新しい会社に勤め始めて1週間が過ぎました。毎日プレッシャーを勝手に受けながら、全力を出し続けており、とても長い一日、とても長い一週間でした。そんなわけで、もう少し落ち着くまでは、ご無沙汰させていただきますが、生きていること、前向きなことだけは確かです。元気かどうかはちょっと微妙です。
今日は会社を休んで確定申告と免許証の書き換えに行ってきました。
運転免許センターに設置されている献血センターが眼に止まり、4年以上献血をしていませんでしたので、「久しぶりに献血をしよう」と思って手続をしました。
問診票に気になる質問があり、そのまま医師のところに持っていくと、
「申し訳ありませんが、献血をお断りさせていただいています」
という返事。
この4年間の間に日本赤十字社の基準が変更となったようで、大学卒業前にイギリスに旅行に行ったことが拒絶理由となり、「狂牛病の可能性がある」と言われました。追い討ちを掛けるように「献血カードは発行できない」とも言われ、ちょっとムッとしましたが、「いろいろ騒がれている時代なので仕方ないか」と諦めました。
というわけで、日本赤十字社の方針が変わらない限り、献血ができない身になった次第です。
ここ数週間、ブログの更新が途絶えております。主に仕事が忙しいというのが理由ですが、その他に、ちょっとしたことなのですが、どう解釈したらいいのか思案に暮れている件があって筆が進まないでいました。
仕事が忙しくなり、帰宅が毎晩10時を過ぎるようになると、私にはある種の傾向が生じます。仕事で知らず知らずのうちに生じるストレスというか憂さを晴らすため、睡眠時間を削ってゲームに興じるという傾向です。そんなわけで、帰宅後深夜までゲーム(今は昔懐かしのグランツーリスモ3)に心血を注いでいるため、ブログの更新をおろそかにしているわけです(笑)
▼続きを見る⇔折りたたむ▲さて、ちょっとしたことについてですが、最近読んでいる本の傾向です。最近は読んだ本の中から良書と思う本についてブログで紹介するのが習慣となっておりますが、最近読んだ2冊と今読んでいる本について、どう紹介したものか悩んでいたわけです。
最初の一冊は、藤原正彦の「国家の品格」です。今年の夏に初めて読み、最近読み返しました。初めて読んだとき、「極端な側面もあるが、基本的に藤原氏の言っていることは全て正しい」と思いました。初回が衝撃的だったのでそんな感想を抱いたのかもしれないと思い読み返したのですが、二度目も同じような感想で、受け入れられない思想はありませんでした。しかしこれをどう紹介したものかはすぐにピンとは来ませんでした。
そうこうしているうちに、村上龍の「愛と幻想のファシズム」をよみました。この本は、私が高校3年生のときにクラスで回し読みした本で、小説の面白さを初めて知った本です。随分前に古本屋で本書の上巻を入手し、先日BookOffで下巻を入手したので、20年ぶりに読み返すことができました。この本を読みながら、自分の原点を強く意識しました。どうやら私は根っこのところでヒューマニタリアニズムに対して強い嫌悪を抱いているようです。かといってファシズムなのかというと、憧れはあるものの、現実を考えると、テクノクラート集団が幾ら優秀であったとしても、所詮人がすることであり、納得できる国家などありえないと思っています。となるとニヒリズムかと考えるわけです。ニーチェの定義でいう強さのニヒリズム(自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一生懸命生きるという態度。 )であれば受け入れ可能な気がしますが、それでは暗中模索から抜け出すことにはつながらず、どうしたものかと思っている次第です。そんなわけで、本書についてもどう紹介するのが適当かわからず、うっちゃった感じになっていました。
そして、今読んでいる本ですが、三島由紀夫の「豊穣の海」4部作です。現在は第1部の「春の雪」を読んでいます。ちょっとしたきっかけで三島文学の紹介を受け、この機会に読み始めるかと思っていたところ、やはりBookOffで4部作を見つけたためですが、それはきっかけであり、理由はよく分かりません。
このような感じで、「国家の品格」→「愛と幻想のファシズム」→「三島由紀夫」という流れを作ったのですが、自分で決めた流れとはいえ、これが一体何を意味しているのかとついつい考えてしまい、それが解決されるまではブログは書きにくいなと感じていたわけです。
そんな中、先週金曜日にとあるちょっとした思い付きに興味が向かい始め、上記のような下らないといえば下らない悩みはとりあえず横においておくことができる心境になりました。そこで最近読んだ3冊についてはこのような形で簡単に紹介して、次なる興味について語る準備を始めようと思った次第です。
会社から帰宅する時間が、9時より前の場合、Hikaruが出迎えてくれます。Hikaruは、仮にもう少しで眠りに付く矢先であっても、私の帰宅を察知すると走って玄関まで来てくれるので、親冥利に尽きるとはこのことだとありがたく思っています。
最近は、帰宅時間が9時を回ることがしばしばあり、その場合は、妻も寝付いたばかりで、一眠りさせてあげようと思って、なるべく音を立てないように着替え、お風呂に入り、お風呂の掃除をしてから、妻を起こして食事の準備をお願いするようにしています。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲さて、本日も、帰宅が9時を大幅に回っていましたので、いつものように音を殺しながら着替え、寝室にある整理ダンスにネクタイピンとカフスボタン、ネクタイをしまおうとしていました。
ところが、その際、猛烈におならがしたくなりました(笑)
「ブー」とやって妻を起こしてしまっては、あまりに目覚めの良くない出来事となってしまいますので、何とか持ちこたえて、寝室を抜け出してからと思っていたのですが、タイピンをしまい終えて少しだけ気が緩んだのか、「プッ」とやってしまいました。
(しまった)と思いましたが、妻の起きる気配もなく一安心。と思いきや、それまで、超静音で回っていた空気清浄機が、かすかなにおいの変化を察知して、「ブィーン」と大きくうなりだしました。これには慌てましたが、幸い妻は気がつきませんでした。空気清浄機の敏感さには閉口させられます(笑)
現在、ロリポップからチカッパにサーバー移行中です。
DNSサーバーが完全に書き換えられるまで、72時間かかるようで、完了予定は27日午前1時です。移行が確認でき次第全エントリを再構築してみて、不具合がないかどうか確認しますが、おかしな点が見つかりましたら、このエントリにコメントしていただけるとありがたく思います。
またまた一ヶ月が経過していました。かれこれ2ヶ月間、私はあることにチャレンジしてきました。毎日をとても楽しく、ワクワクしながら過ごしています。このチャレンジは、おそらくあと2ヶ月かかると考えています。2ヵ月後、次のステージに進みますが、新たなチャレンジは2つあり、どちらから取り組むべきか、少し悩んでいます。全ての一連のチャレンジが終わるのは、来年の6月ごろかなと思います。節目が来て、具体的にお伝えできる日が来ることを楽しみにしています。
とんと更新が途絶えてしまって、せっかく見に来てくれている方には申し訳なく思っています。
簡単に近況をご説明します。
仕事は、結構佳境に入っています。非常に重要な時期です。ただし、用意周到に臨んでいるのでめちゃくちゃ忙しいというわけではありません。一方、現在執筆活動をしています。要するに頭の整理をするために文章をひたすら書いています。ブログにして50本分ぐらい書きました。今一番力を入れているのはこれです。本来であればブログで公開、と行きたいところですが、実名を出していたり、特定されたりする内容もあるのでアップはできません。逆に言うと、ブログのときに付きまとっていた、実名を出せない、何か特定できてしまう内容は書けない、という制約がないためストレスがなくて、非常に気持ちよく書き続けることができています。すぐにとは行きませんが、一段落したら、それらの中からアップするものがあるかもしれませんし、少なくとも、現在の活動を通して一回り成長した状態でブログを再開できると思いますので、気長にお待ちいただければと思います。
よろしくお願いします。
なお、どんな内容の執筆なのか、ちょっとだけでも知りたい、という物好きな方がいらっしゃいましたら、メールでお問い合わせください。可能な範囲でお答えします。
いよいよ今月の16日に共謀罪を衆院法務委員会理事会の委員会採決される公算が高くなった。
メンバーを見ると当然のことながらほとんどが自民党で、自民がこれだけ、世論の反発を押し切って採決に踏み切ろうとするんだから、組織的な圧力がかかって採決されちゃうんだろうな。
そうなると、委員会採決だけで自民が満足するわけがないので、衆院可決に強引に持っていくというのが考えられるけど、本当にそうなっちゃうんだろうか?そもそも何でそんなに自民は共謀罪を成立させたがっているんだ?巷で言われているような言論の自由を本気で奪おうとしているんだろうか?
ということで、猛烈に遅ればせながらではあるが(仕事が忙しいので)、共謀罪を調べ始めた。調べても、あちこちのブログで紹介されている情報以上にはまだあまり分かってこず、結局、自民が何ゆえ可決を急いでいるのかが見えてこない。見えてこないということは、やっぱり見えないように隠しているのか。裏があるのか。
まあ、もっと調べなきゃ結論出せないけど、答弁みてても(特に早川議員)もっと分かりやすく説明しようと思えばできるだろうに、分け分からん意味不明の言葉を連発して煙に巻こうとしている雰囲気ありありで、それだけでムカついてくる。
しかし、実行しなくても相談しただけで『共謀罪』が成立し、いったん成立してしまったら、「冗談だった」とか、「犯罪行為だとは知らなかった」とか、「ちょっと頭に血が上りすぎただけで、今は反省しているし、実行するつもりもない」とか、「言ってみたかっただけだ」とか言っても『共謀罪』を取り消せない、というのは非常に息苦しい世の中になるだろう。
また、目配せ、とか黙認とかでも共謀罪が成立するというし。
更に、「共謀が行われたという嫌疑があれば、捜査を行うことは可能」と大林刑事局長が説明しており、罰せられなくとも、疑わしいだけで捜査のために逮捕されてしまう。逮捕は、社会的な信用を失うし、精神的なダメージも大きい。
行き着く先は、つるんでいるだけで共謀の疑いありということになるから、人間関係を壊す恐ろしい法律ということになるだろう。
GWが明け、最初に報告すべきことが他にもあるだろうとお叱りを受けることは重々承知の上ではあるが、まず最初にご報告するのは『イソちゃん』の成長振りである。
最近、家に帰って最初に口にする言葉が「今日のイソちゃんどうだった?」ということで、NamePに「お前の子供はイソギンチャクか!」とお叱りを受ける今日この頃だが、その甲斐あって(?)、手塩に掛けたイソギンチャクは着実に成長しているようである。
イソギンチャクはある程度複雑に入り組んだ水流を好むとの情報をネットの記事で入手し、早速念願のエアーポンプを購入した。GWの二日目、妹家族が来客し、一緒に千葉こどもの国に出かけ、帰宅後速攻で自転車を飛ばして購入しに行ったので、おそらく相当なヒンシュクを買ったことであろう。エアーポンプは口が二つついており、1台で2つの水槽をまかなうことも一瞬考えたが、一つはエアーストーンによるエアーカーテンをどうしても演出したかったし、エアーを使った濾過装置にも魅力を感じてしまったので、結局それぞれの水槽に一つずつエアーポンプを購入し、エアーカーテンを楽しみながら、濾過装置も設置した。
これにより、エアーカーテン、エアーポンプの濾過装置、既存の濾過装置の3箇所から水流が起こることになり、かなり複雑な水流を作ることが可能となった。それまで弱弱しい感じのした60cm水槽のイソギンチャクも元気になった。
また、イソギンチャクは基本を光合成によって栄養をまかなっているため、なるべく光に近づけたほうが元気になるのではないかと考え、ライブロックの上下を逆転させ、照明に近づけるレイアウトに変更してみた。これは、相当効果があったようで、いずれのイソギンチャクも大きく触手を拡げ、生き生きしてきた。と、思ったが、ちょっと近づけすぎたようで、数日後には60cm水槽の方は少し下に移動し、30cm水槽の方はガラス壁面に移動していた。
その後、食事にシジミが出たので、イソギンチャクにあげようと思い、それぞれ1つずつ触手においてみた。前回アサリをあげてみたところ、60cm水槽の方は食べなかったが、今回は逆で、60cm水槽の方は元気に食べたが、30cm水槽の方が食べなかった。30㎝水槽のイソギンチャクにシジミをあげようと何度かトライしたときに、イソギンチャクに触れたからか、他のライブロックの生物に刺されたのか、人差し指にとげが刺さったようなちくちくした痛みが走り、未だに痛い。この教訓を活かし、今後はゴム手袋を装着して作業にあたろうと思う。
そんなこんなで、今朝水槽を見てみると、30㎝水槽のイソギンチャクがまたまた移動しており、更にいつもよりちょっと小さくなっているし、固着があまりしっかりしていないようだ。ちょっと心配になり、よく観察してみたところ、もう一つイソギンチャクが壁面におり、なんと、二つに分裂していたことが分かった。思いがけずイソギンチャクが増殖して非常にうれしかった。
船橋ビビットスクエア 2Fに情熱ラーメン隊というのがあり、これが非常においしい。
4人の修行者が腕を競い合い、最下位は脱落。以前いた加賀さんはいなくなっていた。で、ムジャキフーズのHPを見てみたら、加賀さんは湘南ラー戦に参戦しているようで、行く末がわかってほっとした(笑)
ここは、確か初めて行ったときは中野氏がトップを走っていたように思う。自分はトンコツ派なので平井氏を選択したがこれがなんとも素晴らしいスープ。飲み干してももっと飲みたくなるトンコツスープは、(失礼な話だが)スガキヤのラーメン以来。以後、ずっと平井氏を支持し続けている。
NamePはいろいろな味を食べ比べていたが、先日初めて中野氏の塩をチョイスしたら感激していた。ちょっとだけスープを飲ませてもらったら、確かに難しい塩ラーメンを非常にうまく作っており、昆布だしと鰹風味が絶妙なバランスだった。こちらもスープをお代わりしたくなるあっさりした味でオススメ。
昨日は店員のアドバイスを備忘的に記録したが、知識が乏しいため、表現が正確ではない部分があったとすれば私に責任がある。
それはそれとして、アドバイスを適格に実行したのかということになると、実はそれほどうまくやっていない。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲最大のミスはサンゴイソギンチャクを買ってきてそのまま入れてしまったこと。本来なら袋に入っている状態で温度をあわせ、水を1/3ずつ中和させながら徐々に慣らし、慎重に入れるべきところ。なんとなく海草っぽいイソギンチャクに対して雑に扱ってしまったわけだ。その後のイソギンチャクのあまり元気そうでない状況を見るにつけ、己の判断ミスを猛省している。
また、カクレクマノミを小さいものから順に入れていくというのも、選り分けるのができず、結局4匹同時に入れた。こちらは温度だけは合わせてから入れたが、水の中和は行なっていない。しかも、2つの水槽に2匹ずつ入れるつもりが、最初の水槽に3匹入ってしまい、1匹を移すために禁断の網を使ってしまった。網で数分格闘し、追い掛け回したので、かなりストレスを与えてしまっただろう。
そんなわけで、『イソギンチャクを死から守れ!』と銘打ったプロジェクトが急遽発足し、月曜日は会社帰りに再びららぽーとに行った。
イソギンチャクの栄養は光合成によって賄われており、サンゴイソギンチャクはそれほど光量を必要とせず、蛍光灯2本でも飼育可能とのことだが、今使っている蛍光灯は水槽購入当初から替えずに使っている古いものなので、光量が低下していると思い、イソギンチャクのために新品の蛍光灯を買うことにした。
店員のアドバイスを参考に、60センチ水槽用と30センチ水槽用のそれぞれの水槽用に青と白の蛍光灯を購入した。水槽の雰囲気もガラっと変わり、いい買い物をしたと思う。
また、30センチ水槽に比べ60センチ水槽は若干温度が低く感じられ、家の水温計は吸盤が古くなってガラスにくっつかない状態だったため、水温計も2本購入した。早速帰って測定してみると30センチ水槽が26度程度に対し、60センチ水槽は24度。60センチ水槽の設定温度は25度であるが、水量が多いためか設定まで上がらないようだ。2度の差ではあるが、肌では随分違って感じられることを今更ながら実感した。30センチ水槽の方は温度調節ができないが、60センチ水槽の方は温度調節が可能のため、25度設定を26度に変更した。
それから、インターネットでの知識に基づき、タイマーを購入することにした。朝晩規則正しく照明を入切するためのもので、手でやればいいと考えがちだが、朝はいいとしても帰宅が遅くなるときは切る時間がまちまちになるし、外泊する場合に消しっぱなしだと、魚はいいとしてもイソギンチャクが光合成できずに死んでしまう。特に、イソギンチャクは死臭が激しいらしく、長期旅行から帰宅すると家に死臭が充満している危険も否定できない。『イソギンチャクを死から守れ!』というプロジェクトなわけなのでちょっと高く(3500円ほど)、ホームセンターで安いのがあると店員が教えてくれたが、せいぜい数百円の違いのようだったから購入した。
帰宅して調べてみると、30センチ水槽は照明、ヒーター、ポンプが電源一体になっており、照明だけを自動で入切するわけにはいかないことが分かった(今更かよ!)。ということで、長期外出の際はイソギンチャクを60センチ水槽に移してから出かけようと思う。
更に、それまで使っていた上部フィルターは淡水魚用のもので、要するにポンプが淡水魚用なので、そのまま使うと下手すると火事になるため、ポンプの交換が必要だった。現に1ヶ月水を回していたらポンプに塩がかなり付着しており(塩ダレ)、危険を感じていた。ということで、ポンプの交換を検討していたのだが、海水魚はフィルターの能力がより求められるため、フィルターごと交換することにし、上部2段式フィルターを購入することにした。2千円台と4千円台とがあり、店員に相談したら2万円台を勧められたが、さすがに予算的に厳しいため4千円台のにした。上部が空気に常時触れ、下部はダムになっていて濾材を豊富に入れられる。濾材はこれまでの水槽経験から割と豊富に持っていたので、全部を有効に使えるのがうれしい。
早速帰宅してフィルターの交換を行なった。セット後30分ほどしたらポンプが「カラカラ」と異音発生。早速明日またララポートに行ってクレームを出しに行こうかと思ったが、朝起きてみたら静かになっていたのでもう少し様子を見ることにした。
土曜日、久しぶりに(エリスト引越後初めて)図書館に行ってきた。
一人10冊まで借りられ、多く借りたい日は自分のとBianの図書カードを持っていって20冊借りる日もあるのだが、Bianのカードが見当たらなかったので、自分のカードを使い、子供用の絵本や図鑑を9冊と自分用の海水魚の入門書を1冊借りた。
帰宅後早速入門書を紐解き、熱心に読みふける。いろいろと留意点はあるものの、昔に比べて『海水の素』の威力は素晴らしく、海水魚の飼育も難しくなくなったことが説明されていた。綺麗な海水魚の写真を眺めているうちに、購買意欲が掻き立てられ、当初3ヶ月は海水だけで回す予定で、まだ約1ヶ月しか経過していないが、急遽ララポートまで購入しにいくことに決めた。最初は土曜日に買いに行こうかとまで思ったが、それだけは思いとどまり、日曜日に出かけることにし、土曜日は2つ目の水槽の立ち上げに時間を充てた。
日曜日は7時半にBianが起き、朝から窓ガラスの紫外線除去フィルムを貼った。これが結構時間が掛かり、気がつくとお昼を大きく回っていた。おなかが減ったけど、ララポートに行くならば、ビビットスクエアのラーメン道場でラーメンを食べたいので、おなかが空いたのを我慢して出かけた。今日はニモがメインなので、ラーメン道場についてはさくっと端折って、また別の機会に報告してみたいと思う。
なんやかんやで目指すペットショップに着いたのは4時を回っており、いろいろ物色した上で店員に声を掛けた。その時点で既に子供たちは疲れていたけど、大事なことなのでいろいろ専門家のアドバイスを聞く。NamePが見かねて、子供たちを夢屋に連れて行きお菓子で時間を稼いでいる間、1時間以上店員と相談した。備忘をかねて報告しておきたいと思う。
水を回しておくことについて
バクテリアを増やすためには効果があるかもしれないが、基本的に『海水の素』が解決してくれるので、回しておく必要はない。むしろ、1ヶ月も経過してしまうと『海水の素』に含まれるミネラルがなくなってしまっているので、帰宅したら早速海水を全とっかえした方がいい。水を回したことで珊瑚の砂でバクテリアが成長していると思われるので意味はあったのでがっかりする必要はない。『海水の素』を使う場合、水もカルキ抜きする必要はない。
PH測定について
PHが酸性になっては大変だが、水替えを月2回以上のペースで行なう限り、酸性になることはありえないので、予算をPH測定に使うよりは『海水の素』に回した方がいい。
カルシウム測定について
珊瑚をたくさん入れるとカルシウムがあっという間になくなってしまうため、自分(店員)もカルシウム補充剤を使っているが、『海水の素』にカルシウムは含まれているので、最初から濃度を測定して補充する必要はない。珊瑚が増えてきて、水替えでは珊瑚の育ちが悪そうなら検討すればよい。
硝酸測定について
バクテリアの働きにより、アンモニア⇒亜硝酸(悪玉)⇒硝酸(善玉)となる。アンモニアは淡水魚ではそれほど問題にならないが、海水魚は水質の変化に弱いのでアンモニアの充満はいいことではない。水が出来上がってしまったら、アンモニアも亜硝酸も充満するということはないので、アンモニア測定試薬や亜硝酸測定試薬は不要。硝酸は善玉だが、それでも増えすぎる(測定値の値が20を超える)とイソギンチャクが死ぬので、定期的にチェックしておいた方がいい。水替えで値を減らせるわけだが、常に月2回のペースで行なえるとも限らないので、これだけは買っておいた方がいい。
イソギンチャクについて
蛍光灯2本だけで育てる場合、(店においてある中で)サンゴイソギンチャクだけが買える。他は別途ハライドランプ等を購入して照度を上げないといけない。サンゴイソギンチャクは初心者向きだが、そもそもイソギンチャクは水質変化に非常に弱いので水質の維持をしっかりやってもらいたい。イソギンチャクが死ぬと水が非常に汚れ、海水魚も道連れとなるケースが多いので注意。また、空気に触れるのを嫌うので、水槽に入れる際に水の中で扱うこと。
サンゴイソギンチャクはそれほど毒性がないので、手のひらで触れる分には、わざわざゴム手袋をする必要はない。良く動き、居心地のいい場所を探すので、起きたい場所と違ってもレイアウトはイソギンチャクの意思を尊重すること。小さい水槽でも、ライブロックを縦長においてやれば、その上(蛍光灯に近い場所)に移動して光量不足を補えるので飼える。
シライトイソギンチャク(飼うなら別途ランプが必要)は体内の褐虫藻の光合成によって栄養を取るが、サンゴイソギンチャクはそれだけでは十分でなく、月に1度か、食いが悪い場合は2ヶ月に1度、アサリの身を半分に切って触手に乗せてやると食べる。
生体は、大きくなると30センチになると言われているが、それは海での話で、水槽では光量が十分ではないので、そんなに大きくはならない。店で売られているものも、海では30センチほどあったものが縮んで10センチほどになっているのが実情。せいぜい2、3センチ膨らむかどうかだが、水質がよければ分裂して増殖はする。
カクレクマノミについて
カクレクマノミは60センチ水槽なら4匹ぐらいまで飼うことは可能だが、フィルター次第。外部濾過装置が理想だが、上下一体型濾過装置ならいい水質を維持できると思う。成長してペアができると、他のカクレクマノミを攻撃することが予想されるので、将来は水槽を分けるか、最初から2つの水槽にそれぞれ2匹ずつ飼った方がいい。カクレクマノミの子供は全てオスで、ペアが成立すると一方がメスに性転換する。うまく行けば繁殖できるし、自分(店員)も繁殖させている。店で売られているクマノミは輸入品で現地での扱いが悪く病気になりやすいが、カクレクマノミはブリーダーによって水槽で繁殖されたものなので、扱いやすく病気になりにくい。
カクレクマノミもスズメダイの仲間で縄張り意識が強く、同じぐらいのサイズを選んだが、それでも一番大きいヤツが他を攻撃する。縄張り意識が強いので、小さいカクレクマノミを先に入れ、30分でもいいから後から大きいカクレクマノミを入れると、先に入っていた小さいカクレクマノミの縄張りとして認識されるので、弱い方が攻撃されることを防げる。
水槽に入れるときは、雑菌が体表に付着するので網は使わない方がいい。
イソギンチャク無しでもカクレクマノミは飼えるが、イソギンチャクがある方がストレスがたまらないし、イソギンチャクの毒素で消毒してくれるのであった方がいい。
アカヒトデについて
アカヒトデがイソギンチャクに食べられるとかカクレクマノミにつつかれるという心配はないので共生は可能。えさの食べ残しを掃除してくれるのでむしろ入れておいたほうがいいとも言える。ただし、水質が悪いと溶けてしまうので注意。
餌について
海水魚用の餌を1匹あたり耳掻き1杯分ほど朝晩与えればよい。あげすぎると水質を早く悪化させる。淡水魚用の餌は栄養が十分ではないので向かないが、食いがいいようならおやつ代わりにあげるのは構わない。餌の好みは同じ種でも異なるので、食いが悪いようならいろいろ試した方がいい。ただし、そのうち慣れて食べることもあるので様子を見ながら考える。初日は食べない。
スズメダイについて
スズメダイは縄張り意識が極めて強いので、共生はできず、同種でも1匹しか飼えない。大型種との共生は無理ではないが、先にスズメダイを入れてしまうと大型種でも攻撃する。基本は1水槽スズメダイ1匹。また、安いため、現地での扱いが悪く病気になりやすく伝染病を持ち込んでしまうことも注意する。
ライブロックについて
ミネラルを豊富に含んでおり、水替えのペースを落とすことができるし、イソギンチャクが好む。家にあるサンゴのかけらも半年ほどすればライブロックになりうるので入れておいていい。
大体こんなアドバイスをもらい、結局、ライブロックを特大1個(60センチ水槽用)、中1個(30センチ水槽用)、カクレクマノミ4匹(60センチ、30センチで2匹ずつ)、アカヒトデ(60センチ水槽用)、サンゴイソギンチャク2匹(60センチ、30センチで1匹ずつ)、比重計(海水濃度の測定用)、硝酸測定試薬、海水の素(100リットル用)、海水魚の餌を購入し、2万3千円を使った。海水魚は金がかかり、本で予め5万円は予算を見ておかないと無理という知識がなければ踏み切れなかったと思う。
FFは常に進化し続けており、今作はネットゲームの技術を取り込んで、移動フィールドと戦闘フィールドとがシームレスで区別がないと言っていい。また、ガンビットというシステムでキャラクターの行動をプログラムすることができるため、
これにより、幼児でも手軽にFFが楽しめ、難敵でなければ危うげないため任せられるし、中盤以降戦闘がだるくなっても、ガンビットのときだけ考えて後は割と余裕をかましていられるのでストレスを感じない。
ここのところ更新を怠っておりますが、理由はご想像の通り、期末、期初で仕事が忙しいのと、FFⅩⅡで家に帰ってからも忙しいためであります。現在、LV18です。では、これからまたゲームの世界に行ってキマース。
金曜日の夜にBianがドラえもんの映画が観たいと言い、以前から自分も観る気満々だったので、早速その日の内にネットで予約した。土曜日の朝は、子供たちが割と早めに起きたので、水槽のザリガニをすくい出す仕事を与え、それをビニール袋に入れて、花見川サイクリングロードの途中にある用水路のザリガニがたくさん生息する場所(ザリガニ池)に返しに行くことにした(採ってきたのは隣の公園の水溜りだったが、そこは時々干上がってしまうので)。
久々に子供たち二人を自転車に乗せ、30分ほど漕ぐとホッとする田園風景になり、去年遊んだザリガニ池に付いた。まだ、春先で水もやや冷たく、ザリガニたちは地中に潜んでいるようで静かだった。Bianはカエルに再び会いたかったようだがそれもいなかった。もうすぐ春の草花も出てくる気配で、またピクニックかサイクリングに来たいと思う。
その後、エリストの確認会を終え、映画の時間には多少余裕があったので、イトーヨーカドーに洗濯機を物色しに行った。洗濯機はあれこれ悩んで、ドラム式をNamePが諦められるかどうかが焦点だったが、意外にあっさり諦めが付いたようで、東芝のAW-80VBが79800円とかなり破格な値段であり、自分もNamePもなぜか洗濯機は東芝に惹かれていたので即決してしまった。
大きな買い物を終え、のび太の恐竜を観にシネプレックスに行く。
のび太の恐竜は、昔、おじいちゃんと弟と一緒に観に行った。昔はおじいちゃん家に行くと、よく映画を見せに連れて行ってくれ、月光仮面やウルトラマンなども観たが、何といっても一番わくわくし、一番感動したのがこの『のび太の恐竜』だった。
昨年、ベイタウンコアの図書館で無料でビデオの貸し出しをしてくれるのだが(分署なので取り寄せ)、のびたの恐竜を借りて見たことがある。そのときは、(眠い時間に観たため)いまいちBianは楽しめなかったようで、自分も今の時代では多少テンポが遅く見えてしまう展開にさほどの感動も覚えなかった(不覚にも眠りこけてしまった)。
しかしながら、『のび太の恐竜2006』は、見事に復活しており、あの感動が再び訪れた。映画館で再び、しかも家族で観ることができた、という要素もおそらく感動に貢献していたと思うが、知っているストーリーなのにわくわくし、楽しめた。
そんなわけで、4回ほど泣いたことをBianに打ち明けたところ、Bianは全然泣かなかったと言う。むしろ悪者が怖かったという印象が非常に残っている様子。映画の時にはおちゃらけたシーンで何度も爆笑していたBianだが、怖い記憶が残ってしまい、また観たいと言うかどうか、怪しい。
ラーメン通というほどラーメンにこだわっているわけではないが、おいしいラーメンを自宅でも食べたいという気持ちを常々持っており、また、子供たちにもおいしいラーメンを食べさせたいと思っていた。しかしながら袋ラーメンでそれを実現するのはなかなか困難だった。
そんなとき、土曜日にリンコスにたこ焼きとお好み焼きの具材を買いに行った。たこ焼きは明石焼き風のいい感じで焼け、これはこれで結構自己満足できたのだが、本日の紹介は『てつや』。何気なく物色していたら目に留まり、値段も298円とかなり思い切った値段で、興味が惹かれた(定価は500円らしい)。
手にして商品紹介の文面を読むとこだわりが伝わってきたし、好きなとんこつ醤油なので試してみる気が俄然沸いた。
そこで、日曜日の夕食は『てつや』にすることに。鍋もパスタ用の大鍋を使用し、大鍋なので沸騰させるまでに時間が掛かるため、その間にやかんで沸かしたお湯をどんぶりに注いでスープとうまみスープを袋ごとどんぶりで温める。
それからスープを作るため中鍋に温まったスープをいれ、中弱火でじっくり温めた(なんとなくその方がおいしくなりそうな気がしたので)。スープは普通の袋生ラーメンの倍ほどあり、これは期待できる!と思った。
NamePとBianがツタヤで借りてきた『行け!ザンボット3』をちらちら見ながら火加減を観察し、間に肉屋で買ってきたチャーシューにたれをつけて電子レンジで温めた。ねぎはNamePが切ってくれた。
ようやく大鍋の湯が沸騰し、麺をふぁさふぁさと手で揉み解しながら空気と絡ませた上で大鍋に落とし、3分間湯でほぐす。同時にスープの方も中火に火力を上げて一煮炊きさせた上でうまみスープを入れる。この辺がかなり慌ただしかったが、クライマックスに近づいている感じでうれしくなった。
湯を切って麺をどんぶりに移し、スープを注いだ。にんにくのにおいが割と強く、男らしいラーメンの出来上がりだ。麺は太目の縮れ麺で、多少こしがあり、満足できた。スープは自慢するだけのことがあってかなりおいしい。自宅でおいしいラーメンを食べたい!という希望は十分満たされ、子供たちもおいしいと喜んでくれ、Bianはスープを何度かお代わりした。
強いていえば、チャーシューがちょっとくどく、合っていないと感じた。本場『てつや』ではチャーシューの表面を焼いているらしく、次はそれにも挑戦してみようかなと思う。また、ねぎもうまみを絡ませる上手なやり方がありそうな気がするので、研究してみたいと思った。また、ラーメンをどんぶりに移すのに結構もたもたしてしまい、麺を多少伸ばしてしまった気がしたので、さっと水が切れる道具が欲しいと思った。
ということで、家庭ラーメンのベースとなる麺とスープは決まったので、今後はより一層おいしく食べるための工夫をしていきたい。
日曜日はホームズ蘇我で買い物。車のあるうちに大型のものを買っておこうということで、先週目をつけていたダイニング用の照明を買うつもりで寄った。先週TVボードも物色したのだが、どれも代わり映えせず、なんだかバカらしくなったので、自分たちで作ろうかという勢いになり、NamePはその材料も買おうかと考えていたようだったが、自分は考え直し、家電なんかは5年とか、よくもって10年が寿命だろうが、家具は10年、20年使うことになるだろうから、少々高くてもいいから、納得いくものがあるなら買ってもいいと言うと、NamePが先週目をつけていたTVボードを見せてくれ、なるほど他のとは一味違ったテイストのものだったし、現品限りでかなりお得だったので、これも買うことにした。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲さらに、先週しゃれでカタログをもらってきたルンバを、NamePがたいそう気に入り、先週は自分とBianがデモを見たのだが、NamePも真剣にデモを見入り、結局これも買うことにした。掃除機は、自分が一人暮らしのときに買った10年選手の安物なので、この際新しいものを買おうと思っていたのだが、こちらもどれも代わり映えせず、何を買ってもいまいち満足感に乏しい感じだったので、ルンバを買うことにして今の掃除機をそのまま使い続けるという選択肢はなかなかナイスだった。
早速次の日からルンバが活躍しており、毎日の家事が一手間助かり、NamePは満足の様子。掃除が終わると勝手に充電器(ホームベース)に帰る仕様なのだが、外出から帰ると、カーペットに引っかかって動けなくなっていたり、充電器のない部屋を掃除していて、電池がなくなって力尽きていたりと、なかなかホームベースにたどり着けないでいるが、その分愛嬌のあるロボットだ。我が家ではルンバ君と呼ぶことが多いが、Bianは丸いので『マルちゃん』と呼ぶ。
そんなわけで、TVボード、ダイニングの照明、ルンバ、レンタカー、宿泊、ぞうの国、イチゴ狩りなどで、週末2日で30万円以上使うという、驚きの週末となった。
日曜日は、予想通り朝から雨で、しかもかなり本降りだった。雨でも楽しめるところ、ということでイチゴ狩りに行くことに決めた。しかし、その前に宿泊費の支払がある。カードが使えるだろうと高をくくって、現金をあまり持ってこなかったが、ロビーで新聞を読んでいると現金決済している人が目に付き、気になってカウンターに行ってみたが、使えるカード会社の表示はなく、古ぼけたレジがあるだけでカードの読取装置も見当たらない。かなりあせりを感じて、財布の残高を確認。NamePにも所持金を聞いたが、宿泊費を払うには僅かに足らない。
あせりはピークに達し、宿のパンフレットを隅から隅まで見るも、支払に関する案内は無かった。しかし、ここの宿も加盟しているというカントリーイングループの案内にはカード決済可の文字があった。ようやく胸をなでおろし、精算をお願いしに行ったところ、カードリーダーは奥の部屋にしまってあったようで、基本は現金決済、カードも一応対応してますよ、ということのようだった。
オーナーに次の目的地を聞かれ、イチゴ狩りに行く旨伝えたら、提携している農園の割引券をくれた。農園の電話番号で目的地設定をして15分ほど車を転がす。農園の駐車場は空き地を代用しており、地面はぬかるんでいた。子供たちを歩かせたら大変なことになるので、ひとりずつ抱っこして受付と駐車場とを往復。さらにイチゴ狩りのハウスまでもかなり距離があって、おそらくHikaruは途中でこけて水浸しになるだろうから、抱っこして移動した。
ハウスに到着するとイチゴのいいにおいがしており、Hikaruはすっぱいのがあまり好きではないのだが、練乳の甘さが気に入ったようでパクパク食べていた。イチゴは雨だからか、よく冷えていて、前にイチゴ狩りに行ったときは生ぬるくて数多く食べられなかったが、たくさん食べられて満足した。途中で2回「おしっこ」攻撃にあい、ハウスの外の側溝で立ちションさせたが、移動の前にちょっと出ちゃったみたいで、本人は思いがけない己の失態にかなりパニクっていた(笑)
Bianは元を取るという観念が無いので好きな量を食べ、淡白な感じだったが、帰り際に練乳のおかわりを要求するところなど大物振りを発揮していた。
楽しくイチゴを狩った後、曽我のホームセンターに向かった。これが本日のメインイベント。途中道の駅で休憩し、その後は高速道路にも乗って、快調にドライブ。
というところで本日も時間切れ。続きは明日、かな?
