謙信を崇拝する所以であり、恐らく、私の弟も同様だと思っています。

「なるほど。殿の寛容さが、このような時期にわれわれの幸運となって帰ってこようとは・・・ともあれ、人間情けは施しておくものですな。
殿の生き方を手ぬるいと感じたときもございましたが、今にして思えば、それが正しかったと近頃になり、わかるようになりました」
「いかなる事態に見舞われようと、武将たる者、人の道をはずさぬことが肝要だ。
これは古今東西を問わぬ、理法でもある」

『正しさとは何か』ということを哲学した時期がありましたが、信念さえぶれなければ、どんな判断であろうと、いつかはそれが正しさとなるように今は思います。正しさなど無いのが本当であり、全ての判断は正しいというのも間違っていないと思います。しかし、信念がぶれているようですと、何をやっても、あらゆる判断が正しくないとなりえます。これが私の到達した結論です。

「やはり人間、そのときどきに、打つべき手は打っておくものだ。二十四歳のとき本願寺に礼を尽くしたことが、現在の困難な状況のなかで、これほどの成果をもたらそうとは、思いもおよばぬこと。
これで、信長の天下を覆し得る素地は整った。
あとは能登を制し、後顧の憂いなき状態に国内を固めて、上洛の兵を進めるだけだ」

22年前に打った手が今頃効果を示すというのは、人知の及ぶ範囲ではありませんが、何事もやるべきことをやるという心構えが、このような解釈を生み出すのだと思います。
何事も解釈である、というのがもう一つの私の結論です。事実は曲げられませんが、解釈はいかようにもなります。ポジティブに解釈することが肝要ですが、単なる能天気というのは反省すべきで、日々精進する心構えが伴わなければ真にポジティブにはなれません。精進していなければ、ポジティブに捉えてばかりいる自分が、実態と遊離してしまい、自分自身を信じられなくなるでしょう。
かく言う私も、時々自分自身を信じられなくなる、つまり、自信を無くすのですが。

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2007年 2月 07日

直観力

投稿者 by vulcan at 21:13 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

現在、転職活動中なのですが、この際、直観力が非常に重要であることに気がつきました。

以前、『感性を研ぎ澄ます』の投稿で元上司の話を述べました。以前の会社の社名も先日の投稿にて明かしましたので、改めてご紹介したいと思います。

私が東洋信託銀行に入行後、最初に配属となったのは名古屋支店であり、その支店長がM氏でした。M氏は非常に人格的に優れた方で、それは、実家が刀田山鶴林寺(天台宗)であり、兄君がその住職を継いでおられ、仏心が高いがためであると思います。

人格的に優れているだけでなく、人生に対して非常に厳しい方でもあり、M氏に大喝されると私なぞは震え上がってしまいます。当時、融資稟議の説明を支店長に求められたときなど、蛇に睨まれた蛙よろしく、立ちすくんでいました。

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そのようなわけで、私は非常に尊敬しており、東洋信託銀行を去るときも、またその後も時々近況を報告しておりました。その後、私が海浜幕張に居を構えるようになり、M氏は一駅隣の新習志野に居を構えていらっしゃいましたので、子供が一人、また一人と増えるたびに祝福していただいておりました。

そんな間柄でしたので、人生の岐路が近づきつつあると感じた昨年7月、M氏と酒を交えて、二人っきりで話す機会をいただきました。その際に、M氏が仰ったのが以下の文句です。

「人生は短く、やらなければならないことは山ほどある。無限の時間を使って、思う存分一つ一つに時間をかけたいものであるが、悲しいかな、ゼネラリストはそれが許されない。したがって、限られた時間で多くのことを理解するために疑似体験力が必要となる。人(スペシャリスト)が二年かけて身に付けた実体験を、疑似体験力をもって15分で全て理解せよ。まるでその場に自分がいるかのように、手に取るように分かるようになるものだ。それがゼネラリストという名のスペシャリストが果たす役目だ。」

このときは、(そのようなものか)という思い、(果たして自分に身に付くだろうか)という不安がありましたが、このたびの転職活動において、30分程度で20~30社の候補先の中から紹介をお願いしたい1、2社を選び取るという修行を何度も何度も繰り返していくうちに、(なるほど直観力とはこのようなものかもしれない)と思うようになりました。

つまり、限られた情報を前に感性を研ぎ澄ませて対峙し、自分がその会社に入ったときの情景を思い浮かべ、どのように展開していくかをイメージしていくわけですが、何通りかの展開を想像する中で、現状に無理がある展開がなんとなく分かるような気がするのです。

非常にばら色の展開を予想するには、現状に矛盾点があるように思うと、おそらくそうした展開にはならないのだろうというような感じで消去されていく場合もあり、自分の描いた展開、つまり仮説に対して、現状がぴったりフィットする場合には、そのような展開が最もありそうな気になったりするわけです。

とはいえ、直観力が確実に備わったとは思っておりません。しかし、転職活動は、短時間で自分を売り込むための修行になるばかりでなく、直観力を養う修行にもなるとは思いもよらず、また、様々な方との縁も深まり、非常に自分のためになっていると実感します。

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2007年 1月 22日

『戦国の軍師たち』堀 和久

投稿者 by vulcan at 20:38 / カテゴリ: / 13 コメント / 0 TrackBack

昨年の晩秋、弟に「黒田官兵衛の生き様に感化された」旨を伝え、次は「上杉謙信を読んでみたい」ので、良書紹介をお願いしていました。

基本的に歴史上の人物にはあまり関心を持って少年時代を送らなかった私は、上杉謙信が義に厚い優れた武将であるという程度の知識しかなかったのですが、一方で弟は、祖父譲りで少年時代から歴史小説が大好きであり、祖父からいろいろと日本の歴史を学びながら、書籍を借りたりもらったりしており、中でも上杉謙信を崇拝していましたので、きっといいアドバイスをしてくれるだろうと思ったわけです。

謙信に目が行ったのは、昨年夏に弟から『林泉寺(謙信が幼少のころに過ごした寺で長尾家の菩提寺)』と『春日山城』に行ってきたとの報告を受けたことがきっかけですが、昔から、私の名前が『ケン』で弟の名が『シン』なので、そんなつまらない理由ですが気に入っておりました。したがって、中日の川上憲伸も好きです(笑)

ちなみに、今、月に一回tenjin95和尚による『正法眼蔵』の勉強会&座禅に参加しているのですが、道元の『正法眼蔵』を勉強するのですから、当然、tenjin95様も曹洞宗の方で、『林泉寺』も曹洞宗ですから、これもなにやら縁に結び付けて考えたくなります。

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そんなわけで、弟は宅急便で『天と地と』(海音寺潮五郎)全五巻と『上杉謙信』(咲村 観)全三巻と『戦国の軍師たち』(堀 和久)を送ってくれました。

今は『上杉謙信』を読み始めたところですが、上杉謙信を依頼して、『戦国の軍師たち』を送ってくれるあたり、「流石は我が弟!」と感動し、先にそちらを読みました。

山本勘助(武田)、宇佐美良勝(上杉)、立花道雪(大友)、片倉小十郎(伊達)、山中鹿之助(尼子)、黒田官兵衛(豊臣)、島左近(石田)、明智光秀(織田)、松田憲秀(北条)、小早川隆景(毛利)、竹中半兵衛(豊臣)、真田幸村(豊臣)、鳥居元忠(徳川)、本田正信(徳川)の14名の軍師を取り扱っており、現代サラリーマンに置き換えながら評しているところなど、非常に面白く読むことができますが、中でも立花道雪と鳥居元忠の軍師ぶりには胸に響くところも多く、今この時期にこうした本を紹介してくれた弟に対して、非常に感謝している次第です。

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2007年 1月 16日

『豊饒の海』三島由紀夫

投稿者 by vulcan at 23:37 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

ようやくのことで『豊饒の海』全4巻を読み終えました。

唯識の知識も乏しく、全編を通して触れられている阿頼耶識も全く歯が立たず、うわさどおりの非常に美しい文章に酔いしれたばかりでした。

なぜ今この時期に三島由紀夫の『豊饒の海』を読んだのだろうかと、その意味ばかりを考えておりましたが、おそらく自分に、「身を滅ぼすほどの自尊心を持ち続けよ」と鼓舞する一方、「過ぎた自意識によって身を滅ぼすな」と警告するために読んだのだろうと思います。

なお『豊饒の海』の感想をもう少し書こうと思いましたが、龍尾さんの感想を読み、恥ずかしくなりましたのでそちらを若干引用するに止めたいと思います。

 「豊饒の海」は主題が一貫しておらず、物語りとして破綻している。 しかし、それぞれの巻での主題のブレっぷりが三島由紀夫の内的な世界を表しており、 結果として俺は、その破綻っぷりに人間としての三島の誠実や限界が見える気がして、故に「豊饒の海」全巻を愛している。

なお、三島由紀夫が自決したのと私の生れた年とが同じ昭和45年であり、私が生まれた方が先であるというのは、本書的に言うと私が三島の転生ではないことを示し、安永透少年にかぶって考えてしまいます。

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【2007/1/17追記】
そういえば、透少年は『悪霊』(ドストエフスキー)に出てくるスタヴローキンに似ていると思います。スタヴローキンにはなりきれませんでしたが、そのスタヴローキンも何か、彼の目指す姿にはついになりきれなかった(それが何だったのかが分からなくなった)と思います。

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2007年 1月 15日

私がもっとも重視する事柄

投稿者 by vulcan at 22:35 / カテゴリ: / 13 コメント / 0 TrackBack

12月のある日、Bianと二人でお風呂に入る機会がありました。ここのところ、平日は夜遅いので子供達は寝付いていますが、その日は早めに帰ることにして「帰るメール」を打ったところ、Bianだけは風呂に先に入るのを拒否し、私を待ってくれていたのです。

ゆっくり二人っきりでお風呂に入りながら、幼稚園でのつらかったことを目を潤ませながらしみじみ語ってくれたり、私も5歳のBianを前にして、人生とは何か、生死とは何か、善悪とは何かといった小難しい話をくどくどと話していました(笑)

そんな折、Bianが次のようなことを言ったのです。

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「父ちゃんは、吉村家のリーダーなんだから、もっともっと子供たちの手本になるようになってね」

Bianの意味するところとは、時々私が教育上の理由から、しつけにうるさかったり、叱ったりすることが、子供心を傷つけるときもあるので、配慮して欲しい、というもので、だからといって方針を変更するのもどうかと思いながら、こうして指摘してくれるBianを大事にしなければと思いました。

そして、何より、私を最も鼓舞する表現を、5歳の娘が体得していることに対して驚くと同時に、NamePの教育の賜物と感謝しました。

年末年始、いろいろ考えた末、吉村家の血筋を絶やさないようにすることが私に課せられた何よりも大切な使命であり、聡明な子供たちを見るにつけ、親馬鹿ながら、吉村家の血筋が耐えるということは国家的な損失だと思うに至り、またこの点に関して父と見解が一致しました。

そうした要請から、子供三人ではまだまだ不足であり、四人目はもちろんのこと、NamePが許すならば五人目以降も望みたいと思っております。

そこから導かれる帰結は、NamePは引き続き専業主婦となること、たくさんの子供を立派に成長させる責任を果たすべく、私はしっかり稼ぐ必要があることです。

というわけで、自らを鼓舞している次第です。

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2007年 1月 13日

そういえば・・・

投稿者 by vulcan at 02:25 / カテゴリ: 存在理由 / 1 コメント / 0 TrackBack

11月26日の日曜日に白南天を買い求めました。

難を転じて福となす力があるとのことで、普通の赤い南天は結構あるのですが、白南天はなかなか見つからず、苦労してようやく見つけたのです。

思えば、あの日からいろいろな軽重の難事が起こっているようにも思え、且つ、そうしたことを境に様々な面で良い方向に向かっているようにも解釈でき、人生の妙味を思わずにおれません。

2006年 12月 18日

『正法眼蔵』勉強会参加報告(3)

投稿者 by vulcan at 10:04 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 1 TrackBack

週末の会議が長引き、1時間ほど遅れての参加となりました。そこで、本日は勉強会の講義内容に関する報告ではなく、私にとっての勉強会の意義について触れてみたいと思います。

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月に一度『正法眼蔵』を学ぶことや短時間ながらも坐禅を組むことも大切にしたい習慣ですが、私の一番の目的は、tenjin95和尚の目を見ることです。切れ長の美しくも厳しい和尚の目は、大正時代の青年将校を彷彿とさせ、身が引き締まります。時には、和尚が何を考えており、話題の意図が何であるのかを探ったりもしますが、以心伝心の中心的な本題は、お互いにこの一ヶ月間を真剣に生きてきたかどうかを確認することであり、これから一ヶ月間の心構えを正すことです。

僧侶の場合は剣は駄目だという事で、真剣という言葉も使ってはならないようなので、その意を酌めば、和尚がひたすらに仏道に生きてきたかどうかを確認させていただき、一方で、私が真剣に武士道を生きてきたかどうかを確認していただく場であるということです。つまり、勉強会は、単に2時間の学びの場ではなく、1ヶ月間の学びの場であると思っております。

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2006年 12月 11日

千羽鶴と只管打坐(3)

投稿者 by vulcan at 23:14 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

ある方のために折っていた千羽鶴ですが、そのある方とは、私にジェームス・C・アベグレン氏『新・日本の経営』を紹介してくださったK.Y.氏です。K.Y.氏はわたしの戦友であり、師匠であるわけですが、すい臓がんに侵され、余命幾許もないことがはっきりした先月10日ごりから、彼岸へ赴く氏のお守りとして千羽鶴を折り始めました。

先日、ようやく千羽折り終わり、糸に通す作業に入りました。日曜日に千羽鶴は完成しましたが、同時にK.Y.氏も逝去されました。今はご冥福を祈っております。本日はこれ以上書く気も起きませんので、後日もう少しK.Y.氏について、あるいは我々の運命について語らせていただきたいと思います。

2006年 11月 19日

『正法眼蔵』勉強会参加報告(2)

投稿者 by vulcan at 08:24 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

金曜日に再び勉強会に参加しました。質疑応答に多くの時間が割かれ、その中で、「自己から学ぶのではなく、自己を学ぶ」ことが学びの在り様だと聞きました。自己自身を学ぶということは「非常に個人的な問題」であり、「(知的なやり取りの)勝ち負けではない」とも仰っていました。

学びとは非常に個人的な問題であり、意見を戦わせてどちらが優れた教えかを競っても意味がなく、釈迦も「あなたはこうした方がいい」というように、個別のアドバイスを中心に据えていたそうです。

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よく私は、人はどう生きるべきかとか、日本はどうあるべきかとか、そんな感じで普遍的な真理(在り様)を追究しようとしていますが、同時に、そうした普遍化とか抽象化とかをしていると、矛盾を感じたり、矛盾を無視すれば偽善となるように思って悩んでいました。

そのような普遍化、抽象化も大切なテーマかもしれませんが、もっとその前に個人的なことに目を向け、人それぞれの異なる事情に立脚し、それぞれのステージにふさわしい解決法を探るべきなのかなと思いました。

勉強会に参加してきたばかりの今はまだ、結論を出すには早計であり、これからよく考えてみたいと思います。但し、なんとなく気が楽になったことだけは確かです。

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2006年 11月 18日

千羽鶴と只管打坐(2)

投稿者 by vulcan at 00:07 / カテゴリ: / 7 コメント / 0 TrackBack

先々週から、ある方のために千羽鶴を折っています。ようやく666羽(111枚入り6袋)折りました。会社の同僚が45羽手伝ってくれ、娘も20羽ほど折ってくれていましたので、自分で折ったのは600羽ほどかと思います。

なぜ千羽鶴と只管打坐を同時に論じようと思うのかというと、ひたすら座禅することとひたすら折ることに何か通じるものがあるように思うからです。

600羽も折っていますと、何も考えないでも折れます。折り方も、見本に記載された折り方は初心者向きに迷わせないことを第一の目的に記載しているようであり、結構無駄な手順があります。美しく折ろうと思うと、手順の流れの美しさにも目が行くわけで、無駄を無くし、効率的な折り方に行き着きます。但し、私の場合は折り方も2段階、ないしは3段階ありました。

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当初、といっても3年前に祖父のために折っていたころですが、効率化に目覚め、手順を変えてみました。そのときの基本的なコンセプトは流れ作業です。作業を分断し、同じ行程をひたすら繰り返す。そして、100羽程度、同じ行程が終わると、後半の行程に100羽全てに取り掛かる、というものでした。これは、折り方を完璧に体が覚えきっていない場合に有効な気がしますが、一方で、前半は鶴を折っている気がしないというデメリットが大きいようにも思います。

ところが、鶴も随分折れるようになってくると、手が無駄に動くことのロスの方が、同じ行程ばかり行なうことで得られる効率化よりも大きくなっています。試しに、行程を分けずにやってみると、手があっちに行ったりこっちに行ったりしない分、非常に滑らかに折れることが分かりました。

しかし、前半の行程の一部は2枚まとめて折るということをした方が、折る回数が少なくなるので効率が良いと感じていました。しかし、最後は、やはり手の滑らかな動きこそが一番美しく、かつ一番早いということに行き着き、一枚ずつ折ることとなりました。この境地に至って初めて只管打坐との比較論ができるように思います。また、祖父のときは手が痛くて痛くて仕方がありませんでしたが、無駄に力まなくなったのか、今回は全然痛くなく、呼吸するほどに折るとまでは行かないにせよ、かなり自然な感じです。

そんなわけで、今回の千羽鶴はできた鶴もかなり美しいと思いますが、折る行程自体も非常に美しいと思っています。また、折ること自体、全く苦痛ではなく、どちらかというと楽しいですし、もっと言えば、折っていないと落ち着かないぐらいです。千羽鶴依存症というわけではないと思いますが、お菓子を食べ続けないではいられないとか、タバコをすい続けないではいられないとかに似た境地でなくもないかなと思ったりします。

鶴を折っているときはひたすら鶴を折っているのかというと、そういう時もありますが、平日は仕事がありますので、そうも言っていられません。そこで「ながら折り」になっているわけで、そこは只管打坐とは大きく異なる点ではあります。仕事と言っても、私の場合、メールの返事や報告書、議事録など、文章を書くのに結構な時間が費やされます。また、プログラムを書いたりデータベースを構築するというのも、考えている時間の方が長いものです。鶴を折っていると、次の一文が思い浮かばないとか、思うようにシステムが組めないといった理由でイライラするということも減り、いい感じです。

一方、業務時間外に鶴を折るときは、ほとんどの時間、ひたすら折っています。このときは只管打坐といっていいのではないかと思います。無心かどうかというと、折る相手との思い出に耽ったり、病気に向かい始めてから今に至るまでの彼の気持ちを慮ったり、今後の自分の生き方を考えながら折っていますので無心なときはあまりないのですが、それが悪いとは思っていません。但し、彼の病気が回復することを祈りながら折ることはしません。それは打算の心だと思うからです。

只管打坐も無心がベストかもしれませんが、無理に無心になろうと意識しているとすれば、その方が害が大きいと思います。そして、病気の回復を祈って鶴を折るのと同様に、悟りを得ることを願って座るのは邪道でしょう。

P.S.
打算、あるいは煩悩的にさえならなければ、考えながら折るのはありだとすると、業務時間内でも、推敲しながら、あるいは検討しながら折るのは只管打坐だと言ってもいいかなと思えてきました。つまり、座禅→文章→座禅→文章というサイクルであったり、座禅→プログラミング→座禅→プログラミングというサイクルであったりしているわけで、座禅の間はひたすら座禅(千羽鶴)だと言えなくもないかな、と。

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2006年 11月 12日

『中世騎士物語』ブルフィンチ

投稿者 by vulcan at 04:18 / カテゴリ: / 5 コメント / 0 TrackBack

フレパ仲間のたんたん氏から、私がVulcanと名乗っていることをきっかけに、ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』の話題が出て、同じブルフィンチの『中世騎士物語』を薦めていただきました。

『ギリシア・ローマ神話』の方は、神話の辞典みたいで、いろいろ幅広く取り扱っているのですが、引き寄せられるような筋立てとは言いがたく、先に読んだ『あなたが知らなかったギリシャ神話』の方がお勧めです。『ギリシア・ローマ神話』の方は、幅広く神話を紹介することと、神話をなるべく貶めないことが思想としてあったと思われ、それが脈絡のなさ、よそよそしさを感じさせるのではないかと思います。

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ところが、同じブルフィンチの『中世騎士物語』の方は、非常に楽しく読みました。私は図書館で借りて読みましたが、本書を愛蔵しているたんたん氏がうらやましいぐらいです。

主題はアーサー王に関するものですが、アーサー王そのものを描くというよりは、アーサーを含めた円卓の騎士たちの武勇伝というものです。マーリン(騎士ではないですが)、アーサー、ランスロット、トリストラムなどが、ページ数も裂かれていることもあり、やはり印象的です。

この本を読み終わってから、映画「キング・アーサー」を観ました。実は過去にも一度観ていたのですが、記憶がほとんどなく、観始めて「ああ、一度借りて観たな」と思ったぐらいでした。しかし、前回はまったく監督のメッセージが理解できませんでしたが、『中世騎士物語』を読んだあとでは、理解も早く、何が伝えたかったのかが、自分なりに考えることができ、今回借りたのは非常に意義が大きかったと思いました。

『中世騎士物語』において、アーサーが王になった由来は書かれてはいますが、必然性はあまり感じられません。運が良かっただけという印象です。王となった以後は善政を執ったのでしょうが、有能な騎士を統率するほどの人徳があったというのが腑に落ちないほど、今ひとつ印象が低いというのが正直なところでした。

そうした、私のような者の疑問に答えるために作られた物語が『キング・アーサー』であったのではないかと思います。アーサーの、卓抜した正義感、孤独、友情、勇気が円卓の騎士の結束を導いたのだということが、よく分かる映像でした。

最初、アーサーがローマ人であるとの設定に、違和感を覚え、マーリンが敵であることにも疑問を感じました。また、円卓の騎士といっても、ローマに雇われた軍人であり、言ってみればサラリーマン、悪く言えば服役囚なわけで、私の持っていたアーサーと円卓の騎士像はもろくも崩れ去りました。おそらく、こうした印象が、前回観たときに、拒絶反応だけが残り、メッセージを受け取る余裕ができなかったのだと思います。

ところが、今回改めて観てみると、こうした、私の固定観念をぶっ壊す設定が、返ってエンディングを意義深いものにしたことが理解できました。最後に偏見を捨て、過去のしがらみを捨て、ブリトンの王となり、いよいよこれからアーサー王として、円卓の騎士とともに輝かしい時代の幕開けとなるところで映画は終わります。後は皆さんおなじみのアーサー王ということで、今更語っても仕方がないということでしょう。

ところで、『中世騎士物語』ですが、いくつか記憶に止めたい箇所がありました。その中で二箇所を引用したいと思います。

西暦五世紀頃、ローマ帝国が滅亡すると、北部ヨーロッパ諸国には国家的な政府はほとんどなくなったような状態になった。多少とも勢力のある領主たちが、それぞれの領地内で権力を振って地方の政治を執り、たまに共通の目的のため団結することはあっても、ふだんは大方反目しあっているのが常であった。かかる状態のもとでは、平民の権利というものは蹂躙されるままであったから、もし領主たちの勝手な権力を抑圧するなんらかの力がなかったら、おそらく社会は野蛮時代へ逆行してしまったであろう。

幸いそれを食い止める力は、先ず領主たち自身がお互いに対抗し合っているという点に見出された。相互の嫉妬心が彼らをけん制する結果になったからである。次には動機は何であれ、とにかく弱いものを護ることを天職としている教会の影響があった。最後にはいかに情欲や我意にくらまされていても、人間の心の中には生れながら宿っている正義感と寛大の中に、その抑制力は見出されたのであった。

この最後の原因から騎士道は起こったので、無敵の力量、勇気、正義、謙遜、長上に対する忠誠、同輩への礼節、弱者への憐憫、教会への献身等の諸徳を具備する英雄的性格の理想を造り上げた。それはよしんば現実生活においては到達されないとしても、なおもって学ぶべき最高の典型としてみな人に承認されていた理想であった。

教会にも動機が様々あるということをやや皮肉って表現しているところも痛快ですが、ここで述べた理想の騎士像はあくまでも理想に過ぎない可能性を示唆しているのは現実的な発言です。そして、『キング・アーサー』において、アーサーが信じている神は幻想でしかないと言われるシーンを思い出させます。それほど、理想の人物や思想というのは稀有な存在であり、現実的ではないとみなされるのでしょう。

誰の目にも明白なことは、こういう手段で行なわれる社会正義が、いかに乱脈なものであったかということである。本来の目的は悪を矯めるはずの力が、とかくに濫用されてかえって悪を与えることもあった。

従って筋は架空的であるにしろ、当時の世情を正確に写している多くの騎士物語から、私たちはある騎士の城が周りの土地にとっては恐怖の的であった事実を知ることができる。

(中略)

騎士道に関するこの種の理想と実際との矛盾が、騎士道に対して人々の抱いている全く反対な印象の説明となるであろう。一方において騎士道はもっとも熱心な賞賛の主題とされてきたとともに、他方では同じ熱烈さで非難されてきたのである。冷静に批判すれば、騎士道は近代に至って法律の支配に打ち負け、文官が(見た目は騎士ほどに絵画的ではないけれども)鎧を着た闘士に取って代わったということを、私たちは慶賀しないではいられない。

慶賀の字義は『喜び祝うこと。祝賀。』です。一見似つかわしくない表現に思いましたが、確かに冷静に騎士道を批判すれば慶賀という表現も肯かざるを得ない点もあるように思います。しかし、ブルフィンチが『中世騎士物語』を書いた1858年ならいざ知らず、文官の腐敗した現代においても、果たして慶賀という言葉が似つかわしいかと言えば、ちょっとまったと言わざるを得ません。

武官にせよ文官にせよ、理想は稀有であり、徳は容易にゆがめられるということを肝に銘じなければならないと思いました。

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2006年 11月 09日

千羽鶴と只管打坐

投稿者 by vulcan at 00:50 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

座禅をしたのも、まだ先月の1回だけで、それもわずか20分のことですから、只管打坐について語るには経験不足を否定できませんが、少し思うところができたので語ります。

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私は過去に千羽鶴を折ったことが一度だけあり、それは祖父のためでした。

祖父の余命が幾許も無いことがはっきりし、見舞いではありましたが、いよいよ最後の別れを覚悟して神戸に行くことになりました。その数日前より、祖父に奇蹟が起きることを願って千羽鶴を折ることを決意したわけです。

当時は、1時間でどれぐらいの鶴が折れるものか、さっぱり見当も付かない状態でした。折り始めて、がんばっても1時間で20羽、コンスタントにできるのは大体15羽だということがわかり、千羽折ることの大変さを、遅まきながら知りました。

その後、妻の大いなる助けを受けながら700羽ほど折り、弟と妹が100羽ずつ折ってくれ、最後の100羽は神戸に行ってから、両親や祖母、伯母、従兄弟などと一緒に見舞いの前夜に折りました。指先が痛くて痛くてたまりませんでしたが、折りきったことのうれしさが全てを癒してくれました。更に、既に千羽を折ってはいましたが、折り紙も余りがあり、見舞いの病院の待合室での手持ち無沙汰を紛らわせるために、ひたすら鶴を折っていました。

当初の動機は奇蹟を起こすことでしたが、次第に奇蹟などどうでも良くなり、とにかく祖父を思いながらひたすら折ることで得られる、精神的な安定感が非常に心地よかったのを今でも覚えています。

時には無心に折り、時には祖父の思い出に耽りながら折り、時には祖父の今の気持ちを思索しながら折りました。

そうした行いが、只管打坐に通じるものがあるように思う次第です。

本稿は次稿の前振りという位置づけです。それゆえ、千羽鶴と只管打坐との比較について、もう少し考え付くことがありましたら、次稿にて述べてみたいと思います。

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2006年 11月 06日

危険な話の終焉を祈って(5)

投稿者 by vulcan at 13:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

プルサーマル・佐賀県民投票実現の請求運動(中間報告)

署名収集活動から4週間が経過し、県議会への請求が効力を有するために必要な署名数(有権者の50分の1の署名;約14,000名)が達成された模様です。しかし、県議会が「県民投票の必要なし」として請求を退ける可能性も十分考えられ、引き続き署名集めに力が注がれています。

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 この署名収集には法律上のたくさんの制約があります。


  • 登録した署名収集人しか署名を集めることができない
  • 自分が住んでいる市町村の有権者の署名しか集めることができない
  • 学校の先生は署名収集人になれない
  • 回覧して署名を集めては行けない
  • 自筆の署名捺印が必要である

などです。

 こうした制約を乗り越えて10月31日現在、集った署名数は14000名を越えました。私たちの呼びかけに応えてご協力いただいた1911人の署名収集人の方々を初め、ご支援いただいています県内外のたくさんの方々に感謝申し上げます。
この県への請求は2ヶ月の間に佐賀県に住む有権者の50分の1の署名を集めれば成立します。佐賀県の有権者は約70万人ですから請求が成立するのは確実です。

そもそも、この署名運動がどのような手続きになっているのかというと

  1. 県知事へ住民投票条例制定を請求する。
      (請求が成立するための要件)
    1. 有権者の50分の1以上の署名
    2. 署名を集める期間は2ヶ月
  2. 県知事は条例制定について意見書を添えて議会に付議する。
  3. 議会で審議の上、可決もしくは修正可決されれば条例が公布される。
  4. 住民投票の実施

という流れです。

登録した署名人は10月31日現在1911人とのことですが、12月3日までの署名期間中も増やすことができるようです。また、住民投票条例をまずは制定する必要があり、裏を返せば今まで住民投票が行なわれたことが無かったということです。それゆれ、「佐賀県で史上初めて県民投票」とのキャッチフレーズが使われているわけです。

これまでのところ、 1996年に新潟県巻町での住民投票を皮切りに、30以上の自治体で条例による住民投票が実施されています。

Wikipediaによると主な住民投票の事例は以下の通りです。

  • 新潟県巻町(1996年8月)

    巻原子力発電所建設の是非を問う。条例制定による日本初の住民投票。反対が約60%を占める。

  • 沖縄県(1996年9月)

    日米地位協定の見直し及び米軍基地の整理縮小に対する賛否を問う。賛成が約89%を占める。

  • 岐阜県御嵩町(1997年6月)

    産業廃棄物最終処分場の建設の是非を問う。反対が約80%を占める。

  • 沖縄県名護市(1997年12月)

    在日米軍普天間基地返還に伴う代替海上ヘリポート建設の是非を問う。「賛成」「条件付き賛成」「条件付き反対」「反対」の4つから選ぶ形式で、初めて3つ以上の選択肢から選択する形式の住民投票となった。結果「反対」が過半数を占めたが、市長はヘリポート建設受け入れを決め、初めて住民投票の結果が反映されない事態となった。

  • 徳島県徳島市(2000年1月)

    吉野川可動堰の建設の是非を問う。投票率が50%に満たない場合は開票そのものを行なわない、とする規定が定められた。反対が約90%を占める。

  • 新潟県刈羽村(2001年5月)

    原子力発電所のプルサーマル計画導入の是非を問う。反対が約53%を占める。

  • 埼玉県上尾市(2001年7月)

    さいたま市との合併の是非を問う。市町村合併に関する初めての住民投票。反対が過半数を占めた。

  • 山口県岩国市(2006年3月)

    在日米軍再編に伴う厚木基地からの空母艦載機移転受け入れの是非を問う。反対が約90%(有資格者の過半数)を占める。ただし、直後の周辺市町村との合併に伴い、条例そのものが失効。

2006年 11月 02日

目的と目標に関する持論

投稿者 by vulcan at 00:15 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

教育基本法案比較検討(1)にて目的と目標について以下のように簡単に触れましたが、これらに関する持論を整理してみようと思いました。

『目的』という字義は、『実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。』であり、一方、『目標』という字義は、『見てすぐわかるようにつけたしるし。』です。これに対して、前文で述べている『理念』という字義は、『ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。』です。なお、現行法で規定している『方針』という字義は、『めざす方向。物事や計画を実行する上の、およその方向。』です。

私が一番違和感を感じるのは、政府案が『目標』として挙げていることが、果たして『目標』たりうるかということです。目標とはマイルストーンであり、達成したのかどうかがすぐに分かる性質を備えていなければならず、そうしたものを欠いた場合、寝言に過ぎません。

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目的とは、自分が到達したい在り様であり、到達したかどうかは、客観的に測定するのではなく自分の主観が決めることだと考えています。他方、目標とは、目的を達成するために、最適なマイルストーンであり、到達したかどうかを客観的に測定可能である点が特徴であると考えます。

例えば、「正義を全うする」とか、「大樹となる」とか、「仁義厚い人物の役に立つ」とか、あるいは、「幸せな家庭を築く」とか、「真の友情を育む」とか、「やりがいに満ちた職場を創出する」とか、「多くの人に喜んでもらう」といったものが、私が目的とみなすもので、これらのものはどれも客観的に測定することは(指標は得られるにしても)あまり意味がなく、自分自身が達成したと満足するかどうかが全てです。

目的とは、即ち動機であり、これが長く保たれることで、理念となり、あるいは信念に昇華すると考えます。そして、目的は、常に判断基準として機能します。

「正義に適っているかどうか」、「大樹となるのを阻む卑怯な行動ではないか」、「幸せな家庭を壊す要因になりはしないか」、そんな判断基準となるわけで、目的がなければ全てを損得で、あるいは気まぐれな好き嫌いで判断することになってしまうと思います。

それゆえに、目的は常に念頭におく必要があり、一時も忘れてはならないものだと考えます。一方、目標は、逆に常に執着するのは良くないと考えます。

目標とは、先にも述べたとおりマイルストーン、あるいはメルクマールです(ドイツ語に直しただけですが…)。なぜ目標を持つのかというと、目的達成に最適な道標だからです。目的は非常に曖昧というか、測定不能のものなので、近づいているのかどうかが分かりづらく、ややもすると日常の雑多な事柄に振り回されて目的を見失ったり、なかなか前進しなかったりします。

そこで、目的を見据えた上で、一定期間で測定可能な道標としての目標(マイルストーン)を設定することが、目的達成の近道となります。「資格試験に合格する」とか、「年収○万円を達成する」とか、「資産○万円蓄える」とか、「売上高○億円を達成する」とか、「子供は○人欲しい」とか、そういった類のものが目的に適っているのであれば、目標となりうるでしょう。

しかし、目標というのはそれを定めれば達成できるかというとそうではありません。そして、定めること自体は実はそれほど重要ではないと考えます。目標設定の最大の価値は、手段が明確になる点です。目標を設定することで、「今、何をすべきで、何をすべきでないか(我慢すべきか)」が明確になります。

良いか悪いかではなく(良いか悪いかは目的に照らして判断すれば足ります)、今すべきかどうかは設定した目標が導いてくれます。そして、何をすべきかという手段を明確にしたら、あとは、(次の設定時期まで)目標は忘れてしまったほうがいいと私は考えています。

私の経験則ですが、目標に固執しすぎると目標は遠ざかってしまうか、目標が大きく見えすぎて萎縮してしまいます。恋愛でも意中の人を求めすぎると成就しないように、すべきこと、すべきでないことに専念した方が結果につながりやすいと思います。

そうして、例えば1ヶ月とか、3ヶ月とか、別に1週間でもいいですが、一定期間経った段階で、目標を思い出し、目標が達成できているのか、近づいているのかを測定するとともに、再度今の目標が目的に最も適っているかどうかを検討し、違っていれば目標を修正し、新たな目標に向けて最適な手段が何かを検討する、というプロセスを踏んだ後には、再度目標を忘れてしまう(意識から外してしまう)わけです。

ところで、コミットメント(約束、誓約、公約)という言葉があります。目標をコミットすることが目標達成の強い動機となるということです。しかし、コミットメントには魔性が潜んでおり、毒にも薬にもなるということは留意しておく必要があると思います。

コミットメントは目標達成の強い原動力となり、何が何でも目標を達成しようとする力が働きます。そのため、あらゆる手段が駆使されることとなり、非常に厳しい目標でも達成しうる奇蹟が起こります。

しかしながら、コミットメントには二つの魔性が潜んでいると考えます。

一つは、コミットメントにより、目標が実体以上に大きく見えるという魔性であり、「ああ、とても自分には無理だ」と己に暗示をかけてしまうことがある点です。無謀な目標設定であればあるほどこの魔性の毒性は高まります。そして、日々は忘れるべき目標が常に頭から離れず、目標に執着しすぎて、返って目標を遠ざけてしまうものだと思います。

いま一つは、コミットメントにより、目的が見失われる魔性です。あらゆる手段を駆使するあまり、目標と目的が混同されてしまい、目標は達成できたとしても、目的からはずいぶんはなれたところに至ってしまう、それも取り返しの付かない場所に、ということが得てして起こり得るものです。

そんなわけで、コミットメントは、最善の手段と不屈の精神を提供するツールであることをわきまえ、魔性にとらわれないよう心がけることです。また、やたらに(場の雰囲気や成り行きで)コミットすべきではなく、コミットする価値を自分の中に見出した上で行なうべきだと思います。

2006年 10月 29日

『武士道』新渡戸稲造

投稿者 by vulcan at 07:36 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

『いま 新渡戸稲造 武士道 を読む (サムライは何を学び、どう己を磨いたか)』志村史夫(三笠書房)
『武士道』全文を載せているわけではありませんが、志村氏が現代に必要なエッセンスを抽出してくれており、初学者にはお勧めの解説書だと思います。武士道の本質を容易に理解することができ、先にこちらを読んでおけば、後日『武士道』全文を読んだときに覚える多少の混乱を防いでくれると思います。

『(人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える) 武士道』新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説(三笠書房)
『武士道』の訳者として奈良本辰也氏は有名と思われ、確かに注が非常に詳しいと思います。『武士道』は、欧米人向けに『武士道』を紹介する目的で書かれているため、欧米の偉人を多く登場させながら『武士道』へのなじみやすさを演出していますが、我々、特に現代の日本人にとっては、こうした欧米の偉人が登場することは、返って分かりにくくなることもあるため、詳細な注を付した本書は、『武士道』を初めて全文読むには最適な書と言えるかもしれません。解説自体は7ページほどで、「注こそ解説」といえるのかもしれません。

『(いま、拠って立つべき”日本の精神”) 武士道』新渡戸稲造著、岬龍一郎訳(PHP文庫)
全文の訳文と解説という構成であり、奈良本辰也氏の本かこちらかのいずれかを読めば十分だと思います。注のボリュームは少ないですが、最小限の注は付されています。奈良本氏の訳本の場合、注の存在により、あちこちで流れを分断して注を読みふけるという読み方となるのに対し、岬氏の訳本の場合は、本文中にカッコ書きで最低限の注を付すに止めていることが多く、読書の流れが切られずに快適かもしれません。また、解説は20ページに及び、なかなか当を得ている解説で、一見の価値があります。

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さて、新渡戸稲造の『武士道』には、引用して解説を試みたい箇所が何箇所もありましたが、そうすることで、最も伝えたいことが薄れてしまいますので、次の一節を引用するのみとします。

私見によれば、義理は「正義の道理」として出発したのであるが、しばしば決疑論に屈服したのである。それは非難を恐れる臆病にまで堕落した。スコットが愛国心について、「それは最も美しきものであると同時に、最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いていることを、わたしは義理について言いうるであろう。「義しき道理」より以上もしくは以下に持ち行かれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。

「正義の道理」の絶対命令に基づいた義務であった義理が、決疑論(詭弁、こじつけ)に容易に屈服し、非常に堕落しやすいものであり、また、卑怯者の巣と化しやすいものであることには、非常に留意しなければならないと思います。
義理なら何でも尊ぶ、何でも重んじるというのは、義理を大切にしているとはいえません。「正義の道理」に適っているならば義理を重んじ、「正義の道理」に外れた義理を要求された場合には、それをはねつけることが義理を大切にしていることになると思います。

それにしても、スコットの愛国心についての言葉は、「なんともまあタイムリーな表現だ」と思うのはわたしだけでしょうか。


『武士道』は確かに今読まれるべき書物だと思います。

現代の日本人にとって、最も足らないものは信念だと思います。信念が何もないので、正邪善悪、つまり、何が正道なのか、何が邪道なのかが分からなくなり、また、何が善なのか、何が悪なのかも分からなくなるのでしょう。また、差別と区別の違いも分からなくなるのも信念が一本通っていないからだと思います。

『武士道』は、100%受け入れるべき書物ではないと考えますが、信念を持つきっかけとなるようないろいろな学びがあると思います。そして、何を受け入れるべきか、何を拒否すべきかは、人それぞれ、また、そのステージによって違いますが、そういうことを考えながら読み進めると、非常に有意義になると思います。

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2006年 10月 26日

危険な話の終焉を祈って(4)

投稿者 by vulcan at 11:44 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

四たび、温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』から引用します。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

危険な話の終焉を祈って(1)

危険な話の終焉を祈って(2)

危険な話の終焉を祈って(3)

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原子力と環境 中村政雄 中公新書ラクレ

グリーンピース創始者は、なぜ転向したのか..と、タイトルにも増して大きな帯の文字。

グリーンピースは反捕鯨で知られる環境団体でその活動は反原発にも及び、核物質を積んだ輸送船を追跡するなど、その行動力には定評がある。

自ら調査・研究が出来ないものにとって、本や反原発団体のWebページは貴重な情報源となっている。

私は、原発の存在に恐怖を抱いている。安全、安全とばかり聞かされても、真実の声が伝わってこない。原発について調べれば調べるほど不安だけが大きくなるばかりだ。どこかに確かな安全情報がないかと、探すものの、安心広告以上のものを探し出すことが出来ないでいる。原発推進の学者や識者の意見は決まって、CO2による温暖化やエネルギーの問題と絡め、安全管理をしながら推進という話に行き着く。

安全管理をしても事故は起こるし、いままでも小規模な事故は起こっている。ひとたび事故が起こると手の付けようがないのが原発事故の恐ろしいところだ。事故の拡がりを食い止めるすべもなく、被爆の危険のため被害者の救出もできない。避難するにも交通網はパニック状態で身動きがとれない。追いかける死の灰から逃れるには風よりも早く、1000Km単位で移動しなくてならない。

つまり、事故が起こればすべてが終り、終わったとこから生き延びた人々の苦悩が始まる。「NIPPONチャチャチャ!」とスポーツやイベントに興じているようでは、この地獄図の空想すらできないだろう。

本書は、少しでも安全情報が欲しいと思っている矢先の出版であった。グリーンピースの創始者の話なら、反原発から賛原発に転じた信頼のおける安心を示してくれるだろうと期待を寄せた。

結果から言うと、惨憺たる本であった。著者は科学の素養があり、新聞社の科学部記者を経て現在、科学ジャーナリストという職にある。書物の中には読む価値のないものもあるが、読む価値はなくとも批判する価値のある本がある。まさに、この本がそれに値する。科学部の記者として一体、この著者は何を見て、何を考え行動してきたのだろうか。まさに電力会社の広告、「原子力物語」から一歩も出ることがなく、新たな情報を得ることはできなかった。

2005年4月28日。反原発団体グリーンピースの共同創始者の一人であり、環境学者のパトリック・ムーア博士がアメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会で証言した。「原子力は二酸化炭素(CO2)も大気汚染物質も排出せず、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる唯一、最善のものである」と言った。

CO2と温暖化が出てくれば、すでに後の展開は知れたものだ。冒頭から失望させられる。過去に自分が主張してきたことをいとも容易に否定できる心境の変化にこそ興味がある。そして、著者はこの年の12月、ムーア博士に転向の理由を直接聞く機会を得た。

  • 原子力の軍事利用と平和利用の区別がつかず反対した。ところが原子力発電は安全で環境にクリーンであることがわかった。地球に住む65億人が食料やエネルギーを必要としている。その解決策が原子力エネルギーである。
  • 現在、世界のエネルギーの約86%は化石燃料で賄われている。残りの原子力と水力で約7%、残り1%以下がその他である。環境活動家は化石燃料、原子力、水力に反対している。残り1%以下の方法でエネルギーを賄うのは実用的ではない。
  • 冷戦が終結し、核エネルギーと核兵器を結びつけ、原子力の開発が兵器の隠れ蓑である時代は終わった。
  • 原子力発電のコストの約1/3は安全システムの整備にあてられ、世界で約440基の商業用原子炉が安全に稼動している。
  • 世界には多くの誤った、歪められた情報が多すぎる。原子力はその良い例だ。事実とフィクションを見分ける力を身につけ、正しい情報か恐怖を煽ろうとしているのかを判断してほしい。
  • 環境保護活動家の多くは原子力に対し、全く非寛容(ゼロ・トレランス)だ、そこには科学的な検証や論理的な考えかたなどなく、宗教的な信念だけだ。そのため対話も成り立たない。
  • 化石燃料によるCO2の排出を抑えるため、原子力エネルギーをベースに水力、地熱、バイオマス、風力、太陽光などの自然エネルギーを組みあわせていくべきだ。

以上が5ページに渡る要旨であるが、6ページ目には、「会場が沸いたのはグリーンピースの資金源について語ったときだった」と、そこから9ページを割いて反原発の活動資金と内情を暴露する。「環境を大切にしている」というポーズをとるため、50の財団がグリンピースに資金を提供しているという。

グリーンピースがいかにお金にまみれているか、いかに教条主義か、いかに風評を煽るか、ついでに「ロシアやアメリカの情報機関とつながっていることを聞いた」と語ったという。著者のコメントは「(博士は)冗談めかして語ったが本当だろう」、「(グリンピース)の実体に迫る報道がないのは情けなく残念だが、日本はまだその程度の情報小国なのである」。

これが元・新聞記者、現・科学ジャーナリストの言葉だろうか?数値や実証されていること、実際行われていることを示し原発の議論に正面から挑むべきだ。低次元の井戸端会議に沸いているくらいでは、どちらが情けなく残念なのか。資金源や闇の部分は賛原発こそ巨大なものだ。しかし、闇の部分を取り上げる手法は反原発派も用いるのでお互い様として、だから原発はクリーンだという主張はできないし、原発の危険までもが帳消しにはならない。

私がもっとも知りたかった、「グリーンピース創始者は、なぜ"転向"したのか」という大きな帯文字のテーマは実質21ページで終わる。読書の意欲もここで息絶える。残り150ページは、「原子力・クリーン・安全」のお題目を繰り返し唱える賛原発のプロパガンダであった。

クリーン、安全の大合唱こそ胡散臭く、心配していることだ、危機意識の欠如こそが事故の重大な原因になるのだ。安全、クリーンという宣伝の他、エネルギーや温暖化に危機感のない日本人のことや人口増のためエネルギーが要ることを主張し、反原発運動の迷妄を揶揄する。

最終章で、日本文化を語り、神道や戦前を礼賛するのには違和感を覚えた。これが科学ジャーナリストとして「現実に立脚した視点(本の帯より...)」といえるのだろうか。反原発論者の仕掛けた地雷を避けながら歩くと、こんな話がせいぜいであろう。電力会社の広告をそのまま使った、お太鼓持ちに等しい。

こういう人たちにのみ死の灰が降り注げばよいが、困ったことに原発の被害は平等である。少なくとも、この本については賛原発の話の軽さと浅さで、結果的に説得力のある反原発の書となった。

グリーンピースではありませんが、ピースボートも信頼の置けない団体であることは、『ヒロさん日記』の『ピースボートの「核」しきれない初体験』で理解できます。

こうした反核団体の体たらくさ加減が、真相をうやむやにする一つの要因だと思います。もしかすると、反核団体にいつの間にか取り入った賛核派の『トロイの木馬』によって、いいように混乱させられているのかもしれませんが、そうであったとしても、脇の甘さを指摘せざるを得ません。

次に紹介するのは、20年間、原発の現場で働いた平井憲夫(故人)の「原発がどんなものか知ってほしい」という話である。原発関連の掲示板やブログなどでも頻繁に目にするが、「嘘が多い」と軽くいなす電力関係者もある。

日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。1989年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。そして、1991年2月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

ー cut ー

美浜の事故の時は・・・原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと0.7秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。

たぶん「・・・チェルノブイリになるところだった」という話を「嘘」と言いたいのだろうが、事故が起こった事実に揺るぎはない。不安を煽ることに神経質になる理由こそ知りたいものだ。

原発こそが最も環境を汚染することを語らず、危険性や経済性の本質を語らず、原発のためにこそ火力発電が必要なことも語らない。ここまでして続けたいのは、原発が発電を目的とはしていないからではないか。

チェルノブイリの事故から20年を迎えた4月、数々の報道特集が組まれた。現在、廃墟となった原子炉は危険が去らず管理が続いている。そこに近づくと徐々にアラームの音が速くなり急を告げる。ここで作業をする人々は被曝しているのだ。そして原子炉近くでのまとまった作業は困難だという。平井氏の話から、さらなる引用である。

放射線量が高いところですと、1日に5分から7分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、3日分とか、1週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。

ー cut ー

稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが1本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人30人を用意しました。1列に並んで、ヨーイドンで7mくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。

ネジをたった1山、2山、3山締めるだけで160人分、金額で400万円くらいかかりました。なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を1日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。

「百聞は一見に如かず」。クリーン、安全と言う人々よ...原子炉を囲み、人間の輪を作ってアピールしてくれ。そして、それから10年、放射能による障害が何事もなければあなたたちの言い分を認めよう。

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2006年 10月 25日

『あなたが知らなかったギリシャ神話』ミヒャエル・ケールマイアー

投稿者 by vulcan at 22:13 / カテゴリ: / 5 コメント / 0 TrackBack

私のハンドルネームであるVulcanは、Kawasakiのバイクの名前『Vulcan』から付けたものです。このバイクは平成7年の4月に買ったものなので、かれこれ11年以上の付き合いであり、私が『Vulcan』と名乗りだしたのが、平成10年か、11年ごろからだったと思いますので、こちらも7、8年になります。

これぐらいの長さになってくると、ハンドルネームといえども名前に性格が付いてくるもので、そうなってくると、名前の由来も気になります。バイクの名前ではありますが、ギリシャ神話に出てくる火の神であることも当然念頭に置いた上で選択したわけで、一度神話についてじっくり理解したいものだと思っていました。

なぜ、私がハンドルネームを必要としたのかというと、ネットワークゲームをし始めたからです。その後、ホームページを作りましたのでそこでもハンドルネームは必要でしたが、一番最初はディアブロというネットワークRPGでの要請でした。

私は、ネットワークゲームはディアブロとAge of Empiresというウォー・シミュレーション・ゲームしかはまりませんでしたが、その代わり、この二つは半端じゃないほどはまりました。そのあたりの詳しい話は別の機会に譲るとして、バーチャルな世界において、特に初期のころ、Vulcanとしての性格形成をゲームを通じて行なっていたわけです。

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Age of EmpiresのシリーズでAge of Mithologyというのがありました。これは、プレイヤーがエジプト、ギリシャ、北欧の3文明から一つを選択し、更に主神と従神を選択することで、文明の性格形成が行なわれるという、一風代わったシステムでした。

私は主にエジプト文明を選択し、初期のころは主神をラー、従神をブタハ(古典時代)、セクメト(英雄時代)、オシリス(神話時代)という組み合わせが多かったです。わずかに北欧を使うこともありましたが、ギリシャを使うことは皆無だったといっていいかもしれません。すなわち、「ギリシャというのは常に敵が使う文明である」というのが私にとっての位置づけでした。

ギリシャは主神をゼウス、ポセイドン、ハデスの3神から一人を選択します。従神は、主神の選択によって選択肢に制限がありますが、古典時代においてアテナとヘルメスとアレスから1神、英雄時代においてディオニソスとアポロンとアフロディティから1神、神話時代においてヘラとヘファイストスとアルテミスから1神を選びます。

こうして、各文明は、神々に祈り、神々の恵みを受けて国土を豊かにし、また、神々の力を借りて自国の戦力を強化し、敵を殺戮しながら領土を拡大していくわけです。

しかし、このころは、ヘファイストスがVulcanのギリシャ名であることを知っていませんでした。知っていたら、きっと意地でもギリシャばっかり使っていたと思います。今思えば残念なことです。

また、Age of Mithologyの拡張版では、アトランティス文明が登場し、主神はガイア、ウラノス、クロノスから選択するというものでした。

とまあ、多少脱線気味に、ゲームについて語ってしまいましたが、そんなわけで、ギリシャの神々の名前だけは多少なりとも知っていました。

さて、掲題の『あなたが知らなかったギリシャ神話』に戻ります。初めてギリシャ神話をまともに読んだ感想ですが、相当のカルチャーショックでした。

そもそもの神話の始まりはガイアからだそうです。そして、ガイアからウラノスが生まれましたが、ガイアはウラノスの母であり、愛人だったそうです。そして、ガイアとウラノスの子供の中にクロノスがおり、クロノスはガイアの命によってウラノスを去勢してしまいます。

去勢された性器が海水と混ざり合って泡立ち、その泡から美の女神アフロディティが生れます。一方、クロノスは姉のレアーを妻とし、ヘラ、ハデス、ポセイドンなどが生まれ、最後にゼウスが生れました。

ゼウスはクロノスを負かし、隠居させました。そして、姉のヘラを妻とし、天と地を治めることにしました。兄のハデスは冥界を、ポセイドンは海と川を支配します。

ゼウスは様々な女神を手篭めにしますが、エウローペーについては、レイプしたとする説があるようです。しかし、エウローペーがヨーロッパの語源となっていることから、この説に強力に反対する一派もいます。

・・・とまあ、そんな感じで、また、英雄伝説についても、息子に殺される親の話、逆に息子を殺す親の話、男たちは戦場に行き屠った国の女を我が物とし、留守を守るはずの妻たちは愛人作りに忙しいなどなど、倫理もへったくれもないという有様です。

そもそも、古代ギリシャには倫理観というものが無く、倫理観はキリスト教によって造られたのではないかと思うのですが、そうすると、古代ギリシャには正邪善悪は無かったのかというと、善悪は無かったとしても正邪はあったと思えます。

となりますと、正邪と善悪はどう違うのかということになりますが、正邪とは正道と邪道、つまり、潔いかずるいかという区別です。一方、善悪とは、善行と悪行という区別ですが、こちらは、個々の主観によるところが大きく、ある者にとっては善行でも、別の者にとっては悪行極まりないということも往々にしてあることで、一概に決められるものではないと最近つくづく思いますので、古代ギリシャにおいて、善悪という観念を持たなかったのは、ある意味で聡明であったと思ったりもします。

つまり、ある者を救うためにある者を殺す、あるいは、ある者を殺すことである者を守るということは、古代ギリシャにおいてはしょっちゅうあったことであり、これをいちいち善悪として判断していたら矛盾だらけになってしまいます。そして、殺し方が正道か邪道かだけを判断するわけです。

あるいは、私が突然行方をくらまし、20年後に突如戻ってきたとしましょう。20年もの間、妻は私の帰りを待っているでしょうか。更に、私が戦争に向けて旅立っていたとしたらどうでしょう。とにかく、20年後に私が突然戻ってきて、妻が新しい家庭を築いていたとしたとき、果たして善悪で物事を判断できるでしょうか。ここでも、やはり、正邪の観念だけが絶対です。私が行方をくらます前から関係を持っていたとすれば邪道、そうでなければ正道ということになりましょうか。

まあ、そんなことを考えさせられるギリシャ神話でした。

ところで、『あなたが知らなかったギリシャ神話』において、一番心に残った一説は、ヘファイストス(ペーパイストス;Vulcan)とアテナ(アテーナー)の比較論です。それぞれの神のことを知れば知るほど含蓄のある一説なのですが、両者を事細かに説明するのは話が長くなりすぎるので端折ります。

一面、ヘーパイストスとさまざまに似たところもあるものの、また別の面からするとこの鍛冶の神の対極にあるのが、パラス・アテーナーです。この女神は、なりゆきによってはゼウスをしのいでもおかしくはないすべてのものを備えていました。ひょっとしたら、アテーナーはとっくにそうしているのかもしれません。とっくにわたしたちの上に君臨しているのかもしれません。ただ、わたしたちがそれに気づかないだけなのかも…アテーナーの成果とは、ずばり、原則だけによってふるまうこと、概念を隠れ蓑にすること、純粋な、見も蓋もない分別だけで武装することです。
ギリシアの多くの地方では、アテーナーはゼウスよりも高く崇拝されていました。アテーナーはオリュンポスの、どうにもとらえどころのない女神です。その出生は、一種の単性生殖を思わせます。
ゼウスは妻に、自分もひとりでなにかを産むことができるところを示そうと思いました。すぐさま、できるわけないでしょ、との反論が、ヘーラーから返ってきたことでしょう。そのころゼウスは、ティータニスのメーティスに恋をしていました。メーティスはゼウスと寝ることを拒んで、雲隠れしてしまいました。ありとあらゆる植物に変身し、ありとあらゆる動物に姿を変え、およそ考えられないような形になりながら、ゼウスから逃れたのです。
それでも、ゼウスはメーティスを追いかけまわしました。そしてかわいいメーティスは、ついにミスを犯してしまいました。メーティスは蠅に変身しました。これなら見つけられっこない、と思ったのです。ところがゼウスは、この蠅をひょいと捕まえて、呑みこんでしまいました。ゼウスの体の中に閉じこめられたメーティスは、血管を伝って上へ上へと這っていきました。そして、なんとも不思議な方法で、メーティスは神の体の中で身ごもったのです―どのようになんて、こんな奇想天外なてんまつは、のっけから描写しようという気も起こりません。
ゼウスはメーティスと情を交わしたいと思ってはいましたが、息子が生れることは望んでいませんでした。メーティスに生れる息子はゼウスをしのぐであろう、と予言されていたからです。ゼウスは、それはなんとしても避けたいと考えました。けれども、いまやメーティスは身重です。そして、ゼウスの頭へと、じわじわと登りつめていきました。ゼウスは苦しみだしました。同時に不安にもなりました。胎児は頭蓋骨を内側から圧迫し、ゼウスの頭はふくれあがりました。そしてついに神々の鍛冶、ヘーパイストスが呼ばれました。
ヘーパイストスは、この問題を職人ならではのやり方で解決しました。斧でゼウスの脳天をぶち割ったのです。ぱっくりと割れた頭から、パラス・アテーナーが、すっかり成長した姿で、完全武装してあらわれました。
アテーナーは、ですからゼウスのお腹、ではなくて頭を痛めた子供です。さしずめ、ヘーパイストスは産婆といったところです。そのためか、ヘーパイストスはアテーナーを、目に入れても痛くないほどかわいがりました。アテーナーにだけは、無礼なところも、粗暴なところも見せませんでした。むしろ、へりくだった態度で接しました。アテーナーは、他の神々と一緒になって、ヘーパイストスを笑いものにしました。けれども、一つのことでは、ヘーパイストスと意見の一致を見ていました。二人は、愚昧な荒くれ者アレースに我慢がならなかったのです。
アテーナーはヘーパイストスとは正反対のことを体現しています。アテーナーはひらめきの女神でした。精神のアテーナーに対して、ヘーパイストスは現実に密着した手仕事を表しています。ヘーパイストスは、火を使って世にも見事なものを作ることができました。けれども、最後のところでひらめき、つまり太陽が、ヘーパイストスにはありませんでした。神話の語るところでは、火はどこまで行っても太陽の模倣でしかありません。また、行為はどこまで行っても思考の後追いでしかありません。アテーナーは、ほかの全ての神々と違って、精神を神格化した女神でした。

ゼウスの妻ヘラ(ヘーラー)の単性生殖で産まれたのがヘーパイストス(Vulcan)であるならば、アテーナーはゼウスが単性生殖で産んだようなものです。ヘーパイストスは妻のアフロディティを寝取ったアレースを憎んでいたと思いますが、アテーナーはアレースの粗暴さを憎んでいたようです。しかし、アテーナーは清浄なのかというのは浅はかです。

アテーナーはちやほやされることが好きでしたが、それは知的なやり方でなくてはなりませんでした。露骨に言い寄ったりすると、失格でした。アレースに対するアテーナーの敵意は、神々の世界にしょっちゅういざこざを引き起こしました。アレースは、血に飢えた乱暴者ではありましたが、全面戦争、つまり殲滅戦の創始者はアテーナーです。アテーナーは戦略家でした。敵を前にしたり、あるいは敵を前にした英雄に加勢しようと思ったときに、アテーナーが提案する方策は、いつも徹底したものでした。つまり、完膚なきまでにやっつける、というものです。最小の被害で最大の効果をあげなければならない、敵を全滅させることでしか、将来にわたって憂いをなくすことはできない、というわけです。
アレースとアテーナーが現代にいたとしたら、わたしは迷うことなく、パラス・アテーナーに恐怖を抱きます。パラス・アテーナーは原子爆弾の女神です。アレースは残酷で残忍ですが、原爆による大領殺戮は、この神のお気には召さないと思います。

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2006年 10月 22日

『正法眼蔵』勉強会参加報告

投稿者 by vulcan at 06:22 / カテゴリ: 存在理由 / 6 コメント / 0 TrackBack

20日(金)、会社帰りに『正法眼蔵』の勉強会に参加しました。勉強会での流れは以下のようになっています。

『正法眼蔵』「現成公案」素読(10分)
   ↓
講師による解説(75分)
   ↓
質疑応答・雑談(15分)
   ↓
坐禅(座禅)(20分)

2時間の勉強会で、最後の20分は座禅ということで、座禅が初めての私には、多少なりとも緊張感を持って臨みました。

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本日のテーマは『遍参』でした。一般的な解釈としては「遍く諸方の知識に参じること。雲水の如く行脚して、尋師訪道すること。」のようですが、『遍参』が推奨されだすとたちまちにして、「新しい発見は外にこそある」とばかりに、真理や修行を外に求めがちとなる人間の浅薄な性向を戒めた訓戒でした。

どういうことかというと、「自分探し」と題して、世界各地を放浪してみたり、「天職を見つける」と称して、あちこち会社を変わってみたり、あるいは、「自己を向上させる」ために、いろいろなジャンルについて学ぼうとする人たちは、ちょっと立ち止まって考え直したほうがいいということです。

確かに、自分の狭い世界に閉じこもっていると「井の中の蛙 大海を知らず」となってしまいますので、外に教えを学ぶというのは大切なことですが、自分というものが何もない(何も確立されていない)のに外にばかり求めていても、学んでいるつもりでいるだけで、(肝心なことは)何も学べないでしょう。

そのため、まずは自己を確立するため、「一つに徹する」ということが大切です。どんなにつまらないと思っても、どんなに腹が立っても、我慢するのが大事です。「悔いが残らないようにする」というのが何よりも大切で、「我慢する」というのも、「悔いを残さない」ための我慢であれば、楽しむことさえできます。

そんなことを考えさせられた『遍参』でした。

『つらつら日暮らし』様の方で当日の様子がアップされています。写真を見ると、ちょっと新参者とは思えないようなリラックスした態度をしている私がいますが、雑談中ということで、言い訳させてください(笑)

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2006年 10月 20日

危険な話の終焉を祈って(3)

投稿者 by vulcan at 00:24 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

三たび、温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』から引用します。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

危険な話の終焉を祈って(1)

危険な話の終焉を祈って(2)

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原発は「トイレのないマンション」とも言われ、その廃棄物の処理や管理に危険と困難と多額の費用を要する。それでも克服されることのないのが核物質である。原発に一歩踏み出したときからこのことが運命付けられたのだ。

この計画がしたたかに生き延びていくのは、広島型原爆3万発分ともいわれる核廃棄物の処理のためでもある。先に述べたように原発が稼働する限り廃棄物の発生は避けられず、原発を止めても残った廃棄物の処分と管理が待っている。原発を巡り巨額な金が動くと利権も生まれ、そのことが止められないもう一つの理由かも知れない。

公共事業に見られる構図は定着し、政治や行政、国策といわれるものの不透明さが透明に浮かび上がる。既に述べたように原発は再処理、廃棄物対策といった一連の経費とともに、税金による地域振興策がセットになっている。こういうことでしか国の政策や経済の存続が出来なくなってしまったことは私たち皆が受け入れなくてはならない。政治への不満や希望は熱く語るものの、いざ選挙では馴れ合いの一票を投じる。この行動が積もり積もった結果ではないか。

3/23日、ついに議会までもが知事の同意を容認し、「プルサーマル計画を慎重に推進」という決議が34:3(退席2)で採択された。知らないうちに、知らせないうちに、知らせたら困ることが進行していく。公には県民の意見を...と言いながら、もっとも大事なことは強権を発動する。すでに、2/21日地元の町長は、路線どうりの行動か、と思わせるほどあっさり同意を表明した。「国がやることだから間違いないでしょう...」と、町の人の声をテレビが伝える。

事故が起これば町は壊滅し、それだけでは済まない。この計画に熟慮が必要だろうか。やめることで得られる未来の保障をなぜ目指さないのか。こんなことに金を使うくらいなら新幹線や干拓や高速道路に注ぎ込むほうがはるかによい。

自分たち役人がババを引かないように、現実を直視せず、問題を塩漬け、先送りにし、責任を回避しあい、身内をかばいあう姿が目に浮かびます。

添加物、農薬、ダイオキシン、環境ホルモン、狂牛病、、、危険な話は後を絶たないが、個人の努力で回避可能なものはまだ救いがある。

核は人類の存続に深刻な問題を投げかける。兵器はもちろんだが、原発によって生み出された世界中の核物質が人類の終焉を決するかも知れない。

就任後間もない頃のある休日、人通りの少ない歩道を歩るく知事を見かけた。多分、愛娘であったに違いない。子供の手をとり、買い物の袋を下げた姿に親近感を覚えた。この平和な光景と、いまに至っての決断との乖離に茫然としている。世界の人々や子供の未来を考えた上での同意だったのか。

「技術や費用、電力需要の問題で実現は困難だろう」という学者や識者の話もあるが、そこに行き着くまでの安全に不安があり、見切り発進も懸念される。政治に対する無力感...「どうせ世の中こんなもの」と悟っても、諦めに徹することはできない。なにか私にできることはないだろうか、神よ知恵を与えたまえ。

温心堂主人の決意のほどがよく分かります。とにかく温心堂主人の役に立ちたいというのが私の希望です。以下、追記部分を連続して引用します。

【追記.1】

3/24日、この草稿を書き上げた日に北陸電力志賀原子力発電所2号機(石川県志賀町)をめぐって一つの判決が下った。今月15日に営業運転を開始したばかりの2号機だが、大規模な地震などの自然災害が懸念されるなか、電力会社の想定を超える地震があれば、いまの耐震設計では事故が起こり、被曝する具体的可能性があるとして運転の差し止めが命じられた。

夕方のテレビで歓喜に沸く原告の人々に心から拍手を送った。一方、地元町長は憮然として「意外な判決だ..」といい、電力会社は「予想外、不当判決..」などのコメントとともに直ちに控訴を表明した。危険を指摘されながらも運転をやめるつもりはないらしい。

結審までいったい何年を要するのか、最高裁の判断が出ても不当判決と言い続け居直るのが通例である。災害は明日にでも起ころうというのに恐ろしい話だ。この間、電力会社や国はどのような対策、作戦を巡らすのかその心配もある。

原発を受け入れた地元にはこれまでに約177億円もの交付金が支払われ、小中学校は改修され、道路整備も進んだという。のみ込んだものを吐き出すわけにもいかぬ町の苦悩はわかるが、命の値段は金には代えられない。

願わくはこの判決が神風となり、佐賀のプルサーマル計画が頓挫すればいいのだが。佐賀でも判決は大きく取り上げられ、テレビで地元町長と知事のコメントが流れた。町長は「意外な判決だが、安全は確保されなければならない」といい、知事は「国の意向をお伺いして...」という。

【追記.2】

3/26日、ここ数日の動きはめざましく、大きな出来事が続いた。まさに間髪を容れずに事が進行する。周到に計画されたタイムテーブルに沿ったものであろう。

この日は休日ともあって、県内各地で春の行事が催され桜も見頃を迎えた。朝9時から午後3時までの6時間の間に県や国の命運を左右することが行われた。知事はついにプルサーマル計画に正式に同意したのだ。国から大臣を迎えて原発を視察→安全宣言→会議→県庁で電力会社へ同意書を手渡し→記者会見。

結果は解っていたが、テレビ、ラジオを傍らに置き固唾をのみ見守った。まさに分刻みのスケージュールで6時間。反対派の市民団体は抗議を続け、署名を手渡そうとするが職員に阻止され知事には届かない。涙ながらに訴える女性の姿が痛々しく、従来の反原発には見られない危機感がつのっている。この日の出来事は夜のニュースのトップで伝えられる。そして翌日も、同じようにトップで扱われ佐賀新聞では数面を割いて記事が載せられた。

ここに来て、やっと県民は「プルサーマルとは何ぞや?」と気づき始めたのではないか。未来を担う子供達は知らないし、大人でも事の本質を知る人は少ない。「放射能は危険だが管理をすれば大丈夫」というていどで、当局の流す情報以上のものを得た人は少ない。

県境で事故が遮られるわけではなく、直ちに影響を被るであろう福岡、長崎の人々の関心はいかばかりであろう。このような人々の上にある日突然、死の灰が降り注ぐ。そのときどのような覚悟が出来るというのだ。

国や電力会社も安全や事故防止ということを最重要課題としている以上、危険の認識は十分あるものと思われる。反対派も同じ認識なのだ。同じ認識で何故、相反する行動に分かれるのだ。危険という共通の認識から、知恵を出し合い新たなエネルギーの模索は出来ないのだろうか。新聞には、「反対している人々に何度説明しても同じだ」という知事のコメントが載った。

【追記.3】

3/28日、追記.2までと思っていると、三たび原発についての大きな動きがある。異様に動きの激しい一週間である。

四国電力が伊方原発3号機(愛媛県伊方町、出力89万kw)で導入を目指しているプルサーマル計画の実施を経済産業省が許可した。これでプルサーマルの実施許可は、関西、東京、九州電力の計5基に続き、6基目となった。これから運転開始に向けて地元の同意を求める手続きに入るだろう。

このままいけば、佐賀と同様の経過が予想され、さらに電気事業連合会の計画では2010年度までに全国で16~18基のプルサーマル導入を目指しているという。佐賀、愛媛より早く許可が降りた関西電力の高浜3・4号機と、東京電力の福島第一3号機、柏崎刈羽3号機は、燃料のデータ改竄やトラブル隠しといった不祥事や事故などで、地元同意が白紙または凍結となっている。

国と業界の計画がここまで驀進すると、私が抱いている危機意識そのものが滑稽に思えてくる。一人の力は取るに足りないとして、幾万の署名を集めても権力を持つ一人にはかなわない。最近の政治や社会の動きは性急で強引だ。

我が国は一体どうなってしまったのでしょうか。世界の原発実験場と化そうとしているというのでしょうか。

【追記.4】

3/28日、まったくなんということだ。青森県六ヶ所村の再処理施設が稼働を始めることになった。ネットで見た地方版では「課題残し見切り発車・核燃再処理試運転同意」という見出しで...知事が試運転開始に同意を表明し、29日にも調印し、試験は31日にも開始されるという。国内初の商業用再処理施設として2007年8月の操業を目指し未知の領域に踏み込むことになった。

ウランの燃焼で生じる危険なプルトニウムの処理のため、それを集め再利用するというのがプルサーマル計画である。このための処理を六ヶ所村で行うことになる。再処理はプルサーマル以上に安全性に問題があるといわれている。約1万基の機器と総延長約1300kmの配管を持つ施設でわずかな不具合も許されない。その上、処理のどの工程に於いても事故発生の危険性が指摘されている。

もし、六ヶ所村の工場でフル操業時に臨界爆発が起これば、地球の半分の生命が無くなるほど巨大なものであるという。これほどまでに危険を冒し再処理した燃料を燃やしても、再びプルトニウムが発生する。原発の運転が続く限り、いつまでもプルトニウムを含む放射性廃棄物は無くならない。

技術や費用の問題などから、核保有国のアメリカでさえ再処理を断念している。また廃棄物の最終処分場はいまだ決まらず結果的に六ヶ所村で保管をすることになるだろう。

地層処分の計画もあるが、地震列島の日本で実現が可能かどうか疑わしい。再処理工場が稼働することで施設から高レベルの汚染物が発生し、使用済み核燃料に溜まった放射性物質やガスが一定量放出されるため、環境への影響も避けられない。

安全協定の締結が申し入れられるというが、実質的な安全は確保されず、ただの約束に過ぎない。仮にこの計画が頓挫したとしても、施設の解体や放射性廃棄物の管理に要する費用(バックエンド)も莫大なものになり、進むも泥沼、退くも泥沼の状況だ。税金が上がるはずである。

3日前まで...佐賀県がプルサーマル計画に同意すれば青森の再処理施設の稼働が始まるとして、青森の市民団体も反対運動に参加していた。エネルギー問題は人類の生存のために必要不可欠のものである。

確かに反原発の人々も電気を使っている。「イヤなら電気を使うな」という乱暴な議論もあるが、そのエネルギーが生存を脅かすならそれはもはやエネルギーとはいえないのではないか。私はこの同意で茫然鬱々となる。

しかし、青森に迫り来る事の重大さと緊急性は佐賀の比ではない。事故が起これば遠く北国の出来事では済まず日本各地や近隣諸国への影響は必至である。新聞に記された青森県幹部のコメントは「やっとここまで来た、年度末で区切りもいい」とのこと。何回読み返しても喜んでいるように見える。

NPO・原子力情報室の談話は「再処理工場の運転で結局、青森県が困ることを知事や県幹部が自覚していないことが悲劇だ」と...もし、取り返しのつかない事故が起こった時、この一週間の出来事が走馬灯のように蘇るであろう。臥薪嘗胆、次の選挙ではこのことを忘れない。

【追記.5】

3/30日、佐賀新聞は、九州電力玄海原発のプルサーマル計画に県が同意したことで、総額60億円の「核燃料サイクル交付金」が県に給付されることを一面で伝えた。同意から4日目である。

地域振興として原発を誘致することで数日のうちに巨額な金を手にする。交付金は県に支給されるため、地元の玄海町や唐津市が分配を要請しているという。言い換えるなら「オレにも分け前をよこせ」ということに他ならない。

真っ先に迷惑を被る唐津では農漁業者や観光業者を中心に反対運動が続いている。住民を馬鹿とでも思っているのか、政治家や役人のこの軽さに虫酸が走る。新聞記事は「交付金をあてにして事前了解があるわけではない」という知事のコメントで結ばれていた。

噂によると唐津地区では核廃棄物の最終処分場を誘致する計画まであるといわれる。危険と引き換えに得た金で地域の人々が幸福になれるとは思えない。得たものの代償は、後に大きなツケとして負わねばならない。そのための交付金ではないか。

「危険な話」が出版された1987年以降、大きな事故はなかったが、あわや大事故につながりかねない数々の事故は起こった。その都度、「このようなことが二度と起こらないように万全の...」と判で押したような会見が開かれ、再び、三たび..と起こっている。「万全の安全対策..」という人々と、「危険な話」とどちらに分があるだろうか。

【追記.6】

4/12日、再処理はプルサーマル以上に困難と危険を伴うといわれているが、早速、事故が発生した。

日本原燃は12日、試運転(アクティブ試験)中の青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場内にある前処理建屋の小部屋内で、プルトニウムなどの放射性物質を含む水、約40リットルが、11日未明に漏れたと発表した。

原燃によると、小部屋は厚いコンクリートで密閉されているため外部への放射線の影響はないという。3/31日の試運転開始以来、初のトラブルになるが、原因は作業員のミスだという。報告が一日以上も遅れた理由として「軽度な漏洩だったから..」と説明している。

軽度な事故が次の大きな事故に結びつくことはしばしばあるし、軽度という判断は今だから言える話に過ぎない。仮に大きな事故が発生した場合、一日はおろか一分の遅れさえ大惨事につながる。大事故が起こっても1日後に報告するのだろうか、そのときは報告する人も、報告を聞く人も、この国も惨憺たる終末を迎えていることだろう。

グリーンピースJAPANの情報では、六ヶ所村の工場では通常の運転でも大量の放射能を排出し、その量は1日で平均的な原子力発電所からの1年間分を超えるという。フランスのラアーグ再処理工場周辺では、小児白血病の発症率がフランス平均の約3倍にのぼるという報告がある。

日本原燃は、再処理工場周辺の健康被害について「ご安心ください。最良の技術で安全確保に努めます」と宣伝しているが、クリプトン85、炭素14、トリチウムは処理技術があるにもかかわらず、その全量を放出するとしている。

驚くべきことに経済的理由で意図的に垂れ流し、大気と海水で薄めようというのだ。実際に巨大な排気筒からは、クリプトンをはじめとしてトリチウム、ヨウ素、炭素などの気体状放射能が大気中に放出され、六ヶ所村沖合3kmの海洋放出管の放出口からは、トリチウム、ヨウ素、コバルト、ストロンチウム、セシウム、プルトニウムなど、あらゆる種類の放射能が廃液に混ざって海に捨てられる。

安全広告と毒物をセットにして垂れ流す神経は尋常ではない。電力を原発に依存するかぎり、直ちに停止出来ないと言うが、2003年、東京電力の事故隠しを端に、点検のため17基の原子炉を一斉に停止する事態に及んだ。大停電が懸念されたが、その夏、節電の啓蒙が行き届いたこともあり何事も起こらなかった。原発がなくても大丈夫という思いを強くしたものだ。

危険という認識があるなら知恵を結集し、一刻も早く別の方策を模索できないだろうか。光ときれいな水と空気、そして食物があれば人は生きていけるのだ。明るすぎる夜景、24時間営業のコンビニ、効き過ぎる冷房など...少しの不便を我慢すれば、いくつもの原子炉を廃炉に出来る。

原発に経済的依存があるなら、バックエンド費用だけでも事業として成り立つではないか。また、原発に代わる新たな公共事業を提案しても良い。日本中の海岸を埋め立て道路や新幹線を引くというのはどうだろう。あるいは、汚職や談合でも一向に構わない。「危険な話」が終わるなら..