市原ぞうの国を出たのが4時。出発前に館山の宿に電話したところ、1回目の食事の時間(6時)には間に合わなさそうだと言われた。途中でもう一度電話すると伝え、ここからは、安全運転を心掛けながらも、山道でもあり、車はオートマだが、ギアはD、3D、2、1に切り替えられるので、下り坂、カーブではギアを落としてエンジンブレーキを掛けながら、多少メリハリのある運転を行った。エンブレの音は心地よく、また、ブレーキのようなGが係らないので、皆も前後に揺らされることは少なかったと思う。
道はナビが案内してくれ、案内を無視してしまっても、すぐに最適なルートを再計算してくれるので、迷うことはなかった。一昔前なら地元民しか通らないような道や、複雑な交差点でもストレスなく通過でき、本当に便利な世の中になったのだなぁと感心した。
宿には6時15分に到着したが、6時前に現在地を連絡していたので、6時の食事に間に合った。結局運転を全て自分が行い、疲れをとるために浴びるほどお酒を飲みたい勢いだったが、ギネスビール1本で結構酔いが回り、疲れが出たのか、それ以上飲む気にはならなかった。
夕食は洋食で、魚も出たが、正直可もなく不可もないというところ。以前、箱根の温泉宿で猪鍋を食したが、あのときのような感動は得られなかった。
夕食後、部屋のトイレでHikaruが便器から落ち、入り口の上がりがまちに鼻から突っ込むハプニングが起きた。居合わせたNamePの報告では、死体かと思ったという(笑)あまりの痛さで十数秒間声も出なかったようで、自分が部屋に戻ったときには鼻血がたらたら出ていた。しかし、普段からほとんど泣かないHikaruは、見上げた根性の持ち主で、戻ったときには既に泣き止んでいた。その後、家族風呂に入ったものの、さすがにタマちゃんも一緒に家族5人で入るには、手間が多すぎて(湯船は十分広かったが)、子供たち二人を自分が入れ、NamePはタマちゃんを抱えながらビデオ撮影することになった(後で部屋の風呂に入浴)。
一段落し、NHKで荒川静香の金メダル特集をしていたのでそれを見て、ロビーにおいてあったオセロをした。Bianはすぐにルールを覚え、天性の勝負師らしい一面が表れた。2度オセロをした後、就寝。
というわけで、昨日紹介したぞうの国がメインイベントとなり、その後は流したという感じで、あまり報告することも無かったのだが、そうした中でもHikaruの鼻血は大ハプニングだった。というところで本日のお昼休みも終了。また明日。
そんなわけで、昼食をとりに山道を登った。狭い園で、所狭しと動物たちが配置されているので、子連れで移動する立場としてはありがたい。
上ったところにレストランがあったのだが、その隣に『星になった少年』を記念した建物があった。自分は全然知らなかったのだが、映画『星になった少年』とこの市原ぞうの国には関係が深いようだった。
そこで、昼食後、子供たちをウサギやモルモットと戯れさせている間に、自分はその建物を覗いてみることにした。すると、少年坂本哲夢氏が日本で初めての象使いになることを決意してタイに13歳で一人赴き、修業の後に日本中の動物園で年老いてお払い箱になった象たちの楽園を作りたいという母(園長)の希望を叶えるため、ぞうさんショーの開催を実行にうつし、各地のイベントに積極的に参加したりして、資金集めに奔走、タイからは修行時代の縁故を頼って象使いを日本に呼び寄せ、本格的なぞうさんショーが出来るようになったのだが、彼の果たした役割が非常に大きかったことが分かった。そして、建物が建つぐらいだから想像していたとおりなのだが、哲夢氏は20歳の若さで交通事故で死んだ。
夢半ばにして死を迎え、その志は10歳年下の弟が受け継ぎ、弟はやはり中学生のころにタイに修行に行き、今は市原ぞうの国で象の飼育係を務めている。彼の死後、一家は一度ばらばらになり、そして再び結束した。そんな、悲しいながらも感動のストーリーがあったことを知り、自分は哲夢氏に最高の敬意を払った。
彼の死は、ご一族にとっては悲劇そのものであろうが、彼の死により、日本中のぞうさんたちが幸せになろうとしている。勝浦ぞうの楽園という、ぞうさんのための安息の地が用意され、維持されていることは、哲夢氏の死をきっかけに、多くの人が感動を覚え、協力した結果だろう。飼育等に従事している方々も、不平不満はあろうとも、哲夢氏の存在による結束があればこそ、今日まで幾度の危機を乗り越えてきたのだと思う。こういうと誤解を招くが、敢えて言うと、哲夢氏の死は、象たちの幸せのために必要とされたものだったと思わないではいられない。
そういうわけで、千葉県民たるもの市原ぞうの国に訪れずして県民を名乗る資格が無いとさえ言える。哲夢氏の死を無駄にしないことが、生きている我々の果たす役目だ。
お土産屋には『星になった少年』のDVDが販売されていた。通常版は3900円だったが、初回限定版は6500円でこちらには、哲夢氏本人の映像記録やらいろいろ特典が付いており、迷わず初回限定版を買った。旅行後も、DVDを見ることで哲夢氏の遺志が伝わり、何度も感動している。
初回限定版のDVDを買った人には入園チケット(1800円;期間限定なし)がおまけで付いており、これで再びここを訪れることが確定した。
というわけで、今日のお昼休みも終了。続きはまた明日。
さて、最初の目的地は市原ぞうの国だ。
ここは、前回の房総半島旅行の際に、NamePが行きたがっていたのだが、雨で断念したところで、実は自分はあまり関心がなかったのだが、NamePは行けなくなったことをかなり残念がっていた。今回は、象に乗れるということが4歳になったBianにとっては非常に魅力的だろうと思ったので採用した。目的地設定はぞうの国の電話番号で登録できたので非常に簡単だった。
市原市までは迷うような道でもないのでナビの音声案内を行わず、音楽を聴きながら快適なドライブを楽しんだ。助手席のBianは適応能力が高く、早速ダッシュボードのCDを選択し、聴きたい音楽のCDを交換していた。シートベルトがされているので、手でダッシュボードを開けられず、器用にキックして空け、キックして閉めるという技も披露してくれた(笑)
市原市からは音声案内が導いてくれ、12時ごろ到着。入り口で動物にあげるえさを買い、Bianは早速キリンににんじんを、アヒルにキャットフードみたいなアヒルのえさをあげ、ご満悦状態だった。その後、ワニ、ヘビ、亀、サルなどを見て、猫と触れ合う小屋でしばらく過ごした。たくさんの猫が思い思いの場所でくつろいでおり、なでていると癒された。
その後、メインイベントのぞうさんショーが始まり、ビデオを回しながら鑑賞した。象使いたちの巧みな指示にもとづき、5頭の象が座ったり、足を上げたり、サッカーをしたり、絵を描いたりして我々を楽しませ、驚かせた。特にサッカーはものすごいキック力があり、人間が受け止めたら吹っ飛びそうだし、バスッというあのキック音を聞いたら思わず頭を抱えてしまうだろう。期待以上に象がいろんなことをしてくれたので非常に満足した。
その後、ぞうさんライドショーの時間となり、事前にチケットを購入していたので、BianとNamePは乗せてもらいに行った。Hikaruとタマちゃんと自分はお留守番で、Hikaruには申し訳なかったが、最近怖がりが増しており、怖がって乗りたがらないリスクがあったので購入を見合わせたのだ。
ということで、Hikaruはバナナをぞうさんにあげに行き、自分はタマちゃんを抱っこしながらHikaruをサポートした。バナナをあげられたことがとても感激だったようで、おねーちゃんがぞうに乗っているのをみても駄々をこねず、自分の息子ながら良く出来た子だと感心した。
Bianは小象に乗ったのだが、それでも想像以上に高く、怖さ半分、それでも非常に楽しかったようだ。
その後、遅めの昼食をとりに行ったのだが、ここで本日のお昼休みは終了。続きはまた明日。
日頃の疲れから、木曜日の晩に突然旅行に行きたくなったので、深夜にネットで下調べしたうえて金曜日に宿とレンタカーを手配して房総半島に旅行してきた。
最近仕事が忙しくて疲れていたし、その影響で育児を手伝えずにいたのでNamePも疲れが見えていたし、(疲れから)親が手を抜いているため子供たちもストレスが溜まっている様子で、いろんな意味で『悪い気』を追い払うための気分転換が必要だったわけだ。
というわけで、家族風呂のある温泉宿を探した。高い旅館は敷居も高くて落ち着けないので、小市民には小市民らしい宿がふさわしいと考え、【ペンション】をキーワードに検索した。いくつか候補があったが、この季節の房総はハイシーズンなので突然の予約は厳しそうだったが、神は我々を味方して、我々好みのカントリー イン ザ リンクスの予約が取れた。値段的には大人12,000円ぐらいで高すぎず安すぎずニーズにぴったりだったので即決した。
続いてレンタカーの手配で、金曜日の朝には、レンタル希望日時の24時間前を既に回っており、ネットでの予約は拒否されたのでリトル心配したのだが、予約センターに電話したら希望のクラスが希望の日時で予約できた。
金曜日は雨だったので天気が心配されたが、日曜日は雨になるものの、土曜日は晴れになるようで、実は、普段車のない生活の我々にとって、レンタカーをしたときが絶好の買い物日和なわけで、日曜日は新居のための買い物を目論んでいたので、雨は選択肢が狭まって判断が鈍らないのでむしろ喜んだ。
そんなわけで、土曜日の朝は7時に目が覚め(家族は寝ていたが)、ダイエットも兼ねて歩いて稲毛海岸の営業所まで車を借りに行った(45分)。車はホンダのストリームでカーナビが付いており、キーは電子ロックだったので、車種のことはあまりよく分からなかったけど、それだけで満足した(笑)。チャイルドシートは児童用、幼児用、乳児用が既にセットされており、助手席に児童用がセットされているところなど、Bianの満足顔が目に浮かぶようでうれしかった(笑)
本当に久しぶりの運転だし、6人乗りのワゴンなのでちゃんと車を転がせるか心配したが、車幅が広いわけでもなく、乗りやすい車のようで最初の心配もすぐに解消された。車をマンションに付け、家に戻ると、ナナナント連中はまだ寝ていた。多少むっとして皆をたたき起こし、皆が朝食をとっているあいだに、自分は(車とナビの)マニュアルに目を通し、いくつか行きたいと思っている目的地をナビに登録し、旅行中に聴こうと思っていたCDを助手席にセットした。ようやく出発したのが10時ちょっと前。
さあ出発しよう、と縦列駐車からフロントを30センチほど出そうとしたところ、自転車が側面を横切り、リトルびびった。スタート後1メートルも進まないで事故ってしまったらしゃれにならない。用心用心。
というところで本日のお昼休みは終わってしまったので、続きはまた後日。
私は幼少のころから「筋を通せ」「筋が違う」と、ことある毎にというのは大げさですが、結構な頻度で親父殿から『筋』ということを諭されてきました。当時は、(筋なんかそんなもん知るか!)と、理解に苦しむこの言葉に反発を覚えたわけですが、30年も生きてきますと、なるほど筋というものが人間社会の大切な財産なのだということが分かってきます。
そして、『筋とは何ぞや』ということを哲学するわけですが、『筋』というものがなんとなく理解し、身についてくると、まあそれで事足りるわけでして、『まっすぐに生きること』『自分に正直に生きること』という程度の理解でよしとしておりました。
ところが昨日、ふと『筋』というものを考える機会がありまして、次のような解釈を展開したわけであります。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲親父殿が嫌うことのひとつに『言い訳』がありました。したがって、私も物心付いたころから『言い訳』は極力しないよう心がけ、そのため、弁解したい場面でも弁解できずにほぞをかむ機会も多々ありましたが、しかしながら、その反面、『言い訳』する必要が生じるような落ち度も減ったわけです。
それはそうとして、昨日の思いつきですが、『言い訳』することと、『理由』を述べることとは似て非なるものだということが、この年になって初めて核心を理解したわけであまり威張れる話ではないのですが、とにかく両者の違いが分かり、慧眼の境地に至ったわけです。
起こった現象を説明する道理に適った理由を説明することは、なんらやましいことはなく、聞く側もそれを望んでいるわけです。対して、『言い訳』とは、情状酌量の余地というようなもので、理由を説明しているわけではなく、『女々しい』ということになります。
まあ、それだけのことですが、私にとっては大発見だったので、恥ずかしい文章ですが、ご紹介した次第です。
ここのところブログの更新が途絶えており、申し訳なく思っております。
(あれ、ちょっと勘違いかな^^;)
最近仕事が激しく忙しい状態で、いいのか悪いのか分かりにくい状況なんですが、総合的に見ていい方向に向かっておりますし、何より自分を鍛える絶好のチャンスなので、日々業務に邁進しております。しばらくの間、割りと流しながらの仕事振りでしたので、久々に全知全能を傾けるに値するやりがいのある状況に幾分嬉々としながら、多分にオーバーヒート気味で多少疲れながらの毎日です。
ということで、何をやっているのかこんな書き振りでは何も伝わらないとは思いますが、そこは機密にかかわりますので、ご容赦いただき、とにかくVulcanはがんばっているようだ、とだけご理解いただければ幸いに存じます。
ということで、またいつ更新できるか分かりませんが、と言いながら、もしかしたら明日以降もノリで更新し続けられるかもしれませんが、一つ今後ともごひいきにしていただければと思います。よろしくお願いします。
2005年4月20日のブログで我が家の家訓を定めた。これを今一度振り返る。
責任ある行動・発言は信用(信頼)を築く唯一の手段である。つまり、筋を通すことを常に念頭に置こう。
人生は一度きりであり、時間は逆戻りしない。つまり、何事も全力で挑戦し、悔いのない人生を送ろう。
可能性は無限大であるが、限界を作るのは自分自身。つまり、自分の可能性を信じ、限界を超える勇気を育むもう。
血は水よりも濃いが、家族の絆は当然には成立しない。つまり、家族を愛し、共に歩み、互いに助け合おう。
一所懸命でありさえすれば苦しみさえも喜びに変わりうる。つまり、毎日を真剣に楽しもう。
世の中は完璧、完全、純粋なものほど弱い。つまり、極端に走らず、常にバランスを重視しよう。
今振り返ってみても、我ながらなかなか良い出来栄えだと思う。追加したいことはないか、考えてみた。
人生の愉しみは真の友との交流にある。
つまり、相手を信じ、真心を持って接し、義理人情を大切にしよう。
友情を手にしたければ、与え続けることである。
つまり、一度や二度の拒絶に屈せず、勝ち得るまで試みよう。
人それぞれ役割がある。
つまり、分をわきまえ、己の長所を活かす道を歩もう。
2つめがいまいちだが、とりあえず今日のところはこれでよしとするか。
年末に子供が生まれたため、今年は生まれて初めて確定申告をすることになった。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲とは言っても、扶養控除の修正だけで、医療控除も該当しないことを確認したし、株も投資信託もやっていないので非常に簡単だ。
とはいえ、税務署に行かなければならないのは面倒だから、なるべく手間をかけない方法を選びたい。
申告する所得が給与所得や雑所得、配当所得、一時所得だけで、予定納税額がない場合、確定申告書Aの様式を使うらしく、手続は国税庁の解説が詳しい(といっても、私の場合は扶養控除の修正だけなのでほとんど読む必要は無いが)。
また、いくつかの疑問点は国税庁のQ&Aに回答が載っていた。
このQ&Aで『還付申告書の場合は、平成18年2月15日(水)以前でも税務署に提出することができる』ことが分かった。早く提出すればその分早く税金が返ってくるということで、1月に半日休暇を取る予定があり、何かと物入りになる時期を前にして、税金が早く戻ってくることはありがたい。
唯一解決できなかったのが『届出は勤務先の住所地を管轄する税務署でもいいのか?』という疑問で、これはしっかりちゃんの税金日記の方で解答が見つかったが、住所地の管轄税務署でないと駄目なようだ。
確定申告書については国税局に確定申告作成コーナーというのが用意されている。特別にソフトをインストールする必要もなく、データもバックアップを取る事ができるので、途中で中断も可能であり、自動計算可能な箇所は勝手に計算してくれるし、非常に優秀なソフトだ。おかげで30分ほどで確定申告書が出来上がってしまった。
恥ずかしながら(恥ずかしいことなのかどうかよく分からないが)この年まで確定申告をしたことがなく、いつも年末調整を会社にしてもらって(自分が計算してた年もあるが)終わりだった。
今年は、タマちゃんが年末に生まれたため、確定申告が必要となり、確定申告をする側として知識を身に付けることになった。
その結果、これまで分かっているようでいまいち理解できていなかった医療費控除について理解が進んだ。
医療費控除の基本的な仕組みはある程度理解できているのだが、問題は何が医療費として認められるのかである。具体的には、我が家の場合ほとんど医者にかからないので、出産費用が対象になる。
これまで、出産費用は健康保険の対象外で、一般におよそ40万円ほどかかるが、代わりに出産育児一時金として30万円を受領するため、
「ため」といったが、「ため」なのかどうかよく分からない。
要するに健康保険の対象から外れているのだから、つまり医療行為ではないわけで、ということは医療費控除の対象にはならないのではないかという思い込みがある。
あるいは、40万円が医療費だとしても30万円は出産育児一時金を受領するため、実質的な負担は10万円であり、医療費控除が基本的に自己負担が10万円を越えるまでは効力を発揮しないことから、医療費控除は受けられないことになる。
結局、いずれにしても医療費控除を受けられないので理解が進まなかったのだが、ここらで知識を整理して、備忘のために記録しておくのがいいと思う。
今回の調査で出産費用が医療費控除の対象であることが確認できた。
これに対して、出産手当金(仕事を持っている人が健康保険から受け取る手当金)は医療費から差し引く必要はない。
ということで、出産に関してかかった実質的な医療費は10万円程度が相場ということになる。我が家の場合は自宅出産なので実質的にはほとんどかかっていない、というかマイナスになる。
千葉市では3歳までは病院で手当をしてもらっても自己負担は200円で済むため、我が家の場合、出産費用以外に申告するような医療費はほとんどない。
ということで、医療費控除はまたしても対象とはならないことが分かった。
しかし、これを機会に、医療費控除の対象となるケースとならないケースの例示を見て、随分勉強になった。
相変わらず笑い爆発の『うちの三姉妹』だが、中でもきんこちゃんネタが大好きだ。しかし、うちの三姉妹は危険すぎる(笑)会社では絶対読めない(笑いをこらえる自信がないので)。
最近あった不可解なこと
初めてきんこちゃんを見たのだが、頭巾をかぶっているからきんこちゃんなのか?、ゆきんこがこんな格好だからか?謎だ、謎過ぎる!!
そして、「この子はくわんてい」とは何を意味するのだろうか?探偵?名犬チーズ?
次女観察記
こちらは次女がきんこちゃんスタイル♪三姉妹で一番わらかしてくれるのが自由人のスーちゃん(次女)だ。自由人の空気が伝わってきて、自分も非常に自由な気分になれる(笑)しかし、当然一番危険なのも次女ネタだ。抱腹絶倒間違いなしなので、周りに誰もいないときを見計らう必要がある。
ダッシュでダイエットを閉鎖し、ダイエット関係をまたこちらの日記につづることにしたんだけど、体重が増加する一方なので、報告する気力が沸かなかった(爆)
11月から週末はなるべく走るようにしているのだが(ということは月に数度しか走っていないわけだ)、クリスマスに自分へのプレゼントでエクササイズボール買ったはいいけど、ボールに乗ってころころ転がっている(というよりただよっている?)だけなので運動になっているとは思えない。ようやく最近2時間ほど歩くように方向転換したのだが、NameP母が来て以来食事の量がかなり増加しており(胃袋がずいぶん大きくなった気がする)、増加を食い止めるのに役立つ程度か?(しかし、NameP母が帰ってしまったら、妻と子供3人を置いて2時間も歩きにいけないだろう)
そういうわけで体重は未踏の75.4キロを記録。体重が増えたせいか腰も痛いです(泣)
こうなったらブログに報告して自分を戒めるしかない、ということでこれを書いてます。
子供と走り回りながらダイエットするのが(自分にも家族にも)一番無理がない(したがって、結果的に長続きする)と思うので、ベイタウンで子供が幼稚園児~小学校低学年ぐらいで、ダイエットを意識しているパパ友がほしいと切実に思います(笑)エリストでそういうサークルができるとうれしいです。
(日付的にはもう1月3日になってしまいましたが)あけましておめでとうございます。
昨年は仕事では『チームワーク』、家庭では『夫婦協力』ををモットーに充実した一年を送ることができました。
お陰で仕事の方は、自分ひとりが張り切ってワンマンプレーになりがちだった一昨年までとは違って、よい同僚に恵まれ、取引先の人にもいろいろと応援してもらい、自分ひとりでするよりも何倍もいい仕事ができました。家庭でも、子供たちはすくすくと育ち、(家族会議という形式は長続きしませんでしたが)常日頃夫婦でいろいろ話し合うことも多くなり、いい傾向にあると思います。
いろんな人に感謝したい、いろんな人の役に立ちたい、そういう願いをもって『チームプレー』『協力』をテーマに選んだわけですが、『ForYou』の精神が回り回っていろんな人の好意をいただけるようになったのではないかと思います。したがって今年も引き続き『チームプレー』『夫婦協力』を心がけたいと思っています。
また、新たに今年のテーマとして『集大成』を掲げようと思います。何事も詰めが大事ですし、仕事は今年が一番大事な年だと思っていますし(毎年そう思っているのですが・・・)、家庭では新居への引越がいよいよ目前に迫っておりますし、何しろ今年は年男ですから(笑)昨年は『ForYou』精神初年度だったわけですが、そこでの伏線が今年は活きてくると思いますので、今年は集大成できると思うわけです。
というわけで、今年も皆様よろしくお願いします。
ついにブログランキング総合1位を獲得したきっこのブログだが、とうとうイーホームズの藤田社長からメールが届いてしまった!
メールの内容は、きっこのブログが重要情報であるとの会社判断から、イーホームズのホームページにリンクを貼ったという連絡メールと、その後の藤田社長による事件の重要情報の開示であり、いずれもきっこからのブログでの公表依頼に対して藤田社長の許可が出たので、こうして我々も見ることができるようになったわけである。
しかし、一昔前なら大物政治家の圧力によって闇に葬られていたはずの事件が、こうして、全容解明まではまだいっていないものの、かなりの部分を明るみに引きずり出せたわけで、ブログの威力がこうして発揮されたことは、新しい時代を感じさせられる。
また、長期的な観点として、今回の事件で自民党がどれだけ支持を落としているのか、非常に興味を持つ。
数ヶ月前、世の中は小泉一色、自公連立一色の時代だったわけだが、きっこのブログやそれに類するブログが力をあわせて、政治の闇の圧力に屈しない姿勢を突き通し、真に情報が国民のものとなってほしい。
ということで、情報が、一部の権力者のものだった時代から、圧力だけでは押さえ込むのが難しくなった時代に突入した。これからの時代は、不正を隠蔽するとか、うそをうそで塗り固めるとか、そういうことが通用しない時代になってきた。
藤田東吾社長のメールの以下の文面が心を打った。
こうした闇が白日の下に曝されることが21世紀の日本には大事なことだと思います。
きっこはF1が大好きで、中でもバリチェロがごひいきのようだ。
最近、深夜にF1を観ることもなくなってしまったが、鈴鹿の爆音をまた聞きに行きたいなと常々思っていたところ、きっこのブログを見たら、今年のF1がひどいことになっていた理由としてタイヤ交換が認められなくなっていたというのを知ってびっくりした。更に、来年はエンジンが2.4リッターに規格が縮小される話で、これまたびっくり。鈴鹿の爆音もどうなることやら、と思ったけど、鈴鹿から富士に変わるんだっけ?富士の方がまだ近いので行きやすくていいかも、なんて思いながら、遠のいていたF1熱を、きっこのブログをきっかけに盛り上がってみるか、などと思ってもすでにシーズンは終わっているので、今から開幕までモチベーションをキープできるかどうか。
そんな中、『おでん大作戦』を楽しく読んでいたら、2005年07月25日の『きっこスーパーGP』が紹介されていた。
『おでん大作戦』にしろ、『きっこスーパーGP』にしろ、彼女は一体何者なんだろう?何でこんなに面白いのか?毎日毎日ストーリーの豊かな日記が書けるのには素晴らしい。
あるときは、悪徳商人や悪徳代官を懲らしめ(笑)、あるときはガスや水道が止まったと貧困を訴え(笑)、張り巡らされたネットワークからいろんな情報が寄せられ、自分でも調査に乗り出し(結構な時間が必要そうな)、それでいながらTVも割りと見る時間があるようだし、日記もあれだけの長文を毎日書くにはそれなりの時間がかかっているだろうし、ちょっと超がつくほど頭が良くなければこなせなさそうなほどなのに、『高卒のヘアメーク』と自らを称し難しいことはよく分からんという。確かに分かってない部分もあるようだけど、直感は鋭いっていうか、正しい方向を向いている。
そんなきっこ、素晴らしい文章力で、せっかくブログなんだから、カテゴリー分けや月別アーカイブをもう少し凝ってもらえるとうれしいのだが、『トラックバックもあまりよく分からんので受け付けてない』と言っているので、本当に分からないから凝ってないのか、やはり、甘やかしすぎは良くないということでわざとそのへんを不親切にしているのか、実態はよく分からない。
そういうわけで、自分はきっこのブログを整理したい衝動に駆られるのだが、無断転載は堅くお断りされているので引用なしでどこまで紹介文を書けるか分からないけど、きっこのブログをカテゴライズすることにトライしてみたい。
最近お気に入りのブログはなんと言っても『きっこのブログ』だが、それに匹敵するぐらい更新を楽しみにしているブログとしてうちの3姉妹~マンガで見る今日の出来事~がある。
フーちゃん、スーちゃん、チーちゃんの三姉妹の子供らしい行動をコミカルな漫画で表現していて、自分の子供と共通なところがあったりするととても親近感がわくし、そうでなくてもとにかく笑える。
一押しは2005-12-12 の日記の背中を向けながら「あい」というチーちゃんで、その姿を見て思わず大笑い、その後も何度か思い出し笑いをしてしまうぐらいつぼにはまった。
我が家もまもなく子供が三人になる。子供二人の今でもとっても楽しいけど、三人になるともっともっとにぎやかになるだろうからとても楽しみだ。ただ、二人抱っこはできてたからいいけど、三人抱っこはさすがにできないと思われるので、そうしたことで争いにならないかちょっと心配。
3人目が生まれたら、それを契機に、もう少し子供たちとの楽しいやり取りをご披露して『うちの3姉妹』のようなアットホームで『子宝』なサイトに持っていきたいなと思う。
きっこの日記もしくはきっこのブログが、今、大のお気に入りで、あらためて紹介します。
このサイトとの出会いは、姉歯建築士の構造計算書偽装事件を『e-マンション』の掲示板で追いかけていたところ、紹介されて知ったことがきっかけなんですが、それ以来、大、大、大ファンになっちゃいました。
もともとは芸能ブログというジャンルで書いていたようだけど、そこで張り巡らしたアンテナの網が構造計算書偽装事件で一気に花開いてブレイクしたって感じで、初めて知ったころはブログランキング総合10位ぐらいだったのが、今や3位。ブログ女王の座も近いと思う。
とにかく、彼女の提供する情報が新聞やらTVの一歩も二歩も進んでいるというのにまず驚かされるが、TVや新聞は情報統制が行なわれているので、それが無い分早いというわけなんだろうけど、今やマスコミ関係者も彼女を応援しているというか、自分たちでは記事にできないネタを取り上げてもらえるよう情報提供しているようだ。
彼女の文章は長いが、長さを感じさせないというか、読んでて疲れない。非常にリズミカルで読んでて楽しいし、非常に尊敬できる、愛すべき人物であることが文章から読み取れるし、ブログランキングで1位になるよう、つい応援(クリック)したくなる。既に更新をチェックするのが日々の楽しみとなっている。
とはいえ、頭のいい人の常なのか、彼女も気まぐれなお人のようで、時々うそをつくことを公言している(2002/7/24の日記)。したがって、全部を端から鵜呑みにするのはリスキーなので、いろんな角度で読む必要があると思うけど、とにかく読み物として面白いので、これからもきっこを応援していきたい。
RENの日記のRENも似たような、頭のよさを感じさせる文章を書くので自分は大好きで、きっこに通ずるものを感じる。彼女の日記も更新されるのが楽しみなブログの一つだ。
小遣いといえるかどうか分かりませんが、うまい棒1万本が当たるかもしれないキャンペーンがロリポップで始まりました。
一体、1万本もうまい棒が当たってしまったらどうしたらいいんでしょうか(笑)
▼続きを見る⇔折りたたむ▲さて、今後、こうした小遣いネタをご紹介していきます。
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2004年1月以降、愛知県・岐阜県・三重県で、
マイホームを購入・建築された方対象にアンケート実施中!