危険な話の終焉を祈って(4)

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2006年 10月 18日

「導かれているな」という感覚

投稿者 by vulcan at 07:20 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

ここ数ヶ月、時々私は、何かの力に「導かれているな」という感覚を味わうことがあります。大きく分けると二つの種類があり、一つは人間関係においてであり、もう一つは読書においてです。

人間関係においては、私が数ヶ月前に、とある目的のため「視野を広げたい」と思って以降、視野を広げるために「いろんな人の話を聞こう」という姿勢になり、普段「人間関係は面倒くさいから知人は少なくていい」と考えていた私ではありえないほどの方と知り合うことができ、そのお陰でいろんなことを多面的に考えることができるようになり、また、人間関係の楽しさが分かってきました。

人間関係の輪も広がっている感じなのですが、それも「Aさんを知ったことでBさんを知り、Bさんを知ったことでCさんを知る」というように、連鎖的なことが多く、「Aさんを知らなければCさんは決して知りえなかったであろう」ことを思うに付け、「導かれているな」という感覚に至るわけです。

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読書においても同じようなものです。今までであれば好きな作家、興味のある分野の書物しか読もうとしなかったのが、やはり「視野を広げたい」というのがきっかけで、様々なジャンルに触手を伸ばすようになりました。但し、手当たり次第に読破するというのではなく、やはり連鎖というものがあります。AさんやBさんと知り合ったことで漠然と興味を持った分野の書籍Xをふと手に取ったことが皮切りとなり、その書籍で紹介されているYという書籍を読んでみたくなり、Yで取り上げられている事項とまた別のふとしたきっかけで手にしたZで取り上げられている事項との間に共通項があったりしたときに、ここでも「導かれているな」という感覚に至るわけです。

結局のところ、視野が広がれば、いろんな人に出会い、いろんな書物に出会うので、いつかはそういった「偶然の一致」を感じたり、「脈々とつながった連鎖」を感じたりするのでしょうが、わずか5ヶ月でそうした感覚に到達するというのは、「導かれている」と思うのも理解していただけるのではないでしょうか。

以下に、私が感じた偶然の一致の一つを紹介します。

先日、会社の書庫を整理していたら、4年前に贈呈された北尾吉孝氏の『人物をつくる』という書物が出てきました。頂いた当時は、北尾氏に対する偏見によって読む気がしなかったため、そのまま読まずにおいていたもので、すっかり存在すら忘れていました。このときは「北尾氏の人間学とはどのようなものか」と興味が沸いてきたので読んでみました。

北尾氏の直筆のサインがあることも判明し、今まで読まずにおいておいたことを申し訳なく思いましたが、読んでみて、北尾氏に対する見方も変わり、新たな興味を持ち得ました。

一つは道元の『正法眼蔵』に対する興味であり、もう一つは松下幸之助氏の『指導者の条件』に対する興味です。

早速両者を読むこととしました。『正法眼蔵』は、中野孝次氏の解説書を3週間かけて二度読みましたが、解説書であっても今の私にはあまりにも難解で、ちょっと歯が立ちませんでした。

一方、『指導者の条件』は指導者として備えるべき102個の条件が列挙され、それぞれに松下氏の解説がついています。経営者が備えるべき様々な資質をコンパクトにまとめているという意味で、経営者のバイブル的な書籍で、時々見返しては己の行動を振り返るのに適していると思います。

この『指導者の条件』のなかで、『訴える』という項目での解説に用いられた松代藩家老恩田木工(モク)の逸話と、『人を育てる』という項目での解説に用いられた吉田松陰の逸話には非常に感銘を覚えました。長くなりますが少し引用します。

訴える

十三歳で松代藩十万石の家督を継いだ真田幸弘は、十六歳になって元服すると、非常に困窮している藩財政を建て直すため、家老の末席にいた恩田木工を抜擢し、藩政の改革にあたらせることにした。
すると木工は、まず屋敷に家族親戚を集め、「今度こういう重責を担ったからには、自分は率先して徹底した倹約をしなくてはならぬ。しかしそれを家族や親戚のみなさんに強制はできない。ついてはこの際、妻を離別、息子は勘当、親戚とは義絶してこの仕事にあたりたい」といった。これにはみな驚いて、「いや、どのような辛抱でも、おっしゃる通りにするから、そんなことはしないでください」と嘆願したので、木工も喜んでそれを聞き入れた。

(後略)

これを読んだとき、思わず涙がにじみました。「果たして木工ほどの覚悟を決めることができるか」と己に問い正すと、うなるしか能が無さそうです。常日頃、正義を追い求める姿勢を貫いてこそ、初めて口にできる言葉だと思います。

人を育てる

吉田松陰は二十三歳の時、海外へ密航を企てて失敗し、捕らえられて入獄の身となった。この時、牢内には十一人の囚人がいたが、松陰はすぐに皆と親しくなるとともに、そこをお互いの教育の場としたのである。すなわち、松陰自身はみずからの得意とする、いわゆる四書五経の講義を行なうとともに、俳諧に詳しい人には俳諧を教えさせ、書道に秀でた人には書道を教えさせ、自分もそれを学ぶというようにした。それによって、今まで絶望的な雰囲気だった獄内が、みなそれぞれに自信と勇気を取り戻し、活気にあふれてきた。それが藩当局の認めるところともなって、ついに松陰を含めて全員が解放されるにいたったという。

(中略)

松陰は入獄の時、”かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂”という歌を詠んでいる。そうした国の将来を憂うるひたむきな思いが、囚人であろうと軽輩であろうと、わけへだてなく、人間としての価値に目覚めさせずにはおかなかったのであろう。

「この、”かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂”こそが、私の求めていた言葉だ」と感じ、本書を買った価値があったと思った次第です。

さて、その後、いくつかの本を間に読み、再び北尾吉孝氏の書籍を読む機会を得ました。図書館で借りてきた『中国古典からもらった不思議な力』がそれですが、巻末に記載された書籍紹介の中で『武士道』(新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説)を見つけ、非常に惹かれるものを感じました。

その直後に、妻が、「新渡戸稲造の『武士道』を読んでみたい」と言ったので驚いたのですが、妻は、藤原雅彦氏の『国家の品格』を読み終えたところで、そこで紹介されている新渡戸稲造の『武士道』に興味を持ったそうです。

私も、2ヶ月ほど前に『国家の品格』を読み、「極論もあるが、本質的には藤原氏の思想は全て正しい」と感じていましたが、そのときは『武士道』にはそれほど興味を抱いておりませんでした。

そんなわけで、妻との意見の一致をみたことで、俄然読みたくなった『武士道』を、図書館で検索しましたが、貸し出し中とのことで、予約だけしておきました。その一週間後、図書館からはまだ予約の書籍が届いた連絡がなかったのですが、週末家族でブックオフに立ち寄り、そこで、求めていた奈良本辰也訳・解説の『武士道』と、『いま新渡戸稲造の「武士道」を読む』(志村史夫)が目に止まり、早速買い求めました。

後者は『武士道』をパラグラフ毎に区切って解説を施したもので初心者には読みやすく、先にこちらから読んだのは正解でした。奈良本氏の訳した『武士道』の方は、解説は後回しにして原著を先に示しており、原著の流れがつかめるため、これはこれで有意義なものですが、最初にこちらから取り組んでいたとすれば消化不良に陥っていた可能性が高いと思います。

そして、私が驚いたのは(というか私が如何に馬鹿かが窺い知れますが)、北尾吉孝の『中国古典からもらった不思議な力』と奈良本辰也訳・解説の『武士道』と志村史夫の『いま新渡戸稲造の「武士道」を読む』が、いずれも三笠書房の出版物であったことです。「三笠書房の出版物という共通項があったからこそ、ここまで辿りついたのだ」と、今思います。

ところで、『武士道』にはいくつもの教訓がありますが、その中でも目を見張ったのが、以下の部分です。

武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、国民および個人を動かしてきた。新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる吉田松陰が刑に就くの前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽らざる告白であった。

かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂

形式こそ備えざれ、武士道は我が国の活動精神、運動力であったし、また現にそうである。

さて、私の見出した『武士道精神』につながる『偶然の一致』は、まだまだあるのですが、ここまででもあまりにも長くなってしまい、「既に興ざめの域をとうに越した」と思いますので、このあたりで筆を置きたいと思います。

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2006年 10月 14日

『進化し続ける経営』北尾吉孝

投稿者 by vulcan at 23:35 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

本書は、北尾氏の十八番である『経営』に関する書であるため、内容は非常に充実しています。『経営』に関して、北尾氏の足元にも及ばない私が解説しても無益でしょう。しかしながら、いくつか思うところと留意すべきところがあると考えますので、それを書き留めておきたいと思います。

本書は、タイトルが示すように、「企業は進化し続ける不断の努力が必要であり、それを怠れば衰退するか、崩壊する」ということが示唆されています。これは、言葉で言うのは簡単ですが、『改善』といった生易しいことを指しているのではなく、めまぐるしいほどのパラダイムの転換が求められており、それに伴った犠牲や痛みも小さくありません。そして、それを、実際に実行し、今も実行し続けているところが北尾氏のすごいところだと思います。

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とはいえ、「北尾氏のやることなすこと全てが正しい」と賛美しているわけではありません。しかし、彼の正義感及び信念の強さには畏敬の念を覚え、自分というものを捨て切っているのであろうことが窺い知れますので、彼のとった行動を非難するつもりはなく、私の信念と反している部分も、情勢を鑑みると止むを得なかったと理解します。

「株主価値を高めることができればストックオプションの価値も上がり、役職員のモラルを高めることにつながる」と述べた箇所があります。成長を加速させるためにストックオプション制度を導入するというのは、確かに一つの考え方です。ストックオプションというのは優秀な人材を獲得するには即効性があるのは事実でしょう。そして、SBIグループはストックオプションの導入を効果的に活用して優秀な人材を短期間で増大させたのだと思いますし、彼らの期待を裏切らない企業価値の向上が達成され、貢献に報いたと思います。

しかしながら、ストックオプションは、本場アメリカでも「Fuck you money(Fuck youと言って、積年の恨みを晴らしながら立ち去るために必要なお金)」と言われているように、モラルを高めることにつながるとは思えません。「仕事に対するモチベーションが上がる」というのも、かなり限定的だと考えており、効果があるのは付与時だけだと思います。付与した途端に既得権となってしまうからです。

そもそも、ストックオプションというのは会社の株を売却することが前提です。つまり、会社との縁を切る行為が組み込まれた仕組みであり、縁を切るタイミングが明確に自覚できます。

ストックオプションについての私の考察と対案をここで展開するのは、多くの人には眠い話ですし、まだまだ独りよがりな説に過ぎませんので控えますが、「モラルはストックオプションによって高まるものではない」ことだけは断言したいと思いました。

次に、グループ会社の上場戦略についても、肯きにくい点がありましたが、やはり、企業の成長を加速させるためには、やむをえなかった措置と理解します。現に、今では、パラダイムを転換し、十分肯ける上場戦略となっているようです。

私が直感的に最も危惧を抱いたのは、『コングロマリット戦略』でした。しかし、これを、比類のない経営センスによって見事に達成したことが良く理解でき、天晴れと言うほかありません。ジョイントベンチャー方式を活用しながら子会社を短期間に次々に設立し、それらの子会社を100%子会社化させて指揮命令系統を明瞭にすることで成長を促し、更なるグループの成長加速のために早期上場を果たしてキャピタルゲインを得、得た資金で買収・合併による成長を遂げ、急激な成長による弊害としての拡散したグループを引き締めるために、事業持ち株会社から純粋持ち株会社に移行させるというダイナミックな企業運営を極めて短期間に実現させたのは、まさに神業であり、北尾氏でなければなし得なかったのではないかと思います。

ところで、私が非常に留意しなければならにと感じた点は、「北尾氏が自分を捨て切っている」点です。あくまでも北尾氏を突き動かしているのは正義感であり、彼の私欲ではありません。ここを見落とすと、本書の読者は猿真似をして必ず失敗するでしょう。

私欲によって行動している限り、上記のような度重なるパラダイムのシフトやダイナミックな企業運営は「理念がない」とか「一貫性がない」とか「場当たり的だ」と言って内外から非難されて崩壊するのは火を見るように明らかです。外野から非難されるのはさしたる問題にはならないにせよ、内部からの非難が大きくなりすぎると事は甚大です。

北尾氏が正義のために自分を捨て切っているがゆえに、部下にとってはたとえ不本意だとしても、北尾氏についていくのであり、ついていくことが結果的に部下にとっての本意となるのでしょう。ここにも武士道精神に流れる真正たる義理、「正義の道理」の本質を見ることができると思います。

ただし、やはり私は、主に次の二点において危惧せざるを得ません。

一つは、北尾氏以後のSBIグループがどうなっていくのかです。この点については、北尾氏も危惧しており、人材の育成に力を入れていますが、果たして、北尾氏ほどのスーパーな人間が見出せるかどうかというと心もとないように感じてしまいます。

もう一つは、時価総額を標榜している以上、やはりいつか破綻するのではないかという危惧です。加速度的に成長できる時期、規模というのはあり、それは、トップの器によって違いますので、何年間、幾らが一般に妥当かという議論は無駄ですが、足るを知らざれば、無間地獄に陥るわけで、どこかで時価総額主義を捨てなければならないと思います。まあ、北尾氏ほどの人物であれば、そのようなことはとうに承知の上であり、次の長期戦略では時価総額主義を廃してくるかもしれませんが、この転換は痛みも相当大きなものになるだけに、生半可な舵取りではかえって命取りとなってしまいます。

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2006年 10月 13日

危険な話の終焉を祈って(2)

投稿者 by vulcan at 16:23 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

再び、温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』から引用します。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

危険な話の終焉を祈って(1)

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「危険な話」は原発問題を考える契機となり、幾冊かの本も読んだ。その一人である高木仁三郎氏は原子力の研究者を経て、原発反対の市民運動家となった。その活動は内外から賞を受けるほど評価が高く、1998年、市民の立場で科学を読み解く「高木学校」というNPOを設立した。2000年の秋、63歳で亡くなるまでの2年間はガンと戦いながらの活動であった。「原発事故はなぜくりかえすのか」という本が死後、岩波新書から出版された。本では「友へ」という著者からのメッセージで締めくくられている。

   後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう
   活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その
   賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで
   必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。

これほどまでに真摯な情熱を抱き、そして悲愴に満ちた学者に比べ、原発関係者や行政はあざ笑うかのようにはぐらかし隠蔽しときには改竄し、小さな町村の首長や政治家と結託し、あからさまな茶番を演じる。

   このとき私が痛感したのは、この役人たちと我々との間には公益性という
   ことについての認識に大きなギャップがあるということです。役人たちは
   公益性を定義するのは国家の側であり、国家の役人がやっていることが
   公益に則することであって、民間の人間がこれに異を唱えるのは公益に
   反するということを、ほとんど無前提に言うのです。40代の課長クラスか
   ら始まって20代の係官まで、ほとんど全員が平気で言うのには驚いてし
   まいました。
   1997年といえば、動燃はいわば全社総ざんげのような形で、今までの
   事故を隠してきたり、正確に報告してこなかったり、あるいは情報を
   十分に公開してこなかったことについて、自己点検を行い徹底的に内部
   の体質改善に心がける、ということが大きく宣伝されていた時期にあた
   ります。実はその真っ最中に、昔と何も変っていない虚偽報告が行わ
   れていたことが明らかになったので、私は大変に驚いたのです。

虚偽報告や改竄をしなければ生き延びられないのが原発の運命ともいえる。そして、計画の途上で発覚した虚偽や改竄又は事故の発生により、幾度か計画は頓挫した。このような神風がここ佐賀にも吹かんことを祈る。原発はただ核物質を燃やすだけではなく、その再処理や廃棄物の扱いに莫大な費用と技術的困難さと命がけの危険を伴う。このため、プルトニウムの再処理はアメリカ、ドイツが撤退し、増殖炉についてもアメリカ、イギリス、フランス、ドイツという並居る先進国が失敗して開発を断念した。日本では1995年の「もんじゅ」の事故により、電力業界でも死語になっていたが、「プルーサーマル計画」と装いを替えて息を吹き返した。それがいま何故、選りによってここ佐賀なのか。

公益性というのは極めて不明確な言葉です。誰にとっても益することなどないわけで、力のある者、声の大きい者に益することが得てしてまかり通っていると思います。また、閥や機関の存続が何よりも優先され、公益性という便利な言葉ではぐらかされるということも多いのではないでしょうか。

公益性を口にする者は、もっと志が高くあるべきです。新渡戸稲造の「武士道」には以下の言葉があります。

義理という文字は「正義の道理」の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。その本来の純粋なる意味においては、義理は単純明瞭なる義務を意味した。したがって我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということを言うのである。これらの場合において義理は義務である。何となれば義務とは「正義の道理」が我々になすことを要求し、かつ命令するところ以外の何ものでもないではないか。「正義の道理」は我々の絶対命令(カテゴリカル・インペラティヴ)であるべきではないか。

公益性を口にする者は、「正義の道理」に基づいた『絶対命令』に従うべきであり、それさえ貫いているのであれば、後世になって、失政であったと評価されたとしても、何ら恥じることはないと思います。

続けます。

プルトニウムは耳掻き一杯で数万人を殺戮できる毒性をもち、核暴走が起こりやすく、そのうえ放射能の半減期に24000年を要する。

増殖炉の開発段階において、フランスではたびたび核暴走がおこり、その時間も5/100秒という短いものだった。わずかな瞬間の危機を誰が制御しうるというのだ。「運転を止めればよい」という当局の説明が空しい。アメリカでは2度の炉心溶融事故をおこしている。またドイツでは原子炉の熱を水に伝えるナトリウムが、その水と反応したことで火災事故が頻発した。高温の水蒸気は圧力も上昇し過酷な条件のため配管などが劣化を起こしやすい。

机上で繰り広げる空論が現実に完璧に遂行されてこそ可能な夢物語なのだ。どこかにわずかのミスや故障が起こる、突如地震や災害に襲われる、それだけで制御不能になる恐れがあるのだ。日本では地震のため、83年、87年に福島原発で核暴走寸前で原子炉停止が起こっている。さらに93年には女川原発でも起こった。大事に至らなかったのは「神の庇護」と感謝すべきかも知れない。

リスクは何事にもつきものではあるが、原発についてはリスクゼロでなければならない。いままでに、プルトニウム燃料の開発を含めこの計画に投じられた税金は1兆5959億円になり、これによって得た収入はわずか6億円に過ぎない。引き続き推進するならば巨額なコストになり、バックエンド(原発終了時の後始末)事業費として19兆円が試算されている。ところで半減期で24000年という廃棄物を誰がどのように受け継いでいくのだ。

記録に残る人類の歴史でさえまだ5000年である。「地下300mの安全な地層に処分する」という安全キャンペーンそのものが懸念材料となる。100あったものは24000年後に50になり、さらに24000年を経て25になる。これがゼロになる日まで人類が存続できるだろうか。ほぼ安全といわれるまでには10万年の保障が必要といわれる。

このようなプルトニウムをウランと混合し(MOX燃料)従来の軽水炉で燃やすというのがプルサーマル計画である。先に述べた増殖炉での失敗の数々が暗い影を落とす。全世界がプルサーマルからの撤退を決断しているため、小実験以外の本格的な運転データは全くない。プルーサーマル計画が現実のものとなれば、佐賀は世界で初の壮大で危険な実験場となり、いままでの例から、おそらく高確率での失敗は免れないだろうといわれている。先進各国が断念し、国内各地の首長が断念した重みを轍とし、ここでも断念するべきなのだ。その知恵や費用を新たなエネルギーの発掘や開発に向けることは、原発より困難な夢物語とは思えない。

僅か数十年の電力供給のために、24000年もの間、後世に重荷を背負わせなければならないとは、どう解釈すれば道理に適うと言うのでしょうか。

危険な話の終焉を祈って(3)

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2006年 10月 13日

自己否定と心の支え

投稿者 by vulcan at 02:24 / カテゴリ: / 19 コメント / 0 TrackBack

自己否定のない成長は自己満足の域を出ない。つまり、壁を越えたければ自己を否定するしかない。

自己満足の世界に浸るだけでは終わらせたくないので、そうなると壁を越えることが求めれら、必然的に自己を繰り返し否定しなければなりません。

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とはいえ、これまでたいした否定をしてきたわけではありません。私がしたと言っている自己否定などたかがしれていますが、それでも苦しいことは苦しいです。

例えば仕事上では、丹念に練り上げて作ったシステムを否定しなければならないときがあります。思い入れのあるシステムであればあるほど、それを否定しなければならないときは断腸の思いです。しかし、自己満足のためだけに仕事をしていいわけはなく、会社にとって今必要なシステムなのかどうかが重要となります。

プライベートでは、『子宝ドットコム』に移行する際、過去の日記の3分の2が駄文であると判断し、ばっさり捨てました。残した3分の1もこの度全て駄文と判断しました。『子宝ドットコム』になってから書いた記事も、やはり3分の2は駄文でした。そして、今残している3分の1もいずれ駄文と判断するときが来るのでしょう。

あるいは、5月から2ヶ月かけて書いた150枚ほどの『随筆』も、結局全部否定する羽目になりました。といいながら、時々引用しているということは、未練が残っている現われかもしれません(笑)

「一体自分は文章を書く意味があるのか。」「お前がやっていることは何の価値もない。無意味だ。」「お前は生きている意味すらあるのか疑わしい。」そんな感じで自分を追い込み、その上でもう一度自分を奮い立たせて、再出発します。そんな繰り返しです。といって、その程度のことしかやっておらず、この程度にしか成長していないので偉そうなことは言えませんが。

そんな私にとって、心の支えの言葉があります。この言葉があれば、今後、いかなる苦難を味わい、どのような壁にぶつかり、とてつもない自己否定を自らに迫ったとしても、きっと乗り越えられると思っています。

吉村さんは石橋をたたいて壊してまた作るぐらいの
慎重さとパワーを持っていそうなので
(あくまで私のイメージです。)
成し遂げられると思います。

何度も何度も石橋を作っては壊し、作っては壊しを繰り返し、きっと納得のいく石橋を創り上げたいと思います。

【追記】

うーん。駄文だなぁ。

霊能者のひとりごとにおいて、人生観に絡めた自己否定について述べておられますので、一部を抜粋させていただきます。

 これはある意味矛盾しているとも言えます。善悪を超えた境地や自分や他人の区別を超えた境地と説明することはできてもその境地は言葉では説明できないと言えば矛盾ではありますが、これが実感なのです。

 ではどうして目指すべき境地として言葉で説明することができ、そこに到る修行論も残されているのに、その境地に到達することが限りなく難しいのかを書くならば、それは追体験でしか知りえぬ境地であるだけでなく、その過程が際限のない自己否定の連続であることもあります。

 宗教は際限のない自己否定の連続であるとは説かれていますが、どうもこの言葉は誤解が多いような気がしています。新興宗教の多くで説かれている自己否定とは、それまでの自分の考え方を否定してその教団の教えを受け入れることでしかなく、これではただの盲信でしかありません。

 この問題は掘り下げるならば、非常に大きな問題であり、簡単に説明することなどできないことですが、新興宗教の自己否定とは自分以外の場所に自分の理想を求めているのではないかと思えます。つまり現実の自分の姿を否定して教祖の説く教えと同化している自分を理想としているだけにすぎないと思われます。

 これに対して本来の意味での自己否定とは、自分以外の場所に自分の理想を求めているのではなく、自分の中に自分の理想を追い求める行為であると考えます。これは他力門の教えでも例外ではありません。阿弥陀如来の慈悲にすがることができない自分の否定であると考えるべきでなく、阿弥陀如来にすがりきることができない自分を知ることが重要ではないかと思います。

 現実の自分以外に理想化された自分がいるわけでないのに理想化された自分を追い求めたとしても理想の自分にめぐり合えることはありません。弱い自分がいるのであるならばその自分の弱さと向き合う以外に道はないのです。

(後略)

2006年 10月 12日

正しさなどどこにもない。あるのは信念の強弱ばかり。

投稿者 by vulcan at 12:03 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

世界情勢及び国内情勢は時々刻々と進展しており、誰かの思惑とか、我々の思惑とか、そういった次元で捉えるには無理がありすぎる世の中ですが、これも太古からの習わしでしょう。

勝谷誠彦の××な日々。』を読むにつけ、『きっこの日記』を詠むにつけ、『5号館のつぶやき』を読むにつけ、『つらつら日暮らし』を読むにつけ、『ヒロさん日記』を読むにつけ、『霊界通信・脱新宗教』を読むにつけ、『野良里蔵狸 -norakura-』を読むにつけ、「何が正しいのか」などと考えていると何も分からなくなってしまいます。

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日本は憲法9条改正を行なって軍事国家であることを認め、北朝鮮は消滅し、中国が朝鮮半島の北半分を自国領とし、その中国も政権が消滅し、思惑通りのアメリカは911テロが自作自演か否かで内紛が起き、そうこうしているうちに地震と原発事故で日本が人の住める国ではなくなる、そんな未来が「ばかばかしい妄想」と笑っていられなくなってきているというのに、自分も皆もあまりにも無力で、摂理というものの厳しさを改めて感じずにはいられません。

なるようになる。なるようにしかならない。
天命を受け入れ、人事を尽くす。
未来に思いを馳せたいのは山々だが、未来に思いを馳せた途端に偽善となる。
過去を受け入れ、未来を任せ、今を生きる。
他を受け入れ、自分を捨て、最後の一歩までただ歩き続ける。
マンモンの神と歩み寄る道はないのか。


【追記】

時々無性に自分が一体何を目指しているのかが分からなくなります。目指しているものなど幻想であり、そんなものは何も無く、無いことを認めたくないだけかなと思います。

そんな状態で、駄文を日々量産していること、ご訪問いただいた皆様には誠に申し訳ないです。しかし、書くのを止め、自分の世界だけに閉じこもることは簡単ですし、いつでもできます。駄文を晒し続けていくことも修行の一つと思って、続けます。

2006年 10月 12日

きっこの日記の読書感想

投稿者 by vulcan at 09:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

書籍版『きっこの日記』を読み終わりました。なかなか感想が書きにくいのですがトライしてみます。

私が『きっこの日記』を知ったのは耐震偽装問題で世の中が騒がれていた時期だったので2005年秋だったと思います。それ以前のログも多少読んではいましたが、過去ログを読むことに楽をさせない『きっこの日記』なのでそんなには読んでいませんでした。したがって、書籍版『きっこの日記』は、読んでいなかったログが多く取り上げられており、そういう意味では新鮮でした。

ところが、2005年秋以降の日記についても、新鮮さがありました。というのは、多くは斜め読みしていたか、読まなかったログだったからです。『きっこの日記』を日々読んでいると思っていましたが、実は選り好みをしていて、あまり関心のないテーマについては読んでなかったわけです。

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次の特徴は、脈絡の起伏があまり感じられないというものです。これは、サンプラザ中野が言っているように「きっこはロックだ!」と普段から思っている我々にとって、かなり意外感があります。ハードパンチャーだと勝手に決め付けていたため、書籍版にもそうした傾向を求めていたのではないかと思います。

同様の趣旨で、メッセージ性があまり感じられないというのもあります。

いずれも書籍版『きっこの日記』をけなしているような感想ですが、そういう意図ではありません。ここでも、我々はあまりにもキッコ像を作り上げすぎているという反省があります。きっこはそうした期待を裏切ることが、我々のためだと思ったのでしょう。「自分は普通の人間だ」と言っているのではなく、祭り上げることの好きな日本人に対するメッセージかと思います。

いずれにせよ、起伏が少ないだけで脈絡はあり、メッセージが強くないだけでメッセージはあると考えます。

メッセージに関しては、やっぱり、きっこが普段から口をすっぱくして言っているように、「自分の頭でよく考えてほしい」というメッセージです。また、「一面だけ見ずに視野を広げてほしい」というメッセージも含まれていると思います。俳句のログを多く取り上げたのも、視野を広げてほしいと思うからであり、また、物事をいろんな角度で捉え、よくよく自分の頭で考えてほしいという思いがあったからではないでしょうか。

メッセージ、つまりテーマがそういうテーマであれば、起伏が小さいのもうなずけます。「北朝鮮はけしからん」とか、「コイズミは売国奴だ」とか、「いつまでも守銭奴どものいいようにはさせない」とか、そういった普段の『きっこの日記』に我々が読み取っていたテーマを訴えようと思えば、きっこほどの実力者なら、我々の感情をたぎらせるような脈絡をつけるのも造作もないことでしょう。

しかし、きっこは扇動者ではないわけです。我々がきっこに頼りすぎる嫌いが強いため、今ここでロック調を強めることはあまり良いことではありません。我々が自立し、自分で考えることができるようになったときには、きっときっこはもっと強いメッセージを訴えるかもしれません。

これが私の読書感想です。普段『きっこの日記』を読んでいない方が書籍だけを読むと、意図が通らないのではないかと余計な心配をしてしまいます。

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2006年 10月 11日

危険な話の終焉を祈って(1)

投稿者 by vulcan at 20:20 / カテゴリ: / 3 コメント / 0 TrackBack

温心堂主人による『危険な話の終焉を祈って』を、連載で取り上げたいと思います。

プルサーマルの是非について、今こそ真剣に考えるギリギリの時であり、佐賀県の方は是非県民投票を実現してください。

think-Pu.net-考えよう、プルサーマル・プルトニウム

ニュース記事
玄海原発プルサーマル計画:署名活動開始 計画に「待った」なるか /佐賀
プルサーマル計画/県民投票へ署名開始
プルサーマル是非「住民投票を」 玄海原発3号機 市民団体が署名活動
玄海プルサーマル、佐賀県知事が同意

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市民運動は冷ややかに眺め、政治や行政には諦観を以って対し、党派や集団を窮屈に感じ過ごしてきた。わが身に降りかかる最後の覚悟は出来ても、子供や、未来の人々の最後を想像するといたたまれない。

4月には佐賀(唐津)の隣り、福岡(前原)で原発の勉強会が開かれたという。同じく長崎では、共産党長崎県委員会の人々が長崎県知事に対し、被曝県として、佐賀県がすすめようとしているプルサーマル原発に反対するよう申し入れた。すでに事前同意の後になるが、遅すぎるのではない。同意の方が早すぎたのだ。

危機感が蔓延し反対運動が活発化しないうちに形だけの討論会を開き、全ての反対や慎重意見をシャット・アウトする。早々に、着々と話を進め、機先を制すれば、人々もそのうち忘れるだろう。これが政治家や行政の手法の一つでもある。確かに万人の意見に耳を傾けていては一歩も進まない。政治や行政を司る人々に理念があるならば、それは時として民意によって否定されるかも知れない。しかし、民意はただ一人の政治家や役人によって蹂躙される。

前文を引用しました。市民運動に参加しない信条の温心堂主人が、隠居に近いような山里暮らしから立ち上がられました。政治に対して不信をもって接するだけではどうにもならない、ギリギリの選択が佐賀県民に迫られていると思います。そして、佐賀県での帰結が、我が国の将来を左右すると考えます。

危険な話 広瀬隆  ー 2006.3月のコラムより ー

1978年のアメリカ映画「チャイナシンドローム」をご存知だろうか。核の暴走による超高熱が原子炉を溶かし去り、地球をつらぬき裏側の中国へ到達するという暗喩がタイトルになっている。この翌年の3月、予言したかのようにスリーマイル島で原発の事故が起こった。

いままで比較的新しい本についてコラムを書いてきた。この本は19年前の1987年出版のものだ。じつは私の住む佐賀で深刻な事態が進行しているのだ。ことは佐賀県だけの狭猥なものではなく地球に住むすべての人や生き物の存亡に関わるのだ。ここで細かく説明する力もないし、あまりにも膨大な内容をどう伝えてよいのか迷っている。大袈裟かどうか末尾に紹介する本を参考にして頂きたい。

原発の議論は環境やエネルギー政策、代替資源などの問題も絡み、危険性のみで論じられないと言う知識人も居るが、それこそが、論点を逸らしたり隘路へ迷い込ませる元になっている。思慮余って明確な旗色を示せない知識人の宿命や弱さを感じる。いつまでも延々と出口なき議論を続けることが彼らの仕事であり喜びなのだろう。

国や電力会社が温暖化防止やエネルギー問題を論点とするのは戦術でもある。一方で、繰り返し安全や事故防止を強調するのは、危険性の認識が十分にあるからだ。危険な話は忌避されるので、情報といえるレベルのものは公表せず「安全、安全、、」と念仏宣伝だけを唱える。それゆえ反原発の学者や市民団体からの情報は貴重なよりどころとなる。

「危険な話」の著者・広瀬隆は家系図や人脈から原子力の陰謀を説く異色の作家であり、氏が与えたインパクトはあまりにも大きく「広瀬は...」と、個人攻撃まで為されるほどであった。原発をやりたい人々のみに降りかかる危険なら何も言うことはない。ここでは、国や電力会社が語らない「危険な話」に絞って書いている。エネルギー問題より先に、これがいま、一番感心を寄せていることだ。

まるで詩のような美しい文章だと感じるのは私だけでしょうか。出口なき議論を続ける時間はもうあまりなさそうです。

さて、佐賀の2月定例県議会で知事は、九州電力玄海原子力発電所3号機でのプルサーマル計画について事前了解を表明した。夕方のテレビを見ると、やや甲高く早口でまくし立てる知事の声に悪寒が走る。まるでイベントでも開催するかのような性急な決定に県民の間から驚きと戸惑いの声が出始めた。地方新聞の意見や読者欄には、未来の子供たちに禍根を残さないようにと慎重を求める声や反対の意見が寄せられる。

佐賀では1975年に玄海原発1号機の運転が開始された。それから30年の月日が流れ、この間いくつかの事故が発生している。原発の耐用年数は30~40年といわれ、いまや老朽化し廃炉を検討する段階に入ったというのに、更に30年間運転を延長する計画が実行されている。原発の危険性は言うまでもないが、耐用年数を超えて原子炉を使い続けることは、更に危険性を引き寄せることになる。

昨年、地震空白地帯といわれてきた北部九州に大きな地震が起こった。このような災害に耐えられる状態なのか不安は膨らむばかりだ。老朽化した1号機で事故が発生した場合、(風速7mの風を想定し...)約1時間で佐賀は死の灰に覆い尽くされる。1時間でどこまで逃げおおせるだろうか?今までの事例からすると発表そのものが数時間遅れるのは間違いない。数時間後には九州一円まで拡散し、3日もすれば日本全土に及ぶ。

このことはチェルノブイリの事故【注】が如実に物語っている。事故の規模が大きくなれば地球の人口の半分が壊滅するほど巨大なものになり、その被害は放射能が消滅するまでおおよそ100年に渡って続くことになる。地球には国境も県境もなく、ひとり佐賀県だけの問題でないことは明らかである。しかし、ここまでは従来の原発の話である。これから佐賀で行われようとする...