回答者全員に3000円!
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首都圏、関西、中京で住宅を購入した方(2004年、2005年に契約した方)であればアンケートに協力した方が得だと思います。
有楽町ソフマップのお陰でマザーボードとHDDが故障の原因だと特定でき、それらを交換して復活した。
旧HDDは結局普通には読み込めない状況だったので処分(データの吸い出しをする業者に頼めば5万円ぐらいでやってくれると言っていたが)。
しかし、今回の一連の修理騒動で随分勉強になった。マザーボードのマニュアルや組み立てマニュアルを読み直しPCの構造を再確認することができたし、最近のデスクトップの情勢が分かったのも大きかった。特にCPUのクロック数とメモリのクロック、HDDのバスクロックの関係を担当してくれた有楽町ソフマップのY氏が親切に説明してくれ、また、今後カスタムアップする場合の指針も提示してくれて、非常に有意義だった。
これまでの状況をSE殿と検討した結果、CPU、HDD、グラフィックカード、マザーボード、電源、メモリなど、要するに全部が故障していないとは言い切れない状態であり、個別にチェックするにも大変だということになった。
一方、今、デルで3万円を切るデスクトップマシンが売られているとのことで、いっそのことそれを買うことを勧められた。
確かに、規格も新しくなってしまっているので、古くなってしまった規格のPCにこだわるのは得策ではないような気もするし、またどうせ今後も変わっていくのであるなら、3万円ぐらいのPCの方が後々のダメージが少なくてよいのかもしれない。
特に、今はPCゲームにふけるという時期ではないし。子供たちがもう少し大きくなったときにPCゲーム用のマシンを気合を入れて買えばいいわけだから。
というようなことで、PCを買い換える場合、おそらくHDDは新しい規格であるシリアルATAでの接続になっているだろうが、古いIDE接続のHDDをスレーブ接続できるのかどうか、使えるけど使われなくなる中古パーツを部品として買い取ってもらえないかどうか、そのあたりを調査するため、有楽町ソフマップに寄った。
いろいろ物色してみたところ、HDD、メモリ、グラフィックカードなどは古い規格も中古で売られており、安く上げられないでもなさそうだという感触を得た。
一方、本体一式としては、中古で2、3万円のものがあり、新品でもバーガーセットや牛丼セットなどが相変わらず売られており、安いので4、5万円だ。スペック的には、グラフィックボードがついていない(オンボードになっている)のと、メモリが少ない点が今のPCに劣っている。
つまり、HDDやCPUは多少速くなっているものの、グラフィックが劣るし、メモリも少ないので体感的には遅くなったと感じるかもしれない。
一通り物色が終わり、そもそもの目的であった2つの疑問を解決するために、買取窓口の兄さんに相談してみたところ、素人の要領を得ない説明にもかかわらず真剣に耳を傾けてくれた。やはり、状況的には先のSE殿と相談した結論と同じく、最初はHDDだったのだろうが、どれもが怪しい状況にまで陥ってしまっているようだ。
そこで、修理センターに持ち込んでとりあえず故障箇所を特定し、修理代の見積を見てから決めてはどうかと提案された。聞くと故障の点検は僅か2100円でしてくれるという。まあ、直してくれるわけではないのだが、2100円で診断してくれ、今の八方塞の状態から抜け出させてくれるのは非常にありがたい。
修理センターの担当の方も、これまた親切で分かりやすいアドバイスで、診断状況にもよるが修理代は2、3万円かかるかもしれないこと、それに対して、修理するぐらいならバーガーセットとかを買った方がいいのか、今のPCとバーガーセットを比較してどう思うかと聞いたところ、今のPCのスペックは十分現役で通用するし、グラフィックカードとメモリが今のPCが上回っているので、はるかに速く感じるだろうという感想を聞かせてくれた。したがって、修理の意味はあるわけだ(グラフィックカードとメモリが故障していたとしたら考え直さないといけないが)。
というわけで、非常に頭が整理された。早速修理の仮受付をお願いし、宅急便で送ることにした。
ソフマップという会社は世の中で絶対に必要な会社だと強く思った。
ビープ音が鳴っていないことから、マニュアルが指摘しているようにCPUが認識できていない可能性、ネットで検索したところ、同じマザーボード(P4PE)の掲示板が見つかり、そこでは同様っぽい現象をメモリの交換で対処しており、メモリが壊れた可能性、また、CPUやメモリよりは壊れやすいらしいビデオカード、マザーボードが原因であることも否定できず、さらに、そもそもの発端であるHDDも故障と見るべきだろうし、CD-ROMも「サラサラ」と砂が転がるような変な音がする。
そうした状況の中、会社のSE殿に相談したところ、意外な事実が判明した。
この2年半のうちに時代は随分進んでいたようで、CPU、メモリ、HDDなどは既に2,3世代前と代物となってしまっており、ビデオカードの規格も変わってしまっていた。まるで浦島太郎状態である。
つまり、とりあえずHDDなりメモリなり、ビデオカードなりを購入してきたとして、それらで問題が解決すればいいが、解決しなかった場合、購入した部品をニューマシン用として使う際に旧規格であることがネックとなるわけだ。
ということは、どれが原因なのかを特定することが、かなりリスクの高い作業となってしまう。
更に、今それぞれのパーツの規格は過渡期にあり、今後も今主流の規格がすぐに陳腐化してしまうらしい。まあ、今に始まった話ではないが、改めて、PCのドッグイヤーぶりにうんざりしてしまった。これでは、拡張性の高さを評価してデスクトップを購入したのに意味無いじゃん!まあ、ノートに比べて圧倒的に安い!というのが最大の評価事項だったわけだけど。
というわけで、使っていないメモリ(旧規格のPC2700)をSE殿に一晩借りることにして、メモリの交換で回復させられないかどうかを確かめることにした。メモリ以外のCPUやマザーボードといった容易にパーツを交換してみて原因を探れないようだとすれば、諦めて、中古部品として売却する方向性を探った方がいいのかもしれない。
帰宅後、とりあえず、メモリを抜いた状態で電源を入れてみると、異常を示すBeep音が鳴った。メモリがささっていれば正常とみなすのか、メモリの状態まで確認して正常とみなすのかは分からないが、少なくともBeep音が鳴らなくなっただけというわけではないことが確認できた。
また、CPUを抜いた状態で起動をかけたが、こちらも別の種類の警告を示すBeep音がなった。ということはそれまではおそらくCPUも認識していたのだろう。
借りてきたメモリに交換して、再度起動をかけるも状況は進展せず。
元に戻し、とりあえず起動をかけながらほったらかすことにした。すると、5分ほど後に、「カタン、カタン」とHDDを読み込みにいこうとする音が聞こえた。数分間隔で訪れるこの弱弱しい音は、生きていることを知らせるだけの無意味な動作に聞こえるが、数日前、『すっきりデフラグ』を行なって、調子が悪くなったときと同じ音がしている。
『なにか手がかりになるのではないか』と期待しつつ、子供たちが寝る時間になったので、自分も一緒に練ることにした。
【2005/9/13追記】
「カタン、カタン」という音だが、SE殿の話ではHDDが壊れたときの典型的な症状。ただし、ブートセクタが壊れただけで、データは死んでないだろうから、おそらく後で吸い上げることが可能だろうとのこと。
数日前、WindowsXPの起動がおかしくなった。WindowsXPのアニメーションの前でこけてしまい、起動ディスクを入れろというメッセージが出る。この現象は毎回必ず出るわけではなく、2、3回に1回という頻度だった。
なんかやばい動きだと感じたので、翌日も同じ現象が出るのを確認し、最も大事なデータだけは別のPCに退避させておいた。今思えば、その更に前の日、MovableTypeで日記を更新していたら突然フリーズしたかと思えるほど画面が固まったことがあったが、あれも予兆だったのかもしれない。
とにかく、毎回必ず起こる現象ではないこと、BIOSはどうやら正常なようであることから、WindowsXPの起動セクタの読込が甘くなっているのだろう、従って、HDDが壊れかけているんじゃないかなぁ、と思いながら、とりあえず久しぶりに『答えてネット』で質問してみることにした。
質問フォームに症状を書き、質問を出す前に同じ内容の質問が既出でないかどうか確認すると、結構同様の現象が報告されていた。それらの回答を総合すると、やはりHDDが死にかけているらしい。しかしどうしたらいいのかが分からない。示された回答は、メーカー製ならメーカーに問い合わせるようにというアドバイス、自作なら「それぐらい自己責任で解決しろ!」というきついアドバイス。自分も自作なので、叱責されるだけで大してアドバイスはもらえなさそう。
ということで、とりあえず『答えてネット』で質問するのはやめて、会社のSEに意見を聞いてみることにした。
その前に、自分のできることをしようと思い、まずは、システムの復元をしてみる。しかし、症状は変わらない。というか、このころは、症状が悪化しており、5回に1回ぐらい起動でき、あとはWindowsXPのアニメーションの前で止まってしまう。
そこで、デフラグをかけてみようと考える。標準で用意されているデフラグはWindowsXPが起動した状態なので重いため、フリーのデフラグツールでWindowsXPの起動前の状態でデフラグさせたほうがいいと判断した(これが思いっきりうらめった)。
デフラグをする前に、システムのチェックを行なうのだが、その間に何回か再起動が行なわれる。ところが、起動がうまくいかないので、何回もとまってしまい、そのたびにCtrl+Alt+Deleteで起動させたのだが、とうとう何十回やっても起動しなくなってしまった。
しかたなく、デフラグ中の最悪の状態で電源をブチ切りすることとなってしまった。
そういうことで、会社に行きSEに状況を話すと、HDD、BIOS、電源辺りがおかしそう、一番怪しいのはHDDだが、CDブートできるかどうかを確認すれば間違いなくHDDがおかしいことになるのでブートCDを分けてくれてこれを使って確認するようアドバイスをもらった。
その日の夜、帰宅前にソフマップに寄ってみると、中古のHDDが5,000円程度で売られていることが分かる。買おうかと一瞬思ったが、自分のPCのスペックもろくに覚えていない状況だったので、よく調べてから買うことにした。
そして今週末、「とにかく一度掃除をしてからつなげなおしたらどうか」という妻のアドバイスに納得し、ケースを2年半ぶりに(購入以来初めて)開けてみると結構汚れている(特にファン)。
HDDは汚れているといえるほどではないが、システムファンの吸気口がほこりでつまりかけていたので、熱でHDDがやられた(夏でもあるし)可能性も考えられる。
前面と背面のファンを掃除し、ついでに電源のファンとCPUファン、ビデオカードのファンを掃除。吸気口のほこりをとった。電源、ファン、CD-ROM、HDD、CPU、メモリ、ビデオカードなどを一度外して掃除した。
続いて、サーバーマシンも掃除しようと思い、こちらも2年ぶりぐらいにケースをあけた。さすがに毎日稼動しているだけあって、よくこれで動いていたなと感心するほど汚れていた。
ほこりを取り除き、先にサーバーマシンを組み立てなおして起動させようとするが起動しない。「ヤバイ!」と思ったが、よく見るとメモリを外したままになっていたので、メモリを指しなおし、再度起動させてみるとちゃんと起動した。
次に、壊れたPCの方も再度組み立てなおし、起動させると、起動した!
しかしながら、画面はいきなりBIOS画面。ちょっとやばい感じもしたが、1歳のHikaruがキーボードをバシバシ叩いていたので誤ってdelキーをおしたのかもしれない(爆)。
そして、BIOSを抜け、緊張していると、一発でWindowsXPの起動アニメーションが登場した。『やった、いやしかしたまたま一回だけかもしれないし』などと喜んでいいのか戸惑っていると、ログイン画面には行かず、(予想通り)途中で終わっていたデフラグの続き(システムのチェックの続き)が始まってしまった。長そうだったので、先にサーバーマシンをとりあえず完全に組み立てることにした。
そろそろ画面が切り替わったかなと思い、確認しに行くと、画面は真っ黒。一体どうなったのかが分からない。
以後、何度電源を投入しても画面は本体から何も信号を受け取らないようで真っ黒のまま。
なお、先のSEにもらったブートCDはこの時まで使うのを忘れており、だめもとで入れてみたが、画面に変化はなかった。
考えられるのは、ビデオカードが壊れてしまったか、BIOS、つまりマザーボードが壊れてしまったか、あるいは掃除の際にCPUをあけてしまったのはやっぱりまずかったのかもと後悔しはじめる。
八方塞を打開するため、当初のマニュアルと解説ビデオを見る。すると、起動させてもビープ音が鳴っておらず、この症状はCPUが認識されていないことを示しているようだということが分かる。
といって、CPUを認識させる方法も分からず、CPUもHDDも壊れてしまったのなら、買い替えた方がええんちゃうかと思いながら、とりあえず、明日再び会社のSEに相談してみることにして、暗い気持ちで後片付けをした。
Openステートメントはテキストファイルを高速に読み書きすることができますが、データを抽出したり、一括して更新したりといった操作を行なう場合は、リレーショナルデータベースに対してADOでアクセスするやり方が適していますので、結局のところ、使いどころはテキストファイルの特性に引きずられることになるでしょう。
したがって、一番オーソドックスな使い方としては、会計ソフト等から書き出したテキストファイルを整形し(勘定奉行の場合csv保存したファイルはデータとしてとても扱いにくい)、中間ファイルとして扱いやすい形で保存しておく場合が挙げられ、ここでOpenステートメントの真価が発揮されると思います。
Dim Buffer() As Byte, MyText As String
Dim i As Long, kugiri As Byte
Dim StDate As String, myDate As Long, KanjoNum As Long
Dim LineArray, myLineData, myData
Open strPath & FileName For Binary As #1 'バイナリーモードで開く
ReDim Buffer(LOF(1))
Get #1, , Buffer '一気にバッファに読み込む
Close #1'ここまででBufferにファイルの情報がバイナリデータとして保存
MyText = StrConv(Buffer, vbUnicode) 'ユニコードに変換
LineArray = Split(MyText, vbCrLf) '行に分割する
StDate = Mid(LineArray(0), 14, 11)'ここに年月日の文字列が存在している
myDate = CDate(StDate) * 1'文字列を日付リテラル値に変換
Open strPath & "部門別試算表DB\" & Format(myDate, "yyyymm") & ".txt" For Output As #1
Open strPath & "全社試算表DB\" & Format(myDate, "yyyymm") & ".txt" For Output As #2
kugiri = 1
For i = 3 To UBound(LineArray) - 1
myLineData = Split(LineArray(i), ",")'各行のデータをカンマ区切りで分割
myData = Mid(myLineData(0), 2, 4)'文字列から数値部分を抜き出し
If kugiri = 1 Then
KanjoNum = myData * 1
kugiri = 0
ElseIf IsNumeric(myData) Then'小計の行以外は勘定コードか部門コードが入っている
If KanjoNum >= 500 Then
Write #1, myDate, KanjoNum, myData * 1, myLineData(5) * 1
End If
kugiri = 0
Else
If KanjoNum = 230 Then
Write #2, myDate, KanjoNum, -myLineData(5) * 1
Else
Write #2, myDate, KanjoNum, myLineData(5) * 1
End If
kugiri = 1
End If
Next i
Close #1
Close #2
ちょっと、これだけ見ても何をやっているのかわかりにくいと思いますが、要するに、読み込むテキストファイルは1行目から3行目まではヘッダ情報があり、それ以降も、勘定科目を示す行があり、そこから部門別残高が1行から数行にわたって記されており、最後に小計が記載されて次の勘定科目のデータが続く、というように非常に扱いにくい状態のものを、テーブル形式に変換したい、というのが目的で、たいした負荷ではないのですが、なるべく速く、エレガントに処理したいということで、バイナリモードで一気に読み込み、Split関数で配列に落とし込み、各行毎にデータを加工しながら、その都度書き出すというやり方を取っています。
ミソは『スプレッドシートに展開する必要はない』という点です。
以前は、ADOで同様の操作をしていましたが(スプレッドシートへの展開は無し)、3倍ぐらい速くなった気がします(といっても1秒がコンマ3秒程度に縮まった程度ですが)。
参考にしたサイト
Excelでお仕事!
外部テキストファイルとの接続方法
テキストファイルを高速に読み込む
VBAの小技集
どういうケースにおいてテキストファイルでDBを構築するのがいいのかを考えてみたいと思います。
テキストファイルの特徴を挙げてみます。
こうしたことを踏まえ、実際にテキストファイルをDBとして扱っている事例を題材に、その適否を考察してみたいと思います。
会計ソフトが吐き出す各種のテキストファイルを加工してDBにするというのがあります。例えば毎月のBSやPL、キャッシュフローデータなど。これらは何のために吐き出すのかというと、レポートを作ったり分析をしてみたいからです。
会計ソフトのデータに直接アクセスできれば一番いいのですが、それはできないことの方が多いでしょう。したがって、自分たちの目的に適ったデータを出力させデータベースとするニーズが出てくるわけです。
しかしながら、自分たちの目的というのは、データの推移に意味があるのではないか、何かが言えないかといった『気まぐれの分析願望』であったり、言い訳資料、成果のアピールとしてこうした表がほしいといった『気まぐれの誇示欲求』であったり、会計ソフトが提供している帳票が細かすぎて見にくいので、少しだけすっきりさせたいという『ちょっとした工夫の欲求』であったりと、要するに本気で気合を入れてDBを構築するほどではないわけです。
もちろん、そうしたちょっとしたニーズが長年蓄積されて、定型的な月次報告様式や財務分析手法が確立され、それに適したデータベースを構築することにもなるわけですが、往々にして定型といいながらも月日の経過とともに随分変化してしまうものです。
結局、もととなる会計データベースを構築するわけではなく、そこから吐き出されるデータを、後に分析、加工しやすいように一時保管するというのがこの場合のDB構築の目的といえるでしょうから、こうした場合はテキストファイルでDBを構築するのに向いているのではないかと考えるわけです(手前味噌ですが)。
ただし、データの規模が膨大であったり、SQLの多用を想定しているのであれば、リレーショナルデータベースの構築を検討した方がいい場合があるかもしれません。
もうひとつの例として、例えば勤怠管理において、未承認データをテキストファイルで保持しておく場合があります。承認前のデータは各自がテキストファイルで作成し、承認後、DBへの登録は特定の権限を付与されたものが行ないます。
いきなり、未承認の段階で各自がDBに書き込みに行った場合、承認前なのかどうかの管理が複雑ですし、承認後に各自が書き換えられないような仕掛けを作るのも大変です。また、データベースへのアクセスが集中してしまうという問題も生じます。この点、各自別々にテキストファイルを作成する場合、アクセスの集中は回避できます。
他には、データの一時バックアップとしてテキストファイルを使ったり、他のアプリケーションで使うための一時的な中間ファイルとしてテキストファイルを使うということが考えられます。
こうしてみてみると、結局、テキストファイルは、その作成上の容易さ、高速さという武器を活かした、一時的、中間的データの保存に用いるのが良いように思います。
データベースを設計するということは、小さな世界を構築することに似ていると私は思っています。
その世界を定義し、訪れる人種、訪れた目的を想定し、世界に秩序を与え、自己完結的に永続させようとします。つまり、ある意味で神になった気分になれるわけですが、しかし、自分の技量不足のため、不細工で、不安定な世界が出来上がってしまいます。
いい世の中を作りたい、という思いで、新たに世界を構築しなおそうと、データベースの設計方法、インターフェイスの設計方法、データアクセス方法などを学びなおし、あれこれと模索するときは、非常に高揚しており楽しいのですが、しかしながら、多くの場合、いろいろ調べていくうちに、疑問の数が等比級数的に増えてしまって収拾がつかなくなってしまいます。
そんなわけで、経験上『いいデータベースを抜本的に作り直そう』などという目標がうまくいくことはないのですが、しかし、志が高くなければ成長も小さいわけで、目下、次の飛躍のためにあれこれと調べ物をしている次第です。
まあ、しかし、データベースとひとことで言っても本当に様々ですね。そして、万能なデータベースはない。適材適所が慣用ですが、そのためにはいろいろ知識が要る。となると膨大な未開拓領域を前にして、未熟な自分がほとほと嫌になってきます。
救いは、どこまでやるかは目的次第だということです。そして、目的は自分で決められるということです。相手があったり、クライアントがある場合もあるでしょうが、自分が関与することで、目的を誘導することもできないわけではありません。
仮に、目的によって未開拓領域を開拓する必要が生じた場合、これも、目的達成という命題のため、普段では考えられない力が発揮されるのも経験上明らかです。
逆に言うと、目的を明確にしないで開発に着手するのは危険です。しかし、目的を定める前に、あえて目的をあいまいにして、あれこれと可能性を探る期間を設けるというのも、大きな飛躍につながったり、思いがけない裏技を思いついたりするわけです。
データベースの設計は、特にそれがRDB(リレーショナルデータベース)である場合、後戻りはなかなか難しい、ということを肝に銘じて、じっくり取り組みたいものです。
Excelは、その自由度の高さから、インターフェイスにとても向いていると思っています。つまり、開発が容易なのですが、更に機能も充実しているExcelですから、いろんなことがてんこ盛りのインターフェイスを作ることができます。また、印刷にも強いのも魅力です。
Excelをインターフェイスにする場合、DBへのアクセスは、主流はADOになります。ADOはDBがmdbファイルである場合に限らず、csv、txt、xlsといったファイル形式でもADOで操作できますし、MSDE、MSSQLサーバーでもADOで操作します(こちらは未確認)。
他には『外部データの取り込み』でクエリ取得する方法が便利です。こちらはVBAを組まないでいいので、開発は一瞬で終わります。操作もAccessでクエリを作成するのと同じ感覚でできます。但し、データの取得のみで、追加、更新操作はできません。追加、更新が必要な場合にはADOでアクセスする(VBAを組む)必要があります。
他には、DBのデータを読み書きするだけであるならば(SQL操作をしないならば)、DBをcsvかtxtで作成してOpenステートメントでアクセスする方法が非常に高速でお勧めです。
このように、Excelをインターフェイスに選択すると、いろんな種類のDBに対応でき、しかも、DBへのアクセス方法も様々な手法を採用することができます。
また、Excelは、取得したデータを加工するのにも向いています。これは、スプレッドシートで式が使える、グラフ機能がある、解析ツールや最適化ツール等が用意されている、VBAがスプレッドシートに展開したデータを取り扱うことができるため非常に直感的にプログラムが組める、などの理由が挙げられます。
ADOによるDBアクセスにせよ、『外部データの取り込み』によるクエリ取得にせよ、常時同期を取り合わないことがメリットになります。mdeファイルをインターフェイスにした場合、DBがmdbファイル(Jetデータベースエンジン)であった場合、常時同期を取り合うために同時アクセスがあると非常に重くなります。おそらく多くの現場において、常時同期が本当に必要とされるケースというのはまれで、大抵は随時同期で足りると思います。そういう意味でも、Excelをインターフェイスにした方がニーズに相応したものが作れるでしょう。
ビジネスシーンにおいて、Excelファイルが読み込めないという状況は我が国では考えられないため、Excelをインターフェイスにすることのデメリットはほとんど思いつきません。強いてあげるなら、HtmlファイルやASPファイル、xmlファイルなどをインターフェイスにした場合と比べて、ブラウザの立ち上がりに比べて、Excelの立ち上がりは重い(ウィルススキャンされる設定だと)点ぐらいでしょうか。
Excelは同時に複数が開く場合、一人以外は読み取り専用となりますが、DBが別にあるため読み取り専用でも構いません。また、xlaファイルをうまく作りこめれば配布の問題も相当クリアできます。この点は、井上治氏のサイトが参考になります(後日自分も取り上げて見たいと思います)。
データベースを設計する場合、やり方はいろいろ考えられると思いますが、私の場合は、mdbファイルで作成し、AccessでDB設計&操作を行なうというのがオーソドックスです。
ところがAccessでDBを設計した場合、データを利用する人(つまり社員)全員がAccessを導入する必要があるのか、という問題に遅かれ早かれぶち当たります。
ほとんどの多くの人はAccessをインストールしても閲覧のみ、せいぜいフォームからデータを入力するのみの利用であり、DBの設計を行なう人はほんの一握りでしょう。それなのに全員にAccessを導入するというのはいかにも無駄が大きいと感じられます。
そこでアクセスランタイムを導入するという手が考えられます。
最上位のOfficeXP Developerには再配布可能なアクセスランタイムが搭載されています。
アクセスランタイムとはAccessで作成されたmdeファイルを実行することができます。mdeファイルとはmdbファイルをDB最適化して変換したもので、VBAはコンパイルされてソースは消されており、テーブル、フォーム、レポート等は編集できず、テーブルに直接アクセスすることもできません。要するに、フォームとレポートのみ利用可能ですが、データの追加、更新、削除、印刷、マクロの実行等は十分行なえます。
そもそも、Microsoftも開発しない人にはランタイムを配布すればよいという設計思想のようです。
また、ネットで調べれば幾つかのAccessで作成されたアプリケーションはランタイム付で配布していることが分かります。ランタイムはそれぞれのアプリケーションに対応させてカスタマイズされているため(←推測)、どのランタイムでもいいとは限らず、目的のmdeファイルを実行するのに適したランタイムがどこで手に入るかは分かりませんが、根気良く探せば見つかる可能性は大きいと思います。
さて、ランタイムを使って、皆がmdeファイルをインターフェイスにDBにアクセスする方法ですが、DBがJetであるため同時アクセスはつらいです。というか、数秒間隔で常に同期を取っているのが負担大きいようです。
この対策として手軽なのはDBをMSDEにする手があります(まだ試したことありません)。但し、MSDEは同時アクセス5人までが推奨ですから、あまりに大規模な組織では太刀打ちできないかもしれません。ちなみにMSSQLサーバーは同時アクセス無制限のようです。
しかし、果たして本当に同時アクセス(常時同期)が必要なのかどうかは、一度良く考えてみた方がいいと思います。つまり、データベースはmde、インターフェイスはExcelもしくはデータアクセスページ(ここでもアクセスランタイムが役に立っていると思われます)というのもありだと思いますし、あるいはASP+IISといった選択肢も考慮に入れた方がいいかもしれません。
【2005/9/13追記】
アクセスランタイムはMDEファイルしか読めないという認識を持っていましたが、誤っていました。機能的にはMDEファイルを見る以上のことはできませんが、わざわざMDEファイルを作成する必要(手間)はないということがいえます。
アクセスランタイムとは、AccessがインストールされていないPCでもAccessで作ったシステムを動かすためのものです。簡単にいうと、Accessの機能を制限したバージョンと思えば理解し易いと思います。
(機能制限とは、テーブル、フォーム、モジュールといったオブジェクトの変更を出来なくしたもの、つまり開発できないということです。)
Accessではデータアクセスページという機能があります。これは、mdbファイルへの読み書き操作をブラウザを介してやってしまうというもので、結構使えそうな気がします。しかし、ネットで検索してもデータアクセスページに関する情報は極端に少ないのが現状のようです。
この情報の少なさは、おそらくデータアクセスページが『使えない』ことを示していると思われますが、なぜ『使えない』のかを自分なりに納得したい、もしかすると限定的に『使える』ケースが見つかるかもしれない、ということでちょっとだけ試行錯誤してみました。
実は昔、データアクセスページを使ってワークフローが作れないかと試行錯誤してみたものの、Accessが入っていないPCではブラウザ表示できない(ようだ)という現象にぶつかり諦めた、という経緯があります。なぜなら、全社員にAccessをインストールしてしまうなら、データアクセスページでしこしこデータにアクセスするよりも、みんなが直接Accessを開けばいい話だと思ったからです。
ところが、今回調べているうちに、Office2000がインストールされていればデータアクセスページを見られるという(未確認)情報を見つけました。また、データアクセスページはフォームなりレポートなりが作られていれば別名保存操作だけで一瞬にして作れてしまうということも分かり、俄然やる気が出てきたのです。
これは、どういう可能性が開かれたかというと、ちまちまVBAでソースを書かないでも、ほとんどのやりたいことはGUIを基本としたフォームの設計だけで開発を終えることができるかもしれないこと、そもそも、フォームやレポートが作られているシェアウェアソフト等を購入した場合、フォームの設計すら不要のため、別名保存操作だけという開発所要時間2分程度でデータアクセスページができてしまうという状況が考えられ、妄想がいろいろ広がってきたわけです。
そこで早速、フォームの別名保存によりデータアクセスページを作成してみました。これを、Accessの入っていないPC(Accessランタイムは入っている)で見たところデータアクセスページがきちんと表示され、データの操作ができたのです。Office2000が入っていて、Accessランタイムが入っていないPCでの実験はしていませんが、目下の自分のニーズではAccessランタイムでの動作確認が取れれば十分です。
これは大きな前進だと感じました。というのは、Accessランタイムでmdeファイルをインターフェイスにしてmdbファイルにアクセスするというのはプロジェクト全体の開発が完了していないといろいろ面倒なのに対して、データアクセスページは開発途上でもmde変換のような面倒くささがないこと、また、mdeファイルをインターフェイスにすると、数秒毎に同期が取られている関係で4,5人同時アクセスしたらかなり重くなってしまう(2人でも重いことは重い)のに対して、データアクセスページでは、ファイルを開いたときと保存ボタンを押したとき以外は同期が取られないため、多人数同時アクセスが非常に軽いというメリットがあります(同期が常時でない分、別の問題が生じる可能性がありますが)。
上記同期の問題は実験によって確かめました。mdeで2つのPCから同時アクセスすると片方が更新したらもう一方は何もしないでいると数秒後には画面が更新情報を反映していました。一方、データアクセスページで同時アクセスしても、片方の更新情報はいつまで経っても他方に反映されず、他方をいろいろ操作してみても同じで、ファイルを開きなおさないと更新情報を取得しないようです。
これでは、同じデータの同時書き換えで問題が生じると考え、試してみたところ、後から更新をかけようとした方は、既にデータが書き換えられているという警告情報が表示され、それでも更新を強行するかを聞いてくることが分かりました。したがって、ルールさえ明確にしておけば(警告が出た場合は更新をキャンセルするとか)大きな問題は生じないと考えています。
ということで、『一定のケースにおいてはデータアクセスページは非常に有効』という第一印象を受けたのです。
しかも、たまたま、ワークグループ管理のテストをしていたのですが、ワークグループ管理を行なってデータアクセスページを作成すると、ブラウザからDBにアクセスする際にID、PWの確認を行なうことも可能であり、セキュリティも低くならずにすみそうです。
テストでの感触としては、テーブルの更新操作、閲覧を目的とした場合には非常に有効な気がしました。
ただし、いくつか問題点が露見されてきます。
ひとつは、外部リンクを使っていた場合、外部リンク先のデータがあるフォームはデータアクセスページ保存できないという問題です。このため、データアクセスページにこだわるなら、外部リンクをなくすため、DBの大規模化を目指すか、外部リンクのデータを外部リンク先の変更時に自動コピーするようにし、コピーしたテーブルを用いてフォームを設計するかしなければならなさそうです。
さらに、データアクセスページの編集は非常に重いことが判明しました。これは、何か特殊な要因(バージョンの問題とか)が絡んでいるのかもしれませんが、現時点ではとてもまともには編集できないという状況です。したがって、フォームのうちに完全な状況にしてデータアクセスページで保存するしか手はなさそうですが、そうすると、ボタン等コントロールの設置ができないため、制約が大きくなってしまいます。
そして、ちょっと期待していたのですが、フォームのコントロールはデータアクセスページ変換してhtmlファイルとなった場合、コントロールとしては機能しないということも問題です。データアクセスページはデータアクセスページ用のコントロールが用意されていますのでこちらを使う必要があります。ということは、シェアウェアを買って、用意されているフォームを別名保存するだけという淡い夢はついえたことになります。
結局、データアクセスページの使い勝手はネットでの情報の少なさに比例しており、非常に限定的な用途として活路が開かれているに過ぎない、というのが現在のとりあえずの結論です(残念ですが)。
まあ、もう少し検討して、『こういう場合はデータアクセスページが最適』というのを見つけるとともに、何とかしてまともに編集ができる状態を模索したいと思います。
【2005/9/7追記】
データがネットワーク上にある場合、データアクセスページの編集は絶望的に重いですが、データも含めて自分のPC上において開発を行なえば、ストレスを感じない程度に編集が可能であることが分かりました。
この場合、共同作業は難しく、開発後にデータの移行作業が発生して面倒ですが、背に腹は代えられません。これで、ほとんど開発は不可能という状態からは脱しました。
この映画を観るまで、浅間山荘事件がなんだったのか、すっかり忘れてしまっていた。というか、これまで、あまり興味も持っていなかった。
そんな自分にはこちらの解説は時代背景(連合赤軍の簡単な歴史)が分かって非常に役に立った。
また、上記公式サイトのBBSをのぞいてみたが、小学生でもあさま山荘事件というか、警察組織に非常に詳しい方もいるようで、ビックリするとともに、そりゃそうだよなぁと思った。
映画はなかなか良く描かれており、手に汗握った。原作や小説などもこれを機会に読んでみたいと思った。
そういえば、自分は宇崎竜童に似ていると言われたことがあったが、彼の姿を見て、ダイエットしなきゃなと思った(笑)
【2005/9/1追記】
後日、BookOffで佐々氏の原作を見つけたので買って読みだした。
安保闘争、赤軍派の興隆、三島由紀夫事件など、自分の生まれたころはなるほどこういう時代だったのかと感慨深かった。
最近、『MovableTypeを活用して脱初心者!』に、このサイトが役に立っていることを知らせるコメントを頂きました。
サイトを作らなければ出会わなかった人に、サイトが役に立ったとフィードバックしてくれ、それを知ったときというのは、ちょっと鳥肌モノのうれしさですね!