プルサーマル計画についての、前振りがここまでです。つまり、上記の問題はプルサーマル計画以前の問題です。プルサーマル計画以後の問題とは一体どのようなものなのでしょうか。

プルサーマル計画は深刻さのレベルが格段に高まる。むしろ異質とでも言うべく困難で危険なものだ。ウラン燃料で稼動している原子炉で、核分裂しやすく反応が加速しやすいプルトニウムを燃やそうというのだ。

これは、灯油ストーブでガソリンを焚くようなもので、いったいどうなるかは、火を見る前に明らかだ。技術の未確立、人為ミス、機器の劣化や損傷、地震による事故など、多くの問題を指摘されても、オウム返しに「国が安全性を確認している」と言うばかりで、そのことが不安を増幅させる。事故により爆発的な反応が起こると1000℃、2000℃の高温を容易に超え3000~4000℃に達し、5000℃になることもあるという。これに持ちこたえる物質がどこにあるのだろうか。大地を突き破り地球の裏側まで溶かしつくす、チャイナシンドロームが現実のものとなるのだ。

電力会社や県は「いまもプルトニウムは燃えています」と多額の費用を使って広告を出すが、必然的に発生するものと、それを集めて燃やすのとでは事の重大性が異なるのだ。文言は明確に記憶していないが「あなたはゴミを棄てますか?プルトニウムの再利用..」という広告をバスにまで貼り付け走らせている。所在地さえ曖昧にしか知られていない片田舎・佐賀での出来事だが、地球の危機へと一歩踏み出してしまったのではないか。

危機感を抱いた市民運動家が全国から集まり県庁を囲んで抗議行動を起こし始めた。抗議文を手渡そうとしても知事は応対せず、環境部門の担当者が伝えておくと返事をするばかり。議会では、質問する反対派議員をして「知事は聞く耳を持たない」と嘆かせるほど無力感がみなぎる。

知事にここまでの力を与えたのは誰なのだ。私はもともと政治には疎く、まして市民運動の類に参加することはなかった。それどころか左翼の一部の人々に対して、行政や社会生活を混乱させる趣味的活動ではないかと揶揄したことさえあった。しかし、こと「プルサーマル計画の反対」については全面的に支持し、出来ることがあればデモにも署名にも必要があれば資金カンパにも協力したい。

新聞で読んだ意見では、県主催の説明会には電力会社の関係者が動員され、説明にも納得がいかず反対の声が多かったという。にも関わらずアンケートでは、逆に関係者の思惑が反映する結果となっている。3回の説明会で集った人は、のべ2000人くらいで、県民の1%にも満たない。一般に向けた電力会社側の説明は新聞などによる頼りない安全宣伝ばかりだ。

多分、知事も関係者も真の危険は熟知しているに違いない。「国策だから...」という知事の言葉には政治家用語でいわく「断腸の思いでの決断」が読み取れなくもない。あるいは、邪推になるが知事候補に上がった時点で、落下傘部隊として国から使命を負わされたのかも知れない。

危険な話の終焉を祈って(2)

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2006年 10月 10日

船子和尚

投稿者 by vulcan at 12:25 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

『つらつら日暮らし』の禅宗の戸塚ヨットスクール?に船子和尚の故事について触れていました。

これを読んで、自らを省みますと、いくつか思い当たることがあります。

以前管理していたHPのタイトルは『人生は暇つぶし』だったのですが、トップページには以下のように掲げていました。

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人の一生は長いが、それぞれの年齢で出来ることは限られている。ある年齢の間しか出来ないことやチャンスは一生に一度だけしか訪れないことも往々にしてあることで、また、いつそのときが来るのか予想がつかないことも多い。その瞬間瞬間を悔いなく過ごすためにはそれなりの準備と努力が必要で、日々精進、研鑽を積むことが肝要である。我々には、休息は必要でも暇な時間など必要は無い。人生は暇つぶし。暇な時間を潰し続ける者こそ、最高の人生が約束される。

このころは、「『向上心』をもって自己を向上させることだけが人生だ」と考えていました。『人生は暇つぶし』というタイトルについて、当時気に入っていたのですが、やっぱり誤解の多い表現ですし、そうしたひねくれた思想の下ではひねくれた発想しか生まれないと考えて、訣別することにしました。

その後、当ブログにおいて長い迷走期間を経て、『存在理由』カテゴリを作りました。根底にあるのは、「何が正義か」を追求する気持ちです。しかし、善悪を追求しすぎる自分を戒めなければならないと感じてもいました。そんな漠然とした気持ちで読んだ船子和尚の故事ですが、「ああやっぱりな」という感想です。

船子和尚の故事については、雰囲気だけはつかめますが、難しすぎてまだ理解できません。だから、「やっぱりな」という曖昧な感想しか出せません。

私が、感銘を受けたのは以下の点です。
「大いにピッタリと合致した語を言ってはいても、お前は永遠に繋がれたロバのようであるな」
という点と
「糸を千尺の長さまで垂れ流すとき、心は深いところにある。その針から三寸ばかり離れたところを、お前はどうして言わないのか」
という点と
「語に、奥深い真理を帯びれば真理への路はなくなり、舌先で談じても談じていないことになります」
という点と
「お前は、別にあると、思い違いをしているぞ」
という点です。

どう感銘を受けたのかというのは、言葉では表現できません。深く反省したとしか言いようがありません。

また、tenjin95様の

だからこそ、真理を言い得てしまえば、そこには真理はなく、真理がない以上、真理を言い得た言葉は真理を言い得ていないわけです。

という解説にも、うならされました。真理にとらわれない心を持ちながら、真理を追究したいものだと思います。

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2006年 10月 09日

心構え

投稿者 by vulcan at 02:40 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 1 TrackBack

以前、銀行時代の元支店長に「心構えができれば7割なったも同然」と教えられました。

そのときは、経営に関する心構えを説いていたので、今思えば漠然と受け入れていたところがありました。

ところで、『つらつら日暮らし』という曹洞宗の僧侶のブログで、アーミッシュ学校銃撃事件について知りました。

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事件の概要は、「銃を持って小学校に侵入した男(32)が、児童26人と教師らを人質にとった後、教師と男子生徒を解放し、女子生徒を黒板に並ばせて射殺し、5人が死亡、3人が重態、数人が負傷、その後現場で男も自殺した」、というものです。

このとき、13歳のマリアン・フィッシャーさんが年下の仲間を救おうと「私を最初に撃って、ほかの子たちは解放して」と訴えていたことが、負傷した妹の証言によって分かっているようです。

一方、男は、生徒からの質問に対して、「神様に怒りを感じているから」と答え、教室から妻に携帯で電話して、20年前の12、3歳のころ、親戚の幼女2人に性的いたずらをしたことの復讐だと発言したらしく、同様の趣旨の遺書も発見されており、自らの行動を阻止できなかった神に対する復讐という考えなのかと思われます。

この事件のニュース性は、マリアン・フィッシャーさんの自己犠牲的発言と、その後のアーミッシュの特殊性に起因した対応にあり、住民らはロバーツ容疑者の遺族にも弔意を示し、遺族に「この地にとどまってほしい」と話しているそうです。

なお、犯人は、9年前に死亡した娘の墓のそばに埋葬されましたが、娘の死にもとらわれていたと報告されています。

アーミッシュWikipedia
年下かばい「私を撃って!」…アーミッシュ校射殺事件
「アーミッシュ」の学校で3人射殺、米ペンシルベニア州
男が小学校に乱入、女子3人射殺=7人負傷-米ペンシルベニア州
米小学校発砲 児童ら4人死亡、7人重体 男は自殺
<米小学校発砲>容疑者、「過去に性的いたずら」と妻に電話
<米学校乱入射殺>死亡の少女「私を撃って」と哀願

ここで、翻って掲題の件です。心構えというものは様々な出来事に対する心構えがあり、最も大きな問題は死に対する心構えです。老いを自覚し死が迫ってきたと思い至ったときの心構え、不治の病を宣告されたときの心構え、余命を宣告されたときの心構え、突然の事件や事故に巻き込まれたときの心構えなど、普段から心構えをしっかり持っていなければ瞬時に運命を受け入れることができません。

死に限らず、結婚の心構え、受胎の心構えといったものや、成功に対する心構え、失敗に対する心構えなどもあるでしょう。何事が起きようとも、動じない心構えがあれば、ベストの選択ができ、結果を受け入れられるのだろうと思いました。

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2006年 10月 05日

自分を刷り込むことについて

投稿者 by vulcan at 16:21 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

多くの人は自分で自分を刷り込むものだと思います。それは、弱さに立脚した刷り込みであったり、申し訳なさに立脚した刷り込みであったり、自己を抑制するための刷り込みであったりと様々な要因があります。達観した方であれば、自分を刷り込むことなど忘れてしまうものでしょうが、そのような人は非常に限られた存在でしょう。

また、多くの人は、無意識に他人を刷り込もうとするものだと思います。やはり理由は千差万別ですが、自分にとってこの人にはこうあってほしいという思いから、刷り込むというのが本質だと思います。

例を挙げるとすれば、女性が、一般に30歳を過ぎたり、あるいは最近では20歳を過ぎたりすると、自分のことを「おばちゃん」と揶揄する場合がありますが、これが刷り込みになっていると思うのです。

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生まれて初めて自分のことを「おばちゃん」と揶揄したころは、きっと自分は『おばちゃん』ではないと思いながら、ジョークのつもりで言っているのだと思います。ところが、何度も何度も繰り返しているうちに、周りの人はその人のことを、「自分で何度も言っているぐらいなのだから『おばちゃん』なのだろう」と思うようになるのと同時に、本人も、「周りが自分のことを『おばちゃん』と思っているようだから、自分はやはり『おばちゃん』なのだろう」と思うにいたるわけです。

「自分が『おばちゃん』であるかそうでないかはさしたることではない」と強い心を持っているのであれば、まだいいと思います。繰り返しているうちに他人が『おばちゃん』と言うようになっても動じないからです。

ところが、老いに対する恐怖を持っていたり、若者に対する妬みを感じているとしたら、自分のことを『おばちゃん』と揶揄する気持ちで名乗るのは、それが軽い気持ちであったとしても、厳に慎まなければならないと考えます。

なぜなら、自他共に『おばちゃん』であることを認めたときには、恐怖と妬みが意識を離れて表に出てくるからです。

同様に、自分のことを『おっちゃん』というのも、達観しているので無い限りあまり使わない方がいいでしょう。あるいは「自分は頭が悪いから…」とか、何かと無意味に「すみません」ばかり発言するのも、よくない習慣であり、自分を刷り込むことになると思います。

一方、「ポジティブな刷り込みはいいのか」というと、まだましだと思いますし、何らかの刷り込みをしないと生きていけない場合が多いのでやむを得ません。しかし、それで終わっているとしたら、まだまだだと言うことではないでしょうか。

2006年 10月 04日

固定観念を捨てる

投稿者 by vulcan at 23:48 / カテゴリ: 存在理由 / 1 コメント / 0 TrackBack

人間というものは、固定観念というものにとらわれ、なかなかそれを捨てることが難しいものですが、捨ててみると新たな境地に到達するものだと思います。

偉そうにに言えるほどのことではありませんが、私の場合、固定観念を捨てる実験として眼鏡をかけるのを止めてみました(新聞を取らないというのも実験といえば実験かもしれませんが)。

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私の視力は、両目で0.7ほどであり、ちょっと見にくいが日常生活が困難なほどではない状態で、30歳まではほとんど眼鏡をしていませんでした。眼鏡は、映画を見るときに限られていたのですが、徐々に視力に自信がなくなり、免許センターで裸眼での視力テストを放棄し、バイクに乗るときやレンタカーを運転するときは掛けるようになっていました。

2001年の正月、パリで年越しをしたときに、眼鏡を新調しました。

新しい眼鏡になり、気に入って、それ以来、普段から眼鏡をかける生活となりました。そのころは、視界が広がったような気になり、非常に新鮮だったと記憶しています。

その後、気に入っていたその眼鏡も寿命を迎えたのか、ちょくちょくねじが外れて、そのたびにドライバーで直していたのですが、とうとうねじ穴が馬鹿になり、仕方がないのでセロテープで補修するという無様な格好となってしまいました。

そんなわけで、意を決して、眼鏡を新調したのが2004年5月です。

新しい眼鏡を手に入れ、シャープなビジネスマンを気取っていたのもつかの間、2005年1月に、普段の運動不足を顧みず、子供たちとかけっこをして、両足大腿部肉離れの惨事を起こし、転倒時に眼鏡も微妙に曲がってしまいました。

ただでさえ微妙にゆがんだ顔が、更にゆがんで見え、非常にこっけいな上に、眼鏡の掛け具合もあまりよろしくなく、あまり気持ちの良い状態ではありませんでした。とはいえ、1年も経たずに買い直すのも癪に障るし、かといって修理してもらうのも面倒くさく、そのままにしていたのですが、あるとき、眼鏡を掛けずに家を出て、一瞬取りに帰ろうかと思ったのですが、「まあ、一つ固定観念を捨てる意味で眼鏡を掛けない生活に戻すか」と、5年半ぶりに眼鏡なしの生活に切り替えました。

それ以来、眼鏡なしの生活も随分なれ、普段の生活においてはなんら支障がないことが分かりました。眼鏡をかけていた際に微妙に感じていたむずかゆさもなくなり、逆に眼鏡を付けていたときの方が、目の疲れを感じていたようにさえ思います。

ということで提案ですが、いきなり「車を所有していないと生活できない」という固定観念を捨ててみるのは難しいかもしれませんが、些細なことでいいので何か固定観念を捨ててみるというのはいかがでしょうか。

2006年 10月 04日

臨済宗妙心寺派

投稿者 by vulcan at 18:15 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 1 TrackBack

恥ずかしい話ですが、この歳になるまで自分の家の宗旨宗派を私はほとんど記憶しておらず、かすかに、弟が以前、「吉村家は臨済宗だ」と言っていたような気がする、という程度の記憶があるだけで、宗派が何なのか、墓のある寺の名前、そもそも臨済宗とは何かということまで、全くの無知でした。

そこで、一度しっかりと記憶しようと一念発起し、父に問い合わせたところ、宗旨宗派は『臨済宗妙心寺派』であり、墓があるのは『全性寺(ぜんしょうじ)』であると、携帯メールの返事が来ました。このとき、多少、臨済宗について調べ、禅宗、つまり武士の宗旨宗派であることを無意識に喜んだものですが、他宗派に対する偏見であったと、今思えば恥ずかしく思いますし、浄土宗や浄土真宗についても、非常に真剣なものだということが理解できるようになりつつあります。

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自分に禅宗の血が流れていることを知り、禅とは何かを理解しようと思い、図書館で目に止まった最初の本が『禅のヒント』(パトリス・ジュリアン)です。これは、フランス人のパトリス・ジュリアン氏が禅を学んで書いた入門書ですが、パトリス・ジュリアン氏については、NamePが料理方面の造詣の深さにおいて気に入っており、私も、たまたま購入した家具雑誌でパトリス・ジュリアン氏の家具に関するこだわりを美しいと感じていましたので、何と無しに縁を感じました。

但し、氏の『禅のヒント』については、曹洞宗の接心について書かれていたのですが、公案というものがいまいちピンとくるものがなく、なんとなしに胡散臭さというほどではないにせよ、違和感を感じ、「あまり良書ではないな」と思っていました。

そうこうしているうちに月日が経ち、再び宗旨宗派について感心が高まってきたので、「本で学ぶのも大切だが、ひとつインターネットで臨済宗の勘所を学べないものか」と思いながら巡っていましたところ、大本山妙心寺の関東圏での布教の拠点として平成17年に設立された東京禅センターというものの存在を知りました。

ここでは、禅に関する公開講座の講演録を閲覧することが可能で、まだまだ緒についたばかりですが、最初に読んだ『公案』に関する公演録は、『公案』に関する私の疑問に答えてくれ、「なるほど私の感じた違和感はこれか」と納得がいきました。そこで一部を紹介したいと思います。

白隠禅師の公案体系の場合は、言ってみれば唐の時代の禅というのが水滴のような自然の「まる」とすれば、宋の時代の公案禅、白隠慧鶴禅師の禅というのは限りなく自然な円に近いような人工の多角形だと考えていただいたらいいと思います。つまり、唐の時代の禅では悟りというのは自然の「まる」。その一方で宋の後の時代の禅僧たちの悟りというのは、やはり人工的なものですから、限りなく円に近い無限の多角形ということなのですね。ですから、この公案体系というものも本来はそうあってはいけないのですが、修行者の境地を少しずつ三角形から四角形に、四角形から五角形に、五角形から六角形、七角・・と無限にこの円に近づけていくような、そういう風な修行という側面があることは否定できないところなのですね。公案、禅の問題というものに関しますと、とても一時間や二時間では論じることができないのですけれども、例えばこの円というものが非常に公案の修行というものを象徴するのですね。「ウロボロス」というものがございますけれども、錬金術のシンボルで自分の尻尾を噛んでいる蛇の図があるのですね。あの「ウロボロス」と同じなのですね。禅の修行というのは、例えば公案の修行というものがここから始まってぐるりと回って、元に帰るという。そういった面があるわけなのですね。ですから決して梯子のように直線のものではないのです。円なのです。その様にお考えいただいたらと思うわけなのです。

つまり、『悟り』を得るというのは完全な円を描くことであり、それを到達しやすいカリキュラムとしたのが公案であるというわけですが、あくまでも人工的であるため、限りなく円に近づいても円ではないわけで、最後はどちらにせよ飛躍して円にならなければならないわけです。そして、人工的であるがゆえに、T神父の著書で紹介していた澤木老師が言うように、一歩間違えれば魔境に陥りやすい面もあるのでしょう。

そして、人間の'心'にその反復を学ばせるか、あるいは、人間の体にその反復を学ばせるかで、臨済禅と曹洞禅の違いがある訳なのです。つまり、臨済宗の場合には、人間の心の反復というものを一生懸命にさせる。心に重きを置くということですね。一方で、曹洞宗の場合には、'体'です。だから、永平寺さんとか、総持寺さんとかに行かれますと、実に修行僧の方の一挙手一投足が、美しいのです。どこで左足を出してどこで右手を下ろしてと言うのが、全部、決められているのです。よく言われますよね。お手洗いの作法まで決まっている。顔の洗い方も決まっている。これは、'型'ですね。体をその型にいれるのです。仏ならばこの型のように動くのだから、この型のように動きなさい。その生活を一生続けてれば、あなたも仏なのだという考え方なのですね。ですから曹洞宗の場合には体から入る。臨済宗の場合は心を重んじる。どちらも一緒なのですよ、禅なのだから。心身一如というでしょう。その方法論の違いが、臨済と曹洞の禅の違いを分ける一つの側面になっているわけなのですね。この'型'というのはですね、最近非常に見直されているわけなのです。

同じ禅宗なのに、なぜ臨済宗と曹洞宗があるのか、その区分が明確にできていませんでしたが、これも解決できた気がします。臨済宗は公案を際限なく続け、心の方面から『悟り』に近づけようとするのに対し、曹洞宗は一挙手一投足まで全てを『型』にはめ、それを習慣として体得させることから『悟り』に近づけようとしているのでしょう。曹洞宗の開祖である道元があれほどまでに『祗管打坐(しかんだざ;ひたすら坐禅)』を説いていたのかが分かってきた気がしました。但し、いずれも、どちらにより重きがあるかということでの違いであり、曹洞宗でも公案は活用され、臨済宗でも型は重視されているはずです。

ところで、私や、特に弟は、昔、食事のとき、「姿勢が悪い」と言って、厳しく父にしかられていました。背中を丸めてだらしなく食事をすることを怒られるわけで、背中に『ものさし』を入れられて、是が非でも背筋を正されていました。また、「くちゃくちゃ」と噛んでいる音を立てることも叱られました。

父は無意識に、姿勢、つまり、型の大切さを教えていたのだろうと思います。残念ながら、姿勢については、時折正す程度で、四六時中正しい姿勢を保つほどには至っておりませんが、型の重要性は理解し始めました。そこで、子供達にも姿勢の大切さは、時折伝えていかねばならないと感じています。但し、毎晩毎晩姿勢で怒って、食事の味もあったものではないという教育法は、ちょっと極端なので我が家の家風ではないと思っています。

その時に何を悟ったのかというと、その時に初めて自分が今まで二十年かけて修行してきた公案の意味が分かったと、つまり、そのときに倉内老師のお悟りは、人工的な多角形から完全な円になったわけです。分かります?ですから、禅のおもしろさというのはそういうところにあるのですね。一生懸命に二十年修行していても、限りなく円に近いかもしれないけれども、本当の円じゃないというところがある、その代わりに、たったそれだけのことで、自然の円のお悟りに至ることもあるということなのですね。そういう風なことを考えていきますと、私たちがかかわっております禅の世界というのは、実にさまざまなまさに多面体、プリズムのような局面を見せてくれると、そう思うわけなのです。

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2006年 10月 04日

『中国古典からもらった不思議な力』北尾吉孝

投稿者 by vulcan at 00:04 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 1 TrackBack

本書の目的は、『はじめに』に書かれた以下の文章から読み取れます。

本書は、中国古典にいままで接したことがないという人たちに、是非一度は読んでもらいたいという私の強い思いから、若い人たちにも、できる限り関心が持てるような構成にした。
すなわち、
「どうしたら、世俗的な意味での成功を手にすることができるか」
「どうしたら、人生を楽しく充実させることができるか」
といった問題に対する処方箋を、私が中国古典より選んだ聖賢の名言を引用しつつ、私自身の体験を交えて平易に解説するという形にした。
このようなやり方は、中国古典を読むということでは邪道かもしれないが、あえて本書が契機となり、これまで古典とは縁がなかった人たちが中国古典に関心を持ち、次は『論語』へと進んでくれれば、本書の一つの目的は果たせたと言えよう。

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北尾氏本人が言っているように、本書のやり方は邪道でしょう。しかし、北尾氏という非常に個性が強く、且つ実績のある人物がこうしたやり方を採るというのは、意義は高いと思います。また、勇気のいることです。敢えて邪道を選んだ北尾氏に対して、『論語』に関心を寄せた私は賛辞を贈りたい思いです。

但し、中国古典をまともに時間をかけて学ぶということに関しては、人それぞれの選択であり、誰しもが中国古典に対する造詣を深めるのがいいとは思いません。中国古典の精神、つまり儒教の精神は持ち合わせるべきであると考えますが、それは感覚的に理解することも可能なわけであり、古典をそらんじるのは、それが得意であり、好きな人が行なえばよく、苦手であり、他に好きなことがある者は、造詣の深い知人を大切にすれば足りると考えます。

そういうわけで、本書で引用された中国古典の名言は、いずれも一家言あるものばかりですが、私が気に入り、以後大切に記憶に止めたいと思ったのは次の一つのみでした(実は、もう一つあるのですが、そちらは『人物をつくる』でも出てきた名言であり、先に紹介した『積善の家に余慶あり』です)。

「一利を興すは一害を除くに若かず、一事を生ずるは一事を減ずるに若かず」

モンゴル帝国のチンギスハンに一目ぼれされた男、耶律楚材のいい言葉です。『十八史略』に出てきます。
当時五十歳を超えていたチンギスハンが、弱冠二十数歳、この「金」の国の王族の血を引く耶律楚材に一目惚れし、宰相として迎えた。そして、それが大宰相になった。
その人が、人間は増やすことばかり考えがちだが、減らすということは大事なことだというのです。
この「進むだけでなく、退くことも考える」というバランス感覚も、仕事を成功させていく上で絶対に必要な知恵として、あげておかなければなりません。

一害を除く方が大事だとも、一事を減ずる方が大事だとも言っていません。あくまでも、一利を興すのも重要だが一害を除くのも重要である、一事を生ずるのも重要だが一事を減ずるのも重要だと言っているわけです。

拡大基調の時というのは、基本的に誰がやってもそれなりに結果は出るものです。もちろん、優れた指導者であれば、好機を無駄にせず、効率よく、飛躍的に拡大させるでしょうから、違いは大きく出ますが。一方、縮小基調というのは、指導者の優劣がはっきり出ると思います。決断を遅らせれば遅らせるほど事態は悪化しますし、過去の成功に引きずられ、あるいは現実を直視できず、結果として決断が鈍りがちです。

えてして絶頂期というのは衰退の始まりですが、絶頂であるがゆえに衰退の兆しが見えなくなります。理屈はなんとでもこねられるものですから、衰退の兆しに対して誤った解釈を行なったり、あるいは、自滅に導くような愚策を、美しい理屈で覆って正当化してしまうことが往々にしてあるものです。

そうしたとき、上記の格言を常に念頭においていれば、目的を見失ったり、自分の器を見誤ったりしないだろうと思いますし、被害を最小限に食い止める決断を即座に下すことができるのだろうと思います。

ところで、本書の中で中野孝次氏について、以下のコメントがありました。

中野孝次さんの本などを読むと、ある程度年をとったら、全ての社交を断ち、静かな人生を送りなさいというようなことが書かれています。
私は必ずしも中野さんの考えに賛同しているわけではなく、年をとったら、年をとった者同士の世界の中で、一つの生き方を見出せばいいと思っています。

これを読み、「おそらく北尾氏も中野孝次氏の『道元断章-『正法眼蔵』と現代』を読まれたのだな」と思い、私が選んだ正法眼蔵の解説書が悪くない選択だったようで、うれしく思いました。

確かに、中野孝次氏の『道元断章-『正法眼蔵』と現代』を読んでいると、中野氏のピュアな心は理解できるものの、少し首を傾げざるを得ないところもままあります。ピュアな心の叫びであり、尊重はするものの、「それほど世の中捨てたものではないのではないか?」と考えてしまうわけです。

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2006年 10月 03日

広島ドッグパーク崩壊に思う

投稿者 by vulcan at 13:13 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 2 TrackBack

あんなこと、こんなこと。どんなこと?』に、広島ドッグパークの惨状について報告されていました。

広島ドッグパークの惨状

我が家は犬や猫を飼いません。犬も猫も責任をもって飼うことが難しいと考えるからです。犬、猫は言うに及ばず、小鳥も亀もウサギもハムスターも、子供が幾ら欲しがっても、「責任を持って飼える」という確信を持つに至るまでは慎重にならざるを得ません。

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我が家で飼っているのは、海水魚と金魚、及びいくつかの植物です。これらだけでも、世話をするというのはとても大変なことです。

海水魚の場合、旅行で1週間ほど家を空けても、飢え死にすることはなく、金魚などは、全く餌を与えなくともプランクトンや藻を食べて生きるものですが、それでも、水がよどまないように、非常に気を使っています。

水がよどんだとしても、すぐに死ぬわけではなく、徐々によどんでいくのであれば、全く命に別状が無いとさえ言えますが、しかし、耐性が低下しているのは確実と思われ、僅かの環境変化で死んでしまうと考えています。したがって、水が清浄な状態をできるだけ保てるように、いろいろ工夫を凝らし、なるべく気持ちの良い水流を作ることと、適度に掃除することに苦心しています。

海水魚の場合、ミネラルを水中から摂取しますので、ミネラルが無くなった海水をそのままにしておくのは魚にとって良いことではなく、海水の交換は2週間に1度の割合です。バクテリアが極端に減らないように、且つ、排泄物を適度に除去するため、砂利をかき混ぜ、下層の水を3分の1ほど取り出し、新鮮な海水を補います。

日照も、イソギンチャクは言うに及ばず、魚もストレスを溜めさせないために重要なファクターであり、人の都合で日照時間が異ならないよう、タイマーで午前中4時間、昼に一度休憩させて、夕方に4時間照射するようにしています。

魚の数も重要です。そもそも、60cm水槽の容量で自然な数というのは1匹でしょう。それを人間のエゴで数匹群生させるわけですから、限度は4、5匹、それ以上は無理です。なるべく、ストレスが生じないように、隠れる場所をいくつか提供し、カクレクマノミのためにイソギンチャクを入れています。

海水魚の世話をすることは、私にとってライフワークの一つであるため、何ら苦になりません。しかし、それなりの時間が掛かるのも事実です。

海水魚の世話だけしていればいいわけではなく、子供が金魚すくいで取ってきた金魚のために、できる限りのことをしています。つまり、単なる金魚鉢に清流を作る工夫です。見た目にはあまり美しくないかもしれませんが、魚にとってはいい感じだろうと悦に入っています。

植物はもっと大変です。種によって、水の与え方、日照の加減などの適正が異なるため、正しい知識の習得と試行錯誤が欠かせません。やはり、毎日目を向けるのが大切だと思います。毎日目を向けていれば、試行錯誤の末、いい状態を作ってあげることができるでしょう。「時々、葉っぱを愛情を込めて拭いてあげて欲しい」との、前の持ち主からの伝言に従い、時々葉っぱを拭いてあげると、不思議なことに、程なく生き生きしてきます。

いくつかの植物を同様に愛情をこめて育てるというのは、やはり好きだからできることですが、それでも相当な時間が必要です。

それだけでなく、家の掃除もとても大切です。我が家でも、夜中、おもちゃがそこらに転がっている状態が往々にしてあります。おもちゃの気持ちを考えると、申し訳なく思います。おもちゃに限らず、浴槽の排水溝の気持ち、浴槽の床や壁の気持ち、便器の気持ち、空気口のフィルターの気持ち、布団の気持ち、マグカップの気持ち、麦茶ポットの気持ちなどを考えて、平日帰宅後も、30分は何らかの掃除に時間を充てるようにしています。それでも、なかなか完璧な状態には遠く及びません。

そんな状況なので、犬や猫を飼うなどまだまだです。全てが満足のいく状態に保て、それでも余裕があれば飼うのもいいでしょう。そうでなければ責任を全うすることなどできるものではないと考えます。

そもそも、所有するということは、それらを適切に保つ責任が生じることだと思います。物欲に駆られて、何でも欲しがるというのは、人間の業でしょうが、管理しきれるかどうか、良く考える必要があると思います。

翻りまして、広島ドッグパークです。詳しい経緯は分かりませんが、まず間違いないのは、動機があまりにも不純だったことであり、己の器を知らなさ過ぎたと思います。結果が自分ひとりに及ぶのであれば自業自得ですが、いくつもの命に悪影響を与えるというのは、頭で理解し、実践できない場合は、厳しく罰する必要があるでしょう。

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2006年 10月 03日

傲慢、謙虚、卑屈

投稿者 by vulcan at 11:58 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

謙虚という言葉の定義はなかなか難しく、「一歩前に出れば傲慢となり、一歩退けば卑屈となる」というようなイメージがあり、「果たして謙虚というのは日本人の美徳なのだろうか」と疑問を思うことも往々にしてあるものです。

何ゆえ、人は傲慢になり、また、卑屈になるのかということを考えると、私が申し上げるまでもなく、自意識が過剰なる所以です。自意識が過剰ゆえ、自信が過ぎる者は傲慢となり、自信が無い者は卑屈となるわけです。

つまり、謙虚というものは、自意識を捨てる、言い換えれば、自分を捨てるところに生まれるのだと思います。一方、謙虚というものは、身に付けるものではなく身に付くものだとも思います。そのためには、自分というものをしっかり持つことが肝要です。

「自分を捨て、且つ自分をしっかり持つ」という、一見すると二律背反の状態に到達して、真の謙虚さが身に付くのではないでしょうか。

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偉そうに申し上げる私ですが、そもそも、『存在理由』のカテゴリーの主たるテーマが「自意識過剰な私のルーツ探し」であり、以下に示す『随筆』での文脈からも、まだまだ真の謙虚さが身に付いた状態では無いことが分かります。

謙虚さに悩む

昔から、ことある毎にというとオーバーだが、頻繁に自分の謙虚さの不足について、母親なり、弟なりが指摘してきた。

子供のころから心にも無いのに謙(へりくだ)ったり、へつらったり、謙遜したりするのは、自分にうそをつくことになるので嫌だった。大抵のことは誰だってやればできるわけで、やると決めて、努力すればできるのが当たり前で、それをしないのは怠慢か、できないという思い込みが激しいかのどちらかだ。やるべきことをやらず、お上手を言ったり、妬むことに終始している者を見ると、怠慢を指摘するか、思い込みを取り払うかしてあげたくなるが、そうなるとますます尊大に振舞っているように見えてしまうので、できていない人間と接するのが苦手で、その結果、我が道を行くという性格を強めたように思う。

また、母親にとっては、子供はいつまでも子供のようで、何かと私の言動に心配を覚えるようだ。愛情に感謝しつつも、多少の反発心から、「俺は天才だから」「俺にできないことはない」と言って心配が無用であることを伝えるのだが、当然、火に油を注ぐようなものだ。最近は、とりあえず感謝の意を示すことを心掛けてはいるが、本質的には「心配には及ばない」ということを伝えるわけで、謙虚さが足らないという印象には変わらないだろう。

謙虚さとは何か、自分はそれをどう身に付けるべきかということに長年悩んだ。しかし、あるときそれも吹っ切れた感がある。それまでは、実力を磨き、他人に実力を認めさせることに執着していたが、自分に実力があり、周りもそれを認めていることを理解したころから、虚勢を張る必要が無くなった。そうすると、尊大に振舞うことも無くなり、そう見えないかという心配も無くなった。

謙虚さとは今もって難しい概念だが、地位に溺れて思い上がることさえ気をつけていれば、自然と身につくまで待っていた方が良いように思う。無理に身に付けようとすれば自分の器を小さくすることにもつながりかねない。

『随筆』を書いてから2ヶ月が経過し、謙虚については、とりあえずの結論に達しました。

繰り返しになりますが、まずは、自分というものをしっかり持つことが大事です。自分というセルフイメージをしっかり持ち、それをぶれないようにすることがまず何より必要です。そうであれば、まだまだセルフイメージに到達していない間は、他人に『傲慢』と思われても、セルフイメージに到達した折には徐々に『傲慢』さが抜け、セルフイメージを超える成功を収めだしても、自分というものがしっかりしているので、以後は『謙虚』という境地に到達するでしょう。まさに、『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』というわけです。

そして、「自分というものをしっかり持つ」ことの裏に、「自分を捨てる」ということが重要です。両者は表裏一体だと思います。あるいは、「自分というものをしっかり持つ」ことを超越したところに「自分を捨てる」境地があるのかもしれません。つまり、セルフイメージに到達するまでは、「自分というものをしっかり持つ」であり、セルフイメージに到達した以後は「自分を捨てる」ということです。

なかなか奥の深い『謙虚』ですが、どうにかここまで到達したのも、M.T.氏の教えに従い、毎日何回も「無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来眞実義」を唱えてきたおかげだと思っています。

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2006年 10月 03日

『人物をつくる』北尾吉孝

投稿者 by vulcan at 00:21 / カテゴリ: / 7 コメント / 0 TrackBack

先日、会社の書庫を整理していましたところ、北尾吉孝氏の『人物をつくる』が出てきました。4年ほど前、氏の出版を記念して贈呈されたもので、氏のサインがありました。

北尾氏には、6年前、今の会社の最初の仕事の関係で、30分ほどお目にかかる機会がありました。あのときは、私はといえば『蛇に睨まれたかえる』という状況で、とても北尾氏の記憶に残るような才覚は持ち合わせておらず、せっかくの機会を楽しむ余裕も無く、一刻も早く面談が終わることを願っていたように思います。

そんなわけで、北尾氏に対しての印象としては、『怖い』というのがまずあり、更に、ソフトバンクグループに対する勝手な思い込みも重なって、『傲慢』、『成り上がり』、『運が良かっただけ』というような、相当な偏見を抱いておりました。

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したがって、4年前に本書を贈呈されたときには、まるで読む気が起きず、書庫に追いやっていたわけですが、先日目にしたときは、北尾氏の人間学がいかなるものかを知りたいと思い、読んでみることにしました。

タイトルの『人物をつくる』という語感から、「思い上がっているのではないだろうか?」と少し思いましたが、中身を読んでみると、そんなことは全くの思い過ごしで、北尾氏が非常に謙虚な方であり(但し、私の定義する謙虚という意味で非常に謙虚だということであり、世間一般に言われている(謙虚と卑屈との区分が曖昧な)謙虚という意味では多少は謙虚だという程度かもしれません)、また、あれだけの実績を残してきているだけに非常に聡明な方であることがうかがい知れました。特に、北尾氏が、「神道」「仏教」「儒学」を大切にしている点が理解でき、「日本の将来は捨てたものではない」と思いました。

本書は、北尾吉孝氏の人となりを理解する上で非常に価値が高いと思いますが、座右の書とすべきかどうかというと、サインが無ければそれほどでもないと思うかもしれません。つまり、北尾吉孝という世俗的な成功者が記した書であることが、価値の根源なのだと思います。

とはいえ、私にとっては、二つの点で非常に役に立ちました。一つは、本書を契機に道元の『正法眼蔵』に興味を持ったという点であり、もう一つは、やはり本書を契機に松下幸之助の『指導者の条件』に興味を持った点です。

もしかすると、北尾氏以上に人間学について優れた見識で記した書物を読み、そこに道元の『正法眼蔵』と松下幸之助の『指導者の条件』が紹介されていたとしても、二つの書籍に興味を抱かなかったかもしれません。北尾氏ほどの人物が絶賛する『正法眼蔵』と『指導者の条件』とはどのようなものか、というのが大きいのだと思います。

本書を読んで心に残ったのは、運命について述べた次の一節です。他にも何度か読めば更にいくつか出てくるかもしれませんが。

例えば、芥川龍之介さんは、『侏儒の言葉』のなかで、こう言っておられます。

「運命は偶然よりも必然である。
運命は性格のなかにあるという言葉は、決して等閑に生まれた言葉ではない。」

「等閑に生まれた言葉ではない」とは、いい加減に生れたものではないということです。これを読んだときに、「それはそうだ。なるほど」と思いました。

運命とはいい加減に生れたものではないという点以外に、「それはそうだ。なるほど」としか解説していないわけですが、それだけに、立ち止まって何度か読み返しました。

運命が性格の中にあるというのは、「なるほど言いえて妙だ」と思いました。これは、すぐその後で挙げた『易経』の「積善の家に余慶あり。積不善の家に余殃あり(善行を施す家には余分の恵みが来る。不善を施す家には余分の禍が来る)」とセットで理解すべきと思いました。

つまり、性格というのは、持って生れた部分、つまり遺伝的な部分と、家庭環境に大きく左右されると思いますが、そうした性格が運不運を決めるということだと思います。素直な心、分かち合いの精神を育む家庭・家系は、その子孫が、運を引き寄せる素直な心を自然に受け継ぐため、運が良いということになるのだと思います。

運というものは、一つは解釈であり、一つは常日頃から運を見逃さない心構えであると思います。素直な心で解釈できるかどうか(ひねくれた解釈をしないかどうか)、好機をものにできる心構えができているかどうか(ぼけっと運が通り過ぎるのに気がつかずにおくかどうか)が重要なわけです。

そうして考えると、「運命は性格のなかにあるという言葉は、決して等閑に生まれた言葉ではない。」ということが、すっと入ってくるわけです。であれば、「運命は偶然よりも必然である。」というのも、まさに真理だということが分かるはずです。

【2006/10/4追記】

そういえば、北尾氏は本書の中で、ご自身が相当な勧善懲悪論者であることを述べており、「世の中は善悪で区分することはほとんどできない」と普段から思っている私などは、かなり違和感を抱いたのですが、北尾氏の人となりや業績を理解するに連れて、時には勧善懲悪が最善である場合もあろうと思うようになりました。

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2006年 9月 28日

座禅が座禅を座禅する

投稿者 by vulcan at 22:27 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

澤木老師は、生涯娶らず、寺を持たず、警策(きょうさく)1本持って旅に生きた。「昭和の最後の雲水」と言われた人である。老師の接心があると、全国から信奉者が安泰寺に集まった。京都大学の哲学の学生たちもいた。命がけで座禅に真理を求めている人たちが少なくなかった。
接心の講和の中で、澤木老師は、「座禅が座禅を座禅する」という言葉を言われたのを覚えている。また、「座禅をしても何にもならん」としきりに力説しておられた。座禅をしたら悟りを開くとか、肝が据わるとか、超能力がつくとか、何かの結果を期待して座ることを厳しく戒められたものである。抜き身の日本刀の刃の上を裸足で歩くようなものだとも言われた。右に一歩逸れても千尋の谷底、左に一歩踏み外しても千尋の谷底。たちまち野狐禅、つまり野狐に化かされて馬鹿な真似を大真面目にする世界、真実とは縁もゆかりもない禅の魔境にはまってしまうのである。

これは、T神父の著書の一節です。T神父及びT神父の著書については、別の機会に述べてみたいと思いますが、私はこの、「座禅が座禅を座禅する」という文句をすっかり気に入ってしまいました。

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真理を究明しようと座禅をし、あるいは、精神を鍛錬しようと座禅をする修行者たちに、老師は「座禅をしても何にもならん」というわけです。非常に厳しいお言葉だと思います。「何を言い出すのかこの老師は。意味がないのであれば座禅をしても仕方がないではないか。」と思った修行者は去っていくことでしょう。

本当の真理というのは、因果関係を超越した領域に存在するのだと思います。世の中は因果関係で成り立っていることは、否定しがたい事実だと思いますが、しかしそれを否定しないことには真理には到達しないわけです。それゆえ「座禅をしても何にもならん」と言ったのでしょう。

「座禅が座禅を座禅する」を聞いた修行者たちは、「老師ほどの人物のことだ。何か深い意味があるに違いない。」と思いながら、この言葉をどう解釈したらいいか、あーでもない、こーでもないと思考することになると思いますが、その行き着いた先には、『何の意味も存在しない』ということが待っているのではないでしょうか。

つまり、「座禅とは無意味だ」ということです。しかし、我々の感覚で無意味だと言っているのではなく、「意味を超えたところに座禅がある」ということを理解しなければならないわけで、それが理解できなければ、さっさと寺から去るべきなのでしょう。

座禅をしたこともない私が、知ったようなことを申し上げるのはどうかという意見もあるかもしれませんが、私はそのように理解しました。

さて、最近はまっている『道元断章-『正法眼蔵』と現代』(中野孝次)に次の一節がありました。

江西の馬祖道一(ばそどういつ)が南嶽懐譲(なんがくえじょう)のもとで修行していたとき、南嶽が密かに心印を馬祖に得させた。これが磨塼(ません)の故事の由来だ、と道元は言って、こんな会話をしるす。
馬祖はつねに坐禅にはげんでいたが、まだわずか十年をへたときのこと、南嶽がふいに馬祖の庵を訪れ、馬祖はつつしんで師を迎えた。

南嶽「お前はこのごろ何をしているか」
馬祖「このごろわたしは祗管打坐(しかんだざ;ひたすら坐禅)するのみです」
南嶽「坐禅して何をしようとしている」
馬祖「坐禅して作仏(仏になる)を志しています」
すると南嶽は一片の塼(せん;瓦)を持ってきて、馬祖の庵のそばの石にあてて磨き始めた。
馬祖「和尚、何をしておいでです」
南嶽「塼を磨いておる」
馬祖「塼を磨いて何をなさろうというんです」
南嶽「磨いて鏡にする」
馬祖「塼を磨いて、どうして鏡とすることができましょうや」
南嶽「坐禅して、どうして作仏することができようや」

思うに、俗世間においても、意味を求めるべきではないのではないかと感じています。

好きな人に尽くす、奉仕活動をする、人を助ける、そうしたことは、いずれ意味が生じてくるものでしょうが、行なっている本人は、意味を考えながら行なうことは戒めなければならないと思います。意味を考えること、すなわち見返りを期待することです。

【2006/10/4追記】

『祇管打坐』について、曹洞宗の僧侶が考察していらっしゃるサイトを見つけましたので紹介するとともに、一部を引用します。

只管打坐論

なお、何故只管打坐が安楽の法門になるかといえば、我々に楽や苦を与える主体は何であろうかを考えたときに、答えは出る。そこで、その原因が我々の心や身体であることは容易に理解できる。であれば、その心や身体がどのように成り立っているかを直観できれば、楽も苦も自在である。したがって、只管打坐が必要になってくる理由も明らかである。

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2006年 9月 28日

日本の隠蔽体質

投稿者 by vulcan at 14:36 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

日本人には、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の17条憲法の第一条にあるように、和というものが大切な精神文化として脈々と受け継がれておりますが、得てしてこれが悪い方向に作用する場合があることは、今更申し上げることでもありません。

「日本人に限らず、人間は社会性動物であり、それゆえ、徒党を組むことは人間の本性に沿った行動であるため、これを否定することは宇宙原理に反するわけで、そうしたありのままの現実を受け入れ、善用することが大切だと聖徳太子は説いている」、確か、松下幸之助の『指導者の条件』では、このような解説を行なった上で、「ありのままを受け入れる」ことを102個の条件のうちの1つ目の条件としていたと記憶しています。

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数年前までは、閥を作ったり、根回ししたりという日本的な和の精神に対して、嫌悪感を抱いておりましたが、それによって、不用意な摩擦を回避できることを理解し、一面において重要な精神文化だと今は評価しています。

つまり、派閥や学閥それ自体は悪ではないと思います。しかしながら、その存在が長く続くことで、閥の存続が何よりも優先される判断基準となってしまい、いろんな弊害が生じることも事実です。

この問題は、ちょっと探せばどこにでも転がっているテーマですが、大阪大大学院生命機能研究科の助手が、自分の研究データを改ざんされたうえ論文を米国の科学雑誌に投稿されたとして取り下げを訴え、自殺した事件が5号館のつぶやきで取り上げられていました。論文は異例の取り下げとなり、助手は、自らの死をもって不正を正したことになろうかと思います。

ところが、この自殺について、大学当局が取った行動は、真相の究明と公開ではなく、自殺の隠蔽だったようです(柳田充弘の休憩時間より判断)。妻子を残しての自殺に追い込まれたK氏の無念を思うと、無性に悔しくなります。

こうした大学当局の対応を見てすぐさま思い浮かべたのは、盗作画家和田義彦のあきれ果てる行為と、それを隠蔽する大学当局の体質を指弾したきっこの日記の記事です。

和田義彦が名古屋芸術大学の名誉教授をやっていた時代、セクハラ委員会は和田義彦のセクハラを揉み消す方向に動いていたらしく、A講師が問題を提起しセクハラ委員会を招集しようと動いたときに、次のような発言があったときっこの日記で報告されています。

そして、委員会がひらかれる前に、委員会のメンバーの1人である助教授のところに、学内で力を持っている彫刻科の教授から電話が掛かって来た。

「(和田のことでセクハラ委員会が召集されたそうだが)また和田が何かやったのか?以前にも女子学生を二度妊娠させたことがあって、二度とも中絶させているんだが、もう俺は守りきれんぞ。その非常勤のA君はどんな話を持ち込もうと言うのかね?」

結局A講師は、セクハラ委員会では埒が明かないことを知り、学長に直訴、後日A講師は名古屋芸術大学を辞め、その後、学長は和田義彦のセクハラ問題を教授会にかけ、和田を辞めさせたそうです。

(参考)盗作画家のイイワケ(きっこの日記)

結局、閥の存続、会社の存続、大学の存続等、徒党の存続を最優先課題とすることが、判断をおかしくするのではないかと思いますが、その裏には、かばい合いの体質、引いては弱みを握り合う体質があるのかもしれません。

ここで思うのは、翻って、松下幸之助の102の指導者の条件です。松下幸之助は、102の条件を全て完璧にすることは神でなければできることではないが、少なくとも102の条件を全て、行動として実践している部分がなければならないと述べており、101の条件が良く実践されていたとしても、1つでもゼロの項目があれば指導者として失格だと言っています。

ここで言う指導者とは、社長や学長のみを指しているのではなく、工場における組長や班長なども指しているので、当然、教授会の構成者である教授や取締役会の構成者である取締役も対象です。

あらためて、何が大義かを見極められる人が指導者(リーダー)となり、小沢主義(小沢イズム)で書かれているように、責任の所在が明確になる仕組みづくりが必要だと、強く思いました。

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2006年 9月 27日

死生観

投稿者 by vulcan at 01:00 / カテゴリ: 存在理由 / 4 コメント / 2 TrackBack

まだ私は死生観というものが確立されている段階にはなく、道元の『正法眼蔵』という難解な古典の解説書『道元断章-『正法眼蔵』と現代』(中野孝次)を読みながら、死生観について哲学している今日この頃です。

私は、『野良里蔵狸 -norakura-』の記事が、毎度毎度何かを考えさせられるきっかけになるので気に入っているのですが、今回の『さくらちゃんを救う会に募金は必要か?』も、ちょうど死生観について哲学していたところでしたので、興味を持って読みました。

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記事によると、NHKチーフ・プロデューサーとNHKディレクターの夫婦が、一人娘のさくらちゃん(4歳)の心臓移植をするために、1億3600万円の募金を集めようとしているそうで、現在1900万円ほど集まっているようですが、夫婦の年収が4000万円に達し、高級外車2台、庭付き一戸建、その他に不動産資産が7億円は下らず、それだけ金があるなら、ちまちま募金などせずに、今すぐ自宅を売るか、自宅を担保にNHK共済からお金を借りて渡米しろ、という『2ちゃんねる』での論調があるようです。

ここで考えさせられるのが、心臓移植に関する是非です。移植するということは、同年代の子供の心臓を移すということであり、当たり前のことですが、ドナーの死を意味するわけです。

中国では死刑囚をドナーにして、臓器が売買されているようですが、そのほかにも貧しい家庭の子供がドナーになっていると聞きます。

日本でも、ドナーの心臓、腎臓、肝臓、角膜、皮膚などが取り出され、「これが息子の姿か」と目を疑ったおばあさんの記事を読むにつけ、臓器移植に対する抵抗を強く持ちます。

また、「ドナーカードを持った脳障害の患者が現れたら、臓器提供が優先され、ドナーとされた患者の救命治療は尽くされず、早期に打ち切られている」という報告もあり、臓器移植という仕組みがあることで、医療の現場が混乱しているようにも思います。

待ち望まれる「脳死」!密室の中でドナーの救命治療はつくされたのか!
脳死臓器移植(第10、11例目)救命治療は闇の中--ドナーは見殺しに!

『心臓外科医のひとりごと』というブログを読むと、ctsurgeon氏は立派な心臓外科医のようですが、「執刀経験を多く持つために、医療現場が手術に飢えている」実態が垣間見れ、こうした状況では、正しい倫理観をもって臓器移植が行なわれているのかどうか、疑問を感じてしまいます。

そんなわけで、臓器移植の是非については、私は『あんなこと、こんなこと。どんなこと?』と同じく、「移植は反対、プラスチックや再生技術でまかなえる範囲に制限する」という立場です。しかし、それで最後まで信念を貫き通せるかどうかは、死生観をどこまで持てるかにかかっており、しっかり考えて行きたいと思います。

なお、今回の調査の一環で出会った『あんなこと、こんなこと。どんなこと?』も良質なサイトでしたが、そこから先にあった『5号館のつぶやき』というサイトは専門家による非常に見識の高いサイトのようで、甲乙付けがたいと感じました。そんななかで、『移植臓器の売買はどうしていけないのか』は、理解を深める助けとなりました。

【2006/10/7追記】

上田家の財政状況について、ご両親からの報告がアップされていたのを知りましたので、ご紹介しておきます。

両親からのお礼とご報告

募金をすることが適切かどうかは私には判断できません。他人の力(お金・臓器)にすがるということは、自尊心を含めていろいろな面でマイナスに働く可能性があり、相応の覚悟をしておかなければならないことだと思います。覚悟が低ければマイナス要素が大きすぎますし、覚悟が高ければマイナス要素はたいしたことではないでしょう。であるならば、募金をすることが適切かどうかを判断できる人というのは、本人だけかもしれません。

死ぬ死ぬ詐欺疑惑まとめサイト(非常用)


一次情報と二次情報(きっこの日記)

続・一次情報と二次情報(きっこの日記)

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2006年 9月 25日

なぜ新聞・TVを見ないのか

投稿者 by vulcan at 20:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

我が家は、新聞・TVを見ない方針です。これは、時間を大切にしたいという思いと、世論を誘導するマスコミ体質に対して一石を投じるためです。

時間の無駄に関しては、特にテレビにおいて強く感じます。スポーツやバラエティをだらだら見ることは、完全に中毒だと思っています。

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例えば、人生において非常に意義のある人物を応援するためにスポーツを見たり、尊敬する人物のものの見方を学ぶためにトーク番組を見たり、優れた演出家・監督の作品を鑑賞するために演劇や映画、ドラマなどを見たり、あるいは非常に好感を持っている漫才師や落語家等のパフォーマンスを味わうためにお笑い番組を見るというように、目的意識がはっきりしているのであれば、まだいいと思います。

しかし、単に『テレビを見ないとつまらないから見る』というのは、たまに息抜きとしてみるのは癒しの効果があるかもしれませんが、毎日それでは人生を無駄に消費していると言わざるを得ません。テレビを見ることで夫婦の会話や親子の会話が減ってしまうことが惜しいと思います。

また、感動を演出し、視覚的に分かりやすく表現するというのはテレビの果たす役割の一つだとは思いますが、今のあり方は行き過ぎている気がします。要するに視聴率を稼ぐという魂胆が見え透いている場合があり、それらの存在によって本物の感動さえも色あせてしまっているように思います。

では、ニュースはどうかというと、これはテレビに限らず新聞もそうですが、マスコミの報道の仕方に非常に憤りを感じており、見る気がしません。例えば被害者の気持ちを踏みにじるような報道がなされたり、テレビ局や新聞社のシナリオに適った発言だけを編集して報道し、発言者の真意が伝わらなかったり、政治や団体の圧力によって情報が操作されていたり、あるいは、国を良くしようと考えているとは思えないような記事の取り上げ方や近視眼的な報道を見るにつけ、完全に見る気が失せました。そして、そういいながら新聞やテレビニュースを見続けることは、彼らを是認していることになるため、見ないことにしたわけです。

では、情報は何によって得ているのかというと、容易に想像つくことですが、インターネットと書籍です。幸い、我が家から歩いて5分のところに図書館があるので、助かっています。通勤電車では、新聞を読まずに本を読みます。大体三日ぐらいの通勤で一冊読みますが、週末は家族との団欒に充てますので、月に5、6冊です。

書籍の方が奥行きが深いため、新聞よりもずっと記憶に残りますし、また、よく推敲されており、すぐに廃れる一時的な情報は間引かれていますので、情報の価値は高いと考えています。

鮮度が命の情報というものはインターネットで取得できますし、そうした情報が本当に価値があるかどうかについては疑問を感じます。

例えば、不幸な事件は情報としてどれほどの価値があるでしょうか。人の不幸を見て自分たちの幸せを感じる感覚は持ち合わせていません。不幸な存在を理解することで人間としての情緒を育むのであれば、そこに即日性は必要なく、紙面や報道時間といった都合に左右されない、丹念に事実関係を把握し、公正に記載した書籍によって理解すべきと考えます。

あるいは、株価は本当に必要な情報でしょうか。株式売買でさやをぬこうとしている人にとっては有益な情報かもしれませんし、株価をある程度意識することは経営者に求められる姿勢かもしれませんが、株価の乱高下に一喜一憂するというのは、あまりにもばかばかしいと思います。

かく言う私も、銀行員時代の3年半、日本株運用を業としていたため、それこそ、日々株価のチェックを行ない、頭の中は株式のことでほとんど占められていましたが、それだけに、「一体株価をチェックすることが人類の発展にどれだけ寄与するのか」という疑問を、日々感じながら過ごしてもいました。

株価にこだわりを持たなくなると、日々流れている情報の多くはあまり意味の無い情報になります。繰り返す業績予想の修正や、今後の影響がどう出るのか見通しにくい企業提携の発表(とその後の提携解消)など、「前の情報は何だったのか?」というようなことにもならなくて済みます。

人それぞれ、価値観が異なり、私にとって無益な情報も、別の人にとっては有益なのかもしれません。そうした多様な価値観の最大公約数がニュースであり新聞なのでしょう。そうであれば、必要な情報だけを取捨選択すればよく、だらだらと最初から最後までニュースを見るのは時間の無駄だと思います。それに止まらず、同じニュースを繰り返し、あちこちの番組で見るなどというのは、人生を賢く生きているとは思えません。

新聞であれば、取捨選択することで時間を効率よく使うことができますが、それはインターネットニュースでもできることであり、インターネットの方が情報の取得や利用に関して創意工夫の余地が高く、また、玉石混淆の中から価値ある情報を見出すことは非常に鍛錬になりますので、私はインターネットを重視しています。


【2006/9/26追記】

ちょっと熱くなりすぎました。昨日は、何かに憑かれたかのように、こみ上がる怒りに任せて書きなぐりました。二点ほど付言しておくことがありましたので追記します。

一つは、人生を無駄に消費しているかどうかは、他人が決めることではなく自分が決めることだということです。したがって、テレビを見るのもゲームをするのも漫画を読むのも、それがとても楽しく、自分にとって価値があると感じているのであれば問題は少ないと思います。しかし、そこに、ある種の疑問を感じているのであれば一度立ち止まった方がいいかもしれません。

私も、長年の間、ゲーマーとして生きてきました。また、将来、子供達が相応の歳になった暁には再びゲームに回帰していく可能性があります。今でも私はゲームを愛していますし、ゲームに限らず、娯楽というものが人生を楽しいものにする側面があると信じています。

二つ目は、新聞やテレビを見なくなったおかげで、『新聞やテレビを見る人』という情報源を大切にするようになりました。これをきっかけに持ちつ持たれつの関係が一つ形成できたことはいいことだと考えています。また、以前は、新聞やテレビの話題しかできない人を馬鹿にしていましたが、今は、貴重な情報源として、敬意を持って拝聴する心構えを持てるようになりました。こうした変化も、新聞やテレビを見なくなった事の効用として挙げられ、よいことだったと考えています。


【2006/9/27追記】

「青い三角定規」という30年以上前のフォークグループのメンバーである高田真理が、原付で事故を起こし、相手の自転車の女性を1ヶ月の重傷を負わせ、酒気帯び運転の現行犯で逮捕されたそうで、そのことを10日ほど前の『きっこの日記』の『有名税と暴露本』で知っていましたが、その高田真理が自殺したことを、やはり『きっこの日記』の『コイズミ改革はイジメの構図』で知りました。

原チャリで事故を起こして、各局のワイドショーやスポーツ紙に血祭りに上げられてた「青い三角定規」の元メンバー、高田真理さん(59)が、今日、9月26日の午後4時ころ、埼玉県入間市豊岡の12階建てのマンションから飛び降りて、自殺してしまったのだ。身につけていたショルダーバッグの中には、知人あての遺書があり、管轄の狭山署は「飛び降り自殺」と判断した。ようするに、高田真理さんは、マスコミの吊るし上げによって、何よりも重い「有名税」を払わされることになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

【2006/9/28追記】

時々チェックしている『らくちんランプ』ですが、『言論の自由の砦を守った「東京新聞」(安倍新政権にメディア戦々恐々?)』を読み、東京新聞は剛毅な新聞社のようであることが分かりました。

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2006年 9月 22日

感性を研ぎ澄ます

投稿者 by vulcan at 13:05 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

私は、物心ついたころから直感力に自信を持っておりました。しかしそれは、試験における出題者の意図とか、目の前や電話口の相手の真意とか、そういったものを感じ取る能力に長けていたに過ぎず、今思えば偉そうなことを言えるほどのことではありません。先日書き上げた例の『随筆』でも、以下のように述べており、ついこの間までの自分を恥ずかしく思います。

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『見通す力』というと長所のような気もするが、欠点でもあり、場合によっては致命的な災いを招く。

別に自分に透視能力が備わっているわけではないが、物事には因果関係というものがあり、気持ちは態度に表れたりするわけで、現在の状況や過去の経緯を分析したり、それぞれの出来事や、行動、何気なく出た言葉、ふと耳にした言葉、表情、視線、沈黙、無視、間、しぐさ等の意味を探ったり、それらをつなげ合わせて考えたりすることで、先が見通せたり、人物を見透かしたり、覚悟の程を知ったりすることができる場合が割りと多い。

当たり外れはともかくとして、そうした見通す力を持った人、もしくは見通そうとする人に対して、人は警戒心を抱く。下手な行動、不用意な発言によって自分を見透かされるわけだから当然のことだろう。

こうした人間は、言われなくても分かることは当たり前の前提として先を急いでしまう。例えば人が困っている場合、その人が困っているので助けて欲しいと言われる前につい手を差し伸べてしまい、びっくりさせてしまう。あるいは、本人も言われるまで困った状況にあることすら気づいておらず、言われて初めてなるほど自分は困った状況にあったのだと気づくとともに警戒する。

しかし、一挙手一投足、何事にも意味を見出そうとしてしまうのは、生まれ持っての性であり、どうにもならない。せめて、凡庸に振る舞い、見て見ぬ振りをし、口を慎むぐらいが関の山であるが、そうすると、「あいつは何を考えているのか分からん」となり、敵を増やす。

また、先が見通せるということは、行動に無駄がなくなるが、逆に諦めも早くなり、途中で挫折することも多い。それが高じると、行動とは理論を立証するために行なうもの、推論を検証するために行なうものと捉えるようになってしまい、目的を達成するために行動するという思考方法が抜けてしまう。つまり、極論すると、考えるだけに終始し、何もやらなくなる、何もやる気が起こらなくなるわけである。

ではどうすれば良いか、これは今もって難問である。一つは、「行動とは目的を達成するために行なうものである」ということを肝に銘じ、常に自分の目的とは何かを己に問うことであろう。そしてもう一つは、己の能力と人間的な魅力を磨くとともに、先を見通す力というのは短所でもあることをよく自覚し、その上で通じる者、受け入れてくれる者を増やすしかあるまい。

さて、『随筆』をとりあえず書き上げてから、ふた月ほどが経過し、今は多少物事を理解するようになりました。

今までの私が自負していた直感力というのは、それを自分の都合にのみ活用してきました。つまり、相手がどう思っているかを理解していても、(近視眼的に見て)自分の都合にかかわりの無いことだと判断したことは、無視するか、あるいはわざと逆撫でするような言動をとって相手の反応を楽しむということが、無きにしも非ずであったと思います。

したがって、自分の(近視眼的な)都合に関係の無い対象には、直感力を行使することをしてこなかったわけです。

ところで、『随筆』を書いてからのこの2ヶ月の間に、いろんな方とお話をする機会に恵まれ、また、いろんな書物を読みました。そして、いずれも共通することは、『感性を研ぎ澄ます』ことの重要性を私に認識させることであり、そうした結果、徐々に直感力について深く思考するに至ったわけです。

結論を申せば(といっても現時点での結論ですが)、直感力を働かせる相手というのは、目の前の相手や電話口の相手、手紙やメールで通じている相手に限るべきではなく、むしろ、目に見えない、存在すら認識できていない相手にまで働かせて、初めて自負しても許される領域であり、そのような領域に達すれば、自ずと『随筆』で述べているような悩みなど雲散霧消するということです。

つまり、見ず知らずの人や知らない土地の人、また、既に亡くなった人やこれから生まれてくる人、そういった人たちの思いを理解することが正しい直感力の使い方であり、更に言えば、人以外のモノ、動物や虫や植物はもとより、無機物にまで思いを馳せることが求められているのだということです。

本稿を書こうと思ったきっかけになったことなのですが、煙草の灰皿に対して思いを馳せました(実は煙草を再開しているのですが、この件については別の機会に述べたいと思います)。灰皿に八百万の神が宿っているのかどうかは分かりませんが、灰皿の気持ちを慮ると、「汚く使うのは灰皿が悲しむだろう」と思ったわけです。すると、直後に便器にも思いを馳せました。

先日猊下にお会いしたとき、イエローハットの鍵山相談役が、社長時代からトイレの掃除を日課としており、日本を美しくする会なるものが広まりつつあるという話を伺いました。トイレ掃除をすることで謙虚さが身につくということなのですが、正直、それを聞いたとき、「鍵山相談役はその会の草創者であり、また長年実践してきた方なので尊敬するのはやぶさかではないが、周りの人は果たして事の本質をきちんと理解して実践しているのか疑わしい」と思いました。

このときは、私も、単に鍵山相談役が、高慢にならないよう己を律するために行なってきたのだろうと思ったのですが、先ほどの件があって、鍵山相談役が便器の気持ちを慮って行なったのだと思うに至り、心から尊敬の念を覚えました。

さて、最近の2ヶ月の間に、『感性を研ぎ澄ます』ことの重要性を私に認識させたうちのいくつかをご紹介したいと思います。

まず、銀行時代の元支店長であるM.Y.氏から、「疑似体験力を身に付けよ」とアドバイスされました。どういうことかというと、こういうことです。

「人生は短く、やらなければならないことは山ほどある。無限の時間を使って、思う存分一つ一つに時間をかけたいものであるが、悲しいかな、ゼネラリストはそれが許されない。したがって、限られた時間で多くのことを理解するために疑似体験力が必要となる。人(スペシャリスト)が二年かけて身に付けた実体験を、疑似体験力をもって15分で全て理解せよ。まるでその場に自分がいるかのように、手に取るように分かるようになるものだ。それがゼネラリストという名のスペシャリストが果たす役目だ。」

次に、これは意図は違うかもしれませんが、私の確信を深めた文章で、先日来、メル友としてお付き合いいただいている温心堂主人の一節です。

信仰療法

これを全否定しない。お布施という治療費が、小遣いの範囲で融通できる額であれば副作用もなく治癒に導かれる病気があるかもしれない。癒しには神秘的な闇も必要と考えている。原因不明の病気が、どんな言葉であれ解釈が為されることは、治療家にとっても病人にとっても癒しの契機となる。時々、祈祷師のお告げと言っては漢方薬や薬草を買い求めに見えられる。その病気に適応しないだろう、、と思ってもとりあえず渡すことにしている。というのも、見当違いの薬で効いてしまうことがあるのだ。こんな事が繰り返し起ると漢方の勉強など要らぬ、効くという信念さえ研ぎ澄ましておれば良いのだと思えてくる。実際そうなのかも知れない。漢方用語の、気が神に、血が悪霊に、水が霊魂に翻訳されたとしても解釈は成り立つ。信じるか否かの問題である。通常医療も代替医療も治療家が信じるに足る言葉で医療行為を続けているのであろう。言葉を突き詰めてゆけば、実はそれほど実体や根拠がある訳ではない。免疫学と言いながら神や霊を笑えなかったりする事もある。

他にも良いと思った本のほとんど全ては『感性を磨く』『直感を信じる』ことの重要性が説かれていました。直感を信じるというのは、注釈が必要であると思われ、直感力を磨いていなければ、直感が適切に働かないと思います。

ところで、『ちょっかんりょく』を変換すると、直感力と直観力が候補として出てきます。直感の意味は『推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。「―が働く」』で、直観の意味は『哲学で、推理を用いず、直接に対象をとらえること。また、その認識能力。直覚。「真理を―する」「―力」』です。

私のこれまでの能力は直感力でした。「これからは直観力を磨かなければならない」と思いました。

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2006年 9月 21日

ぼくのおじいちゃん(1)

投稿者 by vulcan at 12:09 / カテゴリ: 存在理由 / 4 コメント / 0 TrackBack

祖父を最も愛したのは、弟であると思いますので、私が祖父を語ることが適切かどうか迷っていましたが、私が祖父を愛したことも間違いありませんので、書こうと思いました。「書くのはいいが、ブログで書くことか?」という思いもありましたが、昨日、「まだ見ぬ我が孫、我がひ孫達に、私の祖父がどういう人物であったかを知らせるためにも、ブログで書き記しておこう」と思いましたので、書くことにします。

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我が祖父、頼廣辨三は、2003年11月に他界し、享年83歳だったはずですから、1920年、つまり大正9年3月に生まれました。実家は須磨の庄屋だったそうで、本家は農地改革によって多くの土地を召し上げられたと聞いたことがあります。

分家ではありましたが、本家の当主が若くして他界したため、世継の方が成人するまでの間、代わりに家と墓、そして残された土地を守ってきました。

神戸大学(当時は神戸商業大学?)を卒業した祖父は、台湾銀行に就職が決まっていました。当時、台湾は日本の領土であり、台湾勤務が予定されていたそうなのですが、戦争が激しくなってきたことで台湾には赴かず、東京で勤務していました。

戦争がいよいよ軍人だけではまかなえなくなり、祖父は海軍経理学校に入学しました。2年ほど過ぎたころ、「これ以上無い好青年がいる。戦争によりいつ軍艦に乗るか分からない時代だから、今のうちに見合いをしなさい。」と、祖母の親戚のすすめにより、祖父母は見合いをし、結婚しました。

結婚後、祖母は須磨に嫁として来て、家を守りましたが、軍規により祖父の帰宅は許されず、祖母は心細い思いをしていたそうです。

結局、祖父が軍艦に乗る前に終戦を迎えました。8月の終戦から12月まで、祖父は軍の経理のため、引き続き帰宅ができず、12月にようやく帰宅したのですが、そのときの祖母の安堵は計り知れません。

その後、台湾銀行への復職の道が途絶えていたため、神戸銀行(三井住友銀行の前身の一つ)に就職することも検討がなされたそうですが、混乱の世の中で、銀行も安泰ではないとの助言もあり、国鉄の下請けをする建設会社に就職し、経理を司ったそうです。

5年ほどしたとき、遠い親戚が社長を行なっている会社から、経理を任せられる人間が欲しいとのことで、スカウトされました。そこには20年ほど務めたそうですが、経理のシステムが出来上がり、役目は終わったと感じたこと、社長が息子の代に代わり、年寄りがいるべきではないと判断し、その会社を去りました。逆算すると、50歳ごろだったと思います。

そして、最後の奉公先が梶原鉄工所です。ここには65歳になるまでの15年間務めたそうです。つまり、私が生まれた昭和45年(1970年)ぐらいから昭和60年(1985年)まで梶原鉄工所にいたことになります。梶原鉄工所の社長には3人の息子がおりましたが、三男が経理の素質が高いと見て、三男にノウハウを全て伝授したようです。といっても、祖父は、家庭で仕事の話をしなかったようで、詳しいことは分かりません。梶原鉄工所のご子息(といっても私よりずっと年上ですが)は、退職後18年も経過していたというのに、祖父の葬式に弔問に来てくださりました。そんなわけで、近いうちに、祖父の仕事振りについて、梶原鉄工所の方に聞いてみようと思います。

その後、1990年4月から94年3月までの間、私は神戸大学に祖父母宅から通いましたので、親代わりをしてくれました。博学なため、もっといろいろ教えを受けておけば良かったと思いますが、私はドイツ語の宿題を祖父に手伝ってもらうに過ぎませんでした。弟は、名古屋から来ると英語の宿題の手ほどきを受けたり、日本史についていろいろと教わっていました。

私が大学を卒業してからは、祖父はようやく自分のために時間を使うようになり、それまでは、国内旅行が中心でしたが、あちこち海外旅行に行くようになりました。どこに行ったのか、私の記憶だけで全て列挙することはできませんので、後日調べてみたいと思います。

最後の海外旅行はスペインだったと思います。母と叔母が付き添い、いろいろ珍道中だったようです。

最後の国内旅行は、2003年7月の利尻島礼文島へのにっぽん丸での旅行でした。当時、最後の旅行になると予感した祖父は、このクルーズへの参加を企画したのですが、母も叔母もあまり乗り気ではなく、平日に有休をとる必要があることで、弟も妹も参加できなかったのですが、私は運良く休みが取れましたので我が家(私、妻、長女)が参加を申し出ましたところ、母と叔母が参加を表明し、実現しました。

かなり歩行が困難になってきていた祖父でしたが、全ての照準をこのクルーズに合わせ、健康を管理し、実現させました。時々弱音を吐いたりしたそうで、その都度祖母が叱責しながら元気を奮い起こさせていたようです。

船内では、遺産相続に関する話題も祖父の口から出ましたので、相当自分の肉体的限界を感じていたのだろうと思います。

アクシデントもなく、楽しい北海道旅行の写真をマイブックで製本し、祖父に進呈しましたところ、とても喜んでくれました。祖父と、最後の旅行をともにできて、本当によかったなぁと思います。

≪続く≫

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2006年 9月 14日

娘に頭が上がらない訳

投稿者 by vulcan at 09:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

先日、私は娘のBianに頭が上がらないと申し上げましたが、単に子煩悩で目に入れても痛くないので頭が上がらないというわけではありません。

娘は4歳にしては驚くほどいろいろなことを理解しているので適当にあしらうと矛盾を敏感に察知し、また、母親であるNamePの影響を受けていますので、私に対して容赦なく指摘をします。それらの指摘は、大まかに言うと、「お説ごもっとも」という指摘と、「それはエゴだ」という理不尽な指摘の二種類に分けられます。

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「お説ごもっとも」という指摘は、反論の余地がありません。反論するとすれば、「自分のことを棚に上げて何を言うか」とか、「親に向かってどういう口のきき方をしているのだ」という、論点のすり替えしかありませんが、そのような論点のすり替えは、何らいい結果を生みませんし、家族内で自己防衛するほど虚しいことは無いので、それはしません。

むしろ、社会において、予想される様々な攻撃に備えて知らず知らずのうちに防御を固め、無言の圧力で周りに指摘しづらい環境を構築し、仮に攻撃してくる無謀な者には、要領よくかわした後に、機を見て逆襲に転じ、倍返しで叩きのめしてきた私は、「これほど心強い味方はない」反面、「敵に回すと厄介な油断のできない奴」という評価であると思われますから、気づいた点も指摘しにくいでしょうし、実際に指摘してくれる人も少ないのが実情であり、無邪気に指摘してくれる娘というのは貴重な存在です。

つまり、これまで、祖母を除いて、母親や妻の指摘でさえも拒絶してきた私ですが、娘の指摘を受け入れることで、「指摘を受け入れることがいい方向の変化をもたらす」ということを学習し、妻の指摘や母親の指摘、更に父親や兄弟の指摘をも受け入れる余裕ができ、徐々に防御を解いていったわけです。

次に、「それはエゴだ」という指摘は、受け入れることが私のためにはなりませんし、娘のためにもなりません。要するに単なる我がままです。かといって、一刀両断に処すこともできません。それは、娘の中に自分を見るからです。

「王女様気取りか?」と思えるほど娘の我がままはいっちゃっていることがありますが、思い起こせば私も、「世界は自分を中心に回っているし、回すべきである」という王子様気取りの信念を土台に人生を歩んできており、神をも越えるとは思っていないにせよ、「神の2、3センチ下には位置するはずだ」と思い込んでいましたので、娘の我がままを一刀両断に処すことは自分のことを棚に上げることになります。

三十数年掛けて、ようやく「自分はひとかどの存在ではあるが、大した存在でもない」ということを、つまり、「どんぐりの中で比較的背の高い方、ただそれだけ」ということを完全に理解できたわけで、娘にも、自分で気づくための時間を与えてあげなければフェアーではありません。

但し、完全に放任してしまうと、私と同様に三十数年の期間を要するかもしれませんし、私と同様に失うものも多くなるでしょう。そういうわけで、時々、機を見ては、「エゴが強すぎると、人生遠回りになってしまうよ」ということを匂わせるようなアドバイスをするよう心掛けています。いつ気がついてくれるかは分かりませんが、発信し続けていれば、三十数年よりは短いと思っています。

そういうわけで、娘の指摘は何であれ、頭が上がらないというのが、今の私の姿です。とはいえ、あまりにもひどいエゴは『聞こえなかった振り』をします。逆に後で手ひどい目にあいますが(笑)

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2006年 9月 12日

猊下の教え

投稿者 by vulcan at 12:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、さりげなく、子育てにおける『伝えることの重要性』を申し上げたつもりですが、そのことを確信したのは大本山須磨寺管長小池弘三猊下の教えを受けたときです。

2ヶ月に及んで頭を整理した上で、いくつか独力では解決仕切れない問題の糸口を探るために、私は三人の指導者を持つことにしました。ところが実は、その他に二人の方の指導をお願いしたいと思っており、その後は思いつく人に適宜知恵を借りようと考えていました。最初の三人の次に指導をお願いしたいと思った二人とは、一人は小池猊下であり、もう一人はT神父です。

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小池猊下との面会は、祖母に渡りをつけてもらい、7月30日に実現しました。

猊下に面会する前に、例の『随筆』の中で、以下のように記していました。

私の祖父母は須磨寺の檀家のため、大本山須磨寺の管長である小池弘三猊下には、法事の際などで時々拝謁する栄誉を賜っていた。昨年のお盆などは、祖母宅にてお経を上げて頂いた後、当時3歳の娘がお茶菓子のフルーツゼリーを気に入り、それを見た猊下は自分の分を娘に与えて下さった。皆は運のいい子だと喜んだ。また、私が神戸大学の学生のころ、次のようなこともあった。

私がアルバイト先から祖父母宅に帰宅したときのことである。祖母は緊張した面持ちで、私宛に須磨警察署から出頭命令が来ていることを告げた。バイクに当て逃げされた車の持ち主が、バイクのナンバーを控えていたので、祖父母宅に連絡が入ったというのだ。

すぐさまピンときたが、事実はこうである。私が原付でアルバイトに向かっていたとき、離宮前の道は大渋滞していた。車の横をすり抜けることもできたが、時間が無いわけでもなかったので、最後尾で待つことにした。すると、反対車線を上から降りてくるオフロードバイクがカーブを曲がりきれず、私の前の車のドア下部に、前輪か、ステップをぶつけた。バイクは反動で体勢を回復し、そのまま逃げ去って行った。前の車は何が起きたのか理解できなかったようで、渋滞が緩和されて前が進んでいるというのに立ち止まっていた。そこで、私はその車の横をすり抜けて前に進んだのだが、助手席のおばあさんが私を犯人と勘違いして私の原付のナンバーを控えたのだった。

何も後ろめたいことは無かったので、祖母に安心するように告げて須磨署に出頭したのだが、「果たして私の説明に、警察官が納得してくれるのかどうか」と多少の不安があった。当然、事実を見たわけではない祖母の不安は想像を絶するものであったろう。「大切な孫を預かっておきながら、孫の将来が台無しになるのを黙って見ているわけにはいかない。」そう祖母が思ったのか、実は、祖母は、私が警察から帰れない事態になった場合、猊下にお願いして、被害者との間を取り持ってもらおうと画策していたらしい。

警察に出頭したところ、私の説明に怪しい点が無かったことと、車についた傷の高さからいって、原付でつけられることはあり得ないということに警察官が納得し、無罪放免となった。それでも被害者の方は、私のバイクにも傷があることを見て取り(何度か転んだことはあった)、主張を曲げようとしなかったが、警察官は「これだけ車のドアがへこんでいるのに、原付のプラスチックが傷だけで割れていないというのはあり得ない。」という結論を出して、被害者の方を納得させてくれた。

結局、猊下の出番はなかったのだが、「祖父母に守られている、そしてその先には猊下が鎮座してくださっている」ということに、当時、大変感謝したものだった。

そんなわけで、本書を書きながら、祖父母に誇りに思ってもらうためにも、私は猊下との面談を強く希望した。そこで、祖母にお願いしてアポイントを取ってもらったというのが経緯である。

当初は、面会を私の存在理由を解決するための一助としようと思っていたのですが、直前に考えが変わり、別のことを相談しました。猊下は非常に温和な方のように見受けられますが、祖母の話では随分と苦労をされていらっしゃるとのことでした。

いくつか伺ったことの一つをご紹介します。

「自分を変えるということは、自分が変わろうと思うことで実現できると思っておりますが、他人を変えることはできないと思っております。だからといって、そのまま見過ごすのはどうかと思い、変わってもらいたいと思う人に対して、どう接したらよいのか、教えていただけないでしょうか。」