さて、こうした件に限らず、うれしさというのは、多くなればなるほど人生を豊かにしてます。
会社で自分が役に立っているという実感を得るたびに、また、同僚が役に立っていることを伝え、同僚の貢献に言葉で報いるたびに、うれしさを味わいます。
アプリケーションの構築や文章の書上げ、その他一定の仕事を完成させたときに達成感といううれしさがこみ上げてきますが、これも、一人でするよりもチームで行った方がうれしさを共有できる仲間の存在によってさらにうれしくなります。
困っているときに、知らない人に親切にされるときがあります。あるいは困っている人に親切にするときがあります。こうしたときも幸せを感じます。
見ず知らずの外国人が一生懸命レジ打ちのバイトを頑張っていたら「頑張って」と声をかける、街頭でチラシ配りのお兄さんお姉さんからティッシュやうちわをもらったら「ありがとう」と声をかける、そうしたことでも幸せになったりします。
こうして考えると、コミュニケーションが大切だとあらためて実感します。言葉は本当に大事ですね。このうれしさを、世界中の方とやりとりできたとしたらステキですね。英語に苦手意識を持っていたとしても、感謝を伝えたり、縁を大切にした言葉を発したりしたら、きっとそれを聞いた人は下手な英語でも『うれしい』と思うでしょう。
英語の勉強も頑張りましょう。でも、下手でも使うことをもっと頑張りましょう。←自分
人の一生は長いが、それぞれの年齢で出来ることは限られている。ある年齢の間しか出来ないことやチャンスは一生に一度だけしか訪れないことも往々にしてあることで、また、いつそのときが来るのか予想がつかないことも多い。その瞬間瞬間を悔いなく過ごすためにはそれなりの準備と努力が必要で、日々精進、研鑽を積むことが肝要である。我々には、休息は必要でも暇な時間など必要は無い。人生は暇つぶし。暇な時間を潰し続ける者こそ、最高の人生が約束される。
これは、旧HPの冒頭に私が述べていた人生哲学です。正しい一面はあるかと思いますが、今、人生の目的に照らしてみると、いかがなものかと首をかしげる面もあります。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲つまり、これまでの自分の人生観は、自分が主体であり、自分を高めること、人の何十倍も活躍できる自分になること、人に尊敬され、自分自身をもっともっと尊敬できるようになること、そして自分自身への信頼、つまり自信を高めること、これこそが人生の目的であり、それが幸せを約束してくれる、という考え方でした。
こうしたナルシズム、自己愛は人生においてある程度の時期必要ですし、今後も適度に、あるいは一時期には非常に必要となるでしょう。こうした自尊心の塊のような人生観がなければ、世界一、日本一など目指せるものではありません。自分自身の限界に挑戦するには自分を深く愛する必要があると思うのです。
しかし、果たして、自分自身を高めることが幸せを約束するのかというと、どうもそうではないというのが最近の自説です。
何のための人生か、人生に果たして目的があるのかどうかわかりませんが、いい人生を送りたいと思うのは私だけではないでしょう。そして、いい人生とは何かと考えたとき、自分の能力を最大限に高めることよりも、もっともっと大事なことがあることにようやく気がついたわけです。
私以外誰でも当たり前だと考えていると思いますので、今更な話で恐縮ですが、いい人間関係をたくさん築くことがいい人生につながると思うのです。自分が心から思いやり、応援し、その人の幸せを願い、何らかの方面で助力でき、そして自分も同じように応援され、助力される関係、そうした関係を数多く築きあげることが人生の目的です。
したがって、多くの人を幸せにすることが、その人たちとの人間関係を強め、すなわち、自分の幸せになるわけですし、ある人を幸せにするためには、その人の影響によって自分が幸せになり、その人に縁のある人たちを幸せにすることであるということです。
まあ、このように書くと、ちょっと逝っちゃった人、という印象を与えてしまいそうですし、今はそう考えたとしても、実はフラッシュアイデアであって、しばらくしたら考えも変わってしまうかもしれませんので、このぐらいにしておきます。
今月末に行なわれる社労士の試験ですが、放棄することにしました(笑)
去年、もう一息のところで不合格となり、今年こそ合格しようと思っていましたが、特にここ数ヶ月の勉強量が不足しており、知識が定着していません。
あと20日ばかりですし、せめて受けるだけでも受けてみたらと思ったりもしましたが、すっぱりやめることにしました。
というのは、楽しくないからです(爆)
社労士の勉強も部分的には結構楽しめます。何といっても会社で起こっていることを法律的に説明してくれますし、各種給付金については、知っているといざというときに尊敬されます。したがって、試験をあまり意識しないで勉強することはこれからも続けたいと思っています。特に、『社労士学習メモ』を充実させ、社労士の学習をしている仲間を見つけることができればいいなと思います。
しかし、これまでの2年半、社労士の学習を優先してきた関係で犠牲になっていた部分も結構ありまして、これからの学習は犠牲を払わない範囲に止めるつもりです。子供と遊ぶことにもっと真剣になり、読みたい本を読み、やりたいゲームをやり、観たい映画を観て、Webサイトを充実させたり等いろんなことに満足しながら、社労士の勉強も気持ちのいい範囲でやっていきます。
特に、今は子供と思いっきり遊べる大事な時期です。この時期を逃し、子供が自分の交友関係を確立した後には、たまには親子で遊ぶかというレベルになってしまうでしょうから、勉強があるから子供の相手ができないというのは本末転倒だと思うにいたりました。勉強は、子供が親離れしだしてから力を入れても遅くはないでしょう。
したがって、これからお盆休みに入るという本日、社労士の試験を放棄することに意義を感じます。明日からの里帰りに、読むかどうか分からない参考書を持ち歩かなくて済みます。
この2年半、『勉強があるから』という今考えると理不尽な理由でNamePにもいろいろ迷惑をかけてきており、今後はそうしたこともないわけで、彼女も(この時期にスパッと止めたことを)喜んでいますし、私もうれしいです。
ということで、試験直前に敵前逃亡という今までの自分なら忌み嫌っていた選択肢ですが、あと20日であってもこのまま続けることは『主義にあわない』ことが判明したため、やめることにしたわけで、後ろめたさやもったいなさとかは全然ありません。
人生の目的。普段、そのようなことはあまり考えないと思います。しかし、時として自分の人生にあせりを感じたり、嫌気がさしたり、変化を欲したり、つまり、人生について悩むときが来た際に、人生の目的がなんなのか、今一度考えてみることは意義があると思います。
私の人生の目的はなんでしょうか。それを考える前に、私が何を大切にしているかを挙げることで、整理されてくるのではないかと思いました。
・子供、子供との時間、子供の将来
子供を見ていると、あるいは子供の思考方法に触れると、非常に癒されたり、新鮮な感覚を覚えたりします。子供と一緒にいるのは楽しいですし、子供の成長は楽しみです。子供はいろんな思い出をプレゼントしてくれます。したがって、親子のふれあいをとても大切にしたいと思います。
・妻、妻との時間、妻の将来
今日の自分があるのは妻がいてこそです(逆もまた真なりでしょうが)。また、子供たちがのびのび育っているのも、bianが3歳にしてボケツッコミをマスターしているのも、自分が丸くなったのも、自分が子供と遊べるような性格になったのも妻のおかげでしょう。今後もお互いに高めあっていきたいです。
・先祖とのつながり
子供ができたことで、先祖とのつながりをより強く意識するようになりました。そして、先祖に守られているありがたみ、先祖の祝福を感じます。先祖が我家の家族を守らないはずはないし、家族を祝福しないはずもない、という自信があります。それだけに先祖とのつながりを大切にしたいと思います。
・プライド、自尊心
これは、『大切にしているもの』というよりは、『大切にしていたもの』です。ある意味で、今の自分があるのはこれのおかげだと思っています。しかし、これからの自分にとってはいらないものかもしれないと思い始めています。プライドの高さ、自尊心の高さが向上心を生み、今日まで自己を高めてこれたのだと考えています。しかし、本当の人生の目的を考えたとき、もしかするとプライド、自尊心が邪魔となってしまうのではないかと思います。
・仲間
こちらは『大切にしているもの』というよりも、『これからは、もっと大切にしたいもの』です。どうすれば仲間になれるのかはまだよく分かりません。というか、分かっているようで分かっていない、あるいは実践できていないというべきか、とにかくまだまだです。この件については日を改めてもう少し考察してみたいと思います。
以上を勘案すると、自分が大切にしていこうとしているものに共通するキーワードは、『人間関係』あるいは単に『関係』です。これこそが人生の目的なのではないかと思います。つまり『よりよい人間関係を築く』ことです。
先日、能力開発セミナーに参加してきまして、そこで念願であった友情を得ました。自分にとっては10年ぶりの出来事かもしれません。彼らとの友情のため、友情の証として何かしたい!そう思ったとき、『自分はタバコをやめることをその証にささげても後悔しないだろう』と確信しました。
それから、10日が経過しました。この間、タバコを吸いたいと思ったことはありません。但し、『タイガー&ドラゴン』の録画を見たとき、タバコをうまそうに吸うシーンが多すぎて、『うまそうだなぁ』とうらやましく思ったことはあります(笑)
10日たった今でも、体がニコチンの欠乏を訴えます。15年以上もタバコを吸い続けていたのですから、そう簡単には抜け切るものではないでしょう。この、ニコチン欠乏状態は、禁煙している人には恐怖だと思います。しかし、自分の場合、体がニコチンを求めてうずくと、『友情の証がうずいている』と感じられ、みんなの顔を思い出すきっかけになるので、逆に待ち遠しいですし、幸せを感じます。
但し、幸せを感じすぎるのか、四六時中リラックスしっぱなしで、昼夜を問わず非常に眠いです。ということで、いつもの仕事の切れが今一で、ちょっとだらけています。
『ナンバ』という言葉を耳にされた方も多いと思います。聞き覚えのない方も『「ナンバ」とは、同じ側の手足が同時に出る歩き方(同側型動作)』という説明を聞けば思い出すのではないでしょうか。
昔の日本人は誰もが当たり前のようにナンバで歩行しており、江戸時代の飛脚はナンバで、現代人の創造を遥かに超える走りをしていたという説があります。
にわか知識で『ナンバ』を論じることに危惧を抱いていますが、己の知識の定着のため、あえて投稿させていただきます(というか、このサイトは目的の半分以上が自分の知識の定着、もしくは備忘録にあるわけですが)。
ナンバを有名にしたのが甲野善紀氏で、左右へのひねりを連続させる走法は力が打ち消しあって効率が悪い、足で地面をけって走るよりも重力の力を利用して前に進むようにした方が効率がいい、筋肉で体を支えるのではなく骨と筋で支える方が楽、といった考え方が根本にあるようです。
ナンバを極めることで、筋肉を極力使わないため持久力が上がり、また、エネルギーの消耗が少ないため、結果中距離や短距離でも足が速くなり、また、年をとってもやはり力のいらない走り方、歩き方ができるため、山登りも余裕ということになるようです。
甲野先生の信者も多いようですが、甲野先生を批判的に見ている立場の方も見受けられますので、俄仕込みでどちらを支持するかの結論は控えます。
冒頭、ナンバは『同じ側の手足が同時に出る歩き方』と表現しましたが、正しくなく、『腰で歩く』とか『へそで歩く』という感じで、上半身と下半身とを切り離した歩きが本質的であるようです。
口先だけでは説得力がありませんので、しばらくナンバを実践してみようと思います。そのうち、ご報告する機会もあるでしょう。ただし、ナンバを調べているうちに太極拳に興味が移りつつあるのを断っておきます。
参考にしたサイト
ナンバ歩きについて
ナンバの動きについて
怪しい話『ナンバ』
ナンバ理論私見
体内の脂肪は『遊離脂肪酸』『中性脂肪』『コレステロール』『リン脂質』の4種類が存在し、中でも『中性脂肪』が9割を占めます。構造的には3つの脂肪酸とグリセロールという物質が結びついたものです。中性脂肪はリパーゼという酵素により、遊離脂肪酸に分解され、エネルギーを生み出すことは『脂肪燃焼のメカニズム』で説明しました。
中性脂肪の大きな役割は、脂肪酸の格納です。筋肉を動かすには脂肪酸か糖質(ブドウ糖)を分解する必要がありますが、体内に蓄積できる糖質の量はごく微量なため、中性脂肪がなければ長期の運動が困難になります。また、次にいつ食べられるか分からない時代には中性脂肪に脂肪酸を格納しておくことは生命の維持に不可欠でした。
また、中性脂肪は、保温効果、クッション効果などの役割も認められるわけで、中性脂肪を完全になくすことは危険でしょう。しかし、過度な中性脂肪の蓄積は『動脈硬化』『脳血管障害』『糖尿病』『脂肪肝』などの原因になるため、健康に悪影響を与えることはよく知られています。
アルコールは中性脂肪の合成を促進させ、また、インスリンも肝臓での中性脂肪の合成を促進します。インスリンはブドウ糖を処理するためのホルモンの一種で、甘いものを食べると大量に産出されます。つまり、甘い物をたくさん食べると、中性脂肪の合成が促進されるというわけです。
中性脂肪は油分(脂肪)の多い食事をすることが原因と安直に想像しがちですが、脂肪は小腸でカイロミクロンになり、エネルギーとして消費されてしまうようです。では、どうして中性脂肪ができるのかというと、余った糖質を材料に肝臓で合成されるためです。
食事を減らせば中性脂肪がなくなるかというと、ちょっと疑問です。つまり、食事を減らし、おなかがすくからと運動まで減らすと、結局基礎代謝が下がりますので、消費カロリーも少なく、中性脂肪の燃焼にはつながりません。気合を入れた断食は、中性脂肪本来の役割を促すでしょう。つまり、食事をたって運動を増やすという方法です。しかし、これは危険なので専門家のアドバイスを受けながら断食道場などで行なうべきです。
いずれにしても、中性脂肪を減らすには、運動をするしかないです。中性脂肪をつかないようにするのが食事コントロールでしょう。そして、多くの専門家が進める方法は、最初は食事をコントロールせずに、運動だけを増やすというものです。食事を減らすのは苦痛ですが、運動はそれほど苦痛ではありません。むしろ、運動後食事を制限せずに食べられるとなるとそのおいしさは格別ですから。
そして、運動の習慣がついてきますと、体格がよくなってきます。筋肉がついてきたためです。そうなると、人間欲が出てきます。それから食事を徐々にコントロールする方がいいのです。
しかし、食事をコントロールするにも、食べたいものを我慢するのではなく、食べ過ぎないように気をつける程度にしておかないと続かないと思います。
参考にしたサイト
Healthクリニック
健診結果から見た生活改善法
健康コミュニケーション
糖尿病コミュニティサイト
リポ蛋白
エネルギーは脂肪若しくは糖質(ブドウ糖)を分解して得られるわけですが、エネルギー効率は脂肪の方が高く、かつ脂肪は体内に豊富に蓄えられているため、脂肪燃焼によるエネルギー出力システム(エアロビックシステム)を発達させることが持久力がつくだけでなく、健康にもよく、ダイエットにもいいようです。
以下、詳しくはトレーニング講座・トレーニング編を参照してください。目からうろこの理論がぎっしりです。私もこちらで勉強します。
マフェトン理論で科学的に証明されたこと
- 心拍数の比較的低い運動(エアロビックトレーニング)を続けることによって、循環器系、関節を含めた骨格全体、筋肉、内分泌系など、身体全体が健康な状態になっていくこと。
- エアロビックトレーニングにより発達したエアロビックシステムは、身体の全機能を正常に保つ働きをしていること。
- エアロビックスピード(エアロビック範囲内での最大スピード)が向上してくると、健康状態を向上させながら、パフォーマンスも上げられること。
- エアロビックシステムが発達してくると、通常なら身体に大きな負荷を与えるアネロビック(無酸素)の運動のダメージも抑えられること。
逆に、無酸素運動(アネロビックトレーニング)は、理解が低いと体を壊したり、健康を損ねるだけでなく、エアロビックシステムの構築も妨げるようです。
「アネロビックトレーニングがエアロビックシステムの構築を妨げる理由」
- アネロビックトレーニングにより筋繊維の比率が変わり、エアロビック筋が減少してしまう。
- アネロビックトレーニング時に生成される乳酸は、エアロビック代謝に必要な酸素の働きを妨げる。
- アネロビックトレーニングによる身体へのストレスにより、副腎皮質ホルモンの一つであるコルチゾルの分泌が促進され、インシュリンレベルを引き上げ、糖質がエネルギーの主体になってしまう。
- アネロビックトレーニングは活性酸素を大量発生させる。
以上のことによって、
- エアロビック筋の働きが低下する。
- 脂肪燃焼率が下がる。
- 血糖の消費比率が上がる。
つまり、アネロビック代謝が活発化し、エアロビックシステムの機能は低下するのです。結果として、脂肪を燃やせない身体になり、持久力が低下し、疲れやすい身体になってしまうのです。
マフェトン理論の核は心拍数による運動調整です。
「180公式での最大エアロビック心拍数の求め方」
- 二年以上の間、順調にトレーニングできており、競技などでの成績が伸びている場合、
- 「180 - 年齢 + 5」
- 過去二年間、風邪をひいたのは一度か二度で、大きな問題もなくトレーニングもできている場合、
- 「180 - 年齢」
- 競技などの成績が伸び悩んでいて、よく風邪をひいたり、故障や怪我を繰り返している場合、
- 「180 - 年齢 - 5」
- 病気にかかっていたり、治ったばかり、手術したばかり、退院したばかり、もしくは、投薬中の場合、
- 「180 - 年齢 - 10以上」
心拍数は手首や首筋に触れることでも測定できますが、アラーム機能やメモリー機能を持つ「ハートレイトモニター」(心拍計)を用いることをお勧めします。ハートレイトモニターなら、トレーニング中の動きを制限することなく、常に自分の心拍数をリアルタイムでチェックでき、また、トレーニングデータを集積し、メニューを調整する際の参考資料として使うこともできるからです。ハートレイトモニターを使ったトレーニングの恩恵は、あなたがトレーニング経験を積めば積むほど増えていくのです。最初のうちは、胸にベルトでトランスミッター(送信機)をつけることに違和感を覚えるかもしれませんが、やがてあなたの日々のトレーニングになくてはならないパートナーとなってくるはずです。
ダッシュを主体としたダイエット理論の確立を思い立って、1週間もたっていませんが、早くも暗雲立ち込めるという状況です(笑)
【ハートレイトモニター】
1万円以下
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ダラダラ歩いていたり、軽い階段の上り下りでは筋肉痛になりませんが、激しい運動を行なうと筋肉痛になります。これは、無酸素運動によってエネルギーを取り出すためにブドウ糖を分解し、その結果副産物として乳酸ができるからだと言われていますが、最近の説では乳酸は疲労物質ではなく、糖の代謝の中間産物にすぎないようです。
つまり、激しい運動で活性酸素が発生し、この活性酸素が筋繊維の細胞膜やタンパク質を破壊し、痛みとなって現れて筋肉痛となるという説です。
この考え方は『筋肉を健康的に動かすには、アルカリ性でいる必要があり、酸性になりかけた筋肉は次第に動きにくくなる』とも符合しそうですね。
活性酸素によるかどうかは別として、破壊された筋繊維には痛みを感じる痛覚がないためこの時点では筋肉痛にはなりません。破壊された筋繊維の修復には白血球があたり、白血球は傷の修復と共に発痛物質を放出、この発痛物質が筋膜にある痛覚を刺激して筋肉痛となるようです。
筋肉痛は筋繊維の修復の痛みですから、痛みがあるからといってマッサージをしてしまうと白血球が筋繊維からはがれ、回復を遅らせてしまいます。マッサージは運動直後にしましょう。
脂肪を燃焼させるには酸素がいります。したがって、有酸素運動(ジョギング、エアロビクス)がもてはやされるわけですね。しかし、それだけの理解で十分なのでしょうか。気になったのでいろいろ調べてみました。
筋肉を動かすにはエネルギーがいります。エネルギーは筋肉内のグリコーゲンをブドウ糖に分解して作られたり、血液中の脂肪やブドウ糖を筋肉に送り、そこで分解させて発生させます。歩行、軽い階段の上り下り、食事、睡眠などの日常生活を送る上ですぐに筋肉に送れるように血液中に脂肪やブドウ糖がスタンバっているわけです。
しかし、血液中の脂肪やブドウ糖は運動をするには十分ではありません。そこで、中性脂肪が遊離脂肪酸に分解されて筋肉の細胞に送られるわけで、これがダイエットになるわけですが、この状態になるには大体15分から20分かかるといわれています。
その間はどうやって運動しているのかというと、先に説明したように、筋肉内のグリコーゲンをブドウ糖に分解したり、血液中の脂肪やブドウ糖を使ったりし、さらに足らなくなってくると肝臓で貯蔵していたグリコーゲンをブドウ糖に分解したりしてエネルギーに変えているわけです。
ちなみに血液中の糖は脳を活性化させ、情緒を安定化させます。糖(血糖値)が減少すると脳にとって危機的状態ですから疲労感を生じさせます。間接的に食事を促しているのではないでしょうか。
中性脂肪を遊離脂肪酸に分解するにはリパーゼという酵素が必要ですが、リパーゼを活性化させるには体内温度を上げる必要があります。そういう意味でもジョギングを始めて15分からが勝負と言われるゆえんでしょう。
また、冒頭申し上げたとおり脂肪の燃焼には酸素が必要です。したがって、無酸素運動(ダッシュ、筋トレ)では中性脂肪を減らす効果は期待できません。
まとめますと、おなかの中性脂肪を落とそうと思うと、有酸素運動をするのが効果的です。食事を減らしただけではおなかの中性脂肪は落ちません。但し、無酸素運動や食事を減らすことが無駄だと言っているわけではありませんのでご注意を。あくまで、ついてしまったおなかの肉を落とすには有酸素運動をするのが効率的というか目的にかなっているということを言っているまでです。
主に参考にしたサイト
血液中にある脂肪
脂肪燃焼のメカニズム
運動による脂肪燃焼のメカニズム
運動で血糖コントロールがよくなるのは
スポーツをするときの糖の役割
食欲のメカニズムを探る
病気と症状のメカニズム
『MovableTypeを活用して脱初心者』で紹介している350日の節約生活の旦那様のブログ『ターサン on Web』の記事を見て自分もダイエットをしようと思いました。
一昨年の11月頃、ダイエットを開始し、毎日5キロ近く走り、74.8キロから68キロ台まで下げたところで、やめてしまいました。原因は、夏場の暑さに勝てなかったことと、ジョギングは苦にならないとはいえ、時間が掛かりすぎるからです。そして、今、気がつけば72キロ台に戻ってしまっています。
そこで、今回は、ターサンの記事を参考に筋トレを主体とした持続性のあるダイエットに切り替えようと思います。
今年の1月に、実家の近所の子供たちと突然50メートルダッシュを行ないました。一番寒い時期でもあり、準備運動もしていませんでしたが、己の能力を過信していました。結果は当然散々な目にあいました。しかし、それ以上に、ダッシュをするのは非常に筋力の負荷が高いことを身をもって感じ、また、肉離れは侮れないことを知り、そしてなんといっても、速く走れるというのはとても楽しいことだと思い出しました。
小学生のころ、かけっこが大好きだったでしょう?中には嫌いだった人もいたかもしれませんが、人間は本来ダッシュが好きなんだと思います。
えー、と思う方も多いかもしれません。しかし、本当なんです。ダッシュをしたときの、あの、「筋肉繊維が切れていくなぁ」という感触がたまりません(爆)筋肉が壊れに壊れ、足がブルブル、とても立っていられない状態です。あの快感を数日間隔で味わえると考えただけで、頑張ろうと思ってしまいます。
ダイエット効果としては、ジョギングのような有酸素運動ではありませんから脂肪はほとんど燃焼しません。しかし、筋肉がつきますので基礎代謝が上がります。基礎代謝の上昇は寝てても、食事をしてても基礎代謝が上がる前と比べてよりカロリーを消費します。ジョギングだと毎日2時間欠かさず走り続けなければなりません。ダッシュであれば30分(最初のうちは15分)で限界に達するでしょう。そして、筋肉繊維が修復される数日間は休養してもOKなわけです(たぶん)
低燃費の車もいいですが、低燃費なら低燃費なりの食事制限をしなければなりません。しかし、現代の日本は飽食の時代ですから、やはり、それに合わせた消費が必要です。
来年は、娘が幼稚園に行くので、運動会でいいところが見せられるかもしれません。というわけで、話が長くなってしまいましたが、今日からダイエット参戦します。好きなことでなければ続かない、時間が掛かることは続けられないことを良く知っていますので、やることは、ダッシュと腕立てです。腕立ても、二の腕がフルフルとなる感覚がたまりません!腹筋は尾てい骨が痛くて嫌いなのでやりません。でも、ダッシュで十分だと信じています。
道具も時間も要らないダッシュと腕立て。これで勝負します。
MovableTypeでPHP化を行ないました。詳しくは『MovableTypeを活用して脱初心者!』で説明しますが、簡単な割りにディスク容量の節約にも効果があり、かつ、何といっても再構築時間が劇的に短縮されるのが魅力です。
心配していたPHP化による表示時間の増大についてはさほどでもないことが分かり、いまのところ不満は全くありません。
今回はイーバンクを例にネットバンクのセキュリティを説明します(といってもイーバンク以外は知らないわけですが)。
まずは、イーバンクでは、今のご時世当たり前になってきているSSLを導入しています(ベリサイン社によるSSLサーバー証明書発行)。
そもそも、SSL通信技術とは、機密性の高い情報を安全にやり取りできるようにするために、米Netscape社が開発したセキュリティ機能付きのHTTPプロトコルで、『盗聴』『なりすまし』『改ざん』などを防止するのに有効といわれています。
SSLが導入されているサイトは、アドレスがhttps://ではじまり(sがつく)、ステータスバーに鍵マークがつきます(ロックされている必要があります)。
そして、SSLが導入されていることを証明する認証局はいくつかあるようですが、その中でもべりサイン社は世界で最も実績のある第3者認証機関として認められているようです。
その他のセキュリティ対策としては、
その他に、セキュリティを上げる無料オプションとして、
現時点で考えられる対策はいずれも講じているといえ、経済産業省からも表彰されているそうです。
今回は、ネットバンクのセキュリティについてです。
しかし、ネットバンクのセキュリティに入る前に、具体的に何がリスクなのかを明確にしておきましょう。ネットバンクに限らず、インターネットに関するほとんどのリスクは個人情報の漏洩及びそれを悪用されることです。
誰でも、怪しいサイト、セキュリティに不安を感じるサイトで個人情報を登録することなどしないでしょうし、怪しいメールの添付ファイルは開かないでしょう。それだけでもある程度効果がありますが、大切なのはトラブルが発生しても冷静に対応することです。
冷静さを失えば、相手の思うツボです。ヤバイ!と思ったら『Ctrl+Alt+Delete』でPCをダウンさせ、それから良く考えることです。下手な対応をするとどんどん深みにはまり、更に冷静さが失われるでしょう。
ネットでのセキュリティに、これといった決定打はありません。ある程度で折り合いをつける必要があります。ネットの外でも、空き巣、通り魔、詐欺等トラブルが存在するのと同じです。信頼できるサイトなのか、信頼できる人なのか、信頼できる情報なのか、自分の目を養うことが大切です。
イーバンクには『個人ビジネス口座』というものがあります。
これは一体どういうものでしょうか。
簡単にいうと、個人ビジネスをしている人にはおすすめの口座、ということになります(そのままですね)。とはいえ、個人ビジネスをしている人と一くくりにしても層はいろいろあります。これから開業する人、開業して間もない人、ビジネスが軌道に乗っている人、乗っていない人。ビジネスの形態も様々ですので、おすすめ度にも幅があります。
ではどういった層におすすめなのかと申しますと、
・とにかく屋号が付けたい人(屋号付口座)
名前+屋号で口座を開設できますので、事業を開始したばかりの人は、魅力があると思われます。しかし、ただそれだけの理由で申し込むというのは、?な部分もあります。とはいえ、モチベーションというのも重要ですから、モチベーションアップのために屋号付口座を開設するというのは意義があるでしょう。
また、税務対策上も、屋号付口座は家計と区別しやすく、税務署に説明しやすいのでいいかもしれません。個人的な買い物も行なってしまうと意味がありませんが。
・日々の支払が多い人(マスペイメントサービス)
オプションでマスペイメントサービスを利用できますので、日々の支払業務に忙殺されている方は楽になるでしょう。しかし、支払が月に数件~十数件という方にはあまりメリットとはいえませんね。
・組織ができつつある人(総合口座サービス)
個人から飛躍して奥さんと知人数人で事業を行なうようになると、総合口座サービスは使えると感じるかもしれません。マスペイメント同様、支払が多くなっても対応しますし、目玉は承認機能です。つまり、振込依頼を出しても承認待ち状態ですから、振込処理を起票する人と承認する人を分けることができます。これで内部牽制もばっちりですね。
但し、個人ビジネス口座は手数料が安いとはいえ、無料が売りの個人口座に比べれば、手数料がかかるわけですから、これからビジネスを行なう人、ビジネスを始めて間もない人、一人でやっている人には時期尚早というのが個人的な見解です。
それでは手続きについて、思ったことを書き留めます。
手続きは、面倒ともいえますが、簡単ともいえます。
つまり、単にネットサーフィンしているよりは遥かに手続き(クリック、タイピング)が必要ですので面倒です。しかし、銀行口座を開設する(銀行と契約を取り交わす)のですから当たり前です。逆に、一般の銀行で口座を開設することを考えれば遥かに簡単です。判子を持ち合わせていなくてもできますし、順番を待つこともありませんし、身分証明が手元になくても取りに帰らなくて済みます。
それでは、具体的に、イーバンクでの体験を元に口座開設の流れについて簡単に説明します。
ネットバンクの仕組みについて十分調査を終えた後、イーバンクのHPに飛び、まずは手数料体系やイーバンクのメリット、会社概要などを再度念入りにチェックしました。都合3回ブラウザを閉じ、4回目に訪問してようやく納得がいったと記憶しています。
さて、納得がいき『口座開設申込』ボタンを押しますと、『プライバシーポリシー』と『口座取引規定』に同意します。すると『申込フォーム』で個人情報を記載します。ここで2つのポイントで立ち止まりました。
一つは登録するメールアドレスをどれにするかです。複数持っているメールアドレスのうちどれを登録するか。これはかなり悩みます。よく悩んで、自分で判断します。
もう一つは振込入金口座を『三井住友銀行』にするか『りそな銀行』にするかの選択です。こちらは更に悩みます。自分の身近にどちらの銀行があるか、どちらの銀行と付き合うほうが自分の信用力をアップさせるか、三井の知人とりそなの知人の顔などなど。この辺りは予め悩んでから訪れた方がいいと思います。
更に進むと、もう一つの難関があります。
クレジットカードを作成するか、キャッシュカードに止めるか、はたまたカード自体を作成しないかです。
お金を引き出すつもりが無い、お金はネットで決済するものに使う、というのであればカードは作成しないでいいかもしれません。当然、カードで入金することはできませんので、入金は振込みorネットビジネスで稼ぐことになります。
キャッシュカードを作成する場合は、カード申込時に一定金額の残高(2005年6月現在10万円)が無ければ発行手数料(同1,050円)が掛かります。また、一定の条件をクリアしていない場合はATMの利用手数料が掛かります(同200円)。
クレジットカードを作成する場合、入会金無料、年会費永年無料ですからコストは一切掛かりませんし、メリットが多いです。したがって、クレジットカードを作成するのがベストチョイスだと思いますが、クレジットカードが増えることに抵抗を感じないわけにはいきません。
結局どれがいいのかですが、自分は最初、とりあえずカードの発行はいいや、と思いながら手続を進めていたのですが、以下の理由でクレジットカードを作成することにしました。
それは、もう一度サイトに訪れて手続するのがめんどくさい、というだけのものです。次回はもう一度全ての入力項目を入れなおす必要は無いかもしれませんが、口座開設と同時に申し込めば、間違いなく住所等の情報は既に入力された状態でクレジットカードの申し込みができます。
最後にちょっとだけ感じたのは、住宅ローンを組む前にクレジットカードを申し込んだ方が手続がワンステップ省略できていい、というものです。まあ、その分、後で住所変更手続をしないといけないわけですが。最悪なのは(大げさですが)、住宅ローンが確定して、引越し前の間にクレジットカードを申し込む場合です。また、現住所に3年住んでいないと前の住所の記載を求められます。こちらも該当したら面倒くさいですね。
入力手続が完了すると、確認メールが到着します。それから、本人確認書類を送付します。郵送も選べますが、FAXできる環境にあるのであればFAXで送るのが簡単ですね。
これでイーバンク銀行
の口座開設手続きは一応終了です。あとは審査が通れば開設されます。
現在、ネットバンクはイーバンク銀行とジャパンネット銀行に絞られてきたといってよいようです(ソニーバンクもありますが)。
そして勢いとしてはイーバンクはジャパンネットを上回っているようです。その理由は、手数料が安いから(金利も高い)。以前はネットバンクといえばジャパンネットだと思っていましたが、完全に逆転したようです。
しかし本当に逆転したのでしょうか?
どちらの銀行も未上場企業ですが、銀行であるため、ディスクロージャーはそれなりに充実しています。
それによると、総資産はジャパンネットが上回っており、経常収益、経常利益ともジャパンネットに軍配が上がりそうです(イーバンクはまだ17年3月決算を開示していないので第3四半期決算からの推測ですが)。
イーバンクは拡大路線に出て無理をしているのかもしれません。そうであるとすると、息が持つかどうかが勝負の分かれ目で、息が持てば、ジャパンネットの息の根を止めることができるでしょう。持たなければ・・・
で、どっちがいいのかですが、
とりあえず、ネットバンクと付き合ってみたい、という方には『イーバンク』でしょう。
ジャパンネットは取引が低いと口座維持管理料を取られてしまうので、様子見で(友達としてから)付き合ってみる、という場合にお金がとられるのはデメリットだからです。
【2005年6月2日追記】
イーバンクには口座名義が『イーバンクギンコウ(カ』となる問題とクレジットカードを作成しないと完全無料化を実現できないという点があり、一方で、ソニーバンクはそれらの問題点を解決しているため、イーバンクとソニーバンクは接戦しているといえます。
ソニーバンク一本で足りるじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、提携サイトの多さはイーバンクに軍配が上がりそうで、どちらとも決めがたいというのが現在の本音です。
ネットバンクって何?
そりゃあ、インターネットバンクでしょう。
しかし、日常ネットバンクを利用している人とそうでない人(自分)とでは知識量に格段の差があると思われます。
なんとなく理解できるような気がするけど、実際良く分からない。どんなメリットがあるのか。作っておいたほうがいいのか?
というわけで、ネットバンクについて調べてみることにしました。
正直なところ、ホリエモンこと堀江貴文氏について、一昨日までほとんど知らず、興味も全く無かったです。堀江氏に限らず、有名人を知っても得るものは少ないというのが基本的な考えなのですが、一昨日は仕事が一区切りついたというか、マインドが下がったというか、とにかく暇になったので、氏の書籍の一つでも買ってみるかと書店に立ち寄ってみました。
この手の時の経営者が書いた書籍というのは、当たり前のことばかり書いてあり、後でガッカリさせられる経験多いので、慎重に吟味した結果、『100億稼ぐ超メール術』を買ってみました。
メール技術については、自分もあまり真剣に考えたことはないので、丁度いいかもしれないと思い、買ってみたところ、これがなかなかの良書です。
堀江氏がメールをビジネスの基幹としており、メールに対する熱い思いが伝わってくるし、1日5000通のメールをいかに処理しているかのノウハウも詰め込まれており、ビジネスのスピードを上げたければ、もっとメールを上手に活用することを考えなければいけないなと強く思いました。
この本を読んで、堀江氏の思想も多少なりと理解できたし、共感する部分も多いことが分かり、有意義な一冊です。
これが結構はまります。
MovableTypeをインストールしたからにはカスタマイズしてなんぼでしょう。やりようはいくらでもあるようで、使い勝手のよいブログを目指して日々カスタマイズに明け暮れています。とはいえここ数日で随分カスタマイズしたので、多少食傷気味になってきており、とりあえず一段落。
カスタマイズ内容としては
人それぞれ感じ方は違うだろうが、製作者(私)の意図を以下ご紹介します。
数多くあるWeblogの利点のうち、自動的にカテゴライズされる点は非常に助かります。
毎日訪問してくれる方は最近7日間の日記を見れば事足りますが、初めて訪れた方は、時系列で過去から全てを読むのはしんどいです。そこで、カテゴライズされていますと自分の興味のあるテーマだけとりあえず読むことができるわけです。ここで興味深ければ、他のテーマも読んでみる気にもなるでしょう。
リピーターの訪問者ももう一度読み返してみたいときにカテゴライズされていれば目的のものにたどり着きやすいし、自分自身も、後日ある系統について体系的にまとめようと思った際に既にカテゴライズされていることは大きなメリットです。
また、カテゴリ別に記事が何件あるのかを表示できる点も訪問者に事前情報を与えることができるので利点の一つでしょう。
もう一つ、細かいメリットとして、一日に何回でも投稿できることが挙げられます。いくつも投稿したいものがあっても、これまでのように日付をずらさないで済むわけです。
さて、せっかくWeblogを導入したので、機能を活用してみたいと思います。
外出先からアップするだけならWeblogでなくともFTPサーバを立てればいい話ですから、ここはやはりトラックバックの機能を使うことがまず第一歩と考えます。トラックバックの用語を調べても良く分からない部分が多いため、実際トラックバックをしてみることで理解を深めることにしました。
とらっくばっくとは?
ここのサイトで練習できるので試してみたところうまくいったようです。
トラックバックはリンクした相手に対して自動的に通知を送る機能で、相手がトラックバックを受け付けられる環境(ブログ)であれば、相手のサイトでもトラックバックされたことを更新します。
Google検索で上位にヒットさせるための対策として、相互リンクを行なうことが推奨されていましたが、トラックバックを行なうことで相互リンク的な効果が得られるわけです。
こうした機能を逆手にとって、トラックバックスパムが横行し、人気のあるブログではスパム対策を講じなければならないという状況でもあります。頭のいいGoogleのことですから、すぐにトラックバックスパムを無力にしてしまうと思いますが。
トラックバックを行なうのであれば、礼儀としてエントリーの概要は書いておいた方がいいです。書いていないと最初の50文字とかが送られるわけですが、送られた方はあまりいい気がしないでしょう。
イヤッホー!!!
思わず叫んでしまったが、答えてネットの景品交換で2000ポイント溜めて応募したところ、YAMAHAのホームシアターサウンド・スピーカーシステムが当たってしまった。
当たるといいなとは思いながらも、まさか本当に当たってしまうとは!
ここ1年ぐらいで獲得した景品等は
Nameの『JAL旅行券10万円』
これにはびっくりした。8月までに旅行に行こうと計画を立てており、おそらく7月に北海道に行くことになると思う。
Vulの『液晶ミニテレビ』
コカコーラについているシールを溜めて応募したところ当たってしまった。全く活用されていないが、アウトドアでも利用できるし、せっかく当たったので何とか活用したい。
Nameの『ケーキ』
どこのブランドだか自分は覚えていないが、かなりの高級ケーキが年4回送られてくることになって、1回目が先日来た。確かにおいしい。
その他
細かい景品がその他にいくつか当たっているが、あんまり覚えていない。
こうしてみると、結構当たっているように思う。何気に我が家は『懸賞家族』なのだろうか。
ナポレオン・ヒルという人は貧乏大学生の時、成功者に取材をするアルバイトを始め、一番最初にアンドリュー・カーネギーにインタビューしました。
二人は意気投合し、とうとうカーネギーが自分の実践してきた成功哲学が普遍的なものであることを確かめたいという夢を語り、それには20年の歳月が必要だが自分は年をとりすぎたため、ヒルに引き継いでもらえないかと打診したところ、ヒルは29秒で引き受けることを決断ます。
その後、カーネギーの紹介状を持って多くの成功者にインタビューを行い、ヒルは20年かけてカーネギーの成功哲学が普遍的であることを確認し、それを体系的にまとめました。
ヒルの『お金と人生の法則』という小冊子は無料で入手できます。
(勧誘電話がうっとおしいのであまりお勧めできませんが)
カーネギーが実践した6つの方法
いやっほー。
とうとう自分にもWeblogができました。ありがとう、Makotoさん、スペシャルサンクス。以下、顛末を簡単にご紹介します。
昨日は、なぜだか英語になってしまっていたので、ダウンロードファイルを再び解凍しなおすところから再開。これまでの苦難の日々のお陰で、ほとんど鼻歌交じりで設定ができるまでになっていたからさくっと完了し、mt-cgiを多少緊張しながら実行すると、あっさり日本語のログイン画面。やった。
ところがいざログインしてみるとやっぱり英語。ここは、掲示板のアドバイスに従い言語設定を日本語に変更して事なきを得た(前回は日本語の選択肢が無かった)。
さあ、これで全て解決しちゃったりして、などと期待しながらFirstWeblogを編集し、表示してみるもやはり駄目。Apacheの設定が絶対にまずい。cgi-binの下のhtmlファイルはどうしたら見えるんだ。
っていうか、cgi-binの下に構築しているのがまずいんじゃないのかなぁ、と呆然としつつ、いろいろ試行錯誤し、ようやく、MovableTypeのインストール先はcgi-binでもブログは別の場所にすればいいのでは?ということに気がつき、やってみると、このとおりできてしまったのさ。
Makoto師匠のアドバイスのおかげで前進しましたので、以下報告します。
とりあえず、MySQLをVer4.0に落として3度目のインストール。DBを再作成しmt-load.cgiを動かしてみると、次に進んでよいとのありがたいお言葉だ。次はいよいよmt.cgi。これで終わりだ。
と、意気揚々と進めるも、何か違和感が。
「あれ、英語だぞ」。一抹の不安を感じつつ、ログインしてみるも、やはりそこは英語の世界。「日本語になってない~」と嘆きながらも、まあとりあえず英語でもいいから進めてみたいと言う気持ちで、FirstWeblogを編集し、できたサイトを表示してみようとするが、表示ができない。
cgi-binの下に置いたのが原因かなぁ、となるとApacheの設定かまずってるのかも。というか、やっぱり日本語の方が気分的にいいし、もう一回やり直すかなぁ。ということで、再び撃沈。
何につけても自分は苦労するようにできているようだ(つうか、ブログはまだ実力を超えているのかも…)。
苦難続きでかなり疲れてます。以下奮闘記を記します。
毎日少しずつ作業を進め、いよいよMovableTypeをインストールするかと取り組んだ。マニュアルを読むと、MovableTypeのインストール前にMySQLで新規DBを構築しておかなければならないことが分かり、やろうとするがうまくいかない。
サイトを調べて手がかりを掴むも該当するファイルが見当たらない。やむなく、サイトの手順に従って再度MySQLをインストールしなおし、ひいひいいいながらDB及びユーザーを新規作成した。
次にMovableTypeをインストールし、設定ファイルの書き換えを行なってmt-check.cgiを動かそうとするも、MovableTypeのインストール先ではcgiが動かない。Apacheの設定がまずいのだろうと、いくつかサイトを調べてトライしたもののうまくいかず、やむなくcgiが動いているcgi-binの下にMovableTypeをインストールしなおすことにした。これでようやくmt-check.cgiが動いた。
ところが、mt-check.cgiによるといくつかインストールができていないことが判明。これまた色々とサイトめぐりを行い、ActivePerlのPPMでインストール(あまりよく理解していないが)。このあたりで、かなり疲労が溜まってきたが、なんとかmt-check.cgi上で次のステップに進んでよいとのメッセージが出た。
次はすんなり行ってくれればいいのだが、と甘い期待を持ちながらmt-load.cgiを実行すると期待は早速裏切られ、MySQLの設定が甘いことを指摘される。再びMySQLのサイトを調べ、MovableTypeのMySQL設定手順の解説サイトなどものぞいてみるが、これが全然うまく行かない。
どうもホストの設定がまずいようで、localhost、namep.homeip.netなど思いつくホスト名を入れてみるもうまく行かず、ここで撃沈した。
ほとんどの先人達はサーバーがプロバイダにあることを前提に記載しているため、通常はホスト名で躓くことはないのだろうが、自宅で構築している分このあたりの設定はわけが分からなくなってくる。挙句の果てに『サーバー管理者に確認してみてください』とのトラブルシューティングを目にして、完全にやる気が失せた。
とりあえず、次はいつ挑戦するか分からない状態なので、mt-check.cgiとmt-load.cgiを削除。
『人は思ったとおりの自分になる』ということを聞いたことがある人も多いだろうし、普段からそう思っている人も中にはいるでしょう。自分もそう思っている人の一人です。つまり、未来の自分の姿は自分で決めているわけです。
自分はこうありたいという願望は、そこに向かって自分を引き上げていくためには必要ですが、願うだけで叶うほど世の中は甘くもありません。
いろいろな過去の経験則、本や映像から仕入れた知識、要するに記憶により、自分にもできるのではというマインドも、弱弱しい歩みを支えるために必要なことではありますが、やはりそれだけでは不十分です。
過去の成功体験、自分自身に対する信頼というポジティブな記憶と自分の目指す姿とがしっかりとつながったとき、『自分は必ずできる』という確信を得るにいたり、こうなると未来の自分は必ずそうなるのだと思います。
逆に、過去の失敗体験、自信の無さというネガティブな記憶が強いと『自分には無理だ』とか『自分にはまだ早い』といった気持ちにより、願望を実現することはできないでしょう。これは、自分が無理だと決め、まだその時期ではないと決めたのです。
屁理屈を言っているのではありません。人間が記憶にとらわれた生き物である限り、記憶を有利に活用した方がいいわけで、ポジティブに思考することをお勧めします。
今ネガティブかなと思ったら、ポジティブな人ならどう考えるんだろう?と立ち止まってみることがいい訓練になります。そのうち自然にポジティブな解釈(考え)ができるようになるでしょう。
また、確信を持つためには全力を尽くすことです。自分は精一杯やった(やっている)という自分自身への信頼が確信を持つためには必要だと思います。
全力を尽くすということは、自分自身の相対評価です。人と比べて全力かどうか、絶対的に全力かどうかはどうでもよいことで、過去の自分と比べて全力かどうかだけを判断すればよいと思います。
昨日の日記はちょっと矛盾がありますが、そのままにしておきます。やはりそれだけ、過去、現在、未来という概念は難しく、簡単に語れるものではないということでしょう。
間違った情報を意図的に発信し続けることは論外としても、人間なのだから多少の錯誤や誤認は止むを得ないと考えています。理解が不十分であるときに、(自分には発言の権利がない)と考えることは良くないです。
確かにそうした状態で発言することは批判を受けるリスクを背負います。したがって、何でもかんでも言いたい放題というのはよろしくないですが、自分が言いたい!と思うことまで自制してしまうと、抑圧されたストレスの塊になってしまい、しかもその原因が自分自身にあっては救いがたくなります。
さて、掲題のテーマに戻ります。
子供を見ていると、成功体験がいかに重要かがわかります。
滑り台をすべることができた。108ピースのパズルができた。自転車に乗れた。自分の身長より高いところからジャンプできた。ひらがなが読めた。いろんな成功体験を重ねてどんどん成長するのを見ていると、『危ないから』『まだ小さいから』といった理由で体験をさせてもらえないことが子供の成長の障害になるだろうことは容易に想像付きます。
一方、思い込みというものは、より人間の行動を左右するということも確かです。
自分はちっちゃいから滑り台は滑られない。パズルは難しくてできない。自転車は怖い。高いところからのジャンプは危ない。子供は文字を読めない。『できない』と思い込んでいるときにはいくら手を変え品を変えておだててもなかなか導けません。
しかし、同年代の子供がびゅんびゅん自転車を乗り回している姿や、ジャンプしている姿、滑り台を滑っている姿などを見ているうちに、自分にもできると思い込むようで、こうなるとやってみようという意思がわき、うまく成功して驚いて見せたりすると、得意になって何度でもやり、これが成功体験として記憶に定着するわけです。
HikaruはBianのやることを何でもまねたがり、したがって成長が速いです。これらも視覚から入った擬似的な成功体験が功を奏していると表現することもできるでしょう。
過去、現在、未来というのは何でしょうか。
『過去は変えられない、現在は選択、未来は無限の可能性。』
一見正論のようですが、過去というのは記憶・記録の中にのみ存在しており、解釈は無限大に成り立ちます。つまり、『事実は一つでも解釈は無限大』というわけで、人間にとって必要なのは事実ではなく解釈(or記憶)だということです。
極端な例ですが、ある人の話では、バイクでおばあちゃんをはねてしまったとき、「感謝します」ととっさに言ったそうです。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲すると、おばあちゃんはスタスタと救急車に乗り込み、その後、おばあちゃんの農場でバイトさせてもらったり、孫達の家庭教師をしたり、とうとう自分の結婚式におばあちゃんが出席して和太鼓を披露してくれます。
バイクでおばあちゃんをはねたという事実(過去)は変えられませんが、「あの時おばあちゃんをはねたことが自分の不幸の始まりだった」と解釈していると、おばあちゃんを逆恨みしかねないぐらいに自己嫌悪に陥るでしょうが、過去にとらわれない生き方で、ポジティブに考えられると上記の例のようになる場合もありるでしょう。
ブログについてあれやこれやと調べています。
まずは、リニューアル等ホームページ製作では常にお世話になりっぱなしであるmoon21にて情報収集。
感心したのは日記がジャンル分けされている点です。そのため、関心の高いジャンルだけを閲覧することができ、訪問客に親切な設計となっています。日々いろんなテーマで長々と日記をつづる自分にとっては、この機能は是非とも導入したいと強く思いました。
また、コメントを打つのにID登録している者しか受け付けない『TypeKey』という機能を利用していることがわかりました。ブログについての当初の印象が、日記にコメントを簡単に寄せられるため、(荒らしにあいそうで怖い)というものだっただけに、この機能は非常に魅力的です。
更に調べていくと、『Movable Type』というブログツールを利用していることがわかりました。
これはアメリカではかなりのシェアを占めているようで、日本法人もあり、個人ユースの1ユーザーであれば無償で行なえるようです(個人5ユーザーの場合は9千円弱)。
1ユーザーというと、自分とNamePと分けて作ることができないため、やっぱり有償を使うことになりそうな予感を持ちながらも、Apache、Perl、JavaScript、MySQLなどの知識が今の自分の水準で十分なのかどうか不明なため、とりあえずは無償版で試してみることになりそうです。
ブログユーザー数について調べていくうちに、『ブログペット』というものを見つけました。
これは、どうやら自分のブログを学習してペットのウサギがコメントを付け出したりするAIのようで、こいつを飼うには1ユーザー数食うようです。なかなか面白そうなので、ちょっと飼ってみたい気がします。
さて、ブログサイトでは、いろいろと見慣れない用語が散らばっています。
例えばトラックバック。
【IT用語辞典】
ウェブログ作者が別のウェブログの記事を参照して自身のサイトにコメントを掲載するような場合、元の記事へのリンクを張るのが一般的だが、単にリンクしただけでは元の記事の作者はどこからどうリンクされているのか容易に知ることはできない。トラックバックはリンク元サイトに「このような記事からリンクを張った」という情報を通知する仕組みで、リンク元記事のURLやタイトル、内容の要約などが送信される。トラックバックされたサイトはこの情報を元に「この記事を参照している記事一覧」を自動的に生成することができる。
ブログに関する耳慣れない用語についてはIT用語辞典で調べるといいでしょう。
そうこうして、再びmoon21を調べていくうちに、purplemoonというサイトに辿り着きました。この際ホームページ製作のいろはを学びなおした方が良さそうだな、と思い直し、今月中にリニューアルすることは諦め、腰を落ち着けて妥協のないリニューアルを目指すことにします。
システムとは何かについて哲学しだしたのと期を一にしてブログという言葉を初めてNamePから聞きました。
『なんじゃそりゃ?』という反応で、説明を聞いてもあまりぴんときません。今使っているABCDiary(既に廃盤となってサポートされていない)と比べてどんなメリットがるのかがあまり認識できず、『ふーん』と聞き流していました。
そんな状況下、システムについて日夜ネットで調べているうちに『社会システム理論』をブログを使って投稿しているサイトで、非常に説得力のあるものに出会いました。このサイトについてはもう少し自分なりに租借してから紹介したいと思いますが、ブログを使っている点がとても気になったのです。
ということで、システムの哲学は一休みして、ブログについて情報収集を開始した次第です。ブログのメリットがおぼろげながら見えてくると、Webリニューアルの野望も再燃してきました。このモチベーションを維持すれば、今月中にサイトリニューアルも可能かも。
昨夜あたりから『システムとはそもそも何ぞや』という命題を掲げながら哲学にふけっています。
といって、これまでの不勉強を棚上げして、これほどの概念を2日で完全に理解することは無理な話。
ということで、多少引用するだけで当面はお茶を濁すことにします。
永井俊哉講義録 第31号
システム(system自然科学では系とも訳される)という言葉は、ギリシャ語の「結合する」という意味の語に由来する。だからシステムは、常識的には、結合された要素のまとまりとして定義されている。この定義は、システム/要素関係を全体/部分関係と同一視しているわけだが、システムは部分から合成された全体ではないし、ましてや全体と部分との空間的な包摂関係ではない。システムは単なる要素の集まり以上であり、この「以上」が選択性である。システムは、要素をどう結合するかを選択し、そして選択された結合様式が、システムの構造となる。システムとは、選択すること以外の何ものでもないと言ってよい。
《中略》
システムを構造と絶対的に区別することが不毛であるもう一つの理由は、区別が相対的であるということである。あるものがシステムか構造かは、観点によって変わってくる。氷山を自己組織的とみなすならば、それはシステムである。極条件によって規定されていると考えれば、氷山は、地球システムの構造の一部分(サブシステム)である。
では、この世界には独立自存のシステムがあるだろうか。おそらく一つもないであろう。どんなシステムも基礎付けのネットワークの中にある。だから選択される構造は、選択されるシステムと同一視しても実際上の問題はない。しかし概念上両者を区別することは可能だし、少なくとも哲学にとっては必要である。
最後に環境の概念を検討しよう。システム/環境関係は、システム/要素関係が全体/部分関係と混同されがちであるのと同様に、内部/外部関係と混同されがちである。こうした空間的な概念把握はナイーブであり、不毛でもある。
《以下略》
地球システムから個々の人体における生命システム(更に各臓器システム)、資本主義システムから会社のビジネスシステム(更に個々の業務システム)。システムと構造、システムと環境、全体と部分、外側と内側、全ては主観的、相対的な定義ということでしょう。
しかし、システムは単なる要素の集まり以上であり、この「以上」が選択性である。というのはどういうことなんだろうか?