この質問に対して、猊下は、次のように仰いました。

「他人を変えることは難しいことです。頭で理解させることができたとしても実践に移させることは難しいですし、実践したとしてもそれを継続させることは更に難しいです。そもそも、頭で理解させるということすらなかなかできないもので、お寺に来る方々に対して、私も同様の難しさを感じています。」

「相手を変えることはできませんが、気づいてもらうことはできると思います。相手に気づいてもらうためには、発信し続けることが大事です。宇宙に向かって電波を発信し続けなければ、宇宙人に気づいてもらう可能性をついばんでしまうのと同じように、相手の機が熟すまで発信し続けることです。」

「それから、相手に聞く耳を持ってもらうためには、まず、相手の思いを聞くことです。一方的に伝えるだけでは相手も耳をふさいでしまうかもしれません。それに、こちらが伝えようと思っていることは、聡明な方であれば既に深いところで理解している可能性があることも考慮しておく必要があると思います。いろんな事情があってそうした思いとは違う発言・行動をとっているとしたら、相手の思いをよく聞くことで、こちらが伝えようとしていることを引き出すことができるかもしれません。」

このことは、対人関係全般に当てはまることであり、子育ても例外ではありません。つまり、『伝えること』と『思いを聞くこと』が何にせよ重要であるということを、このとき確信した次第です。

ところで、猊下にお会いする数日前、3人の指導者のうちの一人である銀行員時代の元支店長とお会いし、そのことを『随筆』に記しました。

私は、大学卒業後、東洋信託銀行に入行した。そして、赴任先の名古屋支店の支店長がM.Y.氏であった。当時の私には雲の上の人であり、また、氏は何でもお見通しで、検討不十分で、確信を持たずに行なった融資稟議に対しては容赦が無かった。そんなわけで、私はといえば、蛇に睨まれた蛙よろしく、氏と対面することが極度の緊張状態を生み、「なるべく早く話を切上げて逃げ帰りたい」という思いが強かった。しかし、毎週火曜日の朝礼で話される、氏の人生観、銀行業観はいつもワクワクさせられ、当時の楽しみの一つだった。正確に記憶していることがほとんど無いことが残念であるが。

私が東洋信託銀行を退職し、今の会社に入社した際、M.Y.氏に報告した。氏の助言が欲しかったからなのか、氏に誇りに思ってもらいたかったのか、確たる理由などなく、氏に報告したいと思ったので報告した。そして、私がベイタウンに引っ越し、お互いに自転車で行き来できる程度の距離となった2004年以降は、時々お会いしては、子供達を祝福して頂いた。

そんなM.Y.氏に対して、私の考えを評価してもらいたいという思いが強かった。バンカーとしてプロ中のプロであるM.Y.氏であれば、私の構想が現実離れした甘さがあるのかどうかを見極められるであろうし、その指摘も甘んじて受け入れられよう。しかし、指摘を受けてへこむようなことにはなりたくなかったので、それを活力として飛躍できる心構えができるまで、安易に相談するのは控えていた。

さて、とりあえず頭の整理がついたところで、いつもながらの突然の電話を入れ、10分ほど近況を交し合ったのち、20分後に待ち合わせることとなった。

M.Y.氏と再会し、居酒屋で夜中の1時過ぎまで、2時間半ほど話し合った。氏の神通力はすさまじく、電話で話した10分で、おおよそのことは全て見通されており、「顔を見ず、突然電話してきた状況や、声の調子と文脈だけでここまで読み取れるものなのか」と舌を巻いた。そういうわけで、どんな話題も一だけ説明すれば十分であり、次々といろんな話題について思いを伝えることができ、非常に充実した時を送った。

特に感動したのは、私の状況を察知して、『天台勤行集』を贈呈してくれたときだ。「ちょっと頭を整理したので、読んでもらいたいものがある。」という電話での私の話を聞き、「おそらくそこには仏教の教えに通じるところがあるだろう」と解釈した氏は、家にあった檀家用のお経の本である『天台勤行集』を持参されたのだ。氏の実家は天台宗のお寺であり、氏に対しては、「仏教的な教えも賜りたい」と常々思っていたので、この展開は思いがけないサプライズであった。もしかすると、電話の際、ちょうど数日前に氏の母君が亡くなられ、氏が実家に帰っていたことを聞いた私の反応に、『天台勤行集』を欲する気持ちが表れていたのかもしれない。これこそが『以心伝心』なのだろう。また、M.Y.氏と会った数日後には、大本山須磨寺の管長である小池弘三猊下との面談が予定されていたため、運命の必然性に心震わせる思いであった。

氏は「何事も心構えが大切であり、心構えができていれば7割なったも同然。」と説いた。そして、その心構えとして、経典を開き、お経を読む前に唱える『開経偈(カイキョウゲ)』の中から「無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来眞実義」を説明して頂いた。つまり、「この上なくありがたい仏教の妙義というのは、百千万年経ってもなかなか得られるものではない。しかし、私は今、その教えに触れることができた。願わくば、お釈迦様の到達した真理を理解したいものである。」ということだ。これは、会社経営に関しても通じるところであり、「会社経営の妙義というのはなかなか得難いものであるが、教えに触れ、その真理を理解したいものである。」という気持ちで毎日唱えることを氏は勧められた。

また、お経を唱え終わるときの『回向文(エコウモン)』の中から「願以此功徳普及於一切我等與衆生皆共成仏道(願わくば、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを)」を説明して頂いた。つまり、「願わくば、この功徳を、生きとし生けるものすべてに振り向け、お釈迦様が目指した真に幸せな世の中とするために、共に進もう。」ということだ。これを毎晩、一日を振り返って唱えれば、素晴らしい人格となることは間違いない。

そんなこんなで話が弾み、気がつけば夜中の1時を回っていた。氏はいろんなことを親身になって心配してくださり、私の覚悟を正してくださった。

あれから2ヶ月近く、『開経偈(カイキョウゲ)』の一節と『回向文(エコウモン)』の一節を、毎日、心の中で唱えています。短い文章なので、記憶力の悪い私でも数日もすればそらんじることができるようになりました。唱えてみて分かったことは、心が非常に落ち着くということです。つまり、心構えができるのだと思います。

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2006年 9月 11日

育児に思う

投稿者 by vulcan at 12:00 / カテゴリ: 存在理由 / 2 コメント / 0 TrackBack

妻が時折使う言葉として『子育ち』というのがあります。『子育て』という言葉が、親が子供を育てるというイメージとつながりやすく、その結果、「親は子供を育てる義務がある」とか、「子供は親の指導に従わなければならない」とか、そういった観念を必要以上に植えつけてしまって、「親も疲れ、子も疲れる」という不幸せな現象を生んでしまうのを危惧してのことだと思います。

つまり、妻が言いたいのは、「子供は育つものであって、育てるものではない」ということで、親は子供の成長のサポーターであるということだと思います。

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我が家には4歳(Bian)、2歳(Hikaru)、0歳(Tama)の三人の子供達に恵まれているのですが、電車やスーパーで、見知らぬ人に「大変ねぇ」とか「今が一番大変だけど頑張ってね」とか言われることが、実はあまりピンと来ていません。

こういう「大変ね」という言葉掛けは、非常に一般的な挨拶言葉になっていると思いますが、実は非常に良くない習慣だと考えています。掛ける本人も無意識に行なっていると思いますが、掛けられる方も「大変ね」ということを日々言われ続けることで、無意識に「子育ては大変だ」と思い込んでしまうからです。言ってみればこれもある種の洗脳で、日本全体が子育てについて洗脳されていると言えるのではないかと思います。

先日、地縁に恵まれて知り合いになったD氏と飲みに行ったとき、「吉村家(匿名では不自然ですし、匿名にしておかなければならない積極的な理由もないので実名です。)の子育論を聞かせて欲しい」ということだったので、あらためて子育てについて考えるきっかけとなりました。

そうして考えて見ますと、少なくとも私は『子育て』というのをほとんど意識したことがないように思います。子供の将来に思いを馳せたり、子供の性格を分析することはありますし、どういう価値観を持った人間になって欲しいかというものはあり、適宜思いを伝えていますから、『子育て』に無関心とか、『ほったらかし』というのとは大きく違いますが、かといって、教育熱心では全然ありません。

そうした我が家では、子供が三人いることが非常に効果的だと思います。

子供同士で仲良く延々と遊んでいるときは、親は手が離せます。一人っ子の場合は、子供同士で遊ぶのは幼稚園か保育園であり、家に帰ったら、母親と遊ぶか、母親に友達と遊びに連れて行ってもらうか、ゲームなどの一人遊びをするか、テレビを見るほか無いのかもしれません。

また、親として『分かち合いの精神』を育んで欲しいという気持ちがあり、常にそれを伝えようと心掛けていますが、道徳を教え諭すように言い続けたところで、子供にはつまらないし、理解しにくいし、あまり効果的ではないでしょう。したがって、実際に『分かち合いの美しい精神』を子供が実践したときに、その瞬間を見逃さずに心底喜ぶことが伝え方としては重要となると考えていますが、一人っ子の場合、たまたまそういう精神に基づいた行動を行なう性格であればいいですが、そうでない場合にはなかなか難しいかもしれません。

その点、兄弟がいると、誰かが素晴らしい精神を見せたときに親が喜びますので、常日頃、「他人を見て学ぶ」ことができます。『分かち合いの精神』にかけては、ずば抜けているHikaruを見て、Bianも随分と成長してくれましたし、Tamaも成長してくれるでしょう。

そう考えると、親がまず、『分かち合いの精神』を実践する必要性がよく分かってきます。「子供にはこうなって欲しい」と思っていても、親が利己的であれば、そんな精神が育つはずもありません。兄弟がいればまだ救いようもあるかもしれませんが、一人っ子の場合は、なおさら親が己を律することが求められると思います。

また、子供の成長や美しい心を目にすることで、自分の反省材料にもなりますし、頭が上がらない存在(私の場合はBian)ができることで、(世界の中心は自分ではないことを理解して)謙虚にもなりやすくなり、毎日、子供に必要とされていることを実感することで元気がみなぎります。

とはいえ、夫婦が共同して子育てに関与しなければ、確かに大変かもしれません。母子家庭や父子家庭であれば、ある意味それが自然となって、現状を受け入れることにより、大変にはならないかもしれませんが、夫婦でいるのに夫が子育てに関与していないとすると、そうした現状を受け入れられない場合に、『大変』と思う可能性が高いと思います。

そんなわけで、書きたいことはもっとあるような気がするのですが、とりあえず一度ここでまとめますと、「子育てというのは人生における最大の楽しみである」ということです。子供を育てるせっかくの貴重な時期は、なるべくそれを楽しむために時間を使うことを第一に考え、その他のこと(私であれば、趣味のツーリングやスノーボード、資格勉強等)は子供が巣立っていってからでもできることなので、後の楽しみに取っておくのがいいのではないかと思います。

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2006年 9月 09日

性格診断

投稿者 by vulcan at 00:01 / カテゴリ: / 13 コメント / 0 TrackBack

先日、『ホメオパシー』について調べていたときに辿り着いた温心堂のご主人に対して、引用の報告メールを出しましたところ、期待はしていたのですが、ご返事をいただきました。そんなわけで、以後、ご主人とはメールのやり取りをする仲になれて非常にHappyです。

ご主人とのメールがきっかけで、その後、いくつかのサイトを巡ることができたのですが、その中で、無料で性格診断をしてくれるサイトを訪問しました。自己分析をしてみたばかりでしたし、他の理由もあって少し興味を持ち、遊び半分で診断を受けてみることにしました。

診断として20の質問に答えたところ、「こんな診断結果が出たらいいな」と思っていたそのものズバリが出てきたので、少し驚いています。

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常に客観的、論理的に物事を判断する人です。  感情やその場の雰囲気で物を言うのではなく、事実に基づいたデータや手順をもとに慎重に結論を出そうとします。常に「抑え(代替案)」を考えている人です。自己主張はそれほど強くなく、相手にも主張を押し通すことはなく、譲ることのほうが多いかもしれません。感情を抑えた冷静な行動をとります。周りからは「秩序正しい人」「細かい人」「批判精神が旺盛な人」だと思われているようです。

■ 人にはどう接する?
 控えめで、相手との付き合いに距離を保つ人です。
 常に相手を客観視しており、なじむのに時間がかかります。このため周りからは「とっつきにくい人」だと思われがちです。が、いったん親しくなると非常に深い付き合いになります。少ないけれど、身の詰まった付き合い方をしそうです。

■ 時間の使い方は?
 行動を起こすのはゆっくりと、何事にもじっくり時間をかけるタイプです。
 常に自分が正しくありたいと考えるため、焦って間違いを犯したくないのです。
 そのため、新しいことをはじめる時や方向転換する時もあらゆる場面を考慮し、「焦らず騒がず」の精神を貫きます。時間の使い方を「長期にわたるもの」ととらえ、新しいことも自分の肌になじむまでじっくり待つほうです。

■ 仕事への取り組み方は?
 結果よりも「過程」を大切にする人です。
 コツコツとまじめに働きますが、精確に順序だてて丁寧に物事を進めていくので、出来上がりには時間がかかりそうです。計画を立てるとかなりの力を発揮しそうです。

当っているか当っていないかといえば、当っていると思っています。人間とはいろんな側面を持っているので、上記で私を全て言い尽くしているとは思いませんが、根幹の部分はそれなりに押さえていると思います。いずれのコメントも、今の私には非常に意義の高いコメントです。

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2006年 9月 07日

紀子様の男子出産について

投稿者 by vulcan at 14:43 / カテゴリ: / 13 コメント / 0 TrackBack

先日、伊藤若冲の絵画を見るために皇居に行き、売店にて、菊の御紋の入ったステキなカフスボタンとタイタックのセット(3500円)を見つけました。これを機会に愛国心を高揚しようと思い、妻の了承を得て、購入することができました。

アメリカでは『愛国者法』なるものが、911テロのすぐ後に可決されておりますが、愛国の名の下に、法的な権力を生み出すというのは、ちょっと行き過ぎというか、狂気じみた印象さえ受けます。愛国心というのは個々人の心の問題であって、これに基づいて法的な罰を与えるというのは、どう考えても良いことだとは思えません。『愛国者法』にならった『共謀罪法』が成立しないでほっとしていますが、秋の臨時国会で再度審議されるとのことで、注視しようと思います。

さて、紀子様が男子を出産しました。テレビも新聞も見ない我が家では、世間がこのテーマでどれぐらいにぎわっているのか、実感が湧きませんが、とにかく「まずはめでたい」という気持ちです。

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これで、皇位継承に関する問題が全て解決されたとは思いませんが、一つの区切りがついたことは良いことです。また、皇位継承問題を通じて、世の中が天皇制に対して多少なりとも理解しようとしたことは非常に良かったと思います。これまで、無関心を装い、なるべく天皇制に関しては態度を曖昧にすることが私を含めた世間に求められた態度であったような気がしており、こうした機会が無ければ、今後も天皇制を論ずることはタブー視されていたかもしれません。

私は、天皇制について知識が浅いので、今のところ天皇制に関する大胆な議論を展開するつもりはありませんが、せっかくのめでたい機会ですから、多少思うところを述べたいと思います。

まず、小沢一郎氏が自由党党首であったころの文藝春秋 1999年9月特別号『日本国憲法改正試案』の中で、「天皇は日本国の元首だ」と述べていらっしゃる点についてです。日本国憲法の第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」を読んでも、「象徴って、結局どういうことだ?」と長らく疑問を持っていましたが、

例えば第六条に書かれているように、主権者たる国民を代表し、若しくは国民の名に於いて内閣総理大臣及び最高裁判所長官を任命するのは天皇である。又、外国との関係でも天皇は元首として行動し、外国からもそのようにあつかわれている。このことからも国家元首が天皇であることは疑うべくもない。天皇が国家元首であることをきちんと条文に記すべきであると主張する人もいるが、今の文章のままでも天皇は国家元首と位置づけられている。

を読んで、天皇が元首であることを大前提にして考えると、いろんな不思議が消え去り、またつじつまが合うわけで、非常にすっきりします。

紀子様の男子出産について、「雅子様がかわいそう」という見解があちこちで見られますが、雅子様は今回のことでほっとしているかもしれません。皇室に対するプレッシャーを考えると、強くそう思います。

また、今回の皇位継承問題を通じて、皇室に人権があるのか無いのか随分議論されたことと思いますが、皇室はともかく天皇には人権が無いというのが矛盾の無い考え方なのでしょう。天皇に人権を認めるということは、天皇制を廃止するということに、結局は到達するものと思われます。

室町時代以後、天皇が政治の中心になることはなく、幕府、元老、内閣が政治の中心であり、天皇制が権力者にとって都合のよいように様々に利用されてきたというのが長年の歴史の実態かと思います。しかし、時代の流れ、時代の要求によって権力者は次々と変わる中、大きな混乱をきたすことなく時代の変化をうまくつなげてこれたのが、天皇家の最大の貢献ではないかと思います。つまり、平素はあまり必要とされなくとも有事には威力を発揮するということです。

そういう意味で、将来の危機に備え、歴史ある天皇家の伝統は、それが伝統であるがゆえに守るべきというのが私の立場です。伝統は、一度断ち切ってしまうと復活させることは容易ではありません。有事になってから嘆いても遅いわけです。したがって、皇室典範に関しても、物理的に守ることができないような伝統は諦めるほかありませんが、守ることが可能である伝統であれは守ることを第一に尊重すべきではないでしょうか。

2006年 9月 06日

自己分析

投稿者 by vulcan at 18:34 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

以前、「得意なことと好きなこと」を列挙したことがありましたが、もう一度分析しなおし、そこから何か導けないか検討しようと思います。

2005年 2月 10日
2005年 2月 11日
2005年 2月 13日
2005年 2月 16日

今回の検討に当たっては、「好き嫌いという生理的な事項は変えようと思っても変えられない(不変項目)、これに対して得意不得意は変えられる(可変項目)」ということを意識しました。但し、生理的事項に深く関係することであって、且つ、不得意な項目は、「努力も矛盾するため、むなしい結果に終わるだろう」と考え、克服するのではなく、補ってくれる人を探す方向を模索しようと思いました。ということで、得意不得意といった可変項目については今後どうしたいのか(現状に満足、伸ばしたい、克服したい、他人に頼る)を付記するようにしました。

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  • 好き嫌い【不変事項】
    • ワクワクする
    • 好き
      • 文章を書く
      • 透明性
      • 一貫性
      • 効率化
      • 哲学
    • 生理的に受け付けない
      • 隠蔽、内緒話、陰口
      • 首尾一貫しない人
      • 言動が一致していない人
      • 裏表のある人
      • 裏技ばかり求めようとする人
      • 指導者と仰いでいる人以外から上司ぶられる
      • 建設的でない議論
      • エレガントでない業務
      • 無駄にテレビを見る
    • 性癖
      • 興味が無いことに対して極度に無関心
      • 誰に対しても率直に意見する
      • 話題が堅苦しい
      • 結論めいた話をして、会話の流れを切る
    • 価値を置いていること
      • 一族に対する誇り
      • 子供の幸せ
      • チームワークによる達成感
  • 得意不得意【可変事項】
    • 非常に得意
      • Excel及びExcelVBAの活用(現状に満足)
      • 経理・財務(現状に満足)
      • 分析する(現状に満足)
      • 予測する(現状に満足)
      • ポジティブに解釈する(現状に満足)
      • 仕事の質が高く、早い(現状に満足)
      • 工程見積り、期日管理(現状に満足)
      • 目上の人に一目置いてもらう(現状に満足)
      • 顔を覚える(現状に満足)
      • はったりをかます(現状に満足)
      • スノーボード(現状に満足)
    • 割と得意
      • ネットサーフィンする勘所(伸ばしたい)
      • 法的根拠の調査(伸ばしたい)
      • 電子ファイルの体系的管理(伸ばしたい)
      • 体験の記憶(伸ばしたい)
      • 筋を通す(伸ばしたい)
      • 人を見通す、配慮する(伸ばしたい)
      • 物事の本質を理解する(伸ばしたい)
      • 優先順位をつける(伸ばしたい)
      • アドリブを利かす(伸ばしたい)
      • 子供を喜ばせるアイデアを出す(伸ばしたい)
      • データベース構築(他人に頼る)
      • システム構築(他人に頼る)
    • ポテンシャルはあると思うが未知数(or向上中)
      • 組織マネジメント(伸ばしたい)
      • プレゼン能力(伸ばしたい)
      • 人脈(伸ばしたい)
      • 商品・販売アイデア(伸ばしたい)
      • 顧客折衝(伸ばしたい)
    • 割と苦手
      • 正論を見極める(克服したい)
      • 感情を表に出す(克服したい)
      • 童心に返る(克服したい)
      • 子供の繰り返しに我慢強く付き合う(克服したい)
      • 家事(克服したい)
      • 女性をリラックスさせる(他人に頼る)
      • 同年代、年下の人との話題を見つける(他人に頼る)
      • 分かりやすく教える(他人に頼る)
    • 非常に苦手
      • 日々の整理整頓(克服したい)
      • メールの整理整頓(克服したい)
      • 人前でスピーチする(克服したい)
      • 外国人と話す(克服したい)
      • マニュアルを整備する(他人に頼る)
      • 名前を覚える(他人に頼る)
      • 漢字を書く(他人に頼る)
      • 音楽・絵画・映画等芸術方面の教養(他人に頼る)
      • 芸能・スポーツ事情(他人に頼る)
      • 海外情勢(他人に頼る)
      • 暗算、電卓計算(他人に頼る)

これらを見据え、自分の将来像を検討するたたき台にしようと思いますが、それは後日にします。

ところで、例の『随筆』の中で、長所と短所について述べたところがありますので、以下に引用したいと思います。

長所と短所はどちらが多いか

長所と短所の数を比較してみようと思った。自分はスーパーな人間だからさぞかし長所の方が多いだろうと思ったが、短所というか欠点も結構あることに気がついた。そして、欠点ではなく短所ということで考えると、ドイツ語は知らない、フランス語も知らない、英語も心許ない、ロシア語、中国語、韓国語など全然知らないし、自分の専門分野以外のことは無知に等しく、流行も知らないし、他の世代のことも知らない。それらは全部短所と言えるのではないかと気がついた。となると、自分はほとんど何も知らないわけで、長所と短所の数を比較するとすれば、長所1に対して短所は∞ということになる。

つまり、所詮人間などどんぐりの背比べで、何も知らないわけだ。上司は部下よりも何でもよく知っているかといえば、それも間違いで、確かに所属部門の専門知識は豊富かもしれないが、それだけのことで、部下は流行に敏感かもしれないし、ITスキルが高い可能性は大いにあるし、専門分野の知識でさえ部下の方が高い可能性もあるし、組織のマネージメント能力以外は全部部下の方が上ということもあるかもしれない。

したがって、無限大の短所を補っても埒が明かないので、短所は大いにあることを自覚するに止め、長所を伸ばす方が良い。また、長所というのは非常に狭い領域なので、いろんな人材の長所を活かし、協働することを第一に考えるべきである。

ところで、長所と短所の数の比較とは別に、長所と欠点の数の比較であったらどうだろうかと考えてみた。すると、「欠点は長所の裏返しなのだから、長所と欠点の数を比較すれば1対1である」ということに行き着いた。だからどうというわけではないが、両者は表裏一体なのだから、欠点を意識しすぎれば、長所は伸ばせないし、長所だけを伸ばそうとしても、欠点も伸びざるを得ないのかもしれない。

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2006年 9月 05日

代替医療

投稿者 by vulcan at 13:39 / カテゴリ: 存在理由 / 3 コメント / 0 TrackBack

昨夜、妻から『ホメオパシー』に興味があると言われました。「ホメオパシーって何だろう?」という状態だったので、早速ホメオパシーについて調べてみました。Yahoo!で検索すると約50万件、Googleで検索すると約67万件、homeopathyで検索するとYahoo!で約800万件、Googleで約1100万件と膨大にヒットしますので、情報量はこと欠きません。

そんな中で、十数サイトを閲覧し、概要はつかめてきましたが、ホメオパシーがカルトなのか、21世紀の包括医療、統合医療なのかは判然としておりません。ホメオパシーに関する俄か知識を仕込むには日本ホメオパシー振興会のQ&Aが有用だと思います。

一方、日本ホメオパシー医学会ではホメオパシーの危険性を述べていますが、レイホメオパス(医学的な資格を持たないホメオパシー治療従事者)の拡大による権威の失墜を危惧しての防衛策という印象があり、何か違和感を感じました。日本ホメオパシー医学会の研修を受講できる資格者は『医師、獣医師、歯科医師、薬剤師の国家資格をもつ医療者』に限定しています。

日本ホメオパシー振興会が運営しているハーマンアカデミーは38,000円のセルフメディケーションコースも用意されていますが、本格的に学ぼうとすると4年間、343万円必要のようで、アカデミーを卒業しても医師/獣医師免許が無ければ医療行為ができるわけでもなく、将来、民間資格が国家資格になるのを期待して待つほか無いようです。

343万円あれば、その道数十年の専門家に診てもらった方が安上がりでしょうし、間違いも少ないでしょう。費やさずに済んだ時間は別の自分にふさわしい事項に回すことができます。教養のために38,000円のセルフメディケーションコースを受講することは意義もあると思いますが、ネットの情報も膨大にあるわけですし、図書館でも色んな文献を借りられるでしょうから、お金を使うことを急ぐのもどうかと思います。

また、医師法、薬事法はややこしく、あまり深入りしたくない領域として普段は避けて通ろうとしているのですが、ホメオパシーに興味を持つ以上は避けて通ることはできません。

日本の医師法・薬事法とホメオパシー

とはいえ、ハーマンアカデミーにおいて、ホメオパスを、「森羅万象の摂理に精通し、自然の摂理・道理に基づくことによって病の状態をその人本来の健全な状態に導く者」と定義しており、治療に人生哲学・世界観を導入している点は、新鮮な印象を持ちました。しかし、よく考えると代替医療と呼ばれるものは多かれ少なかれそういった側面があるのかもしれません。

そんな調査過程の中でたどり着いたのが、漢方の温心堂薬局です。ここにたどり着けただけで、ホメオパシーについて調査した労力は全て報われ、大いに甲斐があったことを理解しました。

まずは、ホメオパシーに関する所感を読みました。一部を抜粋して紹介します。

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ホメオパシー

とにかくこうして出来上がったものがレメディーというホメオパシー薬である。しかし実際はただの水なのだ。苦しい説明をするならば希釈し振とうし1分子残す操作によりもともとの物質の記憶を残し、それが治療効果を発揮するというのだ。まさに仮説に仮説を重ねた治療理論である。このレメディーは時に薬局の店頭に並べ販売もされている。普通に飲用する限り、水に副作用はなく同じく効果もない。

これこそプラシーボの典型であろう。しかしこれに学ぶところは多い。レメディーの製法は細かく厳しく正確な手順を踏まなくてはならない。まさに神々しい治療のための儀式なのだ。これで期待できるものは治療家と病者の思いが渾然一体となって発現するプラシーボ効果であると考えるのがもっとも妥当なところである。放置しておいてもやがて日々揺れ戻る体調や一部の軽い病気、精神的なストレスによってもたらされる体の不調は、副作用のないレメディーを使っても被害は少ない。

「かなり偏見に満ちた文章だな」というのが第一印象でした。しかし、筋も通っていますし、効果がないと言っているわけではありません。プラシーボについては、「では、動物に効くというのはどう説明するのだ」という反証がすぐ返ってきますが、プラシーボが『効く』という信念による効果だとすると、信念を持つのを患者に限定する必要は無く、治療行為をする人の信念であっても構わないのではないかと思います。一見ぶっ飛んだ論理だとしても、「この水を飲めば愛犬が息を吹き返す」と信じて飲ませば、犬にも思いが通じるというのは、感覚的には理解できなくも無い話です。

そんな感じで読み始めた『温心堂』ですが、ありとあらゆる代替医療について所感が述べられており、いちいちうなずかずにはおれません。非常にバランスの取れた人物であることがうかがい知れます。

以下、気に入った表現を引用します。

漢方医学

漢方薬がいくらか有効だとして、それを利用する場合、分量や煎じ方に注意がいる。更に剤形によっても効果は異なる。異なるような気がするというべきなのか。エキス顆粒と同じ処方の煎じ薬、丸剤、散剤でそれぞれ手応えが違ってくる。

漢方に20年余りの歳月を係って来た温心堂主人が効果について『気がする』という表現を使われているのは、非常に含蓄があると思います。一時は漢方を万能と崇めた温心堂主人が到達した境地がここには濃縮されて表現されているのではないでしょうか。

鍼灸

それぞれ相容れない理論で治癒例を重ねているのを見ると、理論は科学的法則ではなく教義に近いような気さえしてくる。「気」に関われば、奇妙な観念に取り憑かれ、その観念に基づく奇妙な治療が行なわれたり、カルト的になったりする。鍼灸のみならず代替医療に普遍的に見られる注意すべき点である。

気功

更に気功について是非述べておきたい事がある。気功に取り憑かれ「魔境」に入った治療家や同業者を幾人か知っている。気功の副作用を「偏差」という。偏差が認識できるうちはまだ魔境に入っていない訳だが、その認識も出来なくなるくらい気功に傾倒すると妄想が芽生えプライドだけが限りなく「神」の領域に近づく事になる。「気」という曖昧で未確認のものには、不可解で常識を逸脱した恣意が入り込みやすい。量子力学などと弄し理解不能なものを似非科学で説明されると、更に理解困難になる。そしてこの気功こそ魑魅魍魎の跋扈する巣窟でもあり、また魑魅魍魎にもっとも利用され易い療法かもしれない。理解不能な理屈や科学に騙され得体の知れない道具を買わされる。ただのブリキのペンダントに師の「気」が込められているとして法外な金銭を要求する。ただの水を波動水やイオン水と称したり、ただの粗悪な薬草茶を仙薬と称したり・・・まさに人の健康願望につけ入る見事な商売を展開してくれる。

気功の限界と効用と療法の実態を考えるなら、もっぱら内気の充実に徹し呼吸法でリラックスしたり、体を柔軟に動かすことで、自然と渾然一体となる爽快感を愉しむに留めておいたほうが賢明であろう。

恐らく『魑魅魍魎の跋扈する巣窟』という表現で想定している魑魅魍魎とは比喩であって、字句どおりの『いろいろな化け物』を指しているのではなく、邪悪な心を持った人々という意図であると思いますが、妖怪変化の類を指していると解釈することもあながち間違っていない気がします。信心深い人に対して、魑魅魍魎は取り入ろうとするわけですから。

マクロビオティック(玄米菜食)

MLに参加して感じたのは医学的根拠もなく、精神主義的指導で実際に病気が治った人が居る事である。プラシーボ、自然治癒力とあっさり言い切ってよいのか?偶然自然治癒力が生かされたに過ぎないのかもしれない。しかし治療家によってその偶然の自然治癒力を引き出せる人と引き出せない人が居るのは確かである。熟練の技術なのか才能なのか・・・適確な言葉が見つからない。代替医療に限らず西洋医学の医師にも認められる。誤解を招く表現を許してもらえるなら天性とか霊的(spiritual)とでも形容するにふさわしい能力をもった治療家である。治療法の如何に関わらず高い治癒率を上げうる治療家であれば、通常医療より期待がもてるだろう。諸々の療法も極めれば「癒し」という一つの境地で融合するのかも知れない。

アーユルヴェーダ

人の代謝パターンを3分類し(カパ・ビッタ・ヴァータ)、これが五大環境元素(地・水・火・風・空)と結びついていると解釈する。東洋は体そのものも自然の一部、内なる宇宙とよび、自然と同じ環境があると考えている。余談になるがこの3分類は、偶然にも心理学でクレッチマーやシェルドンが唱えた、人の体型と気質の3分類に酷似している。
※闘士型→てんかん気質、痩せ型→分裂気質、肥満型→躁鬱気質。

ホメオパシーについて調べているとあちこちで目にする『アーユルヴェーダ』についても所感が述べられていたので注目しました。そして、心理学者の斎藤 環氏による『石原慎太郎を精神分析する』(週刊朝日別冊「小説トリッパー2001年秋季号」)というインタビュー記事を、一月ほど前に読んだときの記憶が蘇ってきました。そこでも、ドイツの精神科医クレッチマーが提唱した「分裂気質・てんかん気質・循環気質」という人間の気質に関する三分類について説明がなされていたからです。

カイロプラクティック(整体術)

創始者・パーマー氏は「あらゆる病気の95%は椎骨のズレが原因である。」従って「椎骨を調整することにより、あらゆる病気をなおすことができる。」という理論を展開している。ところが、パーマー自身が病気になった時には、普通の医師の所へ行ったという。1952年刊 パーマー著1問1答カイロプラクティックの本に、こんなことが書かれてある。

Q:背骨の機能は何でしょう?

A: 1)頭を支える  2)肋骨を支える  3)カイロプラクターの生活を支える

3)の選択肢には思わず失笑してしまうが、案外3)が正解なのかも知れない。

電気・電磁波療法

熟練した治療家であれば、経験や勘で病気の一定の見当はつくものと思う。それを器械で検証するに過ぎない。と、言えないだろうか?O-ring testや波動計など意念に左右され易いものは、特に診断には適さない。この手の器械は鍼灸師やカイロプラクターを始めとする多くの代替医療の治療家が利用している。信じているから利用するのだろうか。器械の数字を示せば顧客は信じ込みやすいという一面はある。入力した情報と出力された情報とに整合性のないブラックボックスに高価な代価を払っていないか検討の余地がある。

これらを完全なビジネスとして原理もわからぬまま販売している人達もいる。MLMやマルチの形態をとることも多い。講習会に誘われたり、これを副業に始めると親類友人、知人、近所をも巻き込み金も人間関係までも失いかねない危険性がある。一握りの成功者を支えるために、野心ある無能者を必要とするのだ。

作業・芸術療法

汗を流したり好きなことをやっているとき、ストレスを忘れたり心が満たされるのはあり得ることだ。これは当然癒しに利用できる。精神科では古くから作業療法や運動療法という形で取り入れている。現在さらに細分化され絵画、音楽、陶芸、ユーモア音響、、、などの多種類の療法があり、一部にはその療法士の国家資格まである。そこまで必要があるのだろうか?

心地よい音楽を聴くのは安らぎをもたらす。好みの絵画を見れば自然に豊かな気分がわいてくるであろう。絵を描いたり、焼物を製作したり、また文章を書いたりすることも自己を表現し実現する癒しの一面がある。これらに触れることで安らぎ、楽しみ不快や苦痛をしばしでも忘れることが出来るだろう。リハビリの一環として何らかの作業療法を取り入れている医療施設は多く、きっと渇いた療養生活の糧となる筈である。これらの利点は副作用のないことである。作業によって得られた物を販売し利益がもたらされるなら生産の喜びも享受できる。いまでこそ○○療法と名が付けば有難く高貴に見えるが、これらは昔からあったし行われてきたことである。言葉を変えれば、所謂「気晴らし。」なのである。気晴らしに資格ある療法士が必要なのか?