ある物事について、やるかやらないかの判断を行なう場合、
①やる場合のメリット・デメリットをいろいろ想定する
②やらなかった場合(つまり現状維持)のメリット・デメリットも一応考慮する
というステップを歩むと思いますが、ここで①で付随的に発生するいろんなことを想定することはよくあることです。しかし、これが果たしていいことなのかどうか、再考させられる機会があったので披露しておきます。
月次で行なっていたある業務を日次化するかどうかの検討をしていました。この場合、
こうした枝葉末節までよく吟味することは、決定された後の支障を予め取り除くことにつながるので、決定後のスピードに影響するし、決定後プロジェクトが頓挫するリスクが減るため、物事をうまく処理するためには必要なことです。
しかしながら、これらのことは吟味しておくに止め、判断材料とすることとは区分しておいた方が良いのかもしれません。
つまり、右を行くか左を行くかという判断はバイアスがかかりにくいわけですが、行くか行かないかという判断は行く場合のリスクばかりに焦点が行って、結局行かないことが多いわけで、これではなかなか変化・変革は成し遂げられません。
変化するばかりが能ではありませんが、先の例の場合、日次化した方が明らかに会社としてのメリットが高く、個人にもそのメリットが還元され、そこにかかる労力負担が問題になるほどでもなければ日次化するべきですが、付随する影響に目が行きがちで、時期尚早という結論に陥りやすいわけです。
さて、開発負担は考慮から外し、日次化することが決定されました。
それから二日の間に、フリーソフトで使えそうなものが見つかり、ほとんど開発しないですみそうな状況になったのです。システム間の連携やアクセス権の問題が多少残っていますが、その部分は先日相談した米長氏が力になってくれるだろうし、それらは後回しにしてとりあえず運用を開始するということもできる段階になりました。
日次化を選択した結果、本気で開発負担を低減させるためにサーチに力を入れ、結果良質なソフトを手に入れることができました。当初非常に頭を悩ませていた問題のほとんどは杞憂に終わったと言えるかもしれません。
自分に期待してくれる人、自分を応援してくれる人、自分を信頼してついてきてくれる人、こういった人達に自分も手を差し伸べることはたやすいです。
初めて会った困難を抱えた人というのも過去のしがらみのないので比較的手を差し伸べやすいです。
しかし、自分を嫌っている人、自分を憎んでいる人、自分を妬んでいる人、仮にこうした人達がいた場合、自分は手を差し伸べられるでしょうか。
そのためには非常にエネルギーをとられるし、徒労に終わるどころか、手を差し伸べたつもりが更に嫌われたり、憎まれたり、妬まれたりする可能性の方が高いかも知れません。
真意がなかなか伝わらない神経の鈍い人、被害者意識(誤った確信、思い込み)が強すぎてこちらの言っていることをなかなか理解できない人、こうした人達も理解させるには多大なエネルギーが必要です。
この問題に対して、自己啓発本を読み、二つの対応策が提示されました。
一つは効率を重視し、時間、エネルギーをとられる人は切る、というもの。これはこれで『営業』『成績』という観点では重要な考え方で、トップセールスマンになりたければ効率性を重視することも大事でしょう。
もう一つは、万人を信頼し、全ての者に救いの手を差し伸べる、というもの。これは言うはやすしで実際には非常に大変ですが、最終的に人を差別しないというか、区別しない生き方が認められて長い目で見れば結果的に大成功を収めるのかもしれません。
しかし後者の生き方をするには、次の点を注意する必要があると思います。
『時間、エネルギーをとられる人に時間もエネルギーも多大に費やすべきではない。あくまでも、平等に接するにとどめ、効率のいい人と同じ程度の時間とエネルギーを消費する。結果的に、時間、エネルギーをとられる人に理解させるのは随分先かもしれないが、切らない限りいつかは理解してもらえるだろう。』
自己啓発本(もしくは自己啓発セミナー)は、自分の生き方が正しい方向に向いていることを再確認することや、自分がまだ気づいていないことを知ることも重要であるが、書いてあること(言っていること)は全てが正しいと鵜呑みにせず、常に批判的立場で斟酌し、納得の上で自分のものとすることが重要です。
「とても自分では反論できない」「お説ご尤もです」という態度では、『いい話を聞いた』という程度の、まるで他人ごとかのような受け取り方にしかならず、記憶に定着することはありません。これでは自己を啓発することなど到底適わず、単なる自己啓発マニアに成り下がります。
例えば、多くの書籍では目標設定が大事だと教えますが、鵜呑みにすると常に目標を設定しなければと自分を追い立ててしまうでしょう。
本当に目標設定が大事かどうかをよく吟味すれば、夢の実現には目標設定が近道ではあっても、そのために日々自分を追い込むことが果たして自分の求めている行き方なのかどうかを検討することができます。そして、強く実現を望む夢に対しては目標を明確にしながらも、日々の人生を楽しむだけのゆとりを持つことができるでしょう。
また、お金は無駄に遣わず賢く遣えといった教え方もよく見かけますが、それぞれは『ふむふむ』と理解できても、一見対立するようなものを並列させて理解できるかどうかも、批判的態度で読んでいれば(聞いていれば)、そのバランスを自分なりに考えることができるでしょう。
私は長い間『人脈』という言葉が非常に嫌いでした(今でもやはり多少抵抗のある言葉ですが)。
どうしても、『人脈』というと『困ったときに助けてくれる人、特に専門家』というニュアンスで使われているという気がしていたため、『人脈』を大事にする人というのは、他力本願な人か人を自分の役に立つかどうかで評価する人というイメージが強く、(『人脈』を口にする人は信用ならない)という気持ちを持っていたわけです。
一方、私の好きな言葉は『戦友』です。共に戦ってきた信頼できる仲間であり、そこには損得勘定は一切入り込みません。
しかし、最近自己啓発本をいろいろ読んで感じたことは、『人脈』と『戦友』とは異質なものではないということです。『戦友』ということになると、普通2、3人、せいぜい10人いれば多い方であり、どちらかというと『パートナー』に近く、一方で『人脈』はほとんど無限大に多くすることができる点で、『人脈』と『戦友』とは異なるわけですが、本物の『人脈』とは損得勘定が一切入り込まないものであり、その点では両者は本質的に同じということになります。
ではなぜ、これまで『人脈』の本質に気がつかなかったのでしょうか。それは、心が狭く、視野が狭かったからに他なりません。
私と同じくらい真剣に人生を行き、同じくらい苦労を味わい、同じくらい技能を磨いている者だけを、私は認めてきました。そうして得た者が『戦友』となり、私は『戦友』さえいればよいと思っていました。
しかし、『戦友』しか認めない生き方では、自分が与えられる幸せの数は非常に少なくなります。もし仮に、考え方を変えることで、もっともっとたくさんの幸せを与えることができるとしたら、その方が自分も幸せになれると思います。
そうして考えると、『人脈』とは、自分が心から応援してあげたいと思え、自分の得意なことで喜ばせてあげられる人、且つ、自分を応援してくれ、それぞれの持ち味を活かして自分の役に立つことを喜びとして感じてくれる人を指すのだと思います。
まあ、そんな定義などどうでもよく、要するに、
月次のプロジェクト別割当時間を集計するシステムを開発し、運用しているのですが、これを日次で集計する要請が出ていて、一方で、現場からは日次にするなら、負担のかからないシステムにして欲しいとの要望があり、頭を悩ましていました。
つい先だって、稟議、電子決裁、押捺申請、報告書決裁のシステムを構築したところで、この勢い及びそこで新たに獲得したノウハウで一気に乗り切るかとも考えていましが、稟議システム等のベータバージョン完成後のバグ取り、ユーザーの要望への対応等を行なっているうちに、やや食傷気味になり、当面システム構築はやりたくないな~という気分に陥っていたのです。
ということで、日次集計システムを作るかどうか決めかねている、というのが現状ですが、潜在意識の中では作ることになるだろうと感じていたので、思い切って行動に出ることにした。
二日ほど前にラフなシステム構成のスケッチを描いていたのですが、果たしてそれが適切なのかどうか判断に苦しんでおり、一人で悩んでいても解決できないし、時間が無駄だし、かといって先に行動を起こして、後で深みにはまったり、頓挫したり、中止となっても面白くないし、やはり設計段階で(どこまで造り込むかどうかも含めて)十分検討した方がいいと思ったので、他に助力を得ることにしました。
1年前、タイムカードを導入しました。もともとは非常に簡便なフリーソフトのタイムカードシステムをVectorから取ってきて、これにExcelVBAで機能を付加して出勤簿を作成していたのですが、タイムカードとしてはいくつかの致命的な問題を抱えており、それまでのラフな運用では耐えられましたが、きちんとタイムカードを運用するには向いていなかったのです。
そこで、去年の今頃も、自分たちが求めるタイムカードシステムを自ら開発するかどうか悩み、結局Vectorでいくつかのシェアウェアソフトを試し、今のTCardというタイムカードを導入することにしました。
当事、TCard自体が出来立てでもあったようで、いくつかのバグが見つかり、開発者の米長氏と10往復ぐらいメールのやり取りをしながらバグの修正を行なってもらいました。あれから1年、今回の日次でのプロジェクト別割当時間集計システムの開発にあたり、米長氏の意見を聞いてみたくなりました。
場合によっては、将来タイムカードとの連動も視野に入れることも可能になるかも知れず、彼を味方につけることはメリットが大きいだろうし、そもそも、この1年で成長した自分の力量を誰かに評価してもらいたいという気持ちもありました。
電話を手にしたとき、(まだ、やるかどうかも決まっていない段階だしかえって迷惑になるだけかもしれない)と僅かにためらったものの、(電話をかけたからって必ず仕事につながらなくても、正直に現状を説明すれば向こうも理解してくれるだろう)と思い直して番号を押しました。
どうやって名乗ればいいかなと思いながら名を名乗ると(実はこれまでメールだけのやり取りで電話はしたことがなかった)、予想に反してこちらのことを覚えていてくれたのです。それだけではなく、実は近々私の方に相談したいと思っていたところだといってくれました。
相談というのは、TCardを新しいシステムに乗せたバージョンを開発中であり、できたときにその運用テストを当社で引き受けてもらえないかどうかの相談で、もちろんお代は頂かなくても良い、というものです。しかし、今は非常に忙しく(昨年も忙しい様子だった)、すぐに完成するというわけには行かないのだがという但し書きが付いていました。
おそらく、米長氏も、新しいシステムに乗せたTCardを完成させたいが、ニーズにかなうのかどうか、うまく行くのかどうか多少の不安を抱え、業務も忙しいので後回しにし続けているのではなかったでしょうか。そして、なにか後押ししてくれるきっかけを待っていたのだと思います。そして、私の電話がトリガーになり、開発意欲に火が付きかけたのです。
そういうわけで、話がとんとん拍子に進み、来週たまたま仕事で東京に来る予定があるので、会社に立ち寄ってもらえることになりました。こちらの依頼に関しては、米長氏が多忙であること、当方も開発ノウハウは有していること、予算の問題もあることなどから、とりあえずは、最初の設計段階で間違えないよう、また、随時問題にぶつかってもすぐに解決策を見つけられるようコンサルテーションをお願いするということでラフに合意が形成されました(実は今、もう少し別のことも検討しています)。
ということで、片思いが両思いになったような、不思議な感覚になって、とてもうれしく、今日はとてもいい一日でした。
やりたいことを洗い出したところで、それではどうしたら感情を体全体で表現できるかです。
いろいろ要素はありますが、最も重要なのは『演出』ではないかと思います。『演出』というと、もしかすると芝居じみていてネガティブな印象を持たれるかもしれませんが、良く考えれば感情を表に出さない生活を送ることも演出(演技)なわけで、人間の表現能力、意思疎通というのは全て演出であると理解した方が良いかもしれません。
そうしてみると、感情を体で表す演出と感情を表に出さない演出のどちらを選択するかの問題になり、それなら感情を体で表すことを自分は選びたいわけです。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲ただし、演出=演技ではなく、演出≧演技であるわけで、普段の生活における伏線(自己表現)、感情表現すべきときに一緒に共鳴すべき人物に対する根回し、感情を表に出す舞台製作、感情にふさわしい言葉(セリフ)等々、よく準備して行なわなければただの茶番劇になってしまうか、演技しすぎてしらけさせてしまいます。
重要なことは演出も本物で無ければならないということです。偽物の演出はただの学芸会にすぎず、リアルそのものでなければなりません。
そのためには真剣に伏線し(普段の生活を送り)、仲間(=同志、戦友)のことを常に思い(第一に考え)、ここぞといった節目節目に向かって全力を出し、達成したときに素直に感情(感謝の気持ち)を言葉で表現する、そうすれば、自然に体全体で表現したくなるだろうし(喜びのダンスも含めて)、男泣きもするだろうし、仲間とハグもしたくなるでしょう。
ということで、今後は仲間を思うことをより強め、来るべき時の感動を毎日イメージしながら、節目に向かって全力で走ろうと思います。
最近書きたいことが山ほどあって、更に次々と湧き出てくる状態です。忘れてしまう前に書き記したいと思いながら、1日1テーマの日記形式を崩したくないので、何を書こうか迷ってしまいます。
そんな中、今日は少し視点を変えて般若心経について再考してみます。2004年7月26日、27日の日記で若干般若心経について語ってみましたが、その後半年ほど過ぎて、幾らかは成長していると思うので、もう一度自分なりの解釈を試みてみたいと思ったわけです。
色:
万物、様々な現象、様々な人格、様々な状態、要すれば世の中の存在全て(現在に限定せず、過去の存在も未来の存在も含む)
空:
固定的な実体・絶対的な実態は無く、全ては移り変わるもの、相対的なもの、他との関係の下で成り立つものという存在に関する真理、もしくはそうした状態
色不異空 空不異色:
色と空は異質なものではない。世の中のあらゆること(色)は、一見すると実態があるようであり、定義付けることができそうであるが、全ては相対的なものであり、常に(その形、性質、意味、意義、作用、価値等が)変化する空という真理で捉えることができ、本質的に異質なものではない。
色即是空 空即是色:
色はすなわち空である。だからといって無力を感じるのは早計である。空はすなわち色なのだから。
観音菩薩が言っている(と思われる)こと:
物事にとらわれずありのままを受け入れなさい。全ては空なのだから何かにとらわれても仕方の無いことです。しかし、何ことにも虚無を感じてはいけません。全ては空なのだから様々に変化していくのです。また、今このときの様々な違いはたまたま今違いが見えるだけで絶対ではありません。未来は様々に変わっていきます。また、過去さえも変わりえます。過去というのは人間の記憶の強弱・解釈です。過去をどう捉えるかで過去も変わりえるのです。繰り返しになりますが、何事にもとらわれてはなりません。ありのままを受け入れ、そして物事に向かい合い、未来に向かい合い、過去に向かい合うのです。
【好きなこと】追加
・限界に挑戦する
【苦手なこと】追加
・感情を表に出す
これまで、得意なこと、好きなこと、苦手なこと、嫌いなことを洗い出してみました。何のために洗い出したのかというと、今の生き方を見つめなおし、今後の人生の指針を考えるためです。
すると、もう一つの切り口が重要であることが浮かび上がってきました。しかしこの切り口は先の4つの切り口を洗い出した上で抽出すべき事項だと思います。
☆やりたいこと・求めるもの☆
・感情を体全体で表現する(男泣き、ダンス、ハグ)
・人生を分かち合える本物の仲間
・子供に胸を張ること、子供の尊敬を勝ち取ること
数日前、本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』を感銘を受けながら読みました。早速、本田さんのHPにアクセスし、感銘を受けたことを報告し、近々お会いする日を楽しみにしている旨伝えました。その際、少し考え直して、近々夫婦でお会いする日を楽しみにしていると表現を改めたことを記憶しています。
その2日後ぐらいに、Nameから本田氏の公演を横浜で聴けると聞き、何かの縁を感じ申し込みました(NamePは子守役)。
(続き)
とにかく夢はかなったわけです。それも数日で。本田さんにメールを出したときは、まさかこんなに早く会いに行くことになるとは思っていなかったし、どういう形で会おうかもイメージが明確になっていなかったのですが、彼には会いたいと強く思うので、なんとなく直感的に近々会えると信じることができました。
後で思い直した夫婦でという表現は付け足した願望に近く、今思えば、そこに込めた思いが少し弱かったと思います。思いが強ければ、そしてその思いに自分自身が疑いを持たなければ、必ず実現するというのは普段から実感することですが、こうもうまく行くと人生の妙味にあらためて感嘆することしきりです。
得意なこと、好きなこと、また苦手なこと、嫌いなことを洗い出してみると、面白い点がいくつか見えてきました。
自分はデータの収集が好きで、分析は得意だが好きではないようです。いろんなデータを見てきたし、データを読み取る力が備わっているので、わざわざ分析するまでも無いというわけです。
そういえば、データ分析とはデータを分析できない人のために理解できるようにしてあげる仕事であり、分析しても分析する前から分かっていた情報が浮かび上がってきただけに過ぎず、自分に返ってくるメリットが少ないと感じていたので、確かに自分はデータ分析が好きではないのかもしれません。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲また、データ収集は好きで、情報収集は得意と書いたのですが、この違いはなんでしょうか?
情報というのはそれだけで価値があるものであり、データはそこから情報を見つけ出すものというのが違いとしてあると思います。情報収集が好きというのはいかにも情報を活用していなさそうで嫌なので好きの項目に挙げなかったわけですが、やはり、情報収集というのは好き嫌いの話ではなく得意不得意の話なのでしょう。
システム構築は得意なことであり、また好きなことです。
これは完全に一致しています。このことは自分はシステム構築を専門に行なう仕事が向いているのではという暗示にもつながると思いますが、それは早計かもしれません。
確かにシステム構築は好きですが、システム構築のプロセスを良く考えてみると、それを商売として専門に行なう場合、バグ取り、とんでもない使い方をするユーザーの対応、ヘルプファイルの作成、エラーハンドル等に多くの時間が割かれ、あまり効率的とはいえない仕事になるだろうし、あれやこれやと無理な注文に応じるあまり整合性が取れなくなったりして、嫌いなことを仕事にしていることにつながってしまう可能性が大です。
得意なことと好きなこととは一致することが多いのが普通だと思いますが、必ず一致するとは限らないのではないでしょうか。得意だから好きと思っていても、実はそう思い込んでいるだけで好きでもなんでもない場合があるし、逆もまた真なり、です。
したがって、一度、自分の得意なことと好きなこととが一致しているのかどうか、良く検討してみるべきだと思ったので、今日からしばらくこのテーマで検討を重ねてみることにします。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲【得意なこと】
・データ分析、情報収集、検索
・システム構築
・人を説得すること、法律を引用すること
・はったりをかますこと
・年配の人を魅了する、感服させること
・体力勝負、気力勝負
・スノーボード、野球
・シミュレーション、いろんなことを想定し、予め準備しておくこと
【好きなこと】
・データ収集
・システム構築
・効率化
・ゲーム、歌を歌う
・キャンプ、ハイキング、スノーボード
・本を読む、勉強をする
・哲学する、空想する
・筋が通っていること
【苦手なこと】
・童心に返る
・人の名前を覚えること
・整理整頓、ファイリング
・英会話
【嫌いなこと】
・整合性が取れていないこと
・非効率なこと
・エレガントさに欠ける業務
・テレビを無駄に見る
・言っていることとやっていることとが食い違っている人と一緒にいること
Excelというソフトは非常に当たり前のように多くの人が使っていると思いますが、実はなかなか奥が深く、Excelとは何か、というテーマを真剣に考えた人はかなり少数派ではないでしょうか。
Excelの特徴を列挙すると、
こうした特長を持っているため、『プロトタイプが早くできる』というのが一番大きな利点であると思います。
しかしながら、プログラムとデータと入出力が一つになりがちなため、同時使用、複数配布、グループ開発等が難しい。これは克服できないのかというと、とりあえず取り急ぎ必要なものを上記の要領で作ったうえで、
①データ部分を切り離し、mdbファイル・csvファイル等で保管してADOやOpenステートメントでアクセスする
②プログラム部分を切り離し、アドインにする
という方法により、ユーザーインターフェイス(入出力)がデータから切り離され、同時使用が可能になり、またプログラムからも切り離されることでインターフェイスを複数に配布してもプログラム変更が1箇所で済むため運用管理が楽になり、更にコードの記述に関する規則をきちんと作りさえすればアドインするファイルを複数に分けてグループで開発することもやりやすくなります。
①の手法については3年前から取り組んでおり、随分と洗練されてきた(バリエーションが充実してきた)と思えます。②については、何を隠そう昨日紹介した井上治氏からのアドバイスをきっかけに実現できたばかりであり、まだまだ改善の余地は残っています。しかし両者の手法を自分のものとしたことで、今後の開発に大いに役立つと思います。
出会いといっても、VBAサイトの掲示板で質問したところ即日井上氏からアドバイスをもらい、その日のうちに井上氏の運営するサイトに訪問し、感想をメールで送ったところ、これまた即日でお返事を頂いたというだけのものだが、これが我がVBA人生における飛躍の転機であったと後日思えるのではないかと直感し、日記にすることにした。
VBAの達人は多くいると思うが、これまで個人的に尊敬している人として、大村あつし氏(この人を知らない人はVBAのもぐり)、S氏(以前勤めていた会社の先輩、VBA専門ではないがとにかくすごすぎる)、そして井上治氏が挙げられる。
なぜ井上治氏が3番目なのかはあまり良く分からない(考えていない)が、かなり理解しやすいVBAの解説と良質なアプリケーションを配布している点、そして自分のサイトには掲示板を置かないというこだわりを持っている点などがポイントとして高く、その辺からなんとなく縁を感じていたのだろう。
これまで、井上氏のサイトはそのボリュームに圧倒されて全てを読破しようという気がなかなか沸かず、効率よく興味のある部分だけつまみ食いしよう、という接し方であったが、こうして掲示板とメールを通して意思の疎通ができたことが原動力となって、一応それなりに隅から隅まで読破することができた。
隅々まで読破することで、新しい50の発見をすることができ、また、自分も一角のVBAプログラマーである(に近づいている)ことを再確認できたし、とにかく非常に良かった。
また、井上氏がどうやら自分と同じような業務を担っているらしいこともわかり、更に(勝手な)親近感が増した。
子供のころから自分は自信過剰気味で、そのことは周りからことあるごとに指摘されてきた。自信過剰な性格により、謙虚さを失ってしまい、いつか痛い目にあうかもしれないと。若いころはその都度反発し、ようやく30歳になって謙虚さの重要性を理解し、周りの指摘にも耳を傾けるようにはなったものの、自分のカラーを失ってはいけないと自信過剰気味な性格を改めることはしなかった。
この、自分は誰かに護られており、成功は約束されているに違いない、といった根拠の無い自信により、社会人なりたての当初から部長か社長のつもりで振舞ってきたわけですが、今思うと、こうした振る舞いに見合うだけの能力(知識、分析力、決断力、調整力、交渉力等)を急ピッチで磨くための原動力となっていたのだと思う。常に自分自身を大きく評価していたことから、そのギャップを埋めなければならないというプレッシャーを自分自身に課し続け、評価に見合う能力の獲得ができた。
ある程度、自分のあるべき姿と現状とがマッチしだしてくると、どうやら謙虚さというものも備わってくるらしい。最近自分が以前と比べて謙虚になりつつあるように感じるのは、単に年を取ったためだと思っていたが、虚勢を張る必要が無くなってきたからだと解釈した方が理解しやすい。
自分は何事にも動ずることが少ない、侍のような肝っ玉を持っていると自負している。
これは果たして、胆力が練られている証拠なのか、検討してみたところ、どうやらそうでも無さそうだ。自分が動揺することが少ないのは、単にいろいろなケース、立場を想定しており、大抵の現象が自分の想定範囲内に収まるからであり、やはり想定範囲外の現象が起こった場合には自分も動揺する。
また、自分には手に負えない場合の問題のかわし方を身につけているともいえるが、必ずかわし切れるとも限らない。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲胆力を練ることと想定範囲を広げることとは似ているようで同じではないように思う。もちろん想定範囲を広げる努力は重要だけど、想定外の、身の危険を感じるほどの本当にどうしようもない窮地に陥ったとき、そこを切り抜けられるかどうかは、それと同等かそれ以上の窮地に自分の身を置き、そこから脱した経験があるかないかにかかっているのではないだろうか。
つまりハングリーに生きているかどうか、確たる原理原則を持っているかどうかだ。想定範囲を広げることはあたかも暗記事項を増やすことに等しい。暗記した箇所がテストで出れば高得点が取れるが、覚えていない事項が出ればたちまち成績は見るも無残な結果になる。
原理原則を重視した学習をしていれば、最高点は取れないかもしれないけど、どんなときも一定レベルの得点はでき、難問中の難問に出くわしても解決できる可能性が高い。
胆力を練るためにはどうしたらいいか。それは、ずばり失敗を恐れず、何事もチャレンジすることであり、特に苦手と感じる分野に対して意欲的に挑戦することではないだろうか。
(追記)
そういえば、昔、数千人規模の銀行から、当事数人だった今のベンチャーに転職する際、親父から内定をもらう前に辞表を提出するよう助言された。僅か5日ほどの期間だったが、職を失うかもしれないという緊張感が脳裏を走ったことを思い出した。
当時は『なるほど、それが筋だ』ということで、親父の助言に従ったわけだけど、今思えば、このことが僅かにでも己の胆力を練ることにつながっているように思い、親父に対する感謝の気持ちが沸いた。
私は用意周到な方だが、ここのところ意識的に心がけていることとしてはチャンスを逃さないことだ。
私の心がけているチャンスとは部下に感謝を示すチャンスのこと。このチャンスは思った以上に少なく、タイミングを失うと不自然となる。『ありがたい』と思ったそのときだけが感謝を示す唯一のときで、そうしたチャンスもあちこちに転がっているわけではないので、逃すと普段知らず知らずのうちにかけているプレッシャー(自分との能力差に起因した劣等感)を緩和させられなくなるため、非常に重要なことだと思う。
そうこうしているうちに、最近ではチャンスを見つけること、そして感謝の言葉をかけることが趣味になりつつある。これを続けていくと自分はすごい人間になれそうな気がする。
昨日は下り坂を感じていたが、今日は一気に復活した。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲というのもアプリケーションを1本構築したためである。昨日の帰り際にラフな構想が持ち上がり、『今日はアプリケーション構築以外何もせん!』と心に決めて、やる気のなさを暗にアピールするために10時過ぎに出社。以後6時間ほどかけてアプリケーションが1本完成した。
ユーザーの利便性や習慣、セキュリティ、整合性等に細心の注意を払いながら、持てる知識を総動員し、頭脳をフル回転させて行なうこの作業は、疲労すればするほど、できたときの達成感たるや語り尽くせないほどのものがある。そのおかげで昨日の虚無感はどこへやら、完成以後はその他の業務もやる気が沸いて、毎度のように一人居残っての仕事に没頭できた。
企業内ユースのアプリケーション構築というのは、非常にスリリングだ。もちろん不特定多数のユーザー向け、対価を取っての販売アプリケーションはユーザーのクレームという緊張感と常に隣り合わせであるため、こちらの方がスリルが高いといえなくもないが、思うに販売アプリケーションというのは非常に細かいバグとりやヘルプファイルの作成に膨大な時間と労力を割かされるため、空しさと紙一重ではないだろうか。
その点、企業内ユースの場合、使用方法についてはマニュアルという形である程度こちらで指定でき、親切丁寧なヘルプファイルを作る暇があれば直に説明しに行く、説明会を開催するという方法で乗り切れるし、ユーザーのITスキルが非常に高い当社の場合、レベルの極端に低いユーザーを想定しないで開発できるので非常にストレスが少ない。
もちろん、そうはいっても個人ユース、部門ユース(自分と部下のみ)に比べると、企業ユースの場合には、ネットワークの構成、アプリケーションのバージョン、Excelの得意不得意等を考慮して開発するため、それなりにではあるが手間隙がかかる。
それでは何が非常にスリリングなのかというと、時間との戦いであるからだ。企業ユースのアプリケーション構築に与えられる予算は少ない。現金での予算などそもそも無い。あるのは時間だが、その時間も非常に限られる。
時間がかかるようだと、「何もそこまでする必要は無い」「紙(アナログ)でやればいい」「もっと他にやることがあるのではないか」「そんなに時間をかけて得られる効果はどれだけのものか疑問だ」「アプリケーションは買えば(外注すれば)いい」などといった声が聞こえてくることになる。
つまり、企業ユースの場合、時間をかけると全く報われないわけだ。ということで、片手間で、業務の合間に作らざるを得ないわけだけど、そうした片手間で作る習慣が身に付くと、『いつの間にそんなものを作ったのだ』という驚きで迎えられ、『コストもほとんどかかっていないし、便利なのは確かだから使ってみよう』ということになり、受け入れられる。
この、低予算(短時間)で作る(らねばならない)という点が、非常にスリル感を高めていると思う。
先日、電子認証機能(認証、成りすまし、改ざん防止機能)、メール配信機能を備えた電子稟議システムに近い電子決済システムをExcelVBAで構築した。
そのときあらためて思ったことが、ニーズが明確になれば開発はできるということだ(それも短時間で)。
特に今のインターネット時代では素材はいくらでもネットに転がっているし、掲示板で正しくニーズを伝えることさえ出来れば親切な回答者が多いので解決できない問題はほとんど無い。
Excelで電子稟議システムなど無理だろうと思っているうちはいつまでたってもできない。『多分出来ると思う』と信じ込めるかどうかが開発可能かどうかにつながるのだが、その前提として過去においていろいろなことにチャレンジしてきたかどうかがものをいう。
チャレンジしない人間はいつまでたっても伸びず、チャレンジし続ける人間は気がつけばとても無理と思っていたこともいつの間にか出来る域にまで到達している。
傷害発生後48時間以上経過していたとはいえ、安静が必要な状況には変わらなかったので、本日は駅までバス通勤した。バス停から駅までの歩行も既にかなり違和感があり、普通の人の倍ほど時間がかかった。ショーウィンドウに移るややびっこをひいた自分の姿を確認し、非常に情けない状態であることが分かった。
朝方、患部を圧迫していた包帯がほどけかけていたので、そのまま取っ払って洗濯に出して出社したのだが、患部の圧迫をするしないでは歩行の際の痛み全然異なることが徐々に分かってきたため、会社の近くで急遽サポーターを購入した。サポーターの威力は素晴らしく、ようやくそれなりに歩行が可能な状態になり、なるべく無理をしないように心がけて仕事をした。
帰宅後、風呂に入るためサポーターを取ってみたところ、両足ともふくらはぎに血だまりが出来ていた。これが肉離れ後に現れるという『内出血部分が皮膚の表面に浮き上が』るという現象かぁ、などと感心しながらNamePに見せると、百聞は一見にしかずでようやく肉離れも侮ってはいけない怪我であることを認識したようだった。
高松の両親邸にて近所の子供たちと遊んでいたところ、50メートル走を仕切ることになり、最初は計測係だったのだが、自分も走ってみたくなり、10年以上のブランクを忘れて全力疾走した。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲ところが下り坂でもあり、20メートル過ぎた辺りで足がもつれだし、25メートルから逆に上り坂になっていたのでここで硬くなっていた足首がバランスの崩れを吸収しきれず転倒。両手に擦り傷、勢いがつきすぎてそのまま顔面横から着地し耳たぶに擦り傷、眼鏡のフレームにもこすり傷、勢いで一回転してジャンパーとGパンに穴が開いた。
気がつくと、両手は血が回りすぎてパンパンにはれ、大腿部後部が両足とも肉離れで歩行困難、後で、右足首の捻挫、ふくらはぎに軽度肉離れ、背筋に筋肉痛などを引き起こしていることが分かった。
とりあえず、保護者役が務まらなくなったので妹婿にバトンタッチ。別件で泣きべそをかいて帰ってきたBianが自分の手から血が出ているのを見て(たいしたこと無いが)自分のことのように泣き出し(死にかけていると思ったようである)、胸が熱くなった。
母が応急処置で冷湿布と包帯で圧迫してくれた。これが非常に理にかなっており、後でネットで肉離れの対処法を調べてみたところ、48時間は損傷した筋肉からの内出血を止めることが重要で、この対処が傷害の予後を決めるようだ。
対処としては安静、冷却、圧迫、高挙(心臓よりも患部を上にする)の4つであり、母のおかげで全治3週間が全治1週間になると予感し、とてもうれしく思った。ちなみに、48時間経過後は温湿布に切替えるようで、48時間経過した現在はそれに倣っている。
連休2日目は皆で遊園地に行く予定であった。普段の自分ならついていくところだったが、48時間以内は安静に、肉離れは侮れない、という知識がついていたので、自分は家で安静にしておくことにした。この決断は非常に正しく、寝るたびに回復の手ごたえを感じることが出来たし、遊園地に行った家族の話では随分歩いたそうである。
今回の調査で、肉離れも筋肉痛も捻挫も突き指も、また骨折でさえも基本的に対処は全く同じでよいということが分かり、とても収穫が大きかった。今後子供たちが怪我をする機会が増えるだろうが、適切な処置を知っていることがきっと役に立つだろう。筋肉痛の重度が肉離れであり、部位が関節になると捻挫、指で起こると突き指ということで仕組みは同じと思ってよいようだ。
また、時々テレビでやっている幼稚園の運動会でこける父親像が自分も例外ではないことを思い知り、普段のトレーニングのあり方の重要性を再認識した。普段から階段の上り下り、ジョギングを行なっており、昔から足は速いほうであったので、過信があった。
テレビでもそうした人は気持ちは前に行くのに足がついてこず、硬くなった足首がバランスを崩して持ちこたえられずに転倒すると解説していたが、まさにそのとおりの状態だった。今後は足首の柔軟性と10メートルダッシュをトレーニングメニューに加えたいと思う。とにかく、もう一度50メートルを疾走してみたい!と、強く思った。
とにかく、肉離れについての知識が蓄えられ、将来訪れると思われる幼稚園の運動会への心構えが出来(娘に恥をかかせず、また、無様な格好をビデオに撮られずに済み)、また、人生の新しい目標が出来たことはとても大きな収穫で、今回は非常に良い経験だった。また、母の治療のおかげと怪我をしたのが3連休の初日であったことで、連休明けの明日からはとりあえずそれなりに歩行は可能な様子で、これもまた非常にラッキーだった。
11月16日の日記で社労士が惜しくも不合格(選択問題は科目別・総合点とも合格水準越え、択一問題は科目別では合格水準越えだが総合点で合格水準を下回った)だったが、そのお陰で『合格講義実況本』(2冊構成で1000ページ強)という良質な参考書に年末に出会うことができた。