アロマテラピー

例えば、食物が胃にもたれ胸が焼ける、といったとき芳香性健胃薬を服用すると、たちまちガスが動きだし、食物や胃の水分も動き出す。そのため食欲が増す、軽い胃痛が取れる、吐気が収まる、このあたりまでは効能・効果としてよいだろう。しかしこれによって食欲が出て、栄養の摂取ができ、疲労が回復し、それによって風邪が治った、筋肉痛が改善した、偶然肝炎が治った、尿量が増えた、、、こんなことを捉えて疲労回復・滋養強壮・感冒・筋肉痛・肝炎・腎臓病などに効くとは言えないのだ。解りきったことだが、この「春風が吹けば桶屋が儲かる」式の効能・効果を謳うのは殆どの代替医療に見られる属性でもある。アロマテラピーの効果といえば畢竟、冒頭で述べたようなファッション性あふれるリラックスと楽しさにある。オイルマッサージなら更にマッサージ効果も期待できるだろう。

信仰療法

これを全否定しない。お布施という治療費が、小遣いの範囲で融通できる額であれば副作用もなく治癒に導かれる病気があるかもしれない。癒しには神秘的な闇も必要と考えている。原因不明の病気が、どんな言葉であれ解釈が為されることは、治療家にとっても病人にとっても癒しの契機となる。時々、祈祷師のお告げと言っては漢方薬や薬草を買い求めに見えられる。その病気に適応しないだろう、、と思ってもとりあえず渡すことにしている。というのも、見当違いの薬で効いてしまうことがあるのだ。こんな事が繰り返し起ると漢方の勉強など要らぬ、効くという信念さえ研ぎ澄ましておれば良いのだと思えてくる。実際そうなのかも知れない。漢方用語の、気が神に、血が悪霊に、水が霊魂に翻訳されたとしても解釈は成り立つ。信じるか否かの問題である。通常医療も代替医療も治療家が信じるに足る言葉で医療行為を続けているのであろう。言葉を突き詰めてゆけば、実はそれほど実体や根拠がある訳ではない。免疫学と言いながら神や霊を笑えなかったりする事もある。

栄養補助食品

業界の問題は、これに留まらない。既述の電気・電磁波療法と同じく魑魅魍魎の跳梁跋扈する闇なのだ。80~90%はそうだという調査報告もある。ノーベル賞学者だとか医学博士などの推薦の言葉を冒頭に書き綴った立派なパンフレットに、会社の理念や社会的使命が書かれている。栄養補助食品に留まらず豊富なアイテムで、生活製品まで網羅する。そして利益率表が準備されている。つまり、マルチやMLMまたは一発屋の草刈場ともなっているのだ。半年分買えば30%割引。一年分買えば50%割引、、、こんな馬鹿な話に騙される人が居るのだろうか?...少数ながら騙される人は後を断たない。病気の人の情報を聞きつけ売り込みをかけたり、講習会に誘う。明らかに邪悪な販売員には警戒するが、販売員までも洗脳され信じ込んでいると手におえない。理性や科学が及ばないばかりか、友人や肉親の叫びにさえ耳を貸さない洗脳につくづく恐怖させられる。食餌で不足した栄養を補う必要があるとき、高額すぎるもの販売形態に疑いのあるものには手をだしてはいけない。健康に不可欠なのは栄養補助食品ではなく、栄養バランスの取れた食生活こそ不可欠なのだ。生きるため誰しも医学や栄養学の素人であってはならない。

リフレクソロジー

リフレクソロジーは反射帯療法といって体の部分に、体の全体に対応する部分があると考える。例えば手なら、体の臓器などに対応する、その部分を圧迫したりマッサージすることで診断、治療を行う。足の反射帯は有名である。ある教祖が足裏診断と称して高額のお布施を巻き上げた事件は記憶に新しい。これらの療法にも流行廃りがあり、テレビや雑誌に取り上げられると、にわか療法家や、にわか療術所が雨後の竹の子のように建ち並ぶ、少し遅れて治療院を開業した時には閑古鳥が鳴き営業は悲惨なものである。流行は最初の人だけが得をし、周囲の人が少し潤い、次からの人は苦汁を舐める。

クリスタルヒーリング

竹炭、トルマリン、チタンなどの癒し製品が出回り利用している人も多い。商品が違うだけでこれもクリスタルヒーリングの類似物である。療法として取上げるのに躊躇するくらい、胡散臭いものが沢山あるが、肩こり、不眠、腰痛が治ったという話もしばしば耳にする。効くという科学的裏づけがなくても「効くものは効く。」と思えば効くのである。しかしそのように思い込むのに一定の条件が要る。高価、美しい、疑似科学での権威付けなど、この療法の常套手段である。高価でなくて効果が得られるなら良いが、高価でないと効果がないと信じる人も大勢である。

生物学的歯科療法

歯の充填剤を非金属性の物質と取り替える治療法。現在の充填剤である水銀、錫銅、銀、亜鉛などは正体不明の歯の感染症を引き起こす毒素が含まれ、それが原因で内臓や生理機能に重大な健康上の被害をもたらす。「歯は臓器だった、、」という内容の本を書店で見かけ興味を持ったが、帯の推薦人に船井幸雄の名があったので、そのまま書架に戻す。氏は医学者ではなく経営コンサルタントなのだ。氏の絶賛するものはEM菌だったり脳内革命だったり....その殆どが根拠に乏しいオカルトビジネスやマルチ商法、一発屋ビジネスだったりする。

瞑想

瞑想で病気が治ることはない。しかしリラックスによるストレスの軽減は癒しの助けになるだろう。癒しは心の安定やストレスの軽減によってもたらされるが、逆にストレスや緊張の中でも癒しが起る。癒しそのものが複雑なメカニズムを秘めているのだ。必ずしも絵に描いたように満たされた条件のもとで癒しが起るとは限らない。怒り、涙の中で癒されたり、治療家への憎悪によっても癒しに向かった例を知っている。

1日10分でも瞑想の時間を持つと、それまで気づかなかった感性が動き出す。意外なものが聞こえてきたり、見えてきたり、日々変わる体調の変化にも気付きがおこる。難しい事を言うつもりはない。少し頭が重いとか、胃がもたれるとか、足が凝っているとか、他愛もない体調の変化は生きているという実感につながり生きてゆく為の支えともなる。

これだけでもすごい量ですが、これで全てではなく、更に、『オステオパシー』『手かざし療法』『サイモントン療法』『バイオフィードバック』『ゲルソン療法』『断食療法』『薬用人参』『サメ軟骨エキス』『光照射療法』『波動療法』『代謝療法』『腸管洗浄法』『酵素療法』『飲尿療法』と、徹底の仕方が並ではありません。

上記は一部の引用なので偏った印象を与えているかもしれません。全体を読めば、温心堂主人は代替医療を否定しているわけではなく、警鐘を鳴らしているに過ぎないことが分かると思います。何事もバランスが大切であり、究極の真理というのはありえないことをベースにするべきだと思います。西洋医学には西洋医学の良さがあり、欠点があるように、代替医療も完全ではありません。

西洋医学の精神は検証できたことをベースに理論を構築するため、カルトに走りにくいブレーキがかかりますが、代替医療はブレーキを掛けにくい性格を有していますので、より一層気をつける必要があると思います。とはいえ、西洋医学といえども、理論の出発点は主観に基づいた仮説であることが指摘されていることは付言しておく必要があるでしょう。また、理論で説明がつかない現象をすべて排除するというのは科学として二流であり、科学も究極はアートであると信じています。

さて、代替医療について一通り知識を詰め込んだ私は、他のページにも興味を持ち始めました。サイトマップを見るとすごいボリュームであることが分かり、とても一日で全てを読み通すことはできませんが、いくつか選んで読んだものはどれも興味深い内容でした。

そんな中で、『危険な話の終焉を祈って』は、「原発について改めて考えさせられた」という程度の感想では済まされない、逼迫した事態が進行していることを理解することができます。下記の引用を読んだだけでも、もう見てみぬ振りをしていられる状況ではないことが伝わってくるのではないでしょうか。既に、長々とした代替医療の説明を読んだことで疲れていることとは思いますが、私のように原発の知識が欠落していた人は、是非、この機会に、『危険な話の終焉を祈って』を読んで、原発について理解を深めて欲しいと思います。

添加物、農薬、ダイオキシン、環境ホルモン、狂牛病、、、危険な話は後を絶たないが、個人の努力で回避可能なものはまだ救いがある。核は人類の存続に深刻な問題を投げかける。兵器はもちろんだが、原発によって生み出された世界中の核物質が人類の終焉を決するかも知れない。就任後間もない頃のある休日、人通りの少ない歩道を歩るく知事を見かけた。多分、愛娘であったに違いない。子供の手をとり、買い物の袋を下げた姿に親近感を覚えた。この平和な光景と、いまに至っての決断との乖離に茫然としている。世界の人々や子供の未来を考えた上での同意だったのか。「技術や費用、電力需要の問題で実現は困難だろう」という学者や識者の話もあるが、そこに行き着くまでの安全に不安があり、見切り発進も懸念される。政治に対する無力感...「どうせ世の中こんなもの」と悟っても、諦めに徹することはできない。なにか私にできることはないだろうか、神よ知恵を与えたまえ。

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2006年 9月 01日

小沢一郎氏

投稿者 by vulcan at 18:53 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

私は、社会人になった平成6年以降、つまり、小沢一郎氏が自民党を離れて以降、ずっと氏を支持しており、新生党、新進党、自由党、民主党を支持してきました(といっても、選挙で投票するだけで入党するとかではありませんが)。「ほとんど無条件に、直感に基づいて氏を支持してきた」というのが実情ですが、氏の発言を追いかけていくことで、常に正論中の正論を述べられており、姿勢に揺らぎが無いことが確認でき、ますます気に入りました。

しかし、小沢一郎氏に対する国民の支持は、常に一定水準を越えることが無く、「なぜ受け入れられないのだろう」という疑問を持ち、それに対して「まだ時代が氏を求めていないのだろう」と、待つしかないと決めていました。

ところで、このほどオーマイニュースが立ち上がったそうで、いろんな議論が行なわれています。

ガ島通信『オーマイニュースジャパンの「炎上」と「現状」』

ニュース・ワーカー『オーマイニュース日本版のこと』

我的因特網留言板『本家オーマイニュースは苦戦中』

オーマイニュースブログ~編集局から~『佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (上)』

オーマイニュースブログ~編集局から~『佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (下)』


オーマイニュースがどうなっていくのかは分かりませんし、オーマイニュースに対する私見を述べられるような段階ではありませんが、一連の調査過程で、鳥越俊太郎・オーマイニュース編集長による小沢・民主党代表インタビュー『政権交代に自信』に辿り着きました。

小沢氏の意気込みが良く伝わってくるインタビュー記事で、「今度こそ氏が本領を発揮する環境が整った」と確信しました。そんなわけで、「何か自分もしたい」と思い、支持政党を表明した次第です。

小沢一郎ウェブサイト

2006年 8月 31日

正論を追求する

投稿者 by vulcan at 18:06 / カテゴリ: / 17 コメント / 0 TrackBack

きっこのブログがホラー作家の坂東眞砂子を糾弾していますが、きっこのブログを読んで一番強く感じることは、きっこが一貫して筋を通し続けているだけでなく、それが正論中の正論であることに対する畏怖です。

猫殺し作家の屁理屈

子犬も殺していた鬼畜女

人格異常者のルーツ

命の重さと罪の重さ

読者メールのご紹介【2006/9/24追加】

呆れ果てるイイワケ>【2006/9/24追加】

私も長らく筋を通すということを求め続けてはいましたが、最近、例の『随筆』の中で、以下のような考え方を展開していました。

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『筋を通す』(首尾を一貫させる。また、道理にかなうようにする。)ということは、今もってなかなか一言で説明をすることは難しいが、「『筋を通す』ことの目的は、信頼関係を築くことにある」ということに気づいた。というか、筋を通し続けることでいつの間にか信頼関係、信用が築かれていることに気がついたといった方が正確かもしれない。つまり、人間社会において最も大切なものは信頼関係であるとすると、それは筋を通し続けることで得られるわけだ。

また、筋を通し続けることは自尊心、自信とも関係が深いと思う。己を信ずればこそ、筋の通らないことを真っ向から拒絶できるわけで、自尊心が低ければ、筋が通らないことも平気で行なうであろう。

自尊心とはプライドとは似て非なるものと考える。プライドは、多くの場合、単なるエゴ・自慰に過ぎず、自意識過剰でナイーブなものでしかない。対して自尊心とは、己を律し、己を裏切らない心であり、その先にあるものは、体内に流れる血を敬う心、血を汚さない心ではないか。したがって、親、子、祖先を敬い、彼らを嘆かせない行動が求められるのであり、敬う相手は己であって己でない。

そういう風に考えると、『筋を通す』ということも、「己の血に問うて恥ずかしくない道を歩む」ということになろう。それでも結局漠然としているし、やはり地道な積み重ねによってしか体得できないことかもしれない。

『筋を通す』ということがいまいちピンとこない人は、まず、己を信ずること、己を敬うことから始めたらどうか。その先に一族に対する誇りがあることを肝に銘じて。

なお、最近特に思うことは、『筋を通す』ことと『手順を踏む』ことの関連性・重要性である。但し、ここで言う『手順を踏む』というのは、単なる手続きを指すのではなく、手続きとして明記していない手順のことを指す。具体的には、助言や回答をもらった相談者に対するお礼、間を取り持ってもらった紹介者に対するお礼、指示を受けた上司に対する報告、指示した仕事を行なった部下に対する労い、直属上司を経由した決裁、権限を委譲した部下を経由した末端への指示、等である。要するに人間関係を良好に保つことにつながるのが『手順を踏む』ことだ。

手順を無視するということは人間関係を壊すことにつながる。世の中には筋を通すに値しない人間も多く存在するし、全ての人間関係を良好に保つ必要はないが、それでも一度は上司と仰いだ者には手順を踏んで関係を絶ち、部下、その他の者に対しても同様に心掛けるのが良い。手順を踏むにせよ踏まないにせよ関係断絶には違いないが、手順を踏まなければ、無用な反感まで生んでしまう。

ところで、『無理が通れば道理が引っ込む』という言葉がある。道理(筋の通った正論)に反することが世の中にまかり通るようなことになれば、道理に適ったことが行なわれなくなってしまうということを指す諺であり、厭世的な場面で使われることが多い。しかし、世の中は必ずしも道理(筋)の通じる者ばかりではないことを肝に銘じ、時と場合によっては無理を押し通すことも必要であることを知っておいた方が良い。無理を押し通し続けることは身を滅ぼすため、伝家の宝刀としてやたらに持ち出すべきではないが、道理(筋)を説いても通じない者に対しては、無理を通して歩みを進めることがあっても止むを得ないものと考える。

結局、まだ見極められていないわけですが、『随筆』を書いてから一月ほど経ち、また、多少考え方が進展しました。

筋というのはいろんな筋があり、坂東眞砂子の屁理屈もある意味筋と言えちゃうのかもしれません。したがって、筋だけ追及していても駄目で、正論を追及しなければならないと理解しました。会社経営というのは情報判断の連続であり、適切な判断を下し続けることが求められますが、そのためには、何が正論なのかが自然に理解できなければならず、判断を誤ると命取りになるわけです。

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2006年 8月 30日

整理整頓・清潔

投稿者 by vulcan at 23:30 / カテゴリ: / 9 コメント / 0 TrackBack

私は、『日本の経営』で、企業と神道の結びつきが強かったことに関心を示し、江戸時代の『お伊勢参り』にも興味をそそられました。また、お盆休みに行った戸隠神社の歴史を読み、昔は戸隠神社が仏教を取り込んで融合していたことを知ったばかりでしたし、そのほかにも、何かと最近やたらに神道に縁のある話を見聞きするので、とても気になり始めたのです。

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とはいえ、昔から、仏教については、祖先に対する畏敬の念があったので、多少は敬意を抱いていましたが、神道に関しては、そもそもどんな神なのかもよく分からず、名古屋に住んでいながら伊勢神宮にも行ったことが無く、「神社とは願をかけて、おみくじを引くところ」程度にしか解釈していない不心得者でしたから、「怒りっぽそうな神社の神様は、きっと私などにはばちを与えようとてぐすねひいて待ち構えているに決まっているので、下手にかかわらない方がいい」と本能的に感じて遠ざかっていた気がします。

そんなわけで、神社参拝の手順はもとより、伊勢神宮が何故それほど特別視されているのかさえ分かっていなかった私は、神道のイロハから学ぶ必要がありました。そして、「学ぶといったらまずはWikipedia」ということで、『伊勢神宮』『神仏習合』『神仏分離』『神道』『禊(みそぎ)』『穢れ(けがれ)』『参拝』『祝詞(のりと)』『祓詞(はらえことば)』という具合に、どんどん知識を習得し、徐々に神道がどのようなものであるかが見えてきました。

そして、ある程度の知識を身に付けた上で出てきた感想は、「やはり安易に神に頼るのは良くなく、理解の浅いうちは極力避けていたのも悪くない選択だった」というものがまず思い浮かび、「祓詞(はらえことば)をいずれは暗唱できるようにして正式な参拝の仕方をマスターしよう」という決意が次に沸いてきました。しかし、それよりも大事だと考えたのは、「神道は、世界的に見ても稀なほど、清浄を重んじる宗教のようなので、まずは、整理整頓と清潔を心がけることから始めなければならない」ということでした。

つまり、整理整頓の習慣と清潔の心がけが無ければ、土俵にも上がれないと直感したわけで、今は神頼みする以前の問題です。そんなわけで、会社の机の整理整頓を今後は心がけようと思いますし、かれこれ半年ほど続いている『トイレ掃除』も継続して行きたいと思います。また、2年続いている『自分で散髪』ももう少し頻度を増やして常に小奇麗にしておこうと思います。その他、エリスト購入を契機に習慣になりつつあるお風呂掃除と窓ガラス掃除、水槽掃除なんかも引き続き力を入れていきたいと思います。こうした整理整頓の習慣と清潔感が身についたころには、神道の正式な作法によってお参りするにふさわしい人格となっているのだろうと思います。

本当はもっと書きたいこともあるのですが、眠いので今日はもう止めちゃいます。推敲の足らない支離滅裂っぽい文章で申し訳ございません。

【2006/10/13追記】

上記で、祖先への敬う心があるから仏教には多少の敬意を抱いていたというようなことを述べておりますが、祖先神への崇拝の精神は、仏教ではなく神道であることを、その後理解しました。お墓があり、定期的に法事をするから、祖先への崇拝は仏教の精神かと思っていましたが、むしろ仏教が日本に定着するために、古来からある神道の精神を受容したということのようです。

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2006年 8月 30日

元禄時代の日本

投稿者 by vulcan at 13:27 / カテゴリ: / 8 コメント / 0 TrackBack

昨日、妻と、日本史について議論をしました。「日本の歴史において、いつの時代が一番幸せだったのか」をテーマに議論したのですが、教養に関しては、私よりも妻の方が一枚も二枚も上手な上、『世界史』を専攻していた私に太刀打ちできる余地は無かったわけで、議論の行く末が、『妻の結論』を私が受け入れる形となったのは必然的ですが、いろいろ考えさせられるきっかけとなったので紹介します。

まず、Wikipediaの江戸時代中期に関する説明を引用して、おさらいしたいと思います。

江戸時代中期

元禄文化が花開き、天下泰平の世となってくる。8代将軍徳川吉宗の時の享保の改革以降は、土地資本を基盤とする(土地所有者ではない)支配者層である武士の生活の安定と、安定成長政策とを上手く融合できずに、金融引締め的な経済圧迫政策のみを打ち出した。その結果、出口の見えない不況が社会停滞の原因となった。また、増えすぎた人口を農業のみでは養っていけない東北地方等では、不作が発生した際に「飢饉」にまで事態が悪化してしまうという不幸が、特に江戸時代後半には多かった。

実際には、超長期の安定政権は、特に前半の百数十年は成長経済基調のもと、日本に空前の繁栄をもたらし、その後の日本の誇りとなるような学問・文化・芸術・商法等あらゆるジャンルで様々な才能が花開き、確立され、現在へと引き継がれているのである。

江戸時代は町人が中心となり文化や伝統芸能、娯楽、芸術、経済、物流と言った物が非常に活発になった時代でもあり、日本のルネサンス期に相当する。

大胆に、江戸時代中期の説明を試みますと、長らく続いた戦国の世の中が過去のものとなり、農業に関する技術革新によって食糧事情が飛躍的に改善され、「農民も白米が食べられる時代」となったのが江戸時代中期であり、『衣食足りて礼節を知る』ではありませんが、元禄文化とくくられるように、町人中心の独創的な学問・文化・芸術・娯楽が発達しました。

士農工商という身分制度が完全に確立され、安土桃山時代のように、農民が武士になるというサクセスストーリーは物語の中での話となり、また、江戸末期のような制度疲労も見られなかったため、農民の子は農民であるのが当たり前であって、それに異を唱えることは馬鹿げていたと思います。

農民は、食糧事情が改善されたことを素直に喜び、「一生に一度伊勢神宮に旅行する」ことが半ば公然と認められ、また、『お伊勢講』のような制度が充実して、実現されていたことで、不満らしい不満は無かった可能性が高いと思います。

芸術・文化の発展と天下の太平とは相関があることは、歴史家であれば誰もが当たり前の常識として認識しているでしょうから、妻との議論の冒頭、妻から出された結論である「元禄時代が日本の最も豊かな時代であった」という説は、至極最もな意見であり、それで議論も行方は決まり、あとは、それをどう膨らませるかが話題の中心となったわけであります。

皇居で行なわれていた『伊藤若冲』の絵画展に先週末に行ったことを思い出し、調べてみましたところ、やはりというか、彼も江戸中期の人物でした。

「高度経済成長を果たし、今後はあくせく成長を目指す必要は無く、現状の経済規模を維持すれば高齢化時代を乗り切れるのだから、自信を持って将来に向かえば良い」というのが『新・日本の経営』の要諦だと思いますが、江戸時代の歴史から学ぶことも多いのかもしれません。

2006年 8月 28日

内閣見通しに対する私見

投稿者 by vulcan at 12:18 / カテゴリ: / 16 コメント / 0 TrackBack

昨日紹介した内閣府の経済財政諮問会議が発表した『日本21世紀ビジョン』に対する私見を述べようと思いますが、いきなり結論を述べてしまうと『存在理由』カテゴリーの大半の役目が終わってしまいますし、以下に示すようないくつかの検討項目について、まだまだ十分な検討を行なっていないため、私見はかなり限定的になることを、最初に断っておきます。

  1. 各世代が求めている(受け入れ可能な)日本の将来像に関する検討
  2. ブッシュ政権、小泉政権とその流れを汲む政権が何を目指そうとしているのか
  3. 政権交代の可能性と、それによる変革の程度
  4. 憲法第9条の問題を中心とした世論の動向(どこまで極端性を発揮するのか)
  5. 技術革新の発展の規模、分野

そんなわけで、いろいろ検討しようと思っているテーマはありますが、どれも一朝一夕にできることではないので、ぼちぼちやって行きます。

それでは、『内閣見通しに対する私見』ですが、まず、第一印象を述べると『よく検討されている』というものでした。諮問会議のメンバーを見ればそれも当然ですが、今の政府にあまり期待していなかっただけに『意外感』がありました。

『ジャパンクール』については、「間違いなくそうした方向で日本が発展していく」というよりは、「そうした方向を目指さないと低迷する」ということです。しかし、日本の伝統を思い起こせば、『ジャパンクール』は、かなり実現性の高い、現実に則した目標と言えると思います。

江戸時代、日本はせっせと中国に対して金銀を輸出し(要するにお金を払い)、中国から絹を輸入して着物文化に投資していたわけで、これを指して、無駄な投資をし続けたという曲解もあるかもしれませんが、300年の伝統により、日本の着物文化は究極の芸術水準にまで発展したと言えます。

20世紀は、ファッションに関して目を見張るような成果が乏しかったわけで、『ジャパンクール』の下地が消え去ってしまった印象があるにはあるのですが、『アニメ』や『ゲーム』に見られる日本のクリエイティブは、素晴らしいもので、こうした足がかりを軸に展開していくことで、新たな、世界が尊敬する日本文化を生み出していく十分な力が備わっていると思います。

例えば、今の小学生の女子の多くは、『ラブベリ世代』と言ってもいいのかもしれません。『ラブ&ベリー』のファッションがどうなのかは、残念ながら私には評価できませんが、幼少のころからファッションに敏感な習慣をつけることで、彼らが社会人になる10年後ごろから、独自のファッション文化が世界を席巻する可能性を秘めているのではないかと期待します。

「ラブ and ベリー」に母娘がハマる理由

本日は時間が無いので、以上で私見を終えますが、その他の点についても、別の機会に、もう少しコメントできるようなら試みたいと思います。

2006年 8月 27日

内閣府の将来の日本像

投稿者 by vulcan at 18:13 / カテゴリ: / 6 コメント / 0 TrackBack

内閣府の経済財政諮問会議が発表した『日本21世紀ビジョン』の中で、『2030年の目指すべき将来像と経済の姿』の記述があります。四半世紀(25年)先の日本の将来像を大胆に予想しており、超長期の経済予想はこの他に見当たらず、非常に貴重な資料です。そこで示される『我が国が目指すべき将来像』の要諦は次のとおり(ちょっと長いですが)。私見については、後日述べるとしてとりあえず紹介だけしておきます。

(1)開かれた文化創造国家

① 魅力と存在感のある国となる

ア 伝統や創造力に裏付けされた生活・文化の魅力を活かす

「日本の強みに基づく文化創造力を活かした「ジャパン・クール(かっこいい日本)」な商品や生活様式が、個性ある担い手や、優れた自然環境・生活環境をはぐくむ多様な地域によって生み出される「文化列島」となる。」

イ 世界のフロントランナーが増え、イノベーションや「世界の標準」つくりを主導する

「日本企業が知的価値・文化的価値の生産手法の管理・開発に成功することで、「世界の知的開発拠点」となる。」
「高い知的価値の創造に成功した人や組織がフロントランナー(先頭走者)としてイノベーションの波を広げ、新たな世界標準を作っていく。」
「「プロフェッショナル」が働き価値創造を支える。個人の能力の発揮に加え、年齢、性別などにとらわれない多様な個性の融合や世界中から日本に集まる優秀な人材間の触発が繰り広げられる「多様多才社会」となる。」

② 「列島開放」により交流と活力が生まれる

ア 世界経済との結合が強まる

「FTAの下で、競争力ある製品の輸出を増やし、日本における本社機能や高付加価値製造工程の維持に成功し、国内で高賃金の雇用機会が維持される。一方、海外展開した事業からの収益も増加する。さらに、外国企業の参入による競争が進み、効率的な経営が進展する。」
「東アジアにおいて、貿易・投資の自由化や金融分野における協力などの経済統合の進展を基礎に、政治的にも強調的で開放的な共同体である、「東アジア共同体」の形成が進む。地域における経済統合の拡大は、相互理解・安全保障の強化をもたらし、経済的繁栄と政治的安定の好循環を形成する。」

イ 世界中の人が訪れたい、働きたい、住みたいと思う「壁のない国」となる

「国民はもとより、世界中の人が訪れたい、働きたい、住んでみたいと思い、年齢・性別・国籍などによって差別されることのない「壁のない国」となる。世界中の財・人・資本・情報が集まり、それらをつなぎ、結びつけるかけ橋となる。こうした交流から経済社会に活力が生まれる。」

③ 世界の中の「かけ橋国家」となる

「国際社会の課題の解決に対して日本が主導的役割を担うことを通じて、日本や日本人に対する信頼が高まり「品格ある国家」となる。信頼を基礎に、経済だけでなく幅広く交流の舞台を提供する「かけ橋国家」となる。」
「現在よりもはるかに高い比率で、国際的な舞台で日本人が活躍するようになり、数多くの日本人の知的リーダーが活躍している。」

(2)「時持ち」が楽しむ「健康寿命80歳」

① 人が躍動する社会:楽しく働き、よく学び、よく遊ぶ

ア 年齢、性別、時間、場所にとらわれないで選択

「超高齢化の時代にあって、「健康寿命80歳」の人生が実現する。何歳になっても、意欲と能力があれば仕事や社会に参加することができる生涯現役社会の下で、自立した活力ある持続可能性が維持される「高齢化克服先進国」となる。」
「健康寿命が伸びるとともに、働き方の多様化などにより自由に活動できる時間(可処分時間)が1割以上増え、「時持ち」になると見込まれる。」
「個人の選択の機会が豊かになる中、「楽しく働き、よく学び、よく遊ぶ」といった家庭・仕事・地域社会などでバランスの取れた暮らしができる。」

イ 個人の夢が実現される「多様多才社会」

「多様多才な個人が主役となって、能力を発揮し活躍する可能性が高まった、人が躍動する社会になる。やりたいことができることで満足が得られ、ますますやりがいが得られるという「やりがいの再生産」が生じている。家庭・働く場・地域など幅広く様々な分野において男女共同参画が進んでいる。」
「仕事での成功や夢の実現への道筋が多様にある。失敗しても再挑戦できる機会があり、「志の再生」が可能となる。」
「働く時間や場所が多様になる。」
「組織では、多様な構造の就業状態の下で多様な人材を活用する手法が浸透している。正社員以外の人材、男女、高齢者、外国人などの多様な人材を活用した組織が成功している。」

ウ 自分を磨く機会が広がる

「豊かになった時間のかなりの部分が人間力を培うことに活用される。必要があれば、いつでもどこでも生涯にわたって才能を磨くことができる機会が増える。」
「スキルアップ(技能向上)を図るため、数年に一度仕事を離れて、資格取得などのために集中的に勉強したり、多様な年齢層において大学院で学位を取得する人が増え、大学院在学者数(人口比)が現在のアメリカ並みの水準となると見込むこともできる。」
「生涯を通じた学習によって法律・金融・科学・健康などに関するリテラシー(情報を理解し活用する基礎的な能力)を身に付ける機会がある。」

② 多様で良質なサービスに囲まれた暮らし

「質の高い専門的な生活サービスに支えられて、豊かで多様な生活が実現する。安心して子育てを楽しむことができる。」
「ロボット技術が介護や身の回りの世話に幅広く活用され、家庭に1台、掃除・洗濯などを行う「お手伝いロボット」が利用されている。」
「人生設計に合わせた住み替えが容易になると同時に、一人当たりの居住空間も十分確保され、借家の広さについて現在の持ち家並みを見込むこともできる。」
(1998年の全国の4人家族の借家1戸当たりの平均延べ面積は59㎡、2003年の関東大都市圏の持家1戸当たりの平均延べ面積は104㎡)

③ 地域を超えて拡がるつながり

「地域政策における集中と選択により、生活、環境、産業の調和がとれたまちづくりがなされ、コミュニティ機能が維持される。」
「自分の属する集団とは異なる集団の人との間にある差異に価値が認められ、緩やかな社会的な共(つながり)の輪が拡がる中で人の孤立化が防がれる。」
「情報通信技術の適切な活用により、個人と社会とのつながりが豊かになる。高齢者や障害者などの社会参加が支援されたり、個性豊かで創意工夫あふれる地域社会づくりや支援のネットワークの有用な手段となっている。」

(3)豊かな公・小さな官

<以下略>

2006年 8月 26日

会社行事について

投稿者 by vulcan at 01:39 / カテゴリ: / 9 コメント / 0 TrackBack

ジェームス・C・アベグレン氏の『日本の経営』の中で、非常に新鮮な驚きを持って知ったのは、50年前の日本企業において、大企業も中小企業も、当たり前のように会社内に神社か神棚が存在していたという事実です。

アベグレン氏の調査対象は主に大企業であったため、それらの企業には、敷地内に神社があったそうです。会社は祭りの日を休日として、社員は家族とともに全員参加で祭りを祝い、神社にて神主のお祓いを受けていたことが報告されています。そこでは、過去の一年の無事を感謝し、次の一年の無事を祈ったのでしょう。こうしたことが奇異ではなく、当たり前の文化として、日本に存在していたということが、私の興味を非常にとらえ、思わず何度も読み返してしまいました。

こうしたことは、他の驚くべき事実とともに、従業員と会社の関係が、単なる契約上の関係以上の非常に強い関係、『家族』という比喩を使いたくなる関係であったことを示しており、それがゆえに、経営者は社員に対して、法的な権利義務関係では理解できない『家長』的な責任感を感じていたのでしょう。

そうした日本の文化に畏敬の念を抱いていた矢先だっただけに、妻との会話の中で出てきた次の話題は非常に驚きをもって聞くこととなりました。

妻と、経営者の覚悟というものについて話をしていたところ、「東芝の運動会の紹介記事を読んだことを思い出した」と言うのです。それによると、東芝で毎年大運動会が開催されていたわけですが、筆者の方は、「当時、大運動会は社員の福利厚生のためにやっているという意識を持っていたけれど、家族も含めて全員参加で行なう機会というのは、会社が養っている人たちの規模というのを実際に目にする機会を用意して、経営幹部が「彼らを路頭に迷わすわけには行かない」という覚悟を高揚する日であって、実は社員の福利厚生以上に、経営幹部の覚悟のために行なわれていたと解釈することができるのではないか」という意見で、「無くなってしまったことはある意味で残念なことだった」と述べていたそうです。

お金もバカにならないし、無駄が多いし、いやいや参加している人もいるし、マンネリしていたしで、運動会を止めることとなったのは必然でもあるのですが、自分たちの養うべき従業員とその家族の数が、一体どれぐらいの規模なのかというのを、数字で確認するのと、実際に一堂に会してそのパワーを感じるのとでは全然違うものだというのは、自明の理でしょう。従って、今の経営者に覚悟が無い(薄れてしまった)というよく言われている意見も、うなずける話だと思います。

私も、子供のころ、父親が日立製作所の社員だったので、毎年の大運動会を楽しみにしていました。父親たちは、運動会の1ヶ月前ぐらいから、仕事そっちのけで毎晩夜遅くまで運動会の準備をしていたと聞いたことがあります。子供のころは、たくさんお菓子がもらえるし、みんな楽しそうなので、不思議な雰囲気の運動会が大好きでしたが、社会人になったころには、そうした『暢気な』風習を馬鹿にしていた嫌いがあり、少なくとも自分の入行した銀行に、そうした運動会が過去のものとなっていたことに喜んだのですが、『経営者の覚悟を高揚する機会』だったことを思うと、考えも変えさせられます。

だからといって、20年前の家族ぐるみの運動会の文化を取り戻そうとか、50年前の祭りの文化を取り戻そうとか言っても、既に価値観が変わってきてしまっていますので、そんなことが今の日本に受け入れられるはずがありません(そうした会社を作ることは可能でしょうが、日本中をそうした文化にすることは不可能です)。しかし、おそらく我々の血の中には、そうした家族ぐるみで団結することを、負担にならない程度であれば歓迎するムードが流れていると思います。したがって、毎年は無理としても、何か非常に重要な機会を見つけて、家族ぐるみの団結を行なうとか、あるいは、家族ぐるみで楽しむとか、家族ぐるみで奉仕するといったイベントがあった方がいいのではないかと思います。

アベグレン氏の『日本の経営』に『祭り』の話が報告されていたことを、妻には話していなかったのにもかかわらず、読み終わった翌日の話題に、妻から『大運動会』の事を聞いて非常にびっくりしました。『祭り』が形を変えて『大運動会』になったのだなと理解するとともに、『大運動会』の意義が『経営幹部の覚悟を高揚すること』だったと聞くに及んで、妻に感謝した次第です。

2006年 8月 25日

『新・日本の経営』と『日本の経営』

投稿者 by vulcan at 21:01 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

先日、ジェームス・C・アベグレン氏の『新・日本の経営』について、簡単な感想を以下のように書きましたが、何が言いたいのか全く分からない感想であるため、ここで、改めてもう少し掘り下げた感想を述べるとともに、『日本の経営』も読み終わりましたので、感想を述べたいと思います。

非常に長い文章で、あまり読まれてこなかったのもうなずけましたが、私は非常に感銘を受けました。「20年後か、30年後、もっと知識を身につけ、物事を正しく見極められる力を身につけた私は、恐らくこういう文章を書いているのだろう」と思いました。K氏は私の文章の調子から、アベグレン氏のこの本を思い起こしたのではないかと思っています。
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『新・日本の経営』は、今後数十年を歩もうとする日本企業にとって、非常に示唆に富んだ書物ですが、一見すると、示唆に終わっていて、それ以上は自分で考えるべきところとして、「つけはなされているのかな」という印象を受けましたが、『日本の経営』を読むことで、そうではないことが分かった気がします。つまり、50年前に書いた『日本の経営』において、確かに今でも引き継がれている価値観は維持して今後の展望を構築すべきであるし、一時的だった部分と類似する傾向の価値観については、現代においてもフィルターによって除去した上で物事を見た方が良いということです。いずれにしても示唆には違いありませんが、どう考えるべきかのヒントは、二つの本を合わせて読むことで自ずと分かる仕掛けになっていました。

また、今後の高齢化社会に向けての心構えについても、普段我々が漠然と抱えている不安を払拭するような、勇気付けられる内容があちこちにちりばめられており、日本国籍を取得して、完全に日本人として日本に溶け込むことを選ばれたアベグレン氏のエールをひしひしと感じます。もちろん、エールだけに終わっているわけではなく、目が曇り、日本人が陥りやすい罠についても、警鐘を打ち鳴らしています。

一方、『日本の経営』については、驚かされてばかりでした。短期間で日本のことをこれだけ適格に理解した頭脳の明晰さはもちろんですが、それ以上に驚いたのは、50年前の日本企業では、当たり前とされていたことの多くを、我々が完全に忘れ去ってしまっていることでした。そのため、まるで異国の物語を読むような印象さえ受けました。そして、私にとって一番大事なことなのですが、「私が先般来、2ヶ月に及んで書いた『随筆』の中で主張している『理想の企業組織像』に関する多くのファクターが、50年前の日本においては普通のことだった」という事実です。

そういうわけで、非常に学ぶべきところが多い名著であることが分かり、「50年前の本など読んでも何も得るものはないだろう」という先入観が完全な間違いであることを思い知りました。そればかりでなく、『日本の経営』に記述された50年前の日本と現代の日本とを比較するだけでも、何が行き残り、何が一時的だったのか、どういう変化に進んだのかを知ることができ、「日本の経営学は、この一冊を見直すことによって、相当意義の高い学問分野に発展するだろう」という印象を受けました。更に、『新・日本の経営』が用意されているのですから、至れり尽くせりというわけです。

しかも、サプライズは最後にも用意されていました。現代語訳された『日本の経営』の解説は、神戸大学の加護野教授によって寄せられていたのです。加護野教授の講義に限らず、大学時代のことは、残念なことに、私の記憶にはほとんど何も残っておらず、「一体何のために神戸大学経営学部に入学したのか」と、親や教授に対して非常に申し訳なく思います。

あまりにも情けない学生時代の状況については2004年3月14日の『学歴詐称』2004年3月26日の『成績証明書』に書いてあるので、お時間のある方は、ご覧頂いて笑ってやってください(笑)

そんなわけで、神戸大学の風上にも置けない私ですが、この運命的な本の解説者が加護野教授であったことを知って、小学校のときから、祖父の母校であり、叔父の母校である神戸大学経営学部を目指し、入学したことは大きな意味があったと思うことができました。

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2006年 8月 24日

数十年先の日本を予測する上で

投稿者 by vulcan at 13:04 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

『存在理由』のカテゴリーを作り、冒頭、私は、「数十年先の日本を予測してみたい」と述べました。非常に困難なチャレンジではありますが、ワクワクさせられる試みでもあります。では、一体どういうプロセスで予測するのかというと、『歴史のうねりを読む』ことだと思っています。

具体的にすぐ思いつくのは、過去の歴史を学ぶことです。過去の歴史を学び、何が生き残り、何が消えて行ったのかを知ることで、どういう価値観が今後も生き残り、どういう価値観は今一時的に存在するものなのかが分かる、というか、嗅ぎ取る力が身についてくるでしょう。

次に、どういうものが求められているのかを知ることが、未来を予測する上で必要なことですが、これは多様な意見を聞きながら、見聞を広め、何が本物で何が偽物かを見極める力が求められると思います。

それだけでできるかどうか、自信が無かったのですが、本日、面白い記事を見つけましたので紹介します。

1981年にマイクロソフトとIBMの提携が破談に終わっていたとしたら、25年後の今、世の中はどうなっていたのかをシミュレートした記事です。通常、「たら、れば」というのは、あまり歓迎される思考方法ではありませんし、私も拒否反応があるのですが、25年もの歳月を「たら、れば」で構築するというのは、あまりにもダイナミックで、心をくすぐられます。

これぐらいの期間を、「たら、れば」で予測するというのは、並みの知識では不可能ですし、やはり、何が重要なことで、何がどうでもいいことなのかをよく理解していなければできません。

そんなわけで、「たら、れば」の訓練というのも、今後、取り入れてみようかなと思った次第です。

2006年 8月 23日

地縁

投稿者 by vulcan at 21:02 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、不思議な縁についてお話をしましたので、ついでに本日は地縁についてお話したいと思います。地縁というと堅苦しい表現ですが、要するにコミュニティでの友人関係についてです。

妻は非常に社交的な性格のため(深いところではそうでもないようなのですが)、コミュニティで友人を作るのが得意です。しかし、子供が生まれる前の船橋時代、江東区時代前期を振り替えると、友人関係は専ら会社関係か、学生時代の関係に限られていたように思います。それが、子供が産まれ、徐々に江東区時代後期からコミュニティの友人ができはじめ、ベイタウンに引っ越してしばらくしてからは、いわゆる『公園デビュー』により友人が増えました。

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二人目も生まれ、ベイタウンにも慣れ、子供二人を連れて公園やスーパー、子育て支援施設等で友人がどんどん作られ、私も名前を覚えるのを放棄するぐらいになりました(もともと記憶容量が小さいのも原因ですが)。