この本は講義形式で読みやすく、まさに流れるように知識が整理されて蓄積されていくことが実感できる。しかし、細かい点や過去問については一切触れておらず(『問題対策』という別冊で問題の取り組み方として一部取り扱っているが)、試験対策としてはこれらだけでは不十分である。
しかし、この不十分さの割り切り方がとてもよい。とはいえ総ページ数から推し測れるように、こだわるところ(受験生泣かせな難しいところ)については徹底的に深く掘り下げて知識の定着を図っており、強弱のつけ方が非常に優れている。また、良く練られた講義形式で構成も良い(同じことか)。
しかし他の本での勉強を経ずに、いきなり最初からこの本で勉強を始めていたとしたらどうだったろうかとふと考えると、おそらくあまりのテンポのよさにページは進むが何も頭に入って(残って)いないという状況に陥るのではないかと思う。
読み物としての面白さだけで終始してしまう危険を孕んでいるともいえる。そういう意味で、2度の受験を経て、それなりに用語についての基礎知識を持ち、あとは整理して記憶を定着させるだけ、という段階で、この本に出合えたことは非常に素晴らしいことだと思った。
知識が十分あると、これまでの知識がものすごいスピードで頭を駆け巡り、(ふむふむ、なるほど)と、どんどん読み進んでいく。ところどころ(ん?ちょっとまてよ)と読み返すところがあって、これが知識の定着にとても役立つ。何しろものすごいスピードでものすごい量の知識が頭を駆け巡るので、忘れる前に関連のある知識が頭を駆け巡り、両者が結びつくことで更に知識が定着するのだ。シャワーのように浴びることで知識の習得を加速させるわけだが、それを受け入れるだけの基礎体力が備わっていたということが非常に大きく、本当に不合格になって良かった。
重箱の隅をつつくところまでてんこ盛りの通常の参考書の場合、どうしても読み進めるスピードが低下してしまうので、知識と知識が結びつく前に前の知識が記憶の底の方に下りていってしまっており、(えーっと、確か前に覚えたところと関連があるというか、関連付けて覚えるといいんだけど、どこだったかなぁ)と非常に手間取って結局結びつかなかったり、比較一覧表になってあまりにも関連付け・整理がなされすぎて逆に覚えきれないというケースが多い。
おそらく、昨年ぎりぎり合格ラインを超えていたとしたら、自分は社労士で開業しようなどとは端から思っていないのであまりそれ以上の勉強はしなかっただろう。せいぜい法改正に関する知識を毎年更新していくだけだったと思う。ところが運良く不合格となったので、更に体系的に知識を吸収することができる機会を得た。今年の8月まで半年強、これまでの知識を整理して記憶に定着させることが出来れば、実務に役立つことこの上ないし、極めてプロに近い水準に達することと思う。『知識に裏打ちされた自信が醸し出すオーラ』を社労士分野においても発することが出来る日も間近だと思う。
26日にBianの映画デビューとして、二人でミスターインクレディブルを観に行った。純粋な家族愛に何度も涙したが、振り返ってふと思ったことがあったので日記にすることにした。
この作品の一つのテーマは過去のスーパーヒーロー時代を懐かしむことにあると思われるが、過去、スーパーヒーローがいたのかとそのときは疑問に思っていた。
しかし、言わんとしたことは、昔、8割もの人がサラリーマンではなかった時代に、人々はそれぞれ生活するコミュニティの内部で仕事をしており、そうした世の中では誰もが見知りあった仲だったろう。
そうした状況下では正義感の強い市民が警察に協力して犯罪者を捕まえるのに協力した者も多かっただろうし、実際表彰された人も多かっただろう。そうした人たちは地域の子供たちにとってはスーパーヒーロー的な存在であったのかもしれない。
こうした自衛意識、自治意識の希薄化を嘆いた映画とも言えるのではないだろうか。
この本(金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント)はロバート・キヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」の続編です。
こうした『金持ちになる本』や『成功するための本』といったものは、(自分にとっては)当たり前のことが書かれていることが多く、金の無駄遣いになるので読まない主義だったのですが、Nameが借りてきていたので読んでみました(11日の日記で紹介した5冊目に当たる本)。
この本を読むまで常日頃から疑問に思っていたことがあります。自分は人の2、3倍は働いており、特殊な状況下では10人集まっても自分一人にはかなわないと思っていたのですが、ではそれに見合った報酬を得ているかといえばそうではないわけです。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲これは、完全歩合制の仕事ではない、年齢が若い、会社がベンチャーである、などが理由として挙げられますが、まあ、本当に10人分仕事をしているのかと仕事量を計測することが困難であるからでしょう。
そこで、能力に見合った報酬を獲得するためにはどうしたらよいかということで、能力を示すために資格の取得を目指し(能力も向上するので一石二鳥)、未公開企業を一から育てて上場させることを目指し実績を示すことを心がけていたわけです。
しかし、こうして能力がより向上し、能力を示す根拠を提示できたとしても、おのずと時間単価には限界があるだろうと思うようになりました。社長、取締役の報酬水準とのバランス、会社が儲かっているかどうか、永続的に人の2、3倍以上の働きをするかどうか(やることがなくなってしまうのではないか)。
そのため、行き着く先は、経理、財務、規程整備、内部管理、上場準備、等の体制を整備するコンサルティング業務を行なうことかなと思っていました。自分の教育方法は厳しい方ですが、何人も教育してきたし、Excel及びVBAのエキスパートになりつつあるので、コンサルを効率よく実施することができるのではないかと考えているわけです。
この結果、年収は2000万円近くになっても全然おかしくないと思っています。しかし、年収が1億円になることはありえないでしょう。そして、今以上にいつ体が壊れてもおかしくない状態になっていることと思います。
つまり、肉体労働(プロ野球の選手)だろうが知的労働(弁護士)だろうが労働の対価というのはおのずと限界があるということです。
ではどうしたらいいのか、という疑問にヒント(示唆)を与えてくれるのがこの本です。具体的な内容は、後日気が向いたら紹介しようと思います(長くなりそうな予感がするので今日は気が向かなくなりました)。
最近NamePがはまっていることに対して自分の意見を述べようと思う。
NamePに出会ってから10年以上経つが、私の知る彼女の持ち味は、天性の社交性があって周りを明るくでき、人生をまじめに考え良く生きたいという願望が強く、子供の次元に自分を置いて一時的に子供たちの仲間になることが自然にできる、といったことであると思う。
しかし、この10年、彼女が何かに『全力で打ち込む』ということは見られたためしがなく、全てにおいて中途半端(ちょっと言い方がきついが)であることが不満であった。
それが彼女の選んだ生き方なら仕方が無い、自分自身は変えられても、(たとえ夫婦でも)他人は簡単に変えられるものではない、という気持ちで半ば諦めていたのだが、今回(何かが違う、本物かもしれない)と確信してもいいようなボルテージに達しているようなので、ここら辺で一度コメントしておく必要があるし、ようやくコメントする時期が来たことを喜んだ。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲彼女が何に目覚め、何をしようとしているのか、どういう自分になりたいのか、具体的に、明確に見極めたわけではなく、そういったことは、今のところ彼女自身の中にある青写真にしか写っていないが、彼女が何かに目覚め(覚醒し)、何かをしようとしており(したくてたまらなくなっており)、自分を変えたい、と思っていることは間違いがないようで、猛烈に知識を吸収しているという唯一の事実から、自分の見解が正しいものと考えている。
何であれ、正しいという信念を抱いて全力で取り組むことは美しいし、良いことだと思っている。
つまり、人それぞれ歩くべき道は異なるので、正しいと信じてその道を力強く歩むことが大事であり、外野は『自分の歩んだ道の方がいろいろな面でいいからこっちを歩きなさい』とか、『(その道のことは自分は良く知らないから)止めておいた方がいい』といったアドバイスはするべきではなく、唯一つ『正しいと思う道、正しいと思った自分の信念を信じて進め』と命じるのみである。
『いずこであれ、種子の落ちたるところにて、芽を出し、大樹となれ』
昔彼女に贈った言葉だが、まさに今、この言葉を贈ることが最もふさわしいと思える。
そんな彼女が一体どんな本を読んでいるのか、ちょっと読んでみるかと思い、手にとって見たところ、4冊までは、生まついたときから知っており、自然に実践してきたことであったり、ここ数年の飛躍的なスキルアップを通じて勝手に体得していたことであったり、先日の部下の退職というショックを契機に学び自分のものとしたスキルについてであって、自分にとっては今更な感じが強くて、あまり役に立つ内容でもなかったのだが、(なるほど彼女にとっては新鮮な部分もありそうだな)という印象は受けた。
ただし、全く役に立たなかったわけでもなく、いくつかの点は自分があまり意識していなかったことを深く考えるきっかけになったし、5冊目の本は非常に自分向きな良書であったので、考え方を整理するのに役立ったし、一つのポイントにいたっては自分を覚醒させることまでできた。
この覚醒が『日記が書けない』から『日記を書きたい』に変化させる契機となっており、非常に重要に思えるので以下披露しようと思う。
なお、ほとんど役に立たなかったと述べているのは、今の時点で自分に役に立たなかったという意味であり、以前(まだ気づいていない時分)においては役に立っていたかもしれない部分であったり、知っているが、真の意味についてはこれから先に気がつき、そのとき初めて役に立つという部分である可能性も十分あり、読むだけ無駄と言っているわけではないことを念のため付け加えておく。
『事実は一つだが、解釈の仕方は千差万別であり、解釈によっていかようにも自分を変えられ、無限の可能性を導くこともできる。解釈が全てであり、解釈を重視せよ。』
このとおりの文章ではないが、意味はそういうことだと思う。例えが分かりやすさを優先しすぎて平凡でありすぎたり、極端に走りすぎていたりで感銘を受ける文章というわけにはいかなかったので、素通りしてしまったが、それぞれの本に共通して出てきたことで、記憶に残り、自分なりに深く考えることができた。
自分にとっては当たり前のことではあるし、自然に身につけていたことでもあったが、周りの人を見てみるとそのことを知らない人が多いのかもしれないということに気がついたのは収穫であった。人を導く一つのポイントとしてありがたく頂戴することにした。
『自分にはできる、と信じることが重要で、できると思ったときが山登りで言えば8合目。できると思った時は即ち実行計画が頭の中にあることであり、あとは実行計画に基づいて実行するだけでいい。』
どの本も自分を信じることの重要性を強調している。当たり前のことで、長年の開発経験でも、できると思ったその日に(あるいはそれから数日内に)プログラムは完成する。
それまで、(こういうことは難しいだろうな)とか、(無理かな)とか、(今すぐ必要というわけではないし)とか、(何ヶ月も掛かりそうだからコストパフォーマンスが悪そうだ)などと思っているといつまでもできない。
できるかできないかを直感で即座に判断することも大事であり、難しいプロジェクトであれば、できるとまず自分に言い聞かせることから始める必要がある。このことも、もしかしたら知らない人が多いかもしれないなと思えたので、人を導く一つのポイントになるのであろう。
『自分ひとりでできることには限度がある。目的に向かってメンバーの協力を得ること、目的意識を共有し方向性をそろえることで無限の可能性が広がる。』
どうやったら協力をとりつけられるのか、足並みをそろえることができるのか、これが難しいところだが、原理原則に従うことが唯一最善の方法であろう。つまり、正論、誠実、確固たる信念が重要であり、後ろめたいところや迷いがあってはならないし、繰り返し唱えるキャッチフレーズ(企業理念)が必要である。
『伝えること、伝えたいと思うことが大事であり、時にはそれだけがゴールであっても良い。』
自分のノウハウを惜しみなく伝えるべきである。伝える相手は仲間、顧客、生徒だけでなく、あらゆる人として構わない。敵に塩を贈ることにはならないかという心配もあるだろうが、真剣に、誠実に伝えることで敵など生まれないし、一時の敵もまた味方になる。
まさにこのことが『覚醒』である。部下が退職したときは、3年間、プログラミングや経理知識についてのノウハウを教えてきたことが何だったのだろうと疑問を感じることもあったし、部下の退職を心底惜しんだが、伝えることが目的であったと考えることで、その点では十分満足のいく状態であったので、素直に『良かった』と思えることができたし、今後も機会さえあれば伝えることだけならできるかもしれないわけだから何も惜しむ必要はないと思えることができた。
まだ他にも重要なポイントがあったかもしれないし、今読んでいる5冊目の良書から導き出す結論を述べないわけには行かないので、その点は後日報告しようと思う。
本日は午前中監査法人の監査、午後は取引所の審査があったので気の抜けない一日だったのだが、朝会社の前でジュースを買い、お釣りを取ろうとしたところ、『ピリ』っとでん部に心地よい音が走った。
(ん)と思いエレベーターに乗って触診で確認してみたところ、おそらく5センチ程度の穴が尻に出来ていることがわかった。(こりゃまずい、今日は監査法人も取引所もどちらも大変だけど、何よりも『尻を隠す』ことが一番重要だ)と本日の行動方針を決めた。
そこで、普段背広はロッカーにかけてワイシャツだけで仕事をするのに背広を着っぱなしにして何とか目隠し効果となることを期待し、いつもなら自分で取る書類とかも部下をあごで使って取りに行かせてコピーをとらせたり、歩くときも大またにならないようにすり足で進み(ほとんど痔にでもなったと思われても仕方がない)、なるべく壁面が背後になるよう斜めに(立ち泳ぎのような感じ?)進んだり、健康のために階段を多用しているのだがなるべくエレベータを使ったり、階段を上ることは絶対にせず、下る場合でも念のため女子高生のようにかばんで尻を隠したりと、とにかくあらゆる努力を払った。
そうした甲斐もあり、誰にも気づかれずに無事帰宅し、任務完了となった。
窪塚洋介のピンポンを見た。下手な演技というかばかばかしいところもあるけど、ヒーローに対するみんなの憧れる気持ちというものを思い起こしてくれる映画で、恥ずかしながら感動した。
馬鹿みたいに自分の天才性を信じ、周りの期待に戸惑いながらもクールな(といってもクールだと思っているのは本人ばかりで周りから見れば間抜けな)ポーズをとり、一番(ヒーロー)になることだけを夢見る少年、という姿は、ややもすると忘れ去ってしまうことが多い。
この映画を見てあらためて、自分にもある特定の分野においては天才といってもいいほど秀でた部分はあり、弱点というか欠点も多いがヒーローになれるんだと思えてうれしくなった。ヒーローになって、ヒーローになれたことを世話になったみんなに感謝して、祖国に貢献し、日本人の誇りの一助となれたらどんなに素晴らしいだろう。
宮部みゆきの『長い長い殺人』は登場人物のそれぞれの財布が語り部という非常にユニークな構成になっているが、確かに財布は一番身につけている時間の長いものといえ、持ち主のことをよく知っているアイテムと言えるかもしれない。
自分にとっての財布とは、やはり思い入れの大きなアイテムであり、簡単に変えるべき代物では無いと考えている。
中学校3年生のときに父方の祖母が亡くなり、形見分けで祖母の財布(2つ)を貰うことにした。2つのうち1つはちょっと派手すぎて男の自分には使いにくかったのでほとんど自室にしまいこまれていたが、もう一つの黒地に朱色が少し入った札入れはかなり気に入っていて、結局15年近く使っていた計算になると思う。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲だいぶボロボロになっていたけれども、祖母の形見なので簡単に乗り換えるわけにはいかず、札入れだったので小銭入れだけはコロコロと変更していた(NamePにプレゼントされたのもあったが無くして怒られた)。
自分は財布を尻ポッケにしまう癖があり、これはもう20年以上の習慣のため今更変更も利かないのだが、札入れだったため厚みが無く傷みが少なかったのだと思う。ただし、札入れというのは薄すぎてズボンから抜け落ちても気がつきにくく、何度か冷や汗をかいた記憶がある。
次に使った財布は母方の祖父母からのプレゼントで、かれこれ4年になると思う。財布をプレゼントされたときは、これなら父方の祖母も納得してくれるだろうと安心できてとてもうれしかったし、実際非常に使い勝手が良く、デザインや材質も自分の好みだった。
ところが4年間尻ポッケに入れてきた結果、夏場の汗を多く吸い込み、とうとうカビが生えてきてしまった。祖父母に申し訳ないと思いながらも、このまま使い続けたらカビだらけになりそうだし、買い替えを検討することにした。
NamePの日記にあるとおりいくつか見て回り、やっぱり同じような形状の財布にしようかなぁと考えていたところ、一度自分の財布の使用状況を冷静に振り返ってみたら、平日に使うアイテムと休日に使うアイテムとに分かれることが判明し、休日アイテムは今の財布に入れておき、平日アイテムだけを持ち歩くようにしたらスッキリするのではないかということに気がつき、それならと人生初めての二つ折りの革財布を求めることにした。
特に、祖父母のプレゼントである今使っている財布に休日アイテム保管用として今後も役目を持たせられるという発想は非常に気を良くし、(やっぱり買い換えるのやめようかな)という気持ちを吹っ切ることができた。
Yahoo辞書より
《周の太公望が斉(せい)に封ぜられたとき、離縁して去った妻が復縁を求めて来たが、盆の水をこぼし、この水をもとにもどせたら求めに応じようと言って復縁を拒絶したという「拾遺記」中の故事から。前漢の朱買臣の話として同様の故事が見られる》
1 一度別れた夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。
2 一度したことは、もはや取り返しがつかないことのたとえ。
この諺は好きではありませんが、格言を認めたくないという気持ちが強くて拒絶していたように思います。『覆水盆に返らず』とはなんと無常な響きだろう、これでは救われない、といった考えです。
本日、会社の同僚というか部下が退職することになりました。その人が急速に気落ちしていく姿を見て、常にプレッシャーを掛け続けた自分もその原因の一端を担っていたのだろうと思うと、心が張り裂けそうです。
何とか退職を思いとどまらせることができないか、少なくとも元気を取り戻した状態で判断することができないか、そうしたことばかりを追いかけ、覆水を盆に帰そうとむなしい努力を重ねてきたように思います。
ここ2ヶ月ほど、最後の10日ばかりはそれこそもがくように戦ってました。一人で戦っていたのか、二人で戦っていたのかはよく分かりませんが、とにかく戦っていました。
しかし、日一日と調子が更に落ち、どこまで落ちるのか見当もつかなくなって来たのを見て、もう退職しか選択肢は無い、とにかくそこからやり直すほかはないのだろうと観念しました。そして今日、2週間ぶりに出社した姿を見、退職の手続に入り、引継ぎを行ったのです。
膨大な業務内容をアイコンタクト並にミラクルなスピードで引継ぎを行い、賞賛すべき有能な部下、というよりはパートナーとして立派に成長したことを改めて再確認することができたし、また、ようやく重荷を取り除くことができたといったさばさばしたその人の表情を見て、とてもほっとしたし、なんだかもう大丈夫だという、あいまいではあるが手ごたえのある感触を得ることができました。
そのとき思ったのです。覆水は盆に返らなくてもいいし、返る必要もないのだと。人生色々、色空空色なのだと。
人を好きになるということは非常に難しいことです。
まず、会ったこともない人、会って間もない人というのは、好きなところもなく、嫌いなところもなく、なんとなく好き、なんとなく嫌いという程度であって基本的にニュートラルでしょう。
人付き合いを重ねていくと、好きなところも見えてくるし、嫌いなところも見えてきます。嫌いなところばっかりであれば、もうその人そのものが嫌いということになります。
ところが、好きなところばっかりということは極めて稀というか、ありえる話ではなく、好きなところも嫌いなところも両方存在し、どっちかというと好きとか、今は好きな部分の方がよく見えるというのが実情でしょう。
そして、その人のことを知れば知るほど、長く付き合えば付き合うほど、好きな部分も嫌いな部分も、どちらもより鮮明に見えてきます。あるいは、好きだった部分も時の移り変わりや心理状態の変化などによって嫌いになったり(逆はあまり無さそうですが)、嫌いな部分に対する嫌悪感がどうにも我慢できないほどに膨れ上がったりします。
自分の好きな人(恋人、妻、孫等)には自分のことを100%好きになってもらいたいと盲目的になる場合がありますが、そのようなことは現実世界ではありえません。仮に相手のことを100%好きだと思っている自分に気がついたら、少し注意して観察する必要があります(相手は演技をしているのかもしれません)。
また、長い付き合いは我慢できない、目に付く部分を指摘するようになることがあります。多くの場合こうした指摘は失敗に終わります。そうした指摘事項は相手の気にしている部分でもある可能性が高いし、正義の押し売りと受け取られる可能性も高いです。
ましな方法としては自ら実践して示すことですが、これも効果がある場合とない場合とがあります。人は変わるが、変わらない部分も多い。最善の策、万能薬というものはなく、相手を受け入れること、相手と喜びや悲しみを分かち合い、嗜好、考え方、物事の捉え方、価値観を長い年月をかけて同じくしていくことが近道なのかもしれません。
しかし、親子や兄弟、夫婦といえどもそれほどまでして長い付き合いを維持する必要があるのか、維持する価値があるのかという問題も存在するわけで、やはり難しい問題です。
これまで私は精一杯生きてきましたが、精一杯生きるということはどういうことだろうとふと疑問に思いました。
自分を限界まで追い込んで、常に一杯一杯なところで生き、向上心をもって限界を拡大していくことが精一杯生きるということでしょうか。確かにこれも一理あるとは思いますが、限界などというものが果たしてあるのでしょうか?
限界とは常に主観的に決まるものであって、自分がここで限界と思ったらそこが限界なわけで、とすると屁理屈のようですが誰しも限界まで精一杯生きていることになるわけです。
つまり、人間は精一杯生きるようにできているわけで、生きているということは常に精一杯なのです。
人それぞれ、またその時々の調子に合わせて、できる限りのことをやって生きているわけで、傍目にはダラダラしている様に見えても本人にとってはそのときの調子にあわせた精一杯の行動であり、本人がまだまだ頑張れるのに頑張れていないと思うとしたら、それは調子の良かったときの自分あるいは理想の自分をイメージしすぎている影響であり、今置かれた状況の範囲内で自分が精一杯生きているということを認識してよいはずです。
もちろん、限界を感じてからさらに一歩踏み出す努力は賞賛に値します。そうした努力に対してはそれ相応に報いるべきでしょう。しかし、そうした後一歩を踏み出せないでいるとしても、やはり生きているということ自体が一杯一杯で頑張っていることには違いないわけで、まずはそれを評価するべきなのではないでしょうか。
人はそれぞれ持って生まれた才能、覚えが早い、勘が良い、数学が得意、語学が得意、人望が厚いといった特徴を捉えて評価したり、それらの能力をどれだけ発揮しているかを測ったり、それぞれの限界に挑戦し限界を超えた者を賞賛しがちで、そうしたものを持ち合わせていない者を否定的に見ます(自分を含めて)。
今日まで自分は、自分及び自分の周りがもっぱら精一杯生きている人間だけで構成されていることを鑑み、自分がそうした人種を呼び寄せているのか、自分がそうした人種に吸い寄せられているのか、自分の影響で周りがそうなるのか、いずれかだろうと思っていました。
ある意味では正しい面もあるかもしれませんが、やはり、本質を捉えていなかったように思います。誰しも精一杯生きているのであり、精一杯生きているかどうかは他人の主観で判断するのではなく、本人の主観で判断すべき、いや、主観など入り込む余地はなく、『生きている=精一杯』なのです。
ところで、一杯一杯ということは、飽和の一歩手前です。一つ間違えるとコップの水は溢れ出します。限界を破り、限界を拡大することに挑戦し続けることは危険と裏腹にあるし、誰しも一杯一杯なのだから、やはり誰しも参ってしまう可能性を持っているのです。このことは肝に銘じておく必要があると思いました。
人は人生の中で何度か進む道を決断します。
交際を申し込むかどうか、交際を申し込まれてYesの返事を与えるかどうか、結婚するかどうか、大学の選択、就職先の選択と退職の決断、家(マンション)の購入、子供の進路などの大きな選択から、点滅する信号を強行するかどうか、お昼ご飯をどうするか、帰る時間と乗る電車の選択等の小さな選択まで。
全ての選択には100%の正解はなく、51%と49%の僅差の中での二者択一であったり、自分の希望、子供の希望、妻の希望等のどれに重みを与えるかによって選択すべきものが変わってしまったり、短期的に見た効果と中長期的に見た効果との比較によりどちらを重視するかで結論が変わったり、思いつきやその場の雰囲気でなんとなく選択していたり、要するに、好みであったり、性格であったり、フィーリングであったり、縁起を担いだり、そうしたあいまいな感覚が選択を行う基準となるわけで、結局、正しい選択というものは誰にも分からないし、何が正しかったのかという評価は無意味でさえあります。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲したがって、正しい結論を出すために熟慮するというのは、悪い発想ではないのですが、結論が出ない場合には正しい結論などどこにも存在しないのだと気づくことが大切です。
こうした選択の連続がすなわち人生そのものであり、運命であるわけです。
運命とは自分で切り開くもの、自分の選択によって異なってくるものではありますが、自分の選択しなかった道がどうなっていたかは誰にも分からないのだから、後になって振り返れば運命と表現するほかありません。気をつけるとしたら、運命が(人生を)選択をするのではなく、選択の結果(人生)が運命なのであって、つまり、人生を受け入れることです。
『掲諦(ギャテイ)掲諦(ギャテイ)波羅掲諦(ハラギャテイ)波羅僧掲諦(ハラソウギャテイ)菩提薩婆訶(ボジソワカ)』
あらゆる囚われが脱落する境地というのは、「今ここわたしこのままでいい」という、たったひとつの真理であり、一瞬一瞬今ここわたしこのままでいいと、永遠に続く一瞬一瞬を囚われなく生きるということになるそうな。こうした境地に立つことができたなら人生を受け入れることができるし、自分の選択に対して後悔することもないでしょう。
『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』
この存在に関する真理が好きになりました。このフレーズをそっと唱えるとホッとします。
Goo辞書より
『色即是空』
〔仏〕〔般若心経〕この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)という、仏教の基本的な教義。
『空即是色』
「般若(はんにや)心経」の語。宇宙の万物の真の姿は空であって、実体ではない。しかし、空とは、一方的にすべてを否定する虚無ではなく、知覚しているこの世の現象の姿こそが空である、ということ。
すべてのものは常に移り変わり、永遠に同じ状態では存在できないという真実と、すべてのものはお互いに関連しあいながら存在しており、他との関連性なくして存在できないという真実をあわせた、存在に関する真理が、すなわち『空』であるそうな。存在に関する真理が『空』であるかどうかは理解を超えるところに思えるが、要するに『空』が真理の代名詞だと割り切って、それ以上は今のところこだわらないことにしよう。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲そう考えると、物事は常に移り変わり、人も常に変化し、人の心も常に移ろう、全てはお互いに関連しあっており、単独で存在することはもちろんのこと、家族だけ、気の合う仲間だけで存在することもできない。
世の中が人類だけでは成り立たないのは当たり前だけど、世の中に多くの人類以外の生命体が存在している以上、彼らとのかかわりを持たずして人類だけで存在するということはなお一層ありえない。仮に地球上にもともと人類だけしか存在していなかったとしたら、人類は人類だけで存在が可能なように進化したはずで、現在の我々の存在は無かっただろう。
それと同じように、世の中に自分以外、若しくは自分達以外に多くの者が存在している以上、彼らとの関連の中でしか自分は存在し得ない。存在とは関連の中で初めて意味を持つものであり、関連が無いということは存在しないことと同じといっても極論ではあるまい。
また、我々はいつまでも心を閉ざすことはできない。理由は心は移ろうからであり、時間の経過が心を癒す。また、他と関連しあわなければ存在できないため、いつまでも閉ざした状態ではいられない。他人とかかわりを持つことは、時には大きな精神的負担を強いる場合もあるが、唯一他人とのかかわりの中にだけ生きる喜びを見出せるというのも真実である。
他人とのかかわり方を忘れてしまい、どうかかわったらよいか分からなくなった者は、観音菩薩にすがってみたらどうか。自分は観音菩薩のお力をお借りしてみたくなった。そのため、少しずつでも般若心経や観音経について学んでみようと思う。
昔の人はよく「ご先祖に申し訳ない」というキメ台詞で子供の不業を嘆いたようですが、いったいこのご先祖に対する申し訳なさというのはどういった感覚なんだろうかとふと疑問に思った。
先祖が営々と築いてきた我が一族の繁栄ももはや自分の代でお終いで、その次以降は期待できない状況に陥らせてしまった親としての自分を恥じ、先祖に詫びたい気持ち、あるいはそうした気持ちを汲み取って子供に更生して欲しいという気持ちの表れでしょうか。
それとも先祖が守ろうとしている一族の血が、もはや守るに値しないほどに成り下がってしまったことを嘆き、それでも血を絶やさないために守ってくださるご先祖の愛に対して申し訳ないという気持ちが起こるのかもしれません。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲いずれにせよ、昔の親は先祖とのつながりを強く感じていたわけですが、代々同じ土地に住み続け、常に一族で問題を解決してきた時代にあってはそうした考えも自然というものですが、現代のようにどこが自分のふるさとなのかほとんど分からなくなってしまった時代にあっては、ご先祖とのつながりを感じるというのは至難の業なのかもしれません。
幸い我が家には親父が(小学生のときの夏休みの宿題で)作成した貴重な家系図があり、自分達に子供ができたことで祖父母・父母・我々・子という4代に渡る血のつながりを実感することができます。
この実感を子供たちが我々の歳になって感じることは更に難しい時代となっているでしょうが、ご先祖の愛無しでは幸せな人生をおくる(人生の節目節目に潜んでいる困難に打ち克つ)ことは難しいと思うため、BianはVulの母方の祖母より、HikaruはVulの父方の祖母よりそれぞれ一字もらうことで、彼らが将来先祖とのつながりを実感するきっかけになればと願っています。
自分には霊感がありませんが、霊が存在し、父方の祖母や母方の祖父を始めとしたご先祖の霊が自分達一族を守ってくれていると信じていますし、自分自身も霊的存在が五感を感知することができる物理的な身体を手に入れた存在であろう事もなんとなく信じることができます。
しっかりと背後霊に守られていると信じることができるので、自分自身(というかこの身体)をよその霊に乗っ取られるというか取り付かれるという心配もしておらず怖くありません。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲守るに値する人物でなければたちまち背後の霊があきれ果て、見放されるかもしれない。したがって、善行を尽くそうという気もおきます。
Bianは霊感があるかも知れず、祖父の葬儀の際に祖父が手を振っているのを見たようだし、須磨寺の(旧)納骨堂をひどく怖がって中に入るのを拒んだり(何の建物なのかわかっていないのに)、やっぱり何かを感じているのかもしれません。
これらは、祖父が死ぬ間際に自分が祖父に『死んだら我々の守り神となってくれ』と念じて頼んだことを祖父が承知してくれ、祖父も愛するBianを霊として見守ってくれており、Bianの身体に宿った霊は敏感に祖父の霊魂の愛を感じとったり、納骨堂に存在する怖い霊を感じて近づきたくないという感情が生まれたりするのかもしれません。
ニセコについた日、ペンション高気圧の前を通ったときに『ペンション高気圧』の看板が無く、『スキージャパン』という看板に変わっていたことが気になりました。
2年前にご主人がペンション経営が体力的にきつくなっていること、心臓を患っていることなどを口にしていたので、代が変わったのかと心配していたのですが、5月に電話したときにはそうした話も無かったのでどうしたんだろうと思い、そばうちが終わったあとに氏家さんにそれとなく聞いてみました。
すると、あのペンションはオーストラリア人に売却していたんです。
なんでも、最近オーストラリアではひそかにニセコがブームとなっているらしい。ニセコのパウダースノーは確かに一度味わうと忘れられないのだが、世界的に見てもめったに無い上質な雪質のようです。また、東洋的な雰囲気も味わえ、季節がオーストラリアと逆で時差もほとんど無いことなども人気を高めて、口コミで広がっているそうです。
とにかく、買ってくれる人がいるうちに売っておこうということになり、20年続けたペンション経営を辞めることにして、今後は3年前から本格的に始めたそばうちの指導に力を入れていくとのこと。
長くお世話になった『ペンション高気圧』には、もう泊まれないと分かってとても残念だし、今後どこに泊まればいいのかと途方にくれましたが、聞けば年も親父と同じだそうだから、そろそろ一線からは身を引き、適度に仕事をしながらゆっくりするのもいいと思いました。
そばうちの後は、ご主人の好意で近場の牧場に案内してくれ、NamePとBianが馬に乗り、ソフトクリームを食べ終わるまで付き合ってくれたり、勝手に摘んで食べても構わない苺畑を教えてくれたりと何かとお世話になりました。
ニセコの『ペンション高気圧』というペンションには自分は4度ほど泊まっており、NamePは姉と二人で行っているので確か5度泊まっていると思います。Vul両親もVul達と一緒に2度泊まっており、そのうち1度はBianも生まれていたので、Bianも1度泊まった計算になります。
いつも、3泊4日か4泊5日ぐらいは連泊していたし、Vul両親から一度高松の魚を贈ったことがあったため、5月に電話をしたときは名乗っただけでこちらが誰なのか分かってくれました。そうはいっても、毎日25人、年間100日も接客しているのによく覚えてくれているものだと思います。
今回の旅行もできれば『ペンション高気圧』に泊まりたかったのですが、「夏は今やっていない」ということだったので、ホテル日航アンヌプリに泊まることにしました。ホテルの案内に『ペンション高気圧』の主人が教える『そばうち体験』というものがあったので、いきなり当日でしたが、ホテルの人に電話して空いているかどうかを問い合わせてもらったところ、午後が空いているということだったので、急遽そばうち体験を行うことにしました。
すると、『ペンション高気圧』のご主人の氏家さんがホテルまで車で迎えに来てくれ、いきなりお土産をくれたのです。ホテルの人に予約客の名前を告げてもらったのですが、声を聞かずに我々だとわかってくれたのが非常にうれしく、改めて感激しました。