更に、公社の借家からエリストに移ったこの春からは、長女の幼稚園関係での友人が増え、また、自宅に友人を招待したり、友人宅に招待されに行くことで、更に友人を紹介され、今では記憶力のいい本人も名前を出すのが一苦労な状況にあるのではないかと推察します。

これから先、3人(あるいはもしかしたら4人)の子供達の幼稚園・学校関係の輪が爆発的に膨らんでいくでしょう。妻の友人関係がどこまで拡大するのか、見通そうとすると思考が停止してしまうぐらいの状況です。といって、多ければいいというわけではなく、価値観が合うかどうかも重要です。但し、価値観を共有できる友人を見つけるためにも多くの人と知り合うことはよいことでしょう。

こうして考えてみると、女性が家にいるということは非常にありがたい話だと思います。もちろん、上でも示唆しているように、子供ができてからの話ですが。地縁によりいろんな人と友人関係をつくることは、なにより楽しいですし、何かあったとき(子供が事件に巻き込まれそうになったとき)にきっと助けになるでしょう。

そこで思い出すのが、安心の安に関する仏教の教えです。それによると、屋根の下に女がいると書いて安。家を女性が守っていると家族は安泰ということのようですが、最初は「ふーん」という印象でした。しかし、妻の地縁のすさまじさを目の当たりにすると、「確かにそのとおりかもしれない」と思うようになりました。

もちろん、安は地縁だけを語っているのではなく、子供が学校から帰った時に家に母親がいるかどうかも重要なファクターだと思います。私が小学2年生のとき、学芸会が終わって帰宅したところ、母親が学芸会後の井戸端会議に参加していたのか、私が早めに帰宅したのかは忘れてしまいましたが、家に帰ると誰もおらず、鍵も開けられない状態だったため、パニックになって泣き喚いていたそうです。隣の家の人が見かねて家に入れてくれ、そこのお兄さんがあやしてくれて落ち着いたのですが、それぐらい母親に頼りきりの子供も世の中には多いのではないかと思います。

そんなわけで、子供がいらっしゃらなかったり、引きこもりがちな方は、仕事を持つのがいいと思いますが、そうでなければ、女性が(あるいは社交性に優れた資質を持っている男性が)家を守るというのは、非常に良いことではないかと思います。それができない諸事情もたくさんあるとは思いますので、選択できない方を非難しているわけでも、選択できる方を礼賛しているわけでもありませんが、少なくとも私はそうした家庭を持てたことを感謝している次第です。

前置きが長くなりましたが(実はここまでは前置きだったんです、すいません)、本題の私に関する最近の地縁について申し上げたいと思います。

私は長らく縁というのをあまり重視しておりませんでしたし、縁(特に地縁)を作るのが苦手でしたので、これから述べることは、私には新鮮であっても、普通の方々にはあまりにも当たり前で、目新しいことなど何も無いかもしれないことだけは、最初に断っておきます。

ベイタウンを気に入った私達は、2年ほど前にエリストの購入を決め、待ちに待った入居をこの春に迎えたわけですが、コミュニティにかかわりたいという願望を私が持っていても、実際持家になってみないと、積極的な活動というのが行なえる性格ではありませんでした。

そんなわけで、ようやく持家となり、長く根を下ろすベイタウンで、地縁を築くための活動をしようと、重い腰を上げることになりました。最初に行なったのは、今年の1月のベイタウンニュースに紹介されたイベントへの参加です。

今年が年男の私にとって、「年男・年女が集まって記念撮影する」というイベントは、積極的な活動というほどでもないので気楽ですし、年男だからという大義名分もあるので、最初に取り組むには格好の対象でした。

参加したところ、普段は遠慮がちに壁際で存在感を消す努力をする私でしたが(その日も普通の人と比べれば相当存在感は薄かったと思いますが)、私の熱意が伝わったようで、記者の方が、「良かったら撮影の後でインタビューをしたいので残ってもらえませんか」と言われ、「これが待ち望んでいたデビューだ」と思った私は快諾しました。そして、全体撮影の後、インタビューを受け、更に個人写真も撮ってもらえました。1月号のベイタウンニュースに私の顔写真とコメントが載り、デビューを果たしたわけです(笑)

その後、実際にエリストへ入居し、4月のベイタウンニュースに、ニュースを配布してくれるボランティアの募集広告があるのを見つけ、早速5月の配布の会に参加しました。エリスト184戸にニュースを配布するのが仕事で、織り込みチラシをセットする場合もあるのですが、それほど時間の掛かる労働ではなく、これなら苦も無く続けられるし、そこで知り合った人と話をするのも楽しめそうだと思いました。

配布の会は毎月第一土曜日の10時にベイタウンコア(公共施設)にて行なわれるのですが、6月の第一土曜日は、娘の幼稚園のイベントが重なっており、参加できないことを心苦しく感じていましたし、「1回参加しただけで嫌になって止めたのか」と思われたくなかったので、「どうしたものか」と結構悩んでいたのですが、そうしたところ、その前日の金曜日にポストに、「事情があって配布の会に参加できない場合は宅配ポストに配布物を届けておくので申出てください」という、ベイタウンニュースを取りまとめているM氏のメッセージが入っていました。本当にメモという感じのものでしたので、恐らく、5月に参加した際に伝えた連絡先を頼りに、M氏がわざわざ届けに来てくれたのでしょう。

M氏の労力に感謝するとともに、多少なりとも6月も参加できることを喜んだ私は、早速M氏に連絡を取ることを考えたのですが、メモには連絡先が書かれておらず(笑)、聞いてもいなかったので、どうしようかと思ったのですが、昔、ベイタウンニュースの過去記事を読んでいたときに連絡先が載っていたような記憶があったので、過去記事を探し出し、M氏にメールで連絡することができました。

結局、M氏がメールを見たのが翌日の配布の会が終わった後だったので、宅配ポストを利用しての参加はできなかったのですが、M氏からの返信で、「ベイタウンニュースの記者にならないか」とナンパされちゃいました(笑)

M氏は、4月の配布の会のときに、私の提示したメールアドレスのドメインが一風変わっていたことで、「『kodakara.com』とはどんな会社だろう」と思ってサイトを見にきたそうです。そこで、個人のブログであることを知り、「文章を書くのが好きそうなので記者になる気があるかも」と思ったわけです。

これを受け、私は、


  1. コミュニティに貢献したいと考えていた

  2. 記者には取材がつき物であり、見聞を広めて執筆活動に役立てたい

  3. 独りよがりなブログとは違う『記事』というものがどう受け入れられるのか興味がある


という理由で快諾したのですが、

  1. ベイタウンにかかわり始めて日が浅く、まだベイタウンのことをよく分かっていない

  2. 過去記事を読み通していないので、記事がかぶる可能性がある

  3. 精力を注がなければならないこと(会社の業務)、精力を注ぎたいこと(執筆活動と育児)があるので、取材のためのまとまった時間が取りにくい


という理由から、「実際に記事を書くのは待ってほしい」と申し出ました。

その後、2、3往復のメールをやりとりし、話題がベイタウンフォーラム2006に移りました。

5月に行なわれたベイタウンフォーラム2006は、あまり参加する気がしていなかったのですが、地域のことをよく知るいい機会だと思いましたし、「子供の面倒は見ておくので参加したら」と妻が言ってくれたので参加してみました。

フォーラムの第一部は地域で積極的に活動している方々が、スライドを交えて活動報告を行ない、第二部では今後のベイタウンのありようについてのディスカッションが行なわれました。その際、パネラーのうちのD氏とK氏に私は興味を持ちました。

D氏は「今後ベイタウンに雇用を創出するNPO法人のようなものが必要となるのではないか」という意見を出し、K氏は「イベントの開催を自治会連合会で行なっていくには限界がある。イベントプロデュース集団みたいなものを作って、自治会、組合と連携しながら、ベイタウンのイベントを盛り上げていくやり方があるのではないか」といった発言がありました。

そんなわけで、M氏とのメールで、フォーラムの話題として、D氏やK氏の言っているような活動が具体化されているのかどうか聞いてみたところ、「知っていることを教えてもいいが、D氏とK氏を紹介するから、中立的な状態で直接話を聞き、自分で是非を判断した方が良いのではないか」との提案を受け、早速紹介メールを出してもらいました。

D氏は面会を快く引き受けてくださり、しかも、わざわざ我が家までお越しいただきました。上記のことを含めていろいろ話をすることができ、しかも後日D氏の執筆した書籍を進呈してくれました。D氏とはその後も、海浜幕張のプラットフォームでお会いすることがあり、一緒に通勤電車で話をします。また、近々一緒に飲む予定です。

K氏は、7月の配布の会で待ち合わせることになり、M氏の紹介で立ち話をさせていただきました。いろいろと精力的に活動する才能をお持ちの方なので、今後も影響を受けたいと思っています。

そんなわけで、思いの外に文章が長くなってしまいましたが、36歳にしてようやくのことで地縁というものが私にもできつつあるわけです。今後も、妻の力を借りながら、積極的に地縁づくりに精を出したいと思う次第です。

2006年 8月 22日

ジェームス・C・アベグレン氏

投稿者 by vulcan at 10:32 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack
長らくの私の興味は「究極の会社組織とはいかなるものか」ということでした。会社組織が興味の対象だったわけですが、今、それが人生に移りました。

そんなわけで、「究極の会社組織に対するこれまでの考察を一度明文化しておきたい」という欲求を満足させつつ、「今後の人生路を歩む上での指針を固める足がかりとしたい」という思いから、最近、2ヶ月ほど掛けてA4で150枚ほどの論文というか、随筆というか、とにかく思いのたけを書き上げました。

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最初の1ヶ月は、体系的な整理は後回しにして、想念として浮かぶことをメモ帳に書きなぐりました。次の1ヶ月はそれらを体系化し、順序を思案し、欠けている点を補いながら、「とりあえず今書きたいことはこれぐらいかな」と思える程度には仕上がりました。

とはいえ、人様にお見せするような代物にはまだまだ程遠く、たたき台の、更にたたき台が書き上がった状態です。そこから先は、自分の力だけでは限界があるため、3人の指導者を決め、また、この段階でも喜んで受け取ってくれるであろう1人を決めました。

3人の指導者とは、父親、銀行員時代の元支店長、現在病気療養中の上場準備顧問の3人です。そして、この段階で差し上げる1人とは祖母であり、指導者3人に対して渡したものから、更に多少なりと完成度を高めたものを進呈しました。

3人の指導者のうち、本日は、上場準備顧問のK氏に端を発した、『ジェームス・C・アベグレン氏』に関する話をしたいと思います。

3人の中で一番最初に相談したK氏に対しては、書きなぐったばかりともいえる、かなり完成度の低い、つまり、読むに耐えない代物を渡したわけですが、K氏は文句一つ言うことなく読み通してくださいました。そして、指摘すべき事項は山ほどあるにもかかわらず、私の気性を慮り、可能性の芽を摘み取らないようにとの配慮の結果、指摘は一つに止め、逆に私の質問を受け付ける形で相談に乗っていただきました。

最後に、「私に紹介してくれる本として、何か無いでしょうか」と質問したところ、その質問を予想していたようで、1枚のメモを手渡してくださりました。会った3日前の7月18日には持参されていたのですが、その日は急遽面会がキャンセルとなってしまい、この日、つまり7月21日は会う予定ではなかったため、本は持参されておらず、メモを頂いたわけです。

「これは自分で捜し求めるべきという見えざる力が働いているのかな」と考えて、翌日の7月22日、近くの図書館に探しに行きました。家の近くの図書館は分館で、蔵書の数に限りもあるので見つからないのもうなずけますが、千葉全館を対象に図書館の検索システムで検索を掛けたにもかかわらず、千葉中央図書館に1冊あるのみでした。これほど出回っていない本だとは予想していませんでしたので、なぜこのように読まれていない本をK氏が薦められたのか、少し不思議に思いました。

K氏には失礼とは思いながらも、とりあえず、購入するだけの価値があるのかどうかを図書館の本で確認しようと思っていた私は、千葉中央図書館から取り寄せの依頼をしました。

7月26日、打瀬図書館から、取り寄せ依頼の『新・日本の経営』が到着した旨の連絡が入りました。同時に、取り置き期間は1週間で、8月2日までに借りに行かないと千葉中央図書館に返却されてしまうことが告げられました。

ここで少し困ったことが生じました。というのは、その週の週末は、金曜日の夜から神戸の妻の実家に帰る予定で、既に先に妻達は実家に帰っており、打瀬図書館は、平日は、朝9時から夕方5時までしか開いておらず、出社前や仕事帰りに立ち寄ることが困難なため、このままだと借りられずに返却されるリスクが出てきたからです。

ところが、いくつかの要因により、その週末、神戸に帰るのは土曜日の昼になることが確定し、無事にジェームス・C・アベグレン氏の『新・日本の経営』を借りることができました。

非常に長い文章で、あまり読まれてこなかったのもうなずけましたが、私は非常に感銘を受けました。「20年後か、30年後、もっと知識を身につけ、物事を正しく見極められる力を身につけた私は、恐らくこういう文章を書いているのだろう」と思いました。K氏は私の文章の調子から、アベグレン氏のこの本を思い起こしたのではないかと思っています。

その後、座右の書とすべく、八重洲ブックセンターに行き、買い求めようとしたのですが、何と驚いたことに在庫がありませんでした。漫画以外なら何でも揃っている、特にビジネス書については日本で一番充実しているはずの八重洲ブックセンターにもかかわらず、在庫が無かったのです。それならネットで発注した方が早いかとも一瞬考えたのですが、なんとなく、八重洲ブックセンターで買いたいと思ったので取り寄せの依頼をしました。

そこで、アベグレン氏について、もっとよく知りたい、著者紹介を見ると日本国籍を取得して東京に住んでいらっしゃるとのことなので、あわよくば会って話を聞きたいと思いました。ところがネットで検索してみても、アプローチの方法が見つかりません。ネットでの検索に関してはそれなりに自信を持っていたので、アプローチ方法が見つからないことに失意しましたが、数日後、再トライしてみましたところ、糸口を見つけました。

その糸口ですが、私の住んでいる幕張ベイタウンは、土地を千葉県企業庁が所有しています。その千葉県企業庁が刊行している『幕張アーバニスト』の第4号(1997年)にアベグレン氏のインタビュー記事があるのを見つけました。10年も前の話ですからつても途絶えてしまっている可能性も高いとは思いましたが、わらにもすがる思いで、ベイタウンの住民であることを告げた後、アベグレン氏を紹介してもらえないかという内容の依頼メールを出しました。

数日後、何と、千葉県企業庁から返信メールが到着しました。私のメールをアベグレン氏に転送してくれたというのです。業務と関係のなさそうな私の依頼を好意で返してくださった千葉県企業庁には頭の下がる思いです。

そのメールによると、アベグレン氏は、この季節、別荘で長期の休暇をとる習慣があるので返信は遅くなるだろうとの記載がありました。そこでちょっとドキッとしました。私がお盆休み(8/13-8/19)を過ごした別荘地に、もしかしたらアベグレン氏の別荘もあるのではないかと直感したからです。

アベグレン氏の別荘がどこにあるかは記載されていませんでしたので真相は不明ですが、取り急ぎ、千葉県企業庁にお礼のメールを書き、アベグレン氏からの返信を待つことにしました。

お礼のメールを書いた翌日、つまり昨日、八重洲ブックセンターから取り寄せ依頼の本が到着している旨の連絡が来た日でもあるのですが、会社でN氏とお盆休みの話題を話していましたところ、私の行っていた別荘地にN氏の知り合いのアメリカ人が2人、以前所有していたという話を聞き、少し驚きました。その2人はアベグレン氏ではありませんでしたが、上のような出来事があったので、話題に出してみました。

N氏は最初、『アベグレン氏』にも『新・日本の経営』にもピンと来ていませんでしたが、やにわに心当たりを思い出され、「3ヶ月ほど前、30年来の友人のW.P.氏(アメリカ人)から、読めと渡された本がそんなタイトルだったような気がする」と言いました。分厚い本で、ビジネス書はあまり読まないらしいN氏は読まずにほったらかしにしていたらしく、そのため、すぐさまピンとは来なかったそうです(笑)

W.P.氏は日本に50年ぐらい住んでいたらしく、同じような境遇のアベグレン氏とは友人だそうです。アベグレン氏から進呈されたと思われる『新・日本の経営』について、英語の本を読んだので、同時にもらった日本語の方をN氏に差し上げたとのことでした。私が入手にこれほど苦労した本が、いとも簡単にN氏が所有していること、しかもN氏がそれを読んでいないことに唖然としてしまいましたが、不思議な縁への驚きの方がもっと大きかったです。

翌日、つまり、本日ですが、N氏は自宅からその本を持ってきてくれ、自分は読まないからくれると言いました。まだ買いに行ってはいないものの取り寄せ依頼の本が八重洲ブックセンターに到着しているため、タイミングの悪さに辟易したのもつかの間、少し雰囲気が違います。よく見てみると、N氏がW.P.氏からもらったという本は、アベグレン氏が1958年、つまり、今から50年近く前に書いた最初の著書『日本の経営』の復刻版だったのです。『新・日本の経営』を出版したのを機会に『日本の経営』の復刻版も出したのでしょう。

こちらの本の方は、まだ買う意思を固めていませんでしたが、アベグレン氏と会うための準備としては読まずには置けない本なわけですから、驚くほどの不思議な縁に、私は小躍りしている次第です。

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2006年 8月 11日

ナルシシストの自覚

投稿者 by vulcan at 12:42 / カテゴリ: / 8 コメント / 0 TrackBack

話をナルシシストに戻します。

私が自分をナルシシストだと強く意識したのは、ドストエフスキーの作品を次々読んでいた大学時代です。ドストエフスキーは私の最も愛する作家で、社会人になってからも、神田書店街に寄っては絶版の作品が並んでいないか探したもので、入手可能な文庫本はほとんど全て所有しています。文庫化されていない作品は、文庫化されていないだけに良書は少ないのですが、それでもフリークとして、図書館の分厚いドストエフスキー全集を借りて読みました。まだ読んでいないのは「未成年」だけです。「未成年」だけは、なんとなく、機が熟したらというか、もっと後に読みたいという衝動があって、読まずに今日まで来ています。

それぐらいドストエフスキーにはまったのですが、何がそんなに気に入ったのかと言うと、徹底的な自虐的表現や自虐的思考方法にしびれたのです。自分を外側から見つめ、客観的に論じるというのではなく、自分を徹底的に否定する、それも皮肉たっぷりに。そうした文章を、舌なめずりしながら読みふけっていました。打ち明けると、恍惚感さえ覚えたものです。

ドストエフスキーの人となりについては私が解説するよりも、ドストエフ好きーのページが充実していますのでそちらに譲ります。あらためて、ドストエフスキーの人となりをおさらいしてみると、私にも通じるところが非常に多いと感じ、ますます愛着が湧きました。

結局、ドストエフスキーを一言で表すことができないように、私を一言で説明するのは無理があるようです。ナルシシストというのは、過剰な自意識という点を表現する言葉だと思っておりますが、それだけでは説明不十分です。但し、やはり『自意識』が出発点なんだろうと思います。そんなわけで、ナルシシストの自我形成について、改めて探究心を強めた次第です。

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(追記)

ドストエフスキーについて触れたので、以前のHPからドストエフスキーの論評をごっそり移転させた上で読み返してみました。

4年前の私がどのように世の中を見つめていたのかがよく分かりましたが、今、これと同じ文章を書くことは到底できないと感じました。それは、恥ずかしくて書けないという理由ではありません。「今より当時の方が頭が良かったのか」という錯覚を覚えました。もしかしたらそうかもしれません。とはいえ、「加齢によって退行した」というのとは違います。頭が悪くなることで、当時よりも悟りに近づいたという印象です。

ところで、やはり、ドストエフスキーは私の半生を理解する上で非常に有益であることを再認識しました。これを無視していてはルーツを探ることは適わないでしょう。とはいえ、私でさえ読み返すのがしんどい代物なので、恐らく読者でドストエフスキーのカテゴリーを踏破できる方はいないと思います。踏破したという方がいらっしゃったら、管理人宛にメールしてください。感謝状を贈ります(笑)

2006年 8月 10日

子宝について

投稿者 by vulcan at 10:25 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

昨日、図らずも、『子は宝』と述べましたが、このサイトのドメインは『kodakara.com』です。今日は、独自ドメイン取得のときの気持ちを振り返りたいと思います。

2005年6月、自宅サーバの管理に閉塞感を感じ始めていた私は、レンタルサーバに移行するのを機に、独自ドメインの取得を希望しました。あれやこれやと我々の志にふさわしいドメイン名を検討し、空いているドメイン名かどうかを確認していたところ、ほとんど第一志望の『kodakara.com』が空いていることが判明しました。狂喜した私は、家内にそのことを告げると、家内も喜んでくれましたので、即座にドメイン取得の申込をしました。

このとき、周辺ドメインも当然調べることになりました。そのとき目に止まったのが不妊治療・不妊症「子宝ねっと」です。このサイトは、子宝に恵まれることを願い、不妊症を真剣に考えている方々が集う掲示板サイトであり、Googleのページランクも高く、訪問数も私のサイトとは桁違いの、非常に巨大なサイトです。

いくつかの掲示板を覗いてみました。そして、得られた結論は、「軽々しく子宝を論じることは憚られる」ということでした。それほど不妊症に関する悩みは切実なものだと理解したわけです。そのため、『kodakara.com』というドメイン名を取得したものの、「『子宝』に関するサイトは後回しにして、周辺のサブドメインサイトを立上げながら己を醸成し、機が熟したら『子宝』を本格的に論じよう」と家内と決めました。

私の周りに関して言えば、私が3人の子供に恵まれ、妹が2人の子供に恵まれました。3兄弟の中で一番子煩悩と思われる弟は未だ子供には恵まれておりません。弟は、小さいころから近所の年下の子供達に人気があり、今でもその性格は変わりません。弟の家には既に二人分の子供部屋が用意されています。そんな弟ですから、我が家の子供達も、弟のことを『えせとうちゃん』と呼んで、非常に愛しています。

対して、子供のころから年下の扱いに困惑し、「決して子供は望んでいないであろう」と他から見られていた私に子供が授けられました。そんな私だっただけに、子供を持つことで大きく変わることができました。つまり、「既に子煩悩な弟には、子供をすぐに授けなくても正しい行ないをしていくだろうから、先に兄に子供を授けて正しい道を歩ませよう」という力が働いたのかもしれません。ということは、弟が子供を授かるためにも、私は一刻も早く行ないを正していく必要があるわけです。

とはいえ、『子宝』を論じるには、まだ機は熟していないと考えています。機を熟させるための布石が『存在理由』を正すことだと、今は思っております。

2006年 8月 09日

きっかけは子供達

投稿者 by vulcan at 12:46 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

おそらく、唐突に始まった存在理由の追求に対して、戸惑いを感じている方もいらっしゃることと思います。私のことをそれなりに理解しているはずの親でさえ、最近の私の興味が宗教にまで及ぶに至っては、心配し始めたぐらいですから。

「宗教に興味があるのではなく、人生に興味があります。」

父親の心配に対して返信した携帯メールの文章が上記です。長らくの私の興味は「究極の会社組織とはいかなるものか」ということでした。会社組織が興味の対象だったわけですが、今、それが人生に移りました。今までも人生について思考することはありましたが、あくまでも付録的な興味の対象に過ぎなかったと思います。

「どんなきっかけによって人生に焦点が定まったのか」というと、複雑な要素が絡み合った必然であり、その中からきっかけというべきものを抜き出すことは難しいのですが、やはり、敢えて言えば『きっかけは子供達』ということになります。

『育児』のカテゴリーの投稿をいくつか読んでいただければ分かるように、我が家の子供達は本当に親を癒してくれます。親だけでなく、一族はもとより、地域やその他の関係で触れ合う人全てを楽しませてくれます。毎晩の家族の団欒は、腹を抱えて笑ってばかりですし、目覚しい成長振りに刺激されて私自身の成長意欲を高めることにもつながっており、また、「子は鏡」と言うとおり、反省すべき点も子を通じて見つけることができます。一言で言えば、「生き甲斐を見つけた」ということです。

長女は私の直情型の部分と勝ち負けにこだわる部分を引き継いだようで、非常に激しやすい性格を有します。そのため、手を焼くこともありますが、感激の仕方も並ではなく、引きずられて私の方まで感激してしまうこともしばしばあります。

二番目(長男)は非常に気配りが冴えています。気配を察知する感性はおそらく私にも備わっていますが、感情をそのまま吐露しない点には何度も頭の下がる思いがしました。ユーモアを提供することが自分に与えられた役割であることを、2歳にして自覚しているようで、そのセンスたるや抜群のものがあります。

三番目(次女)はまだ生後7ヶ月経過したばかりで、個性はこれから表れてくるのでしょうが、癇癪持ちというのとは少し違う、気丈な雰囲気を備えつつあります。

そんなわけで、「子は宝」ということをまさに実感している次第です。彼らのおかげで、私も両親や祖母、弟、妹と向き合う機会が増え、一族の結束はより強まりました。更に、妻の血縁をはじめ、直系血族以外に対する姿勢も変わりました。

そんな子供達ですから、当然のことながら、彼らの将来に思いを馳せることもしばしばです。したがって、数十年先の日本に関心が出てきました。すると、わが身の老いを意識することにもつながり、必然的に人生に目が行ったということです。

日々のニュースで流れる日本中の子供達に係る悲惨な事件に胸が詰まり、涙があふれてきます。「これから30年かけて、そうした悲しい事件を無くしていくために、私は何をしていこうか」、そうした思いから、存在理由を正してみようと思った次第です。

2006年 8月 08日

日本人の大衆心理

投稿者 by vulcan at 10:37 / カテゴリ: / 11 コメント / 0 TrackBack

昨日、亀田興毅について触れたので、少し脱線を楽しもうと思います。

亀田興毅は、おそらく、まじめにボクシングをやってきた、才能に恵まれた19歳の少年なのでしょう。彼こそが『向上心』の塊のような人物であると推測します。そして、彼は父親の無念(どんな無念かは想像できませんが)を一身に背負って、無念を晴らすことを原動力として、そして、彼自身の認められたい(力を誇示したい)という欲求を駆動力として、今日まで上りつめてきたものと思われます。

しかし、動機が不純であったことが、悲惨な結果をもたらしました。不純な動機のために、目が曇ってしまい、メディア(特にTBS)やその他の力を持っている者たちが、彼に群がり、彼を持ち上げたとき、「何かおかしい」と感じることができなかったのだろうと思います。

とはいえ、亀田興毅にできたことは非常に限られており、突き進む以外の選択肢はほとんど許されていなかったとも思います。19歳の若さ、一家族で世間に立ち向かうにはあまりにも弱すぎたことにより、虚勢を張る以外の選択肢が拒まれ、力の魅力に屈したのでしょう。そうした例は歴史を振り返れば山ほどあるでしょうし、ホリエモンも同じことです。

敬語に関する彼の考えも、虚勢の現われと見ます。私も長らくそうした考えを持っていましたから。そして、おそらく多くの人は、彼と似たり寄ったりの考えを持っているか、持っていた時期があるのではないでしょうか。虚勢を張らざるを得ない時期というものがあると私は思います。

さて、彼は今後どう歩んでいくのでしょうか。再起不能なほど世間を(あるいは世界を)敵に回してしまった、それも一夜にして。これほどの苦難を亀田興毅は乗り越えていけるのでしょうか。確実に言えることは、TBSに責任を転嫁している限り、彼は乗り越えられないでしょう。

しかし、大いなる失敗は、大いなる成功の基です。彼が完全に自分と向き合うことができれば、もともと才能に恵まれているわけですから、飛躍も不可能ではありません。彼が、本物の大志を抱いたとき、道は開かれると思います。

前置きが長くなりましたが、それにつけても、『日本人の大衆心理』の極端さです。小泉純一郎、ホリエモン、そして亀田興毅。持ち上げるだけ持ち上げておいて落とす。今回の亀田興毅の試合についてのヤフーのアンケート(ランダエタの勝ちに20万人以上の94%の人が投票)にも、異常な極端性が表れていると思います。

この極端性は悪なのでしょうか、善なのでしょうか。「善悪の対象ではない」というのが答えのような気がしますが、それでは答えになっていないので、私見を述べますと、おそらく善ではないかと思います。但し、それ相応の痛みを伴う善ですが。

日本人のこうした極端に走りやすい文化は、極論すると世界を滅亡に導く可能性を孕みますが、おそらくうまく進むと思います。これまでを振り返れば、我々日本人は、常に極端に走り、極端に走った場合の世界を見届けたのち、完全にハンドルを逆に切り、反対の極端のありようを見極め、そののちに中道をすすむ、というパターンを繰り返してきました。

遅々とした、まだるっこしいやり方ですが、歴史に学ぶことを前提としたこうしたやり方は確実な方法です。今回の亀田興毅事件は、日本人に『恥の文化』を思い起こさせる契機となったことと思います。戦後長らくの間、日本人は『恥』というものを忘れてしまったようなところがありましたし、特に昨今、そうした感性を捨て去ったかのように見受けられたわけですが、今回の事件によって、完全に取り戻しました。

亀田興毅にとっては、迷惑千万な話ですが、『不純な動機のもたらした結果』であり、『今後の飛躍の糧』であると受け止めて、再度立ち上がっていってもらいたいと思います。

私が亀田興毅と同じ年頃(正確には更に5年後ですが)、次の言葉を知りました。

『いずこであれ、種子の落ちたるところにて、芽を出し、大樹となれ』

20代を、大樹となることを夢見て、ひたすら走り続ける支えとなった言葉です。私の動機も不純なものでしたから、亀田興毅ほどではないにせよ、挫折が待ち受けていました。しかし、動機がどうあれ、若い時分はひたすら突き進むことも大切なことです。歳を重ね、それ相応の分別がついてくると、種子の落ちるところの選択(つまり動機)にも責任を持つことが求められますので、やや他力本願なこの言葉が身の丈に合わなくなってきますが、今も昔も、20代にそこまでの責任を追求するのは酷でしょう。ましてや、彼はまだ19歳です。犯罪を犯したわけでもないのに、動機が不純だったというだけで、これほどまでのバッシングにあうというのは、同情の念を禁じえません。

とはいえ、今回の事件は必然です。日本人の文化が生み出した、日本人らしい解決策としての事件であり、我々はこの事件を通して多くを学んだことでしょう。願わくば、事件の渦中となった亀田興毅が、この必然を理解し、己の糧とし、その過程において、真の大志に巡り会わんことを。

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(追記)

と、熱く語ってみましたが、私が語るまでもなく、おそらく亀田興毅はこれからどうすべきかを感じているでしょう。後は実践に移すだけかもしれません。また、大衆の方も、「何がどうしてどうなったのか、そして、その帰結としての教訓が何か」という本質的なところを感じているはずですので、私がとやかく言う必要も無いのかもしれません。

2006年 8月 07日

ナルシシズムに支えられた向上心

投稿者 by vulcan at 23:37 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

34歳と3ヶ月の間、つまり、今から2年前まで、私の根底に一貫して流れていたものは、『向上心』(現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心)だったと思います。今は『向上心』を失ってしまったのかというと、そういうわけではありませんが、『向上心』は最重要のテーマではなくなりました。

何故『向上心(神?)』を信奉していたのかと振り返ると、「力を誇示したい」という欲望を満たすためです。常に他者に認めさせることのみに執着しており、認められることに喜びを感じていました。そして、認められるために、常に上を目指して、必死に努力していました。その結果、いろんな分野の知識を習得できましたので、20代と30代前半を生きるには悪くないキーワードだったのかもしれません。

しかし、冷静に分析してみると、認められることが目的であったため、どれもこれも中途半端というか、極めたものは無いに等しいことに気づきます。「それがゼネラリストというものだ」というのは強弁でしょう。一般的に、あるいは素人目に見れば十分極めていると見えても、達人の目から見れば素人の域を出ているとはとても言えません。それで良しとしたのですが、忙しいからというのが第一の理由ではなく、あとははったりで何とかなると思ったからです。

つまり、認められたいと思う相手は、達人ではなく、一般人だったと言うこともできます。まあ、達人に認められたいと思うぐらいの人は、一足飛びに達人になりたいと思うのが普通でしょう。

そんなわけで、かなり偏った『向上心』だったわけですが、それでもまがりなりにも向上できたのは、ナルシシズムに支えられていたからだと思います。当時の決まり文句は「流石、俺様」でした。ある意味で、亀田興毅に似た感性を持っていたことになると思います(テレビを見ないので彼のことはほとんど知りませんが、同じ匂いがします)。

2006年 8月 07日

自分像を定義してみる

投稿者 by vulcan at 14:43 / カテゴリ: / 10 コメント / 0 TrackBack

「自分は何者なのか」

自分自身を定義することに意義を挟む人も多くいると思います。なぜなら、自分自身を真に定義することはもちろんのこと、自分自身を知ることすら、おそらく不可能でしょうし、今現在の自分自身は固定的な存在ではなく、未来は変わりうるからです。

とはいえ、自分自身の定義を試みる行為自体には意義があることに同意してくださる方も多いと思っております。例えば、自分のなりたい姿を『自分自身の定義』とした場合、目指したいセルフイメージが明確となり、着実にそうした自分像に向かって歩みを進めることができます。おそらく目指したいセルフイメージを明確にした段階で、「ことは7割なったも同然」という状況かと思います。

また、過去の自分像を定義することも意義があると考えます。過去は事実の解釈です。したがって、様々に変えられるわけですから、「定義することは無意味」という帰結にも達しえますが、物事の流れを過去を基点に考えるということは、先人の知恵であり、流れを掴む上では、あるいは流れを変える上では、意義が高いと思うわけです。

となると、現在の自分像を定義することも意義があることは明白でしょう。過去の自分像、将来の自分像を明らかとし、現在の自分像が過去から将来に向けてつながったところに位置しているかどうか、それを検証することに役立つと思っています。

と、言葉遊びはこの辺りまでとして、私自身の自分像の定義を試みたいと思います。

過去の自分像
過去(あるいは過去と現在)の私を一言で言うと「ナルシシスト」となるわけですが、平たく言うと「哲学をはじめとして、いろいろなことを少しずつかじった、自惚れ屋さん」となります。どれもこれも役に立つほどには身についていない可能性が高いです。しかし、その可能性が理解できたことは、まだ救いの余地があると考えています。

現在の自分像
現在の自分像を定義することは、なかなか難しいことです。それは、将来の自分像が、まだ明確になっていないからかもしれません。しかし、私の感じるままを言葉にするとすれば、「ようやくのことで、永い眠りから覚めた獅子」となります。もしかしたら獅子ではなく、猫かもしれません。
とにかく、私は、いろいろなことに目を向けることができた、というか、いろいろなことに興味を持ち始めました。今は、雑念をなるべく捨てて、ひたすら吸収することに精力を注ぎたいと考えています。具体的には、いろんな人と話をし、いろんな書物を読み、インターネットを中心にいろんな情報に触れ、また、いろんなことにチャレンジしようと考えています。

将来の自分像
将来の自分像というのは、更に定義が難しいです。しかし、何とかして言葉にしてみますと、「役に立つ人間」ということになると思います。何の役に立つのか、どう役に立つのか、それはなかなか明言できません。経営者になるのか、政治家になるのか、宗教家になるのか、哲学者になるのか、今、これ以上明確にすることは、慎まなければならないと感じていますので、このあたりまでにしておきます。

2006年 8月 07日

どんなルーツを探るのか

投稿者 by vulcan at 01:57 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

私の個人的なルーツを探っていくと申し上げたわけですが、私の何に関してルーツを探るべきかを、ある程度は考えておくべきと思います。行き当たりばったりでは、そのうちわけが分からなくなるでしょう。そういうわけで、基本は行き当たりばったりだとしても、是非探っておきたい目的を考えてみました。

「私のナルシシズムはどこから来ているのか」

いくつかの事柄は、今この時点でも、なんとなくルーツに関する「当たり」がついていますが、この「ナルシシズムのルーツ」だけは、未だ皆目見当がつきません。そして、「ナルシシズムのルーツ」が解けたあかつきには、その他多くの事柄について、一切合財疑問が解決されるような気がします。

そういうわけで、「ナルシシズムのルーツ」が見つけられるものなのかどうかは分かりませんが、これから先、私のルーツを知るいろんな人とインタビューしていく際には、このことを意識したいと思います。

まあ、「ルーツを探る」と言うと、肩に力が入りすぎるので、「僕を見て思い出すような思い出話はありませんか」という感じで聞いていきたいと思います。ということで、ご想像できるでしょうが、「ルーツ探し」はかなり時間がかかると思います。ルーツを知っている人々が一堂に会するわけではありませんので。

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(追記)

ナルシシズムについてWikipediaで調べてみたところ、納得のいくところも多くあったのですが、「自分をナルシシストだと定義する」ことが、両親や一族を冒涜することにつながるのではないかという恐怖を感じました。「ナルシシズムは悪だと決め付けたような論調は、Wikipediaの理念に反するのではないか」という素朴な疑問が浮かびましたが、私の用法が適切でないのかもしれません。

いずれにせよ、「私はナルシシストである」と現段階では認識しておりますが、両親や一族を冒涜するつもりはありませんし、そのルーツを探ることは犯人を捜すような気持ちで行なうのではなく、「私のナルシシズムは過去における私の自我形成において重要な役割を担っており、それを授けてくれたルーツが何かを知りたい」という気持ちを端に発していることを言及しておきます。

2006年 8月 06日

宣誓

投稿者 by vulcan at 03:17 / カテゴリ: 存在理由 / 0 コメント / 0 TrackBack

「私は何故この世に生を受けたのか」

この素朴な疑問の解を求めることに、意義があるかどうか、口を挟む人もいるとは思いますが、私は意義があると認めましたので、追求することにします。この疑問を追求する上で、私が認める重要なテーマは次の二つです。

「何故1970年に生まれたのか」
「何故日本に生まれたのか」

したがって、これから始める考察においては、私の個人的なルーツを探るとともに、太古から脈々と流れる日本の精神文化について考察し、また、現代の日本が置かれた立場、期待されている役割を見据えた上で、これから数十年にわたって、日本がどういう方向に向かおうとしているのか、そして、そこに私はどう関与していくべきなのかを正したいと思います。

と、大上段に構えたわけですが、無知な上に独りよがりに陥りやすい、直情型の私ですから、突っ走ろうとすると、おそらく支離滅裂な文章となり、失敗することでしょう。そこで、なるべく肩の力を抜いて、ゆるりとやっていきたいと思います。