そばうちは、NamePはかなり期待していたようだし、Vul父はうどんを自分で打っていたころもあり、大のそば好きだし、Vul母は何でも新しいことにチャレンジするのが好きな性質なのでそれぞれワクワクしていたと思いますが、自分はというと(めんどくさそう)(がんばって作っても店で食べた方がおいしいだろうし)という気持ちであまり乗り気でなかったのです。が、氏家さんに会えたということだけがうれしかったし、師匠が氏家さんでなければもっと露骨に嫌な顔をしていたと思います。
ところが、先に結論を言えば、自分はとんでもない誤解をしており、北海道のおいしい水を使った打ち立てのそばがこれほどまでにおいしいものだとは思ってもいなかったのでびっくり仰天しました。また、そばの道の奥ゆかしさと変にごちゃごちゃ変化球を多投する昨今の料理と違ってきわめてストレートで簡素に磨き上げられた技が美しく、また師匠のそばに対するこだわり方にも共感するところが多く、要するに非常に素晴らしい体験をすることができたのです。
パンなども同じ理屈だそうですが、そば粉を練るときの水加減と水とそば粉の合わせ方が非常に微妙であり、その日の湿気を考慮して様子を見ながら水を加える様は生き物を扱っているようです。
そば粉と水とがうまく混ぜ合わさったら、今度は練りに入るのですが、これは陶芸に通じるところがあり、日本の芸術の素晴らしさを垣間見る気がしました。その後はそばを平たく延ばす工程になり、これもかなりテクニックが必要で、最後にそばを細く切って完成(実際はもっと色々ありますが)し、その場で2分ほどゆでて食べました。
通常(機械で作ったそば)だとゆでる時間は5分ほど掛かるそうですが、こうしてそば打ちしたものは余計な水分が含まれていないので2分で茹で上がり、その(3分)分だけおいしさが逃げないのでおいしいのだそうです。
確かに自分達で作ったという達成感を抜きにしてもつるっとした舌触りや、つゆ無しでもおいしく食べられたりと、手前味噌ながら本当においしいです。そばうちを自分でやってみようというにはまだ機が熟した感じがしませんが、もう2、3回氏家さんのところで教わるか、親父が先にはまって高松で練習できたとしたら、自分もそばうちを始めるかもしれません。幸い、今回のそばうち体験の一部始終をビデオに収めているので、何度も復習できるのが強みです。
9日金曜日から13日火曜日まで4泊5日(ニセコアンヌプリ2泊、支笏湖2泊)で北海道旅行に行ってきました。
夏の北海道は昨年利尻・礼文にクルージングで行ったので2回目ですが、2001年の夏は岩手・秋田・青森の夏祭りに行っており、津軽半島の寒さに震えてきたので、気分的には3回目な感じがします。
昨年のクルージングでは祖父母・母・伯母と一緒の旅行だったし、子供もBian一人だったし、宿泊は常に船内だったので荷物の持ち歩きも無くて(家から船、船から家へは宅急便)全然大変ではなかったのですが(太平洋の荒波にもまれた揺れを除いて)、今年はHikaruがおり、移動もあるし、Bianは自己主張する年頃だしで結構大変でした。
それでもVul両親と一緒に旅行できたので、子供の面倒を見てもらえ、また、あちこちBianの喜びそうなところへ連れて行ってくれたので助かりました。
それでもBianの年頃のホームシックは侮れず、少なくとも親子4人で旅行をするなら、移動無しの2泊か軽装での1泊がいいと思えました。
Bianも「北海道に行きたい」とか「気球に乗ってみたい」とか言っていてもそれがどういうことなのか理解できずにいる(「北海道」とか「気球」とかのキーワードを刷り込ませているに過ぎない)わけで、親が勝手に連れ回していることには変わらないので、美Bianが家に帰りたがったり、我がままを言ったり、駄々をこねたり、泣き喚いたりしても止むを得ないし、その責任は親の我々にあります。ましてや今回の旅行は、旅行前日のプール3時間によって熱中症で39度の熱を出し、そのままの状態で連れ出したわけで、全ての我がままを聞き入れてあげるぐらいの気持ちでイーブンでしょう。
そういう状況下ではあっても、NamePとしては、母親としての躾、義理の父母に余計な負担を掛ける申し訳なさ、2児の面倒を見ることからの疲れ、調子がいいときのBianならきちんと親が望むように動いてくれたのにという現実とのギャップ等の影響で、ついBianに厳しく当たってしまうようです。
しかし、人の気持ちや迷惑を掛けているかどうかなど、親の自分でさえ30を過ぎるまでは理解できないでいたのだから、そんな感性を期待するのは無理が過ぎるし、Vul両親は子供(特に自分の孫)が我がままを言うのは子供の特権なのだから止むを得ないと理解しているだろうし、多少の我がままを許せば皆が楽しく過ごせるのならその方が良いと思うだろうし、仮に迷惑だと思っているとしたら、参加しなければ良い訳で、少なくとも行きたくなくとも『行かない』という選択肢が無い子供に比べれば、『行かない』という選択肢を選ばなかった大人の方が譲歩するべき立場にあるでしょう。
Bianは家に帰れると分かったら本当に生き生きし、ベイタウンに到着したらそれまでの疲れが全て吹き飛んだかのようにうれしがり、帰宅するやいなやお気に入りのDVDを見てご満悦の様子で、本当に自宅が大好きです。NamePはお盆の3週間、BianとHikaruを神戸・高松に連れ回す計画を立てていますが、子供を連れ回しておいて、思ったとおりに子供が行動しないこと・我がままを言うことに対してしかりつけるのは親のエゴだし、Vulの試験勉強のためという名目は、Vulに文句を言わせない布石にはなっても子供の文句を抑えるには的外れであることをよく理解してから旅立って欲しいと思いました。
今日会社で面接を行った人からうちの会社が非常に静かでびっくりしたと言われました。
そういえば以前NamePも同じようなことを言っていたし、多くの人が同様に感じているのでしょう。今の会社が研究開発型なのでそれぞれの研究者が自分の研究に没頭しており周りのことが気にならないという解釈は成り立ちますが、研究フロアだけでなく管理部門のフロアも同様に静かなのは説明がつきにくい。
となると、時間を大切に無駄なく集中して仕事をするのが好きで、だらだら仕事をしたり、遊び半分で仕事をするのが好きでない社長及び自分の存在が大きく影響しているのでしょう。
常に眉間にしわを寄せ、無駄話に花を咲かせている者に対して、冷たい視線か血走った睨みを効かせるという自分の存在が、にぎやかに仕事をする雰囲気を壊しているものと思われるます。
基本的な意識としては、にぎやかに仕事をする会社というのは、暇で儲かっていない会社、成長が止まった会社、無能な集団の会社というイメージがあります。営業部であれば、にぎやかな方が活気があって売上に対しても勢いがつきそうなのでそれもいいと思いますが、管理部門がにぎやかなのは、やはりちょっとどうかなと。
そんなことを考えていたら、今の会社に転職した理由の一つとして、無能な人間のいないエキスパート集団だということが大きかったことをふと思い出しました。大企業であれば優秀な人もいれば無能な人もいるわけですが、無能な人間と一緒に仕事をするのが嫌になった、という理由も少なからずありました。
そんな自分には入社当時10人に満たず、自分以外は全員が有能な研究者という構成に非常に魅力を感じたものです。しかしながら、会社も大きくなれば、エキスパートだけで構成するわけにも行かないわけで、多少効率が悪いと思えても、にぎやかにやりたい人達の気持ちも尊重していかなければならないのだろうと思うようになってきました。
自分一人の会社であれば好きにできますが、会社は色々な人が集まって協業することで成り立っているわけで、好みに合わない部分も受け入れる必要があります。それができないと、会社を大きくさせることなど到底無理な話でしょう。
30歳を過ぎて、色々な妥協を繰り返すうちに幾分か自分も丸くなったと思っていましたが、人の上に立つにはまだまだ乗り越えなければならない妥協が待ち構えていると思いました。
金曜日は親父の退任を記念して知多半島の海風という温泉旅館に一族大人8名子供4名で泊まりました(妹の旦那が翌朝合流し大人は9名)。
最上階露天風呂付客室『光源氏』からの見晴らしは素晴らしく、大広間のど真ん中で10名(赤ん坊2名以外)で贅沢に食事をしたり、全員殿様気分でわいわい過ごしました。
いきなりレトロな「トヨタクラシック」に乗った和服姿の女中さんが駅までお迎えに来てくれて、宿に着くととりあえず迎賓の間でお茶をたててくれました。
そこにつくまでの間に畳が敷き詰められたロビーや、石造りの廊下の両サイドに清流があるなど、非常に良い雰囲気です。人の金で泊まっていたり、我が家だけで泊まっていたら(こんな高そうなところに泊まらんでも)と思いそうですが、今回は名目もあるし、自分達のお金で堂々と泊まるわけで思う存分贅沢を堪能できました。
それからエレベータに乗って最上階(7階)に案内され、既に到着していた春日井組、両親、祖母と合流。部屋は10畳程度のベッドルームと同じく10畳程度の居間と更に10畳程度のお茶室があり、外には夕涼みの場所と露天風呂があって非常に贅沢です。今回は総勢12名だったのでもう一部屋(10畳間)を予約していましたが、一族で泊まる分には十分な広さです。
当初は写真をバシバシとって海風を紹介するコーナーを立ち上げようかと計画していたのですが、そうなると田舎もん丸出しになって女将や女中どもになめられそうなので、最上階の予約客らしい落ち着ついた雰囲気を醸し出す路線に変更しました。
Bianは久しぶりに従兄弟のG君と遊べたのがうれしかったようで、食事の間ずっと大広間を仲良くぐるぐる走り回っていたし、Hikaruも普段にないにぎやかさで、更にちやほやしてもらえるのがうれしいのか、非常に興奮していました。
明日は有給休暇をとって粛 海風という愛知県の知多半島にある温泉旅館に泊まって来ます。
名目は親父の退任を慰労する会ということで両親、祖母、兄弟3人の家族みんなで泊まるのですが、記念に残る旅行にしたいということからどうせなら高級温泉旅館をという話になり、今では目的を忘れかけて単に高級温泉旅館でドンちゃんやりたいだけという盛り上がりになりつつあります。
とにかく、露天風呂付客室が予約されており、一体どんな部屋なのか非常に楽しみです(どの部屋になるのかはまだ分からない)。露天風呂では冷酒のサービスもあるそうで、温泉三昧でここのところの疲れを一気に癒してくれるでしょう。
帰宅後は日記で紹介するだけで飽き足らず、海風紹介のコーナーを立ち上げるかもしれない(期待を裏切らない旅館だとの評判なので)。
最近、Webサーバの調子が悪く、表示に時間が掛かったり、アクセスできなかったりしています。
サーバマシンはPⅢ700Mhzメモリ256Mbなのでサーバマシンとしてはそんなに悪くないはずですか、ハードディスクが24時間365日回りっぱなしだとやっぱり寿命に影響が高いのかもしれません。とにかくデフラグでもするかとやってみたら多少アクセスがよくなったような気がします(気のせい?)。
また、2ヶ月に1度ぐらいの間隔でプロバイダから渡されるグローバルIPアドレスが変更となってしまうようです。一応グローバルIPアドレスが変更となった場合に、自動的にそのことを認識してDDNSサーバに連絡するように設定しているのですが、毎回うまく行っていないようです。
2ヶ月に1度ぐらいの確率で起こる事象なので、うまく行かなかった原因の究明が難しく、外から家のwebサーバにアクセスできない(IPアドレスが変更となったらしい)ことが判明してからDDNSサーバに手動でグローバルIPアドレスが変更となったことを連絡しています。
他に、外からWebサーバも見られず、中からも外に出られない(メール・Webができない)状況に陥ることがたまにあります(今がそのたまにの状況)。
この場合、ルータからプロバイダへのリンクがダウンしていることが多いので、大抵はルータを再起動すれば直るのですが、それでも直らないと結構お手上げ状態です。ルータの内側でのPC間のアクセスは正常なのでスイッチングハブに異常が生じたわけでもないようだし、電話はつながるので電話ケーブルが寸断しているわけでもない。
となるとルータが予期せぬ異常に見舞われたか、プロバイダの方で問題が生じているかが考えられます。(といってもなぁ、どうしたらいいか。プロバイダに電話してみてもこの状態でいい解決策が見つかるとも思えないし。)と途方にくれていたところ、スプリッタとルータの間にかまされているモデムのランプがついていないことに気がつきました。
(あれ?いつもついてなかったっけなぁ)と不思議に思いながら、端末からルータへはアクセスできるけどモデムにはアクセスできないし(少なくとも自分にはその方法が分からない)、できることといったら電源を入れなおすぐらいなんだが、と思って目を落とすと、なんとACアダプタが外れかかっている(というか外れていました)。
狭い部屋の通路に当たる部分にACタップが転がっており、歩いているうちに自分かBianが蹴飛ばした弾みでACアダプタが外れたのでしょう。ということで非常に締まらない解決方法(ACアダプタをしっかりとACタップに差し込む)によって今回の難局も無事乗り越えることができました。
注意するということは難しいです。
部下に注意する、社長に注意する、家内に注意する、子供に注意する、兄弟に注意する、親に注意する、いろんな注意があるわけですが、相手のプライドに傷がつかないように注意するということは非常に難しいです。
そもそも注意をしなければならないときというのは、その人の根源に近い部分に関しての注意が多いわけで、見るに見かねてという場合が多く(つまり逆鱗に触れる)、そうでなければ敢えてデリケートな部分に踏み込んでまでして注意するのは得策ではないし、ほっておくでしょう。
自分が注意されたら、やはりむかつきます。自分の失敗に対しての注意であれば多少は納得もいくが、それでも折に触れ掘り返されて注意されたら腹が煮えくりかえるでしょう。自分の性格や無意識の挙動、習慣等簡単にはどうにもならない部分を注意されたとしたら、(どうせえっちゅうねん)となるに決まっています。
▼続きを見る⇔折りたたむ▲三つ子の魂百までというように、性格は一生直らないのかもしれません。また、例えば自分は整理整頓が下手で、常に机の上はぐちゃぐちゃで、これはうちの会社の社長も同じです。
後ですぐ使う可能性が高いものを遠くにしまうことが馬鹿らしい、仕事を同時に一杯抱え込む、一段落したら完了前に他の仕事に手をつける、といった性格が二人には共通しているようで、この帰結として机の上が汚くなるわけですが、こうした習慣も性格に根を張ったものであるため直らないとあきらめています。
そういうわけで、そうした性格に深くかかわる部分に関しての注意ぐらい無駄な努力に思えることも無いのですが、誰でも自分を基準にしてしまうため、注意すれば直ると錯覚してしまいます。自分には簡単にできることだから誰でも努力したり気をつければできるだろうと考えるわけです。逆に他人には簡単にできて自分には到底できないことを思い起こせばこれが錯覚であることは容易に気がつくはずなのですが、そこが見えにくくなるから困ったものです。
結局、その人の持って生まれた性格、能力に合わせて、期待値を変化させ、多くを望まないことが寛容なのだろうし、それが人付き合いの極意な気がします。さらに、注意という行為を取らないで、注意と同様な効果を達成できるとすればそれは非常にすばらしいことです。例えばゲームのように楽しみながら、あるいはほめたりおだてたり、達成感を味合わせたりなどは効果があるでしょう。
人の上に立つということは、その人の性格と能力を見極め、性格的にふさわしい業務のタイプが何であるか、どの程度のボリューム・難易度まで達成可能か、無理なく達成させるためにはどう導いたらいいか、成長が止まって停滞しないようにするためにはどう刺激し続けたらいいだろうか、そうしたことを常に考えながら、コミュニケーションを多くとって信頼関係を築くことが重要なのでしょう。いろいろと反省することが多いです。
優秀なプロ野球選手が優秀な監督になるとは限らないのと同様に、優秀な社員が優秀な上司になるとも限らないわけですね。
昨日は自分の遺族年金がいくら出るのかを中心に計算してみたが、そのほかのケースについても検討してみる。
自分達に子供がいなかった場合
2039年5月まで(NameP65歳まで)
遺族基礎年金0円(支給対象の子がいないため)
遺族厚生年金75万円
中高齢寡婦加算(厚年)0円(死亡時に35歳に達していない)
計75万円
2039年6月以降
遺族厚生年金75万円
老齢基礎年金74万円(NameP自身が国民年金を60歳まで掛け続けた場合)
計149万円
子供がいないと遺族基礎年金は出ないし、その救済措置である中高齢寡婦加算も35歳に達していないと(支給は40歳から)権利を獲得できないので、非常に厳しいといわざるを得ない。中高齢寡婦加算は子供がいれば35歳に達したときに子供と生計を維持していればOKなので昨日の計算では加算していた。子供がいない35歳未満の妻であればさっさと再婚できるだろう、という立法趣旨なのだろう。
子供のいない自営業だった場合
(子供のいる自営業は昨日の2回目の試算に相当する)
2039年5月まで(NameP65歳まで)
遺族基礎年金0円(支給対象の子がいないため)
遺族厚生年金0円(厚生年金に加入していない前提のため)
中高齢寡婦加算(厚年)0円(厚生年金に加入していない)
寡婦年金(国年独自給付)0円(今だと25年の保険料納付済期間に12年足りない)
計0円
2039年6月以降
遺族厚生年金0円
老齢基礎年金74万円(NameP自身が国民年金を60歳まで掛け続けた場合)
計74万円
これはひどい。国民年金に13年加入し続けていたとしても何にも出ない。せいぜい死亡一時金17万円が死んだ際に支払われるのみである。自営業者が国民年金に加入したがらないわけだ。若い寡婦はさっさと再婚するほかない。
一応予定通り5月一杯で年金の学習を終えたので、学習の集大成として実際に自分に当てはめて年金制度を実感してみることにする。
現在の厚生年金保険料は標準報酬月額の13.58%(本人負担はその半分)であり、一方で年金の受取額は標準報酬月額の0.5481%に加入月数を掛けた金額である。
40年間加入したとしたときの支払額は13.58%×0.5×480月で標準報酬月額の33倍に達し、一方で65歳から毎年標準報酬月額の約2.6倍を受け取ることになるので、13年、78歳になれば元が取れることになるが、今のは老齢厚生年金だけに着目しており、老齢基礎年金として定額で年794,500円を(今なら)貰えることを考えると、4年ほど早くなって大体74歳ぐらいで元が取れる勘定になるはずである。
実際には、年金は今後保険料が上がり、支給開始年齢も上がり、支給金額は下がる方向に推移するであろうから、そううまくは行かないわけだか、後述する遺族年金や障害年金を考慮すると非常においしい保険である。
厚生年金は会社が1/2を負担してくれるのが大きい(基礎年金は保険料を全額本人が支払う(サラリーマンは厚生年金から拠出)が、支給額の1/3は国が負担しており(厚生年金からの拠出金の1/3も)、いずれ1/2を国が負担することになる予定なので、こちらもおいしい保険のはずである)。
視点を遺族年金に移すと、
2020年3月まで(Bian18歳年度末まで)
遺族基礎年金125万円(妻+子2人)
遺族厚生年金75万円(これまでの平均標準報酬額が良く分からないので大体の金額)
計200万円
2020年4月~2022年3月まで(Hikaru18歳年度末まで)
遺族基礎年金102万円(妻+子1人)
遺族厚生年金75万円
計177万円
2022年4月~2039年5月まで(NameP65歳まで)
遺族基礎年金0円(支給対象の子がいなくなったため)
遺族厚生年金75万円
中高齢寡婦加算(厚年)59万円(国民年金からの支給は止まった代わりに厚生年金の支給に加算される)
計134万円
2039年6月以降
遺族厚生年金75万円
老齢基礎年金74万円(NameP自身が国民年金を60歳まで掛け続けた場合)
計149万円
が支給されることになる。
20歳からこれまでに支払った国民年金と厚生年金の保険料額の総額は凡そ500万円程度と思われるので、最初の3年で元が取れる計算である(自分が受け取るわけじゃないが)。障害年金の場合は生きている限り貰えるのでこちらもあっという間に元が取れるだろう。
2020年まで200万円が貰えるのはありがたい話だが、年200万円ではさすがに生活していけない。家賃だけで年180万円も払っているので、4畳半一間のぼろアパートに追いやられるかもしれない。
そこで、持ち家なら死んだら団体信用生命保険で借金が完済されるので資産が残るし家賃の心配がないということになるのだが、まあ、賃貸の場合は身軽なので実家で暮らすという選択肢もあろうから住む家に困るということもあるまい(持ち家があれば賃貸にまわして年200万円近くかそれ以上の副収入を得られるかもしれないが)。
実家で暮らしながら、食費を親と共同で持ち、多少仕事ができる程度に子供が育てば年収200万円ぐらいは稼げるだろうから、何かと制約は多いだろうが、何とか暮らしていけるぐらいの余裕はあるのではないか。
まあ、そうは言っても会社からはほとんど何も出ないわけだし(労災になる可能性は通勤でもない限り考えにくい)、一番の稼ぎ時を前にして死ぬのはやはり残された者の不自由が多い。長生きしなきゃなということだ。
なお、前述の遺族年金については会社勤めをしている間に死亡した場合であることに注意を要する。仮に病気にかかって会社に迷惑を掛けるからと早期に退職し、5年を経過した後に死亡してしまった場合(国民年金は掛けるとする)、
2020年3月まで(Bian18歳年度末まで)
遺族基礎年金125万円(妻+子2人)
2020年4月~2022年3月まで(Hikaru18歳年度末まで)
遺族基礎年金102万円(妻+子1人)
2022年4月~2039年5月まで(NameP65歳まで)
遺族基礎年金0円(支給対象の子がいなくなったため)
2039年6月以降
老齢基礎年金74万円(NameP自身が国民年金を60歳まで掛け続けた場合)
という結果になってしまい、かなり厳しい状況に陥ってしまう。
やはり死ぬまでサラリーマンであり続ける(病気になっても会社にしがみ続ける)必要がある。なお、厚生年金に20年以上加入していれば上記の心配はなくなる(受給権が発生しているので)。つまり、あと10年はサラリーマンを続けなければならないし、脱サラするならその後にしなければ、前述の悲惨な運命を遺族に味あわせることになる(例えば脱サラした翌日に交通事故で死んでも、死んだ原因がサラリーマン時代のものではないので遺族厚生年金は出ない。20年の受給資格を満たしていればいつ死んでも遺族厚生年金は出る。)。
以上がようやくここ1ヶ月強の勉強で理解したことをベースに導いた内容で、おそらく間違っていないと思うが、もしかしたらどこかに勘違いしている部分があるかもしれないので、読まれた方は鵜呑みにしないようにして(参考程度として聞いて)欲しい。
眼鏡のねじが外れて10回目ぐらいになり、とうとうねじ穴が馬鹿になったようでいくらがんばっても締まらない。何度かドライバーが指に突き刺さりとうとう諦めることにした。
やむを得ずセロテープで引っ付けた情けない姿でイトーヨーカドーの眼鏡屋に行く。Nameの見立てでなかなか似合う眼鏡を見つけることができ、また値段もレンズ付で18,000円と安かったので、レンズを薄いタイプに換えてもらっても24,000円で買えた。
1時間ほどでレンズが出来上がるとのことだったので不二家で時間を潰し、戻って試着してみるとなんか違和感がある。なんだろう?としばらく考えていると、店の人は心配しだしてあれやこれやと言い訳を言い出す。遠くを見たり鏡で自分の姿を見たりを繰り返し、ようやく自分のぼさぼさの髪型とだらしなく伸び放題の眉毛が違和感の原因であることが判明した。
これまでそんなに視力にあっていない眼鏡でもなかったのだが、よりクリアに見えるようになって、己の不精な姿がより強調されて見えるらしい。その辺を察してか、NamePが家に帰ったら髪と眉毛を切ってやると言い出した。
実はGWにバリカンを購入し、自分がHikaruの髪を刈ってみたのだが、これが思いのほかうまく刈れた。普段床屋でバリカンを入れてもらっているから自分はそれほど違和感なくかれたと思うが、NamePは元来いい加減な性格だし、床屋でバリカンを使うところなど見たことも無いだろうからかなり心配だったので、刈りたい刈りたいと言われながらもずっと先延ばしにしてきた。
ところが今日はせっかく眼鏡のおかげでシャープなビジネスマンを気取れるところなのに、髪型と眉毛のおかげでそれが台無しになっているのにがっかりしていたので、お願いしてみることにした。
家の風呂場を散髪場に切り替えたところ、いきなり道具のセッティングの段階でNameP全然分かっていないことが判明し、末恐ろしくなって、とりあえず見本として最初は自分で刈ってみた。案外自分でもうまく行くと思いながら、長さをそろえる機能があるので、まあ任してみるかと思い、お願いしたところ、大胆にガンガン刈っていることに多少の不安を覚えながらも結構上手に刈れ、眉毛も揃えてもらって男前度が随分上昇したと喜んだ。
ところがそろそろ寝るかと思ったころに、NamePが「明日会社でその髪どうしたん?とか言われる前に先に聞いてみた方がいいかも」とか何とかごにょごにょ言っているので、不審に思い、手鏡を持って洗面台で後頭部の刈り具合をチェックしてみると、素人丸出しの刈り具合であることが判明した。
刈り過ぎ刈り残しが目立ち、虎刈りではないが、刈り過ぎて禿げ上がっているところが何箇所か有り、一瞬自分のことであることを忘れて笑い転げてしまった。これから寝る前にもう一度刈りなおして貰う予定だが、一体どうなることやら。調整しすぎて丸禿にされてしまうのではないかと心配もするが、とはいえこのままでは一週間ぐらいは会社を休みたくなるような頭なのでやめておくというわけにもいかない。南無阿弥陀仏。
今日までホームシアターがしびれるほどでもなかったことに今一物足りなさを感じており、気になっていた点としてLとRのスピーカーランプしかついておらず、リアスピーカーからは音は出ているもののなんか小さく、ランプもついていないことに疑念を抱いていたため、YAMAHAのサポートセンターに電話することにした。
すると、プレステ側での設定が行われていないことがわかり、プレステのドルビーサウンドとDTSがデフォルトで『切』になっているのでこれを『入』にしなければならないこと、DVDディスクによっては5.1chのものと2.0chのものとが両方録音されており、デフォルトが2.0chとなっている場合はメニュー画面で音声選択をしなおさなければならないこと、また、そもそも5.1chでない映像もかなりあることなど、知らなかったことが一杯あったことが良く分かった。
自分は音響素人だから止むを得ない部分もあろうかと思うが、これだけ設定がややこしいとなると年配の方は5.1chでDVDを見るのはかなり大変だろうなぁと思う。
ついでに所蔵のDVDの中で5.1chのものとそうでないものとを把握しておこうと思いリストアップしてみた。
ゲームの中ではFFXとFFX-2だけが5.1chであることを知り、さすがスクエニと改めて感心した。
5.1ch対応
・ハリーポッター
・耳をすませば
・もののけ姫
・千と千尋の神隠し
・猫の恩返し
・バグズライフ
・トイストーリー
・トイストーリー2
・グラディエーター
・ジャンヌ・ダルク
・カッコーの巣の上で
・ゴッドファーザー1~3
・フルメタルジャケット
・バリー・リンドン
・シャイニング
・2001年宇宙の旅
・時計仕掛けのオレンジ
・アイズ・ワイド・シャット
・FFX
・FFX-2
2.0chのもの
・隣のトトロ
・天空の城ラピュタ
・魔女の宅急便
・風の谷のナウシカ
・平成狸合戦ポンポコ
・思ひ出ぽろぽろ
・火垂るの墓
・紅の豚
・PINGU
モノラルのもの
・トムとジェリー
・ガッチャマン
・ヤッターマン
・チャップリン
今日はネットオークションでDSP-AX795aを落札しようと思いながらも、近所のカルフールとラオックスに実物を見に行くことにした。795aは昨日から5000円上がって11,500円(出品者の希望落札価格は15,000円)になっていた。13キロと重いのが難点だが、その他は不満な点は無かった。12,000円でエントリーしてもいいが、(15,000円で落とす価値があるのかどうかは疑問に思いながら)また競り合うだろうから締め切りの18:00までは様子見を決め込むことにした。
NamePは明らかに俺がラオックスで買うんじゃないかと睨んでいた。その根拠はもうすぐGWに入ってしまって高松に飛ぶので、ちんたらオークションなんかしてたらホームシアターを体感するのにGW明けまで商品が届かない可能性も高いからで、こらえ性の無い自分には到底我慢できないだろうというものだ。
最初に立ち寄ったカルフールではDSP-AX440が31,000円で売られていた。(やっぱ3万超えてくるんじゃヤフオクで落とすしかないな)と考えながら、Bianの機嫌をとるためにトイザらスとヨーカドーのおもちゃ売り場で時間を潰しながら、昼時になったのでヨーカドーのマクドで昼食。当初の予定ではオリンピックの家電売り場も覗きに行く予定だったが、おもちゃ売り場をうろうろしてるだけですっかり疲れてしまい、ラオックスだけは見て、すぐ帰るか、ということになった。
ところがラオックスについてみると、展示品限りでDSP-AX440が税込23,800円で売られているではないか。メーカー保証が1年ついてこの値段なら、オークションで型落ちの中古を15,000円で買うより賢いのではないか?何よりこれを買えば今晩中にホームシアターを体感できるではないか。と、NamePの予想通りの展開となり、店員にいくつか疑問点を投げかけた上で買ってしまった。
ついでに、PS2からアンプに音声をデジタルで送る光ケーブルと、更についでにPS2から映像をよりクリアに送るためのケーブル(AV MULTI-D1端子)まで買ってしまった。そして徒歩で来てたし、配達してもらうと翌日になっちゃうし重量が11キロあるので500円かかるというので、タクシーを呼んでもらうことにした。
帰宅して、かなり疲れていたのでみんなでおやつタイムにしたかったところだが、NamePがリアスピーカーを壁掛けにするためのフックを100円ショップに買いに行ってくれると言うので、そのまま模様替え&セッティングまでなだれ込んだ。
スチール棚の位置を変えることにしたので、中身を全部出して掃除をし、棚とソファーの位置を変えるまでに相当時間が掛かったが、配線関係はある程度予習していたので夕食までには何とかセッティングが終了した。スチール棚から出したBianのおもちゃがあちこちに散乱していたが、さすがにこれらを片付ける気力は失っており、とりあえずBianが文句を言わない範囲でホームシアターを楽しもうと『もののけ姫』を観ることに。
夜も遅くなってきたので、あまり音量を上げられないのが残念だったが、それでも5つのスピーカーから分かれて音が届くこととサブウーファーからの重低音に一応感動し、いい買い物をしたなぁとしみじみ思えた。
急遽アンプに関してにわか知識を詰め込んでいる最中であるが、実際に聴くことができないので何がいいのかどうかは良く分からない。ただ、YAMAHAは全ての機器のマニュアルがHPでダウンロードできるみたいで、YAMAHAのアンプに関しては接続方法を中心に勉強することができた。
YAMAHAのアンプならスピーカーもYAMAHAだから相性はいいだろうし、ブランドとしては申し分ないし、少なくとも自分でも繋げられることが分かっているし、マニュアルが無くなっててもダウンロードできるしで、ネットオークションで買うならYAMAHAに惹かれる。
早速、YAMAHAのDSP-AX420を落札しようとした。
残り2時間ぐらいまで8000円程度だったので、マニュアルを熟読して機能的には大分把握できており、(これは安いよなぁ)と思ってウォッチしていたら、残り1時間になってから9,000円、10,000円、12,000円と急ピッチで上がり始め、途中光泰を風呂に入れて戻ってみると、二人の落札者が熾烈な争いをしているようで13,500円まで上がっていた。
出品者の希望落札価格は15,000円なので、それでもまだ多少は安いと思いながら、(でも、この値段になってくると新品に比べた中古の割安感というのはかなり薄れてくるかなぁ)等と考えていると、さっきまで22:04が締め切りだったのに、22:09が締め切りに変わっていることに気がついた。(おっかしいなぁ、時計が壊れたのかな?)などとのんきに考えながら、14,000円でも後悔することは無いだろうと考えて入札することにした。
(自分の名前の隣に『最高額入札者』の赤字がまばゆく輝いている!)と喜んだ2秒後にさっきまでデッドヒートを繰り広げていた二人のうちの一人が15,000円で入札して落札されてしまった。22:04のことである。(へ?終わり?22:09までってさっき表示されてたじゃん)と腑に落ちない気持ちで画面を眺めながら(締め切りまで参加した)入札初体験が終わった。
待ちに待ったスピーカーシステムが到着したとの連絡が入り、大喜びで帰宅した。開梱して説明書を見ながら設定方法を確認していると、何かがおかしい。つまり、つながりそうに無いのである。よくよく説明書をひっくり返して読み返してみると、どうやら別にアンプがいるらしい、ということが分かってきた。
途端にやる気が萎え、Nameも「次の引越しまで箱に入れて置いておいたら」と提案しだす始末。アンプが無ければ何の役にも立たない代物なのでアンプを調達したいが、スピーカーを無料でもらってアンプを買わされるという構図がどうにもNameには気に入らないらしく、我が家は一転して険悪なムードに。
とにかく、アンプとは何ぞや?というレベルのため、ネットで検索する一方、初心者向けそうな中古のアンプをヤフオクで物色することにした。
神戸大学に成績証明書の発行を依頼したところ、送付してくれた。
単位の取得時期が載っていないので最後の追い上げでどれだけ取得したのかは分からなかったが、それなりに優の数もあるし、なにより所要単位をきちんと上回って無事に卒業したことが確認できた。これで悪夢にうなされることもなくなるだろう。大事にとっておこう。
学歴詐称事件が時々世間をにぎわすが、自分もこの件で時々嫌な夢を見る。
自分は神戸大学経営学部を卒業しており、卒業証書がそれを証明しているのだが、時々見る夢の中では、
そこで、成績証明書を手に入れることができれば多少老後のボケを心配しないで済みそうだ。大学に問い合わせて、10年もたっているので無理であれば前の会社の人事部に相談してみようか。退職後4年が経過しようとしており、こちらも難しいかもしれないが、そこまでしておけば自分を納得させられるような気がする。
会社で昨日までの2週間リクナビネクストを使って人材を募集していたのだが、今日は人材募集の広告代理店のような会社から、しかも同じ会社なのに別々の担当者から3回も勧誘の電話があって切れそうだった(つうか切れた)。
10:##
『○×会社の△□と申しますが、リクナビネクストに御社の募集広告が掲載されているのを拝見しまして、当社は。。。(以下略)』
「いや、とりあえずリクナビネクストの応募者もいますし、DMの反応もこれから見る必要がありますので、今すぐ別の媒体を使ってどうこうするつもりはありませんので。今忙しいですし」
『そうですか。お忙しいところ、どうもすいませんでした。』
11:##
『○×会社の▲■と申しますが、リクナビネクストに御社の募集広告が掲載されているのを拝見しまして、当社は。。。(以下略)』
(何だ?聞いたような会社だな?とにかく今急がしーんだよ)
「要らないです」
『どうもすいません』
14:##
受付【○×会社の▽◆様からお電話です】ガチャ(切り替えの音)
(ったく。なめとんのか。受付も常連客と勘違いしてるし)
『○×会社の▽◆と申しますが、リクナビネクストに御社の募集広告が掲載されているのを拝見しまして、当社は。。。(以下略)』
「・・・・・・・」
『もしもし?』
「だから要らないんですけど!!今日お宅の会社これで3回目ですよ!どうなってるんですか?」
『どうもすいません。失礼しました』
ガチャン!!(自分が電話をたたきつける音)
受付からIPメッセージ【しばらく○×会社からの電話は取り次がない方がよろしいでしょうか】
返信「そうですね。しばらくは要らないです。」
そこで、落ち着きを取り戻し反芻していた。
「要らないんですけど。要らないんですけど?ん?もっと頂戴けど?」
実は最近のBianのはやり言葉に『もっと頂戴けど』というのがある。
お菓子をもっと欲しいとねだるときに、おそらく彼女としては強行に要求する意味で『けど』をつけてるのだろうが、それがおかしくてたまらない。NamePが「○○してほしいんですけど」とか「どいて欲しいんですけど」といってBianに命令するのを聞いてそれを応用したのだろう。聞いてるうちに『もっと頂戴ケロ。もっと頂戴ケロ』と聞こえてくるのでなお笑える。
というのを思い出して、怒りもどこへやら、一人ニヤニヤ笑ってた